2014年12月29日月曜日

ロシア大会後も続く日本サッカー暗黒時代

2014年12月29日深夜に放送されたフジテレビ特番『ザックジャパンの真実』を観ました。サッカー日本代表の元監督アルベルト・ザッケローニ氏に4年間帯同した通訳の矢野大輔さんが綴った『通訳日記 ザックジャパン1397日の記録』(株式会社文藝春秋刊)を土台に『すぽると』とコラボした企画で、その日記に綴られた内容を軸とするザッケローニ氏と矢野氏の対談で、ブラジルW杯までの4年間を振り返っていくというもの。

なんともひどい企画でした。「本気で日本サッカーの未来を憂いている人間は誰ひとり関与していないのだな」という印象しか残らない番組でした。

この番組を観るにあたり、私が焦点としたのは「ブラジル大会の惨敗をザッケローニがどう振り返るのか」でした。多少の編集こそあれ、ザッケローニ氏本人がカメラの前で口にする言葉は、まぎれもない真実。ブラジル大会までのエピソードでいろいろと言いたいことはありましたが、何より注目すべきは自身が指揮を執ったチームの結果に対する自己評価です。

「日本人選手の潜在能力は高く、世界と渡り合える技術を持ち合わせていた。彼らに足りなかったのは、自信だった」

番組のなかで、ザッケローニ氏はそう語っていました。

「他人事かい」

その言葉を耳にした瞬間、私の口から出た言葉です。ある意味予想どおりでもありましたが、なんと無責任な人物に大事な代表チームを預けていたのかと呆れました。

4年という年月は、プロサッカーの世界では十分すぎる時間です。確かに代表チーム自体は年間を通じてみても活動期間は短いのでクラブチームと同等には見れませんが、世界では一年未満で解任される人も少なくありません。時間は十分すぎるほどありました。「自信がない」ことぐらい、よほど無関心な人でなければとうの昔に見抜けるはず。こんなのはただの言い訳にしか過ぎません。

選手に自信がないのなら、自信をつけられるようなコーディネートをすべき。「タジキスタンと試合をしても自信にはつながらない」というのなら、日本サッカー協会にマッチメークの是非を問うべきです。「ホームじゃなくてアウェーでの試合を増やせ」、「FIFAランキングの上位国との試合をやらせてくれ」など、いくらでも言えたはず。そのための最高指揮官でしょう。

ブラジル大会での惨敗は、コンディション調整の不備などいろいろと言われていますが、そうしたディテールすべてを含めたうえでの、指揮官ザッケローニの采配力の欠如だと思います。「攻撃的なサッカーをやりたい」と言ったって、本当の意味で試合を支配できる国なんて世界に数えるほどしかいません。ほとんどの国が、そうした強豪国を向こうに回して守備的に戦い、失点を最小限に抑えて少ないチャンスで倒そうと試みるのです。W杯で勝ち上がれば勝ち上がるほど相手は強くなっていくのですから、そうした戦いが強いられるのは至極当然のこと。“守備的な戦い=悪”という風潮は、日本人の悪いクセだと思います。

この番組についてもうひとつ残念に思ったことは、ザッケローニ氏と矢野氏の対談現場で、「ふざけたことを言うな」と言える人物がひとりもいなかったことです。本当に日本サッカーの未来を憂いているのであれば、あのブラジルでの惨敗を引き起こした張本人の無責任な言葉を聞けば、その場で張っ倒してやってもいいぐらい。実際、4年間も猶予を与えた挙げ句にW杯で一勝もあげられなかった外国人監督に「ありがとう」なんて言葉を吐くのは日本人ぐらいでしょう。僕が外国の人間なら、「日本はなんてお人好しの国なんだ」と大笑いするところです。

今回の番組は、“日本サッカーの今”を如実に表していたと思います。大金と時間を与えたにもかかわらず結果を出せなかった好々爺と、それを笑顔で囲むメディア陣。そこに、本気で日本サッカーを強くしたいという意思はついぞ感じられません。

今、日本サッカーは極めてダークな状況にあります。W杯で惨敗したことにより、日本に対する世界の評価は著しく下がりました。つまり、「弱い日本と試合なんかできるかよ」と強豪国がオファーを断ってくる可能性が高まったわけです。しかし、日本が強くなるためには世界屈指の国々との試合経験が不可欠。弱い国であることは覆しようのない事実ですが、それでもマッチメークを行なうとすると、

1, コネクション
2, ファイトマネー
3, 大きな大会への出場権獲得

などが必要になります。ファイトマネーはスポンサー次第で出しようはありますが、それでも極東の弱小国まで足を運んでくれる国がどれだけいるか。「3」は、まもなく始まるアジアカップで優勝した際に獲得できるコンフェデレーションズカップへの出場権。そして「1」は、世界的に著名な指揮官を利用してのマッチメークです。現代表監督であるハビエル・アギーレ氏には、「1」と「3」が求められています。しかし、先の八百長疑惑もあり、日本サッカー界にはますます暗雲が立ち込めてきたというわけです。

“たら・れば”の話をしても仕方ないのですが、もしブラジル大会でそれなりの成績(せめて決勝トーナメント進出)をおさめていれば、たとえ無名の国産監督であってもマッチメークはそれほど難しくなかったでしょう。つまり、ブラジル大会での惨敗はこうしたところにまで影響をおよぼしているのです。

番組を見終えて、この企画にかかわった人すべてが、ザッケローニ氏の功罪を理解していないのだな、と感じ入りました。それも、日本サッカー協会の顔色をうかがったような内容に終始して。

こんな番組が堂々と放映されていること自体、ブラジルでの惨敗をきちんと受け止めていない何よりの証拠。憤りを超えて、絶望感すら漂いました。

断言します。3年後のW杯ロシア大会、仮に出場できたとしても、日本は結果を出せないでしょう。なぜならば、ブラジルでの惨敗の原因をきちんと突き詰めず、うやむやにしたままダマシダマシ事を進めようとしているからです。

日本サッカーの暗黒時代は、ロシア大会後も続きます。現時点では、いつ晴れるのかすら分かりません。堕ちるところまで堕ちないと気づかないという悪癖に、改めて自国に対する日本人の関心の薄さを感じた次第です。

2014年10月18日土曜日

歓迎すべき? W杯アジア枠の出場1枠減

ブラジル大会での大失態を受けて

このほど、FIFA(国際サッカー連盟)が2018年W杯ロシア大会にて、アジアからの出場枠4.5を4もしくは3.5に減らす案を検討中とのニュースが流れました。

>> 18年ロシアW杯のアジア枠1減も…FIFA総会で正式決定へ

もっとも大きな理由は、先のブラジル大会におけるアジア勢の不振でしょう。出場4ヶ国は揃ってグループリーグ敗退、しかも4つ合わせても0勝3分け9敗と一勝もあげられず。これじゃあ「W杯のレベルが低迷する。予選を突破できなかった南米やヨーロッパの国が出場していれば面白みが増したはず」と思われても仕方ありません。もし僕がギリギリで出場権を逃した南米やヨーロッパの国の人間だったら、そう思うことでしょう。

ちなみにブラジル大会における地域別出場枠は以下のとおり。

==========================
・南米 4.5 (+開催国ブラジル)
・ヨーロッパ 13
・アフリカ 5
・アジア 4.5
・北中米カリブ海 3.5
・オセアニア 0.5
==========================

こう見ると、アジア枠が大きく優遇されているのがよく分かりますね。実力の高い国がひしめく広大なヨーロッパはともかく、南米やアフリカとも同等。

1994年W杯アメリカ大会まで、アジアの出場枠は「2」でした。それが次の1998年フランス大会から「3.5」へと増大したのです。総出場国数も同フランス大会より「24ヶ国」から「32ヶ国」へと増えました。そう、1994年までW杯は文字どおり“狭き門”だったのです。


“出場させてもらえた”フランス大会

出場国数の増大は1994年以前から検討されていたことですが、大きな転機を生んだのは1994年。日本ではその前年(1993年)に初のプロサッカーリーグ『Jリーグ』が発足し、同年、W杯アジア最終予選にて予選突破まであと一歩のところで力尽きた『ドーハの悲劇』がありました。

1994年W杯アメリカ大会では、アジア勢の躍進がありました。ドイツ相手に健闘を見せた韓国、そしてアジア初のグループリーグ突破をはたしたサウジアラビアの存在です。サイード・オワイラン(サウジ代表FW)の6人抜きドリブルも話題を呼びました。当時アジアやアフリカは第三勢力として世界の注目を集めつつあったので、ある意味効果的な結果を生んだわけです。

もうひとつが、2002年W杯の開催地に関する事案です。当時名乗りを挙げたなかで有力候補と見られていたのは日本と韓国でした。特に日本はアメリカに次ぐ世界屈指の経済大国であること、そして安全面という点でも安心して任せられる印象が強かったことから、最有力候補として見られていたのです。

その一方で、唯一の懸念は「一度もW杯に出場したことがない」、つまり出場未経験国であることでした。それまでの開催国はすべて過去に一度以上はW杯に出場していました。経済大国 日本を開催地にしたい、でも出場未経験国を選んだら「カネで開催地を選んだ」と非難されてしまう。

FIFAが出した結論が、日本をフランス大会に出場させるための“アジア枠の増大”だったのです。アジア枠が増えた1997年W杯フランス大会 アジア最終予選において、日本は第三代表決定戦までもつれこみつつも出場1枠をもぎ取りました(ジョホールバルの歓喜)。2002年W杯が日韓共催で決定されたのはその前年(1996年)でしたので、FIFA関係者も胸を撫で下ろしたことでしょう。

嫌味を承知で言えば、日本はこの出場枠増大の恩恵にあずかった国のひとつで、突破そのものは実力ながら、見方によっては“出場させてもらえた”とも言えます。なぜならば、出場枠の増大がなければ、ジョホールバルの歓喜を呼んだアジア第三代表決定戦などというプレーオフは存在しなかったわけですから。

その後、オーストラリアがオセアニア地域からアジア地域へと組み込まれ、アジア枠はさらに増え、現在の「4.5」となりました。気がつけば、南米やアフリカと肩を並べる地域となっていたのです。

その矢先の、ブラジル大会におけるアジア4ヶ国の失態。強豪エリアと肩を並べていながら一勝もあげられないなんて、笑えないアメリカンジョークのよう。そりゃ出場枠の見直しぐらい検討されます。


ワールドカップはディズニーランドではありません

個人的には、この出場枠減は大歓迎です。門戸が狭まれば当然予選突破は厳しいものとなるでしょうが、シビアになる方が緊張感が増し、戦い方に真剣味が出ようというもの。ここ数大会におけるアジア予選での日本の戦いぶりには、いささか緊張感に欠けるものがありました。海外組を総動員して選手のポテンシャルだけで相手をねじ伏せるプレーで勝ち星をあげ、強くなった気になって本大会に臨み、そしてフルボッコにされる。

予選突破は最低限のクリア課題なので(日本も偉くなったもんだ)、日本国籍を持つ最高クラスの選手を総動員するのは至極当たり前のことですが、W杯本大会で結果を出せないのでは本末転倒。先のシンガポールでの国際親善マッチ ブラジル戦での張りのなさ、闘争心のなさを見ると、結局次のロシア大会でも同じことを繰り返すんじゃないのか?と思ってしまうところ。

たとえ国内組のみの編成でもアジアを勝ち抜けるチームを作り上げ、海外組を“上乗せ”としていけば、少なくとも海外組を主軸としてバランスを崩したブラジル大会よりは好成績を残せるんじゃないでしょうか。

出場枠減、大いに結構。僕個人としては、出場枠を「2」に戻してほしいぐらい。ええ、もちろんオーストラリア込みで、です。

「それでもし、本大会出場を逃したらどうするんだ!?」

それはそれで、受け止めればいいんじゃないでしょうか。次への糧とすればいいんじゃないでしょうか。それがW杯です。イングランドやフランスのように、出場を逃した強豪国はいくらでもあります。だからといって、彼らのサッカー文化が潰えたりはしていません。黒歴史として、糧として次世代へと受け継がれ、今日の彼らがあるんです。

代表が強くなるためには、より厳しい環境に投じること。それは選手や監督だけでなく、協会、サポーター、そして日本国民すべてが、です。

W杯は、ディズニーランドじゃないのですから。

2014年10月17日金曜日

サッカー日本とブラジル、そして東京と大阪の運転

[2014.10.14 =国際親善試合= 日本 0-4 ブラジル -シンガポール-]

■地力の差が出た痛恨の試合

敵将ドゥンガは、この試合をどう見たでしょうか。

現在ブラジル代表監督を務める彼は、現役時代にJリーグ ジュビロ磐田に所属したことがあります。彼が在籍した当時のジュビロはまさしく黄金期で、鹿島アントラーズと双璧をなすリーグ最強チームのひとつでした。彼が去ったあともほぼ日本人だけとなったジュビロは弱体化することなく強さを維持し続け、2002年当時は「日本代表より強い」とまで言われるほどに。

そのドゥンガが、ジュビロ在籍時のインタビューでこんな言葉を残しました。

「日本人にはマリーシアが足りない」

マリーシアとは、ブラジル語で「ずる賢さ」という意味を持ちます。日本人としてこの言葉を聞くと「おいおい、相手を騙すなんて卑怯なことができるわけないだろう」と思うところですが、海外におけるずる賢さには、いわゆる“賢さ”も含まれるそうです。つまり、「出し抜くこと、騙すことも利口さのひとつ」という考え方がベースにあるのでしょう。実際、サッカーという競技は“いかに相手を出し抜くか”“どうやって相手の裏をかくか”という騙し合いのスポーツ。騙されないよう鉄壁のディフェンスを敷いても、ほんの一度だけ取られた裏が失点につながります。サッカー王国ブラジルのキャプテンの言葉は、かの国のカルチャーを如実に表していると言えます。

地力の差を見せつけられた試合だったと思います。結果的にはネイマールの4ゴールと、文字どおり“ネイマール・ショー”でした。ブラジルW杯で悲劇的な怪我を背負ったエースの華麗なる復活という演出に、シンガポールの方々は酔いしれたことでしょう。そう、日本は完全に引き立て役、申し分ないかませ犬でした。

アギーレ監督のアプローチは及第点だと思います。W杯ですべてをフラットにし、ゼロからチームをつくり上げようとしている発足まもないチームですから、アギーレ監督としても「まずは選手個々がどこまでやれるのか」をチェックする時期だということでしょう(そういう意味で、Jリーグで采配を採ったシャムスカなどを監督候補として検討してもよかったのでは?とも思うのですが)。本田や香川といったチームの柱抜きで、王国相手にどこまでやれるのか。勝ちたいのはもちろんですが、目標は2018ロシアW杯で、この試合は親善マッチ。アギーレの見方は真っ当と言えるでしょう。

それだけに、試合に目をやると埋められない差というものが随所に垣間見え、日本人としては絶望的な気分にさせられた一夜でした。


■日常の速度感をあげねば一生ついていけない

W杯後に解体したこともあり、お互いチームはまったくの未完状態。日本はともかく、ブラジルはネイマールやロビーニョ、カカ以外は交代出場時に歓声もあがらない選手がほとんどでした。こうなると、個々の力量差がはっきりと浮き彫りになります。

0-4というスコアは、そのありようをまざまざと物語っていると言えるでしょう。特に失点シーンで見受けられたのが、ボールを持って突っかかってくるブラジル選手の間合いに対する日本人選手の戸惑いです。

ネイマールはもちろん、セレソンクラスの選手になると、すべてのプレースピードが速い。それはドリブルやパスと言った実技だけでなく、次のプレーを判断する速度、周囲をチェックする速度、相手の動きを先読みする速度という“頭を使った判断の速さ”も含まれます。

「今、攻めるとき」というスイッチが入ったときのセレソンの速さと言ったら、それはもうJリーグのレベルをはるかに超えています。しかし対峙しているのは、Jリーグが日常の選手たち。当然、“ワールドクラスの間合い”で戦った経験が乏しいことから、どこで飛び込むべきか、どこまで詰めるべきか、判断しかねていたのでしょう。しかも、こちらが考える以上のスピードで突っかかってきて、先んじてプレーが展開していってしまう。

詰められないから下がらざるを得ない。そしてディフェンスラインは自陣深くへと押し込まれ、バイタルエリアを面白いように蹂躙される。このゾーンであれほどボールをまわされれば、綻びのひとつやふたつはカンタンに生まれます。しかもセレソンのプレー速度についていけていないのだから、綻びができないことの方が不思議。個人的には「4失点で済んだ」という印象です。

日常を超える速度についていくというのは、実際には不可能な領域。その速度についていくためには、日常の速度をあげるほかありません。


■プレッシングが速くて強い対外試合を増やす

日本代表というチームの中軸を担うのはJリーガーですし、本田や香川、岡崎といった海外組に注目が集まりますが、彼らとてJリーグなくして今の地位は存在しないのです。

いかにJリーグのレベルをアップさせていくか。リーグ創設当時のように世界クラスの名手をたくさん呼べればいいのですが、今の各クラブにそんな資金はありませんし(C大阪のフォルランなんて、何年ぶりの大物か)、ひとりぐらい来たところでクラブのレベルが一気にあがるなんてことはありません。

答えはカンタン、Jリーグよりもプレースピードが速いクラブ(リーグ)との試合を増やしていくことです。そこで注目されるべきは、ACL アジアチャンピオンズリーグのあり方でしょう。

ACLでは、日本はアジア各国の後塵を拝んでいるというのが実情で、かつて浦和レッズやガンバ大阪などが王者に君臨した時代は遠い昔の出来事のよう。対峙したときに凄みを増す韓国勢、豊富な資金で有能な外国人を擁する中国勢に勝てない日々が続いています。

Jリーグよりもプレースピードが速いリーグは、海外に行けばいくらでもあります。しかし立地上、クラブ単位で頻繁にヨーロッパや南米に行くなんてできやしません。とすれば、現時点で満足に勝てておらず、かつ立地的にもそう遠くない東アジアのリーグ同士で交流戦の機会を増やすのが得策(手っ取り早いとも言う)と言えるでしょう。

まぁ、今の日中韓関係から見ると、なかなかに難しい問題ではありますが……。


■交通状況から見る国民性の違い

東京で暮らして6年めになる関西出身の私ですが、上京当初、一番驚いたのは東京の交通状況でした。放射状に道が広がる特殊な都市構造、現代の交通環境にそぐわない細い道路の多さ、流通の多さによる大型車両の増大など、大阪のそれとは比べものにならない環境の差を感じつつも、それを「仕方ない」として受け入れ、大渋滞でもクラクションひとつならないほど礼儀正しい都民の姿に、ただただ驚かされました。

東京と大阪では、運転に対する考え方がかなり異なります。どちらが正しいというわけではありませんが、大阪は強いて言えばアジア的な考え方のように思えます。以前訪れたベトナムでは、クルマの方が強気な運転で、歩行者やバイクによけることを強いるような動きをします。確かに交通弱者たる歩行者こそ守られるべきですし、だからこそ日本の交通事情は海外でも高く評価されています。

しかし一方で、こうした強気のプレッシングに対して腰がひけてしまうのもまた事実。「代表チームのサッカーを見れば、その国の国民性が分かる」とよく言われるのですが、我が国の代表チームのサッカーは、都内の交通状況のようにジェントルであり、ナイーブでもあります。残念ながら、対外試合となると相手はその弱点たる後者を徹底的に突いてくるのです。

東京都内での運転を見ていると、大阪に比べてワンテンポ(いやツーテンポ)ぐらいレスポンスが遅いと感じることがあります。別に急いで目的地に行く必要もないのですが、このレスポンスの鈍さは日々の緊張感に影響しないのか?と勝手に懸念するほど。加えて、歩行者の緊張感のなさも見ていて怖いぐらい。クルマが行き来している場所にもかかわらず、無警戒に入り込んでくる人が多いのです。関西でも飛び込んでくる人はいますが、こちらはどちらかというと「轢けるもんなら轢いてみぃ」という牽制の意味が含まれています。無警戒と牽制は、まったく相反するものです。

「ああ、おそらく“相手がよけてくれる”って思い込んでいるんだなぁ」、僕はそう思っています。 都民全員が全員というわけではありませんが、比率の問題で、関西に比べてそう考えている人の割合は圧倒的に多いと思います。結果、これが緊張感のない国民性へと結びついているんだ、とも。

待っていたら、おのずと誰かが手を差し伸べてくれる——。海外に出れば、そんな戯れ言は一切通用しません。日本国内ですべてを完結させるならそれもまたよし、ですが、日本の鎖国は江戸時代を最後に終わりを告げています。少なくとも海の向こう側に飛び出し、世界を相手に力比べをしようというのなら、まず“相手を出し抜くずる賢さ”を身につけねばなりません。ドゥンガがジュビロ時代に言った言葉が身に染みます。

おそらくドゥンガは、セレソンのベンチから日本代表を見ながら「ナイーブなところは何も変わっていないな」と思ったことでしょう。

卑怯なことはしない、正々堂々と一対一の勝負を!

……武士道精神が息づく日本らしさではありますが、11人でプレーし、相手を上回って勝利を手にすることが目的のサッカーの場合、まったく違う考え方、これまでと異なるアプローチが必要になってきます。突き詰めれば「国民性を変える」ぐらいの無理難題にたどり着いてしまうのですが、まずは日本サッカーに携わっている人たちからアプローチ方法について、再考すべきではないでしょうか。

Jリーグなくして、強い日本代表は生まれません。いかにJリーグのレベルアップを図っていくべきか。4年後のみならず、永遠の課題として取り組んでいくべきなのです。

2014年8月29日金曜日

団塊クレーマーに見る今日のバイク事情

新型バイクを購入した熟年ライダーの考察ブログが今、大きな議論を呼んでいるようです。

>> MT-07白号への苦情申し立て

関西在住で、ご夫婦でバイクライフを楽しまれている熟年ライダーで、このほどヤマハの最新モデル MT-07を奥様が購入。いよいよ新たなバイクライフの幕開けか……という矢先、エンジンの異常な加熱性に疑問を持ち、「これはもはやリコールのレベル」と、ご自身のブログで私見を述べられたのです。

これに反応したのがバイクに乗るネットユーザー。このブログ主さんのブログにはコメント記入欄がないのですが、これまでの記事ではほとんど押されていないFacebookの「いいね!」数がこの記事に限って2,363も押されていること(2014年8月28日現在)、また本記事のタイトルでGoogle検索をかけるとTwitter等であらゆる方面へ拡散されていることから見ても、ご本人が思っていた以上のレスポンスであることは想像に難くありません。

・ 奥様が購入されたMT-07(初期ロットモデル)をご自身が試乗
・ しばらく乗っていると、両脚が異常に熱くなってきた
・ 服装は運動靴&夏用スラックス
・ 長期運転などすれば低温やけどを起こしてしまう欠陥商品だ
・ 返品も辞さない心構えだったが、奥様からメーカーへクレームをつけて終了
・ 腹の虫がおさまらないので、自身のブログで「MT-07」検索でかかるネガティブキャンペーンを展開

概要はこんなところでしょうか。

“エンジンの熱が異常”というのは個人差と言えなくもありません。ヘビーユーザーからすれば「大型バイクに乗ってりゃ、そんなの当たり前やんけ!」というところでしょうし、モアパワーを求めた大排気量モデルともなれば、そうした弊害は十分起こりえる事態です。冬場であっても、クルマのエンジンもボンネット越しに分かるほどカンカンに熱くなりますよね。それよりは小さいとはいえ、バイクの場合はライダーの股下にあるわけです。「エンジンが熱い!」と言われれば、「そりゃそうでしょうよ(笑)」としか返せません。

一方で、もしかしたらご本人がおっしゃられているとおりMT-07のエンジン熱が異常という可能性を捨てるわけにもいきません。水冷機能搭載のフューエルインジェクションモデルと、放熱性・冷却性を考慮した仕様ながら、熱くなりがちなツイン(直列2気筒)エンジンですから、オーナーにしか分からない異常と真摯に受け止めるべきであるのかも。

議論のひとつが、「服装」でした。

運動靴&夏用スラックスという記述に対し、多くの方が「そりゃ、そんな格好でバイクに乗ってりゃ熱いに決まっている」という反応です。安全性という点も含め、そこまで体を外部にさらけ出していれば熱の伝わり方だってかなり直接的なものになります。むき出しであることは、メリット&デメリットの両方をすべてダイレクトに感じ取ることなのです。

バイクに乗る際のファッションに定義も規制もありません。端的に言えば自己責任。当然ながらクルマ以上に危険性の高い乗り物でもあるので、ライダー自身がそうした現実に対してどう向き合っているか、がファッションにも表れてくるのだと思います。

かくいう僕は、ハーレーダビッドソン XL1200R(2008)というモデルに乗っており、用途によって使い分けてはいるものの、普段はジェットヘルメットにデニム&スニーカー、なるべくアウターは一枚羽織るようにしているものの、あまりに暑ければTシャツ一枚ということも。

ハーレーダビッドソンのエンジン(Vツイン)は、このMT-07なんて比べものにならないほど熱くなります。水冷機能を備えれば同モデルぐらいには抑えられるのかもしれませんが、それではハーレーダビッドソンのVツインエンジンが奏でる独特の鼓動感は損なわれてしまいます。近年水冷モデルを輩出するハーレーですが、大多数が放熱性に劣る空冷エンジンモデルである理由は、この空冷Vツインエンジンの鼓動感に対する支持が圧倒的に多いからなのです。

ハーレーに乗るならば、カッコよく乗らなければ意味がない。たとえそのスタイルに安全性の欠片も感じられず、乗っている本人が辛い想いをすることになろうとも。“カッコよさ”の定義は人それぞれですが、デメリットを受け入れる度量がないと、バイク趣味の世界を本当に楽しむことはできない、と思っています。

件のブログ主さんは、なぜ「運動靴&夏用スラックス」という出で立ちでバイクに乗ったのでしょう。理由はご本人に伺うほかありませんが、いかなる理由であれ、デメリットが高まるスタイルである以上、

「自分はこのファッションが気に入っている。だから誰になんと言われようと、どれほどデメリットにさらされようと、私はこのスタイルを貫きたい」

ぐらいの覚悟をもってバイクに乗られる方がいいんじゃないでしょうか。

当該バイクがご自身の求めるバイクライフに合わなければ、買い替えればいいだけのこと。世の中には、MT-07以上に快適に乗り回せるバイクが多数存在します。要するに“自分に合ったバイクを探す”のか、“そのバイクが気に入ったから、自分を合わせていく”のか。ブログ主さんは「自分(たち)のバイクライフに合わなかったからクレーム」という、寛容な心をもっていなければ付き合えないモーターサイクルの世界に不向きな方なのでしょう。そのうえ「メーカーにクレームをつける」、「ネガティブキャンペーンを展開してやる」というのは、少々お門違いなように思えます。

近年、大衆に受け入れられるビジネス展開が強まっているせいか、モーターサイクルという特異な趣味の世界のメーカーでもエンドユーザーのクレームを聞きすぎるきらいが見受けられ、「今のバイクは面白くない」というヘビーユーザーの声も少なくありません。そして、そうした傾向に増長して必要以上の要求をするクレーマーの存在も年々増えているように思えます。これはモーターサイクルの世界に限った話ではなく、モンスターペアレンツなどと呼ばれる社会現象も含まれることでしょう。

いまやインターネット上では、個人がメディアを持てる環境がどんどん進化しており、何気ない発言が自分の手の届かないところまで拡散されてしまうのも珍しくありません。おそらく件のブログ主さんは想像を絶する反響(特にネガティブなもの)にかなり動揺されているのではないかと思います。

相当の憤りからつづられたブログ記事だと思いますが、改めてバイクとの向き合い方、そして今回の怒りの源に対してご自身でじっくりと検証されることをおすすめしたいです。
 

2014年8月12日火曜日

愚者の時計

■ようこそ、日本へ
8月11日、サッカー日本代表チームの新監督を務めることになったメキシコ人のハビエル・アギーレ氏が来日を果たしました。その足で日本サッカー協会に赴き、同日に契約締結、そして記者会見の運びとなりました。

ちょうどYahoo!ニュースで会見速報記事がアップされていましたが、どれも会見の一部を切り取ったものばかりだったので、日本サッカー協会ウェブサイトに行き、一時間七分という長丁場な会見動画を拝見しました。

会見を通じて見えたのは、アギーレ氏を選んだ日本サッカー協会の選考基準が相変わらず曖昧なことでしょうか。

歴戦の雄アギーレ氏のキャリアは文句の付けようがないもの。身の丈にあっていない“名将”という肩書きをつけられる方も多々いますが、アギーレ氏はまぎれもなく名将のひとりだと思います。ただ、これが日本サッカーの未来を安泰なものにするかと言われれば、そうではありません。世界に名を馳せる人物であっても、相性が悪くて実力の半分も出せないことも。

同会見でメキシコ人記者の方が「世界的に見ても、日本はまだW杯に5回出場しただけの“若い国”だ。あなたにとって大きなチャレンジなのでは?」と質問していましたが、おっしゃるとおりで、経験豊富な国々と日本を同列で語ることはできません。アギーレ氏と日本代表チームがどんな化学反応を起こすか、それはこれから見ていかなければならないことです。

そういう意味では、この記者会見はあくまでお披露目。「ベースとなるシステムは4-3-3だ」とか「若くて才能がある選手を起用したい」といった言葉はこの場限りのもので、「実際にやってみたらずいぶん違う姿になった」ということなんてよくある話。その回答ひとつひとつに一喜一憂せず、多角的に彼の仕事ぶりを見ていけばいいだけのことです。

一方で、違う収穫がありました。日本サッカー協会がアギーレ氏を選んだ大きな理由です、


■恋い焦がれていたのは分かるけど……
「実は4年前の南アフリカW杯後にも、原さん(日本サッカー協会 専務理事兼強化委員長)からオファーをいただいていました。しかし、そのときは家庭の事情(長男がスペインの大学に入学したばかりだった)でお受けすることができなかった。それから4年、日本サッカー協会は私の仕事ぶりを常に評価してくれ、再びオファーをくださった。スペインのクラブや他の代表チームからのオファーもありましたが、2018年W杯ロシア大会に向けた日本サッカー協会の強化プロジェクトに魅力を感じ、お受けすることにしたのです」

要約すると、こんなところです。つまり、日本サッカー協会(というか原さん)にとって、アギーレ氏は4年越しの恋人というわけですね。

がっかりしました。

4年前、日本は2010年W杯南アフリカ大会でベスト16に進出するという快挙を成し遂げました。ところが大会後、監督の岡田武史さんは契約満了とともに退任。当然後任人事をなんとかしなければならないわけですが、リストアップする人物にことごとく断られ(確かビエルサ氏などの名前もあったと思います。アギーレ氏もそのうちのひとりだったのでしょう)、大会後の代表戦2試合に関しては、原強化委員長が代理監督を務めるというお粗末な流れに。

「なんで代表監督がまだ決まっていないんだ」、そんな世間の批判が高まるなか、突如現れたのがアルベルト・ザッケローニ氏でした。とある筋から聞いた話ですが、アプローチしてきたのはザッケローニ側だったそうです。すでにヨーロッパでもシーズンがスタートし、名だたる指揮官はさまざまなクラブが連れていっていたこの時期、もはや余り物から選ばざるを得ない状況にあった日本サッカー協会に、ザッケローニの代理人が声をかけてきたとか。一も二もなく飛びついた日本サッカー協会、かくして「サッカー日本代表監督 アルベルト・ザッケローニ」が誕生した裏側です。

つまり、本命にことごとく振られて打ち拉がれていたところに「あたしでよければ」と言い寄られ、そのまま付き合っちゃった的な感じ。で、4年経って再び「やはりあなたが忘れられない」とアギーレ氏に言い寄ったというところでしょうか。

そりゃがっかりもしますよ。


■選考基準が4年前から止まっている

アギーレという人物そのものに対する疑念はまったくありません。目標は常に4年毎のW杯で好成績を残すことで、過去最高のベスト16の壁を破ることはもちろん、ひとつでも上の領域を目指すための強化を図ること。日本サッカー協会も同じように考えているでしょう。

その道程で、必ず世界屈指の強豪国との対戦は避けられません。アギーレ氏は「世界のトップは、だいたい5ヶ国ぐらい。世界的なタイトルを獲った経験がある国がそれだ」とおっしゃっていましたが、日本の立場から見ればそんな数では済まないほどあります。

攻撃サッカー、大いに結構。ただ、相手をリスペクトすることを忘れてはいけません。ドイツ相手に「俺たちはお前たちを打ち負かす!」とのたまったところで、井の中の蛙と言われ、ボコボコにされるのがオチ。W杯では、そうした一部の強豪国を除いて“まず守備ありき”で戦うのが常道。そういう意味で、「まずは全員で守る」ことを第一義に挙げ、なおかつこれまでのキャリアで(批判を受けつつも)その戦い方を実践してきたアギーレ氏は確かに適任だと思います。

4年前であれば。

南アフリカ後なら、アギーレ氏は日本代表チームにピタっとハマったことでしょう。玉砕覚悟で攻撃サッカーを標榜する選手を諭し、地に足をつけたプレーを見せてくれたんじゃないだろうか、と。もちろん憶測にしか過ぎませんし、“たら・れば”で言えば、ザッケローニ氏だって似たようなことを言っていたとも。

4年前と今とでは、状況が違います。ザッケローニ体制で挑んだブラジル大会では惨敗を喫し、代表チームのみならず、日本サッカーそのものの立て直しを図ろうとしている今、「4年前から見初めていたんで大丈夫」というのは、<ブラジルでの敗因>と<4年後を見据えた強化策>という議題に対する回答にはなっていません。

結局、4年前から代表監督の選考基準が進歩していないということです。アギーレ氏にケチをつける気はさらさらないのですが、選んだ側がこんなウブな大人たちでは、4年後のロシアでも大きな成果は期待できないんじゃないでしょうか。

そのロシアに、こんな諺があります。

「愚者の時計は、いつまでも止まったままだ」


■アギーレとサッカー協会はいつか衝突する
先頃、日本サッカー協会よりブラジル大会レポートが発表されましたが、最大の要因は、指揮能力の低さをひけらかしたザッケローニ氏であり、その彼を選んだ日本サッカー協会だと思っています。一方で、サッカー協会の人材難も聞き及ぶところなので、大仁会長や原専務理事が辞任すれば何か解決するのか、と言われれば答えはノーです。

論点は、「アギーレで大丈夫なのか」、「ザッケローニからの継承じゃないじゃないか」ではありません。4年前から今回の新監督人事に至るまでの流れがどれだけ歪であるか、それを日本サッカー協会の面々が真摯に受け止めているかどうか、だと思います。

記者会見中、大仁会長と原専務理事は終止うつむき加減で、メディアからの質問にもナイーブな反応を示すなど、世間の批判がいやというほど耳に届いていることを伺わせてくれました。こういう立場の人たちですし、今回の惨敗を見れば批判は致し方ありません。

ただ、その批判の真意を汲み取り、誠意ある対応をしているかどうかが大事なのだと思います。そういう点で見ても、結局“アギーレ氏を押し通した”という今回の人事からも、日本サッカー協会という組織は「お役所」と揶揄されても仕方のない体質なのだな、と感じ入りました。

個人的には、アギーレ氏には期待したいところですし、ザッケローニ氏よりは盤石なチームづくりをしてくれるんじゃないかとも思っています。もし彼が、「日本代表チームをより強くしたい」というあくなき情熱を持って取り組んでくれるならこれほど嬉しいことはありませんが、そうした情熱がある方だとすると、ぬるま湯体質の日本サッカー協会とはいつかどこかで衝突しそうな気がしないでもありません。かつてのネルシーニョ氏やオシム氏のように。
 

2014年8月1日金曜日

外れくじを引いたアギーレ新監督、そして変わらない日本サッカー協会

■ドイツが示した日本のあるべき姿
ブラジルW杯が終わって、まもなく一ヶ月が経とうとしています。寝不足に苛まれつつもほとばしる情熱に包まれた一ヶ月間、フットボールフリークの方々は悦楽のときを過ごされたかと思います。もちろん、日頃フットボールに親しみのない方でも楽しめる、文字通りエンターテインメントにあふれた素晴らしい大会でした。

「W杯の優勝国のスタイルが、それからの4年のトレンドになる」

こんな言葉があります。2010年南アフリカW杯を制したスペイン代表の軸は、ベースとなったF.C.バルセロナの圧倒的なボールポゼッション能力。以降、世界のフットボールシーンにおける話題には常に「ボールポゼッション」という言葉が含まれるほどに。

そして今大会、優勝トロフィーを手にしたのはドイツでした。決勝戦で対峙した2チームのコントラストは実に分かりやすく、“スペシャルな選手はいないけど組織力および機能美に秀でたドイツ”と“メッシという希有なスーパースターの力を最大限に引き出すアルゼンチン”による試合は、ファンタスティックでW杯決勝にふさわしいレベルだったと思います。

結果的にドイツが世界を制しましたが、アルゼンチンのような一撃で何かをひっくり返してしまいそうなワクワク感を持つサッカーも魅力的でした。

ただ、日本代表という観点で向き不向きを考えるとしたら、間違いなくドイツ・スタイルでしょう。メッシやクリスティアーノ・ロナウド、ハメス・ロドリゲス、アリエン・ロッベンを作るのは困難ですが、ドイツ代表のようなチームを作ることは不可能ではありません。

もちろんドイツ人と比べるとフィジカル面で大きな差が出てしまいますが、一方で日本人は俊敏性といった他にないスピードを持ち合わせています。インテリジェンスに富み、献身的に戦える選手で組み立てられたチームなら、11人がまるでひとりの人間であるかのような連動性を持つことは可能ですし、それが日本代表チームの目指すべきスタイルだと思います。民族の違いはあれど、ドイツ代表が指し示したチームのあり方は日本にとって他人事ではないはず。


■代表チームは協会の私物ではありません
その日本代表ですが、先頃新しい代表監督にメキシコ人のハビエル・アギーレ氏が就任したとの発表がありました。噂レベルのニュースは以前から出回っていましたが、ようやく日本サッカー協会との契約が締結されたことで、お披露目となったよう。そして同時に、ブラジルW杯における日本代表の敗因の分析結果も。

相変わらずの体質ですね、日本サッカー協会。

華やかな話題に混ぜることで、目を背けてはならないはずの部分をぼかそうとする。そのレポート内容も実に馬鹿馬鹿しいレベルで、2006年ドイツ大会時の川淵キャプテン(当時)による「オシム発言」よろしく、嫌なことをうやむやにしたいという体質が今なお健在であることを知りました。

仕方ないのでしょう。ここでまっとうな感覚をもって敗因分析をすれば、当然「じゃあそれを解消するためには?」という話になります。そうなると、派手さとは縁遠い地道な強化方針を採らざるを得なくなり、彼らにとって最大のキャッシュポイントである日本代表チームからは華やかさが失われ、これまでのような巨額の収益が見込めなくなります。

そうなると、スポンサーだって手を引いていくことでしょう。ミュージアムなんてものを備えた自社ビルを持つ日本サッカー協会も、その図体を維持できなくなり、縮小させざるを得なくなるはず。こうなってくるとバッドスパイラルに陥っていくのみで、統制がとれなくなればますます組織はその規模を小さくしていく……。川淵さんほどあくどいやり方ができない原さんにわずかな良心の呵責が見受けられますが、だからといって彼の身勝手なやり方に日本代表の未来を預けるのは間違っていると思います。


■外れくじを引いたアギーレは……
大事なのは、今の日本代表が軸としているところは何なのか、です。ブラジルでの惨敗は、フィジカルコンディション云々よりも、チーム全体のメンタル面が幼すぎたこと。選手個々の能力が高くても、それらを支えるメンタルが脆ければカンタンに瓦解するという好例のような状態でした(なぜ2006年ドイツ大会の二の舞を踏んだのかは理解不能ですが)。

“玉砕しても攻撃的スタイルは貫く”のか、“負けないサッカーを軸にしてより多くの経験を積む”のか。そのときどきの監督や選ばれた選手の意見でコロコロ変わっては、一貫性のあるチームづくりなど夢のまた夢。理想とすべきは、年代別チームであっても同じスタイルを指導するF.C.バルセロナのような育成および強化方針だと思いますが、プレースタイルはまた別。日本人には、日本人にあったサッカーというものが存在します。

アギーレがそういうサッカーを引き出せるのかと言われれば、現時点では“大いに不安”と言わざるを得ません。なぜならば、彼は今まで日本とは縁もゆかりもないですし、きっとJリーガーの顔ぶれだって知らないはず。さらに、代表メンバーに日本人スタッフが入っていないことも疑問。このまま2018年ロシア大会に飛び込めば、今回のブラジルでの惨劇を繰り返すだけでしょう。

まず協会が着手すべきは、上層部の総辞職だと思います。原さんにしても、そして新たに協会をサポートするという名目で招き入れられた宮本恒靖さんにしても、新陳代謝を促せない年寄りが巣食う状態ではこれまでどおり板挟みになるだけで、大きな決断を下すことも手を入れることもできず、不満を募らせて協会を去るのがオチです。

少なくとも、今のサッカー協会に「変わらねば」という強い危機感は見えませんし、ゆえに代表チームが飛躍する姿もまったく想像できません。コンディションの整っていない海外組を呼び寄せた興行試合を見せられても、チケット代の無駄です。アイドルのコンサートを見に行っているわけじゃないのですから。

代表戦のみならず、Jリーグもますますつまらなくなるでしょう。地道に文化としての礎を築こうとしている人たちに報いようという気概すらない組織の運営するチームおよびリーグに、お金を支払う価値などありません。おそらくアギーレはビジネスと割り切って契約したのでしょう。プロとして当然のことではありますが、就任してまもなく、外れくじを引いたことを後悔することになると思います。

2014年7月21日月曜日

望まれない2020年東京オリンピック 〜お上と国民の意識の相違〜

巨額の利益を生み出すことを目的に
貧困層を遠くへ追いやる国際ビジネス

ラケル・ロニックさん
「開催が決まったとき、ブラジル国民は大いに喜びました。特にサッカーは私たちブラジル人にとってはアイデンティティーのようなもの。『世界にブラジルの盛り上がりを見せられる!』、そんな想いが国中を覆い尽くしていました」

2014年ブラジルW杯、そして2016年リオ五輪の開催が決まったときのブラジル国民の反応は?という質問に、サンパウロ大学の建築学および都市計画の学部の教授であり、国連の「適切な居住への権利の人権委員会」特別報告者をつとめるブラジル人のラケル・ロニックさんはそう答え、ひといきついてからこう続けました。

「ところが、ブラジルW杯開催が近づくにつれ、“国際スポーツイベントのための都市開発事業”という名目のもと、ファベーラ(スラム地区)に住む人々が都心部から追い出されていったのです。空港からスタジアムまでのインフラ整備や最新のテクノロジーを用いた建設ラッシュなどが相次いだのですが、それも都心部に住む富裕層のため、また海外からやってくる外国人観光客のための投資でしかありません」

ブラジルW杯開催前、各地で多くのデモや暴動が起こっていたのを覚えていますでしょうか。「W杯にかけるお金があるなら、医療や教育に使え」という主旨のデモを、ニュースなどで目にしたことがあるでしょう。「あのサッカー王国ブラジルで、まさかそんなことが」という驚きとともに知った報道も、W杯に突入するや否や沈静化した感もあり、やや記憶の片隅に追いやられていたかと思います。

7月19日(土)、東京・台東区の浅草聖ヨハネ協会で開催されたシンポジウム「ブラジルで何が起こっているのか サッカーW杯への抗議運動の背景にあるもの」(主催:反五輪の会)にお邪魔し、ゲストとして招かれたラケル・ロニックさんの話を伺ってきました。

2020年、東京でオリンピックが開催されることを皆さんご存知のことでしょう。スペイン・マドリード、トルコ・イスタンブールといったライバルに競り勝ち、手にした念願の開催権。「おもてなし」の流行語を生んだこの出来事は号外が打たれ、東京のみならず日本という国をあげての一大イベントとなろうとしています。

同じように、開催が決定した際の盛り上がりようがすさまじいところは、日本もブラジルも一緒だと思います。では、開催決定から開催するまで、そして開催後はどうなっていくのか。ごく一部の人を除いて、東京都民、そして日本国民もまだそこまでイメージできてはいないでしょう。


政府主導から民間企業主導へ
富裕層のためのイベントへと変わった

W杯開催前のブラジルでの暴動は、虐げられた貧困層による反発でした。国際的スポーツイベントは、その開催地がどこかで巨額のお金が左右される巨大ビジネスです。開催に向け、会場の新設やインフラ整備、都市再開発など“開催後の回収”という名目でどんどんお金が投じられ、地価が高い都心部の土地が切り開かれていきます。そして、そのターゲットとなるのが、古くからその地に住まう貧困層です。

実際、ブラジルでは割りの合わない立退料に、30キロ以上も離れた場所への引っ越しを強いられるなど、とても立ち退いてもらう人に対するリスペクトを感じられない待遇ばかりなのだと言います。しかも開催日は決定していますから、立ち退きを渋っていると次第に国は強硬手段に出てきて、いわゆる行政代執行という強制力をもって追い出していくと言います。

巨額の利益を生み出す国際的スポーツイベント。しかしそこで得たお金が、国民や開催地へと還元されていないのが実情だとロニックさんは言います。

「五輪が開催された北京やアテネ、W杯が開催された南アフリカの各都市など、すべて同じような状態です。“開催のために”と苦渋の決断を受け入れたにもかかわらず、大きな利益がどこか知らないところへ行ってしまっている。1992年バルセロナ五輪以降に見られる傾向です」

ロニックさんは続けます。

「W杯や五輪といった国際的メガスポーツイベントは、1970年代までは冷戦時代ということもあり、国威発揚を目的に国同士で開催権を奪い合っていました。しかし1980年代より、民間企業がスポンサーについての巨大ビジネスへと変貌をはじめ、現在の姿へと肥大化したのです」

今回のブラジルW杯やリオ五輪について、開催決定後に当初予定していた経費だけでは足りないことが判明、「さらにお金が必要だから」と、税金や光熱費を強制してきたのだと言います。いくら自国の誇りをかけたメガイベントのためとはいえ、ここまでされれば国民だって堪忍袋の緒が切れようと言うもの。話を聞けば聞くほど、ブラジルでのあの暴動に納得せざるを得ませんでした。


開催決定という御旗を掲げた脅迫?
弱者を排除した醜きイベントでは

お気づきの方もいるでしょう、東京五輪についてもすでにブラジルに似た兆しは出てきています。当初予定されていた新しい国立競技場のリニューアル後の姿は変更されることとなり、IOCへのプレゼンテーションのとき以上の予算編成となってきています。確かに、実際に開催準備を進めていくうえで想定外の事態は起こりえるものとは思いますが、「だって開催が決定したんだから、仕方ないじゃん」と、税金や光熱費をアップするのはもはや脅迫です。まだそうした方針が打ち出されたわけではありませんが、仮にブラジルのような施策を日本政府が採った場合、東京都民および日本国民はなんらかの意思表示をする必要があるでしょう。

また、これはFIFA(国際サッカー連盟)が設定しているW杯用ルールには、「特別建設法」や「W杯開催期間内における超法規的措置」などが設定されているそうです。いずれもFIFAと開催国のあいだでかわされる契約に記述されているもので、開催国の法的権限を越えた特別ルールとされるものだとか。例えば建築物を建てる際には日照権などの周辺住民が有する当然の権利を考慮せねばなりません。しかしこの特別ルールの場合、そうした当然の権利は一旦無視して滞りない作業を進めることが優先されるのだと言います。超法規的措置も同様で、スタジアム周辺での犯罪行為については、通常の手続きではない手順で裁定が下されるのだとか。

事実、国立競技場のリニューアル案を手がけたデザイナーのザハ・ハディドさんの最初の案では、残される予定だった都営霞ヶ丘アパートが後のリニューアル案により、撤去対象とされているそうです。

国として立ち退きを申し立てるわけですから、当然現状以上の住環境を提案することが求められます。長年培ってきた土地勘やコミュニティ、職場へのアクセス、その他諸々、立ち退かされる住民への負担は相当なもの。その理由が「オリンピックのためだから」と言われて、ハイそうですかと納得する人は少数派でしょう。極端な話、「わずか20日間足らずのイベントのために、どこか遠くへ行ってくれ」と言われているわけです。相当のお金でも積まれない限りは応じられませんよね。一方で、開催は刻一刻と迫ってきています。いずれ行政代執行という強制立退を強いられることは目に見えています。


問うべきは国民の意思
そこに想いはあるのか

ディテールの話をすればキリがないのですが、こと東京五輪に関して言わせてもらうと、論点はひとつ。

「2020年東京五輪の開催は、東京都民が望んだものなのか」

結論から言いますが、W杯も五輪も、すべて政府や行政が「やりたい」って言って始めたこと。僕は彼らより「東京でオリンピックを開催しようと思うんですが、皆さんどう思いますか?」と聞かれた覚えは一度もありません。

誤解なきように言うと、僕はサッカーが大好きですし、リニューアルした国立競技場でサッカー五輪代表の試合をナマ観戦してみたいとも思います。W杯だって、いつの日か自国の単独開催で存分に楽しんでみたいとも思っています。

しかし、国民が望んでもいないことを「やることが決まったんだから」というのは筋違いも甚だしいと思うのです。かき集めた税金で勝手に予算組みして、プレゼンテーションに投資しまくってなんとか開催権をもぎ取った(東京も大阪も一度ずつ招致に失敗し、大赤字こいていますが)ってだけの話です。そのうえ、さらに都民や国民に負担を強いてまでやろうというスポーツイベントに、一体何の意味があるのか。

そして、開催することによって得た利益は、きちんと国民に還元されるのか、ここも不明瞭なままです。大手広告代理店や大手ゼネコンにどんどんお金が注ぎ込まれ、貧困層を排除しての都市開発が進んでいくのは明白。結局は利権絡みの企業や関係者が美味しい思いをするだけなのでしょう。

奇しくもブラジルW杯で垣間見えたことですが、日本にはまだ“国全体でスポーツ競技を楽しむ”という文化がありません。W杯や五輪といった伝統的な巨大スポーツイベントは、経済的先進国というだけで手がけては後で不幸なことになります。それは開催した国の人々もそうですが、訪れた人々にとっても、です。

「日本のスポーツ文化発展のために」という大義名分を掲げた金儲けしか考えていないのであれば、招致そのものの疑問を抱かざるを得ません。政府主導である点もそうですが、日本という国がそこまでピュアな想いで五輪を開催したいと思っているのでしょうか。

「予算がかさんだ」、「お金が足りない」、「もっと最新テクノロジーを投入した施設を」……。

そんな問題が起こったときに、どこに立ち戻るのでしょう? それ、オリンピックに必要なもの? 将来の日本のスポーツ文化に必要なもの?

よりどころとなる志がどこなのか、現時点でははっきりと見えません。そして、そのよりどころがないまま時間が経過していくと、ブラジルと同じような事態に陥る危険性もあると思うのです。


今一度国民と話し合うべき
日本はなぜ五輪を開催するのか、と

先頃閉幕したブラジルW杯。思い返せば、開催前の暴動は想像していたほどの事態にはおよばず、残念ながら開催国は木っ端微塵に砕け散っていましたが、概ね成功と言える終焉を迎えたのではないでしょうか。

「やっぱりブラジル人にとって、サッカーは心のよりどころなんです。だから、どれだけ政府の施策が許せなくても、いざ開幕すれば訪問客を手厚くもてなしてあげたいと思うもの。W杯開催期間中は、国民が路上でバーベキューを催して外国人を歓迎していた場面を見ました。ええ、ブラジル代表のことについては聞かないでください、1-7というスコアは辛すぎました……」

苦笑いしながら、ロニックさんは続けます。

「2年後のリオ五輪に向け、おそらくブラジルでは再びデモが起こるでしょう。そして今年10月の大統領選挙で現職のジルマ・ルセフ大統領が落選したりすれば、その方策は大きく転換してしまうかもしれません。ただ、誰がリーダーになったとしても、人々の権利を守り続けなければならないことに変わりはないのです」

守られなければならない人々が攻撃されてしまう自体が起こりえる、ロニックさんはそう警告を残していきました。特に日本は高齢者の多い国でもあるので、はたして政府がそこまで配慮してのコントロールができるのか、甚だ疑問です。こうしたさまざまな問題について、東京都民だけでなく、日本国民全体で考え、そして結論を出さねばならないことなのでしょう。

私たちは、なぜオリンピックを開催したいのか。

オリンピック開催の向こうに、どんな価値を見いだそうとしているのか。

すべてとは言いませんが、大多数の国民が納得できる回答が出ない限り、オリンピックもW杯も開催すべきではないのかもしれません。汚職が増えたIOCやFIFAの連中に関係なく、自分たちの声で開催の是非を判断せねばならないのでしょう。

日本とブラジルとでは、文化的背景が異なります。だから杓子定規ではかったように「こうなる!」などとは言い切れないと思います。ただ、日本人として自国のカルチャーを鑑み、そして政府や行政の動きを見れば、日本人だからこそ気づく疑問があるのではないでしょうか。

僕自身は、東京五輪について反対しているわけではありません。ただ、「賛成!」と声高に言うだけの根拠が見つからないのです。

2014年7月17日木曜日

アディダスの暴挙? メッシのMVP選出に疑問の声噴出

ドイツの優勝で幕を下ろしたW杯2014ブラジル大会。決勝戦はライブで観ていましたが、攻めのドイツに守りのアルゼンチンという構図がはっきりと分かりつつも、両者の特徴が発揮された好ゲームだったと思います。1990年代ぐらいまでは、「絶対に優勝したい=負けられない」という両者の思惑から退屈なゲームになりがちなW杯決勝戦でしたが、近年は攻撃的スタンスが強くなったからか、観る者にとっては楽しくも緊張感のある良い試合が多いようです。

そんなW杯ブラジル大会ですが、最後の最後でひとつ腑に落ちないことがありました。大会MVPにアルゼンチンのリオネル・メッシが選ばれたことです。

サッカーに興味がない方でも、その名を耳にしたことはあるでしょう。世界最強(のひとつに数えられる)クラブチームのF.C.バルセロナ(スペイン)のエースストライカーにして、バロンドール(ヨーロッパ年間最優秀選手)に3年連続で輝いた天才。残念ながらW杯には一歩手が届きませんでしたが、それでも彼がマラドーナやペレに並ぶレベルの選手であることに疑いの余地はないでしょう。

過去の実績なら歴代スーパースターに比肩するメッシですが、今大会でのパフォーマンスはと言われると、正直可もなく不可もなく、といったところ。グループリーグではロスタイムの同点ゴールなどを含め4ゴールを奪取しましたが、決勝トーナメント進出とともに彼へのマークは厳しさを増し、ゴールはもちろん効果的な働きはあまり見受けられませんでした。

結果として決勝戦の舞台まで勝ち上がってきたアルゼンチンですが、メッシがその原動力になっていたかと言われると、「?」と言ったところ。1994年アメリカ大会でのロベルト・バッジョ(イタリア)、1998年フランス大会でのジネディーヌ・ジダン(フランス)、2010年南アフリカ大会でのディエゴ・フォルラン(ウルグアイ)のような活躍には遠く及ばないレベル。光るものがなかったわけではないですが、それならコロンビアのハメス・ロドリゲスやブラジルのネイマールらの輝きの方が上だったと思います。

結局は、ビジネスなのでしょう。

このMVP選考は決勝戦の前までに投票が締め切られるのですが、候補にあがった10名のうち、8名がアディダスとサプライヤー契約をしている選手だそうです。もちろんメッシもアディダスと契約しています。そしてアディダスは、このW杯の公式サプライヤーでもあるのです。日本代表チームの件もそうですが、アディダスの露骨なビジネスライクな動きといったら、正直目に余るほど。今回のMVP選考も、アディダスの肝いりと見ていいでしょう。

近年、フットボールビジネスは熾烈を極めています。「どこのクラブがどのメーカーのユニフォームを着るのか」、「あの有名選手はどこのスパイクを履くのか」といった話題は日常茶飯事。クラブ間はもちろん、国際Aマッチの親善試合レベルなら、マッチメイクにも影響するほどです。なぜならば、例えばナイキのユニフォーム同士の国の試合にすれば、その試合の写真や映像がそのまま広告・宣伝につながるわけですから。

香川真司の実力を疑うつもりはありませんが、彼に代表の背番号10を背負わせたのもアディダスだと言われています。中村俊輔が代表から縁遠くなったことから本田圭佑が狙っていたとも言われていたのですが、本田が怪我で代表招集を見送ったときに、アディダスが香川に10番を押し付けたのだとか。

いわゆる都市伝説的な域を出ない話ではありますが、日本代表がアディダスジャパンと歩み出した時期が1998年フランス大会以降で、中村俊輔、香川真司と歴代10番がアディダス契約選手というところが偶然のものとは思えません。ちなみに2002年日韓大会にて、フィリップ・トルシエ監督が最終23名のメンバーから中村俊輔を外す決断を下した際、日本サッカー協会はもとよりアディダスジャパンも大騒ぎになったと言います。

フットボールは、世界はもちろん日本においても大きな影響力を持つコンテンツとなり、代表チームや代表選手の一挙手一投足がビジネスを左右することから、あらゆる企業がその恩恵にあやかろうとさまざまな手を講じています。本来の目的(代表チームの強化)からはかけ離れた動きであっても、こういうご時世ですから致し方ないことなのかな、とも思いつつ、しかしながらエンドユーザー(消費者、利用者)がその是非を見極めればいいだけだとも思う今日このごろ。

メッシのMVP選出については、あらゆるところから疑問の声が噴出しています。FIFA(国際サッカー連盟)のブラッター会長まで疑いの声を出すあたり、「アディダスの独断で決めちゃったんじゃないの?」という邪推までしてしまいそうになりますね。ただ、ここまで疑問視される選考に意義など存在しないわけですから、むしろメッシが可哀想に思えるほど。

金さえ生み出せれば、何をやったっていい。

モラルハザード以外の何ものでもありません。「綺麗ごとでメシが食えるか」という声が聞こえてきそうですが、綺麗ごとすら貫けないビジネスに価値など生まれません。そうしたスタンスの人ないし企業は、一時的に儲かったとしてもその栄華が長続きすることはないでしょう。W杯での反省もせず、次の監督人事の話題を持ち出して問題をうやむやにしようとしている組織なんかは、特にそうでしょうね。

2014年7月9日水曜日

サッカーにすら熱くなれない国に、何ができるというのか

■あってはならない歴史的大敗
サッカーの試合を観ていて悲鳴をあげる……よほどのことでもない限り、そんな場面には遭遇するものではありませんが、ブラジルが立て続けに失点を重ねるたび、得体の知れない恐怖を感じました。

1-7。W杯という大舞台でこれほど大差がつく試合はそうそうありません。しかも決勝トーナメントの準決勝で、開催国であり、王国の名を冠せられたブラジルが。わずか6分間で4失点を喫し、スコアは前半だけで0-5という破滅的なものに。サッカーにおけるセーフティリードは3点差と言われていますが、5点差がひっくり返る試合などまずありません。ハーフタイム、ロッカーへ引き上げるセレソンの表情も憔悴し切っており、後半戦は“屈辱の45分”になることは誰にでも想像できたことでしょう。

開催国にして王国ブラジルがこんな形で敗れ去るとは、誰もが予想できなかったと思います。確かにドイツは強かった。しかし、たとえ敗れるにしても僅差に違いあるまい。W杯史に残る大敗が、ブラジルの身に降りかかろうとは……。

ただ、危うさはありました。勢いのあるチリと対峙した決勝トーナメント一回戦、辛くもPK戦で退けたセレソンは、ネイマールをはじめ多くの選手が泣き叫んでいたのです。

感情を爆発させると、その次には燃え尽きてしまっている——。1998年フランス大会の準決勝で怨敵オランダを撃破したブラジルは、マリオ・ザガロ監督はじめ全員が涙して勝利を喜びました。しかし数日後、決勝の舞台に登場したブラジルはまるで憑き物がとれたかのように覇気がなくなっており、ジダン率いるフランス代表に一方的に叩きのめされたのです。“喜びすぎたことで、緊張感が切れてしまった”。2002年日韓大会で決勝トーナメントに進出した日本代表もそう、緊張感が切れてしまったトルシエ監督は、過去に試したこともないフォーメーションを採用し、自滅しました。

チリ戦でのセレソンの感情の爆発は、見ていて危険だとは思いました。一方で、王国での開催ということから「優勝こそノルマ」という想像を絶する重圧がセレソンにかけられていたのも事実。これは王国たるブラジルでしか起こりえないものですし、ネイマールはじめメンバーが日々感じていたプレッシャーは誰にも分からないもの。

PK戦というのは水物です。特に実力が近くなればなおさら。「もし決勝トーナメント一回戦で敗れ去るようなことになれば、俺たちはどうなってしまうんだろう」、チリとのPKに臨むセレソンの心中や察するに余りあります。水際で得た勝利に涙が出たのも、当然と言えば当然。

セレソンは、極限状態だったのです。


■小さくなかった攻守のキーマン不在
本大会におけるダークホースのひとつコロンビアとの接戦を制し、ついに準決勝へとコマを進めたブラジルでしたが、エースであるネイマールをアクシデントで欠くという非常事態に見舞われます。さらに守備の要チアゴ・シウバが累積警告でドイツ戦出場停止というおまけ付き。ドイツ戦前の国歌斉唱にて、キャプテンを務めるダビト・ルイスとGKジュリオ・セザールがネイマールのユニフォームを手に熱唱するシーンは、彼らの「ネイマールのために」という熱い友情の表れでした。攻守のキーマンを欠くブラジルはやや分が悪いかと思っていましたが、もしかしたら開催国が奇跡的な勝利をおさめるのかも……。そう期待させる雰囲気がスタジアムに広まっていました。

最初の失点はまだ余裕があったように思えます。前半の早い時間帯であったことと、本大会でも逆転してきた経験によるものでしょう。試合開始からの“人数をかけた厚みのある攻撃姿勢”は変わりませんでしたから。

2失点めで、緊張の糸が切れたか。

決して逆転できない点差ではありませんが、相手は強豪ドイツ。しかも、ブラジルの攻撃に真っ向から立ち向かい、前がかりになった背後を突いての追加点。「まずは同点」と意気込んでいたブラジルの気持ちを削ぐには十分すぎる1点でした。

そこからは、もう悲劇以外の何物でもありません。確かにレギュラーとサブでの実力差があったとはいえ、チアゴ・シウバの不在がここまで影響するとは。

ディフェンスリーダーが持つ影響力は計り知れません。チームを最後尾からバックアップし、チームの陣形そのものを司るキープレーヤーとしての役割を担っているのですが、「どうやって穴を埋めるのか」「味方をどう動かすのか」「誰にカバーリングさせるのか」などなど、高いマネジメント能力が求められます。おそらくこの日のセレソンは、普段聞こえるはずの声が聞こえないことも含め、小さくない不安が2失点めによってパニックを引き起こしたのでしょう。確かにブラジルの守備は堅牢ではありませんでしたが、あそこまで崩壊するとは。


■孤独に戦い抜いた英雄たち
本大会において、強豪国が圧倒的な攻撃力を持ち合わせていることもあって、守備力が高くない国は勝ち上がれないという傾向が見られました。当たり前っちゃあ当たり前なのですが、今回は特に極端だなぁ、という印象です。

勝ち上がるために、まずは守備から。

勝負事における定石です。残念ながら我が日本代表も守備(というよりはチームとして)の脆さを曝け出して惨敗したわけですが、逆にチリやコスタリカ、コロンビアのように安定した守備力と「これぞ」という自分たちのアタッキングフォームを持っている国が勝ち上がっていきました。

その点で言えば、ブラジルはチアゴ・シウバやダビド・ルイスに頼りすぎていたのかもしれません。もちろんそれだけが原因ではないでしょうが、ただブラジルという国の性質から「守備偏重のチームなどありえない。ボールを支配し、いかに美しく勝利するか」が求められることもあって、まるで蝉のように生き急いだ戦い方をしていました。

そんな薄氷を踏むかのような試合を続けたことで、選手の心は極限状態へと追い込まれ、2失点めで「もう勝てない」と悟った瞬間に瓦解したのでしょう。

かといって、誰も責めることはできません。もしかしたらブラジルの実力は優勝を口にするほどのものではなかったのかもしれません。しかし、“絶対勝利”を課せられ、熱烈な国民の後押しとプレッシャーを受けた選手たちが魂を削った試合をこなしたことで、準決勝の舞台まで突き進んで来ることができたわけです。残酷なまでの仕打ちとも言える結果ではあったものの、セレソンは持てる力以上の推進力で勝ち上がってきました。決して悲劇のヒーローなどではなく、孤独に戦い抜いた彼らは英雄として賞賛されるべきだと思います。


■“しょせんサッカー”にすら熱くなれない国
決勝戦と3位決定戦を残していますが、このブラジル大会を通じて、世界と日本のあいだには、大海原以上に大きな隔たりがあることを再認識させられました。国によって歩んできた道、積み重ねてきた歴史など違いはあれど、ことサッカーという競技ひとつを見ても、こうも国としての温度差があるものなのかと思った次第です。

“サッカー”はあくまで指標のひとつ。何かに熱狂するという点だけで言えば、日本人の熱狂は諸外国のそれと比べてもかなり異質なように思えます。端的に言えば薄っぺらい。深みがないから、戦うものに対して愛情ある声をかけられないし、その薄っぺらさが透けて見えるから“戦うもの”と“支えるもの”のあいだに大きな温度差が生まれる。

「何を熱くなっちゃってんの。しょせんサッカーでしょ」

ええ、そうですとも。しょせんサッカーです。では、何だったら世界と渡り合えるのでしょう? もちろん、日本が世界に誇れるものはいくつも存在します。が、そのいずれかに対して国全体が熱くバックアップしているでしょうか。逆に言えば、“サッカーにすら熱くなれない国に、何ができるんだ”とも。

例えば、コスタリカ。凱旋帰国を果たした代表チームを、国民全員が賞賛とともに出迎えました。「世界の強豪国を相手によくやった! 君たちは我が国の誇りだ!」 もし仮に、コスタリカがGLで敗退して帰ってきたとしても、彼らの戦いぶりを見た国民は同じように暖かく出迎えたことでしょう。それぐらいコスタリカ代表チームは、魂を揺さぶるような熱いものを感じさせてくれました。寒々しい試合と結果を手に帰ってきた代表チームを黄色い声援とともに出迎える我が国とは比べるべくもありません。

今の日本では、「世界で勝つ」などと口にすることすらおこがましい。世界に名を馳せる名将を呼んでくれば解決できるというレベルではありません。まずはその隔たりをどう埋めていくか、それを考えるところから始めなければ、いつまで経っても発展途上国のままでしょう。

日本サッカー界は、この“ブラジルの惨劇”を目に焼き付けておかねばなりません。この域に達したいと思うのであれば。

2014年7月7日月曜日

プリンスリーグって知ってます?

■若い選手にレベルの高い経験を
日本を含めた世界各国のプロサッカー界には、ふたつの対戦形式があります。ひとつはホーム&アウェー方式での総当たりとなるリーグ戦形式、そして一発勝負型のトーナメント方式です。W杯はその両方をミックスしたもので、まず4ヶ国総当たりで上位2チームを決め、そこからトーナメント形式へと移行します。なぜこんな方法を採用するかと言うと、仮にW杯がトーナメント方式のみで運営された場合、初戦を終えた段階で半数の国が大会を去ってしまうから。せっかく本大会までたどり着けてもひとつの敗北ですべてが潰えちゃうわけです。これじゃあ参加国にも申し訳が立たないし、何より大会が盛り上がらない。「リーグ方式を取り入れれば、最低でも3試合はできる」「でも開催期間は限られているのでトーナメント方式も」ということから、このミックス型と相成ったわけです。UEFAチャンピオンズリーグなども同じ方式ですね。

前置きが長くなりましたが、一発勝負型のトーナメント方式と違い、リーグ戦は運営期間が年間単位と長いものにはなりますが、シーズンを通じたチームの安定感というもの推し量れますし、何より選手の実力を伸ばす実戦経験をより多く積むことができます。ホーム&アウェー型で10チームが参加するリーグならば、18試合は経験できるわけです。経験が積めて伸びしろが期待できるという意味で言えば、小さい子どもから学生まで若いプレーヤーにはうってつけの形式と言えます。

実は日本には、プリンスリーグという18歳以下のプレーヤー(高校生など)のためのリーグ戦が存在します。正式名称は「高円宮杯(たかまどのみやはい)U-18サッカーリーグ プリンスリーグ」。北海道・東北・関東・北信越・東海・関西・中国・四国・九州のエリアごとに催されるリーグで、高校サッカー部とJリーグクラブのユースが総当たりするリーグ戦なのです。

18歳以下という年代で有名なサッカーの大会と言えば、全国高校サッカー選手権大会でしょう。いわゆる“冬の高校サッカー”と言われるもので、聖地・国立競技場を目指して高校生がピッチを駆け回る姿をお正月のテレビで観たことがあるという人もいらっしゃるでしょう。各都道府県での地区予選から本大会まで、一発勝負のトーナメント方式で運営されています。


■日本サッカーの強化に直結する活動

非常に歴史の長い有意義な大会ではありますが、いわゆる一発勝負で勝敗が分かれてしまうため、せっかくの貴重な経験の場にもかかわらず、一試合で大会を後にする学校が半数にも及びます。また、参加資格は高校サッカー部ということで、プロ予備軍でもあるJリーグクラブのユースチームは参加できません。

もっとも多くのことを吸収できる年代がたった一試合でチャンスを奪われるというのはいかがなものか。ならば、異なる環境でプロ予備軍として育成されているユースも交え、多くの経験が積めるリーグ戦形式を実施しよう——。プリンスリーグ構想は、そんな発想から生まれました。

知名度はないけれど“ダイヤの原石”がひしめき合うプリンスリーグ。残念ながら冬の高校サッカーほどの注目度は集められていませんが、こうした地域密着型の活動が若い芽を着実に育て、ひとり、またひとりプロへの階段をあがっていっています。今の日本代表にも、このプリンスリーグで育てられたという選手がいるのです。

地道でも着実な育成に注力することで、よりスケールの大きな選手が生まれ、日本サッカーの土台が分厚くなり、ひいては日本代表チームを盤石なものとしていく……。“日本サッカーを育てる”“日本サッカーを強くする”ためには、こうした活動にスポットライトを当て、それぞれの地域の人がサポートしていくことでより高い頂へと選手を送り出していかねばなりません。メディアがこうしたところを取り上げることも、強化を手助けすることにつながるのだと思います。

このプリンスリーグの上には「プレミアリーグ」というものがあり、プリンスリーグの成績上位のチームが東西のエリアに分かれて戦う上位リーグです。そして東西のチャンピオン同士で行なわれるチャンピオンシップで雌雄を決し、シーズンチャンピオンを決めるというもの。

ご興味がある方はぜひ、プリンスリーグの情報に目をやってみてください。もしかしたら地元の高校やクラブユース、また地元出身の選手がリーグで活躍しているかもしれませんよ。
 
>> 高円宮杯U-18サッカーリーグ プリンスリーグ
 

2014年7月6日日曜日

コスタリカの快進撃に見る“日本に足りないもの”

■清々しかったコスタリカの戦いぶり
W杯ブラジル大会は準々決勝の日程を終え、ブラジル、ドイツ、アルゼンチン、オランダがベスト4として準決勝へとコマを進めました。

この準々決勝のなかで個人的に注目していたのは、オランダと対峙したコスタリカ。中米に位置する九州と同じぐらいの面積の国は、大会前の下馬評を覆し、1990年W杯イタリア大会でのベスト16という最高成績を更新する快進撃を見せました。しかもイタリア、イングランド、ウルグアイという世界の列強国と同じ“死のグループ”を首位で突破するという快挙まで。

残念ながらその足をとめることとなった準々決勝オランダ戦においても、情熱的かつしたたかな試合運びを見せてくれました。まるでイタリア代表のカテナチオをほうふつさせる超守備的布陣でゴール前を守り、スコアレスドローで120分間を耐え続けたのです。おそらくヨハン・クライフには「世界一つまらないサッカー」と評されることでしょうが、一発勝負の決勝トーナメントで圧倒的な攻撃力を誇るオランダと自分たちの力量を推し量り、導き出した唯一の戦法だったに違いありません。

そう、コスタリカは最初からPK戦狙いだったのでしょう。もちろん、あわよくばカウンターで一発というイメージも持っていたでしょうが、大前提は「オランダに一点もやらないこと」。勝負に徹したリアリストとして、控え選手も含めた23名の選手が任務をまっとうしたということです。PK戦への突入が告げられた120分間の試合を終えるホイッスルが鳴った際のコスタリカの喜びようを見れば、ミッションを成し遂げた達成感が伝わってこようというもの。次のアルゼンチン戦を想定し、90分間で試合を終えたかったであろうオランダの歯がゆい表情とは対照的でした。

結果的にPK戦で敗北を喫したコスタリカでしたが、試合後の晴れ晴れとした表情は見ていて爽快でした。コロンビアとの戦いを終えた日本代表の面々とはまったくの真逆。同じ敗者でも、すべてを出し切った者と不完全燃焼の者とではこうも差が出るのか、と思わされるほど。

日本はW杯前、コスタリカと親善試合を行い、彼らを退けています。もちろんその一試合だけで彼らと因縁づけてしまうのは安直ではありますが、何がここまで明暗を分けたのだろう。改めて、コスタリカという国を調べてみました。


■快進撃の原動力を考察する
正式名称はコスタリカ共和国。アメリカ大陸のほぼど真ん中、ニカラグアとパナマに挟まれたカリブ海の小国で、前述したとおり九州よりもやや大きいぐらいの国土を持ちます。かつてスペインに植民地とされた歴史を持つことから、メキシコやアルゼンチンなどと同じく公用語はスペイン語。人口は2008年時の総計で約460万人。2010年当時の福岡県の人口が約500万人ですから、大国と比べるまでもないでしょう。

盛んなスポーツはサッカー。スペイン語圏と考えれば納得できそうですが、国民的スポーツというほどの好成績を残しているわけではありません。ことW杯に関して言えば、初出場を成し遂げた1990年イタリア大会からの成績を見てみましょう。

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・1990 イタリア大会/ベスト16
・1994 アメリカ大会/北中米カリブ海予選敗退
・1998 フランス大会/北中米カリブ海予選敗退
・2002 日韓大会/グループリーグ敗退
・2006 ドイツ大会/グループリーグ敗退
・2010 南アフリカ大会/北中米カリブ海予選で敗退
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旧ユーゴスラビアの名将ボラ・ミルティノビッチに率いられた1990年イタリア大会で初出場にしてベスト16という快挙を達成しましたが、以降の成績を見ればさっぱり。この北中米カリブ海地区には強豪メキシコに加え、1994年の自国開催から一気に力をつけてきたアメリカの存在があります。また、1990年代にはジャマイカやホンジュラスという国の台頭もあり、その後塵を拝んでいたのでしょう。国民的人気と言われてはいますが、その実力は人気に比例していないようです。北中米カリブ海サッカー連盟が主催するCONCACAFゴールドカップでは優勝と準優勝を繰り返していますが、もしかしたら内弁慶?

人気のスポーツと言われるぐらいですから、当然国内リーグだってあります。一方で、海外のクラブに所属している選手も少なくありません。面白いので、日本代表と比較してみました。

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2014W杯ブラジル大会メンバー23名の内訳
[日本代表]
・国内クラブ所属:11名
・海外クラブ所属:12名

[コスタリカ代表]
・国内クラブ所属:9名
・海外クラブ所属:14名
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非常に興味深い結果になりました。コスタリカの海外組のうち、3名は立地的に遠くはない米MLSのクラブ所属ですが、他はすべてヨーロッパ。ちなみに、前線で体を張っていたオリンピアコス(ギリシャ)所属のFWキャンベルは英アーセナルからのレンタル期間中で、PSV(オランダ)所属の司令塔ルイス、レバンテ(スペイン)所属の不動の守護神ナバスといった主力以外は、スイスのほか、ロシア、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーといった寒い国の中堅クラブの名が並びます。北欧エリアとの強いネットワークがあるのかもしれませんが、決してレベルが高いとは言い難いヨーロッパへの進出は、国内リーグとのレベル差云々というよりは出稼ぎの要素が強いように思えます。

これはずいぶん大きな差です。代表招集となった際、ビジネスクラスの直行便(トランジットがあったとしてもせいぜい一回でしょう)で帰ってくる日本代表と違い、コスタリカの海外組は相当に困難なものと思われます。また、いずれも渡航費はともに協会持ちではあるでしょうが、財政面で日本とコスタリカでは大きな開きがあります。一回の帰国がどれほど大きな負担か。それだけで、コスタリカが置かれている状況は日本以上に厳しいことは想像に難くありません。


■日本以上にチームとしての完成度は高かった
そんな海外組の多いコスタリカですが、チームとしての統一感、意識の共有は日本以上だったと言っていいでしょう。実は今回、日本代表と比較しようと思った最大の理由は、コスタリカの戦い方にありました。タレント力に秀でるFWキャンベルを前線に置き、堅守速攻で強敵に挑むさまは、4年前の南アフリカ大会でサプライズと言われた日本代表の戦い方と似ていたからです。

4年前、ボールポゼッションで優位性を保つサッカーを目指していた岡田武史監督(当時)率いる日本代表は、直前までの親善試合の結果が芳しくなかったことから、大会直前にして急遽戦術変更を執行しました。決してレギュラーとは言い難かった本田圭祐をワントップとし、両脇に大久保嘉人、松井大輔を座らせる疑似3トップ。中盤は阿部勇樹をアンカーに遠藤保仁、長谷部誠が並ぶ3枚とし、フォーメーションは4-1-4-1とも言えるもので、実際は本田圭祐はポスト役を任されたMFですから、フォワードがいないいわゆるゼロトップフォーメーションでした。

決してまったく同じだったとは言いませんが、まず守備ありきの堅守速攻型チームで、本大会を通じてその得点力もさることながら、「チームのために」といううちなる声が聞こえてきそうな前線で潰れ役を買って出たキャンベルの存在が際立っていました。ちなみにコスタリカはW杯直前、エースストライカーのアルバロ・サボリオが怪我で離脱していたのです。キャンベルにかかる期待とプレッシャーは相当大きなものとなっていたでしょう。

ルイスやナバスといったタレント力に秀でた選手はもちろん、各ポジションで役割をまっとうした他の選手の動きも実に献身的。“死のグループ”を前にして諦めることなくチームを鼓舞し、持てる力を最大限に発揮できるチームへと仕上げたホルヘ・ルイス・ピント監督の手腕はお見事のひとこと。

おそらく個々のタレントという点で見れば、日本代表と遜色ないか、もしくは日本が上かもしれません。にもかかわらず、日本よりも厳しいグループを突破できたコスタリカは、あらゆる相手に対してすべて組織力で対抗していました。個々のタレントで勝負したら大敗を喫することを自覚していたからこその戦い方だったのでしょう。

そう、日本代表との大きな差は、自己犠牲の精神、チームに捧げる忠誠心、そして……勇気です。


■新指揮官との交渉の前にやるべきことがある
コスタリカと照らし合わせれば明白ですが、日本には自己犠牲の精神が大きく欠けていました。4年前の実績に自惚れ、メガクラブに所属する選手を抱えることで過信し、ブラジルやアルゼンチン、オランダと比べて個で劣ることを理解しているにもかかわらず組織力を高める努力を怠った。結果がすべてという言い方をすれば、今回のGL敗退は4年前から答えが出ていたということになります。

コンパクトなゾーンを保ち、そのなかでプレスをかけてボールを奪取、そこから素早くボールを動かして敵陣へと攻め入り、FWだけでなくMFからDFにいたるまで全員で相手ゴールを強襲する。

キモとなるのは“ボールの奪い方”ですが、フィジカル面を含め、個々の能力で劣るからには全員でカバーし合いながら畳み掛けねばなりません。ところがこれまでの親善試合はともかく、大事な初戦コートジボワール戦ではFW大迫と本田のみがチェイシングするのみで、ふたりが空振ると途端に大きなゾーンが空いてしまう始末。ピッチコンディションや高温多湿な状況を懸念したという声も聞こえましたが、4年も一緒にやってきていればこういう状況での戦い方ぐらい共有しているはず。大前提である“チームとしての意識共有”がなかったことが大きな敗因ですが、この負け方をして「4年間積み重ねてきたもの」「自分たちのサッカーを」と言われても、僕は頭のうえにクエスチョンマークしか浮かびません。

結果的に、組織として戦うため、チーム力を向上させるための勇気がないチームだったということです。選手もそうですが、監督のザッケローニも同罪、いやそれ以上でしょうか。国を背負っている責任感が希薄だったのでしょうし、そうさせたのもすべては過信から。「驕れる平家は久しからず」とは、日本の歴史が生んだ名言なんですが、“驕ることなく謙虚に戦う”という日本古来の美徳をコスタリカに見せつけられたんじゃ、世話ありません。

オランダと対峙したコスタリカの戦いぶりはすさまじいものでした。完全にゴール前を固めつつも、スキあらばカウンターを見舞う攻めの姿勢も忘れていない。ひとりひとりが課せられた任務を遂行し、運をも味方につけて0-0という最低限のミッションを成し遂げたのです。ここまで熱いものを感じさせてくれるスコアレスドローの試合なんて、そうそうあるものではありません。もし次のアルゼンチンに敗れるようなことがあれば、このコスタリカとの一戦を引き合いに出すオランダの選手がいることでしょう。


■今一度、自分たちの立ち位置を見直そう
「世界を驚かせよう。君たちにはそれができる」

コスタリカを率いたコロンビア人指揮官は、きっと選手たちにこう言ったに違いありません。イタリア、イングランド、ウルグアイという国々を前に言われても鵜呑みにはできないところでしょうが、それを信じさせるだけの信頼をピント監督は選手から勝ち得ていたというわけです。改めて彼のマネジメント能力を分析してみたいと思うほど。

4年前の日本も、同じように“身の丈に合った”戦い方を選び、ベスト16という結果を手にしました。「手応えは掴んだ。俺たちはもっとやれる」という意気込みは素晴らしいものでしたが、なぜか思いもよらぬ方向へと向いていったのです。

将来につながる自分たちのサッカーを貫く……。大事なことですが、どんな戦い方であれ、勝つことで得られるものもあります。それを学んだのが4年前の南アフリカだったのですが、監督が代わり、選手との意識共有があやふやなまま4年という月日を過ごしてしまったため、4年前の経験の上乗せができず、逆に後退するかのような結果を生んでしまった。出てしまった結果に対してごちゃごちゃ言っても仕方ないのですが、今回の件もきちんとした教訓として整理しておかないと、次、さらにその先へと活かしていけません。勝っても負けても、反省することは山ほどあります。強豪国ですら、いつでも勝ち続けているわけではないのだから。

皮肉ついでで言わせてもらうと、推定年俸2億4000万円と言われるザッケローニ監督に対し、ホルヘ・ルイス・ピント監督の年俸は約5000万円だと言います。コストパフォーマンスという点でも大きく水をあけられていますね。2億5000万円からさらに値段を釣り上げようとしているメキシコ人相手に振り回されるよりも、もっとやれることがあるんじゃないですか? 日本サッカー協会の皆さん。これまでどおりじゃ、昔ネルシーニョに言われた“腐ったミカン”のままですよ。

2014年7月3日木曜日

拠りどころとなる原点を持つこと

■オーソドックスなモデルが消えたハーレー
All Aboutのバイクガイドとして、来週掲載のハーレーダビッドソン スポーツスターに関する記事を書いていたときのこと。自分自身もスポーツスターを所有していることもあり、いろいろと思い入れを含めつつまとめていたのですが、改めて触れなければいけないところに差し掛かりました。

現在のハーレーダビッドソンのスポーツスターに登録されているモデルはすべて派生モデルと言われるもので、その原点となるオーソドックスなモデルが消えてしまっているのです。

ハーレーダビッドソンにはファクトリーカスタムモデルという、「こんなスタイル、どうでしょう?」とメーカー提案型カスタムバイクという位置づけのモデルがあります。人気が高いXL1200Xフォーティーエイト、チョッパーライクなXL1200Vセブンティーツー、そのほかXL1200Cカスタム、XL1200CAリミテッドとXL1200Bリミテッドなどなど、ファクトリーカスタムモデルのバーゲンセール状態。XL883Nアイアンがスタンダードモデルと思われているようですが、あれもいわゆるダークカスタムモデル。

元々このスポーツスターファミリーには、XL883というすべての原点となるモデルがいました。2009年を最後にモデルカタログから姿を消しましたが、どんな姿にするのもオーナー次第という限りない可能性を秘めたオーソドックスなモデルの存在は、今振り返ってみて、非常に貴重な存在だったと思います。特に今のようなファクトリーカスタムモデル全盛期から振り返れば。

バイクのカスタムというのは、オーナーのライフスタイルに合ったオンリーワンのバイクを作るということ。ファクトリーカスタムモデルの場合はその逆で、オーナーがバイクに合わせる形になります。なぜならば、すでに個性という名のドレスで着飾っているから。結果的に、ファクトリーカスタムモデルの売り上げの方がXL883を上回っており、採算という面からカタログ落ちすることとなったのでしょう。市場がそう判断した、確かにそのとおり。

オーソドックスなモデルがないと、ファクトリーカスタムモデルからハーレー(バイク)の世界に入った人は、迷ったときにどこに立ち戻っていいのか分からなくなってしまいます。そういう意味で言えば、XL883をカタログ落ちさせたことは非常にもったいないわけです。

これは、今の日本サッカーに関しても同じことが言えると思います。


■最後に頼れるスタイルを持つ重要性

「自分たちのサッカーを」W杯ブラジル大会で散った日本代表の面々は、口々にそう言っていました。この台詞は何年か前から耳にするようになっていましたが、このブラジル大会に至るまで、「どれが日本のサッカー?」とずっと思っていました。

これまでに日本の強さが発揮されたスタイルは、ハーフウェイライン近辺でボールを奪ってからの素早いショートカウンターだったと思います。攻守ともに選手同士が近い距離を保ち、ボールを奪うやいなや少ない手数でも最短距離で相手ゴールまでボールを運び、強襲する。

ところが、選手間で意識の統一がなされていないのか、同じようなチャンスを手に入れても流れを滞らせてしまう場面が多々見受けられたのも事実。ほぼ固定メンバーで4年間やってきたチームがなぜ?と今さらながらに思うわけですが、結果的にその不安がブラジルでの本番で的中することとなってしまいました。

拠りどころとなれる原点がなかったのでしょう。

イタリアは追いつめられると貝のように閉じこもるカテナチオを発動させますし、ブラジルやスペイン、ポルトガルなどは高いスキルを活かしたパスワークでボールキープしリズムを作ります。アルゼンチンは狡猾なプレーで試合の流れを自分たちのもとへと引き寄せる術を心得ていますし、最近は鳴りを潜めていますが、イングランドにはキック&ラッシュという伝統戦法がDNAに染み付いています。

日本サッカーの原点は?


■この代償を支払うときは、必ず来る
日本人の特性をあげると、組織に準じたコレクティブなプレー、素早く正確なパスワーク、アジリティ(敏捷性)、誠実なところといった感じでしょうか。逆にサッカーに対して不向きなのは、身体能力が高くはなく、ダーティさに欠け、プレーそのものが単調なところでしょうか。監督、選手ともに90分間を通じて試合をマネジメントできる人材が少ないように思えます。ザッケローニ? マネジメントのできない外国人は例外ですね。

もちろん、選手によって特性はあります。ボールキープに長けた者、正確無比なパスを繰り出せる者、鋭い読みでディフェンスを統率できる者……。ただ、それらはあくまで選手個人の特性であって、重要なのは“どういうチームにすべきなのか”です。その指針によっては、どれほど能力が高かろうともチームに合わなければ不要となります。

日本代表というチームは、日本国籍を有する者なら誰でも招集できる国内最強のチームであるべき。それだけの特権を持っているわけですから、当然「日本のサッカーとは、こうだ」という明確なスタイル(指針)のもとに、選手構成がなされなければなりません。そう、日本中の模範となるべきチームなのですから。

指揮官の迷采配とマネジメント能力の低さという足枷を省いて見ても、「自分たちのサッカーを」と口にするほどの明確なスタイルがなかったことが、世界の檜舞台で露にされてしまいました。これは、これ以上ないほど貴重な教訓ですし、次の世代に向けて最大限に活かさねばなりません。

しかし、ここ最近の報道を見ている限り、今回の教訓を活かそうという姿勢が日本サッカー協会からまったく感じることができません。自分たちのビジネスのために日本代表というブランドを利用しているとしか思えないのです。

他にない、唯一無二のスタイルを構築すること。これは一朝一夕ではできませんし、だからこそ時間をかけた地道な強化が必要なのです。ここを疎かにしているうちは、どれだけ世界の強豪国に挑もうとも跳ね返されるだけ。しっかりとした石垣のない天守閣など脆いものです。

世界に名だたるサッカー強豪国でもないのに、ことビジネスという点に関して言えば世界屈指という歪な国、日本。うわべの華やかさだけの金儲けしか考えていない日本サッカー協会は、いずれこのツケを支払わされるときが来るでしょう。

土壇場で踏ん張るために必要な土台はいかなるものか。世界が日本に突きつけた大きな課題を無視しては、W杯で上位に食い込むことはまだまだ難しいでしょう。

2014年6月30日月曜日

志を失った日本サッカー協会は早々に店じまいを

■日本代表の新監督に「待った」
ニュースなどで目にした方もおられるでしょう、サッカー日本代表監督の後任として、メキシコ人のハビエル・アギーレ氏が候補に内定、大筋で合意に達しており、新体制発足も間近だとか。

4年前に比べたらずいぶん早い動き出しだなぁと感心しますが、4年前の動き出しの遅さ……2010年南アフリカ大会後にもたついたせいで有力候補が次々と新天地に飛んでいってしまい、消去法のような形でザッケローニに内定を出した、という過去を反省してのことでしょう。

今、巷では「新監督を決める前に、まずは今大会の総括が先だろう」と「総括でモタモタしていたら有力候補を逃してしまう。このぐらい早い方がいい」という意見に二分されているようです。

結論を出す前に、イメージしてみました。アギーレ新体制による日本代表が動き出したら、どうなるでしょうか。

まずは彼の経歴からおさらいします。1958年12月1日生まれの55歳で、メキシコはメキシコシティ出身。メキシコ代表のディフェンダーとして地元開催となった1986年W杯メキシコ大会に出場した経験を持っており、メキシコ代表監督として2002年日韓大会、2010年南アフリカ大会を経験しています。クラブチームにおいても、今年5月に退任したエスパニョールをはじめ、レアル・サラゴサ、アトレティコ・マドリード、オサスナといったリーガ・エスパニョーラ(スペインリーグ)でも指揮を執った経験の持ち主……とまぁ、すばらしい経歴の持ち主です。よくこんな大物を連れてこれたなぁ、日本サッカー協会のパイプ(おそらく強化委員長の原さんでしょう)は相当なもの。

日本との関わり合いは、2002年日韓大会ぐらいでしょうか。ほか、特にありませんね。

ではそのアギーレ氏が代表監督に就任したら……?


■また同じ過ちを繰り返すのか
まず日本代表の当面のスケジュールですが、大きなものとして来年2015年、オーストラリアで開催されるアジアカップがあります。ここでの優勝国はその2年後に開催されるプレW杯・コンフェデレーションズカップへの出場権が約束されるので、非常に重要な意味を持つ大会と言えます。

準備期間は一年。日本サッカーとの交流がないアギーレ氏としては、まず現在の代表チームのポテンシャルを肌で感じたいと思うところでしょう。となると、スタートはブラジル大会のメンバーが軸になります。初戦であれば、よほどの事情を抜きにして海外組だって帰国するはず。キリンカップ(もしくはキリンチャレンジカップ)は同じ顔ぶれで始まるに違いありません。

そこから10回もいかない試合数でアギーレ氏が「日本代表チームにとって、ベストな戦い方(フォーメーション、戦術諸々)」というものを模索し、Jリーグを視察してまわり、新しい才能を発掘して代表チームに融合させて……。

間に合うわけがありません。

アギーレ氏の頭にJリーグというものがどの程度入り込んでいるかは定かではありませんが、おそらく現時点ではゼロでしょう。当然名の知れた海外クラブ所属選手を軸にしていくでしょうし、もっともスキルや経験値の高い選手を起用することは当たり前のことと思われているはず。

ザッケローニが就任したときと、何ら変わりありません。

現時点でもっとも重要なこと、それは「4年後だけでなく、さらにその将来に結びつけていく日本サッカーのための強化方針」です。これは総括以上に重要なことですし、こうしたベーシックな土台なくして真の強化はありえません。その論理で言えば、アギーレ氏という人物そのものは素晴らしい方ですが、「なぜアギーレなのか」「アギーレに何を任せたいのか」「4年間で彼に課す役割は何なのか」というところがスッポリ抜け落ちている。

日本サッカーに必要な強化方針とは——。

その回答次第では、アジアカップを落としたってかまわないという判断もアリです。「もしかしたらロシア大会でも満足のいく結果が出ないかもしれないが、遠い未来を見据えた強化を継続していきたい」のであれば、どんな結果だって国民は受け入れてくれます。

安定したチームマネジメントを臨むならJリーグ監督経験のある方を選ぶべきだし、我が国に深い情熱をもって取り組んでもらいたいなら密接な関係の外国人監督か日本人監督の名が出てくるはず。アギーレ氏はそのいずれでもありません。彼に情熱がないわけではありませんが、高額年俸以上の義理が日本に対してない彼に、そうしたエクスキューズを求めるのはナンセンスです。

結局のところ、ビジネスなのでしょう。



■もはや誰にもとめられないのか
日本サッカー協会は、いや日本代表ブランドでのビジネスは巨大になりすぎています。他の国では考えられないほど肥大化し、その利権にあやかる人や企業が数多く存在します。それを「改めて日本サッカーの未来のために」という正義感で台無しにされちゃあたまらないわけです。割を食うだけならいざ知らず、もしかしたら存在そのものが傾いてしまう企業だってあるかもしれません。

まやかしでもいい、幻想でもいい、ビッグネームを監督として招聘し、世界のトップリーグで戦うスター選手を散りばめた豪華絢爛な日本代表チームを維持し続けなければ、日本サッカー協会をはじめとする関連企業はその存在を保てなくなる。要するに、彼らは自分たちのためだけに日本代表というブランドを利用しているだけのこと。そこに、サポーターはもちろん、国民に対する誠意なんてこれっぽっちもありません。

アギーレ氏の就任が決まったら(決まるでしょうが)、おそらくザッケローニのときと何ら変わらない4年間が始まるでしょう。そしてロシア大会で惨敗すればスケープゴート探しがはじまり、その批判の隙間をかいくぐって後任監督にビッグネームが座り……。

もはや日本サッカー協会に、高い志をもった人は皆無なのでしょう。今回のブラジルにおける惨敗は、大きな教訓としてさらなる飛躍の糧となるかもしれないというのに。ただただ残念です。

日本代表のお出迎えシーンが素晴らしすぎて

■同じGL敗退国との対比がスゴすぎる
先週、ブラジルから帰国の途についたザッケローニ監督率いる日本代表の姿を報道で見ました。辞任を表明されたザッケローニ監督は比較的にこやかな表情でしたが、選手やその他スタッフはみな重苦しい表情。そんな彼らを、数百人とも言われるサポーターが労いの言葉とともに出迎えていました。

いやスゴい。ただただ感心しました。

「呆れたんじゃないの?」と言われそうですが、とんでもない。これはスゴいことだと素直に感心したのです。聞けば、同じくグループリーグで敗退したイタリア代表なんて出迎えは皆無、イングランド代表にいたってはおばあさんひとりというニュースも。さすがに腐ったトマトを投げつけられるという暴挙はなかったようですが、強豪国ともなると最低限のノルマ(GL突破)が果たせなかっただけでこの待遇です。「敗者には何もやるな」というとある国の言葉が重くのしかかっているかのよう。

翻って我が国は、何も知らずに見れば「え? 日本ってW杯で優勝したの?」ってぐらいのフィーバー。4年前の南アフリカ大会から関西国際空港に帰国した際は3000人とも言われる人が出迎えたと言われますから、ある意味その人数を基準とするなら成績が反映されているようではありますが……。

何が感心したって、あの暖かく手厚い出迎えっぷりです。ええ、選手は相当堪えたでしょう。別に腐ったトマトや水をかけてほしいなどとは思ってはいないでしょうが、「GL突破はノルマ。4年前のベスト16を上回る成績を」と掲げ、まるでアイドルのコンサートかと思うような華やかな壮行会まで催して旅立ったわけですから、当然それに比例するぐらいの反発やバッシングは覚悟していたはず。帰りの飛行機は相当重苦しい雰囲気に包まれていたでしょうね。

ところがゲートを出てみれば、「お疲れさま」「ありがとう」という言葉とともに手厚い歓迎ムードが。確かに今回の不振は日本サッカー協会を元凶とする大失策が原因だったわけですが、天狗になった選手にも責任がないわけではありません。が、それにしても……。これはもう“誰も出迎えない“以上のヒドい仕打ちだなぁ、と思ったわけです。

おそらく出迎えた数百名のファン(こう呼びます。あえてね)の方々は、選手の姿をひと一目みたいという想いから、何の嫌みもなく成田空港まで駆けつけたのでしょう。ええ、“嫌みがない”ことが最大の悪意だと思うわけです。要するに“一方的な愛情の押しつけ”で、選手の心情は一切考慮していない。暖かい声援がこれほど身に染みる冷たさを秘めているとは。僕が選手の立場だったら、「これ以上の屈辱はない」と悔し涙を流していることでしょう。狙ってやっているわけじゃないところが“天然”で、コミュニケーションはかれないレベルです。

■楽しみになってきた“これからの4年間”
「だって、あなたたちがこういう雰囲気を望んだんでしょう? だから私たち、駆けつけたのよ」

いやもう、そのとおり。ファンの皆さんは圧倒的に正しい。4年間ロクな強化プランやスケジュールも立てず、2010年南アフリカ大会時のメンバーのレベルアップ“だけ”に頼った代表チームをしっかりと支援しなかった日本サッカー協会の方針の結果です。

別にいいと思うんです。協会のビッグスポンサーである某飲料水メーカーのCMにザッケローニ監督(炎なる缶コーヒー)に本田(スポーツドリンク)、長友、岡崎、清武(ビール)らが出て副収入を得ることぐらい、世界のどこでもある話。C.ロナウドやメッシだってそうして副収入を得てセカンドキャリアに備えています。

そうしてファン層の拡大を狙い、人気を高めて新しい世代とともにマーケットを大きくしていく……ビジネスとして見ればまっとうな考え方でしょう。一部のコアな層だけを見ていても、収支のバランスが悪くなるだけですからね。自社ビルを持ち、ミュージアムなるものをそのなかに併設するなど大きなお金を動かさねば維持できないほど肥大化した日本サッカー協会です、綺麗ごとをのたまって身を滅ぼされるよりも、よほど日本代表(性別および年代関係なく)にとってより良いこととなるのでしょう。

強豪国ならね。

優勝経験もなければベスト16以上の成績をおさめたこともない国は、強豪国とは呼ばれません。良く言えば発展途上国ですが、今回の結果(1分け2敗のGL敗退)だけを見れば弱小国です。アジア勢が軒並み敗退していることもあり、「ああ、レベルの低いアジア枠だからW杯まで来れたんだねぇ」という蔑みの目で世界から見られている。それが今の日本です。

そんな弱小国で「お疲れさまー!」の声援……。特に海外クラブに所属している選手にとったら、拷問レベルの仕打ちです。所属クラブに戻ったとき、仲間からどんな目で見られることやら。ああ、想像するだに恐ろしい。

とまぁ皮肉たっぷりにまとめてみましたが、個人的に興味深いのは、今回の結果と周囲の変化を選手自身がどう受け止めたのか、というところ。今の彼らの心境は、間違いなく“これからの4年間”に表れてきます。

飛躍するのか、消えていくのか。

一生日本代表を応援する者として、“これからの4年間”が楽しみになってきました。
 

2014年6月25日水曜日

アリーヴェデルチ! ザッケローニ

■指揮官の功罪を検証する
1分け2敗という燦々たる結果でブラジルを後にすることとなったサッカー日本代表。はたして彼らが帰国する際、国民がどんな反応をもって迎え入れるのか興味深いところですが、すでにこのチームの功罪について、ネット上などでさまざまな議論が交わされています。なかでも議論の的となっているのは、こんなみっともない姿を見せてしまったのは選手がだらしなかったからか、はたまた指揮官の能力不足か、という点。

平たく言えば“どっちもどっち”。少なくともプロを名乗るのであればどんな状況であれテンパるなんてことがあってはならないし、それに指揮官までお付き合いしちゃいけない。どちらか一方が悪いかどうかなんていう、スケープゴート探しをすること自体ナンセンスですし、日本サッカーの将来のためにはなりません。

ただひとつ言わせてもらえば、指揮官の責任は大きかったと思います。今回のW杯における日本代表の一連の動きを追いながら、項目ごとに見ていきましょう。

1) 大久保嘉人の抜擢
最終23名に滑り込んだ大久保ですが、2年半ものあいだ代表から遠ざかっていた選手でした。選ばれたときはJリーグでもノリにノっていた選手なので、それだけ見れば妥当な選考かと思いますが、とにかく疑問符が多すぎる。
・ザッケローニ体制になってからほぼ固定メンバーでチーム編成がなされてきた
・直前の国内最終選考会に大久保は呼ばれていなかった

「そんな大抜擢、過去にもあっただろう」……確かにありました。2002年日韓大会での中山&秋田、2006年ドイツ大会での巻などがそう。ただ、結果論ではありますが、この大久保抜擢は今振り返ってみると、ザッケローニの迷いの一端だったと思われます。
W杯まで半年を切ったあたりでしょうか、チームの中核を担う本田圭祐と香川真司のコンディションが一向に上向きませんでした。それは本大会でのパフォーマンスを見れば一目瞭然。そこに不安を覚えた指揮官は、彼らの不調をカバーできるだけの勢いをもたらすジョーカーを欲していたはず。しかし固定メンバーでやってきた今、ブレイクスルーできるだけの勢いを持つ手駒がなかった。藁をも掴む想いで、細貝を外し、大久保を招き入れたのだと思います。おそらく既存メンバーは、小さくない違和感を覚えたことでしょう。

2) 初戦における先発メンバーの変更

ずばり、遠藤と今野を外したことです。代わりにスタメンを張った山口と森重が頼りないというわけではありませんが、在籍期間のほとんどを固定メンバーでやってきたザッケローニが、土壇場(というか正念場)で司令塔と守備の要を換えるという策に出たのは驚き以外のなにものでもありません。
おそらく指揮官の目から見て、彼らふたりのコンディションが上向いていなかったことが要因かと思われますが、どちらもこのチームの核となる選手です。しかも、彼らを外してのチーム強化は過去に数えるほどしかやってきていません。W杯における初戦がどれほど重要なものか、過去の戦いを知る日本人なら痛いほどよく分かっていること。そんな大事な一戦で、信じ難いメンバー編成に。
しかも、長谷部を下げて遠藤を投入するなど、何を狙っているのか分からない采配まで。結果的にこれが混乱を生じさせ、変則フォーメーションで畳み掛けてきたコートジボワールに逆転を許す結果となりました。
ちなみに遠藤は一度も先発を飾ることはなく、最後のコロンビア戦では出場機会すら与えられなかった。どうして彼を連れて行ったのか、彼をどう使いたかったのか、最後まで不透明なままブラジルを後にしたのです。

3) ギリシャ戦で余った最後のカード
理解不能と言っていいでしょう。交代枠3枚のうち2枚しか使わずに、絶対に勝たなければならないギリシャ戦を引き分けで終えました。ギリシャからすれば、ひとり退場して数的不利になったことを思えば、勝ち点1はプランどおり。あそこまでベタ引きされたチームを崩すのは確かに難しいですが、かといって策がないわけじゃない。しかし、その貴重な手段を手元に持ちながら、最後まで使わず試合を終えるというのは、今もってきちんと説明していただきたいほど。

4) 選手も想定外のパワープレー
3戦通じて登場した迷采配。CB吉田を最前線にあげての放り込み作戦。どこの国だって最後の最後にやる手段ですが、大会前、「パワープレーは捨てた」と、その選択肢たるハーフナー・マイクや豊田をメンバーから外したにもかかわらず、です。どの試合でもそうですが、前線にいたのは香川、岡崎、大久保、柿谷あたり。いずれも上背はなく、どちらかと言えば空中戦は苦手なほう。そこに吉田を入れたからといって、大きく戦況が変わるわけがありません。もしかしたらピンポイントで一点をもぎ取れることがあったかもしれませんが、今となっては後の祭り。

上記の項目は、今大会を通じて目に余った“混乱の根源”たる内容で、ほかにも挙げろと言われればいくらでも出てきます。

ただ共通して言えるのは、ザッケローニがプレッシャーに押し潰されたということです。


■4年間、ご苦労様でした。
今の日本代表チームは、確かに選手主導でまとまっているように見えます。自主的に目指すべき頂を見据えることは非常に喜ばしいことですが、興行試合での結果に満足し、まわりにチヤホヤされたことで主力メンバーが勘違いしてしまった感は否めません。ここまで言い切るのも、今回の結果ゆえ、です。

そのうえで言わせてもらえば、じゃあそうして天狗になったチームを、どうして指揮官は諭さなかったのか? ということ。どんな組織にも、必ず目指すべき目標へと推進するリーダーがいます。この代表チームでは監督であるザッケローニなわけですが、彼にはその経験値と指揮能力をもって、日本サッカーがより高みへと進めるよう導いてもらう責務があったはず。いえ、ありました。若い選手が有頂天になれば、それを咎めるのも彼の役目です。

「選手が勘違いした」「あいつら、天狗になっていたんだ」という批判の声が多く聞こえますが、じゃあ彼らは烏合の衆だったのですか? 少なくとも年俸2億7000万円(推定)を支払って雇っているワールドクラスの指揮官がいたわけです。結果で言えば、選手が天狗になるまでの過程でザッケローニは何もしていなかった、ということです。契約書に書いていなくとも、その程度の仕事はしてもらわねば困ります。

今、主に本田圭祐が矢面に立たされていますが、本来その役目を背負わなければならないのはザッケローニ監督です。見方によっては彼は「育成型」「コーチング型」の監督だと言えますが、いわゆる勝負師タイプでもなければチームマネジメント能力も大変低い。本当、彼に4年間も与えたことが悔やまれてなりません。

現在、日本サッカー協会の原博実専務理事兼技術委員長が退任、後任候補にJ1鹿島の鈴木満常務取締役強化部長の名があがっているという報道がありました。

敗因の検証もまだしていないのに、強化委員会の人事が動き出すってどういうことだ?と。要するに「ハイハイ分かりました、俺らが悪いんですよね。辞めればいいんでしょ、辞めれば」という声が聞こえてくるような動きです。本当に、日本サッカー協会は腐り切っているようですね。

まずは4年後はもちろん、はるか未来に向けて「これが日本のサッカーだ」と言えるものが何なのか、具体的に示す必要があります。そのうえで、「そのために必要な指揮官は誰なのか」という後任の監督候補が出てくるのが自然な流れでしょう。4年前は、それを曖昧に流してしまった。

この国にとって、日本代表とは何なのか。「日本のサッカーとは?」と聞かれて答えられる明確な型は何なのか。今回の結果を胸に、少なくとも僕は今まで以上に厳しい声をあげていかねばならないと感じ入りました。

そして、ザッケローニ監督については、もう何も言うことはありません。終わったことですし、彼のチームに継続性はありません。4年間ご苦労様でした。

アリーヴェデルチ(さようなら)、ザッケローニ。
 

本田圭祐はベッカムになれるか

■金髪の愚か者
おそらくこれまでの人生で最大の挫折だったのでしょう、コロンビア戦後にインタビューを受けている本田圭祐の姿は、目もうつろで声にも覇気がなく、自信が漲っていた大会前の彼とはまるで別人のようでした。

1分け2敗でのグループリーグ敗退という結果は、本田の想像外の結果だったのでしょう。彼の落ち込みぶりからもそんな胸の内が見えるよう。ただ、日本代表のこれまでを考えれば、通用すると思っていたことが大きな勘違いですし、いくら日本でもてはやされたところで世界最高峰の真剣勝負の場では通用しないということが見事なまでに実証されました。僕個人は驚きでもなんでもないですし、この結果を驚きと思っている彼らや他の人々の反応が、僕にとっては驚きです。

すでにネット上では批判の嵐が渦巻いています。特に「W杯で優勝する」と公言していた本田に対する風当たりは相当なもの。成田空港でどんな出迎えが待っているかは分かりませんが、彼は今、失意のどん底にあるのは間違いありません。

W杯で優勝する——その意気込みたるやヨシ、ではありますが、一方で対戦相手への敬意と客観的に自分たちを分析する目が今回の日本代表には必要なものだったと思います。本田をはじめ、そうしたことを口にしていた選手全員が同罪ですが、彼らを諭す役割を担っていたザッケローニ監督の功罪はその比ではありません。選手主導という聞こえのいい丸投げ方針で4年間を過ごしてきたこの指揮官には、成田空港からレオナルド・ダ・ヴィンチ空港への直行便チケットを進呈したいぐらい。

さて、本田です。プロとしてお金を得ているのであれば、口にしたことを達成できなければ叩かれるのは当たり前。今回のバッシングがどこまで肥大化するかは分かりませんが、彼はこの十字架を一生背負ってかねばならなくなりました。

そんな本田の姿を見ていて、ひとりの偉大なフットボールプレイヤーのことを思い出しました。かつてイングランドの貴公子としてその名を馳せた、ディビッド・ベッカムです。


■4年後の本田がどんな姿になっているか
フットボール界のみならず、世界のファッションシーンなどでも話題を振りまくベッカム。2002年日韓大会では日本でも大きな注目を集め、一躍時の人となったことは説明するまでもないでしょう。世界のフットボールシーンにおけるレジェンドのひとりであることに異論の余地はありません。

そんなベッカムにも、人生最大の挫折と呼ばれた瞬間がありました。1998年W杯フランス大会の決勝トーナメント一回戦アルゼンチン戦でのこと、彼のマークについていたディエゴ・シメオネ(現アトレティコ・マドリー監督)のファイルに対して報復行為を行い、一発レッドで退場させられたのです。結果、イングランド代表はこの試合をPK戦の末に落として大会を後にしました。

翌日の英デイリー・ミラー紙には『10人の獅子とひとりの愚か者』という見出しが踊り、以降ベッカムは批判の嵐にさらされたのです。それこそ、アウェイでの対戦チームのサポーターによる冷やかしやヤジはもちろん、所属していたマンチェスター・ユナイテッドのホームゲームでも非難されるほど。おそらく彼の精神状態は相当に追いつめられたことでしょう、一時は海外クラブへ移籍するという話が出たりもしました。

ところが、彼はマンチェスター・ユナイテッドにとどまり、またイングランド代表の主将としてピッチに立ち続けました。どれだけ批判されても、それを真正面から受け止めて乗り越えるために。自分が成長したことをプレーで証明するために。

愚か者の烙印を押されてから3年が経ち、イングランド代表は2002年W杯日韓大会のヨーロッパ予選を戦っていました。熾烈な首位争いを続けるなか、この試合を引き分ければ出場権が得られるというギリシャ戦で、イングランドは1-2とギリシャにリードを許していたときのこと。

試合終了間際に相手ゴール前で得たフリーキック、キッカーはベッカム。ゆっくりとした助走から右足を一閃、ボールは鋭い弧を描いてゴール左上に突き刺さったのです。イングランドが日韓大会への切符と掴んだと同時に、彼が3年もの呪縛から解き放たれた瞬間でもありました。

挫折は、人生の糧です。今回の惨敗で、次のチャンスが潰えたわけではありません。少なくともディビッド・ベッカムという偉大なフットボーラーは自ら克服してみせました。本田には今回の挫折を乗り越えられるだけの精神力があると思いますし、どれだけの批判の嵐にさらされようとも自ら乗り越え、4年後のロシア大会で再び日本代表を高い場所へと導いてほしい。

言い訳は必要ありません。4年後の本田圭祐の姿を見てから、今回のブラジルでの彼を振り返りたいと思います。
 

再び走り勝つサッカーを

■これまでの4年間の成果
すべては初戦だった、と思います。試合内容もそうですが、試合後の選手のコメントからも、その混乱っぷりが伺えました。

「言葉にならない。諦めたくないし、こんな形で終わりたくない」(香川)
「この2分で、この4年間を無駄にするわけにはいかない」(内田)
「勝たなくてよかったと、正直、今は思っている」(岡崎)
「相手に回されて、走らされて、体力を消耗させられた」(長友)

超攻撃布陣で仕掛けてきたコートジボワールの変則フォーメーションにも面食らわされたのでしょうが、日本の戦い方に安定感と一貫性がなかったのも事実。4年間、ほぼ固定メンバーでチームをつくってきたにもかかわらず、ここまで足下がおぼつかなくなるというのはちょっと考えられないです。このテンパったコメントの数々が、混乱していた現場を象徴していますとも。

ただ、結果は出ました。いろんな意味で、これが日本サッカーの実力だと言うことでしょう。これが、世界がくだした評価です。

「4年間積み重ねてきたものを」

このフレーズ、本大会中で何度耳にしたことか。元々ナイーブな国民性であることを考えると、初戦に勝って波に乗りたいというところでした。過去の経験から初戦の重要性は誰もが分かっていたはず。そうした糧を活かすために4年間しっかりと準備して挑み、世界を驚かせてやろう。これが、南アフリカ大会の決勝トーナメント一回戦、パラグアイに敗れたあとの想いでした。

指揮官の選定、メンバー構成、強化プラン、これまでの試合内容……僕の目から見ても不本意なものばかりでした。とにかく目についたのは、安定感のない試合運びと追いつめられたときの自分たちの型。選手や監督が言う「自分たちのサッカー」というのがどれのこと? と思うほど、型らしい型はありませんでした。

選手が言うほどの型がない……指揮官は何も思わなかったのか? その疑問がずっとありました。ところが変わらぬ体制のまま強化は進み、ブラジルへとたどり着きました。

遠藤が先発から外れる? 守備のキーマンだった今野も先発落ち? しかも、もっとも重要だと認識していたW杯初戦で、いきなり? これまでやってきた方針に一貫性があるならば、遠藤や今野がよほどコンディションを落としているわけでもない限り、採る必要のない選択肢です。どちらも攻守のキーマンですから、なおさら。

自信をもって挑んでくれたことは悪くありません。ただ、試合を終えてあれほどまでに混乱しているのはちょっと異常。選手と指揮官とのあいだに“意識の溝”があった何よりの証拠です。そうしたことを踏まえて振り返ると、「積み重ねてきた4年間」と言われるものがどれほど大したことがなかったか、よく分かります。その積み重ねてきたものをぶつけた世界最高峰の大会で惨敗したわけですから、言い訳のしようがありません。

それにしても、選手もさることながらザッケローニ監督の混乱っぷりにも驚かされました。これまで重宝してきた選手をあっさりと切り捨てたり、なんでそんなことするの? という選手交代をしたり……。W杯という舞台の重圧を改めて感じた次第でもあり、結果としてザッケローニ監督はW杯を戦うにはまだその領域にない方なのだな、とも思いました。8年前のジーコがそうだったように。


■また始まる“これからの4年間”
とまぁ、終わったことを悔やんでも仕方ありません。結果は出ました。グループリーグ最下位という不名誉きわまりない結果が。

これから、また4年間が始まります。

大事なのは、敗因の検証と、それを克服するために必要な施策をきっちりと練ることです。少なくとも日本のサッカーは世界全体で見たら全然大したことがないわけですから、見栄を張らずに真摯に受け止めねばなりません。

まず、日本サッカーとは何なのか? 何をもって日本サッカーと言うのか? この永遠の課題に対して、答えではなく“目指すべき場所”を明確にすべきです。

今回日本代表が敗れ去った要因が、“走り勝てなかった”ことだと思います。コンディション調整だとか気持ちの問題だとかも内包していますが、この4年間で90分間走り切るサッカーをやってこなかったことが、ブラジルで噴出したのです。イビチャ・オシムが実現しようとしていた、全員が全員のために走り切るサッカーこそ、日本サッカーの目指すべき場所だと思います。それこそ、日本全国のサッカー選手に示すべき姿だと思います。

そうなると、チームの根幹は国内リーグの選手がメインになります。立地の問題から、10時間以上かけて帰国させた海外所属の選手を中心にするの賢明ではありません。チーム力そのものを底上げしようと思うなら、国内中心のチームづくりこそが必須。

とすると、Jリーグを知り、日本サッカーをよりよい方向へと導きたいと腐心してくれる指揮官が必要になります。さて、そこまで日本を想ってくれる外国人監督はいるでしょうか? 今回のザッケローニの件で、そうした外国人指揮官を捜すことは非常に難しいことがはっきりしました。とすると、日本人指揮官とせねばなりません。

力量で言えば、間違いなく外国人監督の方が圧倒的に上でしょう。でも、そうやって目先の結果にとらわれた結果が今回の敗戦だったわけですから、次のロシア大会、さらにその先のW杯にも自信をもって送り込める代表チームをつくるには、難しくともそうした地道な強化に着手すべきです。少なくともこのブラジルの地で、チリ、コスタリカ、アルジェリアといった国がそうした地道な努力の結果を見せてくれました。日本にだってできるはずです。

すぐに「世界との差」なんて言葉が軽々しく出ていますが、今回の結果は自爆以外の何ものでもありません。そこを勘違いしては、また同じ4年間を繰り返してしまうだけ。

本当にいい経験になった今回のW杯。華やかに彩られてきたお飾りの日々は崩壊し、日陰をゆく4年間が始まります。日本サッカーは再び暗黒時代に突入しますが、それでも歩みをとめることはありませんし、そんな日本サッカーを支えるのは、どれほど仄暗い世界になろうとも、いつか輝けるであろう日を信じて支え続ける情熱を持った人たちのサポートです。

2014年6月23日月曜日

日本代表を批判すべきは、今か、後か

■まだコロンビア戦が残っているが……
ギリシャ戦をスコアレスドローで終え、土壇場に追い込まれた日本代表。敗れていればグループリーグ敗退決定だったので最悪の結果にはならずに済みましたが、かといって良い結果だったわけでもありません。首の皮一枚でつながったという事実が残ったのみです。

言いたいことは山ほどありますが、ウェブのニュースなどでギリシャ戦評が何件も出ているので、分析はそちらにまかせるとして、今ウェブ上で巻き起こっているさまざまな声のなかに見える意見——「W杯を戦っている真っ最中に批判すべきじゃない」「最後まで戦いを見届けてから検証しよう」という内容について考えたいと思います。

結論から言えば、どっちだってイイ、です。

代表チームにはまだコロンビア戦が残っていますし、わずかな可能性ですが、決勝トーナメントに進出することもあり得ます。そうなると、3試合でブラジルを後にすることなく、勝ち続ける限りW杯の舞台に立つことが叶うのです。小さくとも可能性がある限り、選手たちが最大限の力を発揮できるよう、心をかき乱されぬよう、静かに祈り、見守ろうじゃないか……そういう意図と僕は汲み取りました。もちろんそのなかには、「今何を言ったところでチームの状態が急に良くなるわけじゃない、だったら外野は黙って見守ればいい」という意見もあることでしょう。

ナイーブだなぁ、と思うわけです。

日本代表が目指しているところはどこでしょう。日本サッカーが目指しているところはどこでしょう。世界の強豪国と互角に渡り合う力をつけ、W杯でも上位に食い込む強豪国の仲間入りを果たし、究極はW杯を制覇する。少なくとも僕自身はそのつもりで日本サッカーと向き合っています。


■ポルトガルと見比べてみる
同じシチュエーションの他国と見比べてみましょう。初戦を落とし、第2戦めを引き分けて崖っぷちの国と言えば、ポルトガル、ガーナ、韓国がいます。それではポルトガルを例に考えてみます。

大会前のポルトガルと言えば、優勝候補というよりはダークホース的存在として扱われていました。何より最大の武器はエース、クリスティアーノ・ロナウドの存在。一撃必殺のエースは間違いなく他国にない絶対的な切り札ですし、厳しいマークにさらされるのは想定内。あとは、その状況をチームがいかにうまく利用できるかどうか。戦い方次第で決勝トーナメント進出はもちろん、さらなる躍進だって期待できる……そういう寸評でした。

ところがいざ蓋を開けてみれば、初戦のドイツにボテくりまわされ、挙げ句CBペペの愚行でいきなり蹴つまずくという最悪のスタート。C.ロナウド自身も怪我を抱えており万全の状態ではなく、また怪我人も続出してチーム全体が満身創痍といったところ。僕から見れば、日本代表以上に最悪のシチュエーションにある模様。

では、当初期待されていたほどの活躍ができていない代表チームを見て、ポルトガル国民はどんな反応をしているでしょう。歯がゆい思いをしながらも、腕を組んで祈り続けているだけでしょうか。僕は、そうは思いません。少なくとも「まだ一試合ある。静かに見守ろう」と言う声はほぼ皆無に違いありません。かつてエウゼビオという“英雄”を擁し、世界のサッカーシーンを席巻したポルトガルという国が“この程度の結果”を甘んじて受け入れているはずがない。今頃ポルトガル代表チームは、敗退後にどう静かに帰国すべきか考えているでしょう。特にペペは、そうでしょうね。もしかしたらそのままマドリッドに直帰するんじゃないか?とも。

「まだ一試合残っている。突破の可能性はある。だから静かに見守って欲しい」

本田圭祐がそう言っていたと聞きます。とても「批判は受け止める」と言っていた強気の御仁とは思えない言葉です。とてもACミランで10番を背負う男の言葉とは思えません。他の国に比べれば緩いことこのうえない。もしブラジル代表がこんな状況に陥っていたら、こんなものじゃ済まないでしょう。ネイマールが「今は静かに……」と言ったりすれば、蜂の巣を突ついたかのように批判の嵐にさらされるでしょう(言うとは思うけど)。

今言うべきか、大会後に批判すべきか。

この議論自体が、W杯に出場する気がある国として実に稚拙だと思います。批判なんていつ言ったっていい。それが、国を背負ってW杯に挑むということの意味です。少なくともイングランドやスペインなどと肩を並べる存在になりたいと思うのであれば、帰国する際の代表チームの表情、そして彼らが帰国した際の国民の反応を見ておきましょう。真似する必要があるなどとは言いません、日本には日本の出迎え方があります。

「感動をありがとう」「勇気をありがとう」といった声があがろうものなら、我が国のサッカーは一生強くなれないでしょうね。


■結局のところ、かまってちゃん?
「感動をありがとう」「勇気をありがとう」——。

ずいぶん昔から聞き慣れた言葉です。先のソチ五輪でメダルを逃したフィギュアスケーター浅田真央さんが帰国した際にも同じような声が聞かれました。どうも日本人は「感動」「美談」が好きなようで、なにかにつけて話を綺麗にしたがるきらいがあります。

今回のブラジル大会では、初戦の主審に日本人の西村雄一さんが選ばれたこと、そしてスタジアムでゴミ拾いをする日本人サポーターのことが評価されたことが違う話題を呼びました。確かにそれ自体は評価されてしかるべきなのですが、ちょっとメディアの持ち上げ方が異常すぎるのです。「私たち日本人が、こんなに世界から評価されたんですよ!」と煽るさまは、どれだけコンプレックス強いんだ?と思わされるほど。

どうも日本という国は、外部からのバッシングに対して異常に強い反応を見せます。独自の文化、独自の言語で発展してしまった島国ゆえでしょうか。反面、海外からの高評価を必要以上に喜ぶ傾向も。そうした傾向の歪んだ表現なのか、曖昧な結果を美談でまとめたがります。

実を言うと、僕が主に携わっているバイク業界も似たような傾向にあります。免許、バイク、その他用品が必要なうえに、社会的にあまり良い目で見られていない世界ゆえ、常に肩身の狭いところで細々と過ごしている。そんななか、たとえば日本映画やドラマといった一般人の目に触れるところにバイクが登場すると、「ほらほら!バイクが出るんですよぅ!」と嬉々として話題を振りまく。

よくよく見てみれば、その映画だって別にバイクを大々的に取り上げたかったわけではなく、酒のつまみ程度の必要性で取り入れたってだけのこと。それを「どうですかぁー」と言っちゃうあたり、残念な業界だなぁと思う次第。「自分たちにしか分からない世界だから」と割り切ればいいものを、すり寄られてくると喜んじゃう“かまってちゃん”。

外界との温度差に気付けないと、端から見て正直イタい。西村主審、そしてゴミ拾いをするサポーターのことは確かに海外でも評価されていますが、あまり過度な反応をしちゃうと、外界との溝はさらに深まるばかり。本当に世界と伍するサッカー大国を目指すのであれば、本質であるサッカーでの結果を出すことに腐心するべきだと思います。批判するのは後がいいかどうか、なんて、正直くだらないです。


■選手とサポーターの溝
「それでも人生は続くんだ」

W杯で早々にGL敗退が決まった国の選手や監督は、口々にそう言います。この台詞を耳にしたのは一度や二度ではなく、特に海外の方は“敗北”を受け入れる際にこの言葉を用いているようです。

深い言葉だなぁ、と思わされます。敗北は終わりではなく、始まり。屈辱の結果から敗因を学び取り、次へとつなげていく。そうして人は、死ぬまで何かを学びながら生きていく。我々にはない宗教的背景から生まれた人生観のように見受けられます。

批判なんて、いつしたっていい。どっちみち、今回の不甲斐ない戦いぶりで勝ち上がれるほどW杯は甘くはないし、帰ってくる代表チームと日本サッカー協会は批判の嵐に包まれるに決まっています。

でも、これも学ぶべきことのひとつでしかありません。

日本サッカー界には、Jリーグ百年構想という概念が存在します。その過程で言えば、Jリーグ誕生からわずか20年ほどの現在は、まだまだひよっこみたいなもの。その20年で5大会連続でW杯に出場できているという事実だけでも贅沢きわまりないこと。世界の強豪国が本気で勝ちに来る戦いをできるなんて、どこの国にも与えられる経験ではありません。日本にとって、W杯以外はすべて親善マッチでしかないのですから。

今回のW杯を見ていて痛感したのは、選手とサポーターとの溝です。サポーターは、平たく言えば「観戦している人すべて」と言い換えてもいいかもしれません。今回取り上げたような議論が起こること自体、日本のサポーターのレベルは低いと言っているようなもので、そこから生まれる声が選手を激励するかと言われれば、甚だ疑問です。

サポーターの叱咤激励は、間違いなく選手のレベルを引き上げると確信しています。だからこそW杯での日本代表の不甲斐ない戦いぶりについては、サポーターの声がシビアじゃないことも要因のひとつと考えます。目が肥えた人が見れば、これまでの日本代表の戦いぶりに安定感がないこと、選手やザッケローニ監督が「自分たちのサッカー」というほど明確な型がないことは明らかでした。一部の識者を除き、他の誰もがそれを指摘しなかったのは事実で、だからこんな腑抜けた代表チームをブラジルに送り込んでしまったのです。

4年後のロシア大会で決勝トーナメントに進出したいと本気で願うのならば、まずサポーターがしっかりとサッカーを知り、選手に響く声を発することから始めねばならないでしょう。道は平坦ではありませんが、この事実が再発見できたことが今回のブラジル大会での収穫だと思っています。
 

2014年6月21日土曜日

W杯コメンテーターのずるさに辟易

■怒りを通り越して……
皆まで言いますまい。非常に情けない敗戦です。「まだ一試合残っている! 今、そんな余計なことを言ってんな!」って声が聞こえてきそうですが、四年後に活かすため、そして自分自身の記録という意味も含め、書き連ねさせていただきます。

これが、日本代表というチームの実力です。

すべては四年前から始まっていました。何もW杯本番になって、急に弱くなったわけではありません。世のメディアからよく聞こえてくる「四年間積み重ねてきたもの」がこれです。過信とともに挑んだ重要な初戦を最悪の形で落とし、奮起した第2戦では有利な状況を活かせずスコアレスドロー。コンディション調整がうまくいかなかった? 直前でスタメンの入れ替えがあった? 主力メンバーが所属クラブで思うように試合に出られず試合勘が戻りきらなかった? 四年前、「南アフリカ大会以上の好成績を残すために」と編成されたチームですよね。その言い訳、みっともなさすぎます。

そう、四年間積み重ねてきたものがこれです。「もっとも退屈なチーム」とイタリアの新聞に酷評される日本の代表団。もっとも大きな責任は日本サッカー協会にありますが、我々国民ひとりひとりにもその責任はあると思います。

とまぁ、なんにせよもう一試合、コロンビアとの戦いが残っていますので、とりあえず見届けましょう。すでに決勝トーナメント進出を決め、主力メンバーを温存してくるであろう相手に息巻いても空しいだけですが、出場権を持つ我が国には3試合を戦える権利が与えられているのですから。それこそ、最後まで全力を尽くさねばW杯そのものはもちろん、世界の人々に対しても失礼です。

今の代表チームを作り上げたのは、ザッケローニ監督です。そしてそのザッケローニを招聘し、四年間(正しくは三年半ぐらいでしょうか)指揮権を与え続けたのは日本サッカー協会です。そしてこちらの財団法人は、次期代表監督を決定する権限を持っています。なので、“日本のW杯”が終わったら、ここを中心に今回の反省と次へつながる施策を明確にすることを求めましょう。別にスケープゴートを作り上げようなんて気はさらさらありませんが、この協会の動きはこれまで見ていても目に余りますし、本気で四年後の勝利を渇望するなら、言うべきときがあると思うのです。

■今頃勝手なことを言うな
そんな今、なんとも奇妙な傾向が見受けられました。初戦のコートジボワール戦を落としたあとは「大丈夫! 次のギリシャに勝てば、決勝トーナメント進出の可能性が残っている」と息巻いていた各メディアが、ギリシャ戦後、お通夜状態というか空元気というか、完全に望み薄になったにもかかわらず、無理矢理コロンビア戦を盛り上げようとしていること。まぁ、分からなくもありません。W杯はまだ続くわけです、テレビ放映だのグッズ販売だの何だのと、利権が絡んでいる各メディアとしては、人々の関心の火を今から消してはならないから。涙ぐましい努力だなぁ、とある意味関心しています。

腹立たしいのは、手のひらを返した識者たち。

「指揮官の采配に疑問がある」、「気迫を感じない」、「一体どんな練習をしているんだ?」などなど、わずか半日ほどで代表チーム……どちらかと言えば、ザッケローニ批判が一気に噴出してきました。それも、現場に足を運びやすい元選手や著名ライター、芸能人などなど。芸能人はともかく、かつてプロとして鳴らした元選手がこのタイミングで態度を一変するとは、どういう神経をしているのかと疑ってしまいます。

日本代表は、ブラジルに着いてから急に弱くなったんですか? 違います、もっと以前からザッケローニの指揮官としての能力には疑問がいくつも噴出していました。それこそ、一年前のコンフェデレーションズカップでは解任論も出たほど。そもそも論をすれば、彼が代表監督に選ばれた経緯自体が疑問そのもの。にもかかわらず、今このタイミングで態度を一変する理由は何なのか。

メディアの世界というのは狭いものです。「○○選手がこんなことを言っていた」、「○○選手とモデルの○○が付き合っている」、「○○というライターが協会からハブられている」といった表には出ない話はゴロゴロ転がっています。ザッケローニが日本代表監督に選ばれた経緯ぐらい、業界メディアの誰もが知っていることでしょう。彼がベストの選択ではなかったことぐらい。元代表選手クラスにもなれば、代表チームの練習風景や実際の試合を観ただけでチーム状態……ザッケローニの指揮官としての能力を推し量ることぐらい朝飯前。

日本代表は、ブラジルに入った途端に急に弱くなったわけじゃありません。元々この程度の実力だったんです。それを、スポーツが大きなビジネスとなっている昨今の風潮に乗り、W杯、そして日本代表をメディアが必要以上に持ち上げてきました。盛り上がりに欠けるようなら、タレントを突っ込んで“そっちのファン層”まで取り込んでしまうという下世話さまで見えるほど。

薄っぺらいメディアがそういう動きをするのは、“日本におけるサッカーの文化レベルってこの程度”というだけで片付けられます。僕が問題視しているのは、元選手や元監督がそうした商法に便乗しているという事実。あなたたち、かつて現役選手としてプレーした時代を知っていながらこの流れに乗るってどういうこと?と。

■知っていて知らないふりをしていた……んでしょ?
現場でいろんなものを見聞きしているプロならば、そんなかりそめの流行に流されることなく真相をつかんでいられると思うのですが、実際はそうはなっていません。そうした薄っぺらいメディアの押しつけ情報に便乗し、一緒になって面白可笑しくくっちゃべっている。「ああ、そういう風に過ごした方が、この人は生きやすいんだろうなぁ」ぐらいに思っていました。それが、とことん追いつめられた今、「ほら見ろ、言わんこっちゃない」と言い出す始末。

彼らとて、知っていたはずです。いや、知らなかったとは言わせません。「今の日本代表は決して強くない」、「ザッケローニの指揮能力には疑問の余地がある」、「このままブラジルに飛び込んだら危ない」……多くの業界人が、とうの昔から気付いていたことでしょう。しかし、ザッケローニ解任論が出たときでさえ、ほとんどのメディアや元プロは、サッカー協会の意見に賛同していました。そして臨んだ本番で得た結果がこれです。

支持するなら支持する、それも姿勢のひとつだと思います。が、追いつめられた途端に態度を一変するのは、卑怯以外の何ものでもない。「心中しろ」とまで言う気はありませんが、少なくとも信念に基づいた意見をお持ちでしょうから、だったらそれに準じたらどうですか?と思うのです。

大手メディアがはやし立てるのは、まぁ今の日本の文化レベルから見れば「こんなもんでしょう」程度。真剣に取り組んでいる人は、受け流せばいいだけ。そのなかで、さまざまな恩恵を受けて過ごしているにもかかわらず、追いつめられた途端に手のひらを返すとは、じゃああなたの信念って何なんですか?と聞きたい。日本サッカーの未来を憂いているわけでもなければ、指導者としての道をひたすらに突き進んでいるわけでもない(そういう人もいる、という意味で)、そんな人がテレビの向こうでどれだけ講釈を垂れても、まったく心に響いてきません。

■残るべき人だけが残ればいい
日本人は、シビアな結論を口にするのは苦手で、苦笑いや言い訳で言葉尻を濁すことがあります。でも、「それが日本人だから」で流されちゃあ、日本サッカーを強くしたいと願っている人たちにとってはただただ迷惑なだけ。世界と伍する力を身につけたいのであれば、まずは日本人としての殻を破ることから考えねば。ギャランティがいいというだけでクライアント受けのいいことしか言わない夢追い人は、きっと時代が淘汰してくれることでしょうが。

影響力のある発言の場を持てる身でありながら、事なかれ主義よろしく日本のガンを放置したまま過ごした日々を思えば、今頃手のひらを返している方々は信用に値しません。

おそらくW杯後、大騒ぎ状態の日本国内は沈静化し、サッカーを見なくなる人も少なくないでしょう。2006年ドイツ大会後のような暗黒時代がやってくることでしょう。僕は、「やっぱりサッカーが好きなんだ。日本代表が好きなんだ」と一途な愛を貫ける人たちだけが残れば、それでいいと思っています。そうした濃度の高い人たちが選手を育てる声を発せられるのだと思いますし、やはりどの国のサッカーも、サポーターの成長なくしてあり得ないのですから。

この四年間で、知っていたはずの落とし穴の場所も指摘せず、利権の恩恵にあやかって過ごしてきただけの人の言葉が胸に響くことはありません。少なくとも僕は、態度を変えたコメンテーターおよび解説者に対して、そういう目で見ています。彼らが“正しい言葉”を発していれば、少なくとも代表チームがこんな状態に陥ることはなかったのかもしれないのですから。

たとえ元プロの選手だろうが、大事なときに大事なことを言えない程度ならば、渋谷のスクランブル交差点でハイタッチするだけの輩となんら変わりません。
 

2014年6月20日金曜日

電動ハーレーという衝撃のニュース、そして今後のバイク市場は

発表された電動ハーレーダビッドソン『LiveWire』
昨晩(2014年6月19日)、米ハーレーダビッドソン モーターカンパニーは同社初となるエレクトリックモーターサイクル“Project LiveWire (プロジェクト ライブワイヤー)”を発表しました。数日前よりウェブ上で予告ムービーや情報の一部が飛び交い、騒然となっていたのでカウントダウン後はあまり大きな驚きはありませんでしたが、やはり最大のサプライズは「ハーレーダビッドソンが電動バイクを作った」という事実でしょう。

電気自動車は現在すでに実用化され、日常にも溶け込んできていますが、電動バイクはいわゆる原付クラスでは登場しているものの、こうした大型バイクではほとんどがコンセプトバイクどまりで、まだ実用化に至っていません。ただ、世界的には電動バイクに対する関心度は大変高く、イギリスのマン島で開催されている世界最古のモーターサイクルレース『マン島TTレース』では電動バイクのクラス「Zero Emission」なるものがあり、今年は日本のレーシングチームのEVレーサー「MUGEN 神電参」が見事優勝を飾っています。電動バイクの実用性は決して遠い未来の話ではないのです。

LiveWire
そういう背景があるとはいえ、モーターサイクルの世界に身を置いている僕にとっては、ハーレーダビッドソンが極秘裏に電動バイクの開発を進めていたことは驚き以外の何物でもありません。そう、国産4メーカーではなく、BMW Motorradやドゥカティといった他の海外メーカーでもなく、ハーレーであったことが、です。

LiveWire
ハーレーダビッドソンは、今年創業111年めを迎えた老舗のモーターサイクルメーカー。なかでもその特徴はドッドッド!という独特の鼓動感を味わえる空冷Vツインエンジンが心臓であること。環境の変化とモーターサイクルの進化から、ハーレーダビッドソンが創出するモデルにも変化が出てきており、古き良き時代を知る人、またビンテージモデルのオーナーなどは「今のハーレーは、ハーレーじゃない」というネガティブな声を発するほど。そうした議論が起こることもまたハーレーダビッドソンの魅力ではありますが、この電動バイク計画はそうした議論すら一気にすっ飛ばしてしまった勢いがあります。

世界の進化の速さを痛感した次第です。

昔のハーレーダビッドソンなら、「水冷エンジン? 電動バイク? ウチには関係ないね。そんなものは他メーカーにでもまかせておけばいいさ」といった強気の姿勢で、自身のアイデンティティである空冷Vツインエンジンのモデル開発に勤しんでいたことでしょう。しかし、昨年発表された空冷機能搭載の「ツインクールド ツインカムエンジン」の発表や、水冷ストリートモデル「ストリート500 & ストリート750」の登場など、その歴史に変化が生まれていたのは事実。特にこうしたプロジェクトは、7〜8年ぐらい前から動き出しているものですので、この電動バイク計画構想は少なくとも10年ほど前から生まれていたのでしょう。

(左)ツインクールド ツインカムエンジン (右)日本導入予定のストリート750
ハーレーダビッドソンが先陣を切った印象ですが、おそらく他のモーターサイクルメーカーも次々と試験的な電動バイクを発表してくるでしょう。特に、電動バイクというものともっとも縁遠いと思われていたメーカーが先んじたという事実が他メーカーに刺激を与えたことは間違いありません。これを機に、世界のモーターサイクル市場は激化することと思われます。

ビンテージハーレーダビッドソン
一方で、今回の電動バイク計画はハーレーダビッドソンのこれまでの歴史を鑑みるに、ともすれば真逆とも言える急展開であること点も無視できません。111年という歴史から生まれたモーターサイクルを愛するファンは世界中に多く、おそらく彼らは戸惑いをもってこのニュースを聞いたことでしょう。

懐古主義か、さらなる進化か。

カンパニーは後者を選び、迷わず突き進んでいる姿勢を打ち出しました。市場においてどんな反応があるかはまだ分かりませんが、少なくとも世界的企業として未来を構築する責務があり、この計画を進めることで、まだ見ぬ“未来のハーレーダビッドソン”の姿を模索していくことでしょう。

米ハーレーダビッドソン社でのイベントにて
個人的には、賛否どちらでもなく、未来における市場の声に判断をゆだねるといったところです。ただ、111年という歴史はどこのモーターサイクルメーカーも持ち得ぬ深みがあり、そのなかで生み出されたモーターサイクルによって無数の笑顔が生み出されてきたことを思うと、継承していくべき歴史に対するリスペクトを忘れずにハーレーダビッドソンらしい進化を遂げてほしいと願うばかりです。

今回のハーレーダビッドソンの試みは将来的な電動ハーレーの市販をにらんだ計画で、まずは2014年末にかけてアメリカ国内の30ヶ所を超えるディーラーに持ち運び、一般ユーザーに実際に試乗してもらってその声を受け、開発陣にフィードバックしていくという流れだそうです。おそらく今年11月のイタリア・ミラノで開催される世界最大のモーターサイクルショー『EICMA(エイクマ)』にも登場することでしょう。現時点では日本に上陸する予定は未定。この試験車、来ることがあったとしても来年以降じゃないでしょうか。

また、この電動ハーレーは、映画『アベンジャーズ2 エイジ・オブ・ウルトロン』の劇中にてブラックウィドーが実際に乗っているというリーク情報が流れています。アメリカでは2015年5月1日公開予定だそうで、スクリーンで観る電動ハーレーはまた迫力のあるものになるでしょう。これも楽しみのひとつですね。


2014年6月18日水曜日

イタリアの閂は地中海を越えて

【2014 ワールドカップ ブラジル大会 1次リーグ グループH ベルギーvsアルジェリア】

イタリアの閂(かんぬき)は、地中海の向こう岸にたどり着いていたようです。

近年、有能な若手選手を多く輩出しているヨーロッパの古豪ベルギー。勢いに乗っている彼らを中心に組み立てられた代表チームは、それまで“世界の壁”を敗れないでいたこの国をリフレッシュさせ、一気に世界の檜舞台へと駆け上がってきたのです。今大会におけるベルギーは、もっとも期待値が高いダークホースとして注目を集めていました。

初戦の相手は、アフリカ北部の地中海に面したアルジェリア。ジネディーヌ・ジダンの出生国であることは有名ですが、W杯本大会に顔を出す国ではあるものの、カメルーンやコートジボワール、ガーナなどと比べると派手さに欠けるというか、イマイチぱっとしない印象でした。選手の名前だけ見比べても、明らかにベルギーの方が格上。今大会で暴れ回るであろうベルギーが弾みをつける試合となるか……試合前、そんな夢想をしていました。

開始からまもなく、ことがそうカンタンではないことを思い知らされます。

ベルギーの選手がハーフウェイラインを越えてきても、なかなかプレッシャーをかけにいかないアルジェリア選手。そのままアタッキングサード(ピッチを三等分した際の敵寄りのゾーン)へと侵入……した途端、ボールホルダーに対して3人のアルジェリア選手が詰め寄ってきて囲い込み、瞬く間にボールを狩ってしまうのです。自陣ゴール前での守備に人数を割いているため、ボールを奪ってもロングボールを蹴ってそれをフォワードが追いかけるだけという単調なカウンターになってしまうのですが、バイタルエリア前に張られた守備ブロックは堅牢。アザールやデンベレ、デ ブライネといったテクニックに秀でた選手が切り込もうにも、あまりに緻密な守備ブロックのためにまったく突破できず。ボールをまわすベルギーが、アルジェリアの守備陣を睨めつけながら攻めあぐねる、という時間が続きました。

これ、カテナチオですやん。

イタリア語で「閂」(かんぬき)を意味するカテナチオは、ゴール前に人数を割いて徹底的に守り切る一昔前のイタリア代表の守備スタイルのこと。近年のイタリアは攻撃サッカーを標榜するプランデッリ監督のもと、スタイルチェンジを模索し徐々に浸透しつつあるようで、かつてのカテナチオ戦法は影を潜めるようになりました。まさかそのイタリアの閂が、地中海を越えた北アフリカの地にたどり着いていたとは知りませんでした。




■4年前の日本代表と姿が重なる
「絶対に失点は許さない」、そんな強烈な意思を感じさせるアルジェリアが選んだリアリストの戦法。奔放で身体能力を前面に出したプレーのイメージが強いアフリカンながら、勝利に徹するため組織プレーに準じ、それぞれが自身の仕事を完遂して勝利を手にしようとしていました。前半のPKはかなりラッキーパンチでしたが、そうした要素も勝利のための選択肢としてプログラミングしていたアルジェリア。アフリカンといっても、アルジェリアは地中海に面した北アフリカの国で、海の向こうはもうヨーロッパ。あまりアフリカの色合いが濃くはないのかもしれませんが、ここまでチームとしてまとまり、組織プレーに準ずることができるとは、正直驚きでした。

残念ながら、その組織戦術は90分持たず、守備の綻びを突かれて2失点、逆転を許し惜しくも初戦を落としてしまったアルジェリア。相手のスキを逃さなかったベルギーのしたたかさにも大いに感心させられましたが、今大会注目のチームを向こうに回して冷や汗をかかせたアルジェリアの戦いぶりが印象に残りました。

よくよく考えれば、このアルジェリアの戦い方って4年前の南アフリカW杯に挑んだ日本代表によく似ているんですよね。ここまで大雑把な攻撃ではありませんでしたが、田中マルクス闘莉王や中澤佑二を中心とした堅牢なディフェンスをベースに、阿部勇樹というアンカーを前に置き、鉄壁の守備網を敷いたのです。攻撃はキープ力のある本田圭祐を1トップに抜擢、両サイドには同じくキープ力に秀でた松井大輔と大久保嘉人を配し、激しいアップダウンを要する運動量を求め、数少ないチャンスを活かして勝ち抜こうとするカウンター戦法でした。

それまでの親善マッチでまったく結果がついてこなかったことから、追いつめられた感があった岡田武史監督がギリギリで選んだ、当時の日本代表メンバーの能力を最大限に活かした“勝利に近づく”ための戦術。結果的にベスト16という好結果を引き出すことに成功しましたが、その決勝トーナメント一回戦であるパラグアイ戦において、“両翼”の松井と大久保のコンディションが限界に来ており、グループリーグ3試合のようなパフォーマンスを発揮できずに敗れ去るという「日本の限界を思い知らされた結果」でもありました。

そうした背景もあり、「南アフリカでの教訓を踏まえ、ベスト16の壁を破れる強い日本代表をつくる」として4年間強化をしてきたわけですが、当初の志を失ってしまったのか、その道中で「この歩み方、なんかおかしくね?」という声があったにもかかわらず日本サッカー協会は目を背け、ただ4年間を費やしただけの日本代表をブラジルの地へと送り込んでしまいました。ええ、まだ2試合ありますが、結果は推して知るべし。

自分たちの実力を客観的に分析することなく、「コートジボワールだろうがどこだろうが、俺たちは勝てる!」と過信した日本と、自分たちの実力を鑑み、初戦であたる強豪国ベルギーに対して「一太刀浴びせたい」とリアリストに徹したアルジェリア。結果は同じ1-2での敗戦でしたが、そのあとに残った手応えという意味で言えば、大きな差があると思います。

2014年6月17日火曜日

ミッション:インポッシブルに挑む日本代表

■スモールフットボールこそ日本の強みだが
東洋経済オンラインに掲載されていたスポーツライター木崎伸也さんのコラム「日本代表の敗戦は、偶然ではなく必然だ」での分析が興味深かったので、彼のコラムをもとにさらにもう一歩踏み込んだ分析をしてみたいと思います。

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>> [東洋経済オンライン]日本代表の敗戦は、偶然ではなく必然だ

(1)ザック戦術の大前提となるプレスがかからなかった
 ザッケローニ監督は攻撃的サッカーを掲げているものの、その戦術指導の中で最も優れているのは守備の方法論だ。場面ごとにやるべきことを細かく教え、それを統合してチーム全体を“プレッシング・マシーン”に仕立て上げる。労を惜しまないチェックによって相手をサイドに追いつめ、選択肢を狭めたところでボールを刈り取る。今大会に向けた準備期間、ザック流プレスのおさらいを入念に行なった。

 だが、コートジボワール戦では、その自慢のプレスがまったくかからなかったのである。
(中略)
 チームとして本気でボールを奪いに行くのであれば、中盤の選手が援護射撃をすべきだったが、後ろにいた選手たちはそこまでのリスクを冒そうとはしなかった。
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確かに、前線のふたり(大迫勇也選手と本田圭祐選手)は懸命にチェイシングしていましたが、中盤以降の選手は相手がハーフウェイラインを越えてきてもまだプレッシングをかけませんでした(それが原因だったのか、ふたりの運動量はまたたく間に激減しましたね)。

ここで疑問がひとつ湧きます。「どこからボールを獲りにいくのか」という約束事がチームで共有されていたのか否か、です。

日本代表が理想としている戦術
日本代表の特徴は、プレッシングを核としたコンパクトなサッカー。諸外国と対戦する際、小柄な日本人選手は上背でもリーチでもフィジカルでも分が悪いシーンが出てきます。一方で日本人の強みと言えば、豊富な運動量と組織プレーに尽くす献身的なメンタル、そしてスピーディで精度の高いパスワーク。デメリットを補いつつメリットを最大限に活かすための戦術として、フォワードからディフェンスラインまでの距離を詰めに詰めたコンパクトなゾーンを形成するスモールフットボールが基盤です。相手ボールホルダーに対して2人(多いときには3人)でボール狩りに行き、奪ったと同時にショートカウンターを見舞う。日本代表が“流れのなかでゴールを奪った”シーンのほとんどが、このボール狩りからのショートカウンターでした。

■チームとしての約束事がなかったのか……
この戦術を採用するにあたり、生命線となるのが「どこからボールを奪いにいくのか」、いわゆるチームとしてのスタートラインをどこに設定しているのか、です。ショートカウンターがひとつの攻撃の型なのであれば、そのスタートラインはハーフウェイライン前後となるでしょう。より高い位置でボールを奪えた方が、相手ゴールまでの距離が短くて済みます。また相手DFに守備陣形を整える時間を与えませんし、確率論で言っても、ゴールを奪えるパーセンテージは飛躍的に向上するわけです。

好調時の日本代表の試合を俯瞰的に見てみると、フォワードからディフェンスラインまでの距離が短いことに気付きます。おそらく設定数値は11〜12メーターほどでしょうか。そしてセンターサークル付近の相手ボールホルダーに対して素早い機動力をもってミッドフィルダー陣が襲いかかります。そこをしのいだとしても、背後からディフェンダーが詰め寄り、奪ったと同時にサイドまたは空いたスペースへと中距離パスで展開、相手ゴール前へと運ばれていきます。

この戦術の代名詞的存在が、長谷部誠選手と今野泰幸選手です。特に今野選手は上背こそないものの、鋭い読みで幾度と相手の攻撃の芽を摘んできました。彼がコートジボワール戦のスタメンに入っていなかったことは驚きでしたが、それだけ森重真人選手のコンディションが良かったというザッケローニ監督の判断なのでしょう。

話を「ボール狩りをするスタートライン」に戻しますが、確かに木崎さんの言うとおり、前線のふたりと中盤以降の動きが連動していなかったのは、試合を観ている人なら誰でも分かったこと(その結果、どんな弊害が起こるのか……については木崎さんのコラムをご参照ください)。しかし、こういう戦略は監督主導のもと、事前にチームで共有されているのがサッカーの常識。4年間もほぼ固定メンバーでやってきた日本代表なら、“詰めどころ”はスタメンのほとんどが理解していて当然です。

理由はどうあれ、チームとしての約束事が統一されていなかったという事実だけが残りました。木崎さんのコラムにこうあります。

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 ザックジャパンはこの4年間、プレスの練習に継続して取り組み、いい守備ができたときに、高いパフォーマンスを発揮してきた。高い位置でボールを奪えると、縦に速い攻撃をできるからだ。だが、言い換えれば、いい守備ができないと、パフォーマンスが著しく落ちるということでもある。

 その一方で、本田や遠藤保仁は自らの技術力と発想力を生かすために、緻密なパス回しによる崩しに取り組んできた。
(中略)
 だが、それを完成させるには時間が足りなかった。緻密なパス回しは発展途上のまま大会を迎えてしまう。
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4年間率いて「時間が足りませんでした」? 「高値がつくと思ったんですけどねぇ」とトンズラこく先物取引詐欺の話かと思いましたよ。選手がどれだけわがままであったとしても、チームとしてプレーすることを求め、マネジメントするのが監督の仕事です。世界にはもっと聞き分けのない選手を抱えたチームが存在しますし、エース級の選手と対峙してもチームづくりに従事する監督は大勢います。そういう意味では、ザッケローニは指揮官……というよりは、組織の長としての仕事ができていなかったということ。この人に年俸2億7000万円(推定)を4年間支払い続けてきていたかと思うと、目眩がする想いです。(ちなみに、今大会の大番狂わせのひとつを起こしたコスタリカのホルヘ・ピント監督の年俸は約4500万円だそうです)


■やるべきことは明確
「実は、今まで割りと行き当たりばったりな戦い方をしていたから」、「ザッケローニが戦術を浸透しきれていなかったから」、「W杯本番のプレッシャーで萎縮してしまい、普段どおりのプレーができなかった」などなど、推測だけで言えばいくらでも要因は出せます。でも、それをこうした場であげつらって「だから○○○が悪い」と批判しても、日本代表というチームの状態は良くなりません。

大事なのは、原因を明確にし、“それを解消して次につなげること”です。

「チームとしての戦い方のオプションがひとつしかなかった」と言われていますが、こんなことザッケローニ体制になってからこれまで何度も言われてきたことです。一年前のコンフェデレーションズカップでその弱点をさらけ出し、監督解任説まで出たにもかかわらず、日本サッカー協会は続投という判断を下し、ここまで来ました。正直、「何を今さら」と言いたい。本田の1トップの後ろに大久保、香川、岡崎が並ぶ“4年前の守備戦術への回帰”はタチの悪いジョークにしか見えませんでした。結局、日本代表は4年前から何も進歩していなかった。その本質に気付いていたのはほんの一部の識者だけで、彼らの叫びは日本サッカー協会の胸には響いていなかったのです。申し訳ないですが、サッカー協会は素人じゃないんですから、「ザッケローニの力量を見極められませんでした」などと言う言い訳は通りません。この功罪はとてつもなく大きいと思います。

調子が良いときの日本代表なら、次戦のギリシャは決して難しい相手ではないはず。しかし一方で、これ以上ない完敗を喫したチームが精神的に立ち直れているのか、どん底から一気にピークの状態までメンタル面を回復できているのかは甚だ疑問です。本田選手は「メンタル面の問題だけだから、修正は可能」と強気の発言をしていましたが、ほかの22人が同じようにV字回復させられるかと言われれば、ほぼ無理でしょう。“負け方が悪すぎる”“もともとムラっ気があるチーム”“監督までが動揺している”など、克服するには困難すぎるポイントが多すぎます。でも、可能性はゼロではない。大会後の成長につなげるためにも、ザッケローニはじめ日本代表の面々にはできうる限りの対策を講じていただきたい。

チームをマネジメントしているザッケローニ監督が原因を受け入れ、チーム全体で共有し、そして誰もが納得できる解決策を提示して修正に腐心すること。シンプルですが、唯一の立て直し方法だと思います。次のギリシャ戦でそのポイントが修正されているか否か、僕はそこに注目したいと思います。

2014年6月15日日曜日

初戦敗退は事実上の終戦?

データを見ても予選突破は困難
2014年W杯ブラジル大会、日本は初戦のコートジボワールに逆転を許し、1-2で敗れました。もちろん、まだグループリーグは2試合が残っているので「これで終わり」ではありませんが、football web magazine Qolyに興味深いデータが出ていたので、それと合わせて今後を検証したいと思います。

>> 【データ】W杯初戦に敗れたチーム、勝ち抜けたを決めたのはわずかに8.7%

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■初戦で勝ったケース
突破:38例(84.4%)
敗退:7例(15.6%)
合計:45例

■初戦で負けたケース
突破:4例(8.7%)
敗退:42例(91.3%)
合計:46例

■初戦で引き分けたケース
突破:22例(59.4%)
敗退:15例(40.6%)
合計:37例

※出場国が32ヵ国になった1998年からの全128例が対象
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データをもとに考えると、初戦を落とした日本がグループリーグを突破する確率は8.7%。ちなみに2010年南アフリカ大会で初戦を落としながらグループリーグを突破したのは、優勝したスペインだけでした。

極めて困難な状況だと言わざるを得ません。もちろんデータはあくまで目安であり、日本が例外となる可能性も大いにあります。特に昨今の世界におけるサッカー事情は以前と大きく異なってきており、「W杯優勝国は開催される大陸から出る」というジンクスも眉唾もので、1998年仏大会のフランス、2010年南ア大会のスペインと初優勝国が近年で2ヶ国も出るなど、あらゆる意味でボーダレスな世界になってきています。

さりとて、W杯なのです。

大会がはじまって3日が経ちましたが、逆転試合の多さもさることながら、ここまでの試合を通じて特に感じさせられるのは「チームの完成度の差」です。開催国ブラジルは綿密な計画のもとチームづくりを進めてきたからこその完成度を見せつけました。ほか、「これは」と思わされたのがチリとコスタリカ。

チリは、サンチェス(バルセロナ)やビダル(ユヴェントス)といったワールドクラスの選手がいますが、その戦い方を見ていると彼らに依存しないチーム全体での統一感が感じられるものでした。コスタリカにはルイスというスター選手がいますが、全体的に見れば小粒な印象が否めません。しかしここもチームとしてまとまっており、あの強豪ウルグアイとの初戦で先制を許すも、連動性のある攻撃で3点を奪い逆転に成功するなど、ブレない戦いぶりに好感が持てました。当たり前の話ですが、サッカーはピッチにいる11人が連動して初めてプラスアルファの力を発揮できる競技。強豪国を向こうにまわしてジャイアントキリングかましてやろうと思うなら、個人の能力で対抗するのではなく、チームとしての完成度で立ち向かうべき。チリとコスタリカの戦い方は、そのことをはっきりと証明してくれていました。

日本本来の強みが瓦解
コートジボワールと対戦した日本について、ダメ出しをすればいくらでも出てくるのですが、なかでも特に悪かったのは「走れていなかった」こと。降雨によるスリッピーなピッチコンディションや湿度の高さなど環境面がなかなか困難だったことはテレビを通じても窺い知ることはできましたが、それは対戦相手のコートジボワールも同じこと。言い訳にはなりません。

4年間かけて準備してきたチームが“走れない”とは、理解に苦しむところです。「サッカーで走るのは当たり前のこと」とはイビチャ・オシム氏の言葉ですが、本ゲームでの日本選手の走行距離がデータで出れば、コートジボワールの選手よりも少ないのはもちろん、過去の親善マッチでのデータと比較しても、下から数えた方が早いものとなるでしょう。

何のために走るのかと言われれば、味方のためです。バルセロナではボールホルダーに対して2つ以上のパスコースを保持するためのポジション取りを選手に要求すると言います。いわゆる“パス&ゴー”(「パスを出したら、足をとめずに次のスペースに向かって走れ」という論理)で、サッカーでは小学生クラスから教えられる基本中の基本。しかし、コートジボワール戦ではボールホルダーが前を向いても、連動して走り出す選手が極めて少なかった。

加えて、目に余るほどのパスミスの多さも。本来パス精度の高さは日本の強みなのですが、走り込んでも敵にインターセプトされる、または明らかなミスパスで敵にボールを“渡す”など、自らチャンスの目を摘んでしまっている場面が多々ありました。これでは走った選手もただ疲れてしまうだけですし、ボールを奪われる=カウンターを食らうということなので、すぐさま帰陣することを求められます。これが続けば、自ずと足だってとまってしまいます。

「パスコースをつくるためにランする」、「そのランと連動してパスをつなぐ」、これによって「選択肢を増やして攻撃に幅を持たせる」ことへとつなげていけます。いくら練習時間が限られた代表チームだからといって、W杯本戦、しかも初戦でこの有り様はあり得ない。アフリカンとの試合だって、この4年間でどれだけやってきたことか。「急造チームでした」と言ってくれた方が、よほど救われます。

課題を鑑みるに立て直しは不可能
日本サッカー本来の特徴がここまで瓦解したわけですから、次のギリシャ戦までの4〜5日間で根本的に立て直せるかと言われれば、答えはノーです。「審判の判定が相手寄りだった」や「絶好のシュートがポストに嫌われた」、「相手キーパーが当たりに当たっていた」などアンラッキーな要素で敗れたなら「自分たちを信じよう。このスタイルを貫こう」と心を強くし、変わらぬ姿勢で次戦に挑むべきですが、チームとしての根幹が揺らいだ今の日本代表チームは、メンバーをごっそり入れ替えるぐらいの荒療治をせねばならないでしょう。

それでも、8.7%の可能性を破る力があるとは思えません。

本田圭祐の先制ゴールには喜びの叫びをあげましたし、複雑な心境ながら「もしかして勝ちきれるのか」とも思いましたが、結果はご覧のとおり。残り2試合も観戦しますが、結果は推して知るべし。世間では「まだ2試合残っている!」と息巻いている方も多いと聞きますし、僕みたいなことを言う人間は悲観論者として非難を受けることでしょう。しかし、我が国の代表チームがこの体たらくで敗れ去ったのを見て「まだ2試合残っている!」と叫ぶのは、4年間かけて90分間走れないチームだという事実を突きつけられたにもかかわらず「ギリシャとコロンビアには勝てる!」と言っているようなもの。それ、対戦相手はもちろん、W杯への敬意も欠いていませんか?

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。

大会後にはさまざまなメディアが敗因を羅列することと思います。それはそれできちんと反省し、次の勝利へつなげるための努力をすればいいのです。これでW杯への挑戦権が奪われるわけではないのですから。

敗戦は糧です。4年後の勝利につなげるため、自分たちにできることをやりましょう。残り2試合? 淡々と観戦しますよ。どんな試合になるとしても、これからも日本サッカーになにがしか寄与したいと願う人間として、観戦する義務があるから。
 

2014年6月13日金曜日

ワールドカップ初戦で世紀の大誤審?

いよいよ始まったW杯ブラジル大会。その開幕戦はブラジルがクロアチアを3-1で下すという開催国の面目躍如といった感じでスタートを切りました。

さてこの試合、日本でも大いに注目を集めましたが、それは本ゲームのジャッジを主審の西村雄一さんをはじめとする日本の審判団が務めたこと。サッカー王国でのW杯開幕戦を日本人が仕切るという、私たちにとっては“もうひとつの日本代表”が活躍する姿を見られる栄誉とも言えるゲームでした。

そんな開幕戦のジャッジについて、批判の嵐が渦巻いています。特に議論の的となっているのが、後半24分、ブラジルに与えられたPKの判定です。ペナルティエリア内でクロアチアDFを背負ったブラジルFWフレッジがゴールを背にボールを受けると、突然彼が苦悶の表情を浮かべて崩れ落ちました。DFロブレンは「触っていないよ」と両手をあげてアピールするも、西村主審は迷わず笛を吹き、ペナルティスポットを指差したのです。

クロアチアのイレブンは、ロブレンにイエローカードを提示する西村主審に猛烈抗議。しかし判定は覆らず、重圧のかかる逆転のペナルティキックをエース ネイマールが強引に押し込んで、セレソンを勝利へと導きました。

試合後、ニコ・コバチ監督はじめ、クロアチアの面々や世界のサッカー界の識者が苦言とも言えるコメントを発表。私たち日本を代表する審判団は一転、批判の的となっています。

結論から言えば、西村主審がフレッジに騙されたってだけです。

リプレイを見ると、確かにロブレンはフレッジに接触していますし、手もかかっています。しかし、あそこまでもんどりうって倒れるような接触プレーではありません。完全にフレッジがPK狙いの演技……シミュレーションを仕掛けたわけです。

正直、フレッジのシミュレーションはあまりレベルの高いものではありませんでした。言うなれば“大根役者”。「おいおい、もっとうまくやれよ」と言いたくなるもので、ヨーロッパや南米のリーグで笛を吹いているベテランレフェリーなら速攻で見抜いてフレッジに「非紳士的行為」としてレッドカードを突きつけていたでしょう。ところが西村主審は騙されてしまった。

こういう話になると、「彼の経験が浅い」とか「Jリーグやアジアのレベルが低いから」といったナイーブな反応が出てしまいがちですが、僕はそうは思いません。なぜなら、この試合はW杯の開幕戦だったからです。開催国が威信をかけて立ち向かう極めて重要な試合で、6万人を超える大観衆が見守る世紀の一戦の笛を吹くわけ……重圧がかからないほうがどうかしています。もしこれがただの親善マッチだったら、“ベテランのブラジル人”フレッジを西村主審が警戒しないわけがありません。しかし、それをもかき消してしまいかねないプレッシャーがかかっていたと思うのです。南米vsヨーロッパという構図からアジアの審判団、しかも信頼性の高い日本の審判団を選んだFIFAのジャッジにも納得です。

当然、クロアチアからすれば「あの程度のプレーも見抜けないなんて」、「たまったもんじゃない」という声は当然出るでしょう。彼らにすれば、グループリーグを突破するには初戦勝利は絶対条件、しかし相手は開催国にして優勝候補筆頭のブラジル。水も漏らさぬ戦術を練ってきたわけですから、誤審などで勝利の芽を摘まれたとあっては黙っていられるはずがありません。しかし、こうした判定もサッカーの常。FIFAがなかなかビデオ判定制度を導入しないのも、「“人間の目”という不確定要素に左右されることもまたサッカー」という理念があるから。もしこれが日本戦で起こったら僕も声を荒げるでしょうが、下った裁定が覆らないのであれば、次に向かって進むほかありません。

ブラジルにはマリーシアという言葉があります。日本語に訳すと“ずる賢い”という意味になり、ぱっと聞いただけでは「卑怯なやつだ」と思われることでしょうが、諸外国においてはそうした“ずる賢さ”も“頭の良さ”のうちに含まれると言います。日本には武士道から始まる「正々堂々」「真っ向勝負」「一対一」という理念が存在し、それは我が国の美徳として誇らしくありますが、世界の檜舞台においては「結果がすべて。騙すか騙されるか、騙されて負けたとしたら、それは騙されたやつの実力が足りなかったんだ」という論理がまかり通ります。綺麗ごとだけで勝てるほど勝負事は甘くない、敗戦後に何を言ったって負け犬の遠吠えでしかない……そういう意味なのでしょう。

かつて日本を代表する柔道家としてオリンピックの金メダルを独占した山下泰裕さんは、とあるインタビューで「外国人にはずる賢さがない」と答えていたそうです。「日本人にはマリーシアが足りない」と言ったのは、当時Jリーグ・ジュビロ磐田に所属していた現役のブラジル代表主将のドゥンガでした。その頃から考えれば、世界のサッカーシーンで戦う日本人選手はずいぶんずる賢くなったと思いますが、それでもまだまだナイーブな面が顔をのぞかせるシーン、珍しくありません。

今回の騒動については、フレッジのプレーが巧妙で、西村主審がそのずる賢いプレーを見抜けなかった。そういうことだと思います。日本サッカーは、選手も審判もまだまだ発展途上なんだと痛感した次第。だからといって失格の烙印を押されたわけではないのですから、今は打ちひしがれているであろう西村主審には、再び顔をあげて次の試合で最高のジャッジを見せて欲しいと切望します。

世界が注目する世紀の一戦で笛を吹く——。これほどの重圧と批判の嵐にさらされた日本人を僕はちょっと知りません。この西村雄一さんは、今後間違いなく日本を代表する偉大な審判として活躍されることと思います。
 

“ふたりの王様”を持つセレソンの悩み

【2014 ワールドカップ  ブラジル大会 開幕戦 ブラジル vs クロアチア】

エース ネイマールの2ゴール、そして終了間際のオスカルのゴールでクロアチアを退けた開催国ブラジル。正直、逆転となったPKの判定はフレッジのシミュレーションにしか見えませんでしたが、ホームタウンデシジョンということで受け入れるほかないなぁ、というところです。優勝が義務づけられているとも言えるセレソンとしては、初戦を飾れたことで胸を撫で下ろしたのではないでしょうか。

一方で、チームとしての悩みも垣間見えました。試合を通じて好調だったオスカルをうまく使い切れていないよう。原因はカンタン、オスカルと同じクラッキとして、ネイマールが中心に君臨しているから。要するに、プレーがバッティングしているんです。

ボールに多く触れてリズムをつくり、チーム全体のプレーにアクセントを加えられるクラッキ(名手)。ファンタジスタとは違うタイプのプレーメーカーを指し、ガリンシャやロナウジーニョなどブラジルはこの手の選手を多く輩出してきました。ネイマール、オスカルともにクラッキタイプと言えます。

ネイマールの実力も一級品ですが、一ヶ月という開催期間に決勝戦まで7試合というスケジュールを考えると、右サイドでひとりボールを持ってもカンタンに取られず、独特のタッチでクロアチアDF陣をきりきり舞いにさせるほどのコンディションの良さを見せたオスカルは、間違いなく今大会のキーマンとなるでしょう。それこそ、セレソン浮沈のカギを握ると言っていいほど。しかし、チームの王様はネイマール。ここに、セレソンの贅沢な悩みが見えたよう。

とあるプレーのこと。加速したオスカルがネイマールに一旦ボールを預け、ペナルティエリア内に一気に走り込みました。おそらくオスカルには彼なりの“崩しのイメージ”があり、ワンツーでボールを受けたかったのでしょう。ところがネイマールはそのままボールをキープ、プレーの流れを止めてしまい、「どうしてボールを出さない!」と叫ぶオスカルの姿が印象に残りました。

思い出したのは、2000-2001シーズンのイタリア・セリエAにおけるA.S.ローマ。当時ペルージャから加入した中田英寿は好調を維持、ファビオ・カペッロ監督やチームメイトからの信頼も厚かったのですが、ローマには“エル・プリンチペ(王子様)”フランチェスコ・トッティがいました。実力、コンディションという点で見ても中田が中心選手になっても不思議ではなかったのですが、トッティを外すというのはローマがローマでなくなることを意味し、禁断の選択とされたのです。伝統あるローマというチームゆえのジレンマでしたが、カペッロはトッティをレギュラーに、中田をその控え(またはその後ろのポジション)にするというマネジメントを選択。

王様がふたりいる際、どちらを中心に据えるか。

今回のセレソンにはそんなジレンマが潜んでいるように見えます。実力で言えば、オスカルもネイマールにひけを取らないものを持っています。加えて、初戦からリズムよく入っていけているわけですから、彼をチームの中心に据えていけばチーム全体にいい波が伝わり、勢いに乗っていけることでしょう。しかし、今のセレソンにはネイマールという王様がすでに存在している。スコラーリ監督がどちらを使うか、というシンプルな二択のように思えますが、開催国であり国民の期待やさまざまな思惑が交錯していることを考えると、ことはそうカンタンでもないでしょう。

もちろん、ネイマールとオスカルのふたりがリズムよく交われればいいんですが、自分のリズムがあってこそのクラッキ同士、それはなかなか困難だと言えます。かといって、どちらかが自分を殺して合わせるとしたら、クラッキとしての持ち味そのものを失うことになる。これはチームのみならず、プレーヤー個人にとっても損でしかありません。

ネイマールが交代でピッチを去った試合終了間際、カウンターからゴールを決めたオスカル。バイタルエリアのあの位置からトゥキック(つま先でのキック)でゴールを狙うセンスと自信もさることながら、そのゴールまでの流れのなかで彼がいたポジションは、それまでネイマールの領地となっていたピッチの中央部分でした。

はたしてスコラーリ監督が“勝利の波”を手にするために、この先どんな選択をしていくのか。心中察するとともに、興味深く見ていきたいと思います。

いや〜、やっぱりワールドカップは面白い!
 

2014年6月10日火曜日

伝統芸能としての日本のサッカーとは

ハーレーライダーを迎えるミルウォーキーの少女たち
昨年8月、創業110周年を迎えた米ハーレーダビッドソン モーターカンパニー社のビッグイベントを取材しに、アメリカにある本拠地ミルウォーキーまで行きました。ハーレーに乗るアメリカ取材はこれが初めてではありませんでしたが、H-D本社やハーレー製造工場、H-Dミュージアム、そしてアニバーサリーイベントと、ミルウォーキーという街がハーレー一色に染まるビッグイベントに足を踏み入れたのは初体験だったので、そのスケールの大きさに圧倒されました。

街を貸し切ってのパレードにポリスが登場!
とにかく日本とスケールが違いすぎます。モーターサイクルという日本では特異性の高い趣味の世界がここまでクローズアップされるなんて、これまでの人生では考えられないことでした。いちメーカーが110年続いているということ自体も驚きですが(独BMW Motorradで昨年90周年、伊ドゥカティでまもなく90周年。本田技研でさえ昨年創業50周年です)、そんなメーカーの創業祭ということで街ひとつを3日間も貸し切り状態にできるという事実がスゴい。日本で同じスケールがあるとしたら、青森ねぶた祭りといった歴史的な伝統芸能とも言えるビッグイベントでしょうか。そりゃ100年以上続いているんだから、ある意味伝統芸能だなぁ、とも思いますが、さすがはエンターテインメントの国というところです。

ハーレーダビッドソンが文化——カルチャーとして根付いていると実感した次第でした。特に印象的だったのが、ミルウォーキーでの3日め、世界的ロックバンド『エアロスミス』のライブが行われるときのこと。会場内を散策していたところ、とある老夫婦に話しかけられました。

「ようこそ、アメリカへ。あなたはどこから来たの? 日本、そう、よく来てくれたわね。あなたはハーレーに乗っているの? まぁ、乗っているの。それは素晴らしいことだわ。ミルウォーキーを楽しんでいってね」

ハーレーに乗るお父さん、カッコいいっす!
“ようこそ、アメリカへ”という言葉が印象的でした。日本における自身の日常ですれ違う外国人に「ようこそ、日本へ」って言ったことはないなぁ、と。こうした他愛ない会話でも立派な国際交流です、でも僕自身もシャイな日本人なためか、なかなかそういう風に声をかけることってありません。おそらく声をかけてくださった老夫婦は、自分が住んでいる国、自分が住んでいる街、そして街が生み出した伝統芸能に対して誇りを持っておられるのでしょう。だから、見るからにアジアンな僕を見て「見ろ、アジアからもやってきているぞ」と、嬉しくて声をかけてくださったのだと思います。決して日本に誇りを持っていないわけじゃないですが、彼らのハーレーダビッドソンに対する誇りほどではないのかなぁ、と考え込んだり。

どこの若者も夜遊びは楽しい!
サッカーにも同じことが言えると思います。

先日ここのコラムで、僕は「日本代表のユニフォームは民族衣装だ」と言いました。オリンピックを超えるスケールの世界的ビッグイベント、ワールドカップ。そこに参戦できる権利を手にするのは204の国と地域のなかから勝ち抜いた32ヶ国だけで、誰もが羨むかけがえのない挑戦権です。しかも、熱狂的なサッカーファンだけでなく、普段日常的にサッカーを見るわけではない人もテレビに齧りつくという注目度の高さ。少なくとも日本は、コートジボワール、ギリシャ、コロンビアという国の人々に「これが日本だ、これがアジアだ」という戦いぶりを見せねばなりません。これはFIFAの予選に参加し、数々の強敵を打ち破って出場権を得た国の“責務”だと思うのです。

かつて日本はアジアのなかでもサッカー弱小国として扱われ、“ワールドカップなど夢のまた夢”と笑われていた時代がありました。歴史上もっともワールドカップに近づきながら、あと一歩のところで夢破れた1993年の“ドーハの悲劇”、そしてさまざまなライバル国の意地に打ち負かされそうになりながらも、最後の最後で出場権を勝ち取った1997年の“ジョホールバルの歓喜”。アジア屈指の強さを身につけたからか、5大会連続での出場を果たし、ワールドカップに出ることが当たり前のようになっている感が否めませんが、昔ほどアジア予選に苦しまなくなってはいるものの、ワールドカップの存在意義は変わっていません。にもかかわらず、ワールドカップに挑むことが“近所の花火大会でも見に行く”かのような風潮に感じられる今日このごろ。

日本にはサッカー……スポーツというものが文化としてまだまだ根付いていないんだなぁ、と実感する次第です。

諸外国から見れば、日本のサッカーの歴史なんてほんのわずか。Jリーグが発足して20年ほどで、100年以上の歴史を持つ南米やヨーロッパから見れば、人生経験の浅いひ孫みたいなもの。僕自身も日本人ですし、「ヨーロッパや南米は違うんだ」などと偉そうに叫んだところで、説得力の欠片もないことでしょう。蛍光イエローのユニフォームだって中二病みたいなもんだと思えば可愛いもの、歳を重ねたときに振り返りたくない卒業アルバム程度になればいいと思っています。

ただ、同じ大会に参加する国々への敬意は必要だと思うのです。

強豪国であれ弱小国であれ、どこの国もワールドカップの出場権を獲得するために全身全霊をかけて戦い、敵を打ち負かしてここまで来たのです。もちろん参加するだけで満足している国なんてないでしょう、願わくばジャイアントキリングを達成し、勝ち進んでいって世界をあっと驚かせたいと考えているに違いありません。情報戦はすでに始まっており、サッカーそのものと同じくどれだけ相手を出し抜けるか、どの国の監督も頭をフルに回転させています。

HARLEY-DAVIDSON 110th Anniversary
ザッケローニが何も考えていないとは言いませんが、サポーターがシビアな目を持ち、選手やメディア、サッカー協会に強烈なプレッシャー……今以上に高い要求をし、ザッケローニに今まで以上の働きを強いることはできたんじゃないか、と思うことはあります。そういう意味で言えば、4年前から始まっていたワールドカップへの戦いにおいて、“ワールドカップに挑む心構え”という点では日本は一枚岩ではなかったのかもしれません。まるで3戦全敗でもしたかのような言い方で恐縮ですが、まもなく始まるワールドカップに向けた日本国内の風潮を見るに、ついそんな気持ちになってしまうのです。

その土台となるべきは“文化としてのスポーツ”、“文化としてのサッカー”に対する考え方ではないかと思います。根っこにあるのは「歴史が浅いから」ではなく、将来“伝統芸能として日本のサッカー”を披露するにあたり、必要なことは何なのかを考えることではないでしょうか。その礎が築けるとき、誰もが日本のサッカーというものに対して誇りを抱き、日本という国に対しての誇りを抱き、自信と情熱を持ってワールドカップに挑むことができるのだと思います。

大切なのは、ともに戦う人々への敬意です。

Welcome HOME
日本サッカー界は“Jリーグ百年構想”というスローガンを掲げています。地域におけるサッカーを核としたスポーツ文化の確立を目指しているもので、100年をひとつの目標として地道な活動を続け、“体育ではないスポーツ”を日常のなかに感じ取ってもらい、日々の暮らしが少しでも豊かになるための働きかけをする活動です。別に「絶対に100年かけなきゃいけない」ってわけではありませんが、南米やヨーロッパのサッカーも、ハーレーダビッドソンもそうした年月によって育まれ、地域の人々を幸せにし、かけがえのない誇りをも与えてくれる存在にまでなっているのです。

世界中の人々とともに切磋琢磨できる大会に参加できていることがどれほど幸せなことか。ワールドカップでの結果にかかわらず、ひとりでも多くの人がそのことを感じ取ってもらいたい。そのためには、サッカー日本代表が飽くなき闘争心をもって90分間諦めることなく完全燃焼してくれることが必要です。今、僕が日本代表チームに望むのはそれだけです。