2015年11月25日水曜日

一発屋にすらなれないサッカー日本代表は全然強くない

ここ最近はラグビー日本代表の快挙で大いに湧く日本スポーツ界。バスケットボールなどと同じく、身体能力が多分に影響するこの競技でこの結果は快挙というほかありません。こうしてスポーツへの関心度があがるのは、嬉しい限りです。

さて、ワールドカップと言えばサッカー日本代表も予選の真っ最中。先頃シンガポールとカンボジアを退け、アジア2次予選のグループEで首位に立っています。残り2試合、2位との勝ち点差がわずか1ですので、気の抜けない試合が続きますが、最終予選までコマを進めてほしいもの。

そんなとき、知人からこんな言葉を投げかけられました。

「日本代表って、強くなってんの?」

ううむ、改めてそう言われると、つい「強くなってるよ」って答えてしまいそうになりますが、実に定義付けが難しい。

しかし、明確な物差しはあります。それはワールドカップ。

日本は1998年ワールドカップ・フランス大会にて初出場をはたし、以降5大会連続で本大会出場を決めています(うち2002年日韓大会は開催国にて予選免除)。それまで一度も出場できなかった暗黒時代を思うと、その発展ぶりたるや目覚ましいものがあると言えますね。

そんな我らが日本代表のワールドカップにおける成績は以下のとおり。

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・1998年フランス大会 予選グループ敗退(0勝0分3敗/計3試合)
・2002年日韓大会 ベスト16(2勝1分1敗/計4試合)
・2006年ドイツ大会 グループリーグ敗退(0勝1分2敗/計3試合)
・2010年南アフリカ大会 ベスト16(2勝1分1敗/計4試合)
・2014年ブラジル大会 グループリーグ敗退(0勝1分2敗/計3試合)
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一大会ごとに決勝トーナメントにコマを進めているものの、すべてベスト16止まり。「強いかどうか」の基準をどこに置くかにもよりますが、勢い次第ではベスト8まで進んじゃう国がいることを思うと、ベスト16の壁が破れるほどの勢いすら持てていないと見るならば、世界から見た日本は「強いと言っても、注目するほどじゃない」というところでしょう。

で、せっかくなので、日本が初出場をはたした1998フランス大会から2014ブラジル大会までで、ベスト8に進んだ国をまとめてみました。


日本が出場した1998仏W杯以降のベスト8以上の国
※★は優勝
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■5回(2ヶ国)
ブラジル(1998、2002★、2006、2010、2014)
ドイツ(1998、2002、2006、2010、2014★)
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■4回(1ヶ国)
アルゼンチン(1998、2006、2010、2014)
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■3回(2ヶ国)
フランス(1998★、2006、2014)
オランダ(1998、2010、2014)
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■2回(3ヶ国)
イタリア(1998、2006★)
イングランド(2002、2006)
スペイン(2002、2010★)
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■1回(14ヶ国)
クロアチア(1998)
デンマーク(1998)
セネガル(2002)
トルコ(2002)
韓国(2002)
アメリカ(2002)
ウクライナ(2006)
ポルトガル(2006)
ウルグアイ(2010)
ガーナ(2010)
パラグアイ(2010)
コロンビア(2014)
コスタリカ(2014)
ベルギー(2014)
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複数回を誇るのは、最多5回のブラジル、ドイツを筆頭に、アルゼンチン、フランス、オランダ、イタリア、イングランド、スペインという、名だたる強豪国が並びますね。

5大会分というと、年数にして16年。その16年のあいだに何度もベスト8に進める国というのは、こうした強豪国のみ。クリスティアーノ・ロナウド擁するポルトガルやかつてフォルラン(元セレッソ大阪)に率いられたウルグアイですらたった一回なのです。

そんな強豪国のなかに混じって、名前だけ聞くと「そんな強かったっけ?」という国名がいくつか並びます。セネガル、韓国、アメリカ、ウクライナ、ガーナ、コスタリカなどがそういう印象を持たれるところで、いわゆる一発屋的なダークホース。トーナメント形式の大会では勢いのあるチームが一気に駆け上がることがあり、そのうちのひとつというところです。

大きな花火のように、派手に大輪の花を咲かせた後は、闇夜に消えるのみ。ベスト8進出という経験を生かすも殺すも彼ら次第ですが、言い換えれば、まだ日本が見たことのない世界を見た国々でもあるのです。

そういう意味で言えば、ベスト16止まりの日本は“一発屋にすらなれていない国”となりますね。決して蔑んでいるわけではありませんが、強豪国はもちろんながら、5大会連続出場ながら一度もベスト8まで進めていない国は、世界から見れば“強い、弱いを議論する以前のような存在”でしょう。

思い起こせば、グループリーグで敗退した2006年ドイツ大会と2014年ブラジル大会で共通していた日本代表の言葉は「自分たちのサッカーを」でした。翻って、リアリストに徹した専守防衛のサッカーを展開したのが、ベスト16進出を決めた2002年日韓大会と2010年南アフリカ大会です。

自分たちのサッカーを貫くのは結構ですが、そんなでかい口を叩くのは、ベスト8へ進出してからでしょう。まだ強豪国にツバすらかけられていないのです。守備に関してはある程度のレベルに通用することは立証されたので、“守から攻へ”、ボール奪取からどれだけ速く相手陣内に攻め込めるか、という高速カウンターを身につけるべき。それが、ベスト16止まりの日本がまずやらねばならないことだと思います。

本田圭祐がどうだ、香川真司がどうだ、というのは、日本代表というチームを推し量るうえではディテールの域を出ません。ハリルホジッチ監督についても同様で、彼の現在の手腕よりも「なぜ彼が起用されたのか」が最大の問題。「ベスト8に進むために必要な指揮官としてハリルホジッチが適任なのか」という議論がまったくなされていないことが問題だと思います。

シンガポールに勝った?結構。カンボジアに勝った?結構。内容がよかった?結構。誰それの調子が上向き?結構。

で、ベスト8に進めるんですか?

ワールドカップ・ベスト8というのは、世界における強さをはかる物差しです。その物差しの使用を一度も許されていない日本代表は、強いかどうかを議論するレベルにすら達していないのです。まずは一発屋になる努力からはじめるべき。一発屋だって、誰もがなれるわけではありませんからね。

2015年11月14日土曜日

誰のための大会?野球の国際大会「プレミア12」に疑問

金田正一さん、よく言ってくれた!と、思わず膝をぴしゃりと叩きたくなるニュースがYahoo!JAPANにあがっていました。

>> 金田正一氏 侍ジャパンの解散を提案、今の時期は体を休めるべき

野球の日本代表チーム・侍ジャパンが参戦している「プレミア12」というナゾの国際大会。テレビでその模様を見て、僕も唖然としてしまいました。ようやく長いペナントレースとクライマックスシリーズ&日本シリーズが終わったというのに、休む間もなく目的の分からない国際大会が始まっていたのです。メンバーに阪神タイガースの選手が入っていなかったことに胸を撫で下ろしたトラキチたるワタクシですが、もしメンバー入りしていようものなら激怒モノだったでしょう。

プロとしてその競技の世界でメシを食っている以上、そのパフォーマンスが求められるのであれば全力を尽くすべき。サッカー日本代表がワールドカップやオリンピックに向けて戦いを挑むのも、彼らが活躍する姿をファンや国民が求めるからこそ。それは野球やラグビー、他の競技もすべて同一です。

「なんで侍ジャパンが世界に向かって戦いを挑むことにケチをつけるんだ」

そんな声が聞こえてきそうですが、ここにサッカーと野球の位置づけの違いがあると思うのです。特に今回のプレミア12に関しては「これ、本当にみんなが観たいと思って開催されるものなの?」というところ。

サッカーのワールドカップは、その長い伝統はもちろん、世界一の競技人口を誇るスポーツであることから、オリンピックをもしのぐ規模となり、四年に一度の開催に世界中が熱狂します。近年では「ワールドカップだけでは物足りない」と、サッカーに対して年々制限が変わるオリンピック、そしてクラブナンバーワンを決めるUEFAチャンピオンズリーグにクラブワールドカップと、増加しすぎて選手の静養期間が減少するという問題が起きているほど。

一方野球はというと、ワールドベースボールクラシック(WBC)があるぐらいで、昨今はオリンピックの正式種目から外されてしまいました。あらゆる競技に対して広く門戸を開くオリンピックですが、おそらくサッカーほどの利権がなかったことが外された要因でしょう。

日本でもっともポピュラーなスポーツ、野球。しかし世界規模で見ると、メジャーリーグを持つアメリカという大国が真っ先に飛び込んできますが、それ以外では北中米やアジア諸国、そしてヨーロッパのごく一部でプレーする人が見受けられる程度。サッカーには遠く及びません。

野球に「国際大会をするな」と言っているわけではありません。ただ、そうした一部のファンが結集して求めた声から「プレミア12」が生まれた、とは到底思えないのです。金田さんがおっしゃっているのは、まさにその点。「だったらしっかり体を休めて、ペナントレースに備えさせろ」は正論だと思います。

そもそも、代表に招集される選手はすべてプロ野球チームに所属しています。つまり、彼らに給料を払っているのは球団なのです。その彼らが、代表チームで怪我でもしたら?休養不足でコンディションを崩したり怪我をしやすくなったら?結果的に所属チームに迷惑をかける形となり、ひいてはペナントレースでの結果にも影響します。球団にとっては迷惑以外の何物でもありません。

サッカーに比べて体質の古いプロ野球界です、こういう招集をされれば「行くに決まっているよな?」という周囲の圧力も小さくないでしょう。結果的にそれが選手の成長を阻害しているにもかかわらず、です。

選手やファンが、WBCでの好成績を望み、そのための国際経験の場として「プレミア12」を絶好の機会だと捉えているのであれば、文句はありません。でも、それはまずあり得ないでしょう。ただ、サッカー日本代表に熱狂する(他国と比べると珍しいことではありますが)日本人のナショナリズムを刺激してビジネス化したい、そんな狙いでの開催としか見えませんし、金田さんもそこを突いておられます。

プロスポーツ選手は、消耗品ではありません。

多くの人が、この「プレミア12」という大会が開催されることを知らなかったことでしょう。それぐらい存在意義そのものが疑問視されていい大会で、もっと選手協会や選手個人が「おかしいよ」と声をあげるべき。そしてファンも、テレビで流れている模様をそのまま受け入れるのではなく、「え?なんでオフシーズンなのに代表マッチやってるの?」という疑問を抱くべき。

自身が応援する球団の選手が出ているからといって黄色い声援をあげるのではなく、「おいおい、なんのための大会だよ」という声が出ないことに、驚きを隔しきれません。こんな意味不明な国際大会がまかり通ること自体、スポーツそのものに対する日本人の関心度の低さが表れているように思えます。

2015年10月11日日曜日

ハーレー日本人デザイナー ダイス・ナガオ氏インタビュー #04 Fin

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■自分のすべてをこのアイアンに注ぎ込めた
 ――2016年モデルについて、XL883Rがモデルラインナップから消えたことも日本では話題にのぼりました。
そこに関しては、合理的な考え方からの結論ですね。日本とヨーロッパで人気を得ていたモデルでしたが、世界全体を見渡したとき、やはりアメリカ本土が占める割合が大きく、そのアメリカで支持されなかったゆえのカタログ落ちでした。
確かにアイアンだと、XL883Rのようなバンク角を持つことはできませんが、前後サスペンションのアップグレードでそこに匹敵する性能を持たせられるんじゃないか、という可能性を追求したいと思っています。フロントブレーキもシングルディスクであることにこだわったんです。

――というと?
デザイン上、足すのは結構簡単なんですが、引くのは難しい。13スポークホイールを9スポークホイールにしたのと同じ考え方です。実はこのアイアン開発に際して、ヨーロッパから「ダブルディスクにしてくれ」という要望があったんです。でも、アイアン本来のデザイン性が損なわれてしまうことから、「我々は9スポークホイールのシングルディスクで行く」と強く意思表示しました。
それに、一昨年から導入された新ブレーキングシステムはシングルでも十分なストッピングパワーを生み出せるんです。そこもシングルを押し通すうえでの大きな要素となりました。
一般の人の想いだけでデュアルにするという意味のないことよりも、シンプルさを追求したデザインに落とし込みたかったんです。

――なるほど。
ローターも2ピースに。今の時代、ソリッドのローターはあり得ないと思っているんです。それが2ピースにした理由です。
やっぱりバイクはカッコよくなきゃいけない、という自分のポリシーがありますし、アイアンのカッコよさはミニマムなところだと思うんです。こうしたコンセプトがぶれだすと、ワケがわからないバイクになっちゃうので。

――ダブルディスクにすると、ストッピングパワーがアップする反面、重さもアップします。
このバイクは重さが増えちゃいけないバイクだと思ったんです。

――ローダウンモデルでもきちんとした乗り方ができていれば、十分ライディングプレジャーが味わえると思います。
そうですね、俺もすべてのバイクが、スポーツバイクみたいな性能があって、楽しめるものだとは思っていないんですね。このバイクの性能をめいっぱい引き出してやったうえで楽しめれば、それはそれでスポーツバイクだと思うんです。
すべてのバイクがGSXRのようなハンドリングなんてできるわけがないし、同じことをやったらこの見た目は得られない。
車高があがったXL883Rとは違い、ローダウン仕様のXL883Nを預かったわけですから、そこにアレンジを加えてベストな状態にまで高めてやるのがいいと思いました。だから、ミニマムでスラムダウンではあるけども、そのなかでも気持ちよく走れるような足まわりの向上に対してしっかりアプローチできたと思います。

――その想いが、新型のアイアンに詰め込まれているんですね。
まずはカッコ良くあるべき。そのうえで、内側のグレードアップは必要です。俺もベンも、そうしたアプローチという点で意見は一致しています。そもそもベンはスポーツスターとFXRに乗っているんですよ。だから、今回のプロジェクトに対して思い入れも強かったんですね。
アイアンもフォーティーエイトも、スタイルは申し分ない。ただ、ライディングで難があることを僕らは知っていました。だから、そこを取り除いてやれば十分なアップグレードになると確信していたんです。

――“乗って楽しいバイク”にしたかった?
そうです。実際に完成した新型の2台に乗って、楽しかったんですよ。峠にも走りに行きましたが、以前のものよりも楽しめました。そして疲れなかったんですよ。フォーティーエイトなんて、変化が顕著でしたね。

――「疲れる」ということですが、それはローダウン仕様のサスペンションが底付きし、その衝撃がダメージとして体に蓄積されていったことからでしょうか。
そうですね。やっぱりバイクに乗って疲れるというのは、ストレスですよね。
新型のアイアンやフォーティーエイトは、これまで無理しながらクリアしていたコーナリングでも、平気な顔をしてラクラク走り抜けていけるんです。見た目も今までどおり。

――納得の仕上がりだと?
ええ、自分が出せるものはすべて出せたと思いますし、エンジニアやマーケティングなど、この開発に携わったすべてのメンバーが高いレベルで納得できた仕上がりだと思っています。

――本日は貴重なお話を伺えて、ありがとうございました。


【インタビューを終えて――筆者雑感】
「日本で受けた取材のなかで、もっとも話を引き出された人だった。彼はハーレーを愛してくれているね」

後日、ハーレーダビッドソンジャパンの方よりダイスさんがそう言っていたと教えていただき、感無量でした。決して何かを狙っていったわけでもなく、「本社の新型モデル開発者に直接話を聞けるまたとないチャンス」と、ただワクワクしていっただけの物好きの質問の嵐に、真摯に答えてくれたダイスさんには感謝してもしきれません。

XL883R(通称パパサンアール)がカタログ落ちし、日本のスポーツスターフリークを大いに落胆させた2016年モデル。そのことについてはマーケットに対するカンパニーの答えとして受け止めざるを得ないことかと思います。一方、ダイスさんをはじめとするカンパニーのデザイナーたちは、ハーレーダビッドソンへのリスペクトの念を忘れることなく、与えられた課題に対して「スポーツスターとはいかにあるべきか」を突き詰め、今回の新型モデルを送り出してきました。フォーティーエイトとアイアン、それぞれに彼らの想いが詰まっていることは、乗ることでしっかりと味わうことができたと思います。

今回のインタビューでもっとも印象に残ったダイスさんの言葉は、「愛がないじゃないですか」でした。そうか、彼も自身の仕事に愛をもって取り組んでいるんだと、ハーレーに乗るいちライダーとして嬉しい気持ちになったのです。

そんな彼に「ハーレーを愛してくれている」と言っていただけたのは、光栄の極みです。そして改めて、 「俺ってハーレーが好きなんだなぁ」って実感しました。


※本インタビューは、『ヤングマシン』ならびに『ビッグマシン』(内外出版社刊)、『スポーツスターオンリー』(造形社刊)にて掲載しております

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ハーレー日本人デザイナー ダイス・ナガオ氏インタビュー #03

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――今回のキーであるリアショックの改善について、教えてください。
完全にブランニューですね。リアだけでなくフロントもカートリッジを一新しました。
39ミリのナローのままが、スポーツスターのカッコよさですから。
だから、中身に対してインプルーブしました。


――一方でフォーティーエイトは、フロントフォークが大幅にチェンジしましたね。
携わったベンは「見た目を変えたい」と言っていました。
というのも、フォーティーエイトはあの重量系ホイールに対して、41ミリフォークは華奢でした。だから、49ミリフォークの採用はフォーティーエイトにとって本来あるべき姿になった、という印象です。
トリプルクランプまで変わったフォーティーエイトですが、アイアンは違って、変える必要がないところを変えなくてもいいので、それぞれの対比が出た印象です。


――フォーティーエイトの場合、ステップ位置がフォワードコントロールのためライダー荷重がすべてリアサスペンションにかかってしまい、グレードアップしたといっても負担が大きいんじゃないかと思っていたんです。ところが、思っていた以上にしっかり仕事をするな、という印象でした。

もうひとつあるんです。それが新設計のシートです。アウトラインのシルエットは基本的に変えていないのですが、シート下にあったECMも移設し、シートベースもゼロから作り直し、シートそのものに厚みを持たせてました。厚みそのものは変わっていないんですが、中身の素材に遊びを持たせることで、クッション性を高めました。
サスペンション+シートの相乗効果で、乗り心地を向上させているんです。
フォーティーエイトだと、かなり薄いスタイルですので、あの薄さであれだけの効果が生み出せたのは大きかったと思います。

――素材はかなりやわらかい仕様ですよね。そこも見直したのでしょうか?
もちろんです。私自身もベストのシートとして出しました。


――タック&ロールデザインについて、インスパイアされたものは?
私の好きな世界観から、ですね。私が好きなカスタムバイクショーで見るオールドスクール系カスタムにあります。古くから伝わるスタイルでありながら、新しい要素がツイストされているものを手がけたい、それがこのタック&ロールというデザインでアウトプットされました。

シートだけでなく、ラウンド型エアクリーナーやパンチアウトされたエキゾーストカバーなど、全体的に一体感をもってドロップしました。

――新タンクデザインのコンセプトを教えてください。
『アメリカーナ』ですね。アメリカの国鳥であるこのハクトウワシをデザインとして取り入れられるのは、アメリカのなかでも限られた企業だけですし、ハーレーダビッドソンにはその資格があると思います。「イーグルを使えるのは俺たちだ」と、臆せずデザインしました。これで、アメリカを象徴できたと自負しています。

ショベルヘッドのFXローライダーなどに見られた、黄金のイーグルの彫刻をご存知かと思います。あれもそうしたアプローチのひとつですが、モダンなバイクにそのまま取り入れちゃうとカッコ悪いですよね。だからそのまま描くのではなく、新しい解釈でのイーグルをデザインすることで、『アメリカーナ』を表現し、フリーダムと力強さの象徴とし、アイアンシールドでその哲学を守ることを表現しました。
説明せずとも、「ハーレーダビッドソンだ」ということが伝わるインパクトを持たせたかった。

――このグラフィックが取り入れられたカラーは、デニムブラック、オリーブゴールド、チャコールパールの3カラーです。
俺のおすすめは、チャコールパールです。あのカラーだとボディのブラックが映えると思います。黒が際立ってこそアイアンだと思うので、あのコントラストはいいですね。
オリーブゴールドもこの黒いボディによく似合っていると思います。1970年代アメリカにあったマッスルカーの、上級グレードじゃないタイプの色によく似ていますよね。RTとはSSとかSEとかではなくて、ベーシックバージョンの雰囲気に近いカラーなので、クリアがかかっているところがイイな、と思って見ています。

――どこの企業もイーグルを使えるわけではない。そこに100年を超える歴史を持つハーレーの偉大さがあると思います。特にハーレーは、四輪など大きな企業母体に支えられる他メーカーと違い、バイクだけで今日まで歩んできた。これはすごいことだと思うんです。
そういう意味ではピュアなメーカーだと思います。AMF時代には望んでいないものを作っていましたが、嫌々感は出ていましたからね(笑)。ウィリーGらによるバイバック以降、モーターサイクル一本でやってきているわけですから、ハーレーが本当にやりたいのはモーターサイクルなんだと感じ入りますね。

――日本では、若者のバイク離れについて業界から嘆きの声が聞こえているのですが、アメリカではどうなんでしょうか?
アメリカと比べると、日本の方が若者向けのバイクが多く、盛んな印象がありますよ。
アメリカでまず求められるのはクルマ。街から街への距離が日本の比ではないので、クルマなくして生活が成り立ちません。そのなかでオートバイとなると、移動手段ではなく趣味性の高いものとして見られています。ましてハーレーほど高価になると、若い人ではなかなか手が出せない。

モーターサイクルに対する捉え方としては、「生活に余裕がある人が乗るもの」という見方だと、アメリカの方がその意識が強いように思えます。日本の方が、もっと気軽に乗れる環境のように思えますね。

――日本の方が、若い人がバイクに乗っている印象が強い?
そう思います。ハーレーはやはりプレミアムブランドという位置づけですから。だからこのスポーツスターは、そうした若い人向けのモデルとして親しんでほしいと思います。


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ハーレー日本人デザイナー ダイス・ナガオ氏インタビュー #02

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■アイアンを“乗って楽しいバイク”にしたかった
――2016年モデルとして発表された新型のアイアンとフォーティーエイト。そのアイアンのデザインに携わったダイスさんに、開発のことをお聞きします。ダイスさんがアイアン、ベンさんがフォーティーエイト。それぞれが抜擢された理由は?
カンパニーでこうしたプロジェクトが立ち上がる場合、ケースバイケースなんですが、ひとつはコンペティション(競技会)方式で、お題に対してスケッチを提出し、ナンバーワンがプロジェクトリーダーとして進める方法と、もうひとつは素材(今回ならアイアン)に対してそのモデルへのアプローチを得意とする人を集めたチームを形成し、プロジェクトを進めていく方法があります。今回は後者ですね。

――その流れで、ダイスさんがアイアンに関するプロジェクトチームに携わることになった?

そうですね、割りとゆるい感じでのチーム構成から、押し進められていった印象です。


――以前のアイアンに対する印象は?
いつも思っていたのは「ラフに使ってカッコいいバイクだな」ということでした。例えばロードグライドだと、クロームパーツやきらびやかなカスタムが似合う、常に綺麗な美しいモデルだと思うのですが、アイアンは「使い込めば使い込むほどカッコ良くなるバイクだ」と思っていました。ショールームにあるときよりも、走り続けている姿がカッコいい。古いジーンズやブーツのように、自分の身の一部になって、味わい深さを増していく。だから、使い込むほどに味が出るデザインにしたいと思っていました。

アイアンは、その佇まいがもっともスポーツスターらしいモデルで、見ても走っても楽しいバイクだと思っています。だから今回のプロジェクトでは、良いところはそのままに、足りないところを補う方向で、向上させたいと思ったんです。

アイアンを“走りを楽しめるバイク”にしたかった。荒々しい外観と、ミニマムでスラムダウンさせたバイクなので、乗り心地は決してよくなかった。だから、このスタイルはそのままに、アップグレードされた足まわりを備えているアイアンこそが理想だと思いました。外観だけでなく、見えないところもインプルーブしたいとチームで共有し、アピールしました。

――それは、以前のノーマル状態に乗ったときの疑問が大きかった?
そうですね、ちゃっちぃな、って思いました(笑)。
ベーシックなカッコ良さはあるけど、乗り味もそのままだな、という印象でした。
疲れるし、ミニマムだし。

――疲れるというのは、どういったところで?
街中でも舗装のいいところばかりじゃないですよね、線路の上を超えたりすると、リアショックが底づくんです。スラムダウンしているから当たり前なんですが、そこを改善できたらベストだな、と思いました。
ミルウォーキーだけでなく、いろんなところで乗ってテストを繰り返し、粗を出しました。

(このインタビューの)二週間前にはプロモーションを兼ねて、スペイン・バルセロナで5日間完成車を乗り回したんですね。街中から郊外へ出て、峠、ハイウェイ、街中の渋滞エリアなど。舗装されたところもあれば石畳、地面が割れているところなどいろんなシチュエーションがあり、そこで実戦テストを行なったんです。我ながら、非常に良い仕上がりと感じるほどでした。

シャコタンのクルマってカッコいいけど、苦痛を伴うカッコよさですよね。あれがスイスイ気持ちよく乗れたら言うことないじゃないですか。そのイメージで、うまく仕上げられたと我ながら感動しました。


――確かに、私自身も新型アイアンに乗らせていただき、フォーティーエイトともども、前後サスペンションのグレードアップに大変驚かされました。
そう言っていただけて何よりです。

――確かに昨年モデルと比較したとき、新型アイアンが軽量化されていることに気づきました。
実はホイールのデザインチェンジは、当初のプランには入っていませんでした。ただ、足まわりのグレードアップという観点から見れば、ホイールも軽量化すべきだろうと。それで、13本スポークホイールから9スポークへと変更しました。

私のデザインでのアプローチとして、まずバイクはカッコ良くなくてはいけないというコンセプトがあります。そこにエンジニアによるアプローチはあってしかるべきですが、デメリットはあってはいけないと思っています。
新しい見た目で、カッコよく。そしてホイールは、軽くしたかった。
13本を変えるなら、FXなどに見られた9スポークだろうと。
ハーレー本来の姿への回帰、そこに新たなビジュアルを取り入れたかった。

エンジニアによる新ホイールへのアプローチをはかってもらい、剛性が高く軽いホイールを設計してもらったんです。
スポークのリムに近いところにエッジが光るマシンカットをしてもらいました。


――ナイトランのとき、都会のネオンに照らされると美しく輝くのでしょうね。
低速で走っていると、絶対美しく見えると思うんです。
このバイクは、汚れてもいいからとことん乗り倒してほしいんです。
ホイールのケミカルって大変じゃないですか。
だからこのアイアンだと、マシンカットの部分だけ磨いてくれれば、カッコよく見えると思うんです。
汚れていてもカッコいいバイク、それが新型アイアンの開発コンセプトでした。

――なるほど。
ただ艶消しブラックで塗装しただけのデザインって、愛がないじゃないですか。
ああいうクオリティにはしたくなかった。
ラフで、荒々しくて、力強いものにしたかった。
ブラックも、グロスブラックとマットブラックを併用することで、それぞれの黒を引き立てるようにしています。

――確かに、カラーバランスが絶妙な仕上がりで、カスタムオーダーを受けたビルダーが一瞬躊躇するような、そんな挑戦的なバイクにも思えました。
個人でも手軽にカスタムを楽しんでもらいたいですね。難しいところは僕らがすでに手を加えているので。
いじる楽しみを残しておきたいという想いもあって、この仕上がりとなりました。


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ハーレー日本人デザイナー ダイス・ナガオ氏インタビュー #01

2015年9月11日(金)、ハーレーダビッドソン ジャパンにて米H-Dカンパニーの日本人デザイナー、ダイス・ナガオ氏へのインタビューが実施されました。そのときの全文をこちらでご紹介します。


■Profile
ハーレーダビッドソン モーターカンパニー
シニアインダストリアルスタイリスト
ダイス・ナガオ
Dais Nagao

ハーレーのマシンデザインを手がける部門で活躍する若き日本人デザイナー。ストリート750開発に携わり、現在進行中のストリート750カスタムプロジェクトの指揮を執る。世界のカスタムシーンについても一家言を持つ期待のニューカマーだ。




■夢にも思わなかったH-Dカンパニーでの日々
 
――ご出身は日本なんですね。
そうです、横浜に生まれて、今実家が千葉県柏市にあります。

――渡米は高校を卒業してから?
そうですね、渡米のための資金稼ぎとして、高校生のときからアルバイトをしていて、卒業後も働いてお金を貯めていました。

――渡米して二輪に携わる仕事をしたい、と?
そうですね、仕事として考えていたわけではなく、バイクが好きだから、大好きなアメリカでバイクに携わりたいと、漠然と考えていました。

――高校当時に乗られていたバイクは?
四発バイクですね。青と銀の750ニンジャにKERKERのマフラー入れて。四発の集合管入りバイクなら大体乗った経験はあります。

――渡米後は?
アメリカの大手オートバイメーカーにデザイナーとして就業しました。

――そのメーカーに入社するのは難しかった?
難しかったですね。アメリカで通った大学がカーデザインの大学で、ポートフォリオを持って就職活動をしていました。他にも気に入ってくれた四輪メーカーはあったんですが、自分は二輪のデザインに携わりたかったから、その二輪メーカーでの就業が決まるまで、よそへの就職は考えもしなかったです。

――採用まで時間がかかったんですか?
その会社だけが採用の是非に関する答えが一番遅かったですね。採用する時期じゃなかったのかもしれない。

――何年お務めだったのでしょう。
10年勤めました。

――もちろん主な仕事はバイクのデザイン?
そうですね。

そのメーカーで10年めを過ごしていたとき、デトロイトにいるカーデザイナーの友だちが「ハーレーがシニアデザイナーを探している」と教えてくれて、絶対トライしてみようと思って、応募しました。

――「いつかはハーレーダビッドソンで働きたい」と思っていた?
いえ、全然そんなことは思っていませんでした。アメリカにおけるハーレーダビッドソンは絶対的な存在で、自分と縁があるなんて想いもしませんでした。
それまで僕は、“ハーレーのデザイナーというのは、ウィリーGが後継者を育てているから、外部から入れるものじゃない”と思っていたんです。ハーレーで働きたいと思っているデザイナーは山ほどいて、そのサークルのなかからウィリーGが「よし、お前はなかなかいいな」と引き抜く方式をとっているのだ、と。
だから、ハーレーがパブリックに応募をしているという事実に驚きました。
「自分にもチャンスがある、それならチャレンジしてみたい」、そう思って応募したんです。

――アメリカにおけるウィリーGという存在は神格化されている?
ええ。だってハーレーダビッドソンはいろんな人にとって宗教に近い存在になっていたりしますし、そういうレベルのブランドですから。
だから、応募の話を聞いたとき、「彼らが日本人である私の実力をどう判断するかを知りたい」という気持ちがありました。
私もアメリカでの生活が長かったので、あの国におけるハーレーのブランドは十分理解していましたので、はたしていけるのかどうか、ワクワクしていました。

――面接の手順はどんな感じだったのでしょう?
まず自分のポートフォリオを送って、そこをクリアしたら、今度は電話で長いヒアリングをされました。それをクリアして、ようやくハーレー本社があるウィスコンシン州ミルウォーキーでの第一次面談になったんです。
その後、二回目の面接でまたミルウォーキーに赴いたんですが、そのときのリストにウィリーGの名前があったんです。セカンドインタビューで彼の名前が入っているということは、「これは最終面接だ。大変なことだ」と思いました。
そして、「これで決まったら、俺はもうここで働くしかない」と思っていました。
だって、ウィリーGが面談をしてくれるのですから。こんな名誉なことはありません。

――そして、ウィリーGに会えた?
ところが、面接質に入るとウィリーGがいなかったんです。どうも体調を崩したようで……さすがにがっかりしました(笑)。お会いしたことがなかったので、期待に胸をふくらましていたのに!

――それから就職が決まり、H-Dカンパニーのインダストリアルデザインのチームへ。今ではウィリーGとも日常的に?
それはないですね。ウィリーGも第一線から退いているので、こちらが会いたいと思うほどは会えません。

――彼がカンパニーには来られることはあるんですか?
彼が来るというよりも、俺たちが会いに行くという感じですね。
理由はなんでもいいんです。就業何周年だったりバースデーだったり、無理矢理理由をこじつけて会いに行っています。

――やっぱり、少しでも多くの時間を共有したい?
もちろんです。フェラーリのエンツォ・フェラーリ、ホンダの本田宗一郎と同じく、ハーレーダビッドソンにはウィリーGなんです。
彼も今はまだ元気だけれども、歳を召しているので、この先どれだけ会えるかわかりません。
だから、会えるならどんなことをしても会いたい。
ハーレーダビッドソンを支えたデザイナーという彼へのリスペクトからの想いです。

――ダイスさんが見たウィリーGのすごいところは?
頭の回転が早く、そしてツボをおさえたジョークがうまいことですね(笑)。
周囲を笑わせるのがうまいジョークが言えるんです。
すごくフレンドリーなところも、彼の人柄ですね。

――ウィリーGの存在感はかすれたりはしていない?
もちろんです。ハーレーダビッドソンと言えばウィリーGですから。
今回(2016年モデル)の最新カタログに、俺やベン・マッギンリー(新型フォーティーエイトを手がけたデザイナー)が載っていますけど、ウィリーGを差し置いて……という点では恐れ多いな、と思っています。「やっぱりここに出るべきはウィリーGだろう」と、俺やベンも思っています。

――それはデザインチーム全体が共有している想い?
そうですね、カンパニーをリスペクトするということは、ウィリーGをリスペクトすることと同じですから。

――日本でのウィリーGに対する認知度は、アメリカほど大きくないです。
まぁ、誰もがエンツォ・フェラーリを知っているわけじゃないですからね。でも、本当にハーレーダビッドソンのことが好きなら、ウィリーGのことは知っていて当然だと思います。

で、俺がいつも思っていることがあるんです。
カンパニーの方針としていろんなデザインにトライすることを求められ、自分なりに間口を広げているつもりですけども、「ハーレーダビッドソンは、ダビッドソン家の手によって生まれたバイクなんだ」という想いは常に頭のなかにあります。ハーレーダビッドソンを俺のバイクと思ったことは一度もありません。

――ストリート750も含め、すべてのモデルがダビッドソン家のものだ、と。
ストリート750に関しては、俺は語る言葉を持っていません。開発に携わったのは一部だけですから。

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2015年9月8日火曜日

日本代表が抱える致命的な弱点とは

■ブラジル大会のときから改善されぬ弱点
埼玉でのカンボジア戦、イランでのアフガニスタン戦を観て、2試合ともに共通していたのは“フィニッシュの雑さ”でした。ペナルティーエリアからゴール前までは相手DF陣がひしめく激戦ゾーンで、ここの崩し方にそのチームの特性が表れます。

この2試合における日本代表のフィニッシュは、とにかく大味。バイタルエリア手前までつないでいくものの、そこから縦に入れたりサイドを崩したりする際のつなぎ方が、ワンパターンというか、行き当たりばったりというか。だから詰めてくる敵との距離感に変化がもたらせず、大雑把なクロスやパスに終始するのです。いずれの相手も格下だったから力ずくで得点を奪えましたが、相手のレベルがあがるとそんなプレーは通用しません。これ、2014年W杯ブラジル大会やアジアカップで学んだはずなんですが……。

チームとしてどういうプレーをしたいのかが見えないのです。

これはハリルホジッチ監督の指導法云々は関係ありません。誰に教わるでもなく、日本人のDNAに訴えかける“日本人としての自然なプレースタイル”に起因します。練習時間が少ないことも無関係です、教えられなくとも、日本人が集まれば自ずと生まれる“阿吽の呼吸”とも言うべきプレーがどこにもないのです。

FCバルセロナやスペイン代表に見られる正確かつスピーディなパスワークを表した“ティキ・タカ”は、彼らにしか生み出せないスピード感とリズムを持っており、ツボにはまったときのそれはどんな強豪の守備陣をも切り裂いてしまいます。本気を出したときのオーストラリアの肉弾戦、韓国のハードプレー、ブラジルのパスワークと崩しのアイディアなどもそう。どこのチームにも“これぞ”というストロングポイントが存在し、それをより高めることが世界の強豪へと上り詰めるために必要なのです。

阿吽の呼吸が生む緩急がないので、日本の選手はボールをもらってから次のプレーを考えています。それでは遅い、遅すぎます。ボールをもらう前の動きを表すオフ・ザ・ボールのときから“崩しのイメージ”を思い描き、なおかつ共有できていないと、ここぞのシーンで敵を切り崩すことなどできません。

日本代表の致命的な弱点、それは、プレーに緩急がまったくないこと。すなわち、ストロングポイントそのものを持ち合わせていないことでもあります。


■このままじゃW杯出場権を逃す
一番の問題は、海外組への依存度の高さでしょう。

以前と比べても、海外クラブに所属する日本人選手は驚くほど増えました。いまやACミランやマンチェスター・ユナイテッドに所属する(またはしていた)選手がいるほど。確かにこの事実はこれまでの日本サッカーを見てきた者からすればとんでもないことですし、彼らへの期待ども否応なく高まってしまうというもの。

ただ、本田圭佑や香川真司、岡崎慎司という日本でトップクラスの選手も、彼らは決してクリスティアーノ・ロナウドやメッシほどのレベルにはないことを忘れてはなりません。しかしながら、今の日本代表のサッカーはまるで「スター選手にボールを預ければ、なんとかしてくれる」とでも言わんばかりのプレーぶり。ブラジルW杯やアジアカップでその事実を突きつけられたにもかかわらず、やっているサッカーやメンツは以前と変わらないまま。アジアの格下相手なら騙し騙し続けられても、韓国やオーストラリア、そして力をつけてきたカタールやクウェート、UAEなどの中東勢には通用しません。

コレクティブなプレーとはボールをつなぐことではなく、イメージを共有したうえでのチームとしての“崩しの型”で攻め崩すことが目的です。海外組の“個の能力”に依存するのは誤りだし、日本が目指すサッカーにとって害でしかありません。

では、日本サッカーのあるべき姿とは?

豊富な運動量をもって90分間献身的にプレーし、質を落とすことなく試合終盤で相手に差を見せつけること。そこに特定のストライカーは不要で、統制の取れた守備陣を基盤に、最前線にしっかりとした溜めのポイントを設け、攻撃の際は二列目、三列目が次々と飛び出してゴールを強襲する。スター選手の存在はそんな“当たり前のプレースタイル”にエッセンスを加えるためのもの。依存したプレーになれば、チームそのものがスターもろとも沈没してしまうでしょう。

アフガニスタンに圧勝して、「強い日本が帰ってきた」? 冗談じゃない。本質を理解していない論調に浮き足立つようなら、きっと日本はワールドカップ出場を逃すでしょうね。

一方で、「そんなチームづくりをする時間がどこにあるんだ?」という声にも納得です。でも、それも仕方がありません。ブラジル大会やアジアカップでこの課題が浮き彫りになったにもかかわらず、延命治療で誤摩化し続けてきた結果でもあるのですから。

改めて、日本代表はロシア大会への切符を手にできないだろうな、と思う次第です。

2015年8月14日金曜日

え? サッカー日本代表のことを強いと思っていたの?

■元々強くなかった日本代表
サッカー日本代表への風当たりが厳しいですね。東アジアカップでの惨敗がもっとも大きかったのでしょう、最下位という結果はもちろん、「え? これがあの日本代表?」という試合内容に、アジアのトップクラスとも言われた国の面影すら見えませんでしたから。「海外組さえいれば……」、そんな声もチラホラ。

でも、考えてみてください。

確かに、強かったチームが一気に弱体化すること自体は珍しくありません。ただ、たったひとりで試合を決めてしまえるクリスティアーノ・ロナウドがいないポルトガルでも、あそこまでチームとしての体を成さないほど崩れることはありません。本田圭佑がメッシ級のレベルでチームを牽引していたわけではなく、世界と伍するうえで必要なレベルの選手を安定供給してきたことが、ワールドカップ5大会連続出場という実績につながっているのです。

グループリーグ最下位で敗退した2014年W杯ブラジル大会、ベスト8で涙をのんだアジアカップ、そして屈辱の最下位という結果に終わった東アジアカップ。ここ2年間における国際大会での結果は散々なもの。それ以前はアジアでの大会で好成績をおさめ、2010年W杯南アフリカ大会でもグループリーグを突破しベスト16に上り詰めるなど、輝かしい実績が目につきます。

とはいえ、2010南ア大会での快進撃は大会直前での大幅な戦術変更(守備偏重のカウンターサッカー+本田圭佑の1トップ起用)によるラッキーパンチ的な意味合いが強く、実力で勝ち上がった印象は皆無。あれで「俺たちは強い!」と思っている選手やサポーターがいるようなら、勘違いも甚だしいと申し上げたいです。

確かに、海外トップリーグのクラブに戦いの場を求める日本人選手が増え、ヨーロッパで活躍する海外組は以前と比べものにならないほど多くなりました。結果、そうした日本のエリートレベルの選手で形成された代表チームは高いレベルを保っていたものの、一時的にしか招集できない代表チームゆえ、チームとしての熟成度は高くありませんでした。結果、個々の力に頼らざるを得ないまま望んだブラジルの地で完膚なきまでに叩きのめされ、年々レベルアップしているアジアでも通用しないという事実まで突きつけられたのです。

元々、強くなかったんです。


■日本代表を強くする方法、アリマス。
10月13日に敵地でイランとの親善マッチが決まったというニュースがありました。これから再びW杯予選を戦う日本代表にとって、アジア屈指の国と、しかもアウェーで戦う意義は決して小さくありません。

ただ、こんなものは強化とは言いません。

日本サッカー界をピラミッド構造で見た際、日本代表チームは頂点です。つまり選りすぐりのエリートたち。そこに強化策を用いても、底辺の強化にはなりません。代表メンバーにレベルアップの機会を与えて「お前たちが底辺の選手を引き上げるんだ」というのは、ただの無茶ぶりに他ならないのです。それも、批判を収束させるさせるための親善マッチ一試合ぐらいで。

さらに、このイラン戦に海外組が招集されでもしたら、それこそ目も当てられません。私は、ハリルホジッチが海外組を呼ぶものと思っています。彼は雇われた傭兵で、結果を求められる立場にあります。「日本人選手の育成」という項目が契約書にないのですから、「たとえ負けても強化につながれば」と考えているわけがない。はっきり言って、こんな試合は無意味です。

「僕ら、ちゃんと強化のことを考えていますよ」と言いたげな日本サッカー協会ですが、実に浅はか。本当に日本サッカーの未来を憂いているなら、Jリーグの各カテゴリーへの強化対応があるべきでしょう。

ファンも同様です。

「ハリルホジッチは無能」、「Jリーグのレベルはこんなもの」、「使えない選手は呼ぶな」というのは、浅はかなサッカー協会と大して変わりません。「あれほど強かった日本代表が、こんなに弱くなるなんて」という幻想が、そうした発言や考え方を生み出しているのです。

「じゃあ、日本代表を強くする方法はあるのかよ!?」

ええ、ありますとも。


■今こそ日本人指揮官の起用を
日本人監督の起用と、Jクラブによるハイレベルな外国人選手の獲得です。

まず日本人監督の起用については、「Jリーガーの実力と顔&名前がすぐに一致する」、「日本人として選手強化に寄与してくれる」、「選手とのコミュニケーションがスムーズ」、「次の日本人監督へ引き継ぎやすい」など、メリットは豊富。一方でデメリットは、「国際大会での経験が乏しい」、「日本人体質から“村社会”的な悪循環に陥る」ことでしょうか。

山口素弘、名波浩、相馬直樹といった1998年W杯フランス大会出場メンバーが今、指揮官としてJに登場するシーンが増えてきました。もうあと何年かすれば、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会経験者が登場してくるものと思います。海外クラブ所属経験者が出てくれば、もう「国際経験が乏しい」とは言えなくなるでしょう。

そこまで引き継げる人物が必要なのです。

それも、目先の結果を求めるだけの起用ではなく、その先にはサッカー協会に残って強化委員長や重要なポストに就いてもらうことが前提の起用です。そうすれば、代表チームのコンセプトや強化方針、日本サッカーの原型が次の世代へと引き継がれ、盤石な強化へとつながっていくからです。

私が推したいのは、西野朗氏。現名古屋グランパスの監督で、柏レイソル、ガンバ大阪、ヴィッセル神戸で指揮をとった経験があり、歴代1位であるJリーグ監督通算勝利数257勝(2014年末時点)という実績を持つ人物。さらに1994年から1996年にかけてU-23日本代表の監督を務め、28年ぶりとなった男子サッカーオリンピック出場権獲得、そして本大会では優勝候補のブラジルを破る“マイアミの奇跡”を成し遂げました。現在、御年60。どうしてもっと早いうちから彼を起用しなかったのか憤りさえ覚えるほどですが、過ぎ去った時を嘆いても仕方ありません。

経験豊富な彼こそ、今の日本代表が必要としている人物のはず。性急に結果を求めるのではなく、中長期的な強化策を立て、日本サッカー協会が彼を守り続けること。そして彼から次の日本人指揮官へと引き継いでいければ、日本サッカーの原型が生まれてくるに違いありません。





■本気の強化に取り組めるか否かの瀬戸際
優良な外国人選手の起用も不可欠。強化すべきは日本代表ではなく日本サッカーそのもので、すべての基盤となるJリーグそのもののレベルアップは不可欠。東アジアカップで浮き彫りになったのは、Jリーガーの経験値の低さと追いつめられた状況でのメンタルの弱さ。ここに打ち込むべきカンフル剤は、日常でもあるJリーグで「まるで歯が立たない」「でも勝たねばやられる」という現実を見せつけてくれるトップクラスの選手の存在。

ストイコビッチやレオナルド、ジョルジーニョ、ブッフバルト、ドゥンガ、スキラッチといったビッグネームがひしめき合う1990年代後半のJリーグはまさに群雄割拠とも言える様相を呈し、強烈な個性を持ったJリーガーを輩出するうえで大きな役割を果たしました。今とは経済状況や環境が異なるとはいえ、Jリーグには過去にこうした実績があるのですから、今一度構造を見直すべきだと思います。

「それができるなら、誰も苦労せんわい」

おっしゃるとおり。でも、それをやらなければならない現実を、東アジアカップで突きつけられたのだと思うのですが、いかがでしょう。

ドライバーの不注意が生む右直事故はなぜ減らない?

■ライダーは自殺志願者じゃありません
先日の免許更新時に受けた安全運転講習に出た「右折直進事故」、いわゆる「右直事故」(うちょくじこ)のデータと談話が、ライダーでありドライバーでもある私が常に感じ入っている内容でした。

 



東京都内における対クルマでの二輪車事故類型別死亡者数 (警視庁調べ)
・右直事故 : 9人
・追突 : 9人
・出会い頭 : 7人
・その他 : 3人
・追抜追越時 : 2人
(平成26年中)

右直事故でもっとも多い原因が、「右折待ちドライバーの錯覚」と言われています。つまり、想定以上のスピードで接近してきたバイクに対応できなかったのです。そのことを示す逸話が、この講習のなかで出ました。そう、右直事故を起こしたドライバーの第一声は決まって、「バイクが突っ込んできた」だと言うのです。

あのね……加速してクルマに突っ込むライダーなんて、いるはずがありません。お分かりのとおり、ライダーは体が剥き出しの状態で走っています。外壁に守られているクルマと違って、事故に遭えば即人体。その怖さを誰よりも分かっているのはライダーです。交差点手前からスピードアップして右折待ちのクルマに突っ込むライダーがいたら、頭のネジが飛んでいる自殺志願者に他なりません。ええ、もちろんそんなライダー、この世にいませんから。

クルマとバイク、両方を操る者としてひとつ言えるのは、それはバイクの速度域がクルマより上であるということです。理由はカンタン、四つの車輪で安定しているクルマと違い、バイクはふたつの車輪のみで支えられており、クルマよりも速い速度域でないと安定して走れないからです。

バイクの接近はクルマよりも早い。自動車教習所でも習ったはずなのですが、どうして失念する人が多いのでしょう。


■ライダー視点で見た右直事故
まず、ライダー側の視点でこの右直事故の発生原因を見ていきます。バイクで走っている際の、右折待ちのクルマが並ぶ交差点ほど怖いものはありません。「え? どうしてそこで飛び込むの?」というタイミングで交差点に侵入しようとするクルマの多いこと多いこと。実際に事故に遭われた方はもちろん、紙一重で事故を免れつつもキモを冷やされた方は少なくないでしょう。私自身もそういう経験をしたのは一度や二度ではありません。

見極めが甘いのです。

私もクルマを運転する身なので、見極めが甘いドライバーには「このタイミングならギリギリ間に合うだろう」という心理状況が働いていることぐらい察しがつきます。結果、予想以上のタイミングでバイクが接近してきてパニックブレーキを起こし、意味不明な場所で停まる輩が多いです。

ライダーとしては、我が身を守るのが最優先。なので、私の場合はバイクを運転している際、右折待ちのクルマが並ぶ交差点が見えたら、クルマとは接触しないポイントで停止できる速度まで減速します。

相手ドライバーを信用していないからです。

相手が期待どおりの動きをしてくれると思ったら、大間違い。それは、「このタイミングなら間に合うだろう」という見極めの甘いドライバーと同じ心理状況。“使い方次第でクルマは人を殺せる凶器になる”ということへの理解度の低さ、意識の低さが事故を生みます。被害者になる可能性を少しでも低くするには、自分の身は自分で守るようにせねばなりません。「相手に期待する」というのは不確定要素に他ならないのです。


■ドライバー視点で見た右直事故
一方、ドライバーとして右折待ちの際は、バイク(原付含む)が直進してきた際はまず飛び込みません。自分自身がライダーの速度域を知っていることもありますが、右直事故に関して万が一の可能性すら残したくないからです。

事故を引き起こした場合、現場検証、その後の示談交渉、通院など煩わしいことが発生するうえ、自分が加害者となった際の被害者への罪悪感まで一生背負っていかねばなりません。「バイクが突っ込んできたんだ!」なんて、自分の過失で事故を引き起こしたことを認めたくないための第一声でしかなく、その後自身の過失が認められた場合のショックたるや、想像に難くありません。

ほんの一瞬の不注意が、取り返しのつかない事故を引き起こすことぐらい、現代社会に生きる人なら誰にでも分かること。別に親の死に目に間に合うかどうかの瀬戸際でクルマを運転しているわけでもないのですから、右折待ちのタイミングを一度逃すぐらい、どうってことありません。

見極めが甘いというのは、右折のタイミング逸とその後の事故対応諸々という両者を天秤にかけること自体がナンセンスで、「そのふたつを天秤にかけちゃダメでしょ」という意味も含めています。

2015年6月に道路交通法が改正され、一部の規制が強まったことは皆さんも記憶に新しいところかと思います。「なんでもかんでも規制を強めればいいというものではないだろう」と思う一方で、ここ数年、街を走っているとドライビング技術が全体的に低下しているように思えてなりません。いろんな意味で車内空間が快適になって緊張感が弛緩しているなど、理由は多々あるかと思いますが、それでもクルマは個人のプライベート空間である一方、人を殺せる凶器でもあるのです。

この弛緩した空気が緩まり、交通事故が増えていけば、結果的に交通規制が強められるということに繋がるでしょう。そんな環境でクルマやバイクを趣味として楽しむことができるかどうか……。講習後、そんなことを考えているとなんとも切ない気分になりました。

2015年8月12日水曜日

クルマを凶器に変える「ながら運転」が東京都内で続発中!

■増えている都内の死傷事故
先日、自動車免許の更新にて、都内の免許更新センターへ行ってきました。違反があったため2時間の講習付きでしたが、おかげで非常に興味深い講義を聞くことができました。昨年(平成26年/2014年)と一昨年(平成25年/2013年)の交通事故の統計がまとめられた『安全運転のしおり』というものが配られ、その内訳が現代の交通環境を浮き彫りにしていたのです。

日本全国の統計を見ると、「発生件数」「死者数」「負傷者数」ともに減少しているようですが、これが東京都内に限定されると様相が変わります。

■東京都内での交通事故 (警視庁調べ)
[発生件数](件)
平成26年:37,184
平成25年:42,041
マイナス 4,857

[死者数](人)
平成26年:172
平成25年:168
プラス 4

[負傷者数](人)
平成26年:43,212
平成25年:48,855
マイナス 5,643

事故の発生件数および負傷者数が減少しているにもかかわらず、死者数が微増しています。ここから推測できるのは、死傷する確率の高い凶悪な交通事故が増えているということでしょう。「死亡事故の状態別」と「車両による違反別発生状況」を見比べると、より具体的な傾向が見えてきます。

■死亡事故の状態別 (警視庁調べ)
1位:歩行中 (死者68人/39.5%)
2位:二輪車乗車中 (死者45人/26.2%)
3位:自転車乗用中 (死者38人/22.1%)
4位:自動車乗用中 (死者21人/12.1%)
※「自動車乗用中」の21人のうち7人はシートベルト未着用

■車両による違反別発生状況 (警視庁調べ)
1位:前方不注意 (死者27人/19.3%)
2位:運転操作誤り (死者24人/17.1%)
3位:安全不確認 (死者19人/13.6%)
4位:歩行者妨害 (死者17人/12.1%)
5位:信号無視 (死者15人/10.7%)

「死亡事故の状態別」1位の歩行中について、被害にあった歩行者が交通違反(信号無視や横断違反、酩酊徘徊など)をしていたかどうかの統計では、68人中38人が「違反なし」とダントツの1位で、落ち度のない歩行者が被害にあっているケースがほとんどということ。ちなみに現時点(8月現在)ではすでに死者数が100人に及んでおり、東京都内の今年度(平成27年/2015年)の交通事故死者数は200人近くになる見通しだとか。

これほど多くの死者を出す前方不注意事故を引き起こしている要因は……そう、「ながら運転」です。


■統計が指し示す“明日は我が身”
携帯電話やスマートフォンといったデバイスを操作しながらの運転を指す「ながら運転」。以前交通法規が厳しくなり、イヤホン等を用いない携帯電話での通話や操作をしながらの運転は罰則対象となりました。が、これは現行犯逮捕が基本で、極端なことを言えば「警察官の目にとまらなければ罰則を受けない」わけです。

多くの方がご存知のとおり、街ゆくクルマを見ると、この「ながら運転」をしている人は数多くいます。「ながら運転」がすべての死傷事故を引き起こしているとは言いませんが、携帯電話を操作していれば前方なんて見ているはずがありませんし、当然急なアクシデントに対応するブレーキも間に合いません。そもそも気づくのが遅いわけですから、ともすればノーブレーキで歩行者に追突しているケースもあることでしょう。一定のスピードで走るクルマがノーブレーキで突っ込んできたら……想像するだに、身の毛がよだちます。

私も日常的にクルマを運転していますが、走行中に携帯電話を触ることはありません。専用イヤホンは使っていませんので、運転中にかかってきた電話には出ません(あとで掛け直せばいいだけのこと)。たかだか一回の電話に出ないぐらいで疎遠になるような人はご免被ります。どうしても操作せねばならないときは、一旦停車できるところにクルマを停めて、ハザードを点灯させて操作するようにしています。

クルマで走っていると、フラフラと不安定な動きをするクルマに遭遇することが珍しくありません。運転席に目をやると、携帯を手にもって電話していたり、スマートフォンを操作しているのがほとんど。そういうときは、軽くクラクションを鳴らしてやります。そうすると大抵のドライバーはびくっとして、そそくさと操作の手を止めます。「びっくりするぐらいなら最初からやるなよ」とは思いますが、そのドライバーのせいでその後引き起こされていたかもしれない事故を未然に防げたからヨシとしよう、と思って溜飲を下げているのです。

「ながら運転」をしているドライバーを見ていつも思うのは、“クルマは凶器。使い方次第で人を殺せる”という意識の低さです。

ほんの何秒の見落としで、人の命を奪えるのがクルマという乗り物です。携帯電話の操作という、普段なんてことない行動が引き金となり、取り返しのつかない事態を引き起こし、そして後戻りのきかない重荷を一生背負うことになります。それを想像するだけで、たとえ仕事のことであっても電話に出ないことなんてなんてことありませんし、クルマを停車させて操作するその時間も手間も惜しくありません。

こうした統計が現代の交通状況を指し示していることを考えると、まさに、明日は我が身。ドライバーの皆さん、決して他人事とは思わず、人命を尊重するという観点で運転するようにしましょう。

2015年8月9日日曜日

浮き彫りになった日本メディアの実状

■「日本は強くない」と再認識できたことが収穫
東アジアカップに挑んだ男子サッカー日本代表は、0勝1敗2分けの最下位という散々な結果で終わりました。海外クラブに所属する主力メンバーを欠く各国代表ともフルメンバーとはいかないものの、テストマッチとして有意義に使える同大会において、日本はアジア屈指の実力を示しつつ、新戦力の発掘に努めてきました。

とにかく課題ばかりが目についた今大会。とにかく海外組がいるときといないときとのチーム力に開きがありすぎるのが正直痛い。これは選手個々の能力はもちろん、チームとしての熟成度がまだまだだという証拠でしょう。

日本代表というチームは、こういうサッカーをするんだ。それはメンバーが入れ替わっても変わらない”チームとしての背骨”に他なりません。ネイマールら欧州組がいなくてもブラジル代表はリズミカルなサッカーで相手を翻弄しますし、二軍とも言えるメンバー構成であろうとドイツ代表は堅実かつ攻撃的なサッカーを信条とします。

文化として根付いているか否か、と言ったら身も蓋もない話になってしまいますが、そうした成熟度の違いが浮き彫りになった東アジアカップだったと思います。そう、日本は全然強くない。それを再認識できたことが収穫ではないでしょうか。

強くなければ、強くなるために努めていけばいいだけのこと。むしろ今回の散々な結果はポジティブに捉えていいんじゃないでしょうか。

しかしながら、そんな風に取り組んでいってほしい日本代表の足を引っ張る人たちがいます。

日本のマスメディアです。


■声が届かなければメディアとして失格
今にはじまったことではないですが、日本代表の試合を中継するアナウンサーのヨイショっぷりには、もはや苦笑いしかできません。今大会第3戦の中国戦の中継といったら、ありませんでした。

『山口(蛍)が効いています!』
効いていたら失点していないと思うんですけど……。

『いい流れが作れました!』
自陣ゴール前からハーフウェイラインを超えるまでが流れ?

『今は日本がボールを支配していますね!』
ええ、さっきまで中国からまったくボールを奪えませんでしたね。

『なんとかシュートまで持っていけましたね!』
どんだけ……。

なんだか揚げ足取りみたいに聞こえるかもしれませんが、放映権を取れたからか、はたまたスポンサー様への気遣いか、とにかくなんでもかんでも褒める。「そこ、褒めるとこか?」と言いたくなるような持ち上げ方をする。ちょっと目の肥えたファンなら、「何言ってんだコイツ」という印象を覚えるでしょうし、逆に悪い印象を与えてしまい、結果的にスポンサーを貶めることにつながるのでは?と思うのです。解説がいるんですから、「どうして日本はこうもボールを落ち着かせられないんですか?」とか、「どうしてシュートまで持っていけないんでしょう」と聞けばいいのに。

このアナウンサー自身が、サッカーに興味ないんでしょうね。

プレーひとつひとつを見て「良いプレー」か「悪いプレー」か判断できないから、「とりあえず褒めておけばいいだろう」と、中途半端なボキャブラリーを駆使して無駄に褒めちぎっているだけのこと。小手先のワザでうまくやれているつもりでも、プレーヤーと視聴者とのあいだには確実に大きな溝が生まれており、信頼を損ねることになります。

選手やファンにその声が届かなければ、メディアとしての仕事をしていないのと一緒です。


■個々の主張なくして“ホンモノ”にはなれない
「選手を育てるのは、シビアな目を持ったファン」というのが私の持論です。良いプレーをすれば喝采を受け、怠惰なプレーをすれば大勢から叱責される。プロの選手と言えど、サッカー選手として脂が乗り切るのはやはり20代。判断を誤りがちな若い彼らに道を示すのは、指導者とファンです。

ファンに“サッカーを観る目”がないと、「どうせ俺らのプレーのことなんて分からないんだろう」と選手を腐らせることにつながります。これがメディアともなると、ファン以上にシビアな目を持つことが要求されるのです。なぜならば、オピニオンを発信するわけですから、周囲からどう言われても「自分の意見はこうだ」と貫く強い意志が必要だからです。

個人の意見は千差万別、誰が正しくて誰が間違っているかを論議するのはナンセンスで、歴史と同様に結果が正否を分けます。

意見の違いはあれど、共通の重要事項は“そこに愛があるか否か”。愛や思いやりのない発言は、ただ人を不快にする垂れ流しオピニオンと同じ。口コミ掲示板に匿名で罵詈雑言を言い放つ輩となんら変わりません。

先の中国戦のアナウンサーをはじめ、スポンサーやクライアントへの配慮という大義名分でおべんちゃらを言うメディアの多いこと多いこと。これがヨーロッパや南米、アメリカとなると、スポンサーに不都合であっても建設的なディスカッションが繰り広げられます。それは常日頃から自分の意見をもって主張し、理解しあうためのディスカッションを日常的に繰り返しているから。

日本人は議論となると、「相手を責める」「貶める」と捉えてしまいがちですが、欧米では個人の主張は当たり前、むしろ「それなくして議論などできない」といったところです。

議論や主張なくして、物事の壁は破れません。それはこの東アジアカップに挑んだ日本代表チームを見ればよく分かること。個々の主張は日本人が苦手とすることですが、それぞれが“出る杭”にならねば、ホンモノの強さを手に入れることは遠く適わぬ夢のままになってしまうと思うのですが、いかがでしょう。

大型連休時に注意したい運転マナー

■「判断ミス」と「操作ミス」が引き起こす事故
お盆に突入し、ますますクルマの稼働率が上がるこの時期、やはり注意したいのが交通事故。クルマの数が増えれば事故の確率も高まりますし、大型連休時に気になるのが「運転し慣れていないドライバー」による交通事故でしょう。結果的に事故にならなくとも、あわやというシーンが増えるのも事実です。運転が慣れている側、慣れていない側ともに、こうした体験は極力なくしたいと思うところです。

事故というのは、ひとつのミスぐらいではそうそう起こりません。事故のケースを見てみると、“ふたつ以上のミスが重なった際”に発生しています。そのミスの中身は、「判断ミス」と「操作ミス」。つまり、ミスの確率を下げれば事故の誘発率は下がるわけです。それぞれのミスの確率を下げる具体策を見ていきましょう。

【1】 慌てないこと

走り慣れていない地域を走ると、右車線を走っていたら右折レーンに飛び込んでいるなど、予想外の交通規制や道路状況に出くわすことが少なくありません。その際、軌道修正しようと慌てて車線変更しようとし、別のクルマと接触するという事故を引き起こすことも。運転し慣れていないと、「ミラー確認」「目視」「合図を出す」といった基本動作のいずれかを忘れがちになります。「判断ミス」の典型例です。

予定していたルートと異なる道に入り込んだとしても、慌てず確認をすること。少しでも危ないと思えば、諦めてそのまま流れに任せて行ききってしまい、その先でリカバーをはかればいいのです。別に道を間違えたからといって命を取られることはありませんし、ものの数分で予定のルートに戻れます。むしろ他のクルマや人と接触してしまうデメリットの方がダメージ大きいでしょう。

慌てた運転ほど危険極まりないものはありません。

【2】 「〜だろう運転」ではなく「〜かもしれない運転」
教習所で自動車免許を取得した方は耳にした覚えがあるこのフレーズ。「きっと後ろからクルマは来ないだろう」「自分が動いているんだから突っ込んでは来ないだろう」という考え方を表した「〜だろう運転」は、もっとも事故を引き起こしやすい思考です。

「もしかしたらクルマが来るかもしれない」「クルマの影から人が飛び出してくるかもしれない」という「〜かもしれない運転」こそが、運転する際の最良の思考です。何かが起こってからでは遅いのです、何も起こらない日常こそが安全運転のあるべき姿で、そこに「他者への期待値」という不確定要素が入ってはなりません。そういう考え方を持っていると、実際に事故が起こった際に「まさか相手が飛び出してくるなんて……」という言葉が口から出てしまいます。

あらゆる“危険の芽”を摘み取るうえで必要なのが、「〜かもしれない運転」なのです。

【3】 自分のスキルを過信しないこと
仕事柄、日常的にクルマを運転している人でさえ、想定外の事態に出くわすのが大型連休。私も仕事でなければ、大型連休時にはクルマやバイクで出かけたりはしません。こちらがいくら注意をしていても、日常では考えられない動きをするクルマが急増するからです。

慣れている人でさえそうなのだから、「クルマに乗るのはもっぱら休日だけ」「年に一度の帰省で実家まで」という方は、思いつきでの車線変更や強引なリカバーなど、軽率な運転は控えましょう。周囲には皆さんよりも速いスピード感で動いているドライバーが多いので、結果的に彼らの動きを阻害し、接触事故につながるケースがあります。

【4】 休憩はこまめに取る
交代もせず運転し続けていれば、知らず知らずのうちに体力が削がれていきます。「普段乗っている営業車より快適だから大丈夫」と言っても、運転に費やす体力や集中力は相当なもの。引き起こされる事故の大きさと比例すれば、その消耗度合いがお分かりいただけるかと思います。

「少しでも早く目的地に着きたい」という思いはよく分かりますが、無理をした結果として事故を引き起こしてしまったら本末転倒。むしろ経済的にも精神的にも大きなダメージを負ってしまい、マイナス要素しか手に入りません。サービスエリアやパーキングエリアで15分ほどの仮眠を取るなど、心身ともにベストな状態に近づける意識を持ちましょう。

【5】 高速道路ではずっと右車線を走らない
大型連休に限ったことではありませんが、結構多いのがこれ。前述したとおり、皆さんより速くドライブするクルマは多いのです。これは運転し慣れている私でも同じこと。この世には、上には上がいるのです。その人たちの動きを阻害することは、結果的に交通渋滞の引き起こしにつながります。

ポイントは、「右車線を走っている際」、「前方にクルマが走っておらず」、「後方にクルマが連なっている」という状況か否か。上記の3つが当てはまるシチュエーションは、あなた自身が交通の流れを阻害しているということ。イヤな言い方かもしれませんが、あなた自身が交通渋滞の要因になっていることでもあるのです。その際は、より安全な方法で、右車線から離脱しましょう。

後ろから迫ってきた速いクルマに煽られたりパッシングされたときも、同様に速やかな離脱をしましょう。その際は【1】にあるように、慌てないこと。強引な車線変更は、二次災害を引き起こします。

【6】 同乗者こそがドライバーを気遣おう

クルマはますます進化を遂げ、室内環境は以前では考えられないほど快適になっています。そのこと自体は歓迎すべきことですが、そのことがドライバーの集中力の弛緩につながることも。

ドライバー自身も注意すべきですが、同時に同乗者にも気遣いが求められるのです。なぜならば、自分の命をそのドライバーに預けているわけですから、日常以上に集中力と体力を消耗しているドライバーを痛めつけるのは、結果的に自分自身を危険に晒すということ。

何事もなく目的地に着き、無事に帰宅できることがもっとも大切。ドライブそのものをより楽しくするために、同乗者にも運転に対する配慮が求められます。


運転スキルに関係なく、それぞれがそれぞれの事情で走っている大型連休時の道路状況。そのなかで自分勝手な判断で動いた結果、引き起こされる交通事故。もっとも最悪なのは命が失われることで、そこに至らずとも、怪我をする、事故処理に時間を取られる、その後のやり取りにさらに時間を要するなど、ちょっとした不注意や軽率な行動で、長らく不愉快な想いを強いられることになります。

事故発生率が高まる大型連休に飛び込むにあたり、さらっとでいいのでこの項目を読み返して、無事に帰宅するための運転を心がけてみてください。

2015年8月6日木曜日

ようやくスタートラインに立った日本サッカー

【東アジアカップ2015】 男子サッカー日本代表 第二戦
vs 韓国 2015/08/05 @ 武漢スポーツセンター
スコア:1-1△


■これが日本サッカーの現在位置
あまりの不甲斐ない戦いぶりに、ネット上ではハリルホジッチ監督の手腕に対する疑問の声や選手の力量不足に対して、かなり荒々しい声が飛び交っているようです。確かにこの韓国との一戦に望んだ日本代表チームのクオリティは、ここ数年でもっともレベルが低いものだったと言えます。もちろん、北朝鮮戦から引き続いて、です。おそらく最後の中国戦でも、劇的な変化は望めないでしょう。

韓国のシュティーリケ監督は「日本がこんな守備的な戦い方をするとは思わなかった」と言っていたそうですが、狙ってやったのではなく、それしかできなかったというのが本当のところでしょう。ここは国際経験の浅さがモロに出たところでしょうが、とにかくボールが落ち着かない。マイボールになってもすぐにロストしてしまう。簡単に相手にボールを渡してしまうから、走らされる時間が増え、疲労がどんどん蓄積していく。北朝鮮戦で自分たちの実力が否定されての韓国戦で、まったく自分たちのペースが作れず、気持ちまで悪循環に陥っていくのが手に取るように分かりました。

そんな矢先の、前半25分のPK献上。失点後、試合は完全に韓国ペースに。日本の選手の顔からは、代表としての自信の欠片すら感じ取れませんでした。

そこで生まれた39分の山口蛍の同点ゴール。しっかりとコントロールされたミドルはお見事という他なく、同時に日本チームを悪循環から解き放つ一撃でもありました。事実、このゴールを機に前半終了までは日本のペースになったのですから。やはりゴールは何ものにも代え難い良薬、どんなに劣勢でも問答無用の一発で試合がひっくり返ってしまうのがサッカーの面白いところですね。

ところが後半、再び韓国ペースとなり、そのまま大きな見せ場もないまま試合終了。日本のクオリティの低さはもちろんですが、それ以上に「最近の韓国って全然怖くないな」という印象を抱いたほどでした。

溜まりに溜まったツケが、ようやく吐き出されつつあります。


■海外組中心のチームづくりが生んだ弊害
「こんな弱い日本代表、見たことない!」

まるでそう言いたげな声が、今まさにネット上で飛び交っているようです。ブラジルW杯やアジアカップでの惨敗を思えば、日本代表の立ち位置をどのあたりで考えていたのか甚だ疑問ではありますが、とはいえ東アジアカップの2試合を観た段階で言えば、代表チームのレベルはあまりに低い。

スキル云々ではなく、メンタルの問題でしょう。代表チームに選ばれている責務を自信に転嫁できている選手がとにかく少ない。見ていると、ピッチに立つことに怯えているんじゃないかと思えるほど、覇気の欠片も感じられないのです。

答えはひとつ、国際経験のなさ。

Jリーグで活躍すれば、代表チームに呼ばれ、さまざまな国の代表チームとの試合を経験し、選手をレベルアップさせます。その選手がクラブに戻ってさらに活躍することで、Jリーグそのもののレベルが高まり、より質の高い選手が台頭してくる……。1993年に発足した当時のJリーグが目指していた姿であり、1990年代後半のJリーグに目を向けると、中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一、柳沢敦などなど、枚挙に暇がないほど質の高い選手がどんどん現れてきていました。彼らに匹敵する実力の持ち主も数多く存在しましたが、結果としては中田らが代表チームでのサバイバルに勝った、ということです。

Jリーグ=日本代表という構図は、今後も変わりません。今回の東アジアカップに挑んでいるメンバーは、まさに最たる例。それがこの体たらくということは、Jリーグそのものが国際レベルに達していない証拠でもあるということ。

しかしながら、選手に責任はないと思います。なぜならば、ここ10年以上、Jリーグでどれだけ活躍しても代表チームに呼ばれないということが当たり前のようになっていたから。

海外組中心のチームづくりによる弊害です。

2000年以降、Jリーグからいきなりレベルの高い海外クラブに移籍する選手が急増しました。質の高い選手にとってより良いことではあるのですが、結果、その海外組だけでチームが作れるようになり、Jリーガーたちは控え扱いを受けるようになったのです。2006年ドイツW杯での遠藤保仁、Jリーグ得点王に輝きながらロクなチャンスも与えられない佐藤寿人、大久保嘉人が最たる例と言えるでしょう。


■気の抜けた発泡酒しかない高級クラブ
やたらと国内でのマッチメークが多い日本代表。協会自らが高い渡航費を支払って海外組を呼び寄せ、まるでアイドルコンサートのような興行試合をこなしています。試合は常に満員御礼、グッズも飛ぶように売れ、日本サッカー協会は海外組の渡航費となけなしのファイトマネーを支出するだけで大儲けできるというシステムが出来上がりました。

そこに、育成の理念は存在しませんでした。

今回の日本代表が弱いとお嘆きの方が少なくないようですが、僕は以前、このレベルの代表チームを見たことがあります。それは2006年、イビチャ・オシムが日本代表監督に就任した当初の日本代表です。それまでのジーコ率いる日本代表では、黄金世代と呼ばれるスター選手の名前ばかりが並んでいましたが、オシム体制になった途端、サッカーに詳しくない人であれば「誰それ?」というJリーガーばかりが選ばれるようになったのです。

「日本代表を、日本化する」

オシムはそう宣言し、目指すべき日本サッカーの姿を掲げ、日本サッカーの底辺そのものを底上げすべく、国内組中心のチームづくりを進めていこうとしました。初期のオシム日本代表チームといったら、今回の東アジアカップのチームぐらいひどかった。噛み合ないコンビネーションと戸惑う選手の姿は、にわかファンの足をスタジアムから遠のかせ、当日券すら完売しないという有り様を生むほどに。

それでも時間をかけて煮詰められたオシム日本代表は次第に実力をつけていき、オシムの目指す「日本化」の断片を見せてくれるほどのたくましさを感じさせてくれました。残念ながらその後、オシムは病に倒れ、後任の岡田武史からその体制が継続されることはなくなってしまったのです。

日本サッカーは弱い。

オシム時代から数えてちょうど10年。岡田、ザッケローニ、アギーレと続けて見過ごしてきた日本サッカーの膿みがここですべて吐き出されたと言っていいでしょう。もはやハリルホジッチは被害者という他ありません。世界で名の通ったボトルを並べると噂の高級クラブに入ったら、気の抜けた発泡酒しか置いていなかったというようなもの。「この発泡酒を高級ワインのように熟成させてくれ」と言われてもどだい無理な注文です。そりゃ協会に噛み付きたくもなりますよ。


■愛ある声が、選手を動かす
日本代表は急に弱くなったわけではありません。貧富の格差として見れば分かりやすいですが、極端に優れたエリートだけを優遇していただけのことで、安定したパフォーマンスを発揮するアベレージは実はこの程度だったというだけのこと。むしろ、ようやく当たり前の強化を行えるスタートラインに立てた喜びの方が大きいですね。

10年間も強化と育成を放置したのは、他ならぬ日本サッカー協会でしょう。巨額のお金をまわさなければ身動きすらとれない肥満体となった彼らが、まっとうな強化策に取り組まない限り、日本サッカーが今以上に強くなることはありません。

ハリルホジッチについては、次のW杯予選でのメンバー如何で彼のスタンスが見えると思っています。海外組中心のチームづくりになれば、ロシア大会までの契約期間を割り切ってこなす傭兵タイプということで、オシムのような「日本人のレベルを底上げさせる」「育成する」というスタンスとは対極に位置します。

かといって、彼を責めることなどできません。彼は日本サッカー協会に雇われてきた外国人指揮官で、契約が終わればそれっきりの間柄。契約条項に「日本人選手の育成」などとは書かれていないのですから。

日本人選手の育成まで見据えた指揮官となると、日本人監督をおいて他にありません。正直言って、選手の育成すらままならない協会が指導者の育成に手がまわっているかと言われれば甚だ疑問ですが、かといってこの問題を先送りにすればするほど、ツケはどんどん溜まっていくだけのこと。後で困るのは、自分たち自身なのですから。

では、その協会を動かすのは?

他ならぬサポーターです。

目の前で繰り広げられているサッカーそのものをしっかり見て、善し悪しを判断し、その想いを声に出して訴えかける。良いプレーには賞賛の声を、怠惰なプレーには叱責を。選手や指導者を育てる一番の源は応援する人の声に他なりません。サポーター自身が、サッカーを観る目を肥えさせなければ、選手や指導者の心にその声が響くことはありません。少なくとも「オー、ニッポンー」と90分間単調に唄い続けるだけのサポーターでは、選手の心を動かすのはまず無理でしょう。

もっとサッカーを楽しみ、サッカーを知り、サッカーについて語り合う。その姿勢と声が現場を動かし、より高い頂へと押し上げようとする原動力となるのです。サポーターも選手と同様、勝利を渇望するハートを持たねば、勝てるものも勝てません。サッカーが盛んなブラジルやイングランド、イタリア、ドイツ、スペイン、アルゼンチンといった強豪国は、そうして今の地位を確立してきたのですから。

2015年8月2日日曜日

北朝鮮に敗れた夜に見えたもの、それは……「伸びシロですね〜!」

【東アジアカップ2015】 男子サッカー日本代表 第一戦
vs 北朝鮮 2015/08/02 @ 武漢スポーツセンター
スコア:1-2●


■2006豪州戦の再現かのよう
試合後の選手たちの表情は、まるでお通夜に参列している人のようでした。自分らなりの精一杯を出し尽くした結果の敗戦だったからでしょう、文字どおりの完敗。疑問を抱くジャッジもいくつかありましたが、これが初めてのアジアでの試合ってわけじゃないし、今の日本にとってはそれも折り込み済みで挑まなければならないでしょう。

非常にフレッシュなメンバーで始まったこの試合、新顔が多いということは、反面チームとしての連携力や熟成度に期待はできません。つまり、個々の能力がそのまま反映される試合になるわけです。普段のJリーグでのプレーの質がどれほどのレベルか、北朝鮮という相手に推し量られたのです。

結果から見えたこと、それは「先制しながら逃げ切れなかった」こと。開始間もない先制点の効果もあってか、前半途中までの日本は効果的にボールをつなぎ、何度も北朝鮮ゴールに迫っていました。つまり、熟成度合いが低くてもある程度のレベルの相手には通用する高いスキルが照明されたと言っていいでしょう。

しかし、ロングボールを放り込まれてのパワープレーは、Jリーグでは滅多に遭遇しない荒々しい戦い方。なぜならば、同じ日本人同士のJリーグでそんな強攻策をとるチームは滅多にないからです。ここまで極端な戦い方をする北朝鮮を相手に、日本の選手の戸惑いぶりは手に取るように感じました。

結果、相手の巨漢FWにしてやられての逆転負け。まるで2006年ドイツW杯の初戦オーストラリア戦の再現かのようでした。


■日本のアベレージはJリーグ
90分間を通してのマネージメント能力の低さはもちろんですが、なかでも浮き彫りになったのは、守備の脆さ。これはハリルホジッチ監督も痛感したことでしょう。パワープレーに対抗する空中戦の弱さに加え、こういうプレーを仕掛けてくる相手への措置(キッカーへのプレッシャーやコースの切り方)もお粗末。Jリーグではなんとかなることが、国際試合ではなんともならない。そのまま結果に映し出されましたね。

セカンドボールへの対処も後手後手でした。ああもマイボールが落ち着かないと、選手の疲労は倍増します。そう、ボールを追いまわす守備は体も心も疲れるのです。攻撃に転じるためのボールポゼッションを高める守備を再構築せねばならない時期なんだなぁ、と感じさせられました。

代表チームがどういう戦い方をするかは監督次第ですが、スペインやブラジル、ドイツ、アルゼンチンには遠く及ばないわけですから、まず守備の練度を上げることが最大の課題でしょう。まず敵の攻撃を防ぎ、ボールを奪うこと。予選の真っ最中であること、そして本大会までの期間がほとんど残っていないことを考えると、バックアップメンバーを含めた少数精鋭での守備構築(理解度を高める作業)が不可欠だと思います。

と、気持ちいいぐらい膿みが出た今回の試合。「海外組が出ていたら勝てたかも」と思われるかもしれませんが、それは大きな間違い。常時合流できるわけではない彼らはあくまでオプションであり、海外組を基本軸として考えるのはチームマネジメントという観点から見ると極めて危険なもの。日本代表のアベレージはJリーグなのです。


■チャレンジャーへの回帰が必須
個人的には、大変有意義な試合だったと思います。なぜならば、何の影響もない東アジアカップという大会での試合だったから。これがW杯予選の試合だったら大問題。予選中に軌道修正を図らねばならないという、1998年フランスW杯予選での惨状再び、となるからです。

だから、敗戦後にお通夜の参列者のような顔になっていた選手たちが不思議で仕方ありませんでした。

「勝てると思っていたの? 自分たちが強いと思っていたの?」

W杯に連続出場をはたしていることで、W杯に出場することが当たり前のように思われていますが、それはW杯への敬意、そしてこれから対戦する国の代表チームへの敬意を欠いていることに他なりません。特に昨今のアジア諸国ではサッカーのレベルが次第にあがってきており、なかにはトップクラスに追いつかんとする国が現れつつあります。「俺たちは王者だ」などと驕り、あぐらをかいていると確実に痛い目に合わされることでしょう。

今回の敗戦でもっとも厳しいことをひとつ言わせてもらうならば、「決めるべきところで決める」ということでしょうか。これは国際試合のみならず、彼らが日常のフィールドとしているJリーグでも同様。普段と違う雰囲気のなかでのプレーであれ、最低限の仕事をこなすのがプロフェッショナル。名前を挙げずとも本人らは分かっているでしょう、今回の責任の重さを。

ここまで堕ちたのですから、あとは這い上がるのみ。いくつもの課題をあげましたが、それもレベルアップするための具体策を生む貴重な財産です。すべてはより高いレベルにあがっていき、大きな喜びを手にせんがため。

つまり今回の敗戦で吐き出されたものすべて、それは「伸びシロですね〜!」ということでしょう!

2015年7月22日水曜日

新国立競技場騒動から見える日本の成金体質

■早い段階で発動した自浄能力
新国立競技場に関するドタバタ話、さまざまなニュースで「もう見飽きた」という方も少なくないでしょう。あり得ない建築費に責任のなすり合い、世間知らずな政治家の暴言など、よくもまぁこれだけいろいろネタを提供してくれるもんだなぁ、と感心するばかり。

ただまぁ、この段階で「待った」をかけるだけの自浄能力があっただけマシだな、と思います。

オリンピック、そしてサッカー・ワールドカップ。世界最大級のスポーツの祭典2つについては、ここ何十年かでこうしたお金に関するゴタゴタは日常茶飯事と化しており、珍しくもなんともなくなっています。2010年W杯南アフリカ大会ではスタジアムが開催に間に合わなかったり、FIFAなんてただいま汚職まみれの実態が暴かれている真っ最中。新国立に関する件で「重要なのはデザインではなく、開催に間に合うスタジアム建設だ」などとのたまっているIOC(国際オリンピック委員会)だって、叩けばいっぱいホコリが出るはず。

日本人には「正々堂々」「清らかであること」という美徳が根付いており、それがこの新国立競技場に関する暴露ニュースの汚さに触れ、ナイーブな反応が出ているだけのこと。そもそも、東京都民が「ぜひ我が街でオリンピックを!」、「世界の一流アスリートの集いを東京で!」と熱烈に望んで得た開催権というわけでもないですから、面白がって騒ぎ立てようとするメディアに乗せられるのも如何なものかと思います。

ビジネスありきでの招致ですから、「ずいぶん早い段階で歯止めが効いてよかったね」ぐらいで良いと思います。


■端から見れば、ただの成金
一方、今回の騒動は日本という国のみっともなさを露見することにもなりました。普通じゃ考えられないスタジアム建設費を算出し、「そのまま通しちゃおう」(そして利権にあやかろう)という体質が露になったわけです。オイルマネーで豊かな中近東諸国ならともかく、スタジアムひとつにこんな予算を計上しよう神経そのものが、発展途上国やそれ以外の国では考えられないこと。先進国でさえ「……オイオイ」と漏らしたくなる内容でしょう。

見栄を張るのは大いに結構なのですが、これじゃただの成金です。

これによって、「不況とか言ってるけど、やっぱり日本ってカネ持ってんじゃん」と他国の人に再認識されることになったでしょう。確かに日本は発展途上国と比べても経済的に発展しており、豊かな国だと思います。でもその実、高度経済成長期のような勢いはなくなり、変わりゆく時代の流れに社会構造が対応できず、歪な状態に陥っているのが実状。

次世代の育成もできない老害がいつまでも権力の座に居座り、見栄を張って湯水のように予算を注ぎ込もうとする。「たった2500億円も国が出せないのか」なんて発言は最たる例で、どれだけ日本という国の現状を知らないか、現場を知らないかがそのまま出てしまっています。こういう方が政治の上層部にいる限り、日本の成金主義は治らないでしょうね。

ビジネスありきでの招致そのものを批判する気はまったくありません。ただ、それならばもっとビジネスライクに行けばいいと思うのです。

最小限の手間で、最大限の効果を。

お金をかければ良いものができる、そんなのは当たり前。それよりも発想力を軸に、最小限のコストでユニークな器(スタジアム)を作る、日本らしい演出をそこかしこに配置するという考え方こそがホスト国に求められているものですし、それこそが日本古来の美徳である『オ・モ・テ・ナ・シ』の精神に通ずつものじゃないでしょうか。札束で観光客を招き入れるだけの接客は、下品な成金以外の何ものでもないと思いますが、いかがでしょう。

日本のツアー添乗員が「ベビーシッター」と揶揄されるワケ

■トイレの場所まで世話をする
旅行代理店のツアー同行取材でとある国を訪れた際、夕食の席をともにしたツアー添乗員と現地係員からこんなことを聞きました。

「日本のツアー添乗員はね、海外では“ベビーシッター”って呼ばれているんだよ」

聞けば、「トイレはどこにある?」、「ホテルのカギが開かない」、「メニューが読めない」、「フォークを落としたから取り替えてくれ」などなど、海外の方から見れば「そんなことまで面倒見るのか?」という場面に遭遇することが多く、やや呆れ気味な表現として“ベビーシッター”を用いているとか。

その話を思い出したのは、5月にアメリカに行ったときのとある出来事から。そのときもツアー同行取材で、ご一緒した現地係員のNさん(日本人)に「今度アメリカに来るツアー団体の引率をするんだけど、宿泊するホテルが初利用なんで、下見に行くんだ」と言われ、興味本位でついていったのです。

カジノの街ラスベガスで、中心部から少し離れたところにある南米風の大型ホテルが目的の場所でした。アミューズメントの要素が強い街でもあることから、ラスベガスのホテルはどこも巨大迷路のようになっており、数日間の滞在ぐらいで構造を把握するのは困難なほど。わずか1〜2泊のツアー団体であれば迷子になるのは必至。それも高齢者のツアーとなれば、なおさらです。

Nさんは入り口から最寄りのトイレの場所を確認し(到着後、トイレを希望される方が多いことから)、ツアーが利用するフロアへあがって大体の構造をチェック、そして一階にあるレストランのラインナップも確認していました。

確かに高齢者にとっては、ジャンキーなアメリカンフードが連日続くというのはなかなかに辛いものがあるかと思います。とはいえ、“郷に入っては郷に従え”、せっかく自ら希望して訪れた国なのですから、その国を楽しみ尽くす意味で寛容に受け入れればいいのでは?と思います。

しかし実際は、Nさんがトイレの場所までわざわざ事前視察するのが当たり前になっているのです。


■他人に依存しない欧米人
世界遺産など、海外の有名な観光スポットを訪れると、さまざまな国の観光客と遭遇します。彼らの様子を見ているとお国柄がよく出ていて、国ごとに行動パターンがくっきり分かれています。

欧米諸国の観光客は、良い意味でマイペース。限られた日数のなかに数多くのメニューを詰め込んだツアーをこなす日本人と違い、十分な休暇日数を確保したうえで来訪しているので、同じ人間とは思えないゆとりある過ごし方をしています。ゆとりがあるから、訪れた観光スポットでも意外な見どころを見つけたり、カフェでいつまでもくつろいでいたりするのです。分刻みで動く日本のツアーとは実に対照的。

そして、自己責任という言葉を体現してもいます。自由に過ごす=他人に依存しないスタイルで、ツアー形式で添乗員がついていても、日常的なことは自分で解決しようとします。見ていると、添乗員も必要以上に干渉していません。団体で大きなテーブルについても、各々がウェイターを呼んで注文していくのです。「そりゃ当たり前だろう」と思われるかもしれませんが、ドリンクひとつ頼むのに添乗員に声をかける日本のツアーの模様を目の当たりにすると、「どうしてこうも違うのだろう」と思わされます。

これに関しては、言語の違いも大きく影響しているのでしょう。訪れた国が特有の言語を使っていても、英語ならある程度のコミュニケーションが図れるので、欧米の方々は得意分野でもある英語で躊躇なく現地人に話しかけていきます。有名な観光スポットともなればカタコトの英語ぐらい話せる現地人は少なくないので、そこでコミュニケーションが成立するのです。

しかしながら、日本人にとって英語が得意分野かと言われると、答えはノーでしょう。こういうシチュエーションで必要以上の能力が求められることはありませんが、それでも英語に対するコンプレックスは根強いためか、日本においてもいきなり外人に話しかけられたら戸惑う場面が多々ありますよね。

そうしたコンプレックスが少なからず作用しているのかもしれませんが、とはいえツアー添乗員に必要以上のことが求められているフシが見受けられるのも事実。見ていると、日本で過ごしているときと同じような環境を求めている方が多いようです。


■伝えようという意思の問題?
私自身、英語は堪能ではありません。学生時代も英語は苦手教科で、しょっちゅう居残りをさせられていました。おかげで、ある程度突っ込んだコミュニケーションを図らなければいけない場面で単語や文法が浮かばずに立ち往生することが今なおあります。

ただ、せっかく海を渡ったのだから、その国の文化や生活に対して敬意を払い、その国の人々と交流を図ることで新しい価値観を学び、広い世界に目を向けられるようになりたいとは思います。

言葉の問題などもあり、なかなか普段のように過ごせないことが多いのが海外。しかし、新たな価値観を求めるからこそその国に飛び込んでいったのですから、もっと積極的に関わりを持っていけばいいのになぁ、と思わされることが少なくありません。

言葉がわからなくても、筆談でも何でもコミュニケーションを図る方法はいくらでもあります。もちろんその最たる方法は「英語を覚えること」ではあるのでしょうが、型にとらわれず、もっと自由に交流するのは十分に可能です。

添乗員がベビーシッターと呼ばれているというのは、日本人が依存性の高い民族だと言われていることでもあります。これ、かなり恥ずかしいことだと思うのですが……いかがでしょう。

2015年7月6日月曜日

惨敗ながら清々しさを与えてくれたなでしこジャパンの戦いぶりに拍手

■スコア差を感じさせなかったなでしこの気迫
W杯のファイナルで、優勝まであと一歩まで近づきながら準優勝に終わったなでしこジャパン。2-5という誰が見ても惨敗にしか見えないスコアながら、ほぼ互角の実力を持つ者同士では?と思えるほどの気迫あふれる試合内容で、清々しさを感じさせてくれるゲームでした。

開始16分で4失点。スコアだけ聞かされれば、この時点で終戦です。2012W杯ブラジル大会の準決勝で、ドイツに7失点を喫したブラジルの姿が重なって見えました。ちょっとした歯車の食い違いから最初の失点が生まれ、修正が間に合わないままあれよあれよと失点を重ねる。気持ちが緩んでいたわけでもなく、出会い頭の衝突事故が大惨事になったというところ。

ところが、彼女らの目は死んでいませんでした。

後半9分の段階で2-5の3点差と、セーフティーリードのままこう着状態へ。しかしながら、ボール際の激しい攻防を見ていると、とても3点差がついた試合には見えないのです。ここまで絶望的なスコアになると、“あと一歩”を出すのが難しくなります。諦めの気持ちが全身を覆い尽くし、「もう勝つのは難しい」と頭をよぎった段階でその“あと一歩”が踏み出せなくなる。ましてや相手は実力伯仲の強豪です、カンタンに3点を献上してくれるほどお人好しではありません。7失点したときのブラジルはまさにそれでした。

ところが後半30分を過ぎても、なでしこの選手たちはボールに食らいつき、フィジカルで勝るアメリカに肉弾戦を挑んでいきました。自分との背丈が20cm近く違う巨漢に体ごとぶつかっていく岩渕の姿に、本気で諦めていない執念を感じさせられました。そんななでしこの気迫に圧されてか、ボールキープしていれば難なく優勝トロフィーを手に入れられるアメリカにも緊張感が走り、スコアに似つかない攻防を繰り広げることになったのです。

象徴的だったシーンが、アディショナルタイムを含んだ数分間のプレー。日本はGK海堀を残して全員がアメリカ陣内へと入り、ゴール前へ執拗にロビングボールが放り込み、肉弾戦でのゴール奪取を狙ったのです。こういうシーンはサッカーでは珍しくない“最後の捨て身戦法”ですが、一点差の緊迫した試合でのことがほとんど。もはや同点の望みさえない状況下でこの気迫、そして勝利への執念に、ただただ心を打たれました。


■チャンピオンに与えられし“勝者のメンタリティ”

思えば、本大会前から下馬評が高くなかったなでしこジャパン。ところがフタを開けてみれば、際どくも勝利という結果をもぎとり、ファイナルまで勝ち上がってきたのです。これほどのスコアになるとは予想だにしていませんでしたが、この試合を見れば、強靭なメンタルに支えられた選手はカンタンに屈しないということを思い知らされます。

チャンピオンにだけ与えられる、勝者のメンタリティでしょう。

皮肉にも分かりやすい比較が、男子サッカー日本代表のシンガポール戦です。サッカーという競技はあらゆる不確定要素で成り立っているので、どれだけ相手が格下であれ、他競技以上にジャイアントキリングの確立が高いのです。とはいえ、あのシンガポール戦は負け同然の引き分け。“絶対勝利”というハードルはこのうえなく高く不条理極まりないものですが、それでも勝ちきる強さなくして、W杯本大会で結果を出すなど不可能。それは、5大会連続で本大会に進出している代表チームがよく知っているはず。

勝つことで得られるもの、負けることで失うもの、それぞれを痛いほど知っているなでしこジャパンだからこそ、あれほどのスコア差でも「ひっくり返してやる」という気迫溢れるプレーを90分間続けられたのでしょう。

両方の試合を観た方ならお分かりでしょう、シンガポールから1点が取れずにいた男子日本代表からは、彼女らのようなほとばしる気迫をまったく感じませんでした。メンタルや気迫という、姿形が見えないものではありますが、“あと一歩”が出るかどうかが、勝敗を分ける決め手となるのです。その“あと一歩”を踏み出して男子は今の地位を手に入れたと思うのですが、どうやらどこかで“大切な何か”を失ってきたんじゃないでしょうか。

W杯を終え、再出発となるなでしこジャパン。そして、改めてテコ入れせねばならない男子日本代表。いずれも『リスタート』をしていくタイミングなのですが、ここで興味深いデータを算出してみました。今後のそれぞれのメンバー編成を見ていくうえでの基準となる、過去数大会におけるメンバーの平均年齢です。


■男女とも取り組まねばならない世代交代
男子は2002日韓大会から、女子は優勝した2011ドイツ大会から(五輪含む)のデータです。

男女サッカー代表 ワールドカップ年代別 平均年齢
[男子サッカー日本代表]
・2002年 日韓大会:25.2歳 (ベスト16/フィリップ・トルシエ監督)
(最年長34歳 中山雅史 / 最年少22歳 中田浩二 & 小野伸二 & 市川大祐)
・2006年 ドイツ大会:27.2歳 (GL敗退/ジーコ監督)
(最年長32歳 土肥洋一 / 最年少24歳 茂庭照幸 & 駒野友一)
・2010年 南アフリカ大会:27.8歳 (ベスト16/岡田武史監督)
(最年長34歳 楢崎正剛 & 川口能活 / 最年少22歳 内田篤人 & 森本貴幸)
・2014年 ブラジル大会:26.8歳 (GL敗退/アルベルト・ザッケローニ監督)
(最年長34歳 遠藤保仁 / 最年少23歳 酒井高徳 & 山口蛍)

[女子サッカー日本代表]
・2011 W杯ドイツ大会:25.2歳 (優勝/佐々木則夫監督)
(最年長36歳 山郷のぞみ / 最年少18歳 岩渕真奈)
・2012 ロンドン五輪:26.3歳 (準優勝/佐々木則夫監督)
(最年長34歳 澤穂希 / 最年少19歳 岩渕真奈)
・2015 W杯カナダ大会:27.7歳 (準優勝/佐々木則夫監督)
(最年長36歳 澤穂希 / 最年少22歳 岩渕真奈)

まず男子ですが、2002日韓大会こそかなり若いものの、平均年齢はもちろん、最年長&最年少に大きな振れ幅はありません。つまり、比較的安定した人材供給ができているということ。ただ、グループリーグで敗退したブラジル大会の主力メンバーがほぼ固定で残っているという現状はいかがなものか、と思う次第です。ほかにも有能な選手がいるわけですから、予選を通じて新戦力の発掘に注力すべきでは。

特になでしこジャパンと比較しても、マンネリ化からか気持ちが入っていない選手が少なくない印象です。チームそのものに緊張感を与える意味でも、「代表チームに入りたい」「W杯に行きたい」というどん欲な気持ちの選手を積極的に使っていただきたい。おそらくハリルホジッチ監督もなでしこの試合はご覧になられていたでしょうから、今一度選考について検討してほしいですね。

そしてなでしこジャパンですが、以前から指摘されている「高齢化」と「同じ顔ぶれ」がそのままデータに出た結果に。今大会を機に代表を引退される(であろう)澤はともかく、新戦力の発掘は急務と言えます。もちろん、“強いなでしこ”のメンタルを引き継がせつつ……。

結果が出ていることで継続起用されている佐々木監督についても、次の大会で優勝を目指すのであれば、後進の育成にまわっていただくことで新指揮官に交代する時期とも思います。いろんな意味で、頭打ちという状況であることは否定しようがありません。

結果的に惨敗、準優勝という不本意な結果ながら、それを微塵も感じさせない戦いぶりで清々しさをもたらしてくれたなでしこジャパンには「お疲れ様でした」という労いの言葉をおかけしたいです。そして、「プロスポーツにおける重要なものとは何か」ということを身をもって示してくれたことに、ただただ感謝するばかり。

文字どおり、彼女らの戦いぶりは大和撫子の呼び名にふさわしいものでした。

2015年7月2日木曜日

桐谷美玲を惹きつけるJリーグの魅力とは

■彼女のジェフ千葉愛は本物?
先頃、タレントの桐谷美玲さんがジェフユナイテッド市原・千葉のホームゲームを観戦していたさまが話題になりました。それも、プライベートで。確かに彼女ほど注目度の高い有名人がスタジアムに足を運んだとなれば、話題を集めるのも当然でしょう。

最近はJリーグのスタジアムに姿を現すタレントさんのトピックスが実に多いです。なかには「タレントとしての宣伝活動の一端では?」などと言われているそうですが、知名度が低いと話題にすら上りませんし、逆に知名度の高いタレントさんがやや斜陽気味なJリーグを利用してもメリットはほとんど皆無。素直にファンとして観戦しに来ているだけでしょう。

実際、日本サッカーは斜陽だと思います。W杯ブラジル大会での惨敗にアジアカップでの不本意な成績、先頃のシンガポール戦での不甲斐ない戦いぶりと、お世辞にも好成績を残しているとは言い難い日本代表。彼らが目覚ましい活躍をすれば、その礎であるJリーグには自ずと活気が溢れてくるのですが、代表のバロメーターに比例して新規ファンの獲得については苦戦中といったところ。

なぜ今、Jリーグなのか。答えはカンタン、20年以上培ってきた『地域密着型クラブの育成』に他ならないのです。

聞けば、桐谷美玲さんは一家でジェフ千葉のサポーターだそうで、かなりの年季だそう。Jリーグが発足23年めですから、生まれて間もない頃から市原臨海競技場に足を運んでいたのでしょう。Jリーグ元年(1993年)のジェフ千葉には、西ドイツ代表(当時)として活躍した稀代のドリブラー、ピエール・リトバルスキーが入団し、名声に違わぬ活躍ぶりでJリーグ人気の主役に躍り出たほど。ジーコ率いる鹿島アントラーズやカズ、ラモス要するヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ1969)などとしのぎを削る存在でした。

しかし、現在のジェフ千葉の舞台は、Jリーグのひとつ下に位置するカテゴリー、J2。2010年に降格してからずっとJ2暮らしで、あと一歩で昇格というところに迫りながらも勝ちきれず、6年めのJ2でのシーズンの真っ最中。往年の華やかな時代が遠くに感じられるほど、見る影もなくなっているのが現状です。

桐谷一家がビッグネームの存在や流行だけでサポーターになったのなら、きっと数年でサッカー熱は冷め、違う趣味や楽しみを探していたことでしょう。彼らを惹きつけたのは発足当時からのJリーグの理念である『地域密着型クラブ』、いわゆる“おらがまちのチーム”であったことです。


■四半世紀におよぶ活動が結実しつつある
プロ野球に属する球団は、すべて企業母体。分かりやすいところで言えば福岡ソフトバンクホークスで、今や福岡に拠点を置く強豪ですが、元々は大阪南部を本拠地とする南海ホークスという球団でした。運営母体は南海電鉄で、1988年にダイエーに売却されて福岡に移転、その後ソフトバンクに売却され、現在に至ります。

運営母体(親会社)が変わることで本拠地が移転する……企業母体のチームの宿命ですが、応援し続けてきたファンの心情を考えると、なんともやりきれないものです。なぜならばホームスタジアムという場所が存在し、そこに集まるファンは地元の人たち。スポーツクラブは、その地域に対してアイデンティティを強く持たせてくれる存在です。しかし企業の都合でころころ移転されては、地域愛もへったくれもありません。

『地域密着型クラブ』は、海外のスポーツクラブの存在意義を具現化したもので、スポーツクラブとして極めて健全な姿。発足当初のJリーグでは、その理念のため「クラブ名に企業名を入れてはならぬ」というおふれが出て、いくつかの球団から猛反発があったと聞きます(「だったらウチは一切の企業名を片っ端から外してやろうじゃないか」と、名古屋グランパスの母体であるトヨタ自動車が言ったことで収束したとも聞きます)。

これにより、Jリーグのクラブは地域に根ざした運営がベースとなり、企業母体の球団が引き起こす悲劇とは無縁の運営を続けてきました。日本では初の試みゆえ、横浜フリューゲルスの消滅という悲劇も経験したりしましたが、最初に蒔いた種が芽吹いてきつつあるわけです。

近年はJ2の下にJ3というカテゴリーも誕生し、この『地域密着型クラブ』が地方の町おこしとして活用されるようになりました。もちろん一筋縄ではいかず、各自治体が思い描いているほど華やかなものにはなりづらいところもありますが、スポーツクラブが生まれる場所から若い芽が現れ、街を背負ってさらなる世界を目指してくれる姿はどんな街であっても頼もしいもの。

桐谷美玲さんも、そんな想いとともにジェフの活躍を願っているのでしょう。J2であっても足を運ぶその姿勢は筋金入り。今回のトピックスは、彼女のナチュラルなキャラクターがそのまま反映されたものだと思います。

今回は桐谷さんがキッカケで知られることとなった“地域=スポーツクラブ=人”の幸せな関係。ときとともに育まれる郷土愛は何ものにも代え難く、極端なまでに一極集中型になっている日本という国に新たな可能性を示しているのだと思う今日このごろです。

2015年7月1日水曜日

法律でがんじがらめになる前にやるべきこととは

■ここまでされなきゃいけないの?
6月1日より改正された道路交通法により、特に自転車に対する取り締まりや罰則が厳しくなったことはご周知のとおりかと思います。雨の日、自転車に乗りながら傘をさす姿は珍しくない光景ですが、これも取り締まりの対象。確かにクルマやバイクに乗る側から見れば危なっかしいことおびただしいので、やむなしかと思いますが、いずれにせよ世知辛い世の中になったなぁ、と痛感する今日この頃。

特に昨今の自転車ブームを受けての法規制だとは思いますが、それにしても「やりすぎでは?」と思うところも。それぞれの国には私たち日本人では理解しがたい法律が存在しますし、アジア諸国の一部では無法地帯と化しているところもあるので、一概に比較はできませんが、にしても「各々が注意すれば済む話じゃないの?」と思える内容が罰則化とは、日本人として行き過ぎな感が否めません。

とはいえ、大きな車道の真ん中をすり抜けていったり、堂々と右折レーンに入る自転車を見ることが少なくないので、「こうでもしなきゃ収拾がつかないんだろうな」とも。

そこで、自分のなかに“別の違和感”が沸き上がってくるのです。法律で規制される前にできることがあったのでは?と。


■迷惑だと思うなら注意してやればいい
大阪から上京してきた私ですが、初めて都内をクルマで走って驚いたのは、全体的な行儀のよさ。今もなお大阪と東京を行き来するのでよく分かるのですが、良くも悪くもGoing My Wayな大阪に比べて、東京の交通状況は「一糸乱れぬ」という表現がぴったり当てはまるほど。

違いを挙げるとすれば、クラクションの有無でしょうか。東京でクラクションが聞こえるのは稀。実際、東京の職場の同僚と話していた際、「クラクションなんて人生で一度しか慣らしたことない」「別になくても問題ない」「鳴らす必要なんてあるの?」なんて声を耳にしました。

これ、東京だけなのでは?と思いました。そもそも意味のない機能が備わっていることなどあり得ませんし、私が訪れたアジア諸国はもちろん、アメリカやヨーロッパといった先進国の都心部でも、ここまでクラクションを聞かなかったことはありません。もちろん無作法に鳴らす必要などありませんが、程度で言えばちょっと極端なように思えます。

実際、突然飛び出してきた子どもを前に急ブレーキを余儀なくされながら、何も注意せず走り去ったクルマを東京で何度も見かけています。「いや、これは注意しなきゃダメだろう」ということにも、クラクションひとつ鳴らさない。

これでは意識が弛緩するのも無理ありません。


■“注意する文化”から生まれるより良い社会
あきらかに自分の行為が危ないと理解しつつも、注意を受けなければ意識に根づきにくいもの。子どもの教育と同様、他者からの指摘があって、善悪の区別が意識づけられるのです。クルマやバイクの性能は飛躍的にアップし、自転車までもが蔓延する都心部。それでいて、後づけの交通整備しかできないから都心の機能そのものがキャパシティオーバーを起こしつつあります。

1990年代のパソコンに、現代の画像ファイルを大量に流し込んでいるようなもの。機能不全を起こすのは当然のことでしょう。アメリカなどと比べると、街そのもののサイズ感が異なりますからなおさらです。

小さな箱のなかでスペックの高いマシンが行き来すれば、事故が増えるのは誰にでも分かること。しかし、私たちは機械ではなく、コミュニケーションを取れば分かり合える人間同士です。言うべきことを言わないというのは、他人への無関心に他なりません。

私は、都内を走る際でも遠慮なくクラクションを鳴らします。すると、まるですごいクレーマーに出くわしたかのように睨みつけてこられる方が少なくありません。関西はもちろん、諸外国では無作法な運転をしていればクラクションぐらい鳴らされますし、そのことに対してイチイチ過敏に反応する人などいません。東京の方々はかなりナイーブなのでしょうが、自身のベースに「注意する文化」を持たないと、社会そのものをより良くすることはできないと思います。

無作法な走り方をする自転車には、注意すればいい。それは自転車だけでなく、携帯電話を触りながら運転するクルマのドライバーやバイクに対しても同様。そうした“注意する文化”が根づいていけば、必要以上の法規制で縛られる社会にせずとも済むのではないでしょうか。

2015年6月29日月曜日

『巨人の星』では一流アスリートは生まれない

■少年野球は『巨人の星』のまま?
先日のコラムについて、さまざまなご意見をちょうだいしました。そのなかで『巨人の星』というキーワードを見て、言い得て妙だなと思わされました。

以前、日本サッカー協会で開催された「サッカー本 事始め」というトークショーのゲストであるスポーツライター賀川 浩さんが、初めて日本にスポーツというものが上陸した明治時代から太平洋戦争後、昭和の終わりまでの流れを語られました。スポーツとは元々西洋文化の一端で、キリスト教の安息日に始まる“休日をエンジョイする”ことを目的としたものだったそう。

確かにスポーツは、“心身を健やかに育む”という点では最適な存在ですが、明治日本では富国強兵制度が敷かれていたこともあり、「体育」という国民教育の一環として利用されたと言われています。確かに監督の指示こそが絶対のベースボールが野球として根付いたこと、見方次第では軍隊の訓練かと思うような体育の練習風景など、欧米で楽しまれているスポーツとは様相が異なる印象です。

『巨人の星』と言われたら、否応なく納得させられる共通点がいくつもあります。さりとて、戦後からつい十数年ほど前まではそんなシーンに違和感を覚えたことはありませんし、部活動で監督やコーチに怒鳴られても「ありがとうございます!」と返しては精一杯のパワーを放り出して倒れるまで練習に明け暮れることを当然のものとして受け入れていました。

「そもそも、それっておかしくない?」と言われるようになったのは、ごく最近のことだと思います。以前にも増して諸外国との交流が高まり(海外へ行く機会が増えた)、インターネットの普及でそれまで以上の情報が溢れかえり、コーチングという言葉が一般的になりました。プロのスポーツ選手だって、数十年前とは比べものにならないほどアスリート色が強まりました。

根性論では物事が解決しない、ようやくそのことに気づいたのです。

それでも、スポーツ界の底辺には今なおその根性論がはびこっています。もちろん情熱なくしてスポーツに取り組んでも良いプレーは生み出せませんが、論理的に物事を運ぼうとする考え方なくして、建設的な発展はありえません。


■少年野球と変わらない高校野球の実情
ミスを悪として咎める風潮は、少年野球だけのものではありません。おそらく日常生活のなかでも感じられるシーンが多々あるでしょう。振り返るに、長い年月をかけて積み上げられてきた日本人古来の伝統、いや性質というべきか。ロジカルに物事を進めたいのに、精神論で話を台無しにされるというジレンマを感じた方も多いでしょう。

他の競技とは違い、長い歴史とともに国民に親しまれてきた野球という存在には、これまでヨシとされてきた“悪しき伝統”が随所に見られるのも事実。そのひとつが、高校野球です。

真夏の炎天下、ひとりの高校生ピッチャーが連戦連投を繰り返す……。これまで美談として語り継がれてきましたが、ニュートラルな目で見れば、異常というほかない光景です。プロの選手だってまず連投などしません。選手層の問題が一番大きいのでしょうが、だからといってひとりの未来ある選手を壊していいという道理にはなりません。

“選手がはつらつとプレーできる環境を整える”ことがスポーツ本来の目的であるにもかかわらず、どこでどう間違えたのは“選手を痛めつける”ことになっているケースの多いこと。

「とあるスポーツクラブに入会したら、実は自衛隊でした」

とまで言ったら言い過ぎかもしれませんが、より良い選手を育てることを目的とするなら、コーチングそのものを見直すべき。そうしたら、夏の甲子園でぶっ倒れるまでピッチャーに連投させるなどという愚行に走ることはまずありません。

忠誠心の高さという日本人の良い部分が裏目に出た……いや、良い部分をうまく利用したシステムが、スポーツ根性論でしょう。誤解なきよう申し上げますが、ポジティブな姿勢を生む気持ちなくしてより良い取り組みは生まれませんが、かといって精神論だけですべてを解決しようというのは誤りです。それって、徹夜自慢する勘違い会社員とさして変わりません。


■クラブの選び方が重要になってくる現代
現代の少年野球(リトル)の指導者には、元プロ選手という人もいれば、「甲子園に出たことあるんだぜ」という元高校球児、そして「子どもらに教える程度なら」という野球経験者のおじさんと、さまざまなタイプが入り交じっていることでしょう。もちろんそれぞれのチーム事情(運営に関する資金や母体の違いなど)ありきでの人選だと思いますが、これからの時代、コーチングに関する独自理論を持たない指導者のもとには人は集まらないでしょう。

逆もまた然りで、選ぶ側も指導者の資質をしっかりと見極めなければなりません。いくらすごい肩書きを持っていても、指導のイロハすらままならない人のもとでいくら時間を費やしても向上するのは難しいですし、逆にノンキャリアでも“育む”という才能を有した指導者も存在します。

じゃあ、その違いを見分けるには?カンタンです、その指導者に「育成の目標」について聞けばいいのです。

スポーツを通じて、子どもたちにどんなことを学んでほしいのか、何を目標にしてほしいと考えているのか。少年少女を対象としたスポーツクラブにおける育成は、教育と同等。とすれば、育成の目的が明確でなければなりません。

特に「勝負ごとについての考え方」はもっとも重要だと思います。スポーツで人が死ぬことはありませんが、勝負ごとゆえ必ず勝敗が分かれます。勝者には賞賛が、敗者には屈辱が。ともすれば人生の縮図とも言うべき明暗を子ども時分から学ぶわけですから、指導者が勝負ごとに関する教育をするうえで、何を伝えたいかが明確であるべき。

そして、練習風景や試合を観る。“言うは易く、行うは難し”で、結局精神論だけで乗り越えさせようとする指導者のもとにいても時間の無駄。自分の子どもには最高の環境で楽しませてやりたい、高みを目指させてやりたいと願うものです、時間をかけて最適なクラブを選びましょう。そうすれば、必然的に優秀な指導者のもとに人は集まりますし、時代の流れを読み取れなかったクラブは自然消滅していくのみ。

何事も同様だと思いますが、“利用する側”が真理を見極める目を持つことこそが、環境をより良くする最善策なのではないでしょうか。

2015年6月24日水曜日

ミスを“悪”と捉えて怒鳴るしか能がないスポーツ指導者にもの申す

■怒鳴り声しか聞こえない河川敷の野球場

先日、メーカーからお借りしているバイクを撮影しようと近所の河川敷に行ったときのことです。ときは夕方、ちょうど少年野球チームが練習をしていました。

ひとりで黙々と撮影をしていたのですが、どうも耳に残る“何か”がある。なんだろう、と手をとめて耳を澄ますと、僕が異音と思ったのは、野球チームのコーチの怒鳴り声でした。それも、ずっと怒鳴りっぱなし。

選手が怠惰なプレーをすれば、怒鳴られるのは当たり前。さぼっていれば、怒鳴られるのは当たり前。でも、練習中ずっと怠けっぱなしの選手なんかいるわけがありません。にもかかわらず、コーチの怒鳴り声が途切れることはありませんでした。

いえ、決してそのコーチが選手たちのことを憎くて怒鳴っていたのではないでしょうが、“怒鳴る”以外の表現が思いつかないほど、声を荒げておられたのです。

僕も部活経験があるので、さして珍しいことではないとも思う部分があります。が、改めて日本のスポーツって“体育”なんだなぁ、と感じ入った次第です。

練習の様子を見ていて気づいたのは、そのコーチがミスに対して怒鳴り度合いを高めていたことでした。「そりゃミスすりゃ怒鳴るだろう」と思われるかもしれませんが、ちょっと待ってください。

ミスは“悪”ですか?


■貴重な機会を握り潰す指導者こそ悪

答えは、否。ミスは“悪”ではなく、新しい知識と経験を得るためのステップのひとつです。そして指導者がやらねばならないのは、その選手のミスについて「何がよくなかったのか」、「どうすれば改善できるのか」、「どうすればより良いプレーを生み出せるのか」をともに考え、導くことです。怒鳴ることではありません。

そもそも、地域のリトルだと、年会費や月謝を払い、グローブやバット、ユニフォームなどの購入とかなりのお金がかかっています。遠征だのなんだのと言い出したら、ご両親の心労たるや、というところです。

なぜリトルに参加しているのか。それは、その子どもが野球をしたいから、野球がうまくなりたいから。なかには「プロになりたい」と思っている子どももいるでしょう。その想いを汲み、親御さんはその子をバックアップしているに違いありません。

にもかかわらず、“ミスをする”というその子がより良い選手になるための機会を、怒鳴るだけで済ましているコーチが数多いるのです。僕が親で、その練習模様を目の当たりにしたら、すぐさまチームを変えさせます。子どもがはつらつとスポーツを楽しめないクラブなど願い下げです。


■日本スポーツ界の悪しき伝統


野球、サッカー、バスケットボール、バレーボール、テニス、卓球……競技はなんでもいいんです、スポーツの本質は“楽しむこと”。もちろん楽しむためには練習をしてさまざまな技術を身につける必要があります。それを本番で披露する楽しみこそが、スポーツの醍醐味。

しかし、日本におけるスポーツ界の底辺では、まるで何かの訓練のような様相を呈しているのが実情。そして、日本スポーツ界の悪しき伝統でもある『補欠制度』もまた然り。大変な練習をしてきても実戦で表現する場を与えられないというのは、“悪”というほかありません。

剣道や柔道、そして花道、茶道など、日本人は常に“道”を求め、より高い頂を追求せんとする民族性を持っています。それは大いに賞賛されるべきことですし、その献身的な姿勢は世界でも評価されています。

競技は違えど、スポーツにそのスタンスを持ち込むこと自体は間違いではないのですが、スポーツの本質まで見誤ったらNG。フィジカルとメンタル、両方が良いバランスのもと体を育み、競技を楽しむことがスポーツの醍醐味。ミスを怒鳴られて良いプレーができれば、プロの選手だって誰も苦労しません。

2020年、我が国は世界最大級のスポーツの祭典、オリンピックを開催します。開催自体は喜ばしいことですし(国民が望んだ開催かどうかは疑わしいですが)、これによって日常にスポーツを感じ、スポーツに親しむ日常を得ることができるでしょう。

だからこそ、スポーツに取り組む姿勢を理解せねばなりません。そう、日本サッカー協会が提唱しているように、「スポーツで、もっと、幸せな国へ。」となっていくためには。

2015年6月23日火曜日

次の試合で問われるハリルホジッチの真価

■過大評価される日本代表

2018年W杯ロシア大会、アジア二次予選の初戦シンガポールを引き分けで終えた日本代表。終わったことをグダグダ言っても仕方ないですが、反省すべきところはしっかりしてもらわないと。「サンシーロに比べたら50倍マシ」とか皮肉言われても、負け犬の遠吠えにしか聞こえませんから。

さすがのハリルホジッチ監督もショックを隠しきれなかった結果ですが、一方で「さもありなん」とも思います。なぜならば、日本代表の戦い方が不安定なのは今に始まったことではないからです。

よく考えてみましょう。2014年W杯ブラジル大会と比べて、今の日本代表のメンバーってそんなに差がありますか? せいぜい遠藤保仁(G大阪)と柴崎岳(鹿島)が変わったぐらいで、ほぼ同じメンバー。そのブラジル大会で申し分ない結果を出していたのなら、メンバーの大半が変わっていなくてもヨシ、ですが、結果は2敗1分けという散々な結果でのグループリーグ敗退。そして先のアジアカップ、アギーレ前監督のもと、ほぼ同じメンバーで臨んだ結果、ここ10数年で最低のベスト8敗退。

アジアでは上位に位置する実力を有してはいるけど、ちょっとレベルがあがると脆い。それが今の日本代表、ブラジル大会からほとんど何も変わっていない日本代表です。シンガポールに引き分けるというのはもはやネタにしか見えませんが、過大評価されている現状に目を向ける良いキッカケになったんじゃないでしょうか。


■まずはメンバー刷新から

今後の日本代表のスケジュールを見てみると、8月に中国で開催される『EAFF東アジアカップ2015決勝大会』で北朝鮮、韓国、中国と試合を行い、9月3日に再びW杯予選 第2戦 カンボジアをホームに迎えます。

シンガポール戦後、「眠れなかった」というハリルホジッチ監督も東アジアカップをテストの場とし、第2戦への試金石としていくかと思いますが、ここがハリルホジッチ監督の運命の分かれ道だと思っています。

まずは、大胆なメンバーチェンジを行えるか否か。

代表監督に就任して数試合を戦っただけで、まだ戦力の掘り起こしがやりきれていない感はありますが、とはいえ時は待ってくれません。海外組をほぼスタートから使ってあの結果です、“完全に”ではありませんが、若干頭打ちになっていることは明らか。新戦力の掘り起こしは急務です。

ハリルホジッチ監督はかなりJリーグを重視しており、相当数の試合観戦に訪れているそうです。多少未知数なところがあっても、実戦で使ってみることに踏み切ってみるべき。でなければ、ロシア大会での結果など推して知るべし、です。


■実戦とは、W杯予選のこと

“新戦力に実戦経験を”と言いましたが、それは次のカンボジア戦を指しています。東アジアカップは、あくまでテストの場であって、大切な出場権を賭けたW杯予選と同一視はできません。そもそも、対戦相手も予選の真っ最中、テスト色が濃くなるのは日本だけではないでしょう。

人によって好みはさまざまですが、カンボジア戦については注目の若手を中心に国内組のみで挑むべき。ここに海外組は不要です。そもそも2次予選で格下相手のホームという条件で、海外組の力をフル活用しなければ勝てないようじゃ、先が思いやられます。

“背水の陣”みたいな根性論を振りかざすつもりはありません。論理的に考えて、シンガポールをも叩き伏せられない海外組をビジネスクラス(またはファーストクラス)で呼び戻す予算があるぐらいなら、新戦力の発掘という有意義なことに使うべきだと言いたいのです。どれだけ技術と経験を持っていても、大切な場面でその能力を発揮できない“ガラスのハート”の背番号10なんて、僕だったら使う気にすらなりません。

さらに先のW杯本大会を見据えるのであれば、今からこのぐらいのことをやっておかなければ、後で「手札がない」と嘆くことになるのですから。それ、土壇場で大久保義人(川崎)を呼ばなくてはならなくなったザッケローニ監督の二の舞ですよ。

勝つ気があるのであれば、ですが。

2015年6月16日火曜日

勝負に対する気迫を感じない日本代表サポーター

2018年ワールドカップ ロシア大会 アジア二次予選 グループC 
日本 0 - 0 シンガポール 
2015年6月16日(火) 埼玉スタジアム2002(日本)


「オー、ニッポーン、ニッポーン、ニッポーン、ニッポーン」

途絶えることのない応援歌。今回ほどその光景が滑稽に見えたことはありませんでした。

2015年6月現在、FIFAランキングという点から見れば、52位の日本に対し、シンガポールは154位。「アテにならない」と言われるFIFAランキングですが、とはいえここまで差が開いていれば、どういう試合展開になるかは予測できようもの。実際、ボール支配率は63パーセント、シュート本数も3本のシンガポールに対し、日本は28本と雨あられのように撃ちまくりまくりました。格下チームと対戦したF.C.バルセロナかと思うようなデータです。

ところが、最後の一本、一点が入らなかった。

確かに相手のGKが当たりに当たっていたという副産物はありました。後半に放たれた本田圭祐の完璧なヘッドも、コースが甘かったとはいえ片手一本でかき出す神セーブで無効に。闇雲なハイクロスが通用しない空中戦に強いGKでした(某解説者は「もっとサイドからクロスを!」と叫んでいらっしゃいましたが……)。

とはいえ、それが言い訳になるはずがありません。1位しか確実に通過できない二次予選で、格下をホームに迎えての初戦。「シンガポールを過小評価してはならない」とはハリルホジッチ監督の言葉ですが、この状況下で負けは論外、引き分けも負けと同じ。勝利以外はあり得なかった試合です。

敗戦の原因は、不運だけではありません。圧倒的にボールを支配しながら、バイタルエリアから先の“崩しのアイディア”が致命的に乏しい。岡崎、本田、香川、宇佐美という先発の四人はもちろん、途中投入された選手も「どういうボールが欲しい」という要求がまるでない。だから、チームとしての攻撃の型が共有できない。プレッシャーもさしてないのに慌ててボールを手放すから、相手からしたら読みやすい。シンガポールがべったり引いていたのもありますが、「引いた相手をどう崩すか」などという課題は10年以上も前から言われているアジア対策ですし、海外のトップリーグでプレーしている選手が先発を飾っていながら無力というのは無様という他ありません。

絶対に勝たなければならない相手からゴールが奪えない。時間が経てば経つほどプレッシャーがのしかかっていたのでしょう、終盤はボールがまともに足元に落ち着かない選手が続発する始末。まだ二次予選ですよ? これでは先が思いやられます。

そして、サポーターのレベルの低さも浮き彫りに。

後半22分、完全に捉えたと思われた本田のヘッドが相手GKのビッグセーブでかき出された瞬間、「あ、今日は本気でやばいな」という雰囲気に陥りました。おそらくスタジアムも同じような雰囲気に包まれたことでしょう。

そこでサポーターが取った行動とは……変わらぬ大合唱でした。単調なテンポの合唱が聞こえ続け、「ああ、この人たちは本気で勝ちたいとは思っていないんだな」と思いました。

声援をおくることを否定するわけではありませんが、アジア最終予選で中東の強豪と戦っているならいざしらず、二次予選の初戦で格下相手、そしてホームという状況下だということを考えましょう。これで怒らない方がどうかしています。

「お前ら、何ちんたらやってんだ。とっととねじ伏せろ」

これぐらいの意思表示は当たり前。試合が終わってからブーイングがあったそうですが、いやいやタイミングそこじゃないでしょう、と。なぜ試合中に怒りを示さないのでしょう。「まわりが精一杯応援しているから、自分も一緒に声援を送らなきゃ」と? それ、サポーターじゃなくてコンサートに来たファンですよね。この日、あのスタジアムで声援をおくるだけだった人すべて、目の前で繰り広げられている試合が勝負事だという認識が薄い方々だったのでしょう。この点に関しては、「サポーターに恵まれていないなぁ」と日本代表の面々に同情します。

10数年前、イタリア・ローマのスタディオ・オリンピコでA.S.ローマvsレッジーナの試合を観戦したことがあるのですが、後半半ば、レッジーナに先制点を奪われると、6万人とも言われるローマのサポーターが足踏みを始めたのです。すると、スタジアムは地鳴りに包まれました。

「お前ら、このまま終わったらどうなるか分かってるな」

まるでそう言わんばかりの怒りの地鳴り。結果的にローマは敗れ、帰路につくサポーターの表情はまるでお通夜帰りのようでした。ただ、怒りを表すことは本気で勝利を渇望するがゆえ、ということを教えられました。

選手を育てるのは、サポーター。サッカーに対する審美眼を養い、良いプレーには賞賛を、怠惰なプレーには罵声をおくる。そうすることで、選手は真剣勝負の意味を知り、より良い選手へと成長していくのです。

「まるでアイドルのコンサートのよう」とはセルジオ越後さんの言葉ですが、今日のていたらくはその言葉どおり。サポーターがこのレベルでは選手間に緊張感は走らないし、今より日本代表が強くなることはないでしょう。ハリルホジッチといえど、魔法使いではないですから。

アジアカップ ベスト8から監督が変わり、テストマッチで3連勝を飾ったことでチームが強くなったかのように思われていましたが、改めて日本代表の現在地が見えた試合だったのではないでしょうか。

まぁ、アジアでこの結果しか出せない日本代表を「歴代最強」などと謳っている馬鹿げた状況を思えば、一度ぐらいワールドカップ出場を逃してもいいんじゃないか、と思っています。イングランドやフランスだって出場を逃したことがあります、そして彼らは、その黒歴史を糧に再び勝ち上がってきました。そう、良薬口に苦し、です。

良薬が必要なのは、サポーターか代表選手か、はたまた……。

2015年6月13日土曜日

哲学と情熱を証明したドゥカティのものづくり

2014年のインターモトで発表されて以来注目を集めていたイタリアンモーターサイクルメーカー『ドゥカティ』のニューモデル、スクランブラーの日本での販売がついに開始となりました。All Aboutのバイクガイドでも試乗インプレッションをお届けしています。


>> スクランブラー ドゥカティ 徹底解析

詳しくは上記をご覧いただくとして、個人的に感心したのはその造形美。エンジンはモンスター796の流用ですが、それ以外のほとんどがスクランブラー専用のもの。そう、フレームやスイングアームといった大物まで専用のものを開発しているのです。

既存モデルからのエンジン流用は珍しくありませんが、最近では既存モデルのパーツを寄せ集めて違うモデルとして出しちゃうメーカーも少なくありません。僕はそれを「ツギハギバイク」「フランケンバイク」と呼んだりします。しかしながらそれも、今や企業としてクリアせねばならないコストカット問題ゆえ。会社員時代に想いを馳せて、「それも致し方なしか」と冷ややかな目で見ていたのです。

発表当初はシルエットしか見せていなかったスクランブラーも、一部では「ツギハギバイクでは」と言われていたのですが、実際の姿はとんでもない、とても100万円前後とは思えないハイグレードな仕上がりでした。日本のメーカーが手がけるような優等生モデルではないものの、ドゥカティらしいアクの強さを持たせつつ、ビジュアルとスポーツ性能の両方を兼ね備えた完成度を見せつけてきたのです。

ドゥカティジャパンより広報車をお借りし、一週間乗り倒しました。乗れば乗るほど味わいが出てくるほどで、広報車をお借りして「まだ乗り足りない」と初めて思えたオートバイだったのです。正直、今は真剣に購入を検討しています。

とことん乗らせていただき、ふと頭に浮かんだのが、ビューエルというバイク(メーカー)でした。出自はハーレーダビッドソンで、ハーレー特有のVツインエンジンを心臓に持ちつつ、現代のスポーツバイクとして必要なスタイリングにまとめられたバイクを生み出していました。2009年、売り上げ低迷から米ハーレーダビッドソンはビューエルの生産中止を発表、今なお根強いファンを持ちつつも、ハーレーの歴史からスポーツバイクの分野は切り捨てられたのです。

メーカーとしてのフィロソフィー(哲学)が込められた特有のエンジンを持たせつつ、スポーツバイクとしての性能を突き詰め、なおかつスタイリッシュにカルチャーを感じさせられるモーターサイクル。ビューエルが狙っていた世界観はまさにこれで、米ハーレー本社も、現在のスポーツスターにそのノウハウを投入するつもりだったのでしょう。リーマンショックの影響からの経営判断でしょうが、「もしビューエルの技術やノウハウが今のスポーツスターに投入されていたら……」と想像すると、スクランブラーのスタイルになるのです。

そう、本来ならばハーレーダビッドソンがもっと早くに作らねばならなかったオートバイを、ドゥカティに作られてしまった。スクランブラーの背景がアメリカンカルチャーという点も、その皮肉ぶりを際立たせていると言えます。

さて、そのハーレーダビッドソンはというと、満を持して発表したのがストリート750というニューモデル。

>> ストリート750 試乗インプレッション

ハーレーにとっては禁断とも言える新設計の水冷エンジンを持つストリートバイク。同メーカーとしても進化することの姿勢を示した形ではありますが、しかしながらその出来映えはおよそハーレーダビッドソンの歴史をリスペクトしているとは思えないほどチープ。溶接の雑さやバランスの悪いスタイリングなど、販売前から疑問視されていた同モデルの実物を見たときのガッカリ感といったら。生産国はインドで、狙いはインドや中国と言った未開の市場への乗り込みですが、目の肥えた日本には不向きなモデル。ハーレーダビッドソンの名にふさわしい所有欲をまったく刺激してこないのです。同じ発展途上国で製造されたバイク同士(スクランブラーはタイ)にもかかわらず、両者を見比べたら前者がみじめに見えるほど。プロダクトに対するメーカーの姿勢が浮き彫りになった結果です。

もちろん、それぞれに企業としての事情があるのは当然のこと。ドゥカティは2012年、ドイツの自動車メーカー『アウディ』に買収されました。これにより、アウディを傘下に持つフォルクスワーゲングループ(以下、VW)がドゥカティの大元となったのです。

VWがドゥカティを手に入れた理由、それはライバルメーカーであるBMWへの対抗と言われています。四輪/二輪両方を持つBMWのバイク部門と渡り合うための買収で、実際にBMWとドゥカティは世界のトップシーンで対峙しているライバル。このスクランブラー開発に関しては、大元からの至上命令とバックアップがあったものと思われます。四輪の力を得ずにオートバイのみで戦いを挑んでいるハーレーの姿勢には敬服するばかりですが、だからといって妥協のプロダクトを出すというのは、メーカーの姿勢としていかがなものか。

試乗前からストリート750に対しては疑問が多く、実際に乗ってみて「悪くはないかも」と思いつつも、しっかりと走りの性能を煮詰めたモデルと乗り比べたときの見劣りといったら。あらゆる面で高いグレードを見せつけてきたスクランブラーとの比較はあまりに残酷。

同じアジアで製造されていながらのこの差、それは哲学と情熱が生んだものと言わざるを得ません。「このぐらいでいいんじゃないか」と浅いライン引きでOKサインを出したハーレーに対し、「中途半端なものをドゥカティのブランドとして出せるか」と細部のディテールにまでこだわり抜いたドゥカティ。結果(完成品)がすべてを物語っています。

ライディングプレジャー、スタイリング、カルチャー、フィロソフィー……スクランブラーには、オートバイを楽しむために必要な要素がすべて詰め込まれていました。それも、いずれも高いレベルで。おそらくなかには「いや、スクランブラーだって別に満点のバイクじゃないし……」と言われる方もいらっしゃるかと思いますが、「だったら、まずはスクランブラーに張り合えるだけのモデルを持ってきてください」と言いたい。

揺るぎないフィロソフィーから生み出されたプロダクトは、クオリティの是非が分かるユーザーに必ず評価される。“これ”という明確な指針があるわけではありませんが、「私たちにとってこれがベストであり、多くの人に触れてほしい製品だ」という想いなくして、人の心は揺り動かせない。モーターサイクルに関する仕事をする身にとって、ドゥカティとスクランブラーが訴えかけてきたものは、オートバイとしてあるべき姿勢だと思いました。

このスクランブラーというオートバイは、今のモーターサイクルの世界に大きな一石を投じました。これを機に、日本のモーターサイクル市場に小さくない波が発生するに違いありません。ただ、私はその波を大いに歓迎します。「ハーレーじゃなきゃいけない」、「ドゥカティじゃなきゃいけない」……そんな縛りは不要です。

魂の込められたものを生み出す努力をすれば、それは必ず伝わる。だからこそ、メディアを名乗る人は“良い”“悪い”を明確に言わねばならないと思います。馴れ合いのことしか言えないメディアは、哲学を失ったメーカーのように没落していくのみでしょう。

多くのスクランブラーが日本のロードシーンを彩ってくれるのが楽しみです。それは見た目だけでなく、良いものが広がっていくことの喜びでもあるからです。

そして願わくば、“してやられた”ハーレーダビッドソンが、再び111年の歴史とともに培ってきた自分たちのフィロソフィーと向き合い、原点に立ち返ってくれるよう。

遡ること1968年、米ハーレーダビッドソンはAMFという大手企業に買収されたのですが、1981年に役員13名の手によって株を買い戻し、再び独立したという苛烈な歴史を持っています。この出来事は『Buy Back』(バイバック)と呼ばれ、ハーレーが「しかるべき品質の製品を提供せねばならない」という強い意志を示した事由でもあるのです。

その役員13名のひとりで、創業者の血を受け継ぐウィリアム G.ダビッドソン、“ウィリーG”を2013年にインタビューしたとき、彼はこう言っていました。

「ブランドをリスペクトしなければいけない」

111年の歴史は伊達ではありません、そこには他メーカーが持ち得ない無限の可能性があるのです。そして、自社のブランドに誇りを持って立ち上がった先達も、その歴史のなかに刻まれています。ウィリーGはそのことを伝えようとしていたのでしょう。もちろん、そんな言葉が出たのも誇りある自社に対する違和感からでしょうが……。

今こそハーレーダビッドソンは、ウィリーGの言葉の意味を探るべき。今、見つめ直さなければ、ハーレーはそう遠くないうちにその歴史に幕を閉じることになるでしょう。何十年か後、ストリート750が黒歴史として笑って振り返られるようにするためにも。

2015年6月6日土曜日

「お金がないから」と言い訳するメディアに未来はない

先日、『フィフス・エステート/世界から狙われた男』という映画のDVDを観ました。主演はベネディクト・カンバーバッチで、ヨーロッパで生まれた内部告発サイト「ウィキリークス」の設立からイラク戦争の民間人殺傷動画公開事件までをフィクション風に描いたスリラー映画です。

内部告発者によってもたらされたありとあらゆる機密を素材のまま公開するウェブサイト「ウィキリークス」をはじめとするウェブメディアは、確かに既存メディアのあり方を大きく変えました。日本においても、とりわけ紙媒体に対して変化を強要したと言っていいでしょう。

インターネット上における情報の氾濫によって、新聞や雑誌といった紙媒体の売り上げが激減した……。媒体によっては直接的な因果関係を見出すのは難しいですが、肌感覚のレベルでも、確かにそのとおりだと思います。かつて情報源が紙の印刷物に限られていたところ、インターネットを利用すれば無料で手軽に得られるようになった。スマートフォンやタブレット機器などハードの発展もあり、その動きは加速化しています。

とはいえ、今なお印刷物需要が完全に消え失せたわけではありません。書店が激減している昨今ですが、駅の売店やコンビニエンスストアの本棚には今もびっしりと雑誌等が並んでいます。個人的には、“ものを大切にする民族”で形成される日本において、紙媒体はゼロにはならないと考えています。ただ、かつて旺盛を誇ったほどの量は求められないとも。

私自身も以前、オートバイに関する出版社のウェブメディアを担当していた経験を持っており、紙媒体の人間からずいぶん疎まれたものです(笑)。曰く、「雑誌でやっていた内容をそのままウェブでやられちゃったんじゃあな」というものが大半でした。

それって、何かズレていませんか?

かつて紙媒体で用いられていた手法をウェブがやっちゃいけない、そんなルールはありません。そもそもウェブメディアは世界中の一般の人が求めたものだからこそ、ここまで広がりを見せているのです。その“世界中の一般の人”には、批判的な紙媒体関係者も含まれているはず。現代において何か調べゴトをするときに、真っ先に辞書を手にする人は少数派でしょう。その批判的な人でさえ、GoogleやWikipediaでリサーチしています。まぁ、ただの妬みとして受け流していますが(笑)。

これまで「紙媒体=メディア(媒体)」と考えられてきましたが、今はそうではありません。「媒体=複数のメディアツール」、つまり媒体のタイトルはひとつのブランドで、アウトプットの方法として紙媒体やウェブ、ムービーという選択肢を持つことが求められています。

とはいえ、そういった時代の流れに合わせて変化できている媒体はごく少数。私が仕事をしているオートバイ業界でも、雑誌という紙媒体にすがりついている出版社は少なくありません。それでもウェブメディアへの移行があまり進まないのは、コスト削減でだましだまし続けているから。

かつて5人いた編集部が、今では3人、いやそれ以下に。これによって人件費が大幅に削減でき、コストパフォーマンスがアップしたかのように見えますが、単純に編集部員ひとりあたりにかかる負荷があがっているだけのこと。それでもウェブメディアによる浸食がとまらないので実売がともなわず(いわゆる「雑誌が売れない」という嘆きの源)、コストを削ったものの焼け石に水。

こうなると、今度はもうひとつの収入源である広告費に力を入れるようになり、いわゆるタイアップ記事が増加。結果的に収入増にはつながりますが、広告主ありきのタイアップ記事ほど繊細さが要求されるものはありません。仕上がったものがクライアントよがりな内容になっていると、「せっかくお金を払っているのに、こんなものを読まされたんじゃたまったもんじゃない」と、購読者にネガティブなイメージを抱かれ、結果的に実売を下げることになるのです。

そして、さらなるコスト源として「外注費の削減」へとつながります。

紙媒体の本質は、印刷物の上に乗っている「付加価値」、いわゆる各媒体ごとのオリジナル情報そのもの。他では得られない特別な情報を「価値あるもの」とユーザーが受け取り、付加価値への対価として雑誌購入代金を支払ってくれるわけです。

フリーランスとして動いているなかで、最近よく耳にするのが「ウチ、お金がないんで」という編集担当者の嘆きの声。編集と営業、その他諸々のコストをかけて紙媒体を刷っているそのご苦労たるや計り知れませんが、とはいえ「制作費」と呼ばれるものがなければ、媒体ごとのオリジナル情報を入手することはできず、付加価値そのものを得ることができません。

オファーの段階でギャランティを言わない、またオファー時に聞いたギャランティを下げてくるというメディアもいらっしゃいます。ここまで来ると、もはやメディアとしての資質を疑わざるを得ません。例えばコンビニでジュースを買おうとして、そこに価格が表示されていなかったら皆さんはどう思われますか? 仕事を依頼する側が事前に金額を明示するというのは当然のこと。

そこで、「いやぁ、ウチ、お金ないんだよね」と卑下たことを言われるケースが実に多い。お金がないことは悪いわけではありません、要は、プロ(外注)にお仕事を依頼されるにあたり、手持ちの費用でどこまでやってもらえるのかを相談すればいいのです。これが交渉の第一歩で、お互いが気持ちよく仕事ができる環境づくりを探っていくことが、ビジネスパートナーと呼ばれる間柄を生んでいけるのだと思います。

「お金がないんだよね」と言われると、外注としては「だから何?」と返さざるを得ません。自分の都合を相手に押し付けようとする方とは、ビジネスパートナーになりたくありませんね。

メディアとしての姿勢もそう。「自社媒体が売れない⇒コスト削減」というマイナスの発想しかないメディアと付き合っても、百害あって一利なし。「ウェブが今、かつての紙媒体と同じクオリティに達しつつある。ならば、これからの紙媒体はどうあるべきか。我々はメディアとして、ウェブや紙媒体、ムービーといった選択肢をどう利用していくべきか」という命題に対する答えを持っていないメディアは、遠くないうちに淘汰されることでしょう。

『フィフス・エステート/世界から狙われた男』で描かれていたウィキリークスのあり方はかなり極端ではありますが、これまでのメディアが大きな転換期を迎えた瞬間を表現していました。ここオールアバウトをはじめ、長らく(そしてこれからも)ウェブメディアに携わる身なので、なおさら強く感じた次第です。

こうした変化の波に対して、日本人は往々にしてアレルギー反応を示すものです。腰が重いというよりは、しっかりと地に足をつけ、時間をかけて知識や経験を練り込む国民性ゆえでしょう。その培った経験そのものを捨て去れというわけではなく、新しいツールへのアプローチそのものを怠るのは誤りだと思うのです。

日頃、好みの雑誌を定期購読している方は、改めてニュートラルな感覚で読み返してみてください。「あれ? これって大人の事情的な記事じゃないの?」という面が見て取れ、そこで気持ちが冷めてしまったら、迷わず購読をやめることをお薦めします。なぜならばその媒体が死に体となりつつある証拠ですし、ひとり、またひとりと購読者が減ることで、時代への変化を強要することができるのです。連敗中のスポーツクラブにあたたかい声援を送っても、決して強くはなれません。ときには厳しい声をかけるからこそ、成長できるのです。

ただ、結果的に外圧ありきの変化しかできないメディアは、そのときは生き長らえたとしても、そう遠くない将来に消え去るものと思いますが……。

2015年4月22日水曜日

プロ野球選手がネックレスをして何が悪い?

先日、北海道日本ハムファイターズの中田翔選手が、太くて長い金属製のネックレスをぶら下げてプレーしていたことが批判されています。某作家さんから苦言を呈されるなど、ニュースはややネガティブなイメージをもって伝えているようでした。

はて、プロ野球選手がネックレスをしちゃいけないルールがありましたでしょうか。

その昔、1998年サッカー・ワールドカップ フランス大会の出場権を獲得した日本代表のキーマン中田英寿選手が、一時期大きなペンダントのついたネックレスを付けてプレーをしていたことがありました。「相手選手に掴まれたら危ない」、「プレーの邪魔になるじゃないか」などなど批判的な声もありましたが、空前のW杯フィーバーであったことから、そのネガティブな声が肥大化することはありませんでした。

メジャーリーグに目をやっても、ネックレスをしている選手は幾人かいます。ヨーロッパのサッカー選手にはあまり見られないと思いますが、彼らがネックレスや貴金属を身につけていたとしても、それがプレーを阻害しているかは自分で分かることです。野球でもサッカーでも、精度の高いプレーをこなすのがプロの役目ですから、そのなかでノイズになるような備品をわざわざ身につけたりするはずがない。

タトゥーなども同様、ネックレスもそもそも日本の伝統文化のなかに存在しない外来種ゆえ、どうしても必要以上に目についてしまうのだとは思いますが、プロの選手にいちいち言うほどのこととも思えないのです。

結局、日本にスポーツが根付いていないことの表れなのかな、と。

以前、日本サッカー協会で催された「サッカー本 事始め」というトークショーにご出演されていたスポーツライター賀川 浩さんが、スポーツの起源についてお話しくださいました。それによると、そもそもスポーツとはヨーロッパで生まれた文化で、カトリック信仰に端を発すると言われます。日曜日はカトリック教徒にとって安息日で、体をリフレッシュさせる大切な日。とはいえ、街のいたるお店が休んでしまうので、「そんな安息日を楽しく過ごすためには……」というところから、スポーツの原点が生まれたとか。真意のほどは定かではありませんが、そこにルールが設けられ、サッカーやラグビー、クリケット、そしてベースボールなどさまざまな競技が生まれてきたのでしょう。プロスポーツとなると職業や仕事という側面が発生しますが、そもそも論という点で見れば、人々を心身ともにリフレッシュさせるために生まれたものだと考えられます。

ところが明治時代、ヨーロッパの人々によって日本に伝来された各種スポーツは、基本概念とはかけ離れたところで取り入れられることに。当時、富国強兵という合い言葉のもと、日本は列強国と渡り合うための軍国化を押し進めていました。強い軍隊を作り上げるには、心身ともに鍛えられた若者が不可欠。

そして、富国強兵を押し進めるためのツールとして、各種スポーツが取り入れられました。それが、今日で言われる“体育”の基礎。体育は、健全な国民を作り上げるための教育の一環であり、ひいては強い軍隊のためでもあったのです。体罰や補欠制度は、スポーツ本来の概念を阻害する最たる例。一生懸命体を動かして楽しむために取り組んでいるのに、コーチの言うとおりにできないと殴られる、うまくないからと何年もベンチを温めさせられるなど、諸外国じゃ理解できない制度が当たり前のように横行しているのが、日本のスポーツ界です。

中田翔選手が長くて太いネックレスをしていて……それが、何か重要な問題なのでしょうか。もちろん、彼がプロの選手として、応援してくれている人を満足させるプレーができていなければ、「おいおい、どうしたんだ」という声も出るでしょうし、彼が怠惰なプレーを見せれば観客席から叱責の声が飛ぶでしょう。

でも、ただネックレスをしているから「おかしい」というのはナンセンス。別に捕球の際にネックレスが首にからまって邪魔をしたわけでもありませんから、そこを気にする人の方が神経質な気がします。第一、中田選手と日本ハムの契約書に「ネックレスをしちゃいけない」なんて一文はないはず。

一方で、中田選手もまだまだ青いな、という印象があるのも事実。ご自身が気に入って身につけているのでしょうが、精度の高いプレーに取り組むにあたり、ネックレスがノイズになるのは間違いありません。「いや、全然邪魔じゃないよ」と言うのであれば、彼自身がより高いプレーを志していないことの裏返しでもあると思います。どんな格好をしたっていいんですが、プロの選手である以上、現状を上回るプレーができるよう腐心していただきたいなぁ、と思う次第です。志なくして、人を感動させられるプレーはできないと思いますから。

まぁせっかくなので……中田翔選手、大きな数珠をつけてみてはいかがでしょう? 世間に注目されるプロフェッショナルとしての人生を歩んでいらっしゃるので、こうした些末なことで非難してくる人には、ユーモアで返してみてほしいですね。

2015年3月30日月曜日

期待値高まるハリルホジッチ率いる新生日本代表

[2015年3月27日(金) 日本代表 vs チュニジア代表 @ 大分スポーツ公園総合競技場]

スターティングイレブンを見て、驚きを隠せませんでした。

 【GK】
権田修一(FC東京)

【DF】
藤春廣輝(G大阪)
槙野智章(浦和)
吉田麻也(サウサンプトン)
酒井宏樹(ハノーファー)

【MF】
山口蛍(C大阪)
長谷部誠(フランクフルト)
清武弘嗣(ハノーファー)

【FW】
武藤嘉紀(FC東京)
川又堅碁(名古屋)
永井謙佑(名古屋)

ここ数年の日本代表を見慣れた人には、馴染みのない名前がずらりと並びました。ブラジル大会から振り返ると、トップの3人なんて完全に新顔。これにはスタジアムでもどよめきが起こったものと思います。

長谷部、吉田はこれまでの代表チームの背骨として残しつつ、わずかな期間で招集したハリルホジッチ監督の希望選手が先発入り。誤解なきよう言いますと、“先発最強主義”は過去の遺物で、90分という試合時間のなかでどんな展開をコーディネートするかが、現在の指揮官に求められる資質とされます。ただ、その論理はともかく、「私はこういうチームを作っていく」というハリルホジッチ監督の明確な意志が込められたメンバーでした。

【1】監督が目指すスタイルに合った選手を起用する
【2】コンディションの良い選手を優先的に使う


海外組であっても名前では使わないというスタンス。こんなことは当たり前のことなのですが、当たり前が当たり前じゃなかったのがこれまでの日本代表チーム。それを思えば、大きな改革であったことは間違いありません。ハリルホジッチ監督にしてみれば、「何をそんなに騒いでいるんだ?」というところでしょうが。

試合は、後半から途中出場をはたした本田、香川、岡崎の常連3人が貫禄を見せつけての2ゴールで完勝。最後まで決めきれなかったフレッシュな先発メンバーとの明暗がくっきり浮かび上がった結果でしたが、私自身はまったく悲観していません。それどころか、こんなにワクワクした気持ちで代表戦を見たのはいつ振りだろう?と思うほど。

もっとも好印象だったのは、球際の強さ、激しさでした。

ハリルホジッチ監督による指示もあったでしょうが、先発で起用された喜び、そして「これを逃したらもう呼んでもらえないかも」という危機感を抱いた先発メンバーは、「え?そこからプレスかけるの?」という高い位置から猛然とダッシュしてのプレッシングを敢行。まるで高校サッカーのようながむしゃらさは、ここ何年も日本代表では見られなくなったパッションに溢れたものでした。

チームとしてのコンビネーション能力は、お世辞にも高いとは言い難いレベルでしたが、それを差し引いても余りある激しいプレッシングは、チュニジアを自陣に釘付けにすると同時に、ハイプレスからの早い攻撃へとつなげる展開へと結びついていました。練度の高いコンビネーション能力が備わっていれば、前半でゴールを割れていたものと思います。本田、香川、岡崎の功績を軽んじるわけではありませんが、故に彼ら3人の連携力が際立ったのは言うまでもありません。

『週刊サッカーダイジェスト』では、結果を出した3人を平均点以上とし、フレッシュな勢いを見せつつも結果を残せなかった先発メンバーにややシビアな採点としていました。私はこの内容は納得のもので、海外・国内に関係なく彼らはプロとしてピッチに立っているので、結果が出せなければ厳しい採点になるのは当然のこと。「負けたけど、内容は良かった」という弱者のメンタリティーを捨て去る意味でも、そして激励という想いも含め、選手たちにはこの採点をしっかり受け止めてほしいと思います。

次のウズベキスタン戦では、また先発メンバーを替えてくるというハリルホジッチ監督。びっくり箱のような代表チームにワクワクする夜が続きそうです。

2015年3月19日木曜日

バイク芸人がいてクルマ芸人がいない理由

人気の深夜番組『アメトーーク』で人気を博していると言われるカテゴリー、バイク芸人。オートバイに関する仕事に携わる身としてその話題性は無視できない大きさで、一時はバイク芸人に関するウェブコンテンツを手がければアクセス数がしっかり取れたほどでした。

しかしながら、同じ乗り物というカテゴリーで言えば、クルマ芸人というのが出てきても不思議ではありません。しかし後にも先(?)にもクルマ芸人というのは出ていません。どちらかと言えば、趣味のクルマを楽しんでいる芸能人やお笑い芸人が多いであろうにもかかわらず。

要するに、イメージに対する圧力があるのでしょう。

オートバイのコマーシャルを見る機会は極めて少ないですが、クルマのコマーシャルは何度となく見かけますよね。ひとえにマーケットの違いに他ならず、趣味性の高いオートバイとは比べるべくもありません。動くお金が大きければ、大々的に広告を出せるわけですから。

各社ともさまざまなコマーシャル展開をしているクルマ業界。それぞれが趣向をこらし、ある企業は旬の芸能人やプロスポーツ選手を贅沢に使ったり、ある企業は可愛らしいキャラクターを用いて子どもの支持率を高めたり……。

そこに、お笑い芸人が「このクルマに乗っています!」と出てきたら……企業が打ち出したいイメージが崩れる可能性大、ですよね。せっかくの広告宣伝費が、それだけで塗り替えられてしまうわけです。

これだけTVコマーシャルがたくさん出ていれば、当然番組(TV局)のクライアントでもあるでしょうから、番組制作サイドとしては、「せっかく自社ブランドのイメージを打ち出している製品に余計な色はつけてくれるな」というクライアントの機嫌を損ねる企画なんて出せるはずもない。クルマ芸人企画が出てこないのは、そうした大人の事情があるからではないでしょうか。

ひとえにマーケットの違い、ただただそれを痛感するばかり。ですから、僕はバイク芸人の話題で盛り上がれば盛り上がるほど、寂しい気持ちになるのです。話題性に頼ったところで所詮一過性のもの、というのは、ヤマハTW200の爆発的な人気につながった2000年の連続ドラマ『ビューティフルライフ』が証明していますから。

誰もがニュートラルにオートバイに親しめるカルチャーづくりに携わりたい、と思っている今日このごろです。

2015年3月15日日曜日

ハリルホジッチも頭を抱える日本サッカーの現状

試合後、思っていた以上に困難なことが待ち受けていることをハリルホジッチ新監督は感じられたことでしょう。

先頃、サッカー日本代表監督に就任したヴァヒド・ハリルホジッチ氏。旧ユーゴスラビア出身のフランス国籍という彼について、何かを語るには情報が少なすぎますし、むしろこれからの彼の采配や指導を見ながら見定めていくのが良いと思います。

就任会見の翌日に観戦したJリーグ、FC東京vs横浜F.マリノス(味の素スタジアム/結果は0-0のスコアレスドロー)を視察したハリルホジッチ監督は、「もう少しやる気や力強さを見せてくれれば」というコメントを残したと聞きます。

ネガティブな言葉だけ引き合いに出すのもいかがかとは思いますが、少なくともその試合を観た者ならば、彼が小さくない落胆を抱いていることは明白ですし、その言葉の重みを感じ入らずにはいられないのではないでしょうか。

とても開幕2試合めとは思えない怠慢な試合でした。ゴールが決まらなかったことは問題ではなく、ゴールに対する意識付けが両チームとも低いという事実が如実に表れていました。敵地に乗り込んだ横浜は、チームの中核を担う中村俊輔選手が怪我で離脱していることもあり、いまいち攻撃に緩急がつかず、ワンパターンなパフォーマンスに終始。

それ以上にひどかったのがFC東京。まず中盤でボールが落ち着かない。誰がこのチームの司令塔なのか、見ていて分からないほど。だから、アタッキングサード(ピッチを三分割して見た際の敵陣側/攻撃を活性化させねばならないゾーン)から先の展開が雑。ドリブルで仕掛けるも闇雲だから、周囲のフォローもないし、カンタンに敵につぶされる。サイドを切り崩しても、中央に誰が走り込んでどうかく乱させるかという約束事がないからでたらめなクロスがあがる。フォワードへのタテパスも意図がない(出し手と受け手の共通意識がない)からその先、二手三手先の崩しのイメージが見えず適当なシュートに終始する。仮にこの流れのなかで点が取れたとしても、それはアクシデントに他ならず、シーズンを通しての強さにはつながりません。

何より、ゴールへの気迫が感じられませんでした。

FC東京の選手には、「ホームで引き分けは負けに等しい」「そもそもホームで引き分けるのは恥ずかしい」という意識はなかったのでしょうか。なぜならば、残り10分を切っても基本陣形は変わらず、温度感すらないままタイムアップの笛を迎えたのですから。中継の最中、ハリルホジッチ監督があくびをするシーンが見られましたが、それも致し方なし。90分通して見せられるにはあまりに退屈な試合でした。これがJリーグ初観戦の人だったら、次からこの2チームの試合には足を運ばないでしょう。少なくとも味の素スタジアムに良い印象は抱けません。

日本人選手のスキルは、決して低くはありません。問題は、アウトプットの仕方。端的に言えば、ハングリー精神の欠如。これは日本代表にも共通して言えることですが、アジア勢など実力が劣る相手とやるときは極端にペースを落とし、強豪と対峙したら通常の2割増しなパワーを発揮するという悪癖が日本のチームにはあります。蔓延していると言ってもいい。

要するに、常に一定のペースで実力を発揮すれば安定した強さを手に入れられるわけで、その“一定のペース”をどこに設定するかが今後の課題。少なくともそのペース、礎たるJリーグではより高い位置を保ってもらわねば困ります。

ジーコがいた鹿島、ドゥンガがいた磐田など、全員のメンタリティを引き上げる人物の存在でチームの能力を引き出していたクラブはいくつかありました。ところが、近年ではこのロジックが通じなくなっているのです。分かりやすい例が、セレッソ大阪。ディエゴ・フォルランという世界屈指のゴールハンターが加わったにもかかわらず、チームはJ2降格。「柿谷や山口蛍が離脱したからチームのバランスが崩れた」というのも小さくない理由でしょうが、支払った年俸以上のモチベーションをもたらしてくれるであろうフォルランが存在感を示せなかったのは、セレッソだけの問題ではなく、日本サッカー全体の問題だと思うのです。

最たる理由が、若手選手の海外移籍の増加でしょう。近年、有望な若手がこぞって海外へと飛び出していっています。ヨーロッパだけでも20人以上の日本人選手がいる、そんな時代です。主にドイツやオランダのクラブが熱い視線を送っており、
・自国リーグのレベルに達している日本人選手が多い
・規律を重んじる国民性は起用しやすい
・移籍金が安い
というところが理由でしょう。元手が安いので、「当たればめっけもん。うまくいけば他クラブに高値で売れる」というところも作用しているかと思います。

Jリーガーの収入は、プロ野球に比べてもかなり少ないと聞きます。誰もが夢見る華やかな生活を送れている選手はトップのほんの一握りで、J1所属でもギリギリの生活を強いられている選手もいると聞きます。彼らに給料を支払うクラブも財政的には厳しいところが多いので、当然大物選手を獲るのは難しい。結果、リーグのレベルは着実に低下し、合わせて選手のモチベーションも低下しているという悪循環に陥っているのです。

そんなJリーグに大物外国人が来ても、もはや珍しくもなんともなく、「腰掛けで来てるんでしょ」感がにじみ出てしまうという実情。彼らにとって、ヨーロッパの第一線で戦う選手の方が憧れであり刺激であり、だから海外に飛び出て高いレベルに触れようとするわけです。ぬるま湯のJリーグにフォルランが来てもしらけるだけ、おそらく本音はそのあたりかな、と。

さらに大きな問題が、若年層のレベルの低下でしょう。かつてワールドユースと呼ばれたFIFA U-20ワールドカップ(20歳以下の選手だけで編成された代表チームのW杯)に、日本は4大会連続でアジア予選敗退という憂き目に合っています。小野伸二、高原直泰、稲本潤一、中田浩二らを擁した黄金世代がこの大会で準優勝したのは1999年ナイジェリア大会。以降、グループリーグ敗退、ベスト8、ベスト16、ベスト16と続き、その後は本大会にすら進めていません。有望な若年層の国際経験が減っていることは、由々しき事態です。

この年代で国際経験を積めば、その後のキャリアに大きな変化が生まれるのは中田英寿をはじめとする世代で立証済み。最終的に海外クラブにキャリアの頂点を求めることは否定しませんが、この世代が猛者集う国際試合を経験する場を減らしてしまっていることが、Jリーグに大きな影を落としているように思えてなりません。

冒頭のFC東京vs横浜F.マリノスの試合について、たった一試合ですべてを語るのは酷ですが、こうした国際経験の少なさが国内リーグの気迫を奪っているのではないでしょうか。世界屈指のタレントとやりあった若手が「こんな状態じゃ世界相手に通用しない」とプレーレベルを他に合わせず、ハイテンポで試合を進める意識を持てば、その空気感はチームに伝播し、自ずとレベルが引き上げられようというもの。ジーコやドゥンガがそうしたように。

このまま若い選手が世界大会を経験する場を減らせば減らすほど、Jリーグに暗い影を落とすような気がしてなりません。これは日本サッカー協会が取り組むことであり、代表の新監督が解決できる問題ではありません。

W杯ブラジル大会でアルジェリアを決勝トーナメントに導いた名将の手腕をあげつらって期待するのは結構ですが、彼がどれほどの名将であっても、日本サッカーに横たわる大きな闇を払拭するのは到底不可能。結果的に、現有戦力でベストのチームを作って結果を残す他ないわけで、よしんば次のロシア大会まで勝ち進めたとしても、次の4年はまたゼロからの構築。こんなことをしていて、日本代表が安定した強さを手に入れられるはずがありません。

ハリルホジッチ監督を否定も肯定もしませんが、期待することもありません。なぜならば、彼はロシア大会までの3年間のために雇われた傭兵で、契約が終わればサヨウナラだからです。私たち日本人にとって、日本代表は永遠に付き合わねばならない存在ですし、考えるべきはハリルホジッチ監督のブランド性ではなく、何十年も先まで安定した実力を発揮するための地盤づくり。その地盤さえできれば、日本人監督が指揮を執ったって結果を出せるんです。

なんだかハリルホジッチ監督の人柄や過去の実績を取り上げるメディアが多いようですが、そんな情報に一喜一憂はしたくないものですね。

2015年3月7日土曜日

モーターサイクルショー2015、注目の海外モデルは?

日本最大級のオートバイの祭典『モーターサイクルショー』が今月、東京と大阪で開催されます。

大阪モーターサイクルショー
開催:3月20日(金)、21日(土)、22日(日)
場所:インテックス大阪

東京モーターサイクルショー
開催:3月27日(金)、28日(土)、29日(日)
場所:東京ビッグサイト
国内外の各メーカーが新しい試みとなるニューモデルを次々と発表するなど、例年にないほどの期待値を感じさせる今年のモーターサイクルショー。多くのライダーがニューイヤーモデルへの期待値を胸に足を運ばれることと思いますが、せっかく赴くからにはひとつ基準となるものが欲しいところ。そこで今回、その開催に先駆け、代表的な海外メーカー限定ではありますが、私が注目するモデルをご紹介したいと思います。

[基準] ★★★★★ … 最大★5、最低★1






 ハーレーダビッドソン ストリート750
メーカー希望小売価格(税込):850,000円

・スタイリング………★★
・乗りやすさ………★★★★
・ワクワク感………★★
・ブランド………★★★★
・価格………★★★★★
[総合] 17点/25点中

オールアバウトのバイクガイド記事でも注目を集めるハーレーの次世代モデル、ストリート750。実際に試乗してみた者としては、これまでのハーレーとは打って変わってクイックかつ軽快な乗り味が印象的で、街中を走る際にはベストなセッティングになっていることが好印象でした。しかしながら、現在のスタイリングが問答無用のカッコよさを見せつけているかと言えば、答えはノー。圧倒的な人気を博した同メーカーのXL1200X フォーティーエイトと見比べれば、その理由がお分かりいただけるかと思います。ただし、このモデル最大の楽しみ方はカスタム。手の入れ方次第でカッコよくなる可能性を秘めているので、期待値をこめてスタイリングとワクワク感をシビアな採点としました。未だカスタムパーツのラインナップに物足りなさを覚えますが、どんなパーツが出てくるのか期待することとしましょう。

>> 【All About】 ストリート750 試乗インプレッション


 BMW Motorrad R 1200 R

メーカー希望小売価格(税込):1,690,000円

・スタイリング………★★★★
・乗りやすさ………★★★★
・ワクワク感………★★★★★
・ブランド………★★★★★
・価格………★★★
[総合] 21点/25点中

2013年、R 1200 GSから水冷化した新型ボクサーツインエンジンを搭載したロードモデル。以前のR 1200 Rと見比べるとかなりモダンなグラフィックへとチェンジしているのが伺えます。私自身は実際に試乗したことがないのですが、伝統のテレレバーからオーソドックスなテレスコピックフォークとしたことで、良い意味でのオートバイらしい表情を手に入れています。もちろんそこで走行性能を落とすようなことをBMWがするはずがありません。以前のR 1200 Rに試乗したときは、その旋回性の良さなど好印象を抱きました。ワクワク感の評価が高いのは、個人的な期待値の高さと言えるかもしれません(笑)。

>> 【All About】 BMW Motorrad R nineT


ドゥカティ スクランブラー

メーカー希望小売価格(税込):999,500円〜1,199,500円

・スタイリング………★★★★★
・乗りやすさ………★★★★
・ワクワク感………★★★★★
・ブランド………★★★★
・価格………★★★★★
[総合] 23点/25点中

今年最大の注目モデルがこれ。「まさかドゥカティが」と驚かされたニューカマーです。オールアバウトでもご紹介しましたが、800ccを超える大排気量モデルながら乾燥重量170キロというのは驚異的な軽さ。現代のストリートシーンにマッチしたモダンなビジュアルも申し分なし。残念ながらまだ試乗経験はないので「乗りやすさ」は★ひとつ少ないのですが、ネット上に流れているスクランブラーの走行動画やその車重から考えても、軽快感は相当なものと想像されます。さらに「さすがドゥカティ」と唸らされるのが、このスクランンブラーを軸としたカスタムパーツやアパレルラインの充実。日本ではこれらアフターアイテムが先んじて発表されており、スクランブラーというオートバイがどんな世界観を描こうとしているのかがよく分かります。さらに価格も、ICONレッドが100万円を切るなど、実にお値打ちな設定に。「今年のニューモデルで買いたいモデル、ある?」と聞かれたら、僕は迷わずスクランブラーを挙げます。

>> 【All About】 ドゥカティ スクランブラー


トライアンフ ボンネビル ニューチャーチ & ボンネビル スピリット

メーカー希望小売価格(税込):
(ニューチャーチ)1,020,600円
(スピリット)1,242,000円

・スタイリング………★★★★
・乗りやすさ………★★★★
・ワクワク感………★★★
・ブランド………★★★
・価格………★★★★
[総合] 18点/25点中

いずれも既存モデル トライアンフ ボンネビルをベースにカスタマイズされた限定モデルで、ニューチャーチは20台、スピリットは33台が日本に導入されます。いずれも物語を持ったキャラクターのはっきりしたモデルですが、カスタムの醍醐味であるオンリーワンとは異なる量産型カスタムモデルなので、ここは好みが分かれるところかもしれません。ベースのボンネビルは何度も試乗しているので、その乗りやすさは実証済み。いずれもライトカスタム系ではあるので、ここからオーナー自身がカスタムしてソリッドな一台に仕上げるのも楽しいかもしれませんね。個人的にはスピリットのカラー&グラフィックやコンパクトなヘッドライト、スポークホイール、メガホンマフラーというディテールに惹かれますので、これを土台にすればクラシックレーサーな雰囲気のカスタムスピリットを作れるのでは、などと夢想してしまいます。

>> 【All About】 トライアンフ ボンネビルT100


このほか、KTMやモトグッツィ、MVアグスタ、インディアン、ヴィクトリーなどなど、注目したいメーカーは数知れず。もちろん国産メーカーからも新時代に目を向けたニューカマーが登場してくるので、どのブースからも目が離せません。

かなり私的なモーターサイクルショー事前評価ですが、皆さんにとってひとつの目安になれば幸いです。