2015年7月22日水曜日

新国立競技場騒動から見える日本の成金体質

■早い段階で発動した自浄能力
新国立競技場に関するドタバタ話、さまざまなニュースで「もう見飽きた」という方も少なくないでしょう。あり得ない建築費に責任のなすり合い、世間知らずな政治家の暴言など、よくもまぁこれだけいろいろネタを提供してくれるもんだなぁ、と感心するばかり。

ただまぁ、この段階で「待った」をかけるだけの自浄能力があっただけマシだな、と思います。

オリンピック、そしてサッカー・ワールドカップ。世界最大級のスポーツの祭典2つについては、ここ何十年かでこうしたお金に関するゴタゴタは日常茶飯事と化しており、珍しくもなんともなくなっています。2010年W杯南アフリカ大会ではスタジアムが開催に間に合わなかったり、FIFAなんてただいま汚職まみれの実態が暴かれている真っ最中。新国立に関する件で「重要なのはデザインではなく、開催に間に合うスタジアム建設だ」などとのたまっているIOC(国際オリンピック委員会)だって、叩けばいっぱいホコリが出るはず。

日本人には「正々堂々」「清らかであること」という美徳が根付いており、それがこの新国立競技場に関する暴露ニュースの汚さに触れ、ナイーブな反応が出ているだけのこと。そもそも、東京都民が「ぜひ我が街でオリンピックを!」、「世界の一流アスリートの集いを東京で!」と熱烈に望んで得た開催権というわけでもないですから、面白がって騒ぎ立てようとするメディアに乗せられるのも如何なものかと思います。

ビジネスありきでの招致ですから、「ずいぶん早い段階で歯止めが効いてよかったね」ぐらいで良いと思います。


■端から見れば、ただの成金
一方、今回の騒動は日本という国のみっともなさを露見することにもなりました。普通じゃ考えられないスタジアム建設費を算出し、「そのまま通しちゃおう」(そして利権にあやかろう)という体質が露になったわけです。オイルマネーで豊かな中近東諸国ならともかく、スタジアムひとつにこんな予算を計上しよう神経そのものが、発展途上国やそれ以外の国では考えられないこと。先進国でさえ「……オイオイ」と漏らしたくなる内容でしょう。

見栄を張るのは大いに結構なのですが、これじゃただの成金です。

これによって、「不況とか言ってるけど、やっぱり日本ってカネ持ってんじゃん」と他国の人に再認識されることになったでしょう。確かに日本は発展途上国と比べても経済的に発展しており、豊かな国だと思います。でもその実、高度経済成長期のような勢いはなくなり、変わりゆく時代の流れに社会構造が対応できず、歪な状態に陥っているのが実状。

次世代の育成もできない老害がいつまでも権力の座に居座り、見栄を張って湯水のように予算を注ぎ込もうとする。「たった2500億円も国が出せないのか」なんて発言は最たる例で、どれだけ日本という国の現状を知らないか、現場を知らないかがそのまま出てしまっています。こういう方が政治の上層部にいる限り、日本の成金主義は治らないでしょうね。

ビジネスありきでの招致そのものを批判する気はまったくありません。ただ、それならばもっとビジネスライクに行けばいいと思うのです。

最小限の手間で、最大限の効果を。

お金をかければ良いものができる、そんなのは当たり前。それよりも発想力を軸に、最小限のコストでユニークな器(スタジアム)を作る、日本らしい演出をそこかしこに配置するという考え方こそがホスト国に求められているものですし、それこそが日本古来の美徳である『オ・モ・テ・ナ・シ』の精神に通ずつものじゃないでしょうか。札束で観光客を招き入れるだけの接客は、下品な成金以外の何ものでもないと思いますが、いかがでしょう。

日本のツアー添乗員が「ベビーシッター」と揶揄されるワケ

■トイレの場所まで世話をする
旅行代理店のツアー同行取材でとある国を訪れた際、夕食の席をともにしたツアー添乗員と現地係員からこんなことを聞きました。

「日本のツアー添乗員はね、海外では“ベビーシッター”って呼ばれているんだよ」

聞けば、「トイレはどこにある?」、「ホテルのカギが開かない」、「メニューが読めない」、「フォークを落としたから取り替えてくれ」などなど、海外の方から見れば「そんなことまで面倒見るのか?」という場面に遭遇することが多く、やや呆れ気味な表現として“ベビーシッター”を用いているとか。

その話を思い出したのは、5月にアメリカに行ったときのとある出来事から。そのときもツアー同行取材で、ご一緒した現地係員のNさん(日本人)に「今度アメリカに来るツアー団体の引率をするんだけど、宿泊するホテルが初利用なんで、下見に行くんだ」と言われ、興味本位でついていったのです。

カジノの街ラスベガスで、中心部から少し離れたところにある南米風の大型ホテルが目的の場所でした。アミューズメントの要素が強い街でもあることから、ラスベガスのホテルはどこも巨大迷路のようになっており、数日間の滞在ぐらいで構造を把握するのは困難なほど。わずか1〜2泊のツアー団体であれば迷子になるのは必至。それも高齢者のツアーとなれば、なおさらです。

Nさんは入り口から最寄りのトイレの場所を確認し(到着後、トイレを希望される方が多いことから)、ツアーが利用するフロアへあがって大体の構造をチェック、そして一階にあるレストランのラインナップも確認していました。

確かに高齢者にとっては、ジャンキーなアメリカンフードが連日続くというのはなかなかに辛いものがあるかと思います。とはいえ、“郷に入っては郷に従え”、せっかく自ら希望して訪れた国なのですから、その国を楽しみ尽くす意味で寛容に受け入れればいいのでは?と思います。

しかし実際は、Nさんがトイレの場所までわざわざ事前視察するのが当たり前になっているのです。


■他人に依存しない欧米人
世界遺産など、海外の有名な観光スポットを訪れると、さまざまな国の観光客と遭遇します。彼らの様子を見ているとお国柄がよく出ていて、国ごとに行動パターンがくっきり分かれています。

欧米諸国の観光客は、良い意味でマイペース。限られた日数のなかに数多くのメニューを詰め込んだツアーをこなす日本人と違い、十分な休暇日数を確保したうえで来訪しているので、同じ人間とは思えないゆとりある過ごし方をしています。ゆとりがあるから、訪れた観光スポットでも意外な見どころを見つけたり、カフェでいつまでもくつろいでいたりするのです。分刻みで動く日本のツアーとは実に対照的。

そして、自己責任という言葉を体現してもいます。自由に過ごす=他人に依存しないスタイルで、ツアー形式で添乗員がついていても、日常的なことは自分で解決しようとします。見ていると、添乗員も必要以上に干渉していません。団体で大きなテーブルについても、各々がウェイターを呼んで注文していくのです。「そりゃ当たり前だろう」と思われるかもしれませんが、ドリンクひとつ頼むのに添乗員に声をかける日本のツアーの模様を目の当たりにすると、「どうしてこうも違うのだろう」と思わされます。

これに関しては、言語の違いも大きく影響しているのでしょう。訪れた国が特有の言語を使っていても、英語ならある程度のコミュニケーションが図れるので、欧米の方々は得意分野でもある英語で躊躇なく現地人に話しかけていきます。有名な観光スポットともなればカタコトの英語ぐらい話せる現地人は少なくないので、そこでコミュニケーションが成立するのです。

しかしながら、日本人にとって英語が得意分野かと言われると、答えはノーでしょう。こういうシチュエーションで必要以上の能力が求められることはありませんが、それでも英語に対するコンプレックスは根強いためか、日本においてもいきなり外人に話しかけられたら戸惑う場面が多々ありますよね。

そうしたコンプレックスが少なからず作用しているのかもしれませんが、とはいえツアー添乗員に必要以上のことが求められているフシが見受けられるのも事実。見ていると、日本で過ごしているときと同じような環境を求めている方が多いようです。


■伝えようという意思の問題?
私自身、英語は堪能ではありません。学生時代も英語は苦手教科で、しょっちゅう居残りをさせられていました。おかげで、ある程度突っ込んだコミュニケーションを図らなければいけない場面で単語や文法が浮かばずに立ち往生することが今なおあります。

ただ、せっかく海を渡ったのだから、その国の文化や生活に対して敬意を払い、その国の人々と交流を図ることで新しい価値観を学び、広い世界に目を向けられるようになりたいとは思います。

言葉の問題などもあり、なかなか普段のように過ごせないことが多いのが海外。しかし、新たな価値観を求めるからこそその国に飛び込んでいったのですから、もっと積極的に関わりを持っていけばいいのになぁ、と思わされることが少なくありません。

言葉がわからなくても、筆談でも何でもコミュニケーションを図る方法はいくらでもあります。もちろんその最たる方法は「英語を覚えること」ではあるのでしょうが、型にとらわれず、もっと自由に交流するのは十分に可能です。

添乗員がベビーシッターと呼ばれているというのは、日本人が依存性の高い民族だと言われていることでもあります。これ、かなり恥ずかしいことだと思うのですが……いかがでしょう。

2015年7月6日月曜日

惨敗ながら清々しさを与えてくれたなでしこジャパンの戦いぶりに拍手

■スコア差を感じさせなかったなでしこの気迫
W杯のファイナルで、優勝まであと一歩まで近づきながら準優勝に終わったなでしこジャパン。2-5という誰が見ても惨敗にしか見えないスコアながら、ほぼ互角の実力を持つ者同士では?と思えるほどの気迫あふれる試合内容で、清々しさを感じさせてくれるゲームでした。

開始16分で4失点。スコアだけ聞かされれば、この時点で終戦です。2012W杯ブラジル大会の準決勝で、ドイツに7失点を喫したブラジルの姿が重なって見えました。ちょっとした歯車の食い違いから最初の失点が生まれ、修正が間に合わないままあれよあれよと失点を重ねる。気持ちが緩んでいたわけでもなく、出会い頭の衝突事故が大惨事になったというところ。

ところが、彼女らの目は死んでいませんでした。

後半9分の段階で2-5の3点差と、セーフティーリードのままこう着状態へ。しかしながら、ボール際の激しい攻防を見ていると、とても3点差がついた試合には見えないのです。ここまで絶望的なスコアになると、“あと一歩”を出すのが難しくなります。諦めの気持ちが全身を覆い尽くし、「もう勝つのは難しい」と頭をよぎった段階でその“あと一歩”が踏み出せなくなる。ましてや相手は実力伯仲の強豪です、カンタンに3点を献上してくれるほどお人好しではありません。7失点したときのブラジルはまさにそれでした。

ところが後半30分を過ぎても、なでしこの選手たちはボールに食らいつき、フィジカルで勝るアメリカに肉弾戦を挑んでいきました。自分との背丈が20cm近く違う巨漢に体ごとぶつかっていく岩渕の姿に、本気で諦めていない執念を感じさせられました。そんななでしこの気迫に圧されてか、ボールキープしていれば難なく優勝トロフィーを手に入れられるアメリカにも緊張感が走り、スコアに似つかない攻防を繰り広げることになったのです。

象徴的だったシーンが、アディショナルタイムを含んだ数分間のプレー。日本はGK海堀を残して全員がアメリカ陣内へと入り、ゴール前へ執拗にロビングボールが放り込み、肉弾戦でのゴール奪取を狙ったのです。こういうシーンはサッカーでは珍しくない“最後の捨て身戦法”ですが、一点差の緊迫した試合でのことがほとんど。もはや同点の望みさえない状況下でこの気迫、そして勝利への執念に、ただただ心を打たれました。


■チャンピオンに与えられし“勝者のメンタリティ”

思えば、本大会前から下馬評が高くなかったなでしこジャパン。ところがフタを開けてみれば、際どくも勝利という結果をもぎとり、ファイナルまで勝ち上がってきたのです。これほどのスコアになるとは予想だにしていませんでしたが、この試合を見れば、強靭なメンタルに支えられた選手はカンタンに屈しないということを思い知らされます。

チャンピオンにだけ与えられる、勝者のメンタリティでしょう。

皮肉にも分かりやすい比較が、男子サッカー日本代表のシンガポール戦です。サッカーという競技はあらゆる不確定要素で成り立っているので、どれだけ相手が格下であれ、他競技以上にジャイアントキリングの確立が高いのです。とはいえ、あのシンガポール戦は負け同然の引き分け。“絶対勝利”というハードルはこのうえなく高く不条理極まりないものですが、それでも勝ちきる強さなくして、W杯本大会で結果を出すなど不可能。それは、5大会連続で本大会に進出している代表チームがよく知っているはず。

勝つことで得られるもの、負けることで失うもの、それぞれを痛いほど知っているなでしこジャパンだからこそ、あれほどのスコア差でも「ひっくり返してやる」という気迫溢れるプレーを90分間続けられたのでしょう。

両方の試合を観た方ならお分かりでしょう、シンガポールから1点が取れずにいた男子日本代表からは、彼女らのようなほとばしる気迫をまったく感じませんでした。メンタルや気迫という、姿形が見えないものではありますが、“あと一歩”が出るかどうかが、勝敗を分ける決め手となるのです。その“あと一歩”を踏み出して男子は今の地位を手に入れたと思うのですが、どうやらどこかで“大切な何か”を失ってきたんじゃないでしょうか。

W杯を終え、再出発となるなでしこジャパン。そして、改めてテコ入れせねばならない男子日本代表。いずれも『リスタート』をしていくタイミングなのですが、ここで興味深いデータを算出してみました。今後のそれぞれのメンバー編成を見ていくうえでの基準となる、過去数大会におけるメンバーの平均年齢です。


■男女とも取り組まねばならない世代交代
男子は2002日韓大会から、女子は優勝した2011ドイツ大会から(五輪含む)のデータです。

男女サッカー代表 ワールドカップ年代別 平均年齢
[男子サッカー日本代表]
・2002年 日韓大会:25.2歳 (ベスト16/フィリップ・トルシエ監督)
(最年長34歳 中山雅史 / 最年少22歳 中田浩二 & 小野伸二 & 市川大祐)
・2006年 ドイツ大会:27.2歳 (GL敗退/ジーコ監督)
(最年長32歳 土肥洋一 / 最年少24歳 茂庭照幸 & 駒野友一)
・2010年 南アフリカ大会:27.8歳 (ベスト16/岡田武史監督)
(最年長34歳 楢崎正剛 & 川口能活 / 最年少22歳 内田篤人 & 森本貴幸)
・2014年 ブラジル大会:26.8歳 (GL敗退/アルベルト・ザッケローニ監督)
(最年長34歳 遠藤保仁 / 最年少23歳 酒井高徳 & 山口蛍)

[女子サッカー日本代表]
・2011 W杯ドイツ大会:25.2歳 (優勝/佐々木則夫監督)
(最年長36歳 山郷のぞみ / 最年少18歳 岩渕真奈)
・2012 ロンドン五輪:26.3歳 (準優勝/佐々木則夫監督)
(最年長34歳 澤穂希 / 最年少19歳 岩渕真奈)
・2015 W杯カナダ大会:27.7歳 (準優勝/佐々木則夫監督)
(最年長36歳 澤穂希 / 最年少22歳 岩渕真奈)

まず男子ですが、2002日韓大会こそかなり若いものの、平均年齢はもちろん、最年長&最年少に大きな振れ幅はありません。つまり、比較的安定した人材供給ができているということ。ただ、グループリーグで敗退したブラジル大会の主力メンバーがほぼ固定で残っているという現状はいかがなものか、と思う次第です。ほかにも有能な選手がいるわけですから、予選を通じて新戦力の発掘に注力すべきでは。

特になでしこジャパンと比較しても、マンネリ化からか気持ちが入っていない選手が少なくない印象です。チームそのものに緊張感を与える意味でも、「代表チームに入りたい」「W杯に行きたい」というどん欲な気持ちの選手を積極的に使っていただきたい。おそらくハリルホジッチ監督もなでしこの試合はご覧になられていたでしょうから、今一度選考について検討してほしいですね。

そしてなでしこジャパンですが、以前から指摘されている「高齢化」と「同じ顔ぶれ」がそのままデータに出た結果に。今大会を機に代表を引退される(であろう)澤はともかく、新戦力の発掘は急務と言えます。もちろん、“強いなでしこ”のメンタルを引き継がせつつ……。

結果が出ていることで継続起用されている佐々木監督についても、次の大会で優勝を目指すのであれば、後進の育成にまわっていただくことで新指揮官に交代する時期とも思います。いろんな意味で、頭打ちという状況であることは否定しようがありません。

結果的に惨敗、準優勝という不本意な結果ながら、それを微塵も感じさせない戦いぶりで清々しさをもたらしてくれたなでしこジャパンには「お疲れ様でした」という労いの言葉をおかけしたいです。そして、「プロスポーツにおける重要なものとは何か」ということを身をもって示してくれたことに、ただただ感謝するばかり。

文字どおり、彼女らの戦いぶりは大和撫子の呼び名にふさわしいものでした。

2015年7月2日木曜日

桐谷美玲を惹きつけるJリーグの魅力とは

■彼女のジェフ千葉愛は本物?
先頃、タレントの桐谷美玲さんがジェフユナイテッド市原・千葉のホームゲームを観戦していたさまが話題になりました。それも、プライベートで。確かに彼女ほど注目度の高い有名人がスタジアムに足を運んだとなれば、話題を集めるのも当然でしょう。

最近はJリーグのスタジアムに姿を現すタレントさんのトピックスが実に多いです。なかには「タレントとしての宣伝活動の一端では?」などと言われているそうですが、知名度が低いと話題にすら上りませんし、逆に知名度の高いタレントさんがやや斜陽気味なJリーグを利用してもメリットはほとんど皆無。素直にファンとして観戦しに来ているだけでしょう。

実際、日本サッカーは斜陽だと思います。W杯ブラジル大会での惨敗にアジアカップでの不本意な成績、先頃のシンガポール戦での不甲斐ない戦いぶりと、お世辞にも好成績を残しているとは言い難い日本代表。彼らが目覚ましい活躍をすれば、その礎であるJリーグには自ずと活気が溢れてくるのですが、代表のバロメーターに比例して新規ファンの獲得については苦戦中といったところ。

なぜ今、Jリーグなのか。答えはカンタン、20年以上培ってきた『地域密着型クラブの育成』に他ならないのです。

聞けば、桐谷美玲さんは一家でジェフ千葉のサポーターだそうで、かなりの年季だそう。Jリーグが発足23年めですから、生まれて間もない頃から市原臨海競技場に足を運んでいたのでしょう。Jリーグ元年(1993年)のジェフ千葉には、西ドイツ代表(当時)として活躍した稀代のドリブラー、ピエール・リトバルスキーが入団し、名声に違わぬ活躍ぶりでJリーグ人気の主役に躍り出たほど。ジーコ率いる鹿島アントラーズやカズ、ラモス要するヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ1969)などとしのぎを削る存在でした。

しかし、現在のジェフ千葉の舞台は、Jリーグのひとつ下に位置するカテゴリー、J2。2010年に降格してからずっとJ2暮らしで、あと一歩で昇格というところに迫りながらも勝ちきれず、6年めのJ2でのシーズンの真っ最中。往年の華やかな時代が遠くに感じられるほど、見る影もなくなっているのが現状です。

桐谷一家がビッグネームの存在や流行だけでサポーターになったのなら、きっと数年でサッカー熱は冷め、違う趣味や楽しみを探していたことでしょう。彼らを惹きつけたのは発足当時からのJリーグの理念である『地域密着型クラブ』、いわゆる“おらがまちのチーム”であったことです。


■四半世紀におよぶ活動が結実しつつある
プロ野球に属する球団は、すべて企業母体。分かりやすいところで言えば福岡ソフトバンクホークスで、今や福岡に拠点を置く強豪ですが、元々は大阪南部を本拠地とする南海ホークスという球団でした。運営母体は南海電鉄で、1988年にダイエーに売却されて福岡に移転、その後ソフトバンクに売却され、現在に至ります。

運営母体(親会社)が変わることで本拠地が移転する……企業母体のチームの宿命ですが、応援し続けてきたファンの心情を考えると、なんともやりきれないものです。なぜならばホームスタジアムという場所が存在し、そこに集まるファンは地元の人たち。スポーツクラブは、その地域に対してアイデンティティを強く持たせてくれる存在です。しかし企業の都合でころころ移転されては、地域愛もへったくれもありません。

『地域密着型クラブ』は、海外のスポーツクラブの存在意義を具現化したもので、スポーツクラブとして極めて健全な姿。発足当初のJリーグでは、その理念のため「クラブ名に企業名を入れてはならぬ」というおふれが出て、いくつかの球団から猛反発があったと聞きます(「だったらウチは一切の企業名を片っ端から外してやろうじゃないか」と、名古屋グランパスの母体であるトヨタ自動車が言ったことで収束したとも聞きます)。

これにより、Jリーグのクラブは地域に根ざした運営がベースとなり、企業母体の球団が引き起こす悲劇とは無縁の運営を続けてきました。日本では初の試みゆえ、横浜フリューゲルスの消滅という悲劇も経験したりしましたが、最初に蒔いた種が芽吹いてきつつあるわけです。

近年はJ2の下にJ3というカテゴリーも誕生し、この『地域密着型クラブ』が地方の町おこしとして活用されるようになりました。もちろん一筋縄ではいかず、各自治体が思い描いているほど華やかなものにはなりづらいところもありますが、スポーツクラブが生まれる場所から若い芽が現れ、街を背負ってさらなる世界を目指してくれる姿はどんな街であっても頼もしいもの。

桐谷美玲さんも、そんな想いとともにジェフの活躍を願っているのでしょう。J2であっても足を運ぶその姿勢は筋金入り。今回のトピックスは、彼女のナチュラルなキャラクターがそのまま反映されたものだと思います。

今回は桐谷さんがキッカケで知られることとなった“地域=スポーツクラブ=人”の幸せな関係。ときとともに育まれる郷土愛は何ものにも代え難く、極端なまでに一極集中型になっている日本という国に新たな可能性を示しているのだと思う今日このごろです。

2015年7月1日水曜日

法律でがんじがらめになる前にやるべきこととは

■ここまでされなきゃいけないの?
6月1日より改正された道路交通法により、特に自転車に対する取り締まりや罰則が厳しくなったことはご周知のとおりかと思います。雨の日、自転車に乗りながら傘をさす姿は珍しくない光景ですが、これも取り締まりの対象。確かにクルマやバイクに乗る側から見れば危なっかしいことおびただしいので、やむなしかと思いますが、いずれにせよ世知辛い世の中になったなぁ、と痛感する今日この頃。

特に昨今の自転車ブームを受けての法規制だとは思いますが、それにしても「やりすぎでは?」と思うところも。それぞれの国には私たち日本人では理解しがたい法律が存在しますし、アジア諸国の一部では無法地帯と化しているところもあるので、一概に比較はできませんが、にしても「各々が注意すれば済む話じゃないの?」と思える内容が罰則化とは、日本人として行き過ぎな感が否めません。

とはいえ、大きな車道の真ん中をすり抜けていったり、堂々と右折レーンに入る自転車を見ることが少なくないので、「こうでもしなきゃ収拾がつかないんだろうな」とも。

そこで、自分のなかに“別の違和感”が沸き上がってくるのです。法律で規制される前にできることがあったのでは?と。


■迷惑だと思うなら注意してやればいい
大阪から上京してきた私ですが、初めて都内をクルマで走って驚いたのは、全体的な行儀のよさ。今もなお大阪と東京を行き来するのでよく分かるのですが、良くも悪くもGoing My Wayな大阪に比べて、東京の交通状況は「一糸乱れぬ」という表現がぴったり当てはまるほど。

違いを挙げるとすれば、クラクションの有無でしょうか。東京でクラクションが聞こえるのは稀。実際、東京の職場の同僚と話していた際、「クラクションなんて人生で一度しか慣らしたことない」「別になくても問題ない」「鳴らす必要なんてあるの?」なんて声を耳にしました。

これ、東京だけなのでは?と思いました。そもそも意味のない機能が備わっていることなどあり得ませんし、私が訪れたアジア諸国はもちろん、アメリカやヨーロッパといった先進国の都心部でも、ここまでクラクションを聞かなかったことはありません。もちろん無作法に鳴らす必要などありませんが、程度で言えばちょっと極端なように思えます。

実際、突然飛び出してきた子どもを前に急ブレーキを余儀なくされながら、何も注意せず走り去ったクルマを東京で何度も見かけています。「いや、これは注意しなきゃダメだろう」ということにも、クラクションひとつ鳴らさない。

これでは意識が弛緩するのも無理ありません。


■“注意する文化”から生まれるより良い社会
あきらかに自分の行為が危ないと理解しつつも、注意を受けなければ意識に根づきにくいもの。子どもの教育と同様、他者からの指摘があって、善悪の区別が意識づけられるのです。クルマやバイクの性能は飛躍的にアップし、自転車までもが蔓延する都心部。それでいて、後づけの交通整備しかできないから都心の機能そのものがキャパシティオーバーを起こしつつあります。

1990年代のパソコンに、現代の画像ファイルを大量に流し込んでいるようなもの。機能不全を起こすのは当然のことでしょう。アメリカなどと比べると、街そのもののサイズ感が異なりますからなおさらです。

小さな箱のなかでスペックの高いマシンが行き来すれば、事故が増えるのは誰にでも分かること。しかし、私たちは機械ではなく、コミュニケーションを取れば分かり合える人間同士です。言うべきことを言わないというのは、他人への無関心に他なりません。

私は、都内を走る際でも遠慮なくクラクションを鳴らします。すると、まるですごいクレーマーに出くわしたかのように睨みつけてこられる方が少なくありません。関西はもちろん、諸外国では無作法な運転をしていればクラクションぐらい鳴らされますし、そのことに対してイチイチ過敏に反応する人などいません。東京の方々はかなりナイーブなのでしょうが、自身のベースに「注意する文化」を持たないと、社会そのものをより良くすることはできないと思います。

無作法な走り方をする自転車には、注意すればいい。それは自転車だけでなく、携帯電話を触りながら運転するクルマのドライバーやバイクに対しても同様。そうした“注意する文化”が根づいていけば、必要以上の法規制で縛られる社会にせずとも済むのではないでしょうか。