2016年1月20日水曜日

知っておきたいナンバープレート表示法の改正点


■国交省に直接電話して聞きました
今年(2016年)4月1日から施行されるというナンバープレート表示に関する新基準。すでに国土交通省のウェブサイトでも公表されていますが、具体的な基準について今一つ明確になっていないところがあり、取材でオートバイ販売店に行くと「いつまでに登録された車両が対象なの?」「この付け方はNGなの?」と聞かれることが増えてきたのです。

バイクのカスタムの中でひとつの手法として用いられるナンバープレートの位置変更。私が関わることが多いハーレーダビッドソンでも、ナンバーのサイドマウントは珍しくない手法です。それゆえ今回の法改正で「どこまでがOKで、どこからがNGなのか」を明確にした上で対応せねば、路上でおまわりさんに呼び止められることにつながってしまいます。

国交省の公式ホームページでの発表内容を見てみたのですが、一定のラインからは現場の判断に任せているのか、表現が曖昧な部分がちらほら。そこで、こと「オートバイの構造変更」について聞いておきたい点について、国交省の自動車局自動車情報課の担当者に直接電話をして話を伺いました。


■サイドマウントはOK。ただし……
まずナンバープレートの表示の基準ですが、今回の改正により、以下の内容が明文化されました。
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・カバー等で被覆すること
・シール等を貼り付けること
・汚れた状態とすること
・回転させて表示すること
・折り返すこと
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ナンバープレートの向き(角度 > 回転)についても「水平」と明確にされました。



この点については改正前と変わらないのですが、以前だと明文化されていなかったため、ナンバープレートを縦にして取り付けたバイクであっても、取り締まられることがまずないグレーゾーンだったのです。しかし4月1日以降はナンバープレートを縦に装着しているバイクは、警察官による街頭検査を受ける対象となってしまうとのこと。

「では、取り付け位置はセンターでなくても良いのか」という点については「真後ろでなくても良い。サイドマウントもOK」だそうです。担当者曰く、ナンバープレートの表示基準は「後方20メートル/左右30°の位置から見て、表示されている内容が認識できること」とされており、「”ほぼ真後ろ”から認識できる位置であれば、サイドマウントだろうと構わない」と。

ちなみに、車検や登録で運輸局に持ち込んだ際、ナンバープレートを縦置きにしていたりカバーをかけたりしていても、検査ポイントのひとつとしてチェックされることはないそうです。理由は、「ナンバープレートが保安基準に関するものではない」から。検査官から「これ、やめた方がいいですよ」と言われることはあっても、彼らに取り締まる権限はありません。もちろん、そのまま公道を走ればおまわりさんに呼び止められますけどね。


■取り締まり対象の期限は?
そしてもうひとつ、「(改正法が施行される)2016年4月1日以前に登録した構造変更車両は取り締まり対象なのか、対象外なのか」についてうかがったところ、「もちろん、施行以前に構造変更した車両であっても取り締まりの対象になります」とのこと。確かに、警察官が縦置きサイドマウントの車両を呼び止めて「車検証を見せて」とチェック、4月1日以前に登録されているバイクだから「あ、このバイクは取り締まり対象じゃないね。じゃ、いっていいよ」って言うかと思うと、それはまずないですね。お役人の立場から考えればわかるでしょう、「イチイチ書類をチェックする手間なんて割きたくない」、「片っ端から取り締まれるのが容易」でしょうから。

これらの話を要約すると、バイクのナンバープレート・サイドマウントに関しては、
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●サイドマウントはOKだが、水平かつ規定の角度に合わせることが義務付けられる
●2016年4月1日以降、ナンバープレート表示の新基準は日本中の車両が対象となる
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が必須項目となります。

はるか昔から脈々と続くバイクのカスタムカルチャーから見れば、これまで「サイドマウントといえば縦置き」とされてきたナンバープレートを横置きにするのは、違和感はもちろん、見た目的にもあまりかっこよろしくない印象があります。しかし、それも突き詰めれば個人の主観に他ならず、今回の改正によって取り締まり対象となることが決まった以上、それを踏まえた対応が求められるのです。

カスタムバイクとともにバイクライフを楽しんでいる皆様、この点にご注意ください。

2016年1月12日火曜日

賛否分かれる高校サッカー優勝インタビューに思う

■お涙頂戴はもうたくさん
冬の風物詩である高校サッカー選手権大会の決勝戦が行われ、西の強豪・東福岡高校(福岡)が国学院久我山(東京)を5-0で破り、夏冬の二冠を達成しました。実に興味深い試合内容でしたが、その後の優勝インタビューの模様もまた興味深いものでした。東福岡・三宅海斗選手へのインタビュー内容というのが、以下のようなものだったそうです。

インタビュアー「夏冬二冠、どんな未来につなげていきたいですか?」
三宅海斗選手「まぁ……質問変えてもらっていいっすか」

全国ネットで中継されたということで、「高校生のくせに生意気だ」「インタビュアーの質問がくだらない」など、賛否の声が上がっているそうです。確かにこの文面だけ見るとふてぶてしい感じが漂ってきますが、よくよく動画を見れば、「質問変えてもらっていいっすか」のくだりのところは小声になっています。何か事情があって答えにくかったのでしょう、むしろテレビを考慮した大人の振る舞いだったのではないでしょうか。

一方、インタビュアーも何が聞きたかったんだ?という違和感が拭えません。3年生でまもなく卒業という彼に「夏冬二冠、どんな未来につなげていきたいですか?」って、どんな答えを求めていたの?と。それを想像するだけで、三宅選手は大人の対応をしたなぁ、と感心するばかりです。

「この感動を誰に伝えたいですか」
「◯◯くんのお母さんが観客席に駆けつけています」
「もっとも苦しかったときのことを聞かせてください」

いわゆる”お涙頂戴”が大好きな日本のメディアシーンですが、それを聞いて何がどうなるんだ?と言いたくなることが少なくありません。高校野球なんて分かりやすいですよね。炎天下の夏の甲子園で連戦連投の選手に「熱投」というキャッチを添えて感動秘話を作り上げようとする模様は、昭和の薫りがする古臭い演出以外の何物でもありません。プロですらやらない負荷を高校球児にかけるなんて、正気の沙汰とは思えない。

お涙頂戴インタビューに対して、高校球児が「は?意味わかんないです」って答えたシーン、見たことないですよね。それがサッカーになると、Jリーガーですら苦笑いする場面が珍しくありません。中田英寿、小笠原満男、本田圭佑と、その名を聞けば思い当たるシーンがないでしょうか。

違いは、リアリズムの有無だと思います。


■未来を担う若きリアリストへ
ここ20年で、スポーツメディアの環境は大きく変わりました。サッカーに関して言えば、かつて遠い存在だったヨーロッパのトップリーグをテレビや動画で簡単に観ることができるようになり、現地観戦も容易になりました。そして日本人選手がトップクラブに入団することさえ珍しくなくなった。20年前の僕に「20年後、日本人選手がACミランの10番を担うんだぞ」と言っても、間違いなく鼻で笑っていたことでしょう。

野球に関しても同様で、メジャーリーグに参戦する日本人選手のなんと多いことか。NPBから三行半を突きつけられながらドジャース入団を果たした野茂英雄さんの時代と比べると、今は夢の世界のよう。

いずれも海外トップリーグが身近になったということに変わりはありませんが、ドラフト制度やFA制度に縛られた日本球界と、国内・海外問わず高校卒業後から好きなチームを選べる日本サッカー界とでは、その感覚に大きな開きがあるように思えます。

「高校生に将来のチームを選ぶなんて判断力があるわけがない」という前提から成り立つドラフト制度は、世間を知らない高校球児を数年間所属チームが守るというメリットがある一方、自分がプレーしたいと思うチームが選べないという時代錯誤なデメリットが大きく横たわります。

一方で青田買いが激しい現代サッカーでは、自分の判断で好きなチームを選べる一方、完全なる実力主義の世界ゆえに切り捨てられるときも容赦ありません。日本の武士社会における主従意識が強く残る野球界と違い、サッカーは社会でも同様の場面が見られるドライな欧米感覚が中心となりつつあるようです。

僕自身も日本で育った日本人ですので、お涙頂戴の物語やシーンにはいたく感動するわけですが、長くサッカーを見てきたせいか、必要以上の”お涙頂戴”には不快感を覚えてしまうようになりました。

今の日本社会を思うと、現代の若者は一層ドライになっている節があり、その観点から見ると、今回の三宅選手の受け答えはむしろ空気を読んだ配慮すら感じられるもの”今時の若者には珍しい振る舞い”だったと思います。

その反面、選手のプレーひとつひとつをクローズアップするのではなく、「とりあえず、お茶の間が感情移入しやすい話を盛り込ん度キャいいんだよ」と言った姿勢が違和感なく横行している日本のスポーツメディア界は、恐ろしく閉鎖的な世界なのだな、とも。

リアリスト、または合理主義と言えますでしょうか。年配の方から見れば不遜に見える傾向も、豊かとはいえ守られない社会が待ち受ける日本の若者にとっては至極当然の感覚だと思いますし、大きく変わりゆく日本社会の礎となるものだと思う今日この頃です。