2015年1月19日月曜日

日本人として誇らしい本田圭佑のアジア審判批判

ただいまオーストラリアで開催中のサッカー・アジアカップ。大きな波紋を呼んだ本田圭佑選手の「アジアカップの審判」に関する発言と、それに対してAFC(アジアサッカー連盟)から罰金5000ドルが科せられたニュースは、大きなトピックスとして取り上げられました。

まず大前提として、「審判批判」と「元締めからの罰則or罰金」は、ヨーロッパや南米のサッカーシーンでは日常茶飯事。ジョゼ・モウリーニョ(チェルシー監督)のように、己が発言力の大きさを理解しながら審判や敵将を批判し、パフォーマンスとするキャラクターは世界的に珍しくありません。もちろん行き過ぎればFIFA(国際サッカー連盟)やUEFA(欧州サッカー連盟)から罰金を科せられることがありますが、そういうことも含めて多額のギャラを手にしていると自身で理解してやっています。ちょっと日本には馴染みのないカルチャーなので、「本田、審判批判で罰金!」みたいな見出しのインパクトが強く受け止められたように思われますが、サッカーの世界じゃよくある話です。

ただ、今回の本田選手の発言が大きな波紋を呼んだことは事実です。

なんといっても彼が所属するACミランは、世界屈指のビッグクラブ(ちょっと最近はその威光が薄れている感が否めませんが)。そこで背番号10を背負っているレギュラープレーヤーが、大事なリーグ戦から抜けてアジアNo.1を決める大会に出向いている。もちろん、それでヨーロッパのメディアの目がアジアカップに向けられるわけではありませんが、インターネットが日常となっている今、“本田圭佑の審判批判”というだけで、ヨーロッパでもネタとして取り扱われます。

アジアカップの審判のレベルが低い……長らくサッカーを観てきた人にとっては「何を今さら」というところでしょう。今大会のみならず、ワールドカップのアジア予選でもその模様ははっきり分かります。実はJリーグでも、「審判のレベルが試合に追いついていない」と言われることがあるほどで、まともなプロリーグを持たないアジア諸国に高い審判レベルを求めるのは極めて難しいこと。しかしながら、アジアの強豪国にはヨーロッパのトップリーグやビッグクラブでプレーする選手がおり、当然そのレベルの差に愕然とさせられるのです。

先の2014年ワールドカップ・ブラジル大会の開幕戦を覚えていますでしょうか。開催国ブラジルとクロアチアの試合で、日本人審判の西村雄一さんが主審としてピッチに立ち、ブラジルへ与えられたPK(結果的にこれが決勝点となる)が物議をかもしました。そう、この一幕も、「アジアの審判のレベルは低い」というレッテルの一部となっているのです。

審判の育成は、選手の育成以上に難しいもの。かつてJリーグ創世記には、ヨーロッパや南米から高レベルの審判を招聘しており、彼らとの交流や指導から日本の審判レベルは着実にアップしました。大物外国人選手や優れた審判がいることで、自ずと試合のレベルはアップし、合わせて日本人選手のレベルも格段にあがっていったのです。その逆もまた然り、選手や審判のレベルが下がれば、ゲームは停滞し、お客さんの足は遠のいてしまいます。いくら育てたいと言われても、淀んだ流れのなかで選手や審判がレベルアップするのは至極困難なこと。また、審判が試合のレベルについていけないと、危険なプレーが続発してしまう恐れがあります。あらゆる面において、試合の質をコントロールするのが審判の役割なのです。

ヨーロッパのトップリーグに身を置く本田選手は、審判のレベルが試合を左右することをよく知っています。そもそも彼らはプロのサッカー選手で、試合の内容や結果によってその後の生活が大きく変わってしまうという世界に身を置いているのです。ACミランのレギュラープレーヤーが、大事なリーグ戦を後回しにして参加している……。この事実からも、彼のアジアカップにかける意気込みは痛いほど分かりますし、彼の目標は間違いなくアジアカップ優勝でしょう。これによって、“プレワールドカップ”コンフェデレーションズカップへの出場権が得られ、日本代表はより大きな成長のための機会を得られるのです。

そこで、「アジアだから、審判のレベルが低いのは仕方ない」と済ますことはできません。おそらく本田選手は、自身の発言力がどれほどのものか理解しつつ、「それでも言わねば」と意を決して発言したに違いありません。ひいてはブラジル大会の悔しさからはじまるロシア大会への意気込みなのでしょう。

先のブラジル大会で、日本の代表として挑んだチームは、一勝もすることなくブラジルを後にしました。監督や選手を批判するのはカンタンですが、それらすべてを含めて“日本の代表”として我々が送り込んだ人たちであり、もし外国人が「日本ってブラジルで一勝もできなかったんだよね」と言ったとすると、それは代表チームにではなく、私たち日本人ひとりひとりに向けられた言葉だと理解せねばなりません。

本田選手の発言は飽くなき勝利への執念から出たものであり、僕は彼の発言を誇らしく思います。間違いなく本田選手は、“日本を背負っている”ということをしっかりと自覚した人だと改めて感じ入った次第です。改めて、アジアカップを観戦する楽しみが増えました。

2015年1月12日月曜日

なぜか結びつかない高校サッカーと日本代表

■悲願の初優勝
石川県の星稜高校が全国の頂点に立った今年の全国高校サッカー選手権大会。天皇杯のスケジュールが前倒し開催となったこともあり、冬の風物詩として話題を独占した感がありました。

未来のJリーガー、そして未来の日本代表となる逸材が揃う今大会、数試合ほどTV観戦しましたが、年々選手のレベルがアップしていると実感します。海外トップリーグが身近になったこと(テレビで見られる、日本人選手が活躍する、など)もそうですが、やはり国内リーグの充実があってこそ裾野が広がるというもの。若い選手の活躍は頼もしい限りですね。

そんな高校サッカーを見ていて、ふと感じたことがありました。それは、今回念願の初優勝を飾った星稜高校について、です。本田圭祐選手の母校として注目を集めまていますが、改めて2年連続で決勝までコマを進めたという偉業をクローズアップすべきでしょう。

プロとは異なり、高校サッカーは一年を終えるたび、チームの根幹が変わってしまいます。そう、最高学年である三年生が卒業していくからです。当たり前の話ではありますが、言うなればそれまでチームのレギュラーだった層がごっそり抜けるということ。翌年には、新しく加わる新入部員とともにチームづくりを行なっていかねばなりません。チームとしての熟成度が差を分けるサッカーというスポーツの特性を考えると、なんとも悩ましい事情ではあります。

“チームの骨格そのものを見直しての刷新”という難題を考えると、2年連続で決勝進出をはたした星稜高校のすごさと言ったらありません。特定のタレントに頼らない一貫した強化方針がなければ、安定した力を発揮することはできないからです。監督の力量はもちろん、周囲のサポートも不可欠となります。試合に勝つには、第一に選手の質、そして彼らの力量を最大限に発揮できる環境づくりと、あらゆる要素を含んだ総合力があってこそ。

■星稜高校の勝因とは
“選手の質”という点では、東福岡の中島賢星選手など、プロとして通用するであろう高い能力の持ち主はたくさんいました。が、どこの出場校もそんなレベルのタレントを抱えているわけではありません。日本にクリスティアーノ・ロナウドやメッシがいないのと同様、チーム力で勝ち上がってきた高校がほとんどと言っていいでしょう。

足りない個の実力差を埋めて勝ち上がる戦い方を身につける必要がありますし、どれだけ優れた個を揃えたチームが相手でも、総合力をもって打ち負かすことができるのがサッカーというスポーツ。星稜高校だけに限ったことではありませんが、大会が進んでいくにつれ、勝ち上がってきた高校に顕著に見られた傾向でした。

そんな各校の試合を観ていて気づいたのは、以下の2点。

・次のプレーにつながるトラップ技術
・パス&ゴーの徹底

サッカーをやっていれば小学生のときに教わる基礎中の基礎ですが、その基本を徹底するというのはなかなかに難しいもの。とりわけ星稜高校は、本田圭祐選手という華やかなOBがいると、「俺だって」とスタンドプレーに走る選手がいたとしても不思議ではありません。しかし、“チームとしての戦い方”を全員がしっかり理解しているように見えました。

トラップとは、その次のプレーをはじめるうえでの第一歩です。タッチラインを背にボールを受ける際、クロス(またはアーリークロス)をあげたいのであれば眼前の敵の足が届かない前方にボールを置く必要がありますし、前線が手詰まりで闇雲にクロスを上げても跳ね返されると判断したときは、組み立て直すために自陣寄りにボールを置く必要があります。「ファーストタッチを見れば、その選手の力量やインテリジェンスが伺い知れる」とは言いますが、勝ち上がってきた高校の選手は“攻めどころ”と“守りどころ”の使い分けができているように思えました。

テレビから伺い知ることはできませんでしたが、試合中はボールホルダーに対してチームメートがしっかりと声がけをしていたのでしょう。いわゆるコーチングと呼ばれるもので、「背後に敵が迫っているぞ」、「今フリーだぞ」と教えてやることで、ボールホルダーは適切な状況判断ができるのです。トラップ技術にともなうコーチング力も高かったものと思います。だから、シンプルなプレーを危なげなくこなしていたのです。

そして、パス&ゴー。特にアタッキングサードに入ってからが顕著でしたが、それこそ星稜高校の選手は味方にボールを渡したあと、足を止めることなく意図あるランをしっかりと行なっていました。これは反復練習の賜物だと思いますが、コミュニケーションを取りながら練習を繰り返すことで、味方の特性を理解し、信頼あるランが生み出されるというもの。当然攻撃に厚みが生まれ、なおかつ無駄走りもなくなります。ひとえに選手の力量を見極める監督の采配も大きな要因と言えるでしょう。

■強豪ぶっている井の中の蛙
全国の高校サッカーの頂点にふさわしいチームだった星稜高校。もちろん準優勝の前橋育英、そして他校もすばらしい試合を見せてくれました。こと星稜高校で言えば、先のブラジルW杯で言えば、優勝したドイツのような安定感あるチーム力を見せつけての優勝だったと言えます。およそ高校生とは思えない完成度が高いチームを見させてもらったわけですが、こうした裾野が日本代表にフィードバックされているかと言われると、決してそうではありません。

本来は、日本代表が日本全国のサッカー少年の模範となり、「日本のサッカーとは、こうだ」というものを見せねばなりません。パスワークで相手を翻弄するポゼッションサッカーを軸とするならば、未来の本田圭祐選手や香川真司選手、遠藤保仁選手となるテクニシャンが求められることになります。そう、ブラジル代表やスペイン代表のように。

確かに、ブラジルやスペインのサッカーは実に流麗ですし、こと中盤の選手に関して言えば、日本は常に有能な選手を輩出しています。「その特徴を最大限に活かすべき」という主張はごもっともですが、現実問題、その自慢の中盤でどこまで世界に通用したかと言えば、その実績はほぼゼロと言えるでしょう。先のブラジルW杯もそうですが、好成績をおさめた2010年南アフリカ大会でも「中盤を制圧して勝ちきった」わけではありません。どちらかと言えば、守りに守ってカウンター一本というものでした。GL第2戦の相手オランダには、完全に試合の主導権を握られてしまいましたし。ブラジル大会では、言わずもがな。

現在の日本代表は、ブラジル大会当時のまま特に変わっていません。酷な言い方をすれば、“ブラジルでまったく通用しなかったチームを使い回し、アジア相手に強豪ぶっている井の中の蛙”のままというわけです。その状態で、3年後のロシア大会で好成績をおさめられるのか……。「勝てる!」と答えられる人は、盲目的にサッカーを見ているだけか、代表選手または関係者の身内でしょう。

優れたMFを排出できるのは、ひとえに国民性によるもの。人材が豊富なことは良いことですが、自然発生的なことと育成は別問題。大事なのは、「世界相手に勝ち星をあげるための育成と強化」。その点で言えば、全体がレベルアップしつつ献身的にプレーできる選手が高校生クラスに多数存在するというのは、実にすばらしいことだと思うのです。

自慢の中盤を活かすのも、その周囲に“水を運ぶ選手”がいてこそ。日本人ほど献身的にチームに尽くす人種は、まずいません。また、足をとめずに走りきれる献身的な選手が代表チームに選ばれるようになれば、「俺だって代表を目指せるかも」と夢を抱ける少年が増えてくるはずです。ひいてはこれが、日本サッカーの厚みになると思います。星稜高校の選手が見せてくれたのは、「これぞ日本サッカーのスタイル」とも言える姿勢でした。

はたしてアギーレ監督がこの観点のもとにチーム構成を行なっているのか。いや、そもそも日本サッカー協会がこういったオーダーをアギーレ監督に出しているのか。そろそろ日本サッカーのスタイルの確立や強化方針に一貫性を持たせてほしいもんだ……。今年の高校サッカーを見終えて、そんな感想を抱きました。

2015年1月7日水曜日

次期日本代表監督にはぜひ“イタリアの闘犬”を!

いよいよアジアカップに挑むサッカー日本代表。ですが、ちょっと不必要なことで周辺が騒がしくなっています。アギーレ監督の八百長疑惑問題がその発端で、現時点ではシロともクロとも言えない状況から、なんともまどろんだ雰囲気が漂っているように見えます。選手側としては「いつまでもそんな話を引っ張らないでくれ」というところでしょう。もちろん面白半分で取り上げているメディアは論外ですが、かといって何事もなかったかのようにスルーできるほど軽い話ではないのも事実。

とりわけ、日本サッカー協会は頭が痛いところでしょう。クリーンなイメージから、多くのスポンサーを集めてきた日本代表にダーティな印象を持たれる……。協賛している企業にとっては、とばっちりもいいところ。これでスポンサーが引き下がっていきでもしたら、せっかくのワールドクラスの監督招聘が裏目に出たことになります。協会側のリサーチ不足に端を発するところではありますが(アギーレ獲得に動き出している最中に、そういう噂話は必ず耳にしていたはず)、一番釈然としないのは、疑惑の指揮官のもと、コンフェデレーションズカップ出場権獲得という重要な任務を背負わされている選手たち。いずれにせよ、アギーレ体制でアジアカップを戦うことに変わりはないので、本大会に関してはこのまま生暖かい目で見守るほかないでしょう。

問題は、大会後。アギーレ体制が継続するのか、否か。

成績次第で……という声もあるようですが、八百長疑惑とアジアカップの成績は関係ないでしょう。現体制のままアジアカップに挑むのは、タイミング的に指揮官を代えた際のダメージの大きさを考慮したから。こと八百長疑惑という点については、まったく違う観点から議論されるべきです。

私個人としては、解任でいいと思っています。アギーレという人物の能力を疑問視してはいませんし、協会が「彼以外考えられない」というのなら死ぬ気で庇いながら続けるというのもテです。が、まだチーム再編が始まったばかりの今、アギーレでなくてはならない理由はとりわけ見つからず、かといって協会が死にものぐるいでアギーレを守ろうという姿勢も見えないので、さっさと後任人事を進めて代えてしまえば?と思うのです。別に、次のロシア大会までひとりの人物に4年間まかせなきゃいけないルールもありませんから。

解任とした場合、後任にふさわしい人物像は? 協会がすでに動いているものと思われますが、あえて代表監督に希望する人物像を描いてみましょう。とりあえずW杯ロシア大会を目標とした場合、アギーレ体制ですでに一年を消化しているので、“残り3年でどこまで強くできるのか”が課題となります。

世界のリーグで指揮を執った経験がある人物なら、海外組の能力はある程度把握できているでしょう。問題は、Jリーガーとどう融合させ、今以上のチームにできるか。ひとつの指標となるのは、ブラジルW杯での惨敗。ザッケローニの指導力の低さは、選ぶ人物次第でリカバー可能です。コンディション不良?これも次期監督のスケジューリング次第。

Jリーグに精通しているか否か……。これが難しい。ただ、これは考え方で、“有能なJリーガーを選んでチームを構成する”よりも“新指揮官が描く理想のスタイルに適した選手を選ぶ”とすれば、数ヶ月かけてJリーグ行脚をしていただいたうえで好みの選手をチョイスしてもらえばいいわけです。

代表監督経験もある明確なスタイルを持った世界的名将……ファビオ・カペッロ(現ロシア代表)やルイス・ファン=ハール(現英マンU監督)などでしょうか。ギャラも高額ながら、現職を投げ打って極東の代表チームに来てくれるとは思えません。

ある程度“穴場”を狙わなければならないわけですが、個人的に薦めたい方がひとりいます。イタリア代表としてW杯制覇を経験した“闘犬”ジェンナーロ・カットゥーゾです。



ふざけていると思われるやもしれませんが、私は大真面目です。ブラジルW杯での惨敗の理由として、ひとつに“ハートの弱さ”があったと思います。気持ちだけでプレーすることはできませんが、気持ちや気迫は間違いなくプレーに表れます。はっきり言いますが、ブラジルW杯での日本代表の戦いぶりは、正直「本気でやってる?」と聞きたくなるほど頼りなく、不甲斐ないものでした。

強固な鉄門の前に立ちはだかる番犬として活躍したガットゥーゾは、代表でW杯を、クラブ(ACミラン)でUEFAチャンピオンズリーグを制覇した“頂点を知る男”です。現在ギリシャリーグのクラブで監督業に勤しんでいるそうで、しっかりしたギャランティと日本サッカーが目指すべき方向性と志を示せば、心を傾けてくれるんじゃないでしょうか。それこそ、ザッケローニ・コネクションを使ったっていいでしょう。

「なんつったってオレは周知のとおり、超のつくド下手だからな。それこそアンドレア(・ピルロ)みたいに上手いなら話は別だが、そうじゃないオレはもう走るしかない。人の2、3倍なんてレベルじゃないぜ」

現役時代のインタビューではこんな話をし、そして「ボランチに必要な要素は?」という問いかけに「気合い。これだけさ」と言ってのけるガットゥーゾ。少しでも日和った意識で代表に来れば、ガットゥーゾ監督に噛みつかれること間違いなし(比喩ではありません)。たとえ試合中でも、気の抜けたプレーをすれば叩きのめされることでしょう。

別に代表選手を痛めつけたいってわけではありませんが、ブラジルでの頼りない戦いぶりを見せられた側としては、フォーメーションや戦術云々はさておき、“本大会で一勝もできなかった国”として何から手をつけねばならないか、それを明確に示してくれる人物だと思うのです。

3-4-3? 4-2-3-1? ここまで堕ちたのなら、そんな議論は二の次、三の次です。まずは走る。相手の誰よりも走る。そして守るときは徹底的に守る。足で止めるのではなく、体で止める。死にものぐるいでボールを奪い、考え得る限りの最高の方法でボールをゴール前に運び、全員でゴールにねじ込む。

なぜ、そんな泥臭いことをしなければならないか? ブラジルで惨敗したからです。一勝も挙げられなかったからです。アジアの弱小国だからです。海外のトップクラブに所属しているとか、そんな肩書きは何の役にも立ちません。本田圭祐とて、クリスティアーノ・ロナウドやメッシのような“ひとりで試合を決定づけられるスペシャルワン”ではないのですから。

世界の頂を見た経験を持ち、戦う意味やチームへの献身を知る男、ガットゥーゾは申し分ない人物だと思います。きっと、今まで見たことがないような戦闘集団へと変貌させてくれるのではないでしょうか。




2015年1月6日火曜日

日本サッカーにストライカーなんかいらない

ただいま絶賛開催中の全国高校サッカー選手権大会。その3回戦 京都橘(京都) vs 国学院久我山(東京A)の試合をテレビで観ていたのですが、面白いワンシーンがありました。混戦となったゴール前にて、落ちてきたロビングボールを京都橘のFWが振り向きざまにシュート。かなり難しい体勢から繰り出したボレーは、残念ながらボールポストを直撃してタッチラインの外へ。その模様を見ていた解説の福田正博さん(元日本代表/元浦和レッズ)が絶賛していたのです。

「数ある選択肢のなかに“シュートを打つ”があれば、迷わず打つのがストライカー。今のプレーは素晴らしい」

確かにおっしゃるとおりだと思いました。たとえとして適切かどうか分かりませんが、宝くじと一緒で、買わないと当たらない、つまり打たないと入らない。「入らないかも」と打つのを躊躇した分、相手ディフェンスは混乱から脱していくので、1パーセントでも“シュートを打つ”という可能性があれば、迷わず打つべき。そのまま入ればベスト、仮に入らなかったとしても、もしかしたら相手GKやDFが弾いて新しいチャンスが生まれるかもしれない。“ボールを足で扱う”という不確定要素の多いスポーツですから、どれだけ可能性が小さくてもチャンスと見れば何でもトライするべきです。

しかし、日本に“ストライカー”と呼ばれる選手はほとんど登場していません。唯一の例外は釜本邦茂さんで、そのイメージに近しいところまで行ったのは、高原直泰選手(元日本代表/SC相模原)ぐらいでしょうか。代表チームでは岡崎慎司選手(日本代表/独マインツ)が目覚ましい活躍を見せていますが、最前線に君臨するエースストライカーというイメージとはややかけ離れています。

人それぞれではありますが、ストライカーの定義としては“エゴイスティック”で“チームの成績に関係なく自分の得点にこだわる”ところでしょうか。チームとして取り決めているPKキッカーに、「得点王に近づけるんだから、俺に蹴らせろ」と言って試合中にケンカしたフィリッポ・インザーギ(元イタリア代表/現ACミラン監督)などはキャラクター的にも最たるストライカーと言えるでしょう。言うなれば、「俺様みたいな素晴らしいストライカーを起用しないあの監督は馬鹿だ」と平気で言ってのけるような人種が、ストライカーたりえるのです。

ストライカーに必要な素養を持ち合わせた人種が日本から生まれるとは考えにくいのです。出る杭は打たれる、能ある鷹は爪隠す……という慎ましやかさを美徳とする国民性とは真逆の素養ですから。冒頭の高校生ストライカーも、確かにあのプレーは賞賛されるべきものですが、彼の今後のサッカー人生でその姿勢がどこまで貫けるか。“出る杭があれば即座に打つ”この国で、出る杭であり続けることがいかに困難なことか。本人がどれほど強い意志を持っていたとしても、周囲のリスペクトが得られなければその気持ちを維持すること自体が難しいのです。

現在、日本サッカー協会が『ストライカー育成プロジェクト』なる取り組みを行なっています。その名のとおり、世界に通用するストライカーの卵を見つけ、徹底的にストライカーとして育てようという目論見。こういう計画に取り組む協会の姿勢には好感が持てますが、そもそも論として、「日本サッカーにストライカーは必要なのか」、「では日本サッカーが目指す究極のスタイルとは何なのか」が定まっていないように見えます。

日本サッカーに、ストライカーは必要でしょうか。結論から言わせてもらえば、僕は不要だと考えています。理由は、ストライカーがいなくても得点を重ねた日本のチームを知っているからです。

それは、名古屋グランパス。それも、1995年、フランス人指揮官アーセン・ベンゲル氏(現英アーセナル監督)が率いていた頃の、です。

創設からJリーグのお荷物と呼ばれていたこのチームを常勝チームへと変貌させた名将の手腕は、20年近く経った今も色あせることはありません。この当時、名古屋には代表チームの常連となるような選手はいませんでした。ところがベンゲルは、特に他チームから代表クラスの選手を引き抜くこともせず、持ち駒だけで好バランスのチームを築き上げたのです。

フォーメーションは、中盤がフラットな4-4-2という現代サッカーでは極めてオーソドックスなもの。最前線には世界屈指のプレイヤーと言っていいドラガン・ストイコビッチ(元名古屋)を置き、その圧倒的なキープ力と展開力を活かしたワイドな攻撃を目指したのです。当時無名だった岡山哲也や平野孝を両翼に配し、二列目、三列目からどんどん選手が飛び出してくる厚みのある攻撃で得点を重ねていったのです。スコアラーも日替わりで、連勝を重ねだした頃にはディフェンダーが決勝ゴールをあげても不思議がらなくなったほど。

もちろん、この分厚い攻撃を支えていたのは、前線からの献身的な守備があってこそ。ゾーンディフェンスのお手本とも言える統制のとれたプレッシングで相手から自由を奪い、ボール奪取とともに攻守を素早く切り替え、全員がゴール前になだれ込む。ここぞ!というときに投入されたスーパーサブ森山泰行という存在もあって、当時の王者ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)に肉薄する勢いを見せたのです。

誰がゴールを決めたって、1点は1点です。イブラヒモビッチのようなストライカーが天から舞い降りてくるのを待つのではなく(そもそもそんな選手を育てることなど不可能。できるなら、他の国でもやっています)、自分たちが目指すべきサッカーのスタイルを確率させ、それに即した選手の育成プロジェクトを立てていくべきです。

サッカー日本代表は、日本サッカー界の模範となるべきチームです。「なるほど、代表チームはこういうサッカーをするんだ。だから僕はこういう練習をしよう(もしくは選手をこう指導しよう)」と、未来の代表選手が志を抱くことができるわけです。何がしたいか分からない、行き当たりばったりのサッカーをしていては、夢見るサッカー少年に目標すら与えられません。目先のビジネスに奔走するのも結構ですが、将来有望なJリーガーの才能を開花させてやるには、代表チームが明確な指針を見せねばならないのです。監督が変わるごとにサッカーが変わっていては、選手はもちろん他のみんなも困惑してしまいます。

特定のストライカーに頼らない、統制のとれた組織力と機動力をフルに活かした全員攻撃&全員守備のサッカー。身体能力に秀でていない日本にもっとも適したスタイルであり、私が理想とする日本のサッカーです。今までこのスタイルに挑戦しようとしたのは、代表チームではイビチャ・オシム氏だけでしょう。アギーレは……どう見ていますかねぇ。アジアカップでの戦いぶりに注目したいと思います。

2014年12月29日月曜日

ロシア大会後も続く日本サッカー暗黒時代

2014年12月29日深夜に放送されたフジテレビ特番『ザックジャパンの真実』を観ました。サッカー日本代表の元監督アルベルト・ザッケローニ氏に4年間帯同した通訳の矢野大輔さんが綴った『通訳日記 ザックジャパン1397日の記録』(株式会社文藝春秋刊)を土台に『すぽると』とコラボした企画で、その日記に綴られた内容を軸とするザッケローニ氏と矢野氏の対談で、ブラジルW杯までの4年間を振り返っていくというもの。

なんともひどい企画でした。「本気で日本サッカーの未来を憂いている人間は誰ひとり関与していないのだな」という印象しか残らない番組でした。

この番組を観るにあたり、私が焦点としたのは「ブラジル大会の惨敗をザッケローニがどう振り返るのか」でした。多少の編集こそあれ、ザッケローニ氏本人がカメラの前で口にする言葉は、まぎれもない真実。ブラジル大会までのエピソードでいろいろと言いたいことはありましたが、何より注目すべきは自身が指揮を執ったチームの結果に対する自己評価です。

「日本人選手の潜在能力は高く、世界と渡り合える技術を持ち合わせていた。彼らに足りなかったのは、自信だった」

番組のなかで、ザッケローニ氏はそう語っていました。

「他人事かい」

その言葉を耳にした瞬間、私の口から出た言葉です。ある意味予想どおりでもありましたが、なんと無責任な人物に大事な代表チームを預けていたのかと呆れました。

4年という年月は、プロサッカーの世界では十分すぎる時間です。確かに代表チーム自体は年間を通じてみても活動期間は短いのでクラブチームと同等には見れませんが、世界では一年未満で解任される人も少なくありません。時間は十分すぎるほどありました。「自信がない」ことぐらい、よほど無関心な人でなければとうの昔に見抜けるはず。こんなのはただの言い訳にしか過ぎません。

選手に自信がないのなら、自信をつけられるようなコーディネートをすべき。「タジキスタンと試合をしても自信にはつながらない」というのなら、日本サッカー協会にマッチメークの是非を問うべきです。「ホームじゃなくてアウェーでの試合を増やせ」、「FIFAランキングの上位国との試合をやらせてくれ」など、いくらでも言えたはず。そのための最高指揮官でしょう。

ブラジル大会での惨敗は、コンディション調整の不備などいろいろと言われていますが、そうしたディテールすべてを含めたうえでの、指揮官ザッケローニの采配力の欠如だと思います。「攻撃的なサッカーをやりたい」と言ったって、本当の意味で試合を支配できる国なんて世界に数えるほどしかいません。ほとんどの国が、そうした強豪国を向こうに回して守備的に戦い、失点を最小限に抑えて少ないチャンスで倒そうと試みるのです。W杯で勝ち上がれば勝ち上がるほど相手は強くなっていくのですから、そうした戦いが強いられるのは至極当然のこと。“守備的な戦い=悪”という風潮は、日本人の悪いクセだと思います。

この番組についてもうひとつ残念に思ったことは、ザッケローニ氏と矢野氏の対談現場で、「ふざけたことを言うな」と言える人物がひとりもいなかったことです。本当に日本サッカーの未来を憂いているのであれば、あのブラジルでの惨敗を引き起こした張本人の無責任な言葉を聞けば、その場で張っ倒してやってもいいぐらい。実際、4年間も猶予を与えた挙げ句にW杯で一勝もあげられなかった外国人監督に「ありがとう」なんて言葉を吐くのは日本人ぐらいでしょう。僕が外国の人間なら、「日本はなんてお人好しの国なんだ」と大笑いするところです。

今回の番組は、“日本サッカーの今”を如実に表していたと思います。大金と時間を与えたにもかかわらず結果を出せなかった好々爺と、それを笑顔で囲むメディア陣。そこに、本気で日本サッカーを強くしたいという意思はついぞ感じられません。

今、日本サッカーは極めてダークな状況にあります。W杯で惨敗したことにより、日本に対する世界の評価は著しく下がりました。つまり、「弱い日本と試合なんかできるかよ」と強豪国がオファーを断ってくる可能性が高まったわけです。しかし、日本が強くなるためには世界屈指の国々との試合経験が不可欠。弱い国であることは覆しようのない事実ですが、それでもマッチメークを行なうとすると、

1, コネクション
2, ファイトマネー
3, 大きな大会への出場権獲得

などが必要になります。ファイトマネーはスポンサー次第で出しようはありますが、それでも極東の弱小国まで足を運んでくれる国がどれだけいるか。「3」は、まもなく始まるアジアカップで優勝した際に獲得できるコンフェデレーションズカップへの出場権。そして「1」は、世界的に著名な指揮官を利用してのマッチメークです。現代表監督であるハビエル・アギーレ氏には、「1」と「3」が求められています。しかし、先の八百長疑惑もあり、日本サッカー界にはますます暗雲が立ち込めてきたというわけです。

“たら・れば”の話をしても仕方ないのですが、もしブラジル大会でそれなりの成績(せめて決勝トーナメント進出)をおさめていれば、たとえ無名の国産監督であってもマッチメークはそれほど難しくなかったでしょう。つまり、ブラジル大会での惨敗はこうしたところにまで影響をおよぼしているのです。

番組を見終えて、この企画にかかわった人すべてが、ザッケローニ氏の功罪を理解していないのだな、と感じ入りました。それも、日本サッカー協会の顔色をうかがったような内容に終始して。

こんな番組が堂々と放映されていること自体、ブラジルでの惨敗をきちんと受け止めていない何よりの証拠。憤りを超えて、絶望感すら漂いました。

断言します。3年後のW杯ロシア大会、仮に出場できたとしても、日本は結果を出せないでしょう。なぜならば、ブラジルでの惨敗の原因をきちんと突き詰めず、うやむやにしたままダマシダマシ事を進めようとしているからです。

日本サッカーの暗黒時代は、ロシア大会後も続きます。現時点では、いつ晴れるのかすら分かりません。堕ちるところまで堕ちないと気づかないという悪癖に、改めて自国に対する日本人の関心の薄さを感じた次第です。

2014年10月18日土曜日

歓迎すべき? W杯アジア枠の出場1枠減

ブラジル大会での大失態を受けて

このほど、FIFA(国際サッカー連盟)が2018年W杯ロシア大会にて、アジアからの出場枠4.5を4もしくは3.5に減らす案を検討中とのニュースが流れました。

>> 18年ロシアW杯のアジア枠1減も…FIFA総会で正式決定へ

もっとも大きな理由は、先のブラジル大会におけるアジア勢の不振でしょう。出場4ヶ国は揃ってグループリーグ敗退、しかも4つ合わせても0勝3分け9敗と一勝もあげられず。これじゃあ「W杯のレベルが低迷する。予選を突破できなかった南米やヨーロッパの国が出場していれば面白みが増したはず」と思われても仕方ありません。もし僕がギリギリで出場権を逃した南米やヨーロッパの国の人間だったら、そう思うことでしょう。

ちなみにブラジル大会における地域別出場枠は以下のとおり。

==========================
・南米 4.5 (+開催国ブラジル)
・ヨーロッパ 13
・アフリカ 5
・アジア 4.5
・北中米カリブ海 3.5
・オセアニア 0.5
==========================

こう見ると、アジア枠が大きく優遇されているのがよく分かりますね。実力の高い国がひしめく広大なヨーロッパはともかく、南米やアフリカとも同等。

1994年W杯アメリカ大会まで、アジアの出場枠は「2」でした。それが次の1998年フランス大会から「3.5」へと増大したのです。総出場国数も同フランス大会より「24ヶ国」から「32ヶ国」へと増えました。そう、1994年までW杯は文字どおり“狭き門”だったのです。


“出場させてもらえた”フランス大会

出場国数の増大は1994年以前から検討されていたことですが、大きな転機を生んだのは1994年。日本ではその前年(1993年)に初のプロサッカーリーグ『Jリーグ』が発足し、同年、W杯アジア最終予選にて予選突破まであと一歩のところで力尽きた『ドーハの悲劇』がありました。

1994年W杯アメリカ大会では、アジア勢の躍進がありました。ドイツ相手に健闘を見せた韓国、そしてアジア初のグループリーグ突破をはたしたサウジアラビアの存在です。サイード・オワイラン(サウジ代表FW)の6人抜きドリブルも話題を呼びました。当時アジアやアフリカは第三勢力として世界の注目を集めつつあったので、ある意味効果的な結果を生んだわけです。

もうひとつが、2002年W杯の開催地に関する事案です。当時名乗りを挙げたなかで有力候補と見られていたのは日本と韓国でした。特に日本はアメリカに次ぐ世界屈指の経済大国であること、そして安全面という点でも安心して任せられる印象が強かったことから、最有力候補として見られていたのです。

その一方で、唯一の懸念は「一度もW杯に出場したことがない」、つまり出場未経験国であることでした。それまでの開催国はすべて過去に一度以上はW杯に出場していました。経済大国 日本を開催地にしたい、でも出場未経験国を選んだら「カネで開催地を選んだ」と非難されてしまう。

FIFAが出した結論が、日本をフランス大会に出場させるための“アジア枠の増大”だったのです。アジア枠が増えた1997年W杯フランス大会 アジア最終予選において、日本は第三代表決定戦までもつれこみつつも出場1枠をもぎ取りました(ジョホールバルの歓喜)。2002年W杯が日韓共催で決定されたのはその前年(1996年)でしたので、FIFA関係者も胸を撫で下ろしたことでしょう。

嫌味を承知で言えば、日本はこの出場枠増大の恩恵にあずかった国のひとつで、突破そのものは実力ながら、見方によっては“出場させてもらえた”とも言えます。なぜならば、出場枠の増大がなければ、ジョホールバルの歓喜を呼んだアジア第三代表決定戦などというプレーオフは存在しなかったわけですから。

その後、オーストラリアがオセアニア地域からアジア地域へと組み込まれ、アジア枠はさらに増え、現在の「4.5」となりました。気がつけば、南米やアフリカと肩を並べる地域となっていたのです。

その矢先の、ブラジル大会におけるアジア4ヶ国の失態。強豪エリアと肩を並べていながら一勝もあげられないなんて、笑えないアメリカンジョークのよう。そりゃ出場枠の見直しぐらい検討されます。


ワールドカップはディズニーランドではありません

個人的には、この出場枠減は大歓迎です。門戸が狭まれば当然予選突破は厳しいものとなるでしょうが、シビアになる方が緊張感が増し、戦い方に真剣味が出ようというもの。ここ数大会におけるアジア予選での日本の戦いぶりには、いささか緊張感に欠けるものがありました。海外組を総動員して選手のポテンシャルだけで相手をねじ伏せるプレーで勝ち星をあげ、強くなった気になって本大会に臨み、そしてフルボッコにされる。

予選突破は最低限のクリア課題なので(日本も偉くなったもんだ)、日本国籍を持つ最高クラスの選手を総動員するのは至極当たり前のことですが、W杯本大会で結果を出せないのでは本末転倒。先のシンガポールでの国際親善マッチ ブラジル戦での張りのなさ、闘争心のなさを見ると、結局次のロシア大会でも同じことを繰り返すんじゃないのか?と思ってしまうところ。

たとえ国内組のみの編成でもアジアを勝ち抜けるチームを作り上げ、海外組を“上乗せ”としていけば、少なくとも海外組を主軸としてバランスを崩したブラジル大会よりは好成績を残せるんじゃないでしょうか。

出場枠減、大いに結構。僕個人としては、出場枠を「2」に戻してほしいぐらい。ええ、もちろんオーストラリア込みで、です。

「それでもし、本大会出場を逃したらどうするんだ!?」

それはそれで、受け止めればいいんじゃないでしょうか。次への糧とすればいいんじゃないでしょうか。それがW杯です。イングランドやフランスのように、出場を逃した強豪国はいくらでもあります。だからといって、彼らのサッカー文化が潰えたりはしていません。黒歴史として、糧として次世代へと受け継がれ、今日の彼らがあるんです。

代表が強くなるためには、より厳しい環境に投じること。それは選手や監督だけでなく、協会、サポーター、そして日本国民すべてが、です。

W杯は、ディズニーランドじゃないのですから。

2014年10月17日金曜日

サッカー日本とブラジル、そして東京と大阪の運転

[2014.10.14 =国際親善試合= 日本 0-4 ブラジル -シンガポール-]

■地力の差が出た痛恨の試合

敵将ドゥンガは、この試合をどう見たでしょうか。

現在ブラジル代表監督を務める彼は、現役時代にJリーグ ジュビロ磐田に所属したことがあります。彼が在籍した当時のジュビロはまさしく黄金期で、鹿島アントラーズと双璧をなすリーグ最強チームのひとつでした。彼が去ったあともほぼ日本人だけとなったジュビロは弱体化することなく強さを維持し続け、2002年当時は「日本代表より強い」とまで言われるほどに。

そのドゥンガが、ジュビロ在籍時のインタビューでこんな言葉を残しました。

「日本人にはマリーシアが足りない」

マリーシアとは、ブラジル語で「ずる賢さ」という意味を持ちます。日本人としてこの言葉を聞くと「おいおい、相手を騙すなんて卑怯なことができるわけないだろう」と思うところですが、海外におけるずる賢さには、いわゆる“賢さ”も含まれるそうです。つまり、「出し抜くこと、騙すことも利口さのひとつ」という考え方がベースにあるのでしょう。実際、サッカーという競技は“いかに相手を出し抜くか”“どうやって相手の裏をかくか”という騙し合いのスポーツ。騙されないよう鉄壁のディフェンスを敷いても、ほんの一度だけ取られた裏が失点につながります。サッカー王国ブラジルのキャプテンの言葉は、かの国のカルチャーを如実に表していると言えます。

地力の差を見せつけられた試合だったと思います。結果的にはネイマールの4ゴールと、文字どおり“ネイマール・ショー”でした。ブラジルW杯で悲劇的な怪我を背負ったエースの華麗なる復活という演出に、シンガポールの方々は酔いしれたことでしょう。そう、日本は完全に引き立て役、申し分ないかませ犬でした。

アギーレ監督のアプローチは及第点だと思います。W杯ですべてをフラットにし、ゼロからチームをつくり上げようとしている発足まもないチームですから、アギーレ監督としても「まずは選手個々がどこまでやれるのか」をチェックする時期だということでしょう(そういう意味で、Jリーグで采配を採ったシャムスカなどを監督候補として検討してもよかったのでは?とも思うのですが)。本田や香川といったチームの柱抜きで、王国相手にどこまでやれるのか。勝ちたいのはもちろんですが、目標は2018ロシアW杯で、この試合は親善マッチ。アギーレの見方は真っ当と言えるでしょう。

それだけに、試合に目をやると埋められない差というものが随所に垣間見え、日本人としては絶望的な気分にさせられた一夜でした。


■日常の速度感をあげねば一生ついていけない

W杯後に解体したこともあり、お互いチームはまったくの未完状態。日本はともかく、ブラジルはネイマールやロビーニョ、カカ以外は交代出場時に歓声もあがらない選手がほとんどでした。こうなると、個々の力量差がはっきりと浮き彫りになります。

0-4というスコアは、そのありようをまざまざと物語っていると言えるでしょう。特に失点シーンで見受けられたのが、ボールを持って突っかかってくるブラジル選手の間合いに対する日本人選手の戸惑いです。

ネイマールはもちろん、セレソンクラスの選手になると、すべてのプレースピードが速い。それはドリブルやパスと言った実技だけでなく、次のプレーを判断する速度、周囲をチェックする速度、相手の動きを先読みする速度という“頭を使った判断の速さ”も含まれます。

「今、攻めるとき」というスイッチが入ったときのセレソンの速さと言ったら、それはもうJリーグのレベルをはるかに超えています。しかし対峙しているのは、Jリーグが日常の選手たち。当然、“ワールドクラスの間合い”で戦った経験が乏しいことから、どこで飛び込むべきか、どこまで詰めるべきか、判断しかねていたのでしょう。しかも、こちらが考える以上のスピードで突っかかってきて、先んじてプレーが展開していってしまう。

詰められないから下がらざるを得ない。そしてディフェンスラインは自陣深くへと押し込まれ、バイタルエリアを面白いように蹂躙される。このゾーンであれほどボールをまわされれば、綻びのひとつやふたつはカンタンに生まれます。しかもセレソンのプレー速度についていけていないのだから、綻びができないことの方が不思議。個人的には「4失点で済んだ」という印象です。

日常を超える速度についていくというのは、実際には不可能な領域。その速度についていくためには、日常の速度をあげるほかありません。


■プレッシングが速くて強い対外試合を増やす

日本代表というチームの中軸を担うのはJリーガーですし、本田や香川、岡崎といった海外組に注目が集まりますが、彼らとてJリーグなくして今の地位は存在しないのです。

いかにJリーグのレベルをアップさせていくか。リーグ創設当時のように世界クラスの名手をたくさん呼べればいいのですが、今の各クラブにそんな資金はありませんし(C大阪のフォルランなんて、何年ぶりの大物か)、ひとりぐらい来たところでクラブのレベルが一気にあがるなんてことはありません。

答えはカンタン、Jリーグよりもプレースピードが速いクラブ(リーグ)との試合を増やしていくことです。そこで注目されるべきは、ACL アジアチャンピオンズリーグのあり方でしょう。

ACLでは、日本はアジア各国の後塵を拝んでいるというのが実情で、かつて浦和レッズやガンバ大阪などが王者に君臨した時代は遠い昔の出来事のよう。対峙したときに凄みを増す韓国勢、豊富な資金で有能な外国人を擁する中国勢に勝てない日々が続いています。

Jリーグよりもプレースピードが速いリーグは、海外に行けばいくらでもあります。しかし立地上、クラブ単位で頻繁にヨーロッパや南米に行くなんてできやしません。とすれば、現時点で満足に勝てておらず、かつ立地的にもそう遠くない東アジアのリーグ同士で交流戦の機会を増やすのが得策(手っ取り早いとも言う)と言えるでしょう。

まぁ、今の日中韓関係から見ると、なかなかに難しい問題ではありますが……。


■交通状況から見る国民性の違い

東京で暮らして6年めになる関西出身の私ですが、上京当初、一番驚いたのは東京の交通状況でした。放射状に道が広がる特殊な都市構造、現代の交通環境にそぐわない細い道路の多さ、流通の多さによる大型車両の増大など、大阪のそれとは比べものにならない環境の差を感じつつも、それを「仕方ない」として受け入れ、大渋滞でもクラクションひとつならないほど礼儀正しい都民の姿に、ただただ驚かされました。

東京と大阪では、運転に対する考え方がかなり異なります。どちらが正しいというわけではありませんが、大阪は強いて言えばアジア的な考え方のように思えます。以前訪れたベトナムでは、クルマの方が強気な運転で、歩行者やバイクによけることを強いるような動きをします。確かに交通弱者たる歩行者こそ守られるべきですし、だからこそ日本の交通事情は海外でも高く評価されています。

しかし一方で、こうした強気のプレッシングに対して腰がひけてしまうのもまた事実。「代表チームのサッカーを見れば、その国の国民性が分かる」とよく言われるのですが、我が国の代表チームのサッカーは、都内の交通状況のようにジェントルであり、ナイーブでもあります。残念ながら、対外試合となると相手はその弱点たる後者を徹底的に突いてくるのです。

東京都内での運転を見ていると、大阪に比べてワンテンポ(いやツーテンポ)ぐらいレスポンスが遅いと感じることがあります。別に急いで目的地に行く必要もないのですが、このレスポンスの鈍さは日々の緊張感に影響しないのか?と勝手に懸念するほど。加えて、歩行者の緊張感のなさも見ていて怖いぐらい。クルマが行き来している場所にもかかわらず、無警戒に入り込んでくる人が多いのです。関西でも飛び込んでくる人はいますが、こちらはどちらかというと「轢けるもんなら轢いてみぃ」という牽制の意味が含まれています。無警戒と牽制は、まったく相反するものです。

「ああ、おそらく“相手がよけてくれる”って思い込んでいるんだなぁ」、僕はそう思っています。 都民全員が全員というわけではありませんが、比率の問題で、関西に比べてそう考えている人の割合は圧倒的に多いと思います。結果、これが緊張感のない国民性へと結びついているんだ、とも。

待っていたら、おのずと誰かが手を差し伸べてくれる——。海外に出れば、そんな戯れ言は一切通用しません。日本国内ですべてを完結させるならそれもまたよし、ですが、日本の鎖国は江戸時代を最後に終わりを告げています。少なくとも海の向こう側に飛び出し、世界を相手に力比べをしようというのなら、まず“相手を出し抜くずる賢さ”を身につけねばなりません。ドゥンガがジュビロ時代に言った言葉が身に染みます。

おそらくドゥンガは、セレソンのベンチから日本代表を見ながら「ナイーブなところは何も変わっていないな」と思ったことでしょう。

卑怯なことはしない、正々堂々と一対一の勝負を!

……武士道精神が息づく日本らしさではありますが、11人でプレーし、相手を上回って勝利を手にすることが目的のサッカーの場合、まったく違う考え方、これまでと異なるアプローチが必要になってきます。突き詰めれば「国民性を変える」ぐらいの無理難題にたどり着いてしまうのですが、まずは日本サッカーに携わっている人たちからアプローチ方法について、再考すべきではないでしょうか。

Jリーグなくして、強い日本代表は生まれません。いかにJリーグのレベルアップを図っていくべきか。4年後のみならず、永遠の課題として取り組んでいくべきなのです。