2014年10月18日土曜日

歓迎すべき? W杯アジア枠の出場1枠減

ブラジル大会での大失態を受けて

このほど、FIFA(国際サッカー連盟)が2018年W杯ロシア大会にて、アジアからの出場枠4.5を4もしくは3.5に減らす案を検討中とのニュースが流れました。

>> 18年ロシアW杯のアジア枠1減も…FIFA総会で正式決定へ

もっとも大きな理由は、先のブラジル大会におけるアジア勢の不振でしょう。出場4ヶ国は揃ってグループリーグ敗退、しかも4つ合わせても0勝3分け9敗と一勝もあげられず。これじゃあ「W杯のレベルが低迷する。予選を突破できなかった南米やヨーロッパの国が出場していれば面白みが増したはず」と思われても仕方ありません。もし僕がギリギリで出場権を逃した南米やヨーロッパの国の人間だったら、そう思うことでしょう。

ちなみにブラジル大会における地域別出場枠は以下のとおり。

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・南米 4.5 (+開催国ブラジル)
・ヨーロッパ 13
・アフリカ 5
・アジア 4.5
・北中米カリブ海 3.5
・オセアニア 0.5
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こう見ると、アジア枠が大きく優遇されているのがよく分かりますね。実力の高い国がひしめく広大なヨーロッパはともかく、南米やアフリカとも同等。

1994年W杯アメリカ大会まで、アジアの出場枠は「2」でした。それが次の1998年フランス大会から「3.5」へと増大したのです。総出場国数も同フランス大会より「24ヶ国」から「32ヶ国」へと増えました。そう、1994年までW杯は文字どおり“狭き門”だったのです。


“出場させてもらえた”フランス大会

出場国数の増大は1994年以前から検討されていたことですが、大きな転機を生んだのは1994年。日本ではその前年(1993年)に初のプロサッカーリーグ『Jリーグ』が発足し、同年、W杯アジア最終予選にて予選突破まであと一歩のところで力尽きた『ドーハの悲劇』がありました。

1994年W杯アメリカ大会では、アジア勢の躍進がありました。ドイツ相手に健闘を見せた韓国、そしてアジア初のグループリーグ突破をはたしたサウジアラビアの存在です。サイード・オワイラン(サウジ代表FW)の6人抜きドリブルも話題を呼びました。当時アジアやアフリカは第三勢力として世界の注目を集めつつあったので、ある意味効果的な結果を生んだわけです。

もうひとつが、2002年W杯の開催地に関する事案です。当時名乗りを挙げたなかで有力候補と見られていたのは日本と韓国でした。特に日本はアメリカに次ぐ世界屈指の経済大国であること、そして安全面という点でも安心して任せられる印象が強かったことから、最有力候補として見られていたのです。

その一方で、唯一の懸念は「一度もW杯に出場したことがない」、つまり出場未経験国であることでした。それまでの開催国はすべて過去に一度以上はW杯に出場していました。経済大国 日本を開催地にしたい、でも出場未経験国を選んだら「カネで開催地を選んだ」と非難されてしまう。

FIFAが出した結論が、日本をフランス大会に出場させるための“アジア枠の増大”だったのです。アジア枠が増えた1997年W杯フランス大会 アジア最終予選において、日本は第三代表決定戦までもつれこみつつも出場1枠をもぎ取りました(ジョホールバルの歓喜)。2002年W杯が日韓共催で決定されたのはその前年(1996年)でしたので、FIFA関係者も胸を撫で下ろしたことでしょう。

嫌味を承知で言えば、日本はこの出場枠増大の恩恵にあずかった国のひとつで、突破そのものは実力ながら、見方によっては“出場させてもらえた”とも言えます。なぜならば、出場枠の増大がなければ、ジョホールバルの歓喜を呼んだアジア第三代表決定戦などというプレーオフは存在しなかったわけですから。

その後、オーストラリアがオセアニア地域からアジア地域へと組み込まれ、アジア枠はさらに増え、現在の「4.5」となりました。気がつけば、南米やアフリカと肩を並べる地域となっていたのです。

その矢先の、ブラジル大会におけるアジア4ヶ国の失態。強豪エリアと肩を並べていながら一勝もあげられないなんて、笑えないアメリカンジョークのよう。そりゃ出場枠の見直しぐらい検討されます。


ワールドカップはディズニーランドではありません

個人的には、この出場枠減は大歓迎です。門戸が狭まれば当然予選突破は厳しいものとなるでしょうが、シビアになる方が緊張感が増し、戦い方に真剣味が出ようというもの。ここ数大会におけるアジア予選での日本の戦いぶりには、いささか緊張感に欠けるものがありました。海外組を総動員して選手のポテンシャルだけで相手をねじ伏せるプレーで勝ち星をあげ、強くなった気になって本大会に臨み、そしてフルボッコにされる。

予選突破は最低限のクリア課題なので(日本も偉くなったもんだ)、日本国籍を持つ最高クラスの選手を総動員するのは至極当たり前のことですが、W杯本大会で結果を出せないのでは本末転倒。先のシンガポールでの国際親善マッチ ブラジル戦での張りのなさ、闘争心のなさを見ると、結局次のロシア大会でも同じことを繰り返すんじゃないのか?と思ってしまうところ。

たとえ国内組のみの編成でもアジアを勝ち抜けるチームを作り上げ、海外組を“上乗せ”としていけば、少なくとも海外組を主軸としてバランスを崩したブラジル大会よりは好成績を残せるんじゃないでしょうか。

出場枠減、大いに結構。僕個人としては、出場枠を「2」に戻してほしいぐらい。ええ、もちろんオーストラリア込みで、です。

「それでもし、本大会出場を逃したらどうするんだ!?」

それはそれで、受け止めればいいんじゃないでしょうか。次への糧とすればいいんじゃないでしょうか。それがW杯です。イングランドやフランスのように、出場を逃した強豪国はいくらでもあります。だからといって、彼らのサッカー文化が潰えたりはしていません。黒歴史として、糧として次世代へと受け継がれ、今日の彼らがあるんです。

代表が強くなるためには、より厳しい環境に投じること。それは選手や監督だけでなく、協会、サポーター、そして日本国民すべてが、です。

W杯は、ディズニーランドじゃないのですから。

2014年10月17日金曜日

サッカー日本とブラジル、そして東京と大阪の運転

[2014.10.14 =国際親善試合= 日本 0-4 ブラジル -シンガポール-]

■地力の差が出た痛恨の試合

敵将ドゥンガは、この試合をどう見たでしょうか。

現在ブラジル代表監督を務める彼は、現役時代にJリーグ ジュビロ磐田に所属したことがあります。彼が在籍した当時のジュビロはまさしく黄金期で、鹿島アントラーズと双璧をなすリーグ最強チームのひとつでした。彼が去ったあともほぼ日本人だけとなったジュビロは弱体化することなく強さを維持し続け、2002年当時は「日本代表より強い」とまで言われるほどに。

そのドゥンガが、ジュビロ在籍時のインタビューでこんな言葉を残しました。

「日本人にはマリーシアが足りない」

マリーシアとは、ブラジル語で「ずる賢さ」という意味を持ちます。日本人としてこの言葉を聞くと「おいおい、相手を騙すなんて卑怯なことができるわけないだろう」と思うところですが、海外におけるずる賢さには、いわゆる“賢さ”も含まれるそうです。つまり、「出し抜くこと、騙すことも利口さのひとつ」という考え方がベースにあるのでしょう。実際、サッカーという競技は“いかに相手を出し抜くか”“どうやって相手の裏をかくか”という騙し合いのスポーツ。騙されないよう鉄壁のディフェンスを敷いても、ほんの一度だけ取られた裏が失点につながります。サッカー王国ブラジルのキャプテンの言葉は、かの国のカルチャーを如実に表していると言えます。

地力の差を見せつけられた試合だったと思います。結果的にはネイマールの4ゴールと、文字どおり“ネイマール・ショー”でした。ブラジルW杯で悲劇的な怪我を背負ったエースの華麗なる復活という演出に、シンガポールの方々は酔いしれたことでしょう。そう、日本は完全に引き立て役、申し分ないかませ犬でした。

アギーレ監督のアプローチは及第点だと思います。W杯ですべてをフラットにし、ゼロからチームをつくり上げようとしている発足まもないチームですから、アギーレ監督としても「まずは選手個々がどこまでやれるのか」をチェックする時期だということでしょう(そういう意味で、Jリーグで采配を採ったシャムスカなどを監督候補として検討してもよかったのでは?とも思うのですが)。本田や香川といったチームの柱抜きで、王国相手にどこまでやれるのか。勝ちたいのはもちろんですが、目標は2018ロシアW杯で、この試合は親善マッチ。アギーレの見方は真っ当と言えるでしょう。

それだけに、試合に目をやると埋められない差というものが随所に垣間見え、日本人としては絶望的な気分にさせられた一夜でした。


■日常の速度感をあげねば一生ついていけない

W杯後に解体したこともあり、お互いチームはまったくの未完状態。日本はともかく、ブラジルはネイマールやロビーニョ、カカ以外は交代出場時に歓声もあがらない選手がほとんどでした。こうなると、個々の力量差がはっきりと浮き彫りになります。

0-4というスコアは、そのありようをまざまざと物語っていると言えるでしょう。特に失点シーンで見受けられたのが、ボールを持って突っかかってくるブラジル選手の間合いに対する日本人選手の戸惑いです。

ネイマールはもちろん、セレソンクラスの選手になると、すべてのプレースピードが速い。それはドリブルやパスと言った実技だけでなく、次のプレーを判断する速度、周囲をチェックする速度、相手の動きを先読みする速度という“頭を使った判断の速さ”も含まれます。

「今、攻めるとき」というスイッチが入ったときのセレソンの速さと言ったら、それはもうJリーグのレベルをはるかに超えています。しかし対峙しているのは、Jリーグが日常の選手たち。当然、“ワールドクラスの間合い”で戦った経験が乏しいことから、どこで飛び込むべきか、どこまで詰めるべきか、判断しかねていたのでしょう。しかも、こちらが考える以上のスピードで突っかかってきて、先んじてプレーが展開していってしまう。

詰められないから下がらざるを得ない。そしてディフェンスラインは自陣深くへと押し込まれ、バイタルエリアを面白いように蹂躙される。このゾーンであれほどボールをまわされれば、綻びのひとつやふたつはカンタンに生まれます。しかもセレソンのプレー速度についていけていないのだから、綻びができないことの方が不思議。個人的には「4失点で済んだ」という印象です。

日常を超える速度についていくというのは、実際には不可能な領域。その速度についていくためには、日常の速度をあげるほかありません。


■プレッシングが速くて強い対外試合を増やす

日本代表というチームの中軸を担うのはJリーガーですし、本田や香川、岡崎といった海外組に注目が集まりますが、彼らとてJリーグなくして今の地位は存在しないのです。

いかにJリーグのレベルをアップさせていくか。リーグ創設当時のように世界クラスの名手をたくさん呼べればいいのですが、今の各クラブにそんな資金はありませんし(C大阪のフォルランなんて、何年ぶりの大物か)、ひとりぐらい来たところでクラブのレベルが一気にあがるなんてことはありません。

答えはカンタン、Jリーグよりもプレースピードが速いクラブ(リーグ)との試合を増やしていくことです。そこで注目されるべきは、ACL アジアチャンピオンズリーグのあり方でしょう。

ACLでは、日本はアジア各国の後塵を拝んでいるというのが実情で、かつて浦和レッズやガンバ大阪などが王者に君臨した時代は遠い昔の出来事のよう。対峙したときに凄みを増す韓国勢、豊富な資金で有能な外国人を擁する中国勢に勝てない日々が続いています。

Jリーグよりもプレースピードが速いリーグは、海外に行けばいくらでもあります。しかし立地上、クラブ単位で頻繁にヨーロッパや南米に行くなんてできやしません。とすれば、現時点で満足に勝てておらず、かつ立地的にもそう遠くない東アジアのリーグ同士で交流戦の機会を増やすのが得策(手っ取り早いとも言う)と言えるでしょう。

まぁ、今の日中韓関係から見ると、なかなかに難しい問題ではありますが……。


■交通状況から見る国民性の違い

東京で暮らして6年めになる関西出身の私ですが、上京当初、一番驚いたのは東京の交通状況でした。放射状に道が広がる特殊な都市構造、現代の交通環境にそぐわない細い道路の多さ、流通の多さによる大型車両の増大など、大阪のそれとは比べものにならない環境の差を感じつつも、それを「仕方ない」として受け入れ、大渋滞でもクラクションひとつならないほど礼儀正しい都民の姿に、ただただ驚かされました。

東京と大阪では、運転に対する考え方がかなり異なります。どちらが正しいというわけではありませんが、大阪は強いて言えばアジア的な考え方のように思えます。以前訪れたベトナムでは、クルマの方が強気な運転で、歩行者やバイクによけることを強いるような動きをします。確かに交通弱者たる歩行者こそ守られるべきですし、だからこそ日本の交通事情は海外でも高く評価されています。

しかし一方で、こうした強気のプレッシングに対して腰がひけてしまうのもまた事実。「代表チームのサッカーを見れば、その国の国民性が分かる」とよく言われるのですが、我が国の代表チームのサッカーは、都内の交通状況のようにジェントルであり、ナイーブでもあります。残念ながら、対外試合となると相手はその弱点たる後者を徹底的に突いてくるのです。

東京都内での運転を見ていると、大阪に比べてワンテンポ(いやツーテンポ)ぐらいレスポンスが遅いと感じることがあります。別に急いで目的地に行く必要もないのですが、このレスポンスの鈍さは日々の緊張感に影響しないのか?と勝手に懸念するほど。加えて、歩行者の緊張感のなさも見ていて怖いぐらい。クルマが行き来している場所にもかかわらず、無警戒に入り込んでくる人が多いのです。関西でも飛び込んでくる人はいますが、こちらはどちらかというと「轢けるもんなら轢いてみぃ」という牽制の意味が含まれています。無警戒と牽制は、まったく相反するものです。

「ああ、おそらく“相手がよけてくれる”って思い込んでいるんだなぁ」、僕はそう思っています。 都民全員が全員というわけではありませんが、比率の問題で、関西に比べてそう考えている人の割合は圧倒的に多いと思います。結果、これが緊張感のない国民性へと結びついているんだ、とも。

待っていたら、おのずと誰かが手を差し伸べてくれる——。海外に出れば、そんな戯れ言は一切通用しません。日本国内ですべてを完結させるならそれもまたよし、ですが、日本の鎖国は江戸時代を最後に終わりを告げています。少なくとも海の向こう側に飛び出し、世界を相手に力比べをしようというのなら、まず“相手を出し抜くずる賢さ”を身につけねばなりません。ドゥンガがジュビロ時代に言った言葉が身に染みます。

おそらくドゥンガは、セレソンのベンチから日本代表を見ながら「ナイーブなところは何も変わっていないな」と思ったことでしょう。

卑怯なことはしない、正々堂々と一対一の勝負を!

……武士道精神が息づく日本らしさではありますが、11人でプレーし、相手を上回って勝利を手にすることが目的のサッカーの場合、まったく違う考え方、これまでと異なるアプローチが必要になってきます。突き詰めれば「国民性を変える」ぐらいの無理難題にたどり着いてしまうのですが、まずは日本サッカーに携わっている人たちからアプローチ方法について、再考すべきではないでしょうか。

Jリーグなくして、強い日本代表は生まれません。いかにJリーグのレベルアップを図っていくべきか。4年後のみならず、永遠の課題として取り組んでいくべきなのです。