2015年8月14日金曜日

え? サッカー日本代表のことを強いと思っていたの?

■元々強くなかった日本代表
サッカー日本代表への風当たりが厳しいですね。東アジアカップでの惨敗がもっとも大きかったのでしょう、最下位という結果はもちろん、「え? これがあの日本代表?」という試合内容に、アジアのトップクラスとも言われた国の面影すら見えませんでしたから。「海外組さえいれば……」、そんな声もチラホラ。

でも、考えてみてください。

確かに、強かったチームが一気に弱体化すること自体は珍しくありません。ただ、たったひとりで試合を決めてしまえるクリスティアーノ・ロナウドがいないポルトガルでも、あそこまでチームとしての体を成さないほど崩れることはありません。本田圭佑がメッシ級のレベルでチームを牽引していたわけではなく、世界と伍するうえで必要なレベルの選手を安定供給してきたことが、ワールドカップ5大会連続出場という実績につながっているのです。

グループリーグ最下位で敗退した2014年W杯ブラジル大会、ベスト8で涙をのんだアジアカップ、そして屈辱の最下位という結果に終わった東アジアカップ。ここ2年間における国際大会での結果は散々なもの。それ以前はアジアでの大会で好成績をおさめ、2010年W杯南アフリカ大会でもグループリーグを突破しベスト16に上り詰めるなど、輝かしい実績が目につきます。

とはいえ、2010南ア大会での快進撃は大会直前での大幅な戦術変更(守備偏重のカウンターサッカー+本田圭佑の1トップ起用)によるラッキーパンチ的な意味合いが強く、実力で勝ち上がった印象は皆無。あれで「俺たちは強い!」と思っている選手やサポーターがいるようなら、勘違いも甚だしいと申し上げたいです。

確かに、海外トップリーグのクラブに戦いの場を求める日本人選手が増え、ヨーロッパで活躍する海外組は以前と比べものにならないほど多くなりました。結果、そうした日本のエリートレベルの選手で形成された代表チームは高いレベルを保っていたものの、一時的にしか招集できない代表チームゆえ、チームとしての熟成度は高くありませんでした。結果、個々の力に頼らざるを得ないまま望んだブラジルの地で完膚なきまでに叩きのめされ、年々レベルアップしているアジアでも通用しないという事実まで突きつけられたのです。

元々、強くなかったんです。


■日本代表を強くする方法、アリマス。
10月13日に敵地でイランとの親善マッチが決まったというニュースがありました。これから再びW杯予選を戦う日本代表にとって、アジア屈指の国と、しかもアウェーで戦う意義は決して小さくありません。

ただ、こんなものは強化とは言いません。

日本サッカー界をピラミッド構造で見た際、日本代表チームは頂点です。つまり選りすぐりのエリートたち。そこに強化策を用いても、底辺の強化にはなりません。代表メンバーにレベルアップの機会を与えて「お前たちが底辺の選手を引き上げるんだ」というのは、ただの無茶ぶりに他ならないのです。それも、批判を収束させるさせるための親善マッチ一試合ぐらいで。

さらに、このイラン戦に海外組が招集されでもしたら、それこそ目も当てられません。私は、ハリルホジッチが海外組を呼ぶものと思っています。彼は雇われた傭兵で、結果を求められる立場にあります。「日本人選手の育成」という項目が契約書にないのですから、「たとえ負けても強化につながれば」と考えているわけがない。はっきり言って、こんな試合は無意味です。

「僕ら、ちゃんと強化のことを考えていますよ」と言いたげな日本サッカー協会ですが、実に浅はか。本当に日本サッカーの未来を憂いているなら、Jリーグの各カテゴリーへの強化対応があるべきでしょう。

ファンも同様です。

「ハリルホジッチは無能」、「Jリーグのレベルはこんなもの」、「使えない選手は呼ぶな」というのは、浅はかなサッカー協会と大して変わりません。「あれほど強かった日本代表が、こんなに弱くなるなんて」という幻想が、そうした発言や考え方を生み出しているのです。

「じゃあ、日本代表を強くする方法はあるのかよ!?」

ええ、ありますとも。


■今こそ日本人指揮官の起用を
日本人監督の起用と、Jクラブによるハイレベルな外国人選手の獲得です。

まず日本人監督の起用については、「Jリーガーの実力と顔&名前がすぐに一致する」、「日本人として選手強化に寄与してくれる」、「選手とのコミュニケーションがスムーズ」、「次の日本人監督へ引き継ぎやすい」など、メリットは豊富。一方でデメリットは、「国際大会での経験が乏しい」、「日本人体質から“村社会”的な悪循環に陥る」ことでしょうか。

山口素弘、名波浩、相馬直樹といった1998年W杯フランス大会出場メンバーが今、指揮官としてJに登場するシーンが増えてきました。もうあと何年かすれば、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会経験者が登場してくるものと思います。海外クラブ所属経験者が出てくれば、もう「国際経験が乏しい」とは言えなくなるでしょう。

そこまで引き継げる人物が必要なのです。

それも、目先の結果を求めるだけの起用ではなく、その先にはサッカー協会に残って強化委員長や重要なポストに就いてもらうことが前提の起用です。そうすれば、代表チームのコンセプトや強化方針、日本サッカーの原型が次の世代へと引き継がれ、盤石な強化へとつながっていくからです。

私が推したいのは、西野朗氏。現名古屋グランパスの監督で、柏レイソル、ガンバ大阪、ヴィッセル神戸で指揮をとった経験があり、歴代1位であるJリーグ監督通算勝利数257勝(2014年末時点)という実績を持つ人物。さらに1994年から1996年にかけてU-23日本代表の監督を務め、28年ぶりとなった男子サッカーオリンピック出場権獲得、そして本大会では優勝候補のブラジルを破る“マイアミの奇跡”を成し遂げました。現在、御年60。どうしてもっと早いうちから彼を起用しなかったのか憤りさえ覚えるほどですが、過ぎ去った時を嘆いても仕方ありません。

経験豊富な彼こそ、今の日本代表が必要としている人物のはず。性急に結果を求めるのではなく、中長期的な強化策を立て、日本サッカー協会が彼を守り続けること。そして彼から次の日本人指揮官へと引き継いでいければ、日本サッカーの原型が生まれてくるに違いありません。





■本気の強化に取り組めるか否かの瀬戸際
優良な外国人選手の起用も不可欠。強化すべきは日本代表ではなく日本サッカーそのもので、すべての基盤となるJリーグそのもののレベルアップは不可欠。東アジアカップで浮き彫りになったのは、Jリーガーの経験値の低さと追いつめられた状況でのメンタルの弱さ。ここに打ち込むべきカンフル剤は、日常でもあるJリーグで「まるで歯が立たない」「でも勝たねばやられる」という現実を見せつけてくれるトップクラスの選手の存在。

ストイコビッチやレオナルド、ジョルジーニョ、ブッフバルト、ドゥンガ、スキラッチといったビッグネームがひしめき合う1990年代後半のJリーグはまさに群雄割拠とも言える様相を呈し、強烈な個性を持ったJリーガーを輩出するうえで大きな役割を果たしました。今とは経済状況や環境が異なるとはいえ、Jリーグには過去にこうした実績があるのですから、今一度構造を見直すべきだと思います。

「それができるなら、誰も苦労せんわい」

おっしゃるとおり。でも、それをやらなければならない現実を、東アジアカップで突きつけられたのだと思うのですが、いかがでしょう。

ドライバーの不注意が生む右直事故はなぜ減らない?

■ライダーは自殺志願者じゃありません
先日の免許更新時に受けた安全運転講習に出た「右折直進事故」、いわゆる「右直事故」(うちょくじこ)のデータと談話が、ライダーでありドライバーでもある私が常に感じ入っている内容でした。

 



東京都内における対クルマでの二輪車事故類型別死亡者数 (警視庁調べ)
・右直事故 : 9人
・追突 : 9人
・出会い頭 : 7人
・その他 : 3人
・追抜追越時 : 2人
(平成26年中)

右直事故でもっとも多い原因が、「右折待ちドライバーの錯覚」と言われています。つまり、想定以上のスピードで接近してきたバイクに対応できなかったのです。そのことを示す逸話が、この講習のなかで出ました。そう、右直事故を起こしたドライバーの第一声は決まって、「バイクが突っ込んできた」だと言うのです。

あのね……加速してクルマに突っ込むライダーなんて、いるはずがありません。お分かりのとおり、ライダーは体が剥き出しの状態で走っています。外壁に守られているクルマと違って、事故に遭えば即人体。その怖さを誰よりも分かっているのはライダーです。交差点手前からスピードアップして右折待ちのクルマに突っ込むライダーがいたら、頭のネジが飛んでいる自殺志願者に他なりません。ええ、もちろんそんなライダー、この世にいませんから。

クルマとバイク、両方を操る者としてひとつ言えるのは、それはバイクの速度域がクルマより上であるということです。理由はカンタン、四つの車輪で安定しているクルマと違い、バイクはふたつの車輪のみで支えられており、クルマよりも速い速度域でないと安定して走れないからです。

バイクの接近はクルマよりも早い。自動車教習所でも習ったはずなのですが、どうして失念する人が多いのでしょう。


■ライダー視点で見た右直事故
まず、ライダー側の視点でこの右直事故の発生原因を見ていきます。バイクで走っている際の、右折待ちのクルマが並ぶ交差点ほど怖いものはありません。「え? どうしてそこで飛び込むの?」というタイミングで交差点に侵入しようとするクルマの多いこと多いこと。実際に事故に遭われた方はもちろん、紙一重で事故を免れつつもキモを冷やされた方は少なくないでしょう。私自身もそういう経験をしたのは一度や二度ではありません。

見極めが甘いのです。

私もクルマを運転する身なので、見極めが甘いドライバーには「このタイミングならギリギリ間に合うだろう」という心理状況が働いていることぐらい察しがつきます。結果、予想以上のタイミングでバイクが接近してきてパニックブレーキを起こし、意味不明な場所で停まる輩が多いです。

ライダーとしては、我が身を守るのが最優先。なので、私の場合はバイクを運転している際、右折待ちのクルマが並ぶ交差点が見えたら、クルマとは接触しないポイントで停止できる速度まで減速します。

相手ドライバーを信用していないからです。

相手が期待どおりの動きをしてくれると思ったら、大間違い。それは、「このタイミングなら間に合うだろう」という見極めの甘いドライバーと同じ心理状況。“使い方次第でクルマは人を殺せる凶器になる”ということへの理解度の低さ、意識の低さが事故を生みます。被害者になる可能性を少しでも低くするには、自分の身は自分で守るようにせねばなりません。「相手に期待する」というのは不確定要素に他ならないのです。


■ドライバー視点で見た右直事故
一方、ドライバーとして右折待ちの際は、バイク(原付含む)が直進してきた際はまず飛び込みません。自分自身がライダーの速度域を知っていることもありますが、右直事故に関して万が一の可能性すら残したくないからです。

事故を引き起こした場合、現場検証、その後の示談交渉、通院など煩わしいことが発生するうえ、自分が加害者となった際の被害者への罪悪感まで一生背負っていかねばなりません。「バイクが突っ込んできたんだ!」なんて、自分の過失で事故を引き起こしたことを認めたくないための第一声でしかなく、その後自身の過失が認められた場合のショックたるや、想像に難くありません。

ほんの一瞬の不注意が、取り返しのつかない事故を引き起こすことぐらい、現代社会に生きる人なら誰にでも分かること。別に親の死に目に間に合うかどうかの瀬戸際でクルマを運転しているわけでもないのですから、右折待ちのタイミングを一度逃すぐらい、どうってことありません。

見極めが甘いというのは、右折のタイミング逸とその後の事故対応諸々という両者を天秤にかけること自体がナンセンスで、「そのふたつを天秤にかけちゃダメでしょ」という意味も含めています。

2015年6月に道路交通法が改正され、一部の規制が強まったことは皆さんも記憶に新しいところかと思います。「なんでもかんでも規制を強めればいいというものではないだろう」と思う一方で、ここ数年、街を走っているとドライビング技術が全体的に低下しているように思えてなりません。いろんな意味で車内空間が快適になって緊張感が弛緩しているなど、理由は多々あるかと思いますが、それでもクルマは個人のプライベート空間である一方、人を殺せる凶器でもあるのです。

この弛緩した空気が緩まり、交通事故が増えていけば、結果的に交通規制が強められるということに繋がるでしょう。そんな環境でクルマやバイクを趣味として楽しむことができるかどうか……。講習後、そんなことを考えているとなんとも切ない気分になりました。

2015年8月12日水曜日

クルマを凶器に変える「ながら運転」が東京都内で続発中!

■増えている都内の死傷事故
先日、自動車免許の更新にて、都内の免許更新センターへ行ってきました。違反があったため2時間の講習付きでしたが、おかげで非常に興味深い講義を聞くことができました。昨年(平成26年/2014年)と一昨年(平成25年/2013年)の交通事故の統計がまとめられた『安全運転のしおり』というものが配られ、その内訳が現代の交通環境を浮き彫りにしていたのです。

日本全国の統計を見ると、「発生件数」「死者数」「負傷者数」ともに減少しているようですが、これが東京都内に限定されると様相が変わります。

■東京都内での交通事故 (警視庁調べ)
[発生件数](件)
平成26年:37,184
平成25年:42,041
マイナス 4,857

[死者数](人)
平成26年:172
平成25年:168
プラス 4

[負傷者数](人)
平成26年:43,212
平成25年:48,855
マイナス 5,643

事故の発生件数および負傷者数が減少しているにもかかわらず、死者数が微増しています。ここから推測できるのは、死傷する確率の高い凶悪な交通事故が増えているということでしょう。「死亡事故の状態別」と「車両による違反別発生状況」を見比べると、より具体的な傾向が見えてきます。

■死亡事故の状態別 (警視庁調べ)
1位:歩行中 (死者68人/39.5%)
2位:二輪車乗車中 (死者45人/26.2%)
3位:自転車乗用中 (死者38人/22.1%)
4位:自動車乗用中 (死者21人/12.1%)
※「自動車乗用中」の21人のうち7人はシートベルト未着用

■車両による違反別発生状況 (警視庁調べ)
1位:前方不注意 (死者27人/19.3%)
2位:運転操作誤り (死者24人/17.1%)
3位:安全不確認 (死者19人/13.6%)
4位:歩行者妨害 (死者17人/12.1%)
5位:信号無視 (死者15人/10.7%)

「死亡事故の状態別」1位の歩行中について、被害にあった歩行者が交通違反(信号無視や横断違反、酩酊徘徊など)をしていたかどうかの統計では、68人中38人が「違反なし」とダントツの1位で、落ち度のない歩行者が被害にあっているケースがほとんどということ。ちなみに現時点(8月現在)ではすでに死者数が100人に及んでおり、東京都内の今年度(平成27年/2015年)の交通事故死者数は200人近くになる見通しだとか。

これほど多くの死者を出す前方不注意事故を引き起こしている要因は……そう、「ながら運転」です。


■統計が指し示す“明日は我が身”
携帯電話やスマートフォンといったデバイスを操作しながらの運転を指す「ながら運転」。以前交通法規が厳しくなり、イヤホン等を用いない携帯電話での通話や操作をしながらの運転は罰則対象となりました。が、これは現行犯逮捕が基本で、極端なことを言えば「警察官の目にとまらなければ罰則を受けない」わけです。

多くの方がご存知のとおり、街ゆくクルマを見ると、この「ながら運転」をしている人は数多くいます。「ながら運転」がすべての死傷事故を引き起こしているとは言いませんが、携帯電話を操作していれば前方なんて見ているはずがありませんし、当然急なアクシデントに対応するブレーキも間に合いません。そもそも気づくのが遅いわけですから、ともすればノーブレーキで歩行者に追突しているケースもあることでしょう。一定のスピードで走るクルマがノーブレーキで突っ込んできたら……想像するだに、身の毛がよだちます。

私も日常的にクルマを運転していますが、走行中に携帯電話を触ることはありません。専用イヤホンは使っていませんので、運転中にかかってきた電話には出ません(あとで掛け直せばいいだけのこと)。たかだか一回の電話に出ないぐらいで疎遠になるような人はご免被ります。どうしても操作せねばならないときは、一旦停車できるところにクルマを停めて、ハザードを点灯させて操作するようにしています。

クルマで走っていると、フラフラと不安定な動きをするクルマに遭遇することが珍しくありません。運転席に目をやると、携帯を手にもって電話していたり、スマートフォンを操作しているのがほとんど。そういうときは、軽くクラクションを鳴らしてやります。そうすると大抵のドライバーはびくっとして、そそくさと操作の手を止めます。「びっくりするぐらいなら最初からやるなよ」とは思いますが、そのドライバーのせいでその後引き起こされていたかもしれない事故を未然に防げたからヨシとしよう、と思って溜飲を下げているのです。

「ながら運転」をしているドライバーを見ていつも思うのは、“クルマは凶器。使い方次第で人を殺せる”という意識の低さです。

ほんの何秒の見落としで、人の命を奪えるのがクルマという乗り物です。携帯電話の操作という、普段なんてことない行動が引き金となり、取り返しのつかない事態を引き起こし、そして後戻りのきかない重荷を一生背負うことになります。それを想像するだけで、たとえ仕事のことであっても電話に出ないことなんてなんてことありませんし、クルマを停車させて操作するその時間も手間も惜しくありません。

こうした統計が現代の交通状況を指し示していることを考えると、まさに、明日は我が身。ドライバーの皆さん、決して他人事とは思わず、人命を尊重するという観点で運転するようにしましょう。

2015年8月9日日曜日

浮き彫りになった日本メディアの実状

■「日本は強くない」と再認識できたことが収穫
東アジアカップに挑んだ男子サッカー日本代表は、0勝1敗2分けの最下位という散々な結果で終わりました。海外クラブに所属する主力メンバーを欠く各国代表ともフルメンバーとはいかないものの、テストマッチとして有意義に使える同大会において、日本はアジア屈指の実力を示しつつ、新戦力の発掘に努めてきました。

とにかく課題ばかりが目についた今大会。とにかく海外組がいるときといないときとのチーム力に開きがありすぎるのが正直痛い。これは選手個々の能力はもちろん、チームとしての熟成度がまだまだだという証拠でしょう。

日本代表というチームは、こういうサッカーをするんだ。それはメンバーが入れ替わっても変わらない”チームとしての背骨”に他なりません。ネイマールら欧州組がいなくてもブラジル代表はリズミカルなサッカーで相手を翻弄しますし、二軍とも言えるメンバー構成であろうとドイツ代表は堅実かつ攻撃的なサッカーを信条とします。

文化として根付いているか否か、と言ったら身も蓋もない話になってしまいますが、そうした成熟度の違いが浮き彫りになった東アジアカップだったと思います。そう、日本は全然強くない。それを再認識できたことが収穫ではないでしょうか。

強くなければ、強くなるために努めていけばいいだけのこと。むしろ今回の散々な結果はポジティブに捉えていいんじゃないでしょうか。

しかしながら、そんな風に取り組んでいってほしい日本代表の足を引っ張る人たちがいます。

日本のマスメディアです。


■声が届かなければメディアとして失格
今にはじまったことではないですが、日本代表の試合を中継するアナウンサーのヨイショっぷりには、もはや苦笑いしかできません。今大会第3戦の中国戦の中継といったら、ありませんでした。

『山口(蛍)が効いています!』
効いていたら失点していないと思うんですけど……。

『いい流れが作れました!』
自陣ゴール前からハーフウェイラインを超えるまでが流れ?

『今は日本がボールを支配していますね!』
ええ、さっきまで中国からまったくボールを奪えませんでしたね。

『なんとかシュートまで持っていけましたね!』
どんだけ……。

なんだか揚げ足取りみたいに聞こえるかもしれませんが、放映権を取れたからか、はたまたスポンサー様への気遣いか、とにかくなんでもかんでも褒める。「そこ、褒めるとこか?」と言いたくなるような持ち上げ方をする。ちょっと目の肥えたファンなら、「何言ってんだコイツ」という印象を覚えるでしょうし、逆に悪い印象を与えてしまい、結果的にスポンサーを貶めることにつながるのでは?と思うのです。解説がいるんですから、「どうして日本はこうもボールを落ち着かせられないんですか?」とか、「どうしてシュートまで持っていけないんでしょう」と聞けばいいのに。

このアナウンサー自身が、サッカーに興味ないんでしょうね。

プレーひとつひとつを見て「良いプレー」か「悪いプレー」か判断できないから、「とりあえず褒めておけばいいだろう」と、中途半端なボキャブラリーを駆使して無駄に褒めちぎっているだけのこと。小手先のワザでうまくやれているつもりでも、プレーヤーと視聴者とのあいだには確実に大きな溝が生まれており、信頼を損ねることになります。

選手やファンにその声が届かなければ、メディアとしての仕事をしていないのと一緒です。


■個々の主張なくして“ホンモノ”にはなれない
「選手を育てるのは、シビアな目を持ったファン」というのが私の持論です。良いプレーをすれば喝采を受け、怠惰なプレーをすれば大勢から叱責される。プロの選手と言えど、サッカー選手として脂が乗り切るのはやはり20代。判断を誤りがちな若い彼らに道を示すのは、指導者とファンです。

ファンに“サッカーを観る目”がないと、「どうせ俺らのプレーのことなんて分からないんだろう」と選手を腐らせることにつながります。これがメディアともなると、ファン以上にシビアな目を持つことが要求されるのです。なぜならば、オピニオンを発信するわけですから、周囲からどう言われても「自分の意見はこうだ」と貫く強い意志が必要だからです。

個人の意見は千差万別、誰が正しくて誰が間違っているかを論議するのはナンセンスで、歴史と同様に結果が正否を分けます。

意見の違いはあれど、共通の重要事項は“そこに愛があるか否か”。愛や思いやりのない発言は、ただ人を不快にする垂れ流しオピニオンと同じ。口コミ掲示板に匿名で罵詈雑言を言い放つ輩となんら変わりません。

先の中国戦のアナウンサーをはじめ、スポンサーやクライアントへの配慮という大義名分でおべんちゃらを言うメディアの多いこと多いこと。これがヨーロッパや南米、アメリカとなると、スポンサーに不都合であっても建設的なディスカッションが繰り広げられます。それは常日頃から自分の意見をもって主張し、理解しあうためのディスカッションを日常的に繰り返しているから。

日本人は議論となると、「相手を責める」「貶める」と捉えてしまいがちですが、欧米では個人の主張は当たり前、むしろ「それなくして議論などできない」といったところです。

議論や主張なくして、物事の壁は破れません。それはこの東アジアカップに挑んだ日本代表チームを見ればよく分かること。個々の主張は日本人が苦手とすることですが、それぞれが“出る杭”にならねば、ホンモノの強さを手に入れることは遠く適わぬ夢のままになってしまうと思うのですが、いかがでしょう。

大型連休時に注意したい運転マナー

■「判断ミス」と「操作ミス」が引き起こす事故
お盆に突入し、ますますクルマの稼働率が上がるこの時期、やはり注意したいのが交通事故。クルマの数が増えれば事故の確率も高まりますし、大型連休時に気になるのが「運転し慣れていないドライバー」による交通事故でしょう。結果的に事故にならなくとも、あわやというシーンが増えるのも事実です。運転が慣れている側、慣れていない側ともに、こうした体験は極力なくしたいと思うところです。

事故というのは、ひとつのミスぐらいではそうそう起こりません。事故のケースを見てみると、“ふたつ以上のミスが重なった際”に発生しています。そのミスの中身は、「判断ミス」と「操作ミス」。つまり、ミスの確率を下げれば事故の誘発率は下がるわけです。それぞれのミスの確率を下げる具体策を見ていきましょう。

【1】 慌てないこと

走り慣れていない地域を走ると、右車線を走っていたら右折レーンに飛び込んでいるなど、予想外の交通規制や道路状況に出くわすことが少なくありません。その際、軌道修正しようと慌てて車線変更しようとし、別のクルマと接触するという事故を引き起こすことも。運転し慣れていないと、「ミラー確認」「目視」「合図を出す」といった基本動作のいずれかを忘れがちになります。「判断ミス」の典型例です。

予定していたルートと異なる道に入り込んだとしても、慌てず確認をすること。少しでも危ないと思えば、諦めてそのまま流れに任せて行ききってしまい、その先でリカバーをはかればいいのです。別に道を間違えたからといって命を取られることはありませんし、ものの数分で予定のルートに戻れます。むしろ他のクルマや人と接触してしまうデメリットの方がダメージ大きいでしょう。

慌てた運転ほど危険極まりないものはありません。

【2】 「〜だろう運転」ではなく「〜かもしれない運転」
教習所で自動車免許を取得した方は耳にした覚えがあるこのフレーズ。「きっと後ろからクルマは来ないだろう」「自分が動いているんだから突っ込んでは来ないだろう」という考え方を表した「〜だろう運転」は、もっとも事故を引き起こしやすい思考です。

「もしかしたらクルマが来るかもしれない」「クルマの影から人が飛び出してくるかもしれない」という「〜かもしれない運転」こそが、運転する際の最良の思考です。何かが起こってからでは遅いのです、何も起こらない日常こそが安全運転のあるべき姿で、そこに「他者への期待値」という不確定要素が入ってはなりません。そういう考え方を持っていると、実際に事故が起こった際に「まさか相手が飛び出してくるなんて……」という言葉が口から出てしまいます。

あらゆる“危険の芽”を摘み取るうえで必要なのが、「〜かもしれない運転」なのです。

【3】 自分のスキルを過信しないこと
仕事柄、日常的にクルマを運転している人でさえ、想定外の事態に出くわすのが大型連休。私も仕事でなければ、大型連休時にはクルマやバイクで出かけたりはしません。こちらがいくら注意をしていても、日常では考えられない動きをするクルマが急増するからです。

慣れている人でさえそうなのだから、「クルマに乗るのはもっぱら休日だけ」「年に一度の帰省で実家まで」という方は、思いつきでの車線変更や強引なリカバーなど、軽率な運転は控えましょう。周囲には皆さんよりも速いスピード感で動いているドライバーが多いので、結果的に彼らの動きを阻害し、接触事故につながるケースがあります。

【4】 休憩はこまめに取る
交代もせず運転し続けていれば、知らず知らずのうちに体力が削がれていきます。「普段乗っている営業車より快適だから大丈夫」と言っても、運転に費やす体力や集中力は相当なもの。引き起こされる事故の大きさと比例すれば、その消耗度合いがお分かりいただけるかと思います。

「少しでも早く目的地に着きたい」という思いはよく分かりますが、無理をした結果として事故を引き起こしてしまったら本末転倒。むしろ経済的にも精神的にも大きなダメージを負ってしまい、マイナス要素しか手に入りません。サービスエリアやパーキングエリアで15分ほどの仮眠を取るなど、心身ともにベストな状態に近づける意識を持ちましょう。

【5】 高速道路ではずっと右車線を走らない
大型連休に限ったことではありませんが、結構多いのがこれ。前述したとおり、皆さんより速くドライブするクルマは多いのです。これは運転し慣れている私でも同じこと。この世には、上には上がいるのです。その人たちの動きを阻害することは、結果的に交通渋滞の引き起こしにつながります。

ポイントは、「右車線を走っている際」、「前方にクルマが走っておらず」、「後方にクルマが連なっている」という状況か否か。上記の3つが当てはまるシチュエーションは、あなた自身が交通の流れを阻害しているということ。イヤな言い方かもしれませんが、あなた自身が交通渋滞の要因になっていることでもあるのです。その際は、より安全な方法で、右車線から離脱しましょう。

後ろから迫ってきた速いクルマに煽られたりパッシングされたときも、同様に速やかな離脱をしましょう。その際は【1】にあるように、慌てないこと。強引な車線変更は、二次災害を引き起こします。

【6】 同乗者こそがドライバーを気遣おう

クルマはますます進化を遂げ、室内環境は以前では考えられないほど快適になっています。そのこと自体は歓迎すべきことですが、そのことがドライバーの集中力の弛緩につながることも。

ドライバー自身も注意すべきですが、同時に同乗者にも気遣いが求められるのです。なぜならば、自分の命をそのドライバーに預けているわけですから、日常以上に集中力と体力を消耗しているドライバーを痛めつけるのは、結果的に自分自身を危険に晒すということ。

何事もなく目的地に着き、無事に帰宅できることがもっとも大切。ドライブそのものをより楽しくするために、同乗者にも運転に対する配慮が求められます。


運転スキルに関係なく、それぞれがそれぞれの事情で走っている大型連休時の道路状況。そのなかで自分勝手な判断で動いた結果、引き起こされる交通事故。もっとも最悪なのは命が失われることで、そこに至らずとも、怪我をする、事故処理に時間を取られる、その後のやり取りにさらに時間を要するなど、ちょっとした不注意や軽率な行動で、長らく不愉快な想いを強いられることになります。

事故発生率が高まる大型連休に飛び込むにあたり、さらっとでいいのでこの項目を読み返して、無事に帰宅するための運転を心がけてみてください。

2015年8月6日木曜日

ようやくスタートラインに立った日本サッカー

【東アジアカップ2015】 男子サッカー日本代表 第二戦
vs 韓国 2015/08/05 @ 武漢スポーツセンター
スコア:1-1△


■これが日本サッカーの現在位置
あまりの不甲斐ない戦いぶりに、ネット上ではハリルホジッチ監督の手腕に対する疑問の声や選手の力量不足に対して、かなり荒々しい声が飛び交っているようです。確かにこの韓国との一戦に望んだ日本代表チームのクオリティは、ここ数年でもっともレベルが低いものだったと言えます。もちろん、北朝鮮戦から引き続いて、です。おそらく最後の中国戦でも、劇的な変化は望めないでしょう。

韓国のシュティーリケ監督は「日本がこんな守備的な戦い方をするとは思わなかった」と言っていたそうですが、狙ってやったのではなく、それしかできなかったというのが本当のところでしょう。ここは国際経験の浅さがモロに出たところでしょうが、とにかくボールが落ち着かない。マイボールになってもすぐにロストしてしまう。簡単に相手にボールを渡してしまうから、走らされる時間が増え、疲労がどんどん蓄積していく。北朝鮮戦で自分たちの実力が否定されての韓国戦で、まったく自分たちのペースが作れず、気持ちまで悪循環に陥っていくのが手に取るように分かりました。

そんな矢先の、前半25分のPK献上。失点後、試合は完全に韓国ペースに。日本の選手の顔からは、代表としての自信の欠片すら感じ取れませんでした。

そこで生まれた39分の山口蛍の同点ゴール。しっかりとコントロールされたミドルはお見事という他なく、同時に日本チームを悪循環から解き放つ一撃でもありました。事実、このゴールを機に前半終了までは日本のペースになったのですから。やはりゴールは何ものにも代え難い良薬、どんなに劣勢でも問答無用の一発で試合がひっくり返ってしまうのがサッカーの面白いところですね。

ところが後半、再び韓国ペースとなり、そのまま大きな見せ場もないまま試合終了。日本のクオリティの低さはもちろんですが、それ以上に「最近の韓国って全然怖くないな」という印象を抱いたほどでした。

溜まりに溜まったツケが、ようやく吐き出されつつあります。


■海外組中心のチームづくりが生んだ弊害
「こんな弱い日本代表、見たことない!」

まるでそう言いたげな声が、今まさにネット上で飛び交っているようです。ブラジルW杯やアジアカップでの惨敗を思えば、日本代表の立ち位置をどのあたりで考えていたのか甚だ疑問ではありますが、とはいえ東アジアカップの2試合を観た段階で言えば、代表チームのレベルはあまりに低い。

スキル云々ではなく、メンタルの問題でしょう。代表チームに選ばれている責務を自信に転嫁できている選手がとにかく少ない。見ていると、ピッチに立つことに怯えているんじゃないかと思えるほど、覇気の欠片も感じられないのです。

答えはひとつ、国際経験のなさ。

Jリーグで活躍すれば、代表チームに呼ばれ、さまざまな国の代表チームとの試合を経験し、選手をレベルアップさせます。その選手がクラブに戻ってさらに活躍することで、Jリーグそのもののレベルが高まり、より質の高い選手が台頭してくる……。1993年に発足した当時のJリーグが目指していた姿であり、1990年代後半のJリーグに目を向けると、中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一、柳沢敦などなど、枚挙に暇がないほど質の高い選手がどんどん現れてきていました。彼らに匹敵する実力の持ち主も数多く存在しましたが、結果としては中田らが代表チームでのサバイバルに勝った、ということです。

Jリーグ=日本代表という構図は、今後も変わりません。今回の東アジアカップに挑んでいるメンバーは、まさに最たる例。それがこの体たらくということは、Jリーグそのものが国際レベルに達していない証拠でもあるということ。

しかしながら、選手に責任はないと思います。なぜならば、ここ10年以上、Jリーグでどれだけ活躍しても代表チームに呼ばれないということが当たり前のようになっていたから。

海外組中心のチームづくりによる弊害です。

2000年以降、Jリーグからいきなりレベルの高い海外クラブに移籍する選手が急増しました。質の高い選手にとってより良いことではあるのですが、結果、その海外組だけでチームが作れるようになり、Jリーガーたちは控え扱いを受けるようになったのです。2006年ドイツW杯での遠藤保仁、Jリーグ得点王に輝きながらロクなチャンスも与えられない佐藤寿人、大久保嘉人が最たる例と言えるでしょう。


■気の抜けた発泡酒しかない高級クラブ
やたらと国内でのマッチメークが多い日本代表。協会自らが高い渡航費を支払って海外組を呼び寄せ、まるでアイドルコンサートのような興行試合をこなしています。試合は常に満員御礼、グッズも飛ぶように売れ、日本サッカー協会は海外組の渡航費となけなしのファイトマネーを支出するだけで大儲けできるというシステムが出来上がりました。

そこに、育成の理念は存在しませんでした。

今回の日本代表が弱いとお嘆きの方が少なくないようですが、僕は以前、このレベルの代表チームを見たことがあります。それは2006年、イビチャ・オシムが日本代表監督に就任した当初の日本代表です。それまでのジーコ率いる日本代表では、黄金世代と呼ばれるスター選手の名前ばかりが並んでいましたが、オシム体制になった途端、サッカーに詳しくない人であれば「誰それ?」というJリーガーばかりが選ばれるようになったのです。

「日本代表を、日本化する」

オシムはそう宣言し、目指すべき日本サッカーの姿を掲げ、日本サッカーの底辺そのものを底上げすべく、国内組中心のチームづくりを進めていこうとしました。初期のオシム日本代表チームといったら、今回の東アジアカップのチームぐらいひどかった。噛み合ないコンビネーションと戸惑う選手の姿は、にわかファンの足をスタジアムから遠のかせ、当日券すら完売しないという有り様を生むほどに。

それでも時間をかけて煮詰められたオシム日本代表は次第に実力をつけていき、オシムの目指す「日本化」の断片を見せてくれるほどのたくましさを感じさせてくれました。残念ながらその後、オシムは病に倒れ、後任の岡田武史からその体制が継続されることはなくなってしまったのです。

日本サッカーは弱い。

オシム時代から数えてちょうど10年。岡田、ザッケローニ、アギーレと続けて見過ごしてきた日本サッカーの膿みがここですべて吐き出されたと言っていいでしょう。もはやハリルホジッチは被害者という他ありません。世界で名の通ったボトルを並べると噂の高級クラブに入ったら、気の抜けた発泡酒しか置いていなかったというようなもの。「この発泡酒を高級ワインのように熟成させてくれ」と言われてもどだい無理な注文です。そりゃ協会に噛み付きたくもなりますよ。


■愛ある声が、選手を動かす
日本代表は急に弱くなったわけではありません。貧富の格差として見れば分かりやすいですが、極端に優れたエリートだけを優遇していただけのことで、安定したパフォーマンスを発揮するアベレージは実はこの程度だったというだけのこと。むしろ、ようやく当たり前の強化を行えるスタートラインに立てた喜びの方が大きいですね。

10年間も強化と育成を放置したのは、他ならぬ日本サッカー協会でしょう。巨額のお金をまわさなければ身動きすらとれない肥満体となった彼らが、まっとうな強化策に取り組まない限り、日本サッカーが今以上に強くなることはありません。

ハリルホジッチについては、次のW杯予選でのメンバー如何で彼のスタンスが見えると思っています。海外組中心のチームづくりになれば、ロシア大会までの契約期間を割り切ってこなす傭兵タイプということで、オシムのような「日本人のレベルを底上げさせる」「育成する」というスタンスとは対極に位置します。

かといって、彼を責めることなどできません。彼は日本サッカー協会に雇われてきた外国人指揮官で、契約が終わればそれっきりの間柄。契約条項に「日本人選手の育成」などとは書かれていないのですから。

日本人選手の育成まで見据えた指揮官となると、日本人監督をおいて他にありません。正直言って、選手の育成すらままならない協会が指導者の育成に手がまわっているかと言われれば甚だ疑問ですが、かといってこの問題を先送りにすればするほど、ツケはどんどん溜まっていくだけのこと。後で困るのは、自分たち自身なのですから。

では、その協会を動かすのは?

他ならぬサポーターです。

目の前で繰り広げられているサッカーそのものをしっかり見て、善し悪しを判断し、その想いを声に出して訴えかける。良いプレーには賞賛の声を、怠惰なプレーには叱責を。選手や指導者を育てる一番の源は応援する人の声に他なりません。サポーター自身が、サッカーを観る目を肥えさせなければ、選手や指導者の心にその声が響くことはありません。少なくとも「オー、ニッポンー」と90分間単調に唄い続けるだけのサポーターでは、選手の心を動かすのはまず無理でしょう。

もっとサッカーを楽しみ、サッカーを知り、サッカーについて語り合う。その姿勢と声が現場を動かし、より高い頂へと押し上げようとする原動力となるのです。サポーターも選手と同様、勝利を渇望するハートを持たねば、勝てるものも勝てません。サッカーが盛んなブラジルやイングランド、イタリア、ドイツ、スペイン、アルゼンチンといった強豪国は、そうして今の地位を確立してきたのですから。

2015年8月2日日曜日

北朝鮮に敗れた夜に見えたもの、それは……「伸びシロですね〜!」

【東アジアカップ2015】 男子サッカー日本代表 第一戦
vs 北朝鮮 2015/08/02 @ 武漢スポーツセンター
スコア:1-2●


■2006豪州戦の再現かのよう
試合後の選手たちの表情は、まるでお通夜に参列している人のようでした。自分らなりの精一杯を出し尽くした結果の敗戦だったからでしょう、文字どおりの完敗。疑問を抱くジャッジもいくつかありましたが、これが初めてのアジアでの試合ってわけじゃないし、今の日本にとってはそれも折り込み済みで挑まなければならないでしょう。

非常にフレッシュなメンバーで始まったこの試合、新顔が多いということは、反面チームとしての連携力や熟成度に期待はできません。つまり、個々の能力がそのまま反映される試合になるわけです。普段のJリーグでのプレーの質がどれほどのレベルか、北朝鮮という相手に推し量られたのです。

結果から見えたこと、それは「先制しながら逃げ切れなかった」こと。開始間もない先制点の効果もあってか、前半途中までの日本は効果的にボールをつなぎ、何度も北朝鮮ゴールに迫っていました。つまり、熟成度合いが低くてもある程度のレベルの相手には通用する高いスキルが照明されたと言っていいでしょう。

しかし、ロングボールを放り込まれてのパワープレーは、Jリーグでは滅多に遭遇しない荒々しい戦い方。なぜならば、同じ日本人同士のJリーグでそんな強攻策をとるチームは滅多にないからです。ここまで極端な戦い方をする北朝鮮を相手に、日本の選手の戸惑いぶりは手に取るように感じました。

結果、相手の巨漢FWにしてやられての逆転負け。まるで2006年ドイツW杯の初戦オーストラリア戦の再現かのようでした。


■日本のアベレージはJリーグ
90分間を通してのマネージメント能力の低さはもちろんですが、なかでも浮き彫りになったのは、守備の脆さ。これはハリルホジッチ監督も痛感したことでしょう。パワープレーに対抗する空中戦の弱さに加え、こういうプレーを仕掛けてくる相手への措置(キッカーへのプレッシャーやコースの切り方)もお粗末。Jリーグではなんとかなることが、国際試合ではなんともならない。そのまま結果に映し出されましたね。

セカンドボールへの対処も後手後手でした。ああもマイボールが落ち着かないと、選手の疲労は倍増します。そう、ボールを追いまわす守備は体も心も疲れるのです。攻撃に転じるためのボールポゼッションを高める守備を再構築せねばならない時期なんだなぁ、と感じさせられました。

代表チームがどういう戦い方をするかは監督次第ですが、スペインやブラジル、ドイツ、アルゼンチンには遠く及ばないわけですから、まず守備の練度を上げることが最大の課題でしょう。まず敵の攻撃を防ぎ、ボールを奪うこと。予選の真っ最中であること、そして本大会までの期間がほとんど残っていないことを考えると、バックアップメンバーを含めた少数精鋭での守備構築(理解度を高める作業)が不可欠だと思います。

と、気持ちいいぐらい膿みが出た今回の試合。「海外組が出ていたら勝てたかも」と思われるかもしれませんが、それは大きな間違い。常時合流できるわけではない彼らはあくまでオプションであり、海外組を基本軸として考えるのはチームマネジメントという観点から見ると極めて危険なもの。日本代表のアベレージはJリーグなのです。


■チャレンジャーへの回帰が必須
個人的には、大変有意義な試合だったと思います。なぜならば、何の影響もない東アジアカップという大会での試合だったから。これがW杯予選の試合だったら大問題。予選中に軌道修正を図らねばならないという、1998年フランスW杯予選での惨状再び、となるからです。

だから、敗戦後にお通夜の参列者のような顔になっていた選手たちが不思議で仕方ありませんでした。

「勝てると思っていたの? 自分たちが強いと思っていたの?」

W杯に連続出場をはたしていることで、W杯に出場することが当たり前のように思われていますが、それはW杯への敬意、そしてこれから対戦する国の代表チームへの敬意を欠いていることに他なりません。特に昨今のアジア諸国ではサッカーのレベルが次第にあがってきており、なかにはトップクラスに追いつかんとする国が現れつつあります。「俺たちは王者だ」などと驕り、あぐらをかいていると確実に痛い目に合わされることでしょう。

今回の敗戦でもっとも厳しいことをひとつ言わせてもらうならば、「決めるべきところで決める」ということでしょうか。これは国際試合のみならず、彼らが日常のフィールドとしているJリーグでも同様。普段と違う雰囲気のなかでのプレーであれ、最低限の仕事をこなすのがプロフェッショナル。名前を挙げずとも本人らは分かっているでしょう、今回の責任の重さを。

ここまで堕ちたのですから、あとは這い上がるのみ。いくつもの課題をあげましたが、それもレベルアップするための具体策を生む貴重な財産です。すべてはより高いレベルにあがっていき、大きな喜びを手にせんがため。

つまり今回の敗戦で吐き出されたものすべて、それは「伸びシロですね〜!」ということでしょう!