2014年5月30日金曜日

代表チームのユニフォームは民族衣装です

もはや恒例行事となっているワールドカップ本番に挑むおニューユニフォームお披露目会。日本のみならず、各国ともこぞって新デザインのものをドロップしてきますね。最近はアディダスやナイキの二大勢力とサプライヤー契約を結んでいる国が多く、どちらもテンプレート化したものをベースに、今までどおりのデザインを取り入れたホームユニフォーム、そして今までとはちょっと違った切り口にしたアウェイユニフォームを取り入れるのがトレンドになっています。

日本代表もアディダスと契約していることから、ご多分に漏れずこのトレンドに乗っかっていますね。基本的にホームが青一色のシャツに対し、アウェイは真っ白なものでした。北京五輪のときは、中央に燃えさかる八咫烏(日本サッカー協会のシンボル)が描かれた真っ赤なアウェイユニフォームが話題を呼びました。八咫烏は余計だけど、真っ赤なユニフォーム、僕は結構アリでした。そもそも、僕がサッカー日本代表というものを意識して見るようになったのが1990年頃で、そのときのホームユニフォームは真っ赤だったんです。まぁ、お隣りの中国や韓国のユニフォームが赤いので、いろいろ面倒ではありますが。

さて、今回の2014年ワールドカップ ブラジル大会に挑む日本代表のユニフォーム、とりわけアウェイユニフォームについて賛否両論のようです。


……まぁ、これはないわな。
僕自身もそうですが、最近のトレンドで言えばユニフォームのデザインはシンプル イズ ベスト。スパイクはというと真逆でだんだんド派手になっていっていますが、今はテンプレート化したものにメインカラーありきで、差し色で1〜2色使うぐらい。それも、本当の添える程度。そういう意味で、日本も世界の潮流に合わせて作っているということですね。

ただ、この色はちょっと……(笑)。
イギリスの某紙では、
「日本代表チームは、ブラジルのスタジアム建設がまだ完全には終了していないという噂を真剣に受け取りすぎてしまったがために、工事現場で使用されるような蛍光色をユニフォームに取り入れたらしい」
と皮肉たっぷりの評価とともに、5点満点中、1点という採点。まぁ、そう言われても仕方ないですね。

シンプルで美しいのは、開催国ブラジルやフランス、イングランドなど。


気品というか、センスというか、その国らしさが出ています。

そう、代表チームのユニフォームって、民族衣装だと思うんです。最近だとプーマが契約をしているアフリカ諸国のユニフォームは、ポイントとしてそのお国柄をイメージした模様を入れたりしているんですよね。イタリアなんかはアズーリ(青)ってイメージが完全に定着しているから、あの真っ青なユニフォームで登場しただけで「おぉ、アズーリだ……」という畏敬の念が浮かんできます(昔はメーカーロゴすら入れない徹底ぶりだったのですが)。ブラジルやドイツ、スペイン、アルゼンチン、イングランドなどなど、それぞれが“らしい”デザインでまとめ、長年愛用してきたことから“その国としてのイメージ”が定着しているのでしょう。



最近僕が「あぁ、いいなぁ」と思ったのはベルギー。


スイスのメーカー Burrdaが手がけたもので、ホーム/アウェイ/サードの3着で、国旗の3色を表すという面白い試み。元々真っ赤なユニフォームがホームのベルギーだったので、この組み合わせは面白い発想から生まれた好例だと思います。

翻って日本ですが、5大会連続でワールドカップに出場しているということで、すでに青いイメージも……と思われがちですが、そこは日本人らしく謙虚に、「もっと良い戦いぶりを見せて、“日本と言えば青いユニフォーム”と覚えてもらおう」とすればいいんじゃないでしょうか。ちなみにユニフォームが青いのは、四方を真っ青な海に囲まれた島国であることを表現しており、エンブレムの八咫烏は日本神話に出てくる神の使いで、日本を世界の頂点に導いてくれる水先案内人としての役割を表現しているそう。


で、この蛍光イエローですが、何の脈絡もない。日本に蛍光イエローで表現すべき名物または名産がありましたでしょうか。工事現場の作業着というのはいささか嫌みが過ぎますが、一方で採用した側(日本)にも根拠と言える理由がない。

本当に理由はないのか? と思ってアディダスジャパンのサイトを見に行ったら……書いていました。曰く、

「開催国ブラジルのカラーであるイエローを全面にあしらうことで、“開催国ブラジルの人々にも、サッカー日本代表を応援して欲しい”という想いを表現しています」

と……。呆れてものが言えません。開催国の顔色伺いで自国のユニフォームカラーを決めるとは、どこまで媚び諂ってんだ、と。要するに、理由づけは後からのもので奇をてらいたかったのでしょう。もう安直すぎて、言葉がありません。こんな決め方をしているから、代表チームもロクに強化されないんじゃないのかな。日本サッカー協会には、日本らしい謙虚さを持ち合わせた人間がいないのでしょう。実に残念です。

まぁ、これでブラジルの地で惨敗でもしようものなら、この蛍光イエローは二度と採用されないでしょうからそれもまたヨシ、かもしれません。

ちなみに、個人的には代表チームのサプライヤーはミズノかアシックスに務めていただきたいと常々思っております。それぞれメイド イン ジャパンの名に恥じないメーカーですし、ブランド製の高いサッカー日本代表チーム(男子、女子とも)のバックアップとなれば、我が国産業の促進と経済発展にもつながります。何が悲しくて、自国の代表チームを使ってドイツを儲けさせなきゃいけないのか正直理解できない。

今回のブラジル大会を機に、日本代表のサプライヤーが変わるという噂がまことしやかにあがっており、ナイキとミズノが有力候補だそうです。アメリカを儲けさせてもTPPで喰いものにされるのを手助けするだけですので、なんとかミズノに頑張ってもらいたい。今まで一度も日本代表のユニフォームを買ったことがない僕も、ミズノなら買っちゃうかも。

ブラジル後は、日本人監督の起用を

本大会に向けて23名のメンバーが飛び立った今、グダグダ言っても仕方ありません。あとは彼らがベストの戦いを見せてくれ、そして祈るのみ。ただ、ワールドカップを前に、これだけは言っておきたいと思いました。日本代表監督 アルベルト・ザッケローニについての所感です。

「4年間も率いてきて、こんなチームしかつくれないのか」

それが、僕のザッケローニ評……でした。ベースは2010年南アフリカ大会のときと変わっておらず、本田圭祐や香川真司など個人レベルでのベースアップ(海外でのキャリア等々)だけが唯一の上乗せ。柿谷や大久保を招集したのも、行き詰まった感があった得点力アップのために取ったやむなしな選択肢で、僕はザッケローニが彼らを正当に評価したとは思っていません。だったら、同じように国内で結果を出していた佐藤寿人(広島)などのJリーガーをきちんとチェックしろよ、と思うからです。

「じゃあ、あんたは誰がベストな監督だと思うんだ?」と言われれば、迷わずイビチャ・オシムを挙げます。「日本を日本化する」と宣言し、招集した選手に求めたのは高いインテリジェンス。「日本人はコレクティブでテクニックに秀でている。それが90分持続できれば、十分世界と渡り合える」という信念のもと、当時さほど名が知られていなかったJリーガーを多数起用。海外クラブに所属する“海外組”はあくまでオプションまたはプラスアルファで、土台はコンスタントに招集できるJリーガーとされました。

理論的には、もっとも正しい代表チームの強化方針だと思います。結果として、華やかな選手名が並ばない代表戦からは閑古鳥の鳴き声が聞こえ、発売と同時に売り切れると言われた代表戦チケットは当日券が出るほどに。オシムが求めるレベルの高さ(インテリジェンス)から選手が理解するまで時間がかかり、しばらくは成果もともなわないなど、シビアな時期が続きました。が、目の肥えたメディアやファンは「これ、成熟すれば最強の代表チームができるんじゃないか?」と期待に胸を膨らませ、静かに彼らの動向を見守っていました。

残念ながらオシムが脳梗塞で倒れ、奇跡的に一命は取り留めたものの、代表監督という激務は務められないと辞任。日本代表チームにおけるオシムの“日本化”は完成することがありませんでした。

ハンス・オフト、そしてイビチャ・オシムと、日本に敬意を示し、日本が世界と伍するにあたって強化せねばならないポイントを見極め、そのために心血を注いだ外国人代表監督は存在しました。その点で言えば、ザッケローニの施策は“強化”と呼ぶにはほど遠いものでしたが、一方でそうした過去の偉人と見比べ、過小評価していたところが僕にもありました。

改めて、今思います。ザッケローニはリアリストであり、プロフェッショナルだ、と。

オシムとザッケローニ、あえてこのふたりを比較するとした場合、どこが争点になるか……「その国の代表監督として、最終目的地をどこに据えているか」ではないでしょうか。オシムは、自身が退任したあともその礎となるような基盤を残すべきと考えてのチーム強化策を選んだのです。翻ってザッケローニは、4年間という契約のなかで最強のチームを作り上げ、ワールドカップにふさわしいチームを送り込むことだったと思います。

オシムは、遠い遠い日本サッカーの将来を見ていた。
ザッケローニは、2014年ブラジル大会を目標としていた。

そう見れば、改めて彼らふたりを比較すること自体がナンセンスだと思えてきたのです。当たり前のことですが、ザッケローニは別に日本に骨を埋める気はないでしょうし、“リアリスト”イタリア人らしく契約期間内での最高の仕事をこなそうとしているに過ぎません。本田や香川ら海外組を主軸としたのも、「現時点でもっともレベルが高い選手を軸とする」という極めてシンプルな論理。彼の代名詞である3-4-3システムを取り入れなかったのも、「日本人にフィットしない」と彼が判断した。それだけのことです。

オシムは、契約以上のことをしてくれたのです。彼のサッカーへの愛情は我々が推し量れない領域のもので、そこに親日家としての感情が含まれ、持てる知識と経験をすべて日本サッカーのためにつぎ込もうとしてくれました。決してザッケローニがサッカーを愛していない、日本に敬意を表していないとは言いません。単純に、ザッケローニは4年間の契約内で最高の仕事を遂行しようとした。その契約書に、“日本らしいサッカーを展開すること”“将来につながるチームづくりをすること”という項目は含まれていません。ザッケローニがそこまでしなかったからと言って、誰が責められるでしょう。

そういう意味で、オシムはアンタッチャブルな存在であり、彼ほど世界のサッカーに精通し、日本のために尽力してくれるような人材はもう出てこないと思います。オシムのサッカーが完成していれば、今の日本サッカーの姿は大きく変わっていたでしょうが、無い物ねだりをしても仕方ありません。

2010年南アフリカ大会後、代表監督の座に就任したザッケローニは4年間における職務を全うし、ブラジルでの結果にかかわらず、大会後には退任するとの発表がありました。結果がどうなるか、それは蓋を開けてみなければ分かりませんが、どのような終わり方にせよ、最後はザッケローニに謝意を示し、イタリアに凱旋して欲しいと思います。

そして、あえて今、ブラジル大会後の日本代表、そして日本サッカーというものを見据え、ひとつ提言をさせてください。

日本人指揮官の起用を求めます。

海外のクラブで活躍する選手が増え、日本人プレーヤーのレベルは数年前と比べて飛躍的に向上しています。一方で、世界のサッカーの主戦場はヨーロッパであり、日本とは飛行機で10時間以上かかるほど離れた地であることを改めて認識せねばなりません。つまり、“日本代表を強化する”という点で言えば、海外クラブ所属の選手を軸としたチームづくりでは、そのクオリティが安定することはないのです。

日本は、世界の強豪国のひとつではありません。サッカー発展途上国であり、チャレンジャーなのです。ボクシングの世界タイトルマッチに挑む挑戦者が、チャンピオンと同じような強化をしないのと同じで、「ワールドカップで優勝したい」と本気で思うなら、かの強豪国以上のトレーニングに挑まねばなりません。

日本に対して愛情を持ち、日本のために尽くせる指揮官……日本人監督しかいないのです。そして、日本の事情を鑑み、Jリーガーを中心とした代表チームの強化に腐心していただきたい。そのためには、Jリーグそのものも今まで以上に盛り上げ、強化策の一貫として見ていかねばならないでしょう。それは日本サッカー協会はもとより、サポーター、メディア、そして国民全員が取り組むべき事案です。そう、“ワールドカップでどこまで勝ち進むことができるか”ということも重要ですが、“ワールドカップに誇りある代表チームを送り込めるか”という点こそ重視せねば。それは国全体の取り組みとして必要なことだと思います。

まずは、日本人指揮官の起用という第一歩から。
 

2014年5月29日木曜日

いっそのこと、玉砕してしまえ

【2014.05.27 サッカー日本代表 壮行試合 vsキプロス @ 埼玉スタジアム2002】

せせら笑うしかありませんでした。昔の面影すら感じられなくなったエース本田圭祐は迫力もなければ存在感もなし、ディフェンス陣はキプロスが時折見せる攻撃にあたふたし、攻撃にいたっては誰がタクトを振るっているのかも分からない状態で前線がさまよう次第。香川、岡崎なんてテンポの良い流れのなかで自分の勢いをつくっていくタイプだから、あんな緩慢な流れじゃリズムなんて作れるはずがありません。

チームとしての成熟度がひどすぎる。

強い相手には献身的に、しかし弱い相手にはルーズになるという日本特有の悪癖があるのはよく知っています。しかし、今回のゲームはいわゆる“壮行試合”。「行ってらっしゃあ〜い」と満面の笑みで送り出すのは表面的なことで、本質はチームの仕上がり具合をチェックする最後の公式戦です。

ワールドカップで当たるコートジボワール、ギリシャ、コロンビアについて、ザッケローニ監督をはじめとする代表チームスタッフはすでに丸裸にしていることでしょう。しかし、この壮行試合での対戦相手は、ワールドカップには出場しないキプロス。つまり、事前に相手のことを調べ上げて戦略を練る云々という作業はなく、ぶっつけ本番で力比べをするナチュラルなゲームです。そう、この壮行試合で見られるのは、ナチュラルな展開のなかで、日本代表のチームとしての基盤がどのレベルなのかを推し量る場なのです。

それで、あのていたらくとは。

ボールポポゼッションは60パーセントを超え、シュート本数は18対2と、その戦力差は歴然としていました。ヨーロッパの国と言えど、アジアでもトップクラスの日本と比べれば、キプロスはあきらかに格下。この相手を持ってきたのは“かませ犬”としてで、これからワールドカップに挑むチームとしては、国民にワールドカップ本大会での戦いぶりに期待を持たせ、気持ち良く「行ってきます」というべき試合。まだピークじゃない? 調子に乗って怪我をしたくない? そんなことをのたまえるにも至らないレベルですこれ。

ワールドカップは、対戦相手があってこそ、です。2010年南アフリカ大会では、初戦の相手カメルーンの仕上がりが不十分で、急ピッチながらゼロトップシステムが完璧にフィットしていた日本代表が本田のゴールで退けることに成功、その後の快進撃に弾みをつける形となりました。同大会ではフランス代表がお家騒動で自滅するなど、強豪国と呼ばれるチームでさえ、和が乱れればあっというまに瓦解する、それがワールドカップ。コートジボワールほか対戦国のそういう話を耳にすることはありませんが(ヤヤ・トゥーレの出場が微妙ってことぐらい)、もし対戦相手に内紛でもあれば、日本だって付け入る隙はあるかもしれない。もしかしたら南アフリカのときのような流れを掴めるかもしれない……そんな夢想が頭をもたげていました。

ごめんなさい、ワールドカップを舐めていました。

相手は関係ありません。我が国のチームがベストな仕上がりを見せ、そのうえで勝ち上がっていくことが至上の喜びであり、生き甲斐となります。僕が未だに忘れられない名シーンのひとつが、2002年日韓大会の初戦ベルギー戦で、執念のチェイシングで同点に追いついた鈴木隆行のつま先ゴールです。ストライカー鈴木の真骨頂を見せつけるとともに、日本代表は息を吹き返し、決勝トーナメント進出の原動力となったのです。

4年間、ほぼメンバー固定で作り上げてきた代表チームが、こんな試合しかできないとは。グダグダのゴールひとつで退けただけで戦力とスコアが伴っておらず、内容なんてあって無いようなレベル。本大会で相手国に攻め込まれたときにどう踏ん張るのか、どこで押し切るのか……すいません、僕にはまったく見えませんでした。サッカージャーナリストの杉山茂樹さんは「ゼロベースでの見直しが必要」と辛辣に批判されていましたが、そのとおりと思いつつも、4年前のようなチームの作り替えをザッケローニがするとは到底思えません。

ブーイングひとつ起こらなかったスタジアムも然り。

“あの程度の内容”をスタジアムで見せられたら、「チケット代返せ!」と僕なら怒ります。ビッグアーティストのライブを見に行ったら、コピーバンドだったぐらいの詐欺レベルの試合です。ええ、本田も香川も長友も云々も皆本物でしょう。でもプレーそのものはまがい物。代表マッチだから? 笑わさないでください、これならJ2の方がもっと熱い試合を見せてくれますよ。結局、サッカー選手をタレント扱いしているだけのサポート体制しか我が国にはありません、と広く公表したってだけの試合でした。ホント、1997年のワールドカップ アジア予選で、成績が振るわない代表チームに怒りを露にしたサポーターと、それを見て激高したカズが衝突した時代が懐かしく思えます。

選手を育てるのは、サポーターです。

さすがにヨーロッパや南米のサポーターと比較するのはいささか酷なように思えますが、要するに“愛情があるか否か”に尽きると思います。スタイル云々は関係ありません、どれだけ贔屓のチーム、好みの選手であっても、緩慢なプレーをすれば「おい! ふざけるな!」と怒声を浴びせる気概をもってサポートすることが重要です。

今の日本代表を取り巻く環境は、ゆるい。本当に“ゆとり教育”としか思えないほどのぬるま湯です。どうしてそこまで言い切れるか? あのレベルのサッカーを見せられて、スタジアムから怒りの声があがらなかったことがその証でしょう。結局は“ワールドカップに出ること”が最終目的になっていて、“ワールドカップでいかに勝ち上がるか”がなくなっているのでしょう。

こうしたチームになることは、何年も前から分かっていたこと。それを、旅立ちの間際で見せられたってだけですが、もはやここまできたら、怒りだのなんだのという感情は抜け落ち、呆れ、笑うほかないわけです。結局、サッカー協会はじめこうした状態になるまで代表チームそのものを野放しにしてきたサポーターにも責任はあると思います。

『Jリーグ100年構想』という大命題を日本サッカー界は掲げているわけですが、サッカーというものが文化として日本に根付くかどうか、未だ確信を持てていません。正直なところ、「無理だろう」という気持ちの方が強くなってきています。有能な選手が海外に活躍の場を求めるのは、より高いレベルで自分を磨きたいという向上心はもとより、国内で「これ以上の伸びしろは期待できない」と限界を感じたこともあるでしょう。それこそ、Jリーグで激しい応援とシビアな試合が繰り広げられていたら、「彼らでチームの土台を作り上げられるじゃないか」とザッケローニも考えを改めたかもしれない。

すべて、“今さら”です。今の代表チームの仕上がりはFIFAランキングで言えば3ケタ台というところでしょうが、よほどの劇薬が投じられない限り、このまま本大会に臨むことになります。そうなれば、あとは祈ることしかできません。

いっそのこと、玉砕してくれ。

間違いなく日本代表は冷や水を浴びせられます。チームだけでなく、日本という国そのものも、です。そして2006年ドイツ大会のときのように、「監督選びは厳選に」という風潮が高まり、協会も重い腰をあげて動き出すも、世間はサッカーへの関心度を失ってスタジアムからは人が消え、再びドイツ後にやってきた暗黒時代が到来するでしょう。

すべてのはじまりは日本サッカー協会で、大会後の日本サッカー界の舵を握るのも日本サッカー協会です。「別にいいよ、今までどおり金儲けさえできれば」という体質のままなら、サッカーが文化として日本に根付く日は永遠に来ないでしょう。そして、僕も『Jリーグ100年構想』という言葉を用いるのは、二度とやりません。客寄せのための絵空事看板に付き合わされるのはまっぴらご免ですから。

玉砕あるのみ。代表チームの検討を祈ります。
 

2014年5月28日水曜日

ブラジルとワールドカップとハーレーダビッドソン

ニュースで何度も報道されているのでご存知の方も多いでしょうが、ワールドカップ開催まで一ヶ月を切った現地ブラジルで、国民による暴動が相次いでいます。原因はインフラが整備されていないことに対する不満で、「ワールドカップを開催するぐらいなら、教育や医療制度に金をかけろ」というところのよう。

長らくサッカーの世界を見てきた人間からすると、「他の国ならいざ知らず、ブラジルで、かぁ」という気持ちです。言わずもがな、ブラジルはサッカーの国。ワールドカップで史上最多の5回優勝経験を持ち、どの時代においてもスーパースターと呼ばれる選手を輩出してきました。ペレに始まり、ガリンシャ、カルロス・アルベルト、リベリーノ、ジーコ、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾ、パウロ・ロベルト・ファルカン、カレカ、ミューレル、ロマーリオ、ベベット、ドゥンガ、ジーニョ、ロナウド、リバウド、ジュニーニョ・パウリスタ、ロベルト・カルロス、レオナルド、ジョルジーニョ、ロナウジーニョ、ジュニーニョ・ペルナンブカーノ、カカ……と、僕が資料なしで思い浮かべられるだけでもこれだけいます。最近ではネイマールですね。あと、ブラジル出身ということで言えば、デコ(ポルトガル代表)やジエゴ・コスタ(スペイン代表)も含まれるでしょう。

ブラジルはサッカーの国。だからワールドカップがこの国で開催されると決まったとき、「もっとも幸せなワールドカップになるのでは」という期待がありました。そんな最中での暴動には驚かされるばかりですが、かといって、まったく想定外というわけでもありません。結論から言えば、ブラジルにおける一般的な国民の生活水準が変わったから……ブラジルを中心とする経済成長に理由があると思うのです。

ワタクシは別に経済について語れるほどの知識はございません。が、まったく違うところで、成長著しいブラジルの今を実感することがありました。それは、ハーレーダビッドソンの動向です。

米ミルウォーキーで開催されたH-D 110周年記念パレードにて
ちょうど2010年頃から、ブラジルにおけるハーレーダビッドソン販売実績に大きな伸びが見えはじめ、2011〜2012年には、世界全体でもっとも大きな伸びしろを叩き出すまでになったのです。そう、米ミルウォーキーに本社を構えるハーレーダビッドソン モーターカンパニー社が期待を寄せるインドや中国といったアジア市場以上に、です。2012年、カンパニーがハーレーダビッドソン最大のイベントをブラジル・リオデジャネイロで開催したところにも、南米大陸に対する同社の期待がどれほど大きなものかが伺えるというもの。

日本だけに限らず、ハーレーダビッドソンという大型モーターサイクルは趣味の世界のものです。ハーレーで牛乳配達や新聞配達をする人はいません、ハーレーに乗る営業マンなんて見たこともありません。実用性ではない、人生を豊かにしてくれる存在、それがハーレーダビッドソンをはじめとする大型モーターサイクルです。つまり、ブラジルでそれだけハーレーが普及したということは、経済的に生活水準が安定し、一般の方々がゆとりを持てる日々を送れている何よりの証拠でもあります。

国旗の色を使った鮮やかなグリーンのTシャツが目を引きます
その流れから見れば、「国が豊かになったのなら、ワールドカップに反対する理由なんてないじゃないか。むしろ歓迎すべきでは?」と思うところですが、ニュースに見られる暴動を目にすると、ブラジル政府の政策に問題がある……貧富の格差が激しいのでは? と思われます。とすると、富裕層だけが豊かになって、経済の良い流れが中流階級以下にきちんとまわっていないんじゃないでしょうか。中国や韓国での反日デモなども、結局は自国政府への不満が原因と言われています。

ブラジルが生み出すスーパースターのほとんどは、スラムなど貧しい家庭で育ったと言われます。ガリンシャやロマーリオ、ロナウドなどもそうだと聞きますね。そんな彼らに共通する条件とは、「小さい頃からサッカーボールに親しんでいること」「サッカーを楽しむことが生活の楽しみであること」「ハングリー精神があること」「しっかりした育成機関(プロのクラブチーム)があること」などでしょう。日々を暮らすことで精一杯の生活のなかで、唯一の光がサッカーであり、そのサッカーで一流になれば貧しい生活を抜け出し、豪華な家に住んで贅沢な暮らしができる。医療や教育のインフラが整っていないから、スラム出身の子が勉強で一流になることはまずできません。だから彼らはプロサッカー選手を目指すんです。日本とは、根本的に生活水準というか、ものの考え方のベースが違うと言っていいでしょう。

彼らの姿から、昔から抱いていたブラジルのイメージが変わったよう
そんなブラジルが、経済成長による恩恵から豊かな国へと変貌しつつある一方、それも表面的なところだけで、きちんと国としての基盤を整える政策がとられていないとしたら……。言い換えれば、割り振れるお金があるにもかかわらず、中流階級以下への配当がなく、見た目の豪華さにばかりお金をかけていたとしたら、そりゃ暴動が起こっても不思議じゃないでしょう。「ハーレーダビッドソン? それよりも必要な生活用品があるわい!」、「ワールドカップ? その金があるなら、少しでも国民の生活水準をあげる努力をしろ!」、そんな声が、地球の裏側から聞こえてきそうです。

「ブラジルでワールドカップ反対の暴動が起こるなんて」

それは、地元の実情を知らない他国の人間だから思うことであって、そこに住み、生活が困窮している人々にとっては「それどころではない」に違いありません。

一方で、FIFA、そしてIOCはどう考えているんでしょうか。

ブラジルでは、今回のワールドカップの2年後には、リオ五輪が控えています。しかし、表面的なことに奔走する政府を見て、「スポーツで世界を豊かにする」ことをその存在意義とする大会の運営母体(FIFAとIOC)としては、それぞれの大会を開催するにあたり、「ブラジルという国はふさわしくない」という判断はしないのだろうか、と。結局、どちらも拝金主義に走ってしまっているんでしょうね。クーベルタン伯爵が草葉の陰で泣いているのが見えるよう。

ワールドカップやオリンピックを開催することで、ブラジルという国に大きなお金が落とされることは間違いありません。ただ、それも“使い方”が大事なのであって、そこ(政府)に対して不信感があるから、国民はイベント開催以前に自国の問題点をなんとかしたい、と行動を起こしているのでしょう。きちんと国民のことを考えた政策をとる政府だという信頼があれば、今暴れる必要はないわけですからね。

ブラジル大会で不幸な出来事が起こらない……そう言い切れる自信はありません。しかし、仮に何かが起こったとしても、驚くことはないでしょう。急激な経済成長と拝金主義の政府が生み出した不幸な惨事……何事についても、僕はそう捉えるでしょう。
 

2014年5月27日火曜日

日韓関係をよりよくするには


とある平日、秋葉原から中目黒へと向かう地下鉄日比谷線での出来事でした。座席でくつろいでいると、「あのぅ」と隣りに座っていた若い女性から声をかけられたのです。

「中目黒から、代官山まで、歩いていけますか?」

たどたどしい日本語から、すぐに外国の方だと分かりました。そして手にしているスマートフォンに表示されているハングル語を見て、「ああ、韓国の方なんだな」と。実を言うとワタクシ、なぜか昔から外国の方に話しかけられることが多く、今回もこれまで同様に引きつけてしまったんだな、と苦笑いしてしまいました。しかもその直前には、秋葉原の韓国料理店で石焼ビビンバのランチをいただいたところでもあり、何か匂いでもしたのだろうか?などと訝しんだり。

Google Mapで距離を見せてあげ、「歩いて7分ほどですよ」と教えてあげました。すると、「代官山には焼肉のお店はありますか?」という質問が。今度は食べログのアプリで検索し(便利な世の中になったものです)、「こういう店があるみたい。新大久保に行けば、もっとあるよ」というと、「新大久保には昨日行ってきました。テレビで見た日本の番組で、代官山の焼肉を食べるシーンがあって、そこに行きたいんです」と言うじゃありませんか。さすがに同じ店かどうかまでは分かりませんが、検索で見つけた代官山の焼肉店の情報を教えてあげたのです。

そこから、彼女は堰を切ったようにいろいろと話をしてくれました。名前は聞きませんでしたが、彼女は19歳の大学生で、学校で日本語を専攻しているとのこと。なるほど、たどたどしいとはいえ、十分コミュニケーションを取れるレベルなのは大したものです。「将来は、日本と関わり合える仕事(観光業など)に就いて、日本と交流していきたい」と言いました。

「どうしてそんなに日本に興味があるの?」との質問に、「日本はすばらしい国。私たち韓国が見習うべきところがたくさんある」と答えてくれました。

今回が初の来日だという彼女、弟さんとふたりで来られたとのこと(すぐ近くに彼が立っていました)。以前からずっと日本に来たいと思っていて、ようやく念願がかなった、と。「初めて来た日本の印象はどうですか?」とお聞きすると、「街がきれい、道がきれい。日本人はみんな親切。来てよかったです」と満面の笑みで語ってくれました。そして、「弟と一緒に歩いていると、どうしても弟とばかり話してしまって、なかなか日本人とお話しできなかったんです。あなたとこうしてたくさんお話しができて、すごく感激しています」とも言ってくれました。

「お話しできて嬉しかったです。ぜひ韓国にも遊びに来てください。またお会いできると嬉しいです」と言って、彼女は弟さんと一緒に六本木駅で下車していきました。

わずか5分ほどの出来事でしたが、彼女との交流は僕の人生において10本の指に入ると言っても過言ではない価値をはらんでいました。

多くの方がご存知のとおり、2014年現在、日韓関係は決して良好とは言えません。一時は韓流ブームなどから両者が良い意味で近づいたものの、竹島問題、五輪プラカード問題、慰安婦問題、反日問題などなど、挙げていったら枚挙にいとまがないほどの摩擦を抱える日韓両国。根深い歴史的背景やそれぞれの民族性などから、現在は悪化の一途をたどっていると言えるでしょう。

2003年、僕は初めて韓国・ソウルに渡り(サッカー日韓交流戦の観戦/結果はジーコ日本代表が1-0で勝利)、試合後に記念撮影をする若い両サポーターらの姿を見て、これまで憎悪の歴史と言われた交流戦が変わろうとしている実感から頬が緩んだのを覚えています。

しかしながら、どういった背景かは分かりかねますが、再び憎悪の炎が燃え盛り、先のセウォル号沈没事件などを含め、ネット上でユーザー同士が“言葉の刃”を向け合うさまを何度も目にしてきました。僕にも韓国人や在日朝鮮人の友人がいて、今も彼らとは仲良く付き合っているのですが、そうした場面ばかりを目にしていると、知らず知らずのうちに自分の感情が禍々しいオーラに包まれ、憎まなくてもいいことまで憎んでしまいそうな……そんな気分にさせられるときが多々ありました。

結局、分かり合えないのだろうか……。しかし、地下鉄で出会ったコリアンの彼女は、そんな禍々しい気分を一瞬で吹き飛ばしてくれるほどさわやかで、表面的な情報に染められつつあった自分を恥じつつも、清々しい気分にさせてくれました。

確かに我々日本人から見れば、反日感情が突き動かす数々の行動は目に余るものがあります。しかしそうした国民の気持ちをきちんと理解し、「どうすれば私たちは分かり合えるか」という一点のみを言及する働きを両国の政府が見せねばならないのでは、と思うのです。日本人特有のシャイな側面から“言葉を飲み込んでしまう”ということがありますが、言うべきこと、主張すべきことをきちんと述べ、そのうえで起こった摩擦に対しては真摯に取り組まねばなりません。国民を代表する政府には、そうしたことに対して積極的に取り組む義務があります。

負の感情が先走る日韓両国ですが、彼女のように、過去にとらわれることなく相手に対して誠意をもって接してくれる若者はどちらにも存在します。禍々しい感情は、そうした若者たちを傷つけるだけでしかありません。それは、これまで両国を包んできた暗黒の歴史となんら変わらないのではないでしょうか。

日本と韓国、僕らは必ず分かり合える。この日出会ったコリアンの彼女が、改めてそのことに気づかせてくれました。これほど素晴らしい若者たちの未来を暗いものにしてはならない、彼女のような若者が将来さらに楽しく交流し合えるよう、僕らももっと理解し合うための努力をしなければいけない。歴史問題云々は政治家にまかせて(きちんと仕事をしてもらうことが大前提ですが)、僕ら国民は僕らにしかできないことをやっていくべきです。

そのうえで、考えたいのです。両者が分かり合うために、スポーツにできることは何か、サッカーにできることは何か。

まずは第一歩から……日韓交流戦の定期開催を。
 

2014年5月26日月曜日

ワールドカップ観戦は国民の義務

妻の友人で、作家の中村慎太郎さんが、自身のブログ「はとのす」にこんなことを書いていました。曰く、「2014 ワールドカップ ブラジル大会の日本の初戦、コートジボワール戦は6/15(日)AM10:00からの放映。地球の裏側で放映されることを思えば、日本人にとって願ってもいないゴールデンタイム。にもかかわらず、“グラウンドの予約が取れたから”“対戦相手が決まったから”と、その日のその時間帯に練習や試合のスケジュールを組み込む少年サッカーチームの指導者が多い」とのこと。

そして昨日、別件で一緒にお仕事をさせていただいたスポーツライター松原 渓さんと話をしていたら、彼女が精力的に取材をしているなでしこリーグは、「ワールドカップ期間中にも中断することなく開催されるんですよ」と言うじゃありませんか。確かに男子と女子では根本的なところで違いがあるとはいえ、規模の大きさはもちろん、世界中の注目を集めるビッグイベントです。しかも、自国の代表チームが参戦しているんです。「なでしこリーグに男子は関係ないでしょ」という理屈なのでしょうが、正直呆れてものが言えません。

将来Jリーガーになることを夢見るサッカー少年たちにとって、自国の代表チームが戦う姿を見るということは何ものにも代え難いお手本になります。その結果が、痛快な勝利であろうが無惨な惨敗であろうが、いずれにせよ、です。それは女子とて同じこと。世界のサッカーシーンにおけるワールドカップの存在意義が昔とは違ってきているとはいえ、それでも世界中のサッカーファンが熱狂する唯一無二のイベントであることに変わりはありません。サッカーという競技だけを特別視するのはいかがなものかと思いますが、単一競技でオリンピック以上の規模を誇る世界大会は他にありません。4年に一度の開催で、都市ではなく国単位で催されます。“サッカーは世界でもっとも愛されているスポーツ”と言われる所以でしょう。

「所詮サッカーでしょ」

数年前、今私が生業としているモーターサイクル業界にて、同僚の編集者にそう言われたことがありました。曰く、「モーターサイクルは誰もが到達できるわけではない特別な趣味の世界。サッカーなんて、誰だってできるじゃないか。モーターサイクルの方がずっと崇高だ」というところから発せられた言葉だったようです。僕自身はその後も彼と仲良く付き合っていた(と思っている)のですが、 確かに特別な世界観を有するモーターサイクルの世界ながら、その世界しか知らないまま過ごすとこうした一般社会との乖離が生まれるんだな、“モーターサイクルは崇高な趣味の世界”だというところにしがみついていないと彼のアイデンティティは保てないんだな……と思わされた一面でした。

サッカーは、誰でもできます。ボールひとつと仲間されいれば。競技によってはお金のかかる用品や機材がありますが、サッカーにはそれがない。ルールはただひとつ、“手を使ってはいけない”というシンプルなものだけ。だから、どんな環境の子どもでも思いっきり楽しめちゃう。それがサッカーのスゴいところなんです。

私は、モーターサイクルもサッカーも楽しんでいます。それぞれに違う面白さがあり、僕の人生を豊かなものにしてくれています。どちらが上だとか、そんな順位付けをしたことは一度もありません。趣味の世界に上も下もないんです。そこに上下をつけたがるのは、日本人の島国根性気質だと思う今日この頃。

そんな側面は希有な例かもしれませんが、改めて考えるに、日本人にとってサッカーという競技はそれほど親しまれたものではありません。「そうそう、だって日本には野球があるんだから」という方もいらっしゃるかと思いますが、それも正解ではありません。サッカーをひとつの指標としてサッカーそのものの歴史、そして日本の歴史を紐解いていくと、スポーツ本来の概念が日本人の文化に馴染んでいないことに気付かされます。

サッカーや野球(ベースボール)が日本に伝来してきたのは明治時代だと言われています。どの競技も“健全な競技において体を動かし、エンジョイすることで、人生を豊かなものにする”というスポーツ本来の概念が備わったものですが、当時の日本は世界の諸外国に立ち向かうため「富国強兵」というスローガンのもと、強い軍隊を作るための強い国民を欲しておりました。これはある著名なライターから聞いた話ですが、軍国主義が走り出した日本にとって、スポーツ本来の概念を脇に追いやれば、国民を心身ともに育てる各競技は格好の素材だったとのこと。そこから、文字どおり「体育」というものが生まれ、今の学校教育のひとつとして受け継がれていると言われています。もちろん体育が日本の軍国主義の……などと言うつもりはありませんので、あしからず。

“命を奪わない戦争”、僕はスポーツをそう表現することがあります。 対戦相手を負かすために自らを鍛え、戦略を練り、弱点を突き、得点を奪う。でも、お互いの生死にかかわることはありません。そして戦い終えた後は、全力を出し切った者同士で健闘を称え合う。悔しさだってある、ジャッジによっては後味の悪いものになることも。でも、またチャレンジすることができる。それがスポーツ。アマかプロかは関係ありません、自身の人生をかけて戦うことができる、健全で貴重なシーンに出会えるのがスポーツの良いところだと思っています。

そうした文化的背景があるためか、日本はスポーツ本来の概念にイマイチ馴染めていない感が否めません。例えばプロ野球ですが、北海道日本ハムファイターズは日本ハムを、阪神タイガースは阪急・阪神グループを、読売巨人軍は文字どおり読売グループと、どのチームも企業を母体としています。これ、アメリカのプロスポーツチームやヨーロッパのクラブチームでは考えられないこと。なぜならば、彼らにとって企業はあくまでスポンサーであり、クラブはそれぞれの地域に根ざしたスポーツ振興のための組織なので、母体とはならないのです。日本にとっては企業母体がスタンダードではありますが、一方で母体である企業の経営が悪化すると廃部にされたり、売却といったことが起こります。現在の福岡ソフトバンクホークスだって、元々は大阪にあった南海ホークスがダイエーに売却されたもの。かつてのファンは、彼らが福岡の地で活躍するさまを複雑な心境で見ていることでしょう。

Jリーグは発祥当時、そうした企業母体とすることで起こる悲劇を生み出さないため、すべてのチームに地域名をつけることを義務づけました。結果としてプロ野球ほか、さまざまなプロスポーツチームがその動きにならい、地域密着型クラブというものが定着してきていますが、清水エスパルスのようにクラブが会社として運営されているチームはまだまだ少なく、Jリーグ百年構想のとおり、道のりはまだまだ長いな、という印象です。

“健全な競技において体を動かし、エンジョイすることで、人生を豊かなものにする”という、日本人に馴染みが薄いスポーツ本来の概念。ワールドカップはそうした基本概念ありきでこれまで開催されてきており、ベースとなっているサッカーのあり方も同様です。時代は移り変わっており、もしかしたら冒頭のような指導者がヨーロッパや南米にいないとも言い切れません。かつてF.C.バルセロナを率いていた名選手にして名将の誉れ高いヨハン・クライフは、1990年代初頭、「ここスペインでもテレビゲームばかりする子どもが増え、イマジネーション豊かな選手が育たなくなっている」 と嘆いていたのを覚えています。もしかしたら、こうした指導者問題は日本だけではないのかも。だからこそ、20年以上もサッカーという競技の魅力に取り憑かれてきた人間として、あえて言わせていただきます。

ワールドカップ観戦は、国民の義務です。

なぜならば、自国を代表するチームが参戦し、11人対11人で、ボールの数もピッチやゴールの大きさも一緒というまったく同じ条件のもと、どちらがより優れたサッカーを展開できるのかを世界中の人々が見守るなか、披露する舞台だからです。目指すはゴールのみ。どれだけカッコ悪くでも、どれだけ泥臭くても、相手よりも多くボールをゴールに転がり込ませることに腐心する。誰の命を奪うことなく、無慈悲なまでのジャッジと熱狂的な盛り上がりで優劣を決める、それがサッカー ワールドカップ。やや過激な物言いかもしれませんが、サッカーに興味がない、ワールドカップに興味がないことはさておき、“ワールドカップを見ない”というのは、「私は自分の国に対する誇りがありません」と言っているのと同じようなもの。それを、子どもたちを導く役割を背負った大人が平気な顔でやってしまうのは、論外という他ありません。

私たちの未来を担う子どもたちには、誇り高い日本人になることを目指してもらいたい。ワールドカップを観戦するということは、代表チームの戦いぶりを通じて何かを感じ取ってもらうことなのです。大人が率先して観ずして、何を伝えられるというのでしょうか。「代表選手よりも、コーチの俺が教えることの方が100倍マシ」とでも思っているとしたら、その方は指導者には不向きだと言えます。コートジボワール、ギリシャ、コロンビアといった屈強な対戦相手と向き合う代表選手たちから伝わる“何か”は、どの日本人も生み出せない貴重なオーラに他なりません。今、私はまだ子どもを持ってはいませんが、もし自分の子どもがいて、初戦の日に練習や試合があると言われたら、「そんなクラブは辞めてしまえ」と言うでしょう。

ブラジル大会に挑む日本代表チームのことをさんざんこき下ろしている私ですが、それでもグループリーグ3試合すべて観戦します。決勝トーナメントに進出すれば、スケジュールが許す限りチャンネルを合わせます。

だって、日本人ですから。
 

東京都台東区 盗難

このところ、関東圏での盗難が増えています。
ネットオークションなど部品として出品している可能性もあります。
仲間を通して情報を共有し、注意してください。

盗難場所/東京都台東区松が谷4丁目 言問通り付近路上
盗難日時/5月20日15:00~16:00
モデル/ハーレーダビッドソン XL1200S 白黒 00年式
車台番号/1HD1CHP13YK117482
登録番号/練馬 く 1624
特徴/マフラー黒く塗装したスーパートラップ、ジョッキー製ダブルシート、リアショック:WP、フロントフェンダー後部に“ゆるいクラシック系走行会”のステッカーが二枚
状況/---

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2014年5月25日日曜日

栄光は大西洋の彼方に…… =シメオネというリーダー像=

地力の差、という言葉で済ませるにはあまりにも儚い散りざまでした、アトレティコ。“判官贔屓”が好きな日本人気質ゆえか、首都の成金チームを憎悪する虎キチの血がそうさせるのか、試合前から「レアルにビッグイヤーを持っていかせたくない」という気持ちが強く、二強時代と言われるリーガ・エスパニョーラに今期風穴を空けたアトレティコに肩入れ応援をしていました。試合が終わった今、最後まであきらめずアディショナルタイムの同点ゴール、そしてギャレス・ベイルの逆転ゴールを生み出したレアルの戦いぶりには敬意を表したいです。

マルセロのゴールが決まるほんの数秒前に、アトレティコが力尽きたことをさとりました。バイタルエリアに緩やかなスピードでドリブルするマルセロ、しかしアトレティコのディフェンス陣は誰もチェックにいかなかったのです。おそらく、正しくは“いけなかった”のでしょう。勝つ気がなかったわけがありません、ただ動けなかったんです。延長後半戦を走り抜ける気力、体力は欠片も残っていなかったのでしょう。

満身創痍、そう感じさせるアトレティコ・マドリー。試合開始9分、エースのジエゴ・コスタをいきなり下げたディエゴ・シメオネ監督。今期のリーガ・エスパニョーラを制したチームでアンタッチャブルな存在であったジエゴ・コスタですが、怪我明けの強硬出場でもあり、コンディションがいかほどのものか心配されました。スタメンで起用していながら早々に下げたのは、ただならぬアクシデントに見舞われたか本来のパフォーマンスにはほど遠い状態だと判断されたか。彼がベンチで試合を観戦していた様子を見ると、おそらく後者だったのでしょう。
※追記:D・コスタの肉離れが再発したことと、あきらかなコンディション不良が交代を決めた理由だと、試合後のシメオネが語っていました

ほんの小さな歯車の狂いすら見逃さない目、それを看過しない徹底したチームづくり。最後の最後は力尽きてしまいましたが、僕はこのチャンピオンズリーグ決勝戦の舞台、ポルトガル・リスボンのピッチには、“11人のシメオネ”がいたのを見ました。

「少し前のアルゼンチン代表を見ているよう」

アトレティコのサッカーをこう評したのは、解説の清水秀彦さん。実に的を得た表現だと思います。いわゆる1990年代のアルゼンチン……シメオネが主軸として活躍した時代です。チームとしての戦い方から試合展開、駆け引き、追い込み方など、シメオネらしいチームです。

そのプレーひとつひとつから感じられたのは、“勝つための守備”。戦術やシステムといったものにとりわけ目新しさはなく、泥臭く、アグレッシブに囲い込んでボールを狩り、間隙を入れることなく前線へとボールを供給、ゴールを強奪する。まさしく現役時代のシメオネそのもの。まるで彼が11人に散りばめられた、チーム・シメオネだと言えるでしょう。

もちろん、リーガ制覇、そしてCL決勝進出を果たすには、それだけで勝ち進むことなどできません。ヨーロッパ主要リーグやこのCLなどは、資金力に秀でたメガクラブの独壇場となっているのが現状。チームの資金力だけで比較すれば、いくらエースのファルカオをモナコに売却した大金があるとはいえ、アトレティコのそれはレアルやバルサ、その他のメガクラブよりもはるかに少ないもの。それで今期の戦績を見れば、奇跡と言わざるを得ません。

この試合の最後、チームを侮辱したレアルの選手に対して激高したシメオネがピッチに飛び出し、退席処分を命じられました。その瞬間、「なるほど、だからアトレティコはここまで勝ち続けてこられたんだ」と納得できました。ゴールの喜びからユニフォームを脱いだだけでイエローカードを提示されるような今日このごろ、指揮官がピッチに乱入したらどうなるかぐらい、シメオネだって分かっているはず。しかしそれ以上に、“白い巨人”を相手にここまで戦い続けてきた自身のチームを侮辱されることは我慢ならなかったのでしょう。

ひとえに、シメオネがアトレティコというチームに注ぎ続けてきた情熱と愛情から生まれた行動だと思います。そしてそこまで愛されていることを日々感じ取っていたからこそ、“全試合完全燃焼”とも言えるガス欠必至の戦術を選手は受け入れ、最後の最後まで遂行しようと腐心していました。アディショナルタイムに追いついたレアルのゴール(よりにもよってセルヒオ・ラモス!)は執念が生んだ何物でもありませんが、そこからの延長戦は想定外。「プロならそれも考えて試合をしなきゃ」という声もあるでしょうけど、アトレティコの今期を振り返ると、ここまでたどり着いたこと自体が奇跡、夢物語。誰も彼らを責められません。

指揮官の明確なビジョンと、遂行しきった情熱。「俺たちは絶対にこう戦うんだ」というシメオネの揺るぎない想いから生まれたアトレティコ・マドリーという奇跡のチーム。もちろん、「その想いには賛同できない」という部下(選手)だっているでしょう。でも、みんなの意見をすべて聞き入れようと思ったら、短期間で組織を取りまとめることなど不可能。アンチェロッティ(レアル・マドリー監督)のような個性的な軍団をうまく組織に組み込むセンスの持ち主も存在しますが、サッカーチームであれ会社であれ政府であれ、“絶対にこうする”という指揮官の情熱の有無で、その組織の成熟度合いは変わるんだな、と感じ入りました。


来期、エースのジエゴ・コスタをはじめ主力のほとんどがメガクラブへと買い取られていき、このチームは解体することになります。ファルカオが抜けた穴をジエゴ・コスタが埋めたことは驚くべきことでしたが、そんな奇跡は何度も怒りません。そう、このアトレティコ・マドリーは今後二度と見ることができない、本当の“奇跡のチーム”だったのです。

この不世出のチームは、リスボンの地で偉大な栄光を手にすることなく、儚く消え去りました。それでも、小さなクラブでもここまでやれるんだ、チームとして戦うスタイルのひとつがこれだ、というものを見せてくれた彼らに、ただただ感謝したいです。アトレティコだけではありません、世界のサッカーシーンの盟主に恥じない不屈の精神を見せてくれたレアル・マドリーにも、です。

すばらしいゲームでした、2014 UEFA チャンピオンズリーグ ファイナル。
 

2014年5月22日木曜日

本田圭祐——新しいミランのナンバー10への期待

本田圭祐は、全然スゴくない。屈強な外国人選手相手でも当たり負けしないフィジカルとボールキープ力は高く、シュート力も日本人で言えばアベレージを超えている。キックの精度も高いから、プレースキッカーとしても計算できる選手です。しかし、このぐらいのレベルなら世界に出ればわんさかいるし、トップリーグになれば格上とも言える選手がゾロゾロいます。レベルが低いとは言わないけど、スゴい選手かと言われれば、決してそんなことはない。

そんな選手が、ACミランのナンバー10を背負っています。

僕がサッカーをはじめたキッカケは、漫画『キャプテン翼』でした。頑張ればゴールネットを突き破れるシュートが打てるかもしれない、頑張ればディフェンダーを蹴散らせるドリブルができるようになるかもしれない、頑張って全国大会に出れば空中殺法を使う双子とか心臓病を患っている天才プレーヤーと対戦するかもしれない。そんな無邪気な心意気でサッカーにはまっていたサッカー少年の僕に、リアルな世界のサッカーというものを見せてくれた人、それがミランの10番——ルート・フリットでした。

ときは1990年、国立競技場。トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ(クラブワールドカップの前身)、南米チャンピオンのオリンピア(パラグアイ)を、対峙するACミランは子供扱いをしているようでした。その中心にいたのが、ドレッドヘアーをなびかせる褐色の巨人、ルート・フリット(オランダ代表)だったのです。その巨体からは想像もできないほど軽やかなステップで相手を翻弄し、ディフェンス陣を切り刻んでいくさまは、『キャプテン翼』とは違うリアルな別世界のサッカー。今や僕が個人的に愛してやまないのは、地元の雄ヴィッセル神戸、敬愛するゲーリー・リネカーが在籍していたトットナム・ホットスパー(英ロンドン)、そして“我が魂”阪神タイガースなのですが、世界のサッカーを知る第一歩として脳裏に焼き付けられたのが、このミランの10番だったのです。

以降、ミランの10番はそうそうたる選手の名で継がれていきました。あのロベルト・バッジョにも10番を譲らなかった“ジェニオ”デヤン・サビチェビッチ、ポルトガルが生んだ天才ゲームメーカー マヌエル・ルイコスタ、クロアチアの英雄 ズボニミール・ボバン、現ミラン監督の“優勝請負人”クラレンス・セードルフ……。ほかにもすばらしい選手がミランには多く在籍していましたが、マンチェスター・ユナイテッドやレアル・マドリーならナンバー7、セレッソ大阪ならナンバー8と、それぞれのチームに伝統として受け継がれる背番号が存在します。それで言えば、ミランはやはり10番。バレージの6番、マルディーニの3番などと並び、数字以上の意味を持つバンディエラ(旗手)としての重みがある背番号なのです。

そう、ミランのナンバー10には、魔物が棲みついているのです。

歴代の名手という存在はもちろん、その背番号には100年以上にわたって代々応援してくれるサポーターの厳しい目が注がれます。「こいつは、俺たちのナンバー10にふさわしい選手か否か」、日本人の我々では想像もできないほどの愛情と憎悪で、値踏みされるのです。お眼鏡に適えば永遠の名誉が与えられ、その領域に達していないと判断されれば、チームを追い出されるまでに。彼らの愛情があったからこそ今のミランが存在するわけで、だからこそ彼らを納得させられる“ナンバー10にふさわしい選手”を連れてくることがフロントの課題でもあります。

昨今のミランは変わった、そう言われます。強豪クラブとしての伝統を語り継ぐべき名選手がチームを離れ、きちんとした育成をしてこなかったがゆえに戦い方そのものが軽くなっている。アリゴ・サッキがもたらした1990年代の革命はチームに新たな芽を生み、当時のミランは今で言うバルセロナのような最強チームとして、その名で恐れられていました。しかし、それも過去の遺産でしか語られなくなっているようです。

主力のほとんどを放出してしまったのは、経営難から。やはりこのクラスのメガクラブともなると、常にタイトル争いをしていないと運営は厳しくなっていく一方なのでしょう。この1〜2年でミランの顔ぶれはガラッと変わってしまいました。そんななか、本田圭祐がミラン加入、しかもナンバー10を受け取った……もとい、自ら志願した、という。

シャルケ(ドイツ)に移籍した前任者のボアテンクにも、「ちょっと10番は重かったかな?」という印象を抱いてはいましたが、今度は日本代表のキーマンがその座につくというじゃありませんか。色めき立つ、というよりは、正直なところ、一抹の寂しささえありました。確かに本田は、日本が世界に誇る名プレーヤーではありますが、ミランの10番となると、ちょっと次元が違うわけです。日本でトップクラスの選手であることは理解しつつも、じゃあ彼がクリスティアーノ・ロナウドやリオネル・メッシ、フランク・リベリ、ウェイン・ルーニーらと同列で語られるかと言われれば、それはまずないでしょう。あくまで“現時点では”と言わせていただきますが。

志願したから手にできるものではない、魔物が棲みつくミランのナンバー10。ところが、本田はいともカンタンに手にしてしまった。ええ、言わせていただきます、“いともカンタンに”です。もしマルディーニやバレージといった伝統を知る選手が在籍していたら「ちょっと待て、それはお前のものじゃない」と制していたことでしょう。彼がナンバー10を手にできたのは、要するに“そういうチーム状態だから”ということ。クラブ首脳陣でさえも、伝統を重んじるという気概を失ってしまっている、そう捉えていいでしょう。

だからといって、本田の価値が下がるわけではありません。

本田圭祐は日本でもトップクラスの選手であることに疑いの余地はありませんが、一方で世界基準で見れば、バロンドールの候補者に入るのもギリギリというところでしょう。冒頭でも述べたとおり、低くない能力の持ち主だけど、世界で見ればまだまだ。

本田圭祐のスゴいところは、強靭なメンタルです。

“出る杭は打たれる”日本という土壌で育ち、数々の挫折を味わいながらも己が信念を持ち続け、徹底した強化方針で自らを鍛え、今の場所へとたどり着きました。その経歴は、多くのサッカーファンの知るところでもあり、中田英寿に比肩する“努力の天才”でありながら、次世代を担う強靭なメンタルを備えた希有な選手。

そういう意味で言えば、本田圭祐のいる日本代表は強い。なぜならば、チームが追いつめられた土壇場で「大丈夫、まだ時間はある」と自信をもって言える不屈の精神が宿っているから。それを生み出したのは、若くして経験した挫折の数々。オランダ2部リーグからACミランのナンバー10までたどり着いた日本人、そのキャッチコピーだけで彼のスゴさが分かるというもの。

ナンバー10を志願したというのも、周辺の環境の緩さはあったでしょうが、本田には魔物と向き合う揺るぎないハートがあったのも事実だと思います。彼に、歴代名手や一瞬で憎悪の塊となるかもしれないサポーターの姿が背番号の向こうに見えていなかった……わけがないと思います。魑魅魍魎が染みついたナンバー10にあえて挑んだ本田圭祐のメンタルの強さを思うに、同じ日本人として、ただただ期待する気持ちばかりが膨らむのです。

ミラン歴代最低のナンバー10?
いいじゃないですか、むしろハクがつくぐらい。

この状況から悪評を吹き飛ばすほどの活躍を見せれば、どれだけ痛快か。きっと本田圭祐はそんなシーンを思い描きつつ、日々魔物と格闘しているのでしょう。一時も休まることがない彼の日常において、外野の戯れ言など耳には届いていないでしょう。歴代の名手すらも霞ませてしまう活躍をすればいいだけのこと——そう嘯きながらニヤリと笑っている本田圭祐が思い描かれます。

「ドーハ以降、選手はまるでサラリーマンみたいになっちまった」

先日、仲の良いカメラマンがそうつぶやきました。何十年も前から日本サッカーを撮り続けた彼の言葉はずしりと重くのしかかってきたのですが、あえて本田圭祐には期待したいのです。セリエA後半戦、そしてワールドカップという準備期間を経た彼が、サンシーロ・スタジアムで躍動する姿を見せてくれることを。

2014年5月21日水曜日

東京都日野市 盗難


盗難場所/東京都日野市万願寺 アパート駐輪場
盗難日時/4月24日 2:00~7:40
モデル/HONDA CBR1000RR 赤 08年式
車台番号/SC59-1010396
登録番号/八王子 と 4220
特 徴/MRAレーシングスクリーン、カーボンリアフェンダー、フロントフェンダーにMOTULのロゴシール、ステンレスブレーキホース、ETC付、クラッ チレバー先端の球に一部平面あり(転倒による擦り跡)、ハンドル付け根のホンダロゴ周辺にコンパスで描いたような金属同士の擦れ跡、シートに一部補修跡あ り
状況/ハンドルロック、バイクカバー

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東京都日野市 盗難



盗難場所/東京都日野市豊田 マンション駐輪場
盗難日時/4月19日18:00~20日18:00
モデル/YAMAHA VFR800-Ⅱ型 黒 12年式
車台番号/JH2RC46C06M800510
登録番号/ 八王子 な 1208
特徴:白バイ風バンパー付
状況:ハンドルロック、レッドバロンBL10

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2014年5月18日日曜日

カフェレーサー時代の到来? #04

前回、3本立てでお送りしたカフェレーサー記事。「カフェレーサー、流行ってるよね」という某カスタムビルダーの言葉を他人事のように聞いてまとめたのですが、よくよく思い出してみれば、特に昨年のカスタムショーからカフェレーサー仕様のスポーツスターって増えてたよなぁ、と思い出したのです(笑)。


そんなことを考えている最中、何気なく見たこのPVにビックリ!



B'zのヴォーカリスト稲葉浩志さんのソロ『Stay Free』のPVなんですが、ご本人がカフェレーサーで都内を疾走しまくっているではありませんか。しかもバイクがまたスゴイ。かつてゼロエンジニアリングの名を日本中に知らしめたビルダー、木村信也さん(現チャボエンジニアリング/アメリカ在住)が手がけたMVアグスタ。これ、一台いくらすると思っているのかと小一時間。

撮影場所は、ゲートブリッジやレインボーブリッジ、首都高速道路と、僕が雑誌やウェブの車両撮影時に用いているところばかり。バイクもライダーもカッコいい、撮影内容も編集能力も高いと、いろんな意味でズルいPVです(笑)。こういうところにも、カフェレーサーの潮流を感じずにはいられません。


そんなこんなで……過去に取材(撮影)した記事や写真データを見返してみると、出てくる出てくるカフェレーサー。文化としてはトライアンフやBSA、ノートン、日本では主にSRがベース車両に選ばれるカテゴリーですが、近年のハーレー……とりわけスポーツスター人気の高騰により、カフェレーサーというカテゴリーにまでカスタムの手が進出してきたというところでしょう。改めて、スポーツスターのカスタムっていろんなことができるんだなぁ、と感心した次第です。


というわけで、カフェレーサー スポーツスターをぞろぞろとご紹介していきましょう。ちなみに、一般的にカフェレーサーと言えばセパレートハンドル、そしてバックステップが装着されていることと言われます。が、ここでご紹介するスポーツスターに関してはその限りではなく、解釈の仕方にもよりますが、セパハン、バックステップ、ビキニカウルなどが装着されていることを前提とさせていただきます。


まずはこれ、RSD(ローランド・サンズ・デザイン)のコンプリートモデル。
RSD Caferacer
ラバーマウント スポーツスターをベースとしたカフェレーサー。特にRSDブランドで登場したセパハンキットが人気を博しており、H-D正規ディーラーでこれを用いたカフェレーサーモデルが続々と登場しておりますね。ちなみにこちらはXL1200X フォーティーエイトがベースのよう。限りなくレッドに近いピンクというカラーリングも斬新です。


H-D city nakano ver.01
そのRSD製セパハンキットでカスタムされた正規ディーラー、ハーレーダビッドソンシティ中野のカフェレーサー。ステップこそノーマルですが、レーシーでシャープなシルエットが美しいですね。このあとのメニューとしては、マフラーをメガホン型にして、ホイール換えて……というところでしょうか。


H-D city nakano ver.02
そのシティ中野がカフェレーサー第2弾として出したモデルがこれ。微妙に印象が異なるのは、フューエルタンクでしょう。上記はフォーティーエイト用のピーナッツタンクですが、こちらはXL883Nアイアンなどの12Lフューエルタンク。ノーマル状態のマウント位置でカラーリングだけオリジナルなのですが、そもそもノーマルのマウント位置が上すぎるので、ハンドルを低くすると猫背のようなシルエットになっちゃいます。ピーナッツタンクのマウントがどれだけ優れているかを証明してしまったようなもの。


unknown
こちらは名古屋のカスタムショー JOINTS (ジョインツ)で見かけたカフェレーサー。ショップ名を存じ上げないのですが(ごめんなさい)、セパハンにバックステップ、ビキニカウルという三枚板。独特の面構えもそうですが、攻撃的な印象のマフラーもイイですね。


SHIUN CRAFT WORKS
こちらは昨年の神戸ニューオーダーチョッパーショーに出展されていたシウン クラフトワークスのカフェレーサー。代表の松村友章さん曰く、「カフェレーサーはバックステップとセパハン、またはビキニカウル」とのこと。どちらかと言えばロケットカウルですが、松村さんらしい解釈のカフェレーサーですね。


KEN'S FACTORY
こちらは愛知の雄、ケンズファクトリーの一台。すべてのデザイン、カラーリングがこの一台をインパクトづけていますね。信号待ちでこれと並んだら、絶対にオーナーとは目を合わせません(笑)。


motorgarage GOODS
一昨年の大阪モーターサイクルショーに出展されたカスタムカフェレーサー。手がけたのは大阪のカスタムショップ、モーターガレージグッズ。今もそうですが、SRのカスタムショップとして名を馳せているので、カフェスタイルはお手の物でしょう。


motorgarage GOODS
こちらもグッズのカフェレーサー。昨年取材させていただいた一台です。独特のビンテージルックにまとめられたカフェレーサー、かなり面白いスタイルです。


motorgarage GOODS
こちらもグッズのカフェレーサーで、神戸で取材したユーザーさんのバイク。XLCRをイメージしつつも、グッズらしいテイストでまとめられていますね。カワサキの旧車のものというフューエルタンクを用いていたのが印象的でした。


MANXMAN GARAGE
カスタムショー×カフェレーサーと言えば、思い出すのがここマンクスマンガレージ。もはや定番化したこの一台ですが、どれだけ見ても見飽きないスタイルが魅力です。個人的には、リアホイールはディッシュ化したくないかな(笑)。


WESCO
画像を見ていて驚いたのがこれ、昨年のホットロッドカスタムショーのWESCOブースに展示されていたエヴォのカフェレーサー。WESCOがこんなバイクを持ち込むとは、実に驚きました。


RUDE ROD custom cycle
神戸のニューカマー、ルードロッドのフォーティーエイト カフェレーサーがこれ。エンジンのインパクトを強める目的か、タンクやフェンダーはもちろん、マフラーまでブラックアウト。セパハンキットはRSD製ですが、「ポジションが辛くならないように」と、そのままポン付けせず、ギリギリのところでマウントさせているという職人技が隠れた一台なのです。


BLACK CHROME BIKE WORKS
カフェレーサーというと趣が違うかもしれませんが、らしい解釈でまとめられたブラッククロームの一台。現代のストリートシーンを意識した、という意味でも、カフェレーサーにカテゴライズされるべきスタイルでしょう。


BLACK CHROME BIKE WORKS
同じくブラッククロームから、これまた個性的なカフェレーサーが。シャンパンゴールドのカラーリングとシートカウル、独特のハンドルバーと見どころ満載な一台、最近は各バイク雑誌で取り上げられるなど注目を増してきています。


HIDE MOTORCYCLE
このスタイルを得意とするショップとして、ヒデモーターサイクルを外すわけにはいきません。この一台は、ビルダー ヒデさんのセンスが最大限に発揮されたものと言えるでしょう。実際に試乗させてもらいましたが、なかなかタイトなポジションにされているものの、乗っていて楽しいですし、これで夜の都心を走り抜けたらテンションあがるだろうなぁ、と思いました。


user custom
こちらは埼玉スポーツスターミーティングにて取材したユーザーカスタムのカフェレーサー。といっても、そのほとんどは馴染みのペイントショップが手がけてくれたのだそう。スポーツスターでカフェレーサーに、という取り組みをしていけば、自ずとこういうスタイルになる……という好例でしょうか。


user custom
こちらもイベント取材時に撮影したユーザーのカフェレーサー。すべてオーナー自身がパーツを取り寄せてカスタムしたのだそう。ここまでまとめられるセンスと手腕はお見事!


BMW Motorrad Concept Ninety
そして、番外編と言ったら語弊があるかもしれませんが、ある意味今のカスタムシーンを牽引する存在とも言えるのがこれ、BMW Motorrad Concept Ninety。冒頭のビルダー、ローランド・サンズがアドバイザーを務めた至高の一台は、そのプロジェクト発表とともに世界に衝撃を与えました。そして彼らが選んだスタイルがカフェレーサーだったというのは、流行の最先端がこれだと彼らが嗅ぎ取ったからに他なりません。


ritmo-sereno
そのConcept Ninetyのイメージソースとも言われるのがこれ、西東京のヨーロッパ系モーターサイクル カスタムショップ リトモセレーノのR90S レーサー。日本のセンス、日本のカスタムシーンが世界から注目を集めている象徴とも言える一台です。


ritmo-sereno
リトモセレーノ(というよりは、現46works代表の中嶋志朗さん)が得意なカフェレーサースタイル。辿っていけばここに来るのか……という印象を抱かずにはいられません。もともとはイギリス発祥の文化ながら、日本のモーターサイクルシーンでさらなる進化を遂げたカフェレーサー。

現在の流行の震源地は主にヨーロッパ、そしてアメリカのようですが、まわりまわって日本が中心となる日が来るかもしれませんね。特に海外メーカーがストリート、カフェレーサーをテーマとするモデルを手がけていることから、その流れが日本に流入してくることで、新しいカルチャーとして若いライダーを刺激してくれるかも。

今後も日本と海外、両方のカスタムシーンに注目していこうと思います。
 


2014年5月16日金曜日

連載スタート

ライフスタイル総合ウェブサイト All About (オールアバウト)にて、バイクガイドの任をたまわることになり、5月13日(火)より連載をスタートさせていただいております。基本的にハーレーダビッドソンをはじめとする海外メーカー系モーターサイクル(BMW、ドゥカティ、トライアンフ、KTMなどなど)を主に担当します。



>> All About ハーレーダビッドソン

13日は初回ということで一挙3本のコンテンツを更新しました。以降、来週より週一ペースで進めていきます。今年4月にフリーランスとしての活動を開始した僕にとって、もっとも大きな試みのひとつです。

そもそものご縁は、こちらで同じくバイクガイドをされている相京雅行さんとのお付き合いから。彼は東京・江戸川のバイクパーツメーカー ワールドウォークの代表をつとめる方で、僕がハーレーダビッドソン専門ウェブサイトを担当していた頃からのお付き合いになります。相京さんよりAll Aboutのことはいつも聞いていて、当時担当していたサイトと何か連携できるか?などいろいろ考えたものでした。

All Aboutは、バイク系コンテンツの不足を懸念していたのです。

「ライフスタイル」という幅広いカテゴリーに興味を持つ層に対して、編集部自らではなく、その道のプロに執筆をお願いし、その人でなければ語れない、All Aboutじゃないと読めないコンテンツを配信するAll Aboutですが、モーターサイクルの分野に対しては攻めあぐねていました。担当者曰く「あまりに趣味性の高い分野なので、どの人にどうアプローチすべきなのか、見当がつきませんでした」とのことでした。確かにクルマの世界と違い、実用性という言葉とはほど遠いモーターサイクルの世界。特にAll Aboutがカバーしたいと思っていたハーレーダビッドソンについては、人気の高さこそ随一なものの、一方でより特異な世界観を持ったメーカーでもあり、攻めどころが分からなかったというのはあったでしょう。

そして、モーターサイクル業界のウェブに対する疎さという側面も。本業界におけるメディアの最高峰は、雑誌、いわゆる紙媒体です。高い趣味性の世界においてエッジのきいた雑誌が数多く存在し、それぞれが独特のメディア観を持ち合わせています。一方で、ウェブに対するレスポンスが鈍い……言い換えれば、変化への対応力が弱い印象が否めません。なまじ特異性のある世界ゆえか、はたまた歴史の長さゆえか、新たなメディアツールとして台頭してきたインターネット、ウェブというものに対して、一般社会および他の業界と比べてもかなり遅れた対応をしているところ(出版社)が多々存在します。私が在籍していた会社の前社長はIT関係の出身者でしたし、担当していたハーレーダビッドソン専門ウェブサイトは今や雑誌をしのぐ価値観を有する、唯一無二にして希有な媒体でもありました。そんなウェブサイトを立ち上げ、運営してきた方々は、モーターサイクル業界とは無縁の、まったく新しいアプローチからこのウェブサイトを立ち上げたということも大きかったでしょう。ゆえに、僕自身、モーターサイクル業界のメディアという立場にありながら、意識の乖離を常に感じていたのです。

All Aboutも、やたらと巨大なハーレー専門ウェブサイトの存在はご存知でした。その担当者だった人間(僕ですね)が独立、アプローチしてきたということで、かなりポジティブな感じでいろいろとお話を伺うことができました。そして、今回の任を拝命させていただくことに相成ったのです。

前述しましたが、All Aboutでの活動は、僕にとって新たなチャレンジです。理由はふたつ。自身のストロングポイントである“ウェブに対する強み”がモーターサイクルというカテゴリーで活かせること、そしてこれまで接してきたのとはまったく違うユーザー層に対して、経験を活かしつつも異なるアプローチをせねばならないこと、です。

僕自身、昔から馴染みの雑誌を買い続けているマガジンジャンキーであることから、ことモーターサイクル業界においてもあらゆる雑誌には今まで以上に楽しく活動していって欲しいと思います。一方で、「もっとウェブをうまく活用すればいいのに」とも。どのメディアも、媒体タイトル=雑誌と考えられていますが、そうではありません。媒体タイトル=ブランドで、ただアウトプットする形が「雑誌」か「ウェブ」かその他か、というだけです。あとは使い方、使い分けだけ。もちろん、ファッション誌などの一般雑誌も紙とウェブの両立がなかなかうまくいかず苦労しているようですが、常にウェブ側からアプローチをしてきた僕としては、ちょっと難しく考えすぎじゃない?とも。

ウェブは「鮮度を重視した最新情報」がメインで、雑誌は「クオリティ、質」に重きを置き、使い分ければ良いのだと思います。言うは易く……かもしれませんが、それぞれの編集長が媒体タイトル=ブランドだという認識のもと、動き方を根本的に変えれば、その媒体は確実に“イチ抜けた”状態になるでしょう。最近は、「どこがイチ抜けるかな?」と眺めるのが楽しみになってきてはいますが(笑)。

今までとは異なるユーザー層に対して新しいアプローチを試みる、という点でもワクワクしています。今まで担当していたウェブサイトは、Googleで「ハーレー」と検索すると上位にヒットするSEOの強さを持ち合わせていましたが、たどり着いてもらうにはハーレーを検索ワードとしてもらう……言い換えれば、ハーレーに興味を持ってもらうことが前提になっていました。

All Aboutに来られているユーザーは違います。彼らのなかには、まだハーレーダビッドソンという選択肢自体が存在しません。しかし、「今以上にライフスタイルを充実させたい」というアクティブなハートがあります。そんな人たちに「ハーレーダビッドソンって面白いよ」「モーターサイクルに乗ると楽しいよ」とアプローチしていくのです。そう、世間一般を対象とした場合、ハーレーダビッドソンに興味を持っている人が10人にひとりだとしたら、以前ならそのひとり(の集合体)に対してさまざまな情報を提供していました。しかしAll Aboutでは、その他の9人に対してアプローチを試みるわけです。“まったく異なるユーザー層”の内訳はこういうことなのです。

ハーレーダビッドソンに乗る、BMW Motorradに乗る、ドゥカティに乗る、トライアンフに乗る……。
一般の方からすれば、「まず免許を取らなくてはならない」、「ウン百万円もするバイクを買わなくてはならない」、「保管場所を確保せねばならない」、「維持費だってかかる」、「家族の理解だって得なきゃ」などなど、超えねばならない高いハードルがいくつもあり、容易に手が出せる趣味ではないことでしょう。でも、僕もそうですが、そうしたハードルはハートひとつで「あらよっと」とひとっ飛びできるもの。ちょっとしたキッカケで得られる軽やかなメンタルを提供できれば、これほど楽しい仕事はないわけです。楽しくないわけがない!

当面は、ハーレーダビッドソンのニューモデルインプレッションを中心にコンテンツ展開をしていきますが、ある程度落ち着いてきたら、その他メーカーのインプレッションはもちろん、“ライフスタイルという側面から楽しむモーターサイクルの世界”というものをご紹介していきたいと思います。

もちろん、僕自身が楽しみながら!

いろいろ企んでいることがありますので、乞うご期待!
 

>> All About ハーレーダビッドソン
 

2014年5月15日木曜日

バイク盗難情報に関するサイト

あくまで個人運営ということではありますが、公的機関——警察と接点を持ち、自身が得た情報を精査してバイク盗難事件に関する捜査に提供、諸々協力しているハンドルネーム sakuraさん管理の情報サイト『盗難車情報ネットワーク』というものがあります。

>> 盗難車情報ネットワーク

sakuraさん独自のネットワークで入手した情報を掲載するサイトで、彼自身が得たものはもちろん、被害者からの通報も取り扱っています。

>> sakuraさんへの連絡先はこちら

以前私が担当していたハーレーダビッドソン専門ウェブサイトのなかにあるバイク盗難情報のサイトとリンクさせ、啓蒙活動の一環として広く情報発信し、バイク盗難に対する警戒心を呼びかけていました(そちらのサイトは現在休止状態のようです)。

本来なら、こうした捜査に民間の人間がここまで関与するのはあまりないことですが、sakuraさんほか、このバイク盗難事件について何年も前から対策活動を行ってきた方々の協力体制の大きさから、警察(警視庁)もこうして連携しているのです。

活動を行うことでお金を得る——そんなことはありません。彼らは無償で精力的に動き、ときには捜査班と行動をともにすることもあります。実際、彼らと接点を持つ私は、彼らから捜査の生々しい模様を何度も聞かされています。数年前、バイク窃盗グループの活動がぱたりと途絶えた(一部の連中が”トカゲの尻尾切り”に遭い、ほかは大陸に戻っていったよう)のも、彼らの働きがあってこそ、とも。

sakuraさんはじめ、彼らは皆、自身の愛車を盗まれた経験を持つ被害者なのです。

会社帰り、自宅の駐車場を見たらバイクが消えていた。
ある朝、出勤時に車庫を見たら愛車の姿が見えなかった。
立ち寄り先に数十分置いただけなのに、戻ってきたら持ち去られていた。


彼ら全員が、そんな盗難被害の経験者なのです。だからこそ被害者の心の痛みが分かるし、誰のものであれ人様のバイクを盗む輩は絶対に許せない。復讐と形容してかまわないでしょう、強靭なメンタルというわけではなく、人を無条件で突き動かす負のパワー。それなくして、無償でこれほどの活動はできません。

私自身はというと、盗難被害の経験はありません。が、そんな彼らから彼ら自身の体験ほか、合同捜査で味わった数々の体験談、寄せられる被害者の声など、さまざまな話を聞かせてもらいました。そうして、被害に遭ったことはありませんが、被害者に限りなく近い警戒心と恐怖を植え付けられました。


同じ被害経験を持つ者として、バイク盗難事件をひとつでも多く潰すために活動している彼らの情報集約サイト『盗難車情報ネットワーク』。被害に遭われた方はもちろんですが、まだ被害に遭われていないライダー諸兄も、以下の項目をご一読いただければ幸いです。

 
もし自分がバイク盗難被害に遭ったら……
【1】 SNSを使っての情報シェアは控える

昨今、FacebookやTwitterなどのSNSを利用しての盗難被害情報の拡散をよく見かけます。
が、あれはある意味逆効果でもあります。
というのも、そうした拡散情報が窃盗グループの手に届くこともあるからです。
そうした際、連中に気付かれないよう近づいている捜査班の動きが先読みされる、なんでことも起こりえます。sakuraさん曰く、実際にそうしたケースもあったとか。
被害に遭われて、藁をも掴む思いで発信する……気持ちは痛いほど分かりますが、結果的に逆効果になるのであれば、やるべきではありません。

【2】 警察への届け出に加え、sakuraさんへの打診を
前述したとおり、sakuraさんはじめ活動しているグループは公的機関ともつながっています。直接的に何か具体的なアクションが起こるわけではありませんが、現場の警察官による儀式的な捜査よりは効果はあるでしょう。
どことは言いませんが、地域によってはバイク盗難事件に対してネガティブなところもあるのです。クルマと違って実用性に欠けるバイクについては、「バイク? 趣味のものでしょ」と表面的な調書を取るだけで終わる所轄もあるとか。

>> sakuraさんへの連絡先はこちら

【注意】 sakuraさんに打診したからといって
盗まれたバイクが必ず見つかるわけではありません

【2】でも添え書きしましたが、sakuraさんへ連絡したからといって、「これで安心。きっと見つかる」とは思わないでください。彼らとて、見つからなかったときの責任まで負えないからです。愛車が手元から消え、何も手がつかない状態になって精神的にも落ち着きを失うことでしょう。誰かにすがりたい、この事態を魔法のような力で一瞬で解決してもらいたい……。その想いが、ときには刃となることがあります。その矛先はあらゆる方向に向けられるかもしれません。
しかし、繰り返しますが、sakuraさんたちはあくまで有志のグループであり、それによって金銭を得たりはしていません。活動の100パーセントが善意のものということをご理解ください。



そこで、この写真です。これ、カスタム前のハーレーダビッドソン・ソフテイルではありません。何年か前に発生したというバイク盗難事件のわずか数時 間後に発見された盗難車の姿です。全国二輪車環境改善ネットワーク sakuraさんより、「ブログ紹介で使っても大丈夫だよ」とご提供いただいたもの。見事にフレームとエンジンだけにされています。ファイルを開けた瞬 間、絶句してしまいました。


ことバイク盗難事件において、誰より罪が重いのは窃盗犯です。
被害者に非はありません。
愛車は、ただのバイクではありません。
オーナーが「これぞ」と想いを吹き込んだ友人そのものなのです。
そんなバイクを盗む輩は、厳罰に値します。
それを踏まえたうえで、言わせてください。


愛車を守るのは、オーナー自身だ、と。

いるはずの場所に、いるべき愛車がいない。
ほんのちょっと置いておくだけだったのに、戻ったら姿が消えていた。

まだ被害に遭われていない方は、ぜひこのことを想像してみてください。
想像するだけで、背筋に寒いものが走るかと思います。
怖がらせたいわけではありません。
ただ、「自分は大丈夫だろう」というのはただの妄信で、ある日あなた自身が被害者になることだってあるんです。なぜならば、実際に被害に遭われた方々は皆「まさか自分が被害に遭うなんて」と言っているのですから。


2014年5月15日現在、大手新聞各社で記事が出ているとおり、関東周辺でバイク盗難事件が多発しています。主に海外メーカー系の大型バイクが被害に遭っている模様。オーナーの皆さんは改めて警戒のほど、よろしくお願いします。

>> 盗難車情報ネットワーク
 

2014年5月14日水曜日

VICTORY JUDGE

先日、アメリカンホイールジャンキーのためのフリーマガジン オンザロードマガジンの撮影にて、新しいアメリカンモーターサイクル VICTORY(ヴィクトリー)のJUDGE(ジャッジ)に試乗してきました。

VICTORY JUDGE

ハーレーダビッドソンやインディアンなど、古くから存在するメーカーと違い、このヴィクトリーはまったく新しいアメリカのモーターサイクルメー カー。正直なところ、バイク乗りの方でもあまり馴染みのないメーカー名かと思いますが、先の大阪・東京モーターサイクルショーにて、インディアンなどとともにブース出展しており、巷で注目を集めつつあります。

今回は昨日登録が完了したばかりというおろしたての試乗車をお借りしての撮影だったのですが、ファットタイヤを履いた前後16インチというスタイルに容量17.8リットルのフューエルタンク、ワイドなハンドル、そしてフォワードコントロールと、さまざまなハーレーダビッドソンのモデルに乗ってきた身としては、決して珍しいものではありませんでした。酷似するモデルとしては、近年登場したFLS ソフテイルスリムでしょう。いわゆる昔ながらのFLスタイルで、しかしながらその足まわりやハンドリングは軽快な取り回しを生み出し、「え? これがソフテイル?」と思わされるコントロールを味わわせてくれます。

このジャッジというモーターサイクルも、ソフテイルスリム同様にスポーティなノリ味を楽しませてくれました。もちろん、国産系や他海外メーカー系のスポーツorネイキッドと比べるべくもないですが、クルーザーをベースにしながらこの軽快さは乗っていて実に楽しいですし、日本人はこういう点を重視しますからね。
 
注目していただきたいのはココ、リアタイヤのサイズ。ハーレーのビッグツイン系や現代のスーパースポーツなどはますますワイド化していますが、 このジャッジのリアタイヤの幅は140ミリ。ハーレーダビッドソンのスポーツスターモデルはすべて150ミリのタイヤを履いているので(後のタイヤ交換で 130ミリにすることが可)、最近のビッグバイクの傾向とは異なる趣きを持ち合わせているわけです。

リアタイヤが細いということは、コーナリングの際、車体を寝かせ込みやすくなります。モーターサイクルは曲がる際、ハンドルではなく車体を倒し 込んで曲がっていきます。そういう意味でリアが細いというのはコントロールするうえでもメリットが多いですし、かつてリアタイヤが細かった昔のモーターサ イクル……ヴィンテージモデルへのオマージュとも言えるでしょう。
 
 
もちろん、リアが細ければそれで良いというわけではありません。フレーム剛性、ホイールベースなどさまざまな部位が組み合わさった構造ありき。 このFLスタイルはアメリカが生んだ絶妙なバランスの仕様なわけですが、同じ前後16インチのファットタイヤというXL1200X フォーティーエイトは、FLS ソフテイルスリムとは違いかなりクセのある乗り味です。決して乗りにくくはないですが、いわゆる応用編モデルなだけに、基本的な仕様(現行ラインナップからは姿を消したXL883など)を知ったうえで乗ってみるのがベストだとは思います。

話をジャッジに戻しましょう。個人的に気になったのは、ハンドルとステップ位置。ワイドハンドルはアリなのですが、いかんせん位置が遠い。身長174センチの僕でも「遠いな」と感じたほど。ここはやはり、“アメリカ人のためのバイク”ということなのでしょう。フォワードコントロールというステッ プ位置も同様。FXDWG ワイドグライドほど突き出てはいないのですが、やはりミッドコントロールぐらいの位置が車体をコントロールするのにちょうど良いと思います。

面白かったのは、ディテールですね。スイッチボックスやトリプルツリー、ウインカーなどのデザインが、アメリカンクルーザーとしては考えられないモダン化しているのです。一見すると、「なんでこんなデザインになるんだ?」という違和感しか残りませんが、よくよく見てみると、デザインというよりは剛性を意識したつくりなんですね。

そう、これらディテールは、いわゆるスーパースポーツ系バイクといった最新のモーターサイクルに取り入れられている仕様のようです。そうする と、この巨体ながら「スポーティな乗り味を楽しんで欲しい」というヴィクトリー モーターサイクルの狙いが垣間見えるよう。ヴィクトリーならではのスポーツクルーザー、そういうことなのでしょう。


今のところ、直営店はヴィクトリー東京(世田谷区)とヴィクトリー名古屋だけなので、なかなか試乗する機会には恵まれないかもしれないですが、興味がある方は一度試してみてください。こういうクルーザーの定義もあるんだな、という発見につながることでしょう。

ウィリーGを知る

ハーレーダビッドソンというモーターサイクルメーカーは、1903年、アメリカ ウィスコンシン州にあるミルウォーキーという小さな街で産声をあげました。今で言うところの電動自転車の発想で、エンジンを積んだ自転車の開発&販売を目的に、ウィリアム S ハーレーとダビッドソン3人兄弟がハーレーダビッドソン モーターカンパニーを発足。以来、110年以上にわたって世界中に自社製品を供給し続けています。

ハーレーダビッドソンよりも2年前に発足したのがインディアンモーターサイクル(1901年)、そして1年前に生まれたのが英トライアンフ(1902 年)。いずれも世界にその名を知らしめる老舗メーカーばかりですが、どちらも一度は倒産の憂き目にあい、その歴史を途切れさせています。そう、100年以上も途切れることなく運営され続けているモーターサイクルメーカーは、世界でハーレーダビッドソンだけなのです(BMWが先頃90周年を迎えましたが、その話はまたの機会に)。

そんなハーレーダビッドソンも、かつて経営難に陥ったことがありました。ときは1968年、日本は昭和43年にあたる年で、アメリカはベトナム戦争の真っ 最中。この年、ハーレーダビッドソンは米 大手機械メーカー AMFと業務提携を結び……要するに、AMFという大企業の傘下に入ったわけです。ちなみにモーターサイクル ムービーの金字塔として知られる映画『イージー・ライダー』はこの翌年(1969年)に封切りされています。

AMF時代は、ハーレーダビッドソンの110年を語るうえで黒歴史とも言える部分。いわゆる、今も言われる「ハーレーダビッドソンは壊れやすい」というイ メージが色濃くついてしまったのがこのAMF時代で、経営の主導権がこの大手企業の手にわたったことにより、モーターサイクルの品質が著しく低下してし まったと言われています。

ウィリアム G ダビッドソン “ウィリーG”
そんな渦中で、よりよいハーレーダビッドソンを生み出そうと腐心していたのが、ウィリアム G ダビッドソン、通称ウィリーGでした。創業メンバーのひとり、ウィリアム A ダビッドソンの孫です。

当時は、ショベルヘッドエンジンを搭載したグライド系やFL系、そしてスポーツスターの祖先にあたるXL系(いわゆるアイアン)というタイプに分かれてい ましたが、「FLにXLのスポーツ性能を備えた新しいカテゴリー」となるFX系モデルのベースを世に送り込んだのが、このウィリーGです。現代のダイナ ファミリーの礎を築いたわけですね。FX スーパーグライド(今のFXD ダイナ スーパーグライド)、FXS ローライダー(今のFXDL ダイナ ローライダー)、H-D唯一のカフェレーサー XLCRというモデルを手がけたのも彼。現行ラインナップに、XL1200X フォーティーエイトやXL1200V セブンティーツーといった、ファクトリーカスタムモデルというメーカー提案型カスタムバイクが並んでいますが、この1960~70年代当時において、この FX系モデルはまさしくファクトリーカスタムモデルの先駆けでもあったのです。

FXS Low Rider 1977
そんなAMF時代の最中をH-Dカンパニーで過ごしたウィリーGは、1970年代後半、12人のH-Dカンパニー重役らとともに立ち上がります。AMFか ら株をすべて買い取り、再度独立を果たしたのです。いわゆるバイバック(買い戻し)ですね。これ、改めてその試みを想像してみるに、ものすごいパワーを要 する事案だったことが分かります。“分かります”なんて言葉が軽々しく思えるほどの情熱に突き動かされた彼ら13人の重役により、ハーレーダビッドソン モーターカンパニーは再び立ち上がり、単独モーターサイクルメーカーとして独自の道を歩み出しました。

現代において、企業買収は日常茶飯事となりつつあります。かつて私が勤めていた会社も買収されたことがあり、社風は大きく変わりました。それは決して不幸なことではなく、融合するうえで必要不可欠な変化の波だと思うところではありますが、じゃあH-Dカンパニーのように「いや、これは私たち本来のあるべき姿ではない。私たちのブランドは、私たちにしか分からない。改めて独り立ちせねば」というパッションとともに、バイバックできる企業がはたしてどれだけあるでしょうか。そうしたことを想像するに、カンパニーとしてバイバックを敢行したことは偉業であり、称賛に値すると思うのです。
2013年8月、H-D 110th 記念祭での取材にて

昨年(2013年)8月、創業110周年を迎えたハーレーダビッドソン アニバーサリーセレブレーションというミルウォーキーでの一大イベントにメディアとしてご招待いただき、“生きる伝説”ウィリーGその人にお会いでき、インタビューまでさせていただきました。

2012年、H-Dカンパニーからの引退を表明し、H-Dブランドのさらなる発展に寄与するアンバサダーに就任したウィリーG。第一線から退いたわけではありますが、今なお世界中のモーターサイクリストに愛され、尊敬される長老として存在し続けていらっしゃいます。こんな偉人にお会いできる機会が持てて、 自分は本当に幸せな仕事をしているなぁ、と実感した次第です。


日本ではあまり馴染みのない方かもしれませんが、ハーレーダビッドソンの歴史を振り返ったとき、彼の存在なくして今のH-Dカンパニーは存在しないと断言できるでしょう。そう、今ハーレーダビッドソンのオーナーとして日々楽しまれている皆さんの愛車を生み出したのは、その歴史を途切れさせることなく伝統を 守り抜いた人たちであり、ウィリーGはそうした壮大な歴史の一部を担う、文字どおり“伝説の人”なのです。僕自身もハーレーダビッドソン(2008 Sportster XL1200R)に乗る人間として、改めてウィリーGに敬意を表したいと思う今日このごろです。

日本代表への期待値があがらない

4年前、2010年ワールドカップ 南アフリカ大会にて、日本代表は前評判をくつがえし、決勝トーナメント進出、ベスト16入りという好成績を収めました。本大会までの強化試合の結果は散々なもので、特に直前の韓国戦では逆転負けを喫するという醜態をさらすほど。相手の実力が上だったと言えばそれまでですが、強化試合で問われるべきは“内容”。逆転されたという事実もそうですが、チームとしてどこを目指しているのか、本大会でどんな戦い方を見せてくれるのかまったく分からない状態で、この日韓戦後の記者会見に登場した岡田武史監督(当時)からは覇気の欠片も見えず、「ああ、今回のワールドカップもボコボコにされるんだろうな」と思ったのを覚えています。

 “今回も”と言ったのは、その4年前、2006年ドイツ大会の結果から。ジーコ監督率いる日本代表は、直前の強化試合のひとつドイツ戦ですばらしいパ フォーマンスを披露し、本大会への期待値を上げに上げて挑みました。結果は1分け2敗。グループリーグ第3戦のブラジル戦は悪くない試合でしたが、土壇場での逆転負けを喫した初戦のオーストラリア戦、灼熱の太陽が照らすディゲームで消耗戦を繰り広げたクロアチア戦と、およそワールドカップに挑もうというチャレンジャーな姿勢は欠片も見えない低調なパフォーマンスに終始した日本代表。まぁ最大の要因は、日本との時差を考え、ゴールデンタイムに試合を見れるようにとFIFAに口出しをして第1戦、第2戦とを無理矢理ディゲームにした某広告代理店にあるでしょう。「日本の広告代理店のせいで、こんな目に遭ったんだ」と吐き捨てたクロアチアの主将ニコ・コバチの顔がいまだに忘れられません。


日本代表は、彼らにとってただのビジネスなのでしょう。

もちろん日本サッカー協会だって、これらの件には大いに絡んでいます。もはや今の協会には「日本代表を強くしよう」という志を持った人はおらず、どれだけ儲けられるか、どれだけ稼げるかしか考えていない打算的な組織に成り下がっているのです。こうした裏話はただの酒の肴であって、日本代表の周辺環境を見ていれば、本気で強くする気がないことぐらい容易に察しがつきます。

閑話休題。

「日本代表は強くなった」、そんな声をよく耳にします。確かに、「おぉ、これは……」と思わされるシーンは一度や二度ではなく、それも強豪国相手に魅せてくれることも珍しくありません。アジアカップでも連覇を達成するなど“アジアの強豪国”の座は揺るぎないものになっており、アジア予選と世界大会ではシフ トチェンジせねばならないものの、それでも見据えるのは世界の強豪国であり、ワールドカップなどの世界大会でどれだけ上位に進出できるか、になってきました。足掻けど足掻けどワールドカップに出られなかった時代が懐かしく思えるほどに。

前回のベスト16達成を踏まえ、今回のブラジル大会ではベスト8、またはそれ以上という声が聞こえてきます。カンタンではありません。南アフリカ大会のと きを思い出せば分かりますが、当初は「いかにグループリーグを勝ち抜くか」、つまり確約している対戦国3つをどう倒すべきか、に焦点が絞られていました。

グループリーグを突破するためには、2勝1分け、悪くても2勝1敗、1勝2分けぐらいの戦果を手にせねばなりません。コートジボワール、ギリシャ、コロンビアという国名を聞けば、その理想がどれだけ困難なことか、サッカー通の方ならお分かりになるかと思います。

ベスト8以上となると、さらにその先の戦い方まで想定せねばならないのです。そう、グループリーグで力を出し切ったら(消耗しきったら)、さらなる強敵が 現れる決勝トーナメントで駒を進めることなど不可能。本田や長友が「ワールドカップで優勝する」と言ってくれるのは頼もしい限りなのですが、一方で決勝 トーナメントを勝ち上がることというのは、こうした解析をするだけで極めて困難なことであることが伺えます。

だからこそ、まるで期待値があがらないのです。

2010年当時と比べて、今の日本代表(2014年バージョン)はどれだけ変わったでしょうか? 最終メンバーに入れなかった香川真司は背番号10を背負ってチームの中心選手となり、まだまだ発展途上段階だった本田や長友、岡崎らはヨーロッパを主戦場 とする日常を送るようになりました。スターティングメンバーを見ると、所属クラブ名はほとんど海外リーグのそれ。2010年当時は片手ぐらいの数しかいな かった海外組が、メンバー表を埋め尽くすほどに増えた。これは大きな飛躍だと思います。

一方で、チームとしての戦い方や成熟度は何もあがっていないように思います。

アルベルト・ザッケローニと言えば、超攻撃的フォーメーション 3-4-3システムの使い手としてご存知の方も多いでしょう。ウディネーゼでの成功例をかなり強引にACミランにも取り入れ(主力だったビアホフらまで引 き連れてきて)、一時は批判がありつつも、貫き通してタイトルをもたらした人物。それが、僕の知るザッケローニです。

今という時代、今の日本代表の面々にザッケローニ流3-4-3がフィットするのか否か、就任当初の見どころのひとつではありました。ところが、4年の任期 のなかでこのシステムを導入したのは片手で数えられるほど。ちょっと試してみて、フィットしないと見るや否や従来の4-2-3-1に戻してしまう。結局、 これまでの4年間でザッケローニらしい采配や戦い方は一度も見られませんでした。

ザッケローニが就任したときのことを思い返してみると、それもまた致し方なしか、とも思います。南アフリカ大会で決勝トーナメントに進出、ベスト16とい う好成績とともに帰国した日本代表でしたが、当初の予定どおり岡田武史監督は退任。協会から留意を求められるも、固辞したと言います(直前まで協会の誰も が彼をフォローしなかったのですから、当然っちゃあ当然でしょう)。

数カ月ほどのあいだ、代表監督の座が空席のままだったことを覚えていらっしゃいますでしょうか。そう、日本サッカー協会はワールドカップ後の次期監督を決めていなかったのです。一時はアルゼンチンのビエルサという名将の名があがりましたが、あっさりと断られました。以降、さまざまな方に打診するも断られる 協会。そんな折り、フリーだったザッケローニの代理人から「ザッケローニを雇ってみないか?」との声が。当時、監督がいないまま代表戦を実施する協会に対して批判の声があがりだしていました。おそらく協会は、藁をも掴む思いだったのでしょう。ネームバリューで言えばワールドクラスのザッケローニということもあり、「彼が今の代表チームにとってベストな人選なのか」、「彼がどれだけ日本に対して理解を示し、代表チームの強化に対して腐心してくれるのか」といったことをほとんど煮詰めないまま、“就任させてしまった”のです。

それを思えば、今の状況は想定内。

日本代表は、確かに強くなりました。しかし4年前のチームと比べると、あくまで個人でのレベルアップがほとんどで、「チームとしてどう戦うのか」、「日本サッカーのあるべき姿とは」というものは一度も見たことがありません。かつてイビチャ・オシムは、日本サッカーのあるべき姿として、“どこにも走り負けな いサッカー”ができるチームづくりを実施しました。それが完成形を示すまで彼は在籍できませんでしたが(体調不良のため辞任)、国内……Jリーガーを中心 に”走れる選手”“チームに尽くせる選手”を集め、90分間あきらめない不屈のチームの片鱗は確かに存在しました。このチームが成熟していたら、おそらく史上最強にして「日本全国のあらゆるクラブが模範とすべき代表チーム」が誕生していたことでしょう。
 
ザッケローニからは、そうした哲学が一切見えません。それどころか、協会から押し付けられた不毛な強化合宿をすんなり受け入れるなど、Jリーグの選手に対 する愛情も見えない。彼がこの4年間でやってきたことは、2010年大会のチームをベースに、どれだけ上乗せできるか、という打算的な強化のみ。これでベ スト16の壁を破れたら、どの国も苦労しませんよ。僕にとってザッケローニは、極めて日本的なサラリーマンです。
今頃気付いたってわけではありませんが、本大会を目の前にし、改めてその功罪を考え、陰鬱な気分になった次第です。僕にとっては、中心選手がどこのビッグクラブに所属しているかどうかなど、大した話題でもありません。日本代表というチームが我々日本人をワクワクさせてくれる戦いをしてくれるのか否か、が重要なのです。

世界の”ワールドカップに対する見方”は確かに変わりました。世界最強を決めるのはワールドカップではなくUEFAチャンピオンズリーグで、忠誠を尽くす のは国ではなく所属クラブ。そんな今だからこそ、チャレンジャーである日本はつけ込めるのだと思っていたのですが、世界的に見て強豪国でもない日本もそう した国々の流れにならい、無条件で人気を集める代表チームで金勘定をするだけになってしまいました。

こんな状況を目の当たりにして、期待を抱け?
寝言は寝てから言いましょう。 


[考察]ハーレーダビッドソンの選び方 #01

先月末、ハーレーダビッドソン系メディア(雑誌とかウェブとか諸々)のお仕事にて、一週間ほど関西に滞在しておりました。ハーレーダビッドソン正規ディーラーに伺ってカスタムハーレーや女性オーナーを取材したり、カスタムショップめぐりをしたり。

ハーレーダビッドソン プラザ伊丹での女性ライダー取材にて
こうしていろんなハーレー乗りにお会いして、いろんな話を聞けたりするのは実に楽しいもの。改めて幸せな仕事をしているなぁ、と実感する次第。

そんななか、僕のハーレー(スポーツスター XL1200R)をフルカスタム&フルメンテしてくれている大阪のカスタムショップ トランプサイクルにお邪魔しました。もはやここに来るのは日課というか義務というか。

TRAMP CYCLE
HARLEY-DAVIDSON XL1200X FORTY-EIGHT
今回も、同ショップのフルカスタムスポーツスター XL1200X フォーティーエイトと、FXDL ダイナ・ローライダーの取材にて。その後、代表の長岡 守さんと、最近の傾向だの身の上話だのなんだの、長々と談笑。面白い話、ためになる話、諸々ありましたが、興味深い話がひとつ。







とあるお客さん(一見さん)の話で、トランプに入るなり、
「ハーレー売って。ここ、ハーレーやってるんやろ」
とおっしゃられたとか。ひとくちにハーレーダビッドソンと言っても、新車なのか中古車なのか、どのカテゴリー(ファミリー)なのか、さらに言えばどんなスタイルで乗りたいのか、オーナーの好みやライフスタイルによってまるで違うものになります。しかしこの方は、「ハーレーはハーレーやろ」とおっしゃられたとか。結局、その方の意図するところが不明瞭なままだったので、実りある話にはまとまらなかったそうです。

うーん、なるほど。
そう唸らざるを得ませんでした。

ハーレーに興味を持ち、ハーレーのことを調べ、ハーレーのことを知るようになり、ハーレーに乗るようになって、その奥深さに気付かされる……それがハーレーダビッドソン。「とにかくハーレーダビッドソンだ!と強調できるような派手なスタイルがいい!」というのであれば正規ディーラーに相談してみるといいでしょうし、「やっぱり『イージーライダー』の世界を再現したい。あのキャプテンアメリカ号に乗りたい!」のであれば、パンヘッド以前の旧車を扱うチョッパーカスタムが得意なカスタムショップに行くのをオススメします。

でも、“ハーレーダビッドソン”の存在を知ったばかりの人にとっては、ハーレーダビッドソンはハーレーダビッドソンだし、先ほどの方の理屈も、分からないではない(ただまぁ、いろんなスタイルがあるんですよ、という話を素直に聞いてみては?とは思いますが)。

「ハーレーって、ファッションにたとえられますよね」

トランプの長岡さんは、そうおっしゃいます。確かに、「服」といってもいろいろあるわけです。ユニクロもあればラルフローレンもある、クツだってスニーカーもあればブーツもある、アクセサリーだのなんだのと言い出せばキリがありません。そう、大阪・心斎橋のアメ村に紳士服を買いに行く人はいないでしょうし、デパートの紳士服売り場で「超派手なTシャツを」という人もいないでしょう。これ、ハーレーだけでなく他メーカーのモーターサイクルにも言えることではありますが、ハーレーの場合、その振り幅が半端なく大きいのです。カスタムのスタイルだって、それこそチョッパーからレーサー、トラッカー、カフェレーサー、ボバー、バガーと枚挙にいとまがありませんし、フリスコスタイルだのクラブ系だのディガーだのと、細かく出していけばまだまだ出てきます。

すべてを知ってからじゃないとハーレーダビッドソンに乗れない、なんてルールはもちろんありませんが、ある程度のことを知ったうえで買い求めにいくと、衝動買いをするよりは違ったモデルの選び方になるでしょうし、購入後も深みのある付き合い方ができるはず。衝動買いが悪いわけではありません、実際僕も衝動買いに近かったです(笑)。そこから今の姿になるまで、いろんな段階を経て今の姿になりましたが、そうした過程をリアルに体感することで、愛車との付き合いが深く濃くなっていくのです。


まぁ、ハーレーに乗っていて、この上のような姿にたどり着く人は少数派だとは思いますが、要するに「自分がハーレーダビッドソンとどう付き合いたいか」 「どんなハーレーライフを送りたいか」ということだと思います。ライフスタイルの主役はオーナーで、愛車は存在感があるものの、あくまでオーナーを映えさ せる存在。大切な相棒になるわけですから、二人三脚でいつまでも楽しみ合えるようにできるのが一番幸せなことだと思います。

上記の方は、いきなりエッジのきいたカスタムショップに入っちゃったことが不幸でしたね(笑)。正規ディーラーに行っていれば、もう少し親切な対応をしてもらえたんじゃないかな。

TRAMP CYCLE
 このブログのタイトルを「ハーレーダビッドソンの選び方」としたのは、これからこの命題に対して、どうカテゴライズできるかを検証していきたいと思ったから。自分の趣味嗜好ではなく、初めてハーレーダビッドソンというものを意識し、興味を持ち、触れてみたい……と思った人に、「これだけ知っておくと、さらに楽しめるよ」というまとめ情報を提供できるものを作りたいと思います。

割りと試行錯誤な感じでやっていくかと思いますが、生暖かい目でご覧いただければ幸いです。