2014年6月30日月曜日

志を失った日本サッカー協会は早々に店じまいを

■日本代表の新監督に「待った」
ニュースなどで目にした方もおられるでしょう、サッカー日本代表監督の後任として、メキシコ人のハビエル・アギーレ氏が候補に内定、大筋で合意に達しており、新体制発足も間近だとか。

4年前に比べたらずいぶん早い動き出しだなぁと感心しますが、4年前の動き出しの遅さ……2010年南アフリカ大会後にもたついたせいで有力候補が次々と新天地に飛んでいってしまい、消去法のような形でザッケローニに内定を出した、という過去を反省してのことでしょう。

今、巷では「新監督を決める前に、まずは今大会の総括が先だろう」と「総括でモタモタしていたら有力候補を逃してしまう。このぐらい早い方がいい」という意見に二分されているようです。

結論を出す前に、イメージしてみました。アギーレ新体制による日本代表が動き出したら、どうなるでしょうか。

まずは彼の経歴からおさらいします。1958年12月1日生まれの55歳で、メキシコはメキシコシティ出身。メキシコ代表のディフェンダーとして地元開催となった1986年W杯メキシコ大会に出場した経験を持っており、メキシコ代表監督として2002年日韓大会、2010年南アフリカ大会を経験しています。クラブチームにおいても、今年5月に退任したエスパニョールをはじめ、レアル・サラゴサ、アトレティコ・マドリード、オサスナといったリーガ・エスパニョーラ(スペインリーグ)でも指揮を執った経験の持ち主……とまぁ、すばらしい経歴の持ち主です。よくこんな大物を連れてこれたなぁ、日本サッカー協会のパイプ(おそらく強化委員長の原さんでしょう)は相当なもの。

日本との関わり合いは、2002年日韓大会ぐらいでしょうか。ほか、特にありませんね。

ではそのアギーレ氏が代表監督に就任したら……?


■また同じ過ちを繰り返すのか
まず日本代表の当面のスケジュールですが、大きなものとして来年2015年、オーストラリアで開催されるアジアカップがあります。ここでの優勝国はその2年後に開催されるプレW杯・コンフェデレーションズカップへの出場権が約束されるので、非常に重要な意味を持つ大会と言えます。

準備期間は一年。日本サッカーとの交流がないアギーレ氏としては、まず現在の代表チームのポテンシャルを肌で感じたいと思うところでしょう。となると、スタートはブラジル大会のメンバーが軸になります。初戦であれば、よほどの事情を抜きにして海外組だって帰国するはず。キリンカップ(もしくはキリンチャレンジカップ)は同じ顔ぶれで始まるに違いありません。

そこから10回もいかない試合数でアギーレ氏が「日本代表チームにとって、ベストな戦い方(フォーメーション、戦術諸々)」というものを模索し、Jリーグを視察してまわり、新しい才能を発掘して代表チームに融合させて……。

間に合うわけがありません。

アギーレ氏の頭にJリーグというものがどの程度入り込んでいるかは定かではありませんが、おそらく現時点ではゼロでしょう。当然名の知れた海外クラブ所属選手を軸にしていくでしょうし、もっともスキルや経験値の高い選手を起用することは当たり前のことと思われているはず。

ザッケローニが就任したときと、何ら変わりありません。

現時点でもっとも重要なこと、それは「4年後だけでなく、さらにその将来に結びつけていく日本サッカーのための強化方針」です。これは総括以上に重要なことですし、こうしたベーシックな土台なくして真の強化はありえません。その論理で言えば、アギーレ氏という人物そのものは素晴らしい方ですが、「なぜアギーレなのか」「アギーレに何を任せたいのか」「4年間で彼に課す役割は何なのか」というところがスッポリ抜け落ちている。

日本サッカーに必要な強化方針とは——。

その回答次第では、アジアカップを落としたってかまわないという判断もアリです。「もしかしたらロシア大会でも満足のいく結果が出ないかもしれないが、遠い未来を見据えた強化を継続していきたい」のであれば、どんな結果だって国民は受け入れてくれます。

安定したチームマネジメントを臨むならJリーグ監督経験のある方を選ぶべきだし、我が国に深い情熱をもって取り組んでもらいたいなら密接な関係の外国人監督か日本人監督の名が出てくるはず。アギーレ氏はそのいずれでもありません。彼に情熱がないわけではありませんが、高額年俸以上の義理が日本に対してない彼に、そうしたエクスキューズを求めるのはナンセンスです。

結局のところ、ビジネスなのでしょう。



■もはや誰にもとめられないのか
日本サッカー協会は、いや日本代表ブランドでのビジネスは巨大になりすぎています。他の国では考えられないほど肥大化し、その利権にあやかる人や企業が数多く存在します。それを「改めて日本サッカーの未来のために」という正義感で台無しにされちゃあたまらないわけです。割を食うだけならいざ知らず、もしかしたら存在そのものが傾いてしまう企業だってあるかもしれません。

まやかしでもいい、幻想でもいい、ビッグネームを監督として招聘し、世界のトップリーグで戦うスター選手を散りばめた豪華絢爛な日本代表チームを維持し続けなければ、日本サッカー協会をはじめとする関連企業はその存在を保てなくなる。要するに、彼らは自分たちのためだけに日本代表というブランドを利用しているだけのこと。そこに、サポーターはもちろん、国民に対する誠意なんてこれっぽっちもありません。

アギーレ氏の就任が決まったら(決まるでしょうが)、おそらくザッケローニのときと何ら変わらない4年間が始まるでしょう。そしてロシア大会で惨敗すればスケープゴート探しがはじまり、その批判の隙間をかいくぐって後任監督にビッグネームが座り……。

もはや日本サッカー協会に、高い志をもった人は皆無なのでしょう。今回のブラジルにおける惨敗は、大きな教訓としてさらなる飛躍の糧となるかもしれないというのに。ただただ残念です。

日本代表のお出迎えシーンが素晴らしすぎて

■同じGL敗退国との対比がスゴすぎる
先週、ブラジルから帰国の途についたザッケローニ監督率いる日本代表の姿を報道で見ました。辞任を表明されたザッケローニ監督は比較的にこやかな表情でしたが、選手やその他スタッフはみな重苦しい表情。そんな彼らを、数百人とも言われるサポーターが労いの言葉とともに出迎えていました。

いやスゴい。ただただ感心しました。

「呆れたんじゃないの?」と言われそうですが、とんでもない。これはスゴいことだと素直に感心したのです。聞けば、同じくグループリーグで敗退したイタリア代表なんて出迎えは皆無、イングランド代表にいたってはおばあさんひとりというニュースも。さすがに腐ったトマトを投げつけられるという暴挙はなかったようですが、強豪国ともなると最低限のノルマ(GL突破)が果たせなかっただけでこの待遇です。「敗者には何もやるな」というとある国の言葉が重くのしかかっているかのよう。

翻って我が国は、何も知らずに見れば「え? 日本ってW杯で優勝したの?」ってぐらいのフィーバー。4年前の南アフリカ大会から関西国際空港に帰国した際は3000人とも言われる人が出迎えたと言われますから、ある意味その人数を基準とするなら成績が反映されているようではありますが……。

何が感心したって、あの暖かく手厚い出迎えっぷりです。ええ、選手は相当堪えたでしょう。別に腐ったトマトや水をかけてほしいなどとは思ってはいないでしょうが、「GL突破はノルマ。4年前のベスト16を上回る成績を」と掲げ、まるでアイドルのコンサートかと思うような華やかな壮行会まで催して旅立ったわけですから、当然それに比例するぐらいの反発やバッシングは覚悟していたはず。帰りの飛行機は相当重苦しい雰囲気に包まれていたでしょうね。

ところがゲートを出てみれば、「お疲れさま」「ありがとう」という言葉とともに手厚い歓迎ムードが。確かに今回の不振は日本サッカー協会を元凶とする大失策が原因だったわけですが、天狗になった選手にも責任がないわけではありません。が、それにしても……。これはもう“誰も出迎えない“以上のヒドい仕打ちだなぁ、と思ったわけです。

おそらく出迎えた数百名のファン(こう呼びます。あえてね)の方々は、選手の姿をひと一目みたいという想いから、何の嫌みもなく成田空港まで駆けつけたのでしょう。ええ、“嫌みがない”ことが最大の悪意だと思うわけです。要するに“一方的な愛情の押しつけ”で、選手の心情は一切考慮していない。暖かい声援がこれほど身に染みる冷たさを秘めているとは。僕が選手の立場だったら、「これ以上の屈辱はない」と悔し涙を流していることでしょう。狙ってやっているわけじゃないところが“天然”で、コミュニケーションはかれないレベルです。

■楽しみになってきた“これからの4年間”
「だって、あなたたちがこういう雰囲気を望んだんでしょう? だから私たち、駆けつけたのよ」

いやもう、そのとおり。ファンの皆さんは圧倒的に正しい。4年間ロクな強化プランやスケジュールも立てず、2010年南アフリカ大会時のメンバーのレベルアップ“だけ”に頼った代表チームをしっかりと支援しなかった日本サッカー協会の方針の結果です。

別にいいと思うんです。協会のビッグスポンサーである某飲料水メーカーのCMにザッケローニ監督(炎なる缶コーヒー)に本田(スポーツドリンク)、長友、岡崎、清武(ビール)らが出て副収入を得ることぐらい、世界のどこでもある話。C.ロナウドやメッシだってそうして副収入を得てセカンドキャリアに備えています。

そうしてファン層の拡大を狙い、人気を高めて新しい世代とともにマーケットを大きくしていく……ビジネスとして見ればまっとうな考え方でしょう。一部のコアな層だけを見ていても、収支のバランスが悪くなるだけですからね。自社ビルを持ち、ミュージアムなるものをそのなかに併設するなど大きなお金を動かさねば維持できないほど肥大化した日本サッカー協会です、綺麗ごとをのたまって身を滅ぼされるよりも、よほど日本代表(性別および年代関係なく)にとってより良いこととなるのでしょう。

強豪国ならね。

優勝経験もなければベスト16以上の成績をおさめたこともない国は、強豪国とは呼ばれません。良く言えば発展途上国ですが、今回の結果(1分け2敗のGL敗退)だけを見れば弱小国です。アジア勢が軒並み敗退していることもあり、「ああ、レベルの低いアジア枠だからW杯まで来れたんだねぇ」という蔑みの目で世界から見られている。それが今の日本です。

そんな弱小国で「お疲れさまー!」の声援……。特に海外クラブに所属している選手にとったら、拷問レベルの仕打ちです。所属クラブに戻ったとき、仲間からどんな目で見られることやら。ああ、想像するだに恐ろしい。

とまぁ皮肉たっぷりにまとめてみましたが、個人的に興味深いのは、今回の結果と周囲の変化を選手自身がどう受け止めたのか、というところ。今の彼らの心境は、間違いなく“これからの4年間”に表れてきます。

飛躍するのか、消えていくのか。

一生日本代表を応援する者として、“これからの4年間”が楽しみになってきました。
 

2014年6月25日水曜日

アリーヴェデルチ! ザッケローニ

■指揮官の功罪を検証する
1分け2敗という燦々たる結果でブラジルを後にすることとなったサッカー日本代表。はたして彼らが帰国する際、国民がどんな反応をもって迎え入れるのか興味深いところですが、すでにこのチームの功罪について、ネット上などでさまざまな議論が交わされています。なかでも議論の的となっているのは、こんなみっともない姿を見せてしまったのは選手がだらしなかったからか、はたまた指揮官の能力不足か、という点。

平たく言えば“どっちもどっち”。少なくともプロを名乗るのであればどんな状況であれテンパるなんてことがあってはならないし、それに指揮官までお付き合いしちゃいけない。どちらか一方が悪いかどうかなんていう、スケープゴート探しをすること自体ナンセンスですし、日本サッカーの将来のためにはなりません。

ただひとつ言わせてもらえば、指揮官の責任は大きかったと思います。今回のW杯における日本代表の一連の動きを追いながら、項目ごとに見ていきましょう。

1) 大久保嘉人の抜擢
最終23名に滑り込んだ大久保ですが、2年半ものあいだ代表から遠ざかっていた選手でした。選ばれたときはJリーグでもノリにノっていた選手なので、それだけ見れば妥当な選考かと思いますが、とにかく疑問符が多すぎる。
・ザッケローニ体制になってからほぼ固定メンバーでチーム編成がなされてきた
・直前の国内最終選考会に大久保は呼ばれていなかった

「そんな大抜擢、過去にもあっただろう」……確かにありました。2002年日韓大会での中山&秋田、2006年ドイツ大会での巻などがそう。ただ、結果論ではありますが、この大久保抜擢は今振り返ってみると、ザッケローニの迷いの一端だったと思われます。
W杯まで半年を切ったあたりでしょうか、チームの中核を担う本田圭祐と香川真司のコンディションが一向に上向きませんでした。それは本大会でのパフォーマンスを見れば一目瞭然。そこに不安を覚えた指揮官は、彼らの不調をカバーできるだけの勢いをもたらすジョーカーを欲していたはず。しかし固定メンバーでやってきた今、ブレイクスルーできるだけの勢いを持つ手駒がなかった。藁をも掴む想いで、細貝を外し、大久保を招き入れたのだと思います。おそらく既存メンバーは、小さくない違和感を覚えたことでしょう。

2) 初戦における先発メンバーの変更

ずばり、遠藤と今野を外したことです。代わりにスタメンを張った山口と森重が頼りないというわけではありませんが、在籍期間のほとんどを固定メンバーでやってきたザッケローニが、土壇場(というか正念場)で司令塔と守備の要を換えるという策に出たのは驚き以外のなにものでもありません。
おそらく指揮官の目から見て、彼らふたりのコンディションが上向いていなかったことが要因かと思われますが、どちらもこのチームの核となる選手です。しかも、彼らを外してのチーム強化は過去に数えるほどしかやってきていません。W杯における初戦がどれほど重要なものか、過去の戦いを知る日本人なら痛いほどよく分かっていること。そんな大事な一戦で、信じ難いメンバー編成に。
しかも、長谷部を下げて遠藤を投入するなど、何を狙っているのか分からない采配まで。結果的にこれが混乱を生じさせ、変則フォーメーションで畳み掛けてきたコートジボワールに逆転を許す結果となりました。
ちなみに遠藤は一度も先発を飾ることはなく、最後のコロンビア戦では出場機会すら与えられなかった。どうして彼を連れて行ったのか、彼をどう使いたかったのか、最後まで不透明なままブラジルを後にしたのです。

3) ギリシャ戦で余った最後のカード
理解不能と言っていいでしょう。交代枠3枚のうち2枚しか使わずに、絶対に勝たなければならないギリシャ戦を引き分けで終えました。ギリシャからすれば、ひとり退場して数的不利になったことを思えば、勝ち点1はプランどおり。あそこまでベタ引きされたチームを崩すのは確かに難しいですが、かといって策がないわけじゃない。しかし、その貴重な手段を手元に持ちながら、最後まで使わず試合を終えるというのは、今もってきちんと説明していただきたいほど。

4) 選手も想定外のパワープレー
3戦通じて登場した迷采配。CB吉田を最前線にあげての放り込み作戦。どこの国だって最後の最後にやる手段ですが、大会前、「パワープレーは捨てた」と、その選択肢たるハーフナー・マイクや豊田をメンバーから外したにもかかわらず、です。どの試合でもそうですが、前線にいたのは香川、岡崎、大久保、柿谷あたり。いずれも上背はなく、どちらかと言えば空中戦は苦手なほう。そこに吉田を入れたからといって、大きく戦況が変わるわけがありません。もしかしたらピンポイントで一点をもぎ取れることがあったかもしれませんが、今となっては後の祭り。

上記の項目は、今大会を通じて目に余った“混乱の根源”たる内容で、ほかにも挙げろと言われればいくらでも出てきます。

ただ共通して言えるのは、ザッケローニがプレッシャーに押し潰されたということです。


■4年間、ご苦労様でした。
今の日本代表チームは、確かに選手主導でまとまっているように見えます。自主的に目指すべき頂を見据えることは非常に喜ばしいことですが、興行試合での結果に満足し、まわりにチヤホヤされたことで主力メンバーが勘違いしてしまった感は否めません。ここまで言い切るのも、今回の結果ゆえ、です。

そのうえで言わせてもらえば、じゃあそうして天狗になったチームを、どうして指揮官は諭さなかったのか? ということ。どんな組織にも、必ず目指すべき目標へと推進するリーダーがいます。この代表チームでは監督であるザッケローニなわけですが、彼にはその経験値と指揮能力をもって、日本サッカーがより高みへと進めるよう導いてもらう責務があったはず。いえ、ありました。若い選手が有頂天になれば、それを咎めるのも彼の役目です。

「選手が勘違いした」「あいつら、天狗になっていたんだ」という批判の声が多く聞こえますが、じゃあ彼らは烏合の衆だったのですか? 少なくとも年俸2億7000万円(推定)を支払って雇っているワールドクラスの指揮官がいたわけです。結果で言えば、選手が天狗になるまでの過程でザッケローニは何もしていなかった、ということです。契約書に書いていなくとも、その程度の仕事はしてもらわねば困ります。

今、主に本田圭祐が矢面に立たされていますが、本来その役目を背負わなければならないのはザッケローニ監督です。見方によっては彼は「育成型」「コーチング型」の監督だと言えますが、いわゆる勝負師タイプでもなければチームマネジメント能力も大変低い。本当、彼に4年間も与えたことが悔やまれてなりません。

現在、日本サッカー協会の原博実専務理事兼技術委員長が退任、後任候補にJ1鹿島の鈴木満常務取締役強化部長の名があがっているという報道がありました。

敗因の検証もまだしていないのに、強化委員会の人事が動き出すってどういうことだ?と。要するに「ハイハイ分かりました、俺らが悪いんですよね。辞めればいいんでしょ、辞めれば」という声が聞こえてくるような動きです。本当に、日本サッカー協会は腐り切っているようですね。

まずは4年後はもちろん、はるか未来に向けて「これが日本のサッカーだ」と言えるものが何なのか、具体的に示す必要があります。そのうえで、「そのために必要な指揮官は誰なのか」という後任の監督候補が出てくるのが自然な流れでしょう。4年前は、それを曖昧に流してしまった。

この国にとって、日本代表とは何なのか。「日本のサッカーとは?」と聞かれて答えられる明確な型は何なのか。今回の結果を胸に、少なくとも僕は今まで以上に厳しい声をあげていかねばならないと感じ入りました。

そして、ザッケローニ監督については、もう何も言うことはありません。終わったことですし、彼のチームに継続性はありません。4年間ご苦労様でした。

アリーヴェデルチ(さようなら)、ザッケローニ。
 

本田圭祐はベッカムになれるか

■金髪の愚か者
おそらくこれまでの人生で最大の挫折だったのでしょう、コロンビア戦後にインタビューを受けている本田圭祐の姿は、目もうつろで声にも覇気がなく、自信が漲っていた大会前の彼とはまるで別人のようでした。

1分け2敗でのグループリーグ敗退という結果は、本田の想像外の結果だったのでしょう。彼の落ち込みぶりからもそんな胸の内が見えるよう。ただ、日本代表のこれまでを考えれば、通用すると思っていたことが大きな勘違いですし、いくら日本でもてはやされたところで世界最高峰の真剣勝負の場では通用しないということが見事なまでに実証されました。僕個人は驚きでもなんでもないですし、この結果を驚きと思っている彼らや他の人々の反応が、僕にとっては驚きです。

すでにネット上では批判の嵐が渦巻いています。特に「W杯で優勝する」と公言していた本田に対する風当たりは相当なもの。成田空港でどんな出迎えが待っているかは分かりませんが、彼は今、失意のどん底にあるのは間違いありません。

W杯で優勝する——その意気込みたるやヨシ、ではありますが、一方で対戦相手への敬意と客観的に自分たちを分析する目が今回の日本代表には必要なものだったと思います。本田をはじめ、そうしたことを口にしていた選手全員が同罪ですが、彼らを諭す役割を担っていたザッケローニ監督の功罪はその比ではありません。選手主導という聞こえのいい丸投げ方針で4年間を過ごしてきたこの指揮官には、成田空港からレオナルド・ダ・ヴィンチ空港への直行便チケットを進呈したいぐらい。

さて、本田です。プロとしてお金を得ているのであれば、口にしたことを達成できなければ叩かれるのは当たり前。今回のバッシングがどこまで肥大化するかは分かりませんが、彼はこの十字架を一生背負ってかねばならなくなりました。

そんな本田の姿を見ていて、ひとりの偉大なフットボールプレイヤーのことを思い出しました。かつてイングランドの貴公子としてその名を馳せた、ディビッド・ベッカムです。


■4年後の本田がどんな姿になっているか
フットボール界のみならず、世界のファッションシーンなどでも話題を振りまくベッカム。2002年日韓大会では日本でも大きな注目を集め、一躍時の人となったことは説明するまでもないでしょう。世界のフットボールシーンにおけるレジェンドのひとりであることに異論の余地はありません。

そんなベッカムにも、人生最大の挫折と呼ばれた瞬間がありました。1998年W杯フランス大会の決勝トーナメント一回戦アルゼンチン戦でのこと、彼のマークについていたディエゴ・シメオネ(現アトレティコ・マドリー監督)のファイルに対して報復行為を行い、一発レッドで退場させられたのです。結果、イングランド代表はこの試合をPK戦の末に落として大会を後にしました。

翌日の英デイリー・ミラー紙には『10人の獅子とひとりの愚か者』という見出しが踊り、以降ベッカムは批判の嵐にさらされたのです。それこそ、アウェイでの対戦チームのサポーターによる冷やかしやヤジはもちろん、所属していたマンチェスター・ユナイテッドのホームゲームでも非難されるほど。おそらく彼の精神状態は相当に追いつめられたことでしょう、一時は海外クラブへ移籍するという話が出たりもしました。

ところが、彼はマンチェスター・ユナイテッドにとどまり、またイングランド代表の主将としてピッチに立ち続けました。どれだけ批判されても、それを真正面から受け止めて乗り越えるために。自分が成長したことをプレーで証明するために。

愚か者の烙印を押されてから3年が経ち、イングランド代表は2002年W杯日韓大会のヨーロッパ予選を戦っていました。熾烈な首位争いを続けるなか、この試合を引き分ければ出場権が得られるというギリシャ戦で、イングランドは1-2とギリシャにリードを許していたときのこと。

試合終了間際に相手ゴール前で得たフリーキック、キッカーはベッカム。ゆっくりとした助走から右足を一閃、ボールは鋭い弧を描いてゴール左上に突き刺さったのです。イングランドが日韓大会への切符と掴んだと同時に、彼が3年もの呪縛から解き放たれた瞬間でもありました。

挫折は、人生の糧です。今回の惨敗で、次のチャンスが潰えたわけではありません。少なくともディビッド・ベッカムという偉大なフットボーラーは自ら克服してみせました。本田には今回の挫折を乗り越えられるだけの精神力があると思いますし、どれだけの批判の嵐にさらされようとも自ら乗り越え、4年後のロシア大会で再び日本代表を高い場所へと導いてほしい。

言い訳は必要ありません。4年後の本田圭祐の姿を見てから、今回のブラジルでの彼を振り返りたいと思います。
 

再び走り勝つサッカーを

■これまでの4年間の成果
すべては初戦だった、と思います。試合内容もそうですが、試合後の選手のコメントからも、その混乱っぷりが伺えました。

「言葉にならない。諦めたくないし、こんな形で終わりたくない」(香川)
「この2分で、この4年間を無駄にするわけにはいかない」(内田)
「勝たなくてよかったと、正直、今は思っている」(岡崎)
「相手に回されて、走らされて、体力を消耗させられた」(長友)

超攻撃布陣で仕掛けてきたコートジボワールの変則フォーメーションにも面食らわされたのでしょうが、日本の戦い方に安定感と一貫性がなかったのも事実。4年間、ほぼ固定メンバーでチームをつくってきたにもかかわらず、ここまで足下がおぼつかなくなるというのはちょっと考えられないです。このテンパったコメントの数々が、混乱していた現場を象徴していますとも。

ただ、結果は出ました。いろんな意味で、これが日本サッカーの実力だと言うことでしょう。これが、世界がくだした評価です。

「4年間積み重ねてきたものを」

このフレーズ、本大会中で何度耳にしたことか。元々ナイーブな国民性であることを考えると、初戦に勝って波に乗りたいというところでした。過去の経験から初戦の重要性は誰もが分かっていたはず。そうした糧を活かすために4年間しっかりと準備して挑み、世界を驚かせてやろう。これが、南アフリカ大会の決勝トーナメント一回戦、パラグアイに敗れたあとの想いでした。

指揮官の選定、メンバー構成、強化プラン、これまでの試合内容……僕の目から見ても不本意なものばかりでした。とにかく目についたのは、安定感のない試合運びと追いつめられたときの自分たちの型。選手や監督が言う「自分たちのサッカー」というのがどれのこと? と思うほど、型らしい型はありませんでした。

選手が言うほどの型がない……指揮官は何も思わなかったのか? その疑問がずっとありました。ところが変わらぬ体制のまま強化は進み、ブラジルへとたどり着きました。

遠藤が先発から外れる? 守備のキーマンだった今野も先発落ち? しかも、もっとも重要だと認識していたW杯初戦で、いきなり? これまでやってきた方針に一貫性があるならば、遠藤や今野がよほどコンディションを落としているわけでもない限り、採る必要のない選択肢です。どちらも攻守のキーマンですから、なおさら。

自信をもって挑んでくれたことは悪くありません。ただ、試合を終えてあれほどまでに混乱しているのはちょっと異常。選手と指揮官とのあいだに“意識の溝”があった何よりの証拠です。そうしたことを踏まえて振り返ると、「積み重ねてきた4年間」と言われるものがどれほど大したことがなかったか、よく分かります。その積み重ねてきたものをぶつけた世界最高峰の大会で惨敗したわけですから、言い訳のしようがありません。

それにしても、選手もさることながらザッケローニ監督の混乱っぷりにも驚かされました。これまで重宝してきた選手をあっさりと切り捨てたり、なんでそんなことするの? という選手交代をしたり……。W杯という舞台の重圧を改めて感じた次第でもあり、結果としてザッケローニ監督はW杯を戦うにはまだその領域にない方なのだな、とも思いました。8年前のジーコがそうだったように。


■また始まる“これからの4年間”
とまぁ、終わったことを悔やんでも仕方ありません。結果は出ました。グループリーグ最下位という不名誉きわまりない結果が。

これから、また4年間が始まります。

大事なのは、敗因の検証と、それを克服するために必要な施策をきっちりと練ることです。少なくとも日本のサッカーは世界全体で見たら全然大したことがないわけですから、見栄を張らずに真摯に受け止めねばなりません。

まず、日本サッカーとは何なのか? 何をもって日本サッカーと言うのか? この永遠の課題に対して、答えではなく“目指すべき場所”を明確にすべきです。

今回日本代表が敗れ去った要因が、“走り勝てなかった”ことだと思います。コンディション調整だとか気持ちの問題だとかも内包していますが、この4年間で90分間走り切るサッカーをやってこなかったことが、ブラジルで噴出したのです。イビチャ・オシムが実現しようとしていた、全員が全員のために走り切るサッカーこそ、日本サッカーの目指すべき場所だと思います。それこそ、日本全国のサッカー選手に示すべき姿だと思います。

そうなると、チームの根幹は国内リーグの選手がメインになります。立地の問題から、10時間以上かけて帰国させた海外所属の選手を中心にするの賢明ではありません。チーム力そのものを底上げしようと思うなら、国内中心のチームづくりこそが必須。

とすると、Jリーグを知り、日本サッカーをよりよい方向へと導きたいと腐心してくれる指揮官が必要になります。さて、そこまで日本を想ってくれる外国人監督はいるでしょうか? 今回のザッケローニの件で、そうした外国人指揮官を捜すことは非常に難しいことがはっきりしました。とすると、日本人指揮官とせねばなりません。

力量で言えば、間違いなく外国人監督の方が圧倒的に上でしょう。でも、そうやって目先の結果にとらわれた結果が今回の敗戦だったわけですから、次のロシア大会、さらにその先のW杯にも自信をもって送り込める代表チームをつくるには、難しくともそうした地道な強化に着手すべきです。少なくともこのブラジルの地で、チリ、コスタリカ、アルジェリアといった国がそうした地道な努力の結果を見せてくれました。日本にだってできるはずです。

すぐに「世界との差」なんて言葉が軽々しく出ていますが、今回の結果は自爆以外の何ものでもありません。そこを勘違いしては、また同じ4年間を繰り返してしまうだけ。

本当にいい経験になった今回のW杯。華やかに彩られてきたお飾りの日々は崩壊し、日陰をゆく4年間が始まります。日本サッカーは再び暗黒時代に突入しますが、それでも歩みをとめることはありませんし、そんな日本サッカーを支えるのは、どれほど仄暗い世界になろうとも、いつか輝けるであろう日を信じて支え続ける情熱を持った人たちのサポートです。

2014年6月23日月曜日

日本代表を批判すべきは、今か、後か

■まだコロンビア戦が残っているが……
ギリシャ戦をスコアレスドローで終え、土壇場に追い込まれた日本代表。敗れていればグループリーグ敗退決定だったので最悪の結果にはならずに済みましたが、かといって良い結果だったわけでもありません。首の皮一枚でつながったという事実が残ったのみです。

言いたいことは山ほどありますが、ウェブのニュースなどでギリシャ戦評が何件も出ているので、分析はそちらにまかせるとして、今ウェブ上で巻き起こっているさまざまな声のなかに見える意見——「W杯を戦っている真っ最中に批判すべきじゃない」「最後まで戦いを見届けてから検証しよう」という内容について考えたいと思います。

結論から言えば、どっちだってイイ、です。

代表チームにはまだコロンビア戦が残っていますし、わずかな可能性ですが、決勝トーナメントに進出することもあり得ます。そうなると、3試合でブラジルを後にすることなく、勝ち続ける限りW杯の舞台に立つことが叶うのです。小さくとも可能性がある限り、選手たちが最大限の力を発揮できるよう、心をかき乱されぬよう、静かに祈り、見守ろうじゃないか……そういう意図と僕は汲み取りました。もちろんそのなかには、「今何を言ったところでチームの状態が急に良くなるわけじゃない、だったら外野は黙って見守ればいい」という意見もあることでしょう。

ナイーブだなぁ、と思うわけです。

日本代表が目指しているところはどこでしょう。日本サッカーが目指しているところはどこでしょう。世界の強豪国と互角に渡り合う力をつけ、W杯でも上位に食い込む強豪国の仲間入りを果たし、究極はW杯を制覇する。少なくとも僕自身はそのつもりで日本サッカーと向き合っています。


■ポルトガルと見比べてみる
同じシチュエーションの他国と見比べてみましょう。初戦を落とし、第2戦めを引き分けて崖っぷちの国と言えば、ポルトガル、ガーナ、韓国がいます。それではポルトガルを例に考えてみます。

大会前のポルトガルと言えば、優勝候補というよりはダークホース的存在として扱われていました。何より最大の武器はエース、クリスティアーノ・ロナウドの存在。一撃必殺のエースは間違いなく他国にない絶対的な切り札ですし、厳しいマークにさらされるのは想定内。あとは、その状況をチームがいかにうまく利用できるかどうか。戦い方次第で決勝トーナメント進出はもちろん、さらなる躍進だって期待できる……そういう寸評でした。

ところがいざ蓋を開けてみれば、初戦のドイツにボテくりまわされ、挙げ句CBペペの愚行でいきなり蹴つまずくという最悪のスタート。C.ロナウド自身も怪我を抱えており万全の状態ではなく、また怪我人も続出してチーム全体が満身創痍といったところ。僕から見れば、日本代表以上に最悪のシチュエーションにある模様。

では、当初期待されていたほどの活躍ができていない代表チームを見て、ポルトガル国民はどんな反応をしているでしょう。歯がゆい思いをしながらも、腕を組んで祈り続けているだけでしょうか。僕は、そうは思いません。少なくとも「まだ一試合ある。静かに見守ろう」と言う声はほぼ皆無に違いありません。かつてエウゼビオという“英雄”を擁し、世界のサッカーシーンを席巻したポルトガルという国が“この程度の結果”を甘んじて受け入れているはずがない。今頃ポルトガル代表チームは、敗退後にどう静かに帰国すべきか考えているでしょう。特にペペは、そうでしょうね。もしかしたらそのままマドリッドに直帰するんじゃないか?とも。

「まだ一試合残っている。突破の可能性はある。だから静かに見守って欲しい」

本田圭祐がそう言っていたと聞きます。とても「批判は受け止める」と言っていた強気の御仁とは思えない言葉です。とてもACミランで10番を背負う男の言葉とは思えません。他の国に比べれば緩いことこのうえない。もしブラジル代表がこんな状況に陥っていたら、こんなものじゃ済まないでしょう。ネイマールが「今は静かに……」と言ったりすれば、蜂の巣を突ついたかのように批判の嵐にさらされるでしょう(言うとは思うけど)。

今言うべきか、大会後に批判すべきか。

この議論自体が、W杯に出場する気がある国として実に稚拙だと思います。批判なんていつ言ったっていい。それが、国を背負ってW杯に挑むということの意味です。少なくともイングランドやスペインなどと肩を並べる存在になりたいと思うのであれば、帰国する際の代表チームの表情、そして彼らが帰国した際の国民の反応を見ておきましょう。真似する必要があるなどとは言いません、日本には日本の出迎え方があります。

「感動をありがとう」「勇気をありがとう」といった声があがろうものなら、我が国のサッカーは一生強くなれないでしょうね。


■結局のところ、かまってちゃん?
「感動をありがとう」「勇気をありがとう」——。

ずいぶん昔から聞き慣れた言葉です。先のソチ五輪でメダルを逃したフィギュアスケーター浅田真央さんが帰国した際にも同じような声が聞かれました。どうも日本人は「感動」「美談」が好きなようで、なにかにつけて話を綺麗にしたがるきらいがあります。

今回のブラジル大会では、初戦の主審に日本人の西村雄一さんが選ばれたこと、そしてスタジアムでゴミ拾いをする日本人サポーターのことが評価されたことが違う話題を呼びました。確かにそれ自体は評価されてしかるべきなのですが、ちょっとメディアの持ち上げ方が異常すぎるのです。「私たち日本人が、こんなに世界から評価されたんですよ!」と煽るさまは、どれだけコンプレックス強いんだ?と思わされるほど。

どうも日本という国は、外部からのバッシングに対して異常に強い反応を見せます。独自の文化、独自の言語で発展してしまった島国ゆえでしょうか。反面、海外からの高評価を必要以上に喜ぶ傾向も。そうした傾向の歪んだ表現なのか、曖昧な結果を美談でまとめたがります。

実を言うと、僕が主に携わっているバイク業界も似たような傾向にあります。免許、バイク、その他用品が必要なうえに、社会的にあまり良い目で見られていない世界ゆえ、常に肩身の狭いところで細々と過ごしている。そんななか、たとえば日本映画やドラマといった一般人の目に触れるところにバイクが登場すると、「ほらほら!バイクが出るんですよぅ!」と嬉々として話題を振りまく。

よくよく見てみれば、その映画だって別にバイクを大々的に取り上げたかったわけではなく、酒のつまみ程度の必要性で取り入れたってだけのこと。それを「どうですかぁー」と言っちゃうあたり、残念な業界だなぁと思う次第。「自分たちにしか分からない世界だから」と割り切ればいいものを、すり寄られてくると喜んじゃう“かまってちゃん”。

外界との温度差に気付けないと、端から見て正直イタい。西村主審、そしてゴミ拾いをするサポーターのことは確かに海外でも評価されていますが、あまり過度な反応をしちゃうと、外界との溝はさらに深まるばかり。本当に世界と伍するサッカー大国を目指すのであれば、本質であるサッカーでの結果を出すことに腐心するべきだと思います。批判するのは後がいいかどうか、なんて、正直くだらないです。


■選手とサポーターの溝
「それでも人生は続くんだ」

W杯で早々にGL敗退が決まった国の選手や監督は、口々にそう言います。この台詞を耳にしたのは一度や二度ではなく、特に海外の方は“敗北”を受け入れる際にこの言葉を用いているようです。

深い言葉だなぁ、と思わされます。敗北は終わりではなく、始まり。屈辱の結果から敗因を学び取り、次へとつなげていく。そうして人は、死ぬまで何かを学びながら生きていく。我々にはない宗教的背景から生まれた人生観のように見受けられます。

批判なんて、いつしたっていい。どっちみち、今回の不甲斐ない戦いぶりで勝ち上がれるほどW杯は甘くはないし、帰ってくる代表チームと日本サッカー協会は批判の嵐に包まれるに決まっています。

でも、これも学ぶべきことのひとつでしかありません。

日本サッカー界には、Jリーグ百年構想という概念が存在します。その過程で言えば、Jリーグ誕生からわずか20年ほどの現在は、まだまだひよっこみたいなもの。その20年で5大会連続でW杯に出場できているという事実だけでも贅沢きわまりないこと。世界の強豪国が本気で勝ちに来る戦いをできるなんて、どこの国にも与えられる経験ではありません。日本にとって、W杯以外はすべて親善マッチでしかないのですから。

今回のW杯を見ていて痛感したのは、選手とサポーターとの溝です。サポーターは、平たく言えば「観戦している人すべて」と言い換えてもいいかもしれません。今回取り上げたような議論が起こること自体、日本のサポーターのレベルは低いと言っているようなもので、そこから生まれる声が選手を激励するかと言われれば、甚だ疑問です。

サポーターの叱咤激励は、間違いなく選手のレベルを引き上げると確信しています。だからこそW杯での日本代表の不甲斐ない戦いぶりについては、サポーターの声がシビアじゃないことも要因のひとつと考えます。目が肥えた人が見れば、これまでの日本代表の戦いぶりに安定感がないこと、選手やザッケローニ監督が「自分たちのサッカー」というほど明確な型がないことは明らかでした。一部の識者を除き、他の誰もがそれを指摘しなかったのは事実で、だからこんな腑抜けた代表チームをブラジルに送り込んでしまったのです。

4年後のロシア大会で決勝トーナメントに進出したいと本気で願うのならば、まずサポーターがしっかりとサッカーを知り、選手に響く声を発することから始めねばならないでしょう。道は平坦ではありませんが、この事実が再発見できたことが今回のブラジル大会での収穫だと思っています。
 

2014年6月21日土曜日

W杯コメンテーターのずるさに辟易

■怒りを通り越して……
皆まで言いますまい。非常に情けない敗戦です。「まだ一試合残っている! 今、そんな余計なことを言ってんな!」って声が聞こえてきそうですが、四年後に活かすため、そして自分自身の記録という意味も含め、書き連ねさせていただきます。

これが、日本代表というチームの実力です。

すべては四年前から始まっていました。何もW杯本番になって、急に弱くなったわけではありません。世のメディアからよく聞こえてくる「四年間積み重ねてきたもの」がこれです。過信とともに挑んだ重要な初戦を最悪の形で落とし、奮起した第2戦では有利な状況を活かせずスコアレスドロー。コンディション調整がうまくいかなかった? 直前でスタメンの入れ替えがあった? 主力メンバーが所属クラブで思うように試合に出られず試合勘が戻りきらなかった? 四年前、「南アフリカ大会以上の好成績を残すために」と編成されたチームですよね。その言い訳、みっともなさすぎます。

そう、四年間積み重ねてきたものがこれです。「もっとも退屈なチーム」とイタリアの新聞に酷評される日本の代表団。もっとも大きな責任は日本サッカー協会にありますが、我々国民ひとりひとりにもその責任はあると思います。

とまぁ、なんにせよもう一試合、コロンビアとの戦いが残っていますので、とりあえず見届けましょう。すでに決勝トーナメント進出を決め、主力メンバーを温存してくるであろう相手に息巻いても空しいだけですが、出場権を持つ我が国には3試合を戦える権利が与えられているのですから。それこそ、最後まで全力を尽くさねばW杯そのものはもちろん、世界の人々に対しても失礼です。

今の代表チームを作り上げたのは、ザッケローニ監督です。そしてそのザッケローニを招聘し、四年間(正しくは三年半ぐらいでしょうか)指揮権を与え続けたのは日本サッカー協会です。そしてこちらの財団法人は、次期代表監督を決定する権限を持っています。なので、“日本のW杯”が終わったら、ここを中心に今回の反省と次へつながる施策を明確にすることを求めましょう。別にスケープゴートを作り上げようなんて気はさらさらありませんが、この協会の動きはこれまで見ていても目に余りますし、本気で四年後の勝利を渇望するなら、言うべきときがあると思うのです。

■今頃勝手なことを言うな
そんな今、なんとも奇妙な傾向が見受けられました。初戦のコートジボワール戦を落としたあとは「大丈夫! 次のギリシャに勝てば、決勝トーナメント進出の可能性が残っている」と息巻いていた各メディアが、ギリシャ戦後、お通夜状態というか空元気というか、完全に望み薄になったにもかかわらず、無理矢理コロンビア戦を盛り上げようとしていること。まぁ、分からなくもありません。W杯はまだ続くわけです、テレビ放映だのグッズ販売だの何だのと、利権が絡んでいる各メディアとしては、人々の関心の火を今から消してはならないから。涙ぐましい努力だなぁ、とある意味関心しています。

腹立たしいのは、手のひらを返した識者たち。

「指揮官の采配に疑問がある」、「気迫を感じない」、「一体どんな練習をしているんだ?」などなど、わずか半日ほどで代表チーム……どちらかと言えば、ザッケローニ批判が一気に噴出してきました。それも、現場に足を運びやすい元選手や著名ライター、芸能人などなど。芸能人はともかく、かつてプロとして鳴らした元選手がこのタイミングで態度を一変するとは、どういう神経をしているのかと疑ってしまいます。

日本代表は、ブラジルに着いてから急に弱くなったんですか? 違います、もっと以前からザッケローニの指揮官としての能力には疑問がいくつも噴出していました。それこそ、一年前のコンフェデレーションズカップでは解任論も出たほど。そもそも論をすれば、彼が代表監督に選ばれた経緯自体が疑問そのもの。にもかかわらず、今このタイミングで態度を一変する理由は何なのか。

メディアの世界というのは狭いものです。「○○選手がこんなことを言っていた」、「○○選手とモデルの○○が付き合っている」、「○○というライターが協会からハブられている」といった表には出ない話はゴロゴロ転がっています。ザッケローニが日本代表監督に選ばれた経緯ぐらい、業界メディアの誰もが知っていることでしょう。彼がベストの選択ではなかったことぐらい。元代表選手クラスにもなれば、代表チームの練習風景や実際の試合を観ただけでチーム状態……ザッケローニの指揮官としての能力を推し量ることぐらい朝飯前。

日本代表は、ブラジルに入った途端に急に弱くなったわけじゃありません。元々この程度の実力だったんです。それを、スポーツが大きなビジネスとなっている昨今の風潮に乗り、W杯、そして日本代表をメディアが必要以上に持ち上げてきました。盛り上がりに欠けるようなら、タレントを突っ込んで“そっちのファン層”まで取り込んでしまうという下世話さまで見えるほど。

薄っぺらいメディアがそういう動きをするのは、“日本におけるサッカーの文化レベルってこの程度”というだけで片付けられます。僕が問題視しているのは、元選手や元監督がそうした商法に便乗しているという事実。あなたたち、かつて現役選手としてプレーした時代を知っていながらこの流れに乗るってどういうこと?と。

■知っていて知らないふりをしていた……んでしょ?
現場でいろんなものを見聞きしているプロならば、そんなかりそめの流行に流されることなく真相をつかんでいられると思うのですが、実際はそうはなっていません。そうした薄っぺらいメディアの押しつけ情報に便乗し、一緒になって面白可笑しくくっちゃべっている。「ああ、そういう風に過ごした方が、この人は生きやすいんだろうなぁ」ぐらいに思っていました。それが、とことん追いつめられた今、「ほら見ろ、言わんこっちゃない」と言い出す始末。

彼らとて、知っていたはずです。いや、知らなかったとは言わせません。「今の日本代表は決して強くない」、「ザッケローニの指揮能力には疑問の余地がある」、「このままブラジルに飛び込んだら危ない」……多くの業界人が、とうの昔から気付いていたことでしょう。しかし、ザッケローニ解任論が出たときでさえ、ほとんどのメディアや元プロは、サッカー協会の意見に賛同していました。そして臨んだ本番で得た結果がこれです。

支持するなら支持する、それも姿勢のひとつだと思います。が、追いつめられた途端に態度を一変するのは、卑怯以外の何ものでもない。「心中しろ」とまで言う気はありませんが、少なくとも信念に基づいた意見をお持ちでしょうから、だったらそれに準じたらどうですか?と思うのです。

大手メディアがはやし立てるのは、まぁ今の日本の文化レベルから見れば「こんなもんでしょう」程度。真剣に取り組んでいる人は、受け流せばいいだけ。そのなかで、さまざまな恩恵を受けて過ごしているにもかかわらず、追いつめられた途端に手のひらを返すとは、じゃああなたの信念って何なんですか?と聞きたい。日本サッカーの未来を憂いているわけでもなければ、指導者としての道をひたすらに突き進んでいるわけでもない(そういう人もいる、という意味で)、そんな人がテレビの向こうでどれだけ講釈を垂れても、まったく心に響いてきません。

■残るべき人だけが残ればいい
日本人は、シビアな結論を口にするのは苦手で、苦笑いや言い訳で言葉尻を濁すことがあります。でも、「それが日本人だから」で流されちゃあ、日本サッカーを強くしたいと願っている人たちにとってはただただ迷惑なだけ。世界と伍する力を身につけたいのであれば、まずは日本人としての殻を破ることから考えねば。ギャランティがいいというだけでクライアント受けのいいことしか言わない夢追い人は、きっと時代が淘汰してくれることでしょうが。

影響力のある発言の場を持てる身でありながら、事なかれ主義よろしく日本のガンを放置したまま過ごした日々を思えば、今頃手のひらを返している方々は信用に値しません。

おそらくW杯後、大騒ぎ状態の日本国内は沈静化し、サッカーを見なくなる人も少なくないでしょう。2006年ドイツ大会後のような暗黒時代がやってくることでしょう。僕は、「やっぱりサッカーが好きなんだ。日本代表が好きなんだ」と一途な愛を貫ける人たちだけが残れば、それでいいと思っています。そうした濃度の高い人たちが選手を育てる声を発せられるのだと思いますし、やはりどの国のサッカーも、サポーターの成長なくしてあり得ないのですから。

この四年間で、知っていたはずの落とし穴の場所も指摘せず、利権の恩恵にあやかって過ごしてきただけの人の言葉が胸に響くことはありません。少なくとも僕は、態度を変えたコメンテーターおよび解説者に対して、そういう目で見ています。彼らが“正しい言葉”を発していれば、少なくとも代表チームがこんな状態に陥ることはなかったのかもしれないのですから。

たとえ元プロの選手だろうが、大事なときに大事なことを言えない程度ならば、渋谷のスクランブル交差点でハイタッチするだけの輩となんら変わりません。
 

2014年6月20日金曜日

電動ハーレーという衝撃のニュース、そして今後のバイク市場は

発表された電動ハーレーダビッドソン『LiveWire』
昨晩(2014年6月19日)、米ハーレーダビッドソン モーターカンパニーは同社初となるエレクトリックモーターサイクル“Project LiveWire (プロジェクト ライブワイヤー)”を発表しました。数日前よりウェブ上で予告ムービーや情報の一部が飛び交い、騒然となっていたのでカウントダウン後はあまり大きな驚きはありませんでしたが、やはり最大のサプライズは「ハーレーダビッドソンが電動バイクを作った」という事実でしょう。

電気自動車は現在すでに実用化され、日常にも溶け込んできていますが、電動バイクはいわゆる原付クラスでは登場しているものの、こうした大型バイクではほとんどがコンセプトバイクどまりで、まだ実用化に至っていません。ただ、世界的には電動バイクに対する関心度は大変高く、イギリスのマン島で開催されている世界最古のモーターサイクルレース『マン島TTレース』では電動バイクのクラス「Zero Emission」なるものがあり、今年は日本のレーシングチームのEVレーサー「MUGEN 神電参」が見事優勝を飾っています。電動バイクの実用性は決して遠い未来の話ではないのです。

LiveWire
そういう背景があるとはいえ、モーターサイクルの世界に身を置いている僕にとっては、ハーレーダビッドソンが極秘裏に電動バイクの開発を進めていたことは驚き以外の何物でもありません。そう、国産4メーカーではなく、BMW Motorradやドゥカティといった他の海外メーカーでもなく、ハーレーであったことが、です。

LiveWire
ハーレーダビッドソンは、今年創業111年めを迎えた老舗のモーターサイクルメーカー。なかでもその特徴はドッドッド!という独特の鼓動感を味わえる空冷Vツインエンジンが心臓であること。環境の変化とモーターサイクルの進化から、ハーレーダビッドソンが創出するモデルにも変化が出てきており、古き良き時代を知る人、またビンテージモデルのオーナーなどは「今のハーレーは、ハーレーじゃない」というネガティブな声を発するほど。そうした議論が起こることもまたハーレーダビッドソンの魅力ではありますが、この電動バイク計画はそうした議論すら一気にすっ飛ばしてしまった勢いがあります。

世界の進化の速さを痛感した次第です。

昔のハーレーダビッドソンなら、「水冷エンジン? 電動バイク? ウチには関係ないね。そんなものは他メーカーにでもまかせておけばいいさ」といった強気の姿勢で、自身のアイデンティティである空冷Vツインエンジンのモデル開発に勤しんでいたことでしょう。しかし、昨年発表された空冷機能搭載の「ツインクールド ツインカムエンジン」の発表や、水冷ストリートモデル「ストリート500 & ストリート750」の登場など、その歴史に変化が生まれていたのは事実。特にこうしたプロジェクトは、7〜8年ぐらい前から動き出しているものですので、この電動バイク計画構想は少なくとも10年ほど前から生まれていたのでしょう。

(左)ツインクールド ツインカムエンジン (右)日本導入予定のストリート750
ハーレーダビッドソンが先陣を切った印象ですが、おそらく他のモーターサイクルメーカーも次々と試験的な電動バイクを発表してくるでしょう。特に、電動バイクというものともっとも縁遠いと思われていたメーカーが先んじたという事実が他メーカーに刺激を与えたことは間違いありません。これを機に、世界のモーターサイクル市場は激化することと思われます。

ビンテージハーレーダビッドソン
一方で、今回の電動バイク計画はハーレーダビッドソンのこれまでの歴史を鑑みるに、ともすれば真逆とも言える急展開であること点も無視できません。111年という歴史から生まれたモーターサイクルを愛するファンは世界中に多く、おそらく彼らは戸惑いをもってこのニュースを聞いたことでしょう。

懐古主義か、さらなる進化か。

カンパニーは後者を選び、迷わず突き進んでいる姿勢を打ち出しました。市場においてどんな反応があるかはまだ分かりませんが、少なくとも世界的企業として未来を構築する責務があり、この計画を進めることで、まだ見ぬ“未来のハーレーダビッドソン”の姿を模索していくことでしょう。

米ハーレーダビッドソン社でのイベントにて
個人的には、賛否どちらでもなく、未来における市場の声に判断をゆだねるといったところです。ただ、111年という歴史はどこのモーターサイクルメーカーも持ち得ぬ深みがあり、そのなかで生み出されたモーターサイクルによって無数の笑顔が生み出されてきたことを思うと、継承していくべき歴史に対するリスペクトを忘れずにハーレーダビッドソンらしい進化を遂げてほしいと願うばかりです。

今回のハーレーダビッドソンの試みは将来的な電動ハーレーの市販をにらんだ計画で、まずは2014年末にかけてアメリカ国内の30ヶ所を超えるディーラーに持ち運び、一般ユーザーに実際に試乗してもらってその声を受け、開発陣にフィードバックしていくという流れだそうです。おそらく今年11月のイタリア・ミラノで開催される世界最大のモーターサイクルショー『EICMA(エイクマ)』にも登場することでしょう。現時点では日本に上陸する予定は未定。この試験車、来ることがあったとしても来年以降じゃないでしょうか。

また、この電動ハーレーは、映画『アベンジャーズ2 エイジ・オブ・ウルトロン』の劇中にてブラックウィドーが実際に乗っているというリーク情報が流れています。アメリカでは2015年5月1日公開予定だそうで、スクリーンで観る電動ハーレーはまた迫力のあるものになるでしょう。これも楽しみのひとつですね。


2014年6月18日水曜日

イタリアの閂は地中海を越えて

【2014 ワールドカップ ブラジル大会 1次リーグ グループH ベルギーvsアルジェリア】

イタリアの閂(かんぬき)は、地中海の向こう岸にたどり着いていたようです。

近年、有能な若手選手を多く輩出しているヨーロッパの古豪ベルギー。勢いに乗っている彼らを中心に組み立てられた代表チームは、それまで“世界の壁”を敗れないでいたこの国をリフレッシュさせ、一気に世界の檜舞台へと駆け上がってきたのです。今大会におけるベルギーは、もっとも期待値が高いダークホースとして注目を集めていました。

初戦の相手は、アフリカ北部の地中海に面したアルジェリア。ジネディーヌ・ジダンの出生国であることは有名ですが、W杯本大会に顔を出す国ではあるものの、カメルーンやコートジボワール、ガーナなどと比べると派手さに欠けるというか、イマイチぱっとしない印象でした。選手の名前だけ見比べても、明らかにベルギーの方が格上。今大会で暴れ回るであろうベルギーが弾みをつける試合となるか……試合前、そんな夢想をしていました。

開始からまもなく、ことがそうカンタンではないことを思い知らされます。

ベルギーの選手がハーフウェイラインを越えてきても、なかなかプレッシャーをかけにいかないアルジェリア選手。そのままアタッキングサード(ピッチを三等分した際の敵寄りのゾーン)へと侵入……した途端、ボールホルダーに対して3人のアルジェリア選手が詰め寄ってきて囲い込み、瞬く間にボールを狩ってしまうのです。自陣ゴール前での守備に人数を割いているため、ボールを奪ってもロングボールを蹴ってそれをフォワードが追いかけるだけという単調なカウンターになってしまうのですが、バイタルエリア前に張られた守備ブロックは堅牢。アザールやデンベレ、デ ブライネといったテクニックに秀でた選手が切り込もうにも、あまりに緻密な守備ブロックのためにまったく突破できず。ボールをまわすベルギーが、アルジェリアの守備陣を睨めつけながら攻めあぐねる、という時間が続きました。

これ、カテナチオですやん。

イタリア語で「閂」(かんぬき)を意味するカテナチオは、ゴール前に人数を割いて徹底的に守り切る一昔前のイタリア代表の守備スタイルのこと。近年のイタリアは攻撃サッカーを標榜するプランデッリ監督のもと、スタイルチェンジを模索し徐々に浸透しつつあるようで、かつてのカテナチオ戦法は影を潜めるようになりました。まさかそのイタリアの閂が、地中海を越えた北アフリカの地にたどり着いていたとは知りませんでした。




■4年前の日本代表と姿が重なる
「絶対に失点は許さない」、そんな強烈な意思を感じさせるアルジェリアが選んだリアリストの戦法。奔放で身体能力を前面に出したプレーのイメージが強いアフリカンながら、勝利に徹するため組織プレーに準じ、それぞれが自身の仕事を完遂して勝利を手にしようとしていました。前半のPKはかなりラッキーパンチでしたが、そうした要素も勝利のための選択肢としてプログラミングしていたアルジェリア。アフリカンといっても、アルジェリアは地中海に面した北アフリカの国で、海の向こうはもうヨーロッパ。あまりアフリカの色合いが濃くはないのかもしれませんが、ここまでチームとしてまとまり、組織プレーに準ずることができるとは、正直驚きでした。

残念ながら、その組織戦術は90分持たず、守備の綻びを突かれて2失点、逆転を許し惜しくも初戦を落としてしまったアルジェリア。相手のスキを逃さなかったベルギーのしたたかさにも大いに感心させられましたが、今大会注目のチームを向こうに回して冷や汗をかかせたアルジェリアの戦いぶりが印象に残りました。

よくよく考えれば、このアルジェリアの戦い方って4年前の南アフリカW杯に挑んだ日本代表によく似ているんですよね。ここまで大雑把な攻撃ではありませんでしたが、田中マルクス闘莉王や中澤佑二を中心とした堅牢なディフェンスをベースに、阿部勇樹というアンカーを前に置き、鉄壁の守備網を敷いたのです。攻撃はキープ力のある本田圭祐を1トップに抜擢、両サイドには同じくキープ力に秀でた松井大輔と大久保嘉人を配し、激しいアップダウンを要する運動量を求め、数少ないチャンスを活かして勝ち抜こうとするカウンター戦法でした。

それまでの親善マッチでまったく結果がついてこなかったことから、追いつめられた感があった岡田武史監督がギリギリで選んだ、当時の日本代表メンバーの能力を最大限に活かした“勝利に近づく”ための戦術。結果的にベスト16という好結果を引き出すことに成功しましたが、その決勝トーナメント一回戦であるパラグアイ戦において、“両翼”の松井と大久保のコンディションが限界に来ており、グループリーグ3試合のようなパフォーマンスを発揮できずに敗れ去るという「日本の限界を思い知らされた結果」でもありました。

そうした背景もあり、「南アフリカでの教訓を踏まえ、ベスト16の壁を破れる強い日本代表をつくる」として4年間強化をしてきたわけですが、当初の志を失ってしまったのか、その道中で「この歩み方、なんかおかしくね?」という声があったにもかかわらず日本サッカー協会は目を背け、ただ4年間を費やしただけの日本代表をブラジルの地へと送り込んでしまいました。ええ、まだ2試合ありますが、結果は推して知るべし。

自分たちの実力を客観的に分析することなく、「コートジボワールだろうがどこだろうが、俺たちは勝てる!」と過信した日本と、自分たちの実力を鑑み、初戦であたる強豪国ベルギーに対して「一太刀浴びせたい」とリアリストに徹したアルジェリア。結果は同じ1-2での敗戦でしたが、そのあとに残った手応えという意味で言えば、大きな差があると思います。

2014年6月17日火曜日

ミッション:インポッシブルに挑む日本代表

■スモールフットボールこそ日本の強みだが
東洋経済オンラインに掲載されていたスポーツライター木崎伸也さんのコラム「日本代表の敗戦は、偶然ではなく必然だ」での分析が興味深かったので、彼のコラムをもとにさらにもう一歩踏み込んだ分析をしてみたいと思います。

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>> [東洋経済オンライン]日本代表の敗戦は、偶然ではなく必然だ

(1)ザック戦術の大前提となるプレスがかからなかった
 ザッケローニ監督は攻撃的サッカーを掲げているものの、その戦術指導の中で最も優れているのは守備の方法論だ。場面ごとにやるべきことを細かく教え、それを統合してチーム全体を“プレッシング・マシーン”に仕立て上げる。労を惜しまないチェックによって相手をサイドに追いつめ、選択肢を狭めたところでボールを刈り取る。今大会に向けた準備期間、ザック流プレスのおさらいを入念に行なった。

 だが、コートジボワール戦では、その自慢のプレスがまったくかからなかったのである。
(中略)
 チームとして本気でボールを奪いに行くのであれば、中盤の選手が援護射撃をすべきだったが、後ろにいた選手たちはそこまでのリスクを冒そうとはしなかった。
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確かに、前線のふたり(大迫勇也選手と本田圭祐選手)は懸命にチェイシングしていましたが、中盤以降の選手は相手がハーフウェイラインを越えてきてもまだプレッシングをかけませんでした(それが原因だったのか、ふたりの運動量はまたたく間に激減しましたね)。

ここで疑問がひとつ湧きます。「どこからボールを獲りにいくのか」という約束事がチームで共有されていたのか否か、です。

日本代表が理想としている戦術
日本代表の特徴は、プレッシングを核としたコンパクトなサッカー。諸外国と対戦する際、小柄な日本人選手は上背でもリーチでもフィジカルでも分が悪いシーンが出てきます。一方で日本人の強みと言えば、豊富な運動量と組織プレーに尽くす献身的なメンタル、そしてスピーディで精度の高いパスワーク。デメリットを補いつつメリットを最大限に活かすための戦術として、フォワードからディフェンスラインまでの距離を詰めに詰めたコンパクトなゾーンを形成するスモールフットボールが基盤です。相手ボールホルダーに対して2人(多いときには3人)でボール狩りに行き、奪ったと同時にショートカウンターを見舞う。日本代表が“流れのなかでゴールを奪った”シーンのほとんどが、このボール狩りからのショートカウンターでした。

■チームとしての約束事がなかったのか……
この戦術を採用するにあたり、生命線となるのが「どこからボールを奪いにいくのか」、いわゆるチームとしてのスタートラインをどこに設定しているのか、です。ショートカウンターがひとつの攻撃の型なのであれば、そのスタートラインはハーフウェイライン前後となるでしょう。より高い位置でボールを奪えた方が、相手ゴールまでの距離が短くて済みます。また相手DFに守備陣形を整える時間を与えませんし、確率論で言っても、ゴールを奪えるパーセンテージは飛躍的に向上するわけです。

好調時の日本代表の試合を俯瞰的に見てみると、フォワードからディフェンスラインまでの距離が短いことに気付きます。おそらく設定数値は11〜12メーターほどでしょうか。そしてセンターサークル付近の相手ボールホルダーに対して素早い機動力をもってミッドフィルダー陣が襲いかかります。そこをしのいだとしても、背後からディフェンダーが詰め寄り、奪ったと同時にサイドまたは空いたスペースへと中距離パスで展開、相手ゴール前へと運ばれていきます。

この戦術の代名詞的存在が、長谷部誠選手と今野泰幸選手です。特に今野選手は上背こそないものの、鋭い読みで幾度と相手の攻撃の芽を摘んできました。彼がコートジボワール戦のスタメンに入っていなかったことは驚きでしたが、それだけ森重真人選手のコンディションが良かったというザッケローニ監督の判断なのでしょう。

話を「ボール狩りをするスタートライン」に戻しますが、確かに木崎さんの言うとおり、前線のふたりと中盤以降の動きが連動していなかったのは、試合を観ている人なら誰でも分かったこと(その結果、どんな弊害が起こるのか……については木崎さんのコラムをご参照ください)。しかし、こういう戦略は監督主導のもと、事前にチームで共有されているのがサッカーの常識。4年間もほぼ固定メンバーでやってきた日本代表なら、“詰めどころ”はスタメンのほとんどが理解していて当然です。

理由はどうあれ、チームとしての約束事が統一されていなかったという事実だけが残りました。木崎さんのコラムにこうあります。

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 ザックジャパンはこの4年間、プレスの練習に継続して取り組み、いい守備ができたときに、高いパフォーマンスを発揮してきた。高い位置でボールを奪えると、縦に速い攻撃をできるからだ。だが、言い換えれば、いい守備ができないと、パフォーマンスが著しく落ちるということでもある。

 その一方で、本田や遠藤保仁は自らの技術力と発想力を生かすために、緻密なパス回しによる崩しに取り組んできた。
(中略)
 だが、それを完成させるには時間が足りなかった。緻密なパス回しは発展途上のまま大会を迎えてしまう。
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4年間率いて「時間が足りませんでした」? 「高値がつくと思ったんですけどねぇ」とトンズラこく先物取引詐欺の話かと思いましたよ。選手がどれだけわがままであったとしても、チームとしてプレーすることを求め、マネジメントするのが監督の仕事です。世界にはもっと聞き分けのない選手を抱えたチームが存在しますし、エース級の選手と対峙してもチームづくりに従事する監督は大勢います。そういう意味では、ザッケローニは指揮官……というよりは、組織の長としての仕事ができていなかったということ。この人に年俸2億7000万円(推定)を4年間支払い続けてきていたかと思うと、目眩がする想いです。(ちなみに、今大会の大番狂わせのひとつを起こしたコスタリカのホルヘ・ピント監督の年俸は約4500万円だそうです)


■やるべきことは明確
「実は、今まで割りと行き当たりばったりな戦い方をしていたから」、「ザッケローニが戦術を浸透しきれていなかったから」、「W杯本番のプレッシャーで萎縮してしまい、普段どおりのプレーができなかった」などなど、推測だけで言えばいくらでも要因は出せます。でも、それをこうした場であげつらって「だから○○○が悪い」と批判しても、日本代表というチームの状態は良くなりません。

大事なのは、原因を明確にし、“それを解消して次につなげること”です。

「チームとしての戦い方のオプションがひとつしかなかった」と言われていますが、こんなことザッケローニ体制になってからこれまで何度も言われてきたことです。一年前のコンフェデレーションズカップでその弱点をさらけ出し、監督解任説まで出たにもかかわらず、日本サッカー協会は続投という判断を下し、ここまで来ました。正直、「何を今さら」と言いたい。本田の1トップの後ろに大久保、香川、岡崎が並ぶ“4年前の守備戦術への回帰”はタチの悪いジョークにしか見えませんでした。結局、日本代表は4年前から何も進歩していなかった。その本質に気付いていたのはほんの一部の識者だけで、彼らの叫びは日本サッカー協会の胸には響いていなかったのです。申し訳ないですが、サッカー協会は素人じゃないんですから、「ザッケローニの力量を見極められませんでした」などと言う言い訳は通りません。この功罪はとてつもなく大きいと思います。

調子が良いときの日本代表なら、次戦のギリシャは決して難しい相手ではないはず。しかし一方で、これ以上ない完敗を喫したチームが精神的に立ち直れているのか、どん底から一気にピークの状態までメンタル面を回復できているのかは甚だ疑問です。本田選手は「メンタル面の問題だけだから、修正は可能」と強気の発言をしていましたが、ほかの22人が同じようにV字回復させられるかと言われれば、ほぼ無理でしょう。“負け方が悪すぎる”“もともとムラっ気があるチーム”“監督までが動揺している”など、克服するには困難すぎるポイントが多すぎます。でも、可能性はゼロではない。大会後の成長につなげるためにも、ザッケローニはじめ日本代表の面々にはできうる限りの対策を講じていただきたい。

チームをマネジメントしているザッケローニ監督が原因を受け入れ、チーム全体で共有し、そして誰もが納得できる解決策を提示して修正に腐心すること。シンプルですが、唯一の立て直し方法だと思います。次のギリシャ戦でそのポイントが修正されているか否か、僕はそこに注目したいと思います。

2014年6月15日日曜日

初戦敗退は事実上の終戦?

データを見ても予選突破は困難
2014年W杯ブラジル大会、日本は初戦のコートジボワールに逆転を許し、1-2で敗れました。もちろん、まだグループリーグは2試合が残っているので「これで終わり」ではありませんが、football web magazine Qolyに興味深いデータが出ていたので、それと合わせて今後を検証したいと思います。

>> 【データ】W杯初戦に敗れたチーム、勝ち抜けたを決めたのはわずかに8.7%

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■初戦で勝ったケース
突破:38例(84.4%)
敗退:7例(15.6%)
合計:45例

■初戦で負けたケース
突破:4例(8.7%)
敗退:42例(91.3%)
合計:46例

■初戦で引き分けたケース
突破:22例(59.4%)
敗退:15例(40.6%)
合計:37例

※出場国が32ヵ国になった1998年からの全128例が対象
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データをもとに考えると、初戦を落とした日本がグループリーグを突破する確率は8.7%。ちなみに2010年南アフリカ大会で初戦を落としながらグループリーグを突破したのは、優勝したスペインだけでした。

極めて困難な状況だと言わざるを得ません。もちろんデータはあくまで目安であり、日本が例外となる可能性も大いにあります。特に昨今の世界におけるサッカー事情は以前と大きく異なってきており、「W杯優勝国は開催される大陸から出る」というジンクスも眉唾もので、1998年仏大会のフランス、2010年南ア大会のスペインと初優勝国が近年で2ヶ国も出るなど、あらゆる意味でボーダレスな世界になってきています。

さりとて、W杯なのです。

大会がはじまって3日が経ちましたが、逆転試合の多さもさることながら、ここまでの試合を通じて特に感じさせられるのは「チームの完成度の差」です。開催国ブラジルは綿密な計画のもとチームづくりを進めてきたからこその完成度を見せつけました。ほか、「これは」と思わされたのがチリとコスタリカ。

チリは、サンチェス(バルセロナ)やビダル(ユヴェントス)といったワールドクラスの選手がいますが、その戦い方を見ていると彼らに依存しないチーム全体での統一感が感じられるものでした。コスタリカにはルイスというスター選手がいますが、全体的に見れば小粒な印象が否めません。しかしここもチームとしてまとまっており、あの強豪ウルグアイとの初戦で先制を許すも、連動性のある攻撃で3点を奪い逆転に成功するなど、ブレない戦いぶりに好感が持てました。当たり前の話ですが、サッカーはピッチにいる11人が連動して初めてプラスアルファの力を発揮できる競技。強豪国を向こうにまわしてジャイアントキリングかましてやろうと思うなら、個人の能力で対抗するのではなく、チームとしての完成度で立ち向かうべき。チリとコスタリカの戦い方は、そのことをはっきりと証明してくれていました。

日本本来の強みが瓦解
コートジボワールと対戦した日本について、ダメ出しをすればいくらでも出てくるのですが、なかでも特に悪かったのは「走れていなかった」こと。降雨によるスリッピーなピッチコンディションや湿度の高さなど環境面がなかなか困難だったことはテレビを通じても窺い知ることはできましたが、それは対戦相手のコートジボワールも同じこと。言い訳にはなりません。

4年間かけて準備してきたチームが“走れない”とは、理解に苦しむところです。「サッカーで走るのは当たり前のこと」とはイビチャ・オシム氏の言葉ですが、本ゲームでの日本選手の走行距離がデータで出れば、コートジボワールの選手よりも少ないのはもちろん、過去の親善マッチでのデータと比較しても、下から数えた方が早いものとなるでしょう。

何のために走るのかと言われれば、味方のためです。バルセロナではボールホルダーに対して2つ以上のパスコースを保持するためのポジション取りを選手に要求すると言います。いわゆる“パス&ゴー”(「パスを出したら、足をとめずに次のスペースに向かって走れ」という論理)で、サッカーでは小学生クラスから教えられる基本中の基本。しかし、コートジボワール戦ではボールホルダーが前を向いても、連動して走り出す選手が極めて少なかった。

加えて、目に余るほどのパスミスの多さも。本来パス精度の高さは日本の強みなのですが、走り込んでも敵にインターセプトされる、または明らかなミスパスで敵にボールを“渡す”など、自らチャンスの目を摘んでしまっている場面が多々ありました。これでは走った選手もただ疲れてしまうだけですし、ボールを奪われる=カウンターを食らうということなので、すぐさま帰陣することを求められます。これが続けば、自ずと足だってとまってしまいます。

「パスコースをつくるためにランする」、「そのランと連動してパスをつなぐ」、これによって「選択肢を増やして攻撃に幅を持たせる」ことへとつなげていけます。いくら練習時間が限られた代表チームだからといって、W杯本戦、しかも初戦でこの有り様はあり得ない。アフリカンとの試合だって、この4年間でどれだけやってきたことか。「急造チームでした」と言ってくれた方が、よほど救われます。

課題を鑑みるに立て直しは不可能
日本サッカー本来の特徴がここまで瓦解したわけですから、次のギリシャ戦までの4〜5日間で根本的に立て直せるかと言われれば、答えはノーです。「審判の判定が相手寄りだった」や「絶好のシュートがポストに嫌われた」、「相手キーパーが当たりに当たっていた」などアンラッキーな要素で敗れたなら「自分たちを信じよう。このスタイルを貫こう」と心を強くし、変わらぬ姿勢で次戦に挑むべきですが、チームとしての根幹が揺らいだ今の日本代表チームは、メンバーをごっそり入れ替えるぐらいの荒療治をせねばならないでしょう。

それでも、8.7%の可能性を破る力があるとは思えません。

本田圭祐の先制ゴールには喜びの叫びをあげましたし、複雑な心境ながら「もしかして勝ちきれるのか」とも思いましたが、結果はご覧のとおり。残り2試合も観戦しますが、結果は推して知るべし。世間では「まだ2試合残っている!」と息巻いている方も多いと聞きますし、僕みたいなことを言う人間は悲観論者として非難を受けることでしょう。しかし、我が国の代表チームがこの体たらくで敗れ去ったのを見て「まだ2試合残っている!」と叫ぶのは、4年間かけて90分間走れないチームだという事実を突きつけられたにもかかわらず「ギリシャとコロンビアには勝てる!」と言っているようなもの。それ、対戦相手はもちろん、W杯への敬意も欠いていませんか?

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。

大会後にはさまざまなメディアが敗因を羅列することと思います。それはそれできちんと反省し、次の勝利へつなげるための努力をすればいいのです。これでW杯への挑戦権が奪われるわけではないのですから。

敗戦は糧です。4年後の勝利につなげるため、自分たちにできることをやりましょう。残り2試合? 淡々と観戦しますよ。どんな試合になるとしても、これからも日本サッカーになにがしか寄与したいと願う人間として、観戦する義務があるから。
 

2014年6月13日金曜日

ワールドカップ初戦で世紀の大誤審?

いよいよ始まったW杯ブラジル大会。その開幕戦はブラジルがクロアチアを3-1で下すという開催国の面目躍如といった感じでスタートを切りました。

さてこの試合、日本でも大いに注目を集めましたが、それは本ゲームのジャッジを主審の西村雄一さんをはじめとする日本の審判団が務めたこと。サッカー王国でのW杯開幕戦を日本人が仕切るという、私たちにとっては“もうひとつの日本代表”が活躍する姿を見られる栄誉とも言えるゲームでした。

そんな開幕戦のジャッジについて、批判の嵐が渦巻いています。特に議論の的となっているのが、後半24分、ブラジルに与えられたPKの判定です。ペナルティエリア内でクロアチアDFを背負ったブラジルFWフレッジがゴールを背にボールを受けると、突然彼が苦悶の表情を浮かべて崩れ落ちました。DFロブレンは「触っていないよ」と両手をあげてアピールするも、西村主審は迷わず笛を吹き、ペナルティスポットを指差したのです。

クロアチアのイレブンは、ロブレンにイエローカードを提示する西村主審に猛烈抗議。しかし判定は覆らず、重圧のかかる逆転のペナルティキックをエース ネイマールが強引に押し込んで、セレソンを勝利へと導きました。

試合後、ニコ・コバチ監督はじめ、クロアチアの面々や世界のサッカー界の識者が苦言とも言えるコメントを発表。私たち日本を代表する審判団は一転、批判の的となっています。

結論から言えば、西村主審がフレッジに騙されたってだけです。

リプレイを見ると、確かにロブレンはフレッジに接触していますし、手もかかっています。しかし、あそこまでもんどりうって倒れるような接触プレーではありません。完全にフレッジがPK狙いの演技……シミュレーションを仕掛けたわけです。

正直、フレッジのシミュレーションはあまりレベルの高いものではありませんでした。言うなれば“大根役者”。「おいおい、もっとうまくやれよ」と言いたくなるもので、ヨーロッパや南米のリーグで笛を吹いているベテランレフェリーなら速攻で見抜いてフレッジに「非紳士的行為」としてレッドカードを突きつけていたでしょう。ところが西村主審は騙されてしまった。

こういう話になると、「彼の経験が浅い」とか「Jリーグやアジアのレベルが低いから」といったナイーブな反応が出てしまいがちですが、僕はそうは思いません。なぜなら、この試合はW杯の開幕戦だったからです。開催国が威信をかけて立ち向かう極めて重要な試合で、6万人を超える大観衆が見守る世紀の一戦の笛を吹くわけ……重圧がかからないほうがどうかしています。もしこれがただの親善マッチだったら、“ベテランのブラジル人”フレッジを西村主審が警戒しないわけがありません。しかし、それをもかき消してしまいかねないプレッシャーがかかっていたと思うのです。南米vsヨーロッパという構図からアジアの審判団、しかも信頼性の高い日本の審判団を選んだFIFAのジャッジにも納得です。

当然、クロアチアからすれば「あの程度のプレーも見抜けないなんて」、「たまったもんじゃない」という声は当然出るでしょう。彼らにすれば、グループリーグを突破するには初戦勝利は絶対条件、しかし相手は開催国にして優勝候補筆頭のブラジル。水も漏らさぬ戦術を練ってきたわけですから、誤審などで勝利の芽を摘まれたとあっては黙っていられるはずがありません。しかし、こうした判定もサッカーの常。FIFAがなかなかビデオ判定制度を導入しないのも、「“人間の目”という不確定要素に左右されることもまたサッカー」という理念があるから。もしこれが日本戦で起こったら僕も声を荒げるでしょうが、下った裁定が覆らないのであれば、次に向かって進むほかありません。

ブラジルにはマリーシアという言葉があります。日本語に訳すと“ずる賢い”という意味になり、ぱっと聞いただけでは「卑怯なやつだ」と思われることでしょうが、諸外国においてはそうした“ずる賢さ”も“頭の良さ”のうちに含まれると言います。日本には武士道から始まる「正々堂々」「真っ向勝負」「一対一」という理念が存在し、それは我が国の美徳として誇らしくありますが、世界の檜舞台においては「結果がすべて。騙すか騙されるか、騙されて負けたとしたら、それは騙されたやつの実力が足りなかったんだ」という論理がまかり通ります。綺麗ごとだけで勝てるほど勝負事は甘くない、敗戦後に何を言ったって負け犬の遠吠えでしかない……そういう意味なのでしょう。

かつて日本を代表する柔道家としてオリンピックの金メダルを独占した山下泰裕さんは、とあるインタビューで「外国人にはずる賢さがない」と答えていたそうです。「日本人にはマリーシアが足りない」と言ったのは、当時Jリーグ・ジュビロ磐田に所属していた現役のブラジル代表主将のドゥンガでした。その頃から考えれば、世界のサッカーシーンで戦う日本人選手はずいぶんずる賢くなったと思いますが、それでもまだまだナイーブな面が顔をのぞかせるシーン、珍しくありません。

今回の騒動については、フレッジのプレーが巧妙で、西村主審がそのずる賢いプレーを見抜けなかった。そういうことだと思います。日本サッカーは、選手も審判もまだまだ発展途上なんだと痛感した次第。だからといって失格の烙印を押されたわけではないのですから、今は打ちひしがれているであろう西村主審には、再び顔をあげて次の試合で最高のジャッジを見せて欲しいと切望します。

世界が注目する世紀の一戦で笛を吹く——。これほどの重圧と批判の嵐にさらされた日本人を僕はちょっと知りません。この西村雄一さんは、今後間違いなく日本を代表する偉大な審判として活躍されることと思います。
 

“ふたりの王様”を持つセレソンの悩み

【2014 ワールドカップ  ブラジル大会 開幕戦 ブラジル vs クロアチア】

エース ネイマールの2ゴール、そして終了間際のオスカルのゴールでクロアチアを退けた開催国ブラジル。正直、逆転となったPKの判定はフレッジのシミュレーションにしか見えませんでしたが、ホームタウンデシジョンということで受け入れるほかないなぁ、というところです。優勝が義務づけられているとも言えるセレソンとしては、初戦を飾れたことで胸を撫で下ろしたのではないでしょうか。

一方で、チームとしての悩みも垣間見えました。試合を通じて好調だったオスカルをうまく使い切れていないよう。原因はカンタン、オスカルと同じクラッキとして、ネイマールが中心に君臨しているから。要するに、プレーがバッティングしているんです。

ボールに多く触れてリズムをつくり、チーム全体のプレーにアクセントを加えられるクラッキ(名手)。ファンタジスタとは違うタイプのプレーメーカーを指し、ガリンシャやロナウジーニョなどブラジルはこの手の選手を多く輩出してきました。ネイマール、オスカルともにクラッキタイプと言えます。

ネイマールの実力も一級品ですが、一ヶ月という開催期間に決勝戦まで7試合というスケジュールを考えると、右サイドでひとりボールを持ってもカンタンに取られず、独特のタッチでクロアチアDF陣をきりきり舞いにさせるほどのコンディションの良さを見せたオスカルは、間違いなく今大会のキーマンとなるでしょう。それこそ、セレソン浮沈のカギを握ると言っていいほど。しかし、チームの王様はネイマール。ここに、セレソンの贅沢な悩みが見えたよう。

とあるプレーのこと。加速したオスカルがネイマールに一旦ボールを預け、ペナルティエリア内に一気に走り込みました。おそらくオスカルには彼なりの“崩しのイメージ”があり、ワンツーでボールを受けたかったのでしょう。ところがネイマールはそのままボールをキープ、プレーの流れを止めてしまい、「どうしてボールを出さない!」と叫ぶオスカルの姿が印象に残りました。

思い出したのは、2000-2001シーズンのイタリア・セリエAにおけるA.S.ローマ。当時ペルージャから加入した中田英寿は好調を維持、ファビオ・カペッロ監督やチームメイトからの信頼も厚かったのですが、ローマには“エル・プリンチペ(王子様)”フランチェスコ・トッティがいました。実力、コンディションという点で見ても中田が中心選手になっても不思議ではなかったのですが、トッティを外すというのはローマがローマでなくなることを意味し、禁断の選択とされたのです。伝統あるローマというチームゆえのジレンマでしたが、カペッロはトッティをレギュラーに、中田をその控え(またはその後ろのポジション)にするというマネジメントを選択。

王様がふたりいる際、どちらを中心に据えるか。

今回のセレソンにはそんなジレンマが潜んでいるように見えます。実力で言えば、オスカルもネイマールにひけを取らないものを持っています。加えて、初戦からリズムよく入っていけているわけですから、彼をチームの中心に据えていけばチーム全体にいい波が伝わり、勢いに乗っていけることでしょう。しかし、今のセレソンにはネイマールという王様がすでに存在している。スコラーリ監督がどちらを使うか、というシンプルな二択のように思えますが、開催国であり国民の期待やさまざまな思惑が交錯していることを考えると、ことはそうカンタンでもないでしょう。

もちろん、ネイマールとオスカルのふたりがリズムよく交われればいいんですが、自分のリズムがあってこそのクラッキ同士、それはなかなか困難だと言えます。かといって、どちらかが自分を殺して合わせるとしたら、クラッキとしての持ち味そのものを失うことになる。これはチームのみならず、プレーヤー個人にとっても損でしかありません。

ネイマールが交代でピッチを去った試合終了間際、カウンターからゴールを決めたオスカル。バイタルエリアのあの位置からトゥキック(つま先でのキック)でゴールを狙うセンスと自信もさることながら、そのゴールまでの流れのなかで彼がいたポジションは、それまでネイマールの領地となっていたピッチの中央部分でした。

はたしてスコラーリ監督が“勝利の波”を手にするために、この先どんな選択をしていくのか。心中察するとともに、興味深く見ていきたいと思います。

いや〜、やっぱりワールドカップは面白い!
 

2014年6月10日火曜日

伝統芸能としての日本のサッカーとは

ハーレーライダーを迎えるミルウォーキーの少女たち
昨年8月、創業110周年を迎えた米ハーレーダビッドソン モーターカンパニー社のビッグイベントを取材しに、アメリカにある本拠地ミルウォーキーまで行きました。ハーレーに乗るアメリカ取材はこれが初めてではありませんでしたが、H-D本社やハーレー製造工場、H-Dミュージアム、そしてアニバーサリーイベントと、ミルウォーキーという街がハーレー一色に染まるビッグイベントに足を踏み入れたのは初体験だったので、そのスケールの大きさに圧倒されました。

街を貸し切ってのパレードにポリスが登場!
とにかく日本とスケールが違いすぎます。モーターサイクルという日本では特異性の高い趣味の世界がここまでクローズアップされるなんて、これまでの人生では考えられないことでした。いちメーカーが110年続いているということ自体も驚きですが(独BMW Motorradで昨年90周年、伊ドゥカティでまもなく90周年。本田技研でさえ昨年創業50周年です)、そんなメーカーの創業祭ということで街ひとつを3日間も貸し切り状態にできるという事実がスゴい。日本で同じスケールがあるとしたら、青森ねぶた祭りといった歴史的な伝統芸能とも言えるビッグイベントでしょうか。そりゃ100年以上続いているんだから、ある意味伝統芸能だなぁ、とも思いますが、さすがはエンターテインメントの国というところです。

ハーレーダビッドソンが文化——カルチャーとして根付いていると実感した次第でした。特に印象的だったのが、ミルウォーキーでの3日め、世界的ロックバンド『エアロスミス』のライブが行われるときのこと。会場内を散策していたところ、とある老夫婦に話しかけられました。

「ようこそ、アメリカへ。あなたはどこから来たの? 日本、そう、よく来てくれたわね。あなたはハーレーに乗っているの? まぁ、乗っているの。それは素晴らしいことだわ。ミルウォーキーを楽しんでいってね」

ハーレーに乗るお父さん、カッコいいっす!
“ようこそ、アメリカへ”という言葉が印象的でした。日本における自身の日常ですれ違う外国人に「ようこそ、日本へ」って言ったことはないなぁ、と。こうした他愛ない会話でも立派な国際交流です、でも僕自身もシャイな日本人なためか、なかなかそういう風に声をかけることってありません。おそらく声をかけてくださった老夫婦は、自分が住んでいる国、自分が住んでいる街、そして街が生み出した伝統芸能に対して誇りを持っておられるのでしょう。だから、見るからにアジアンな僕を見て「見ろ、アジアからもやってきているぞ」と、嬉しくて声をかけてくださったのだと思います。決して日本に誇りを持っていないわけじゃないですが、彼らのハーレーダビッドソンに対する誇りほどではないのかなぁ、と考え込んだり。

どこの若者も夜遊びは楽しい!
サッカーにも同じことが言えると思います。

先日ここのコラムで、僕は「日本代表のユニフォームは民族衣装だ」と言いました。オリンピックを超えるスケールの世界的ビッグイベント、ワールドカップ。そこに参戦できる権利を手にするのは204の国と地域のなかから勝ち抜いた32ヶ国だけで、誰もが羨むかけがえのない挑戦権です。しかも、熱狂的なサッカーファンだけでなく、普段日常的にサッカーを見るわけではない人もテレビに齧りつくという注目度の高さ。少なくとも日本は、コートジボワール、ギリシャ、コロンビアという国の人々に「これが日本だ、これがアジアだ」という戦いぶりを見せねばなりません。これはFIFAの予選に参加し、数々の強敵を打ち破って出場権を得た国の“責務”だと思うのです。

かつて日本はアジアのなかでもサッカー弱小国として扱われ、“ワールドカップなど夢のまた夢”と笑われていた時代がありました。歴史上もっともワールドカップに近づきながら、あと一歩のところで夢破れた1993年の“ドーハの悲劇”、そしてさまざまなライバル国の意地に打ち負かされそうになりながらも、最後の最後で出場権を勝ち取った1997年の“ジョホールバルの歓喜”。アジア屈指の強さを身につけたからか、5大会連続での出場を果たし、ワールドカップに出ることが当たり前のようになっている感が否めませんが、昔ほどアジア予選に苦しまなくなってはいるものの、ワールドカップの存在意義は変わっていません。にもかかわらず、ワールドカップに挑むことが“近所の花火大会でも見に行く”かのような風潮に感じられる今日このごろ。

日本にはサッカー……スポーツというものが文化としてまだまだ根付いていないんだなぁ、と実感する次第です。

諸外国から見れば、日本のサッカーの歴史なんてほんのわずか。Jリーグが発足して20年ほどで、100年以上の歴史を持つ南米やヨーロッパから見れば、人生経験の浅いひ孫みたいなもの。僕自身も日本人ですし、「ヨーロッパや南米は違うんだ」などと偉そうに叫んだところで、説得力の欠片もないことでしょう。蛍光イエローのユニフォームだって中二病みたいなもんだと思えば可愛いもの、歳を重ねたときに振り返りたくない卒業アルバム程度になればいいと思っています。

ただ、同じ大会に参加する国々への敬意は必要だと思うのです。

強豪国であれ弱小国であれ、どこの国もワールドカップの出場権を獲得するために全身全霊をかけて戦い、敵を打ち負かしてここまで来たのです。もちろん参加するだけで満足している国なんてないでしょう、願わくばジャイアントキリングを達成し、勝ち進んでいって世界をあっと驚かせたいと考えているに違いありません。情報戦はすでに始まっており、サッカーそのものと同じくどれだけ相手を出し抜けるか、どの国の監督も頭をフルに回転させています。

HARLEY-DAVIDSON 110th Anniversary
ザッケローニが何も考えていないとは言いませんが、サポーターがシビアな目を持ち、選手やメディア、サッカー協会に強烈なプレッシャー……今以上に高い要求をし、ザッケローニに今まで以上の働きを強いることはできたんじゃないか、と思うことはあります。そういう意味で言えば、4年前から始まっていたワールドカップへの戦いにおいて、“ワールドカップに挑む心構え”という点では日本は一枚岩ではなかったのかもしれません。まるで3戦全敗でもしたかのような言い方で恐縮ですが、まもなく始まるワールドカップに向けた日本国内の風潮を見るに、ついそんな気持ちになってしまうのです。

その土台となるべきは“文化としてのスポーツ”、“文化としてのサッカー”に対する考え方ではないかと思います。根っこにあるのは「歴史が浅いから」ではなく、将来“伝統芸能として日本のサッカー”を披露するにあたり、必要なことは何なのかを考えることではないでしょうか。その礎が築けるとき、誰もが日本のサッカーというものに対して誇りを抱き、日本という国に対しての誇りを抱き、自信と情熱を持ってワールドカップに挑むことができるのだと思います。

大切なのは、ともに戦う人々への敬意です。

Welcome HOME
日本サッカー界は“Jリーグ百年構想”というスローガンを掲げています。地域におけるサッカーを核としたスポーツ文化の確立を目指しているもので、100年をひとつの目標として地道な活動を続け、“体育ではないスポーツ”を日常のなかに感じ取ってもらい、日々の暮らしが少しでも豊かになるための働きかけをする活動です。別に「絶対に100年かけなきゃいけない」ってわけではありませんが、南米やヨーロッパのサッカーも、ハーレーダビッドソンもそうした年月によって育まれ、地域の人々を幸せにし、かけがえのない誇りをも与えてくれる存在にまでなっているのです。

世界中の人々とともに切磋琢磨できる大会に参加できていることがどれほど幸せなことか。ワールドカップでの結果にかかわらず、ひとりでも多くの人がそのことを感じ取ってもらいたい。そのためには、サッカー日本代表が飽くなき闘争心をもって90分間諦めることなく完全燃焼してくれることが必要です。今、僕が日本代表チームに望むのはそれだけです。

2014年6月8日日曜日

中田英寿を忘れない

日本がワールドカップに挑む……そのたびに、頭をよぎる光景があります。2006年ワールドカップ ドイツ大会での日本代表の姿です。よくご存知の方は「もういいよ、その話は」とおっしゃられるかもしれませんが、だからこそ振り返っておきたい出来事だと思うのです。

ジーコ監督率いる日本代表は、ドイツの地で無惨に敗れ去りました。日本は強豪国のひとつではありませんから、いつであれワールドカップに挑めば負けるときが訪れますし、それを糧に、4年後、その次へとつなげて戦い続けてきました。初挑戦となった1998年フランス大会はもちろん、自国開催となった2002年日韓大会でも決勝トーナメント一回戦でトルコに辛酸をなめさせられていますし、2010年南アフリカ大会でも同様。敗北は、次なる挑戦へのスタート。何も恥じることはありません。

しかし、ドイツでの惨敗はそれまでの敗北とはずいぶん意味が異なるものでした。日本サッカーの歴史を語るうえで欠かせない“ドーハの悲劇”とも違う惨めなもので、結果論ではありますが、過信した未成熟なチームの末路とも言うべき敗北だったと言えます。そんな日本代表を、良くも悪くも象徴していた存在が、中田英寿という選手でした。

日本代表がまだワールドカップに出場できずに足掻いていた時代に登場した中田は、1997年、フランス大会アジア予選前の親善マッチである韓国戦でフル代表デビューを果たすと、名波浩や山口素弘とともに代表の中盤を形成、瞬く間に中心的存在となり、結果的に日本初のワールドカップ出場権獲得の原動力となります。以降の彼の活躍ぶりは書く必要はないでしょう。1998年フランス大会、2002年日韓大会と続けて日本の中軸として大車輪の活躍を見せ、彼なしでは強い日本代表が成り立たないほどでした。

ドイツ大会での最後の試合となったブラジル戦後、中田英寿は突然の現役引退を表明。29歳という若さでの引退に、日本のみならず世界中が驚いたことでしょう。個人的には、自身のウェブサイト上での発表のみで引退会見を開かなかった彼のスタンスには疑問を抱いてはいますが、中田なりに考え抜いたことでもあったでしょうから、そこは敬意を示したいと思います。

ドイツ大会に挑むにあたり、代表チームは二分していたと言います。“中田派”か“反中田派”か。ジーコ監督から全幅の信頼を寄せられていた中田は、どれだけコンディションが悪くてもチームに合流すればスタメンの地位が約束されているほど重宝されており、チームメイト……主に国内組(Jリーガー)から疎まれていたと言います。彼の直接的な物言いも、そうした空気感をより悪くするものだったでしょう。

結果論ですが、その意識の相違をあえて言い表すとすれば、「世界を相手に勝利するための努力を強いた中田英寿」と「チームとしての調和を乱すウイルスに対して敵愾心をむき出しにしたチームメイト」。2010年南アフリカ大会におけるカメルーンやフランスのように、待遇の悪さや監督に対する不満から内部崩壊を起こすチームは珍しくありません。が、それで貴重なワールドカップでの挑戦を無駄にするというのは、これまで戦ってきた対戦相手や応援してくれている人に対して失礼なこと。

ワールドカップにおいて、何より優先すべきは“勝利すること”。そういう意味では、中田英寿も他のチームメイトも、目的は同じだったと思います。ただ、それぞれが見ている景色が異なっていたため、歩み寄ることができなかった。結果、チームは一枚岩とはなれず、肝心要の連携がバラバラのところを敵に突かれ、グループリーグ最下位でドイツを後にすることとなりました。

ドイツでの敗因をあげるとすれば、マネージメント能力が致命的に欠落していたジーコと、盲目的に彼を起用し続けた日本サッカー協会だと言えます。チーム内における不協和音は、本大会に挑むずいぶん前から世間を賑わせていました。試合における采配や戦術の立て方に対する疑問、そしてチームそのものをコントロールするマネージメント能力が欠落しているところが指摘され、「ジーコで大丈夫か」という声は確かに存在していました。もっと早くに不満が爆発していれば、事前に手が打てたかもしれませんが、ギリギリの状態で保たれていた緊張感は、初戦のオーストラリア戦で露呈し脆くも崩れ去るという最悪の結果を生んでしまったのです。

僕自身は、ザッケローニ率いる今の日本代表に対しては批判的です。ここまで来たら祈るのみではありますが、今までの歩みやザッケローニのマネージメント、チームが醸し出す雰囲気、これまでの戦いぶりなどを見ていると、なぜか2006年ドイツ大会時の代表チームを思い出してしまいます。もちろんザッケローニは世界に名だたるプロフェッショナルとして、3年半にわたって日本代表チームを形成してきたわけで、彼は与えられた任務を忠実に遂行したまで。彼に非はありません。

別に今の日本代表のなかで不協和音が生まれているなんてことはないでしょう。ただ、先のザンビア戦などを観てもチーム状態が上向いていないことは明白。本田圭祐に昔のような当たり強さは戻ってきていませんし、アタッキングサードに侵入してからのパスや動きもちぐはぐしている感じ。アディショナルタイムにおける大久保嘉人の劇的ゴールには大いに驚かされましたが、その直前に同点にされたとき、「これでチーム内の危機感が高まれば、変化が起こるかも」という小さな期待を抱きました。大久保のゴールは誰もが待望していたものですが、あれによって持っておくべき緊張感が霧散した印象すらあります。大久保を救世主扱いする報道を見るたびに、ため息しか出てきません。

これまでの日本代表の歩みが正しかったのかどうか……結果は、まもなく出てきます。ただ、今一度思い出して欲しいのです。2006年ドイツ大会に挑んだ中田英寿をはじめとする日本代表の姿を。今の選手やサポーターはみんなあのときのことを覚えているでしょう、なかにはそのときの代表チームにいたり、ドイツまで足を運んだ人もいると思います。

あの苦い経験を糧に、改めて自分たちの目標を再確認し、できうるすべてのことに取り組んで欲しい。これが、最後のワールドカップだと思って。
 

大会後の4年間を決めるワールドカップ優勝国はどこだ

ブラジル、イタリア、ドイツ、アルゼンチン、イングランド、ウルグアイ、フランス、スペイン。これらはワールドカップ優勝経験を持つ国です。ここ何大会かで初優勝国が2つも登場しましたが(1998年フランス、2010年スペイン)、現在204の国と地域が参加する世界屈指のスポーツイベントであるワールドカップにおいて、優勝経験を持つのはわずかに8ヶ国だけなのです。ちなみにイングランドが優勝したのは1966年と半世紀前、ウルグアイの優勝も1930年と1950年とずいぶん前。つまり、半世紀近くもワールドカップで優勝する国というのは、ブラジル、イタリア、ドイツ、アルゼンチンのいずれかだったというわけですね。

またワールドカップ優勝国は、必ず開催国がある大陸のなかから現れると言います。2002年日韓大会(優勝はブラジル)、2010年南アフリカ大会(優勝はスペイン)と、いわゆる“第三世界での開催”はイレギュラーとして、1986年メキシコ大会ではアルゼンチンが、1990年イタリア大会では西ドイツ(現ドイツ)が、という感じです。

結果論ではありますが、ワールドカップが終わってみると、優勝トロフィーを掲げている国というのは大きく予想から外れたりはしていないもの。大抵「ああ、やっぱりね」、「うん、まぁ彼らなら優勝できるよね」という感じで幕を引くことが多いです。余談ですが、2010年南アフリカ大会のとき、ベスト4が出そろったときに勤めていた会社で「どこが優勝するか!?」という賭けをし、ほとんどがスペインまたはオランダに賭けるなか、僕ただひとりウルグアイに票を投じました。「せっかくなんだから、“ええー! まさかここが!?”って国が優勝した方が面白いやん」という理由からです。ジャイアントキリングこそフットボールの醍醐味ですからね。

そんな大物食いを楽しみにワールドカップを観戦するものの、上記のとおり、終わってみれば本命または対抗が優勝トロフィーを手にしています。前回大会のスペインは初優勝でしたが、チームのベースとなっていたのは当時最強のクラブチームだったFCバルセロナ。サプライズというほどの結果ではなかったと思います。

「優勝するのは本命どころ」、「開催国の大陸から優勝国が出る」というワールドカップのヒストリーにならって、個人的に優勝国を予想してみるとすると……。

【本命】ブラジル
【対抗】アルゼンチン
【大穴】ドイツ

うーん、無難すぎ(笑)。かなり真面目に予想すると、こんな感じになっちゃうんじゃないでしょうか。国のレベルによってワールドカップへの挑み方はかなり違います。日本ぐらいのレベルだと、まずはグループリーグの3試合への対策でいっぱいいっぱいですが、優勝経験者しか持ち得ない“勝者のメンタリティ”を有する国は、決勝戦までの一ヶ月におよぶ長丁場での戦い方を想定したチームづくりをしてきます。当然「世代交代がうまくいっているか」、「選手層は分厚いか」、「土壇場で踏ん張れるメンタルが備わっているか」という要素は必要ですが、“優勝した経験を持つ者”と“そうでない者”のあいだにある隔たりは、想像している以上のもの。本田や長友が「ワールドカップで優勝する」と言ってくれるのは頼もしい限りなのですが、カンタンなことではないのもまた事実。

本命はやはりブラジル。王国であり開催国でもあるゆえ、これまで入念なチームづくりが図られてき、成熟のときを迎えたという印象です。各ポジションを見てもワールドクラスの選手が顔を並べており、盤石とも言える状態にあるよう。懸念されるのはワールドカップ反対の暴動。自国開催にもかかわらずネガティブな声が聞こえるというのは小さくないマイナスイメージですが、1998フランス大会のときのように、勝ち上がっていけば国内の雰囲気も変わってくるんじゃないか、とも。

対抗は悩みましたが、やはりアルゼンチンか。メッシ、アグエロ、イグアインを要し、マスチェラーノやディ・マリアらが中盤を引き締める陣容はまばゆいばかり。特に前線の3人は、2002日韓大会で優勝したブラジルの3R(トリプルアール/ロナウド、リバウド、ロナウジーニョの3FW)をほうふつさせます。今大会にかけるメッシの意気込みも相当なものと聞きますし、南米開催で彼らが奮起しないわけがない。

大穴といったら失礼ですが、南米開催ながらこれまでの定説に風穴を空けてくれることを期待してドイツ押し。ここ数年のブンデスリーガの飛躍は目覚ましいものでしたが、ラーム、シュバインシュタイガー、クロース、ポドルスキー、ゲッツェ、ロイス、エジル、ノイアーといった国産選手の成長がそれを支えていたと言っていいでしょう。鉄板ではありますが、今のドイツサッカーはかなりスペクタクルなものに仕上がっていますからね。

そして、優勝国以上にワクワクしてしまうのがダークホースとして躍動する国の存在です。「ワールドカップをかき回して欲しい!」という個人的欲望から言えば、期待をしているのはベルギー、コロンビア、クロアチアあたりでしょうか。特に若くて勢いがあるベルギーには、ベスト4ぐらいまで突っ走ってきてもらいたいところ。1994年アメリカ大会のスウェーデン、1998年フランス大会のクロアチア、2002年日韓大会のトルコ、2006年ドイツ大会のポルトガル、2010年南アフリカ大会のウルグアイと、フレッシュなダークホースは大体ベスト4まで勝ち残っているもの。個人的には「そのまま優勝しちゃえ!」とか思ったりしますが(笑)。

得点王争いも興味深いポイントですね。近年は“9番的ストライカー”と呼ばれる人種が減少傾向で、ドイツやスペインなどのように“ゼロトップシステム”という古典的なフォワードを起用しないチームが増えてきています。そんななか、誰が得点王に輝くのか。ちなみに優勝国から得点王が生まれたのはここ数十年で一度きりで(2002年日韓大会のロナウド/ブラジル優勝)、優勝候補国にも有能なストライカーはいますが、ロナウド(ポルトガル)やカバーニ、スアレス(ともにウルグアイ)、ファルカオ(コロンビア)、ジエゴ・コスタ(スペイン)、バロテッリ(イタリア)など注目度の高い選手がずらり揃っています。1994年アメリカ大会のサレンコ(ロシア)みたいな意外性のあるストライカーの出没があると、大会も一気に盛り上がりそうですね。

大会を制する国の戦い方が、その後4年間のトレンドをつくるとも言われています。優勝国予想をしつつ、本大会観戦時は各国の試合展開を楽しみたいと思います。

2014年6月6日金曜日

最先端から加速するイタリアンバイク


2014年6月5日(木)、東京・新木場のスタジオコーストにて催されたドゥカティジャパン主催のイベント「Monster 1200 National Launch」にて、最新モデル「モンスター1200」および「モンスター1200S」が発表されました。また株式会社カプコンの人気ゲームソフト「モンスターハンター」とコラボレーションしたモンスター1200 モンスターハンターバージョンも発表されるなど、かつてないほど大きな話題を呼ぶイベントとなりました。

Monster1200 × Monster Hunter
この「モンスターハンター」というゲーム、僕はやったことがないので聞いたままの説明となりますが、このゲームのシリーズを通して人気の「リオレウス」をイメージし、カプコンがデザインをおこしてドゥカティがハンドメイドで仕上げたコラボレーションモデルがこれ。話自体はカプコンから持ちかけられたそうで、ドゥカティジャパンはふたつ返事で了承、ことはかなりスピーディに進み、当初予定していた以上の早さでここまでこぎ着けたのだという。このコラボバイクはドゥカティジャパンのウェブサイトや正規ディーラーなどで受注生産での販売を行っていくとのこと。同ゲーム10周年を記念したというアニバーサリー仕様でもあるので、ファンの方にとっては見逃せない一台と言えるでしょう。また日本各地で開催される「モンスターハンター」のイベント会場にも展示されるそうなので、気になる方はぜひ実車をご覧になってください。

Monster1200 × Monster Hunter
 “火竜”リオレウスの真っ赤な鱗と吐き出すブレスを表現したデザイン、ハンドメイドで丁寧に仕上げたとあって、間近で見るとすごい迫力です。ちょっと写真では表現しきれないグレードですね。


モーターサイクル業界からの視点という意味で言えば、こうしたドゥカティの試みは革新的。最近では熊本県のゆるキャラ「くまモン」とコラボレーションしたバイクが登場するなど、免許を持っておらずバイクというものに関心が持てていない一般の人に向けて、こうしたアプローチをするというのは大きな意味を持っています。やはり“バイクに乗る”というのは、実際に取り組むとなるとハードルは低くなく、それゆえ一般の方々との温度差もかなりあるからです。

例えば400cc以下のバイクに乗るとした場合、「免許を取る」「バイクを買う」「必要な用品(ヘルメットなど)を買う」「置き場所を考える」といったことが必要になってきます。最初の三つに取り組むのでもかなりのお金と労力を要するのは想像に難くないかと思います。これがドゥカティなど大型バイクともなると、さらに大きな力が求められるわけです。

そうしたことをすべて乗り越え、モーターサイクルの世界を楽しむライダーは大勢います。その原動力となったのは、「このバイクに乗りたい!」という激しいモチベーションにほかなりません。何をおいても手に入れたいという強い欲求が、興味がない人からすれば理解できないであろういくつものハードルを軽々と超えさせてくれるのです。かくいう僕も同じクチで、実際にバイクに乗るようになったのは20代後半のこと。遅咲きも遅咲きですが、別に若くから乗っていなきゃいけないルールなんてありませんからね。こうした人気ゲームとのコラボレーションをキッカケに、「モーターサイクルに興味を持ってもらいたい」というドゥカティの試みは、エンスージアストの色濃さが際立つモーターサイクル業界に新しい風を吹き込むことになると思います。

「バイクは危険な乗り物」と言われますが、おっしゃるとおり。クルマと比べれば安全性という点で大きな差があります。しかし、モーターサイクルに乗ることでしか味わえない快感や感動がそこには存在します。それを知るためには実際に乗るのが一番ですが、“乗る”というところにたどり着くにはキッカケが必要。もちろん乗るようになってから学ぶべきことは多々ありますが、キッカケを経てモーターサイクルに興味を持ってもらい、その楽しさを知ってもらいたいと常々思っています。そういう意味で、今回のドゥカティのプロモーションは、企業として大きく評価されていい試みだと思うのです。
 
ゲストとして、永井 大さんと釈 由美子さんが登場
DUCATI Monster 1200S
また、「さすがイタリアが生んだモーターサイクルメーカー」と感心させられたのは、モデルを生み出すまでの過程。「こんなバイクをつくろう」と最初にデザイナーがスケッチをおこし、そこから開発が始まるわけですが、当然その過程で「これはできない」、「ここは合理性を優先してこうしよう」という話が出てきて、結果的に最初のイメージとは似ても似つかないものが出来上がるということ、多々あることと思います。しかし、そこはさすがのドゥカティ、何事においてもデザイナーのファーストスケッチが優先され、イメージしたデザインのモーターサイクルに近づける努力を惜しまないのだと言います。これはドゥカティだけでなく海外のモーターサイクルメーカーに共通する“デザインありき”の哲学で、メーカーによってカラーは異なるものの、日本のメーカーにはない“色気”がそこかしこから匂い立っているのです。女性のボディラインをイメージしているというドゥカティにいたっては、全身からフェロモンが解き放たれているよう(笑)。

 「もっと多くの人に、モーターサイクルに触れてもらえる機会を持っていただきたい」という情熱がひしひしと伝わってきた今回のドゥカティ プレスカンファレンス。今後、さらに大きな試みを用意しているということで、非常に大きな期待を抱いてしまうところです。これからもドゥカティの革新的な動きには注目していきたいですね。


2014年6月2日月曜日

バイク買取業者の影は盗難の警告

先日、バイク盗難の防止用製品を手がけるメーカーの知り合いから連絡をもらいました。「多摩など東京西部方面で、バイク盗難事件が起こっている」とのこと。相談件数の多さから、多摩地区まで話を聞きに行ったそうです。

「夜になると極端に人通りが少なくなるから、窃盗グループからすれば格好の作業場。これは狙われるよなぁ、という環境だった」

何年も前からメーカーとしてバイク盗難防止のための製品づくりや活動に従事してこられた方で、今も茨城県警などと共同で四輪・二輪の防犯活動を展開されています。そんな経験豊富な御仁が、パっと見て分かるほど“盗られやすい”環境と言われると、縁遠い場所とはいえ背筋に寒いものが走るよう。

特に気になったのが、「バイク買取業者の姿」だと言います。

「ご不要になったオートバイなどございましたら……」というくだりで住宅街をまわる軽トラックの存在を思い出される方も多いかと思います。あれはいわゆる一般的な買取業者ですが、その昔、「ああやってバイクの有無を確認しているんだ」なんてバイク盗難に関する都市伝説のような噂が広まったこともありました。なもんで、一時期は拡声器でその文句が聞こえると、「このエリアが狙われている!?」なんて警戒心を働かせたものです。ええ、未だ都市伝説の域を出ておりませんが。

バイクオーナーの方に特にご注意いただきたいのは、“バイク買取の告知ビラ”です。ある日、家に帰ると自分のバイクのハンドル部分に「あなたのオートバイ、高く買い取ります!」という10センチ四方ぐらいのビラが輪ゴムで括り付けられてあって、不愉快な思いをした……という経験、お持ちのオーナーさんは多いかと思います。

あれこそ“バイク盗難チェック”の証です。

基本的にあんなビラを括り付けられて、気分を害さないわけがありません。当然ながらオーナーはそのビラを引っぺがすわけですが、窃盗グループは"括り付けてから取り除かれるまでの期間”または“取り除かれないままのバイク”をチェックしているのです。

取り除かれないままなら、オーナーがそのバイクに対して関心度が低いことを示しているわけで、多少の物音や普段と違うことが発生しても、動いてくることはありません。逆に取り除かれる期間が短いということは、オーナーが頻繁に様子を見に来ることの証拠なので、狙いをつけたとしても優先順位は下がるでしょう。

冒頭の御仁が多摩地区でリサーチをしたところ、このテのビラがいくつも見受けられたと言います。すなわち、現在バイク窃盗グループの動きは東京都内、主に西方面で動き出していると見て良いでしょう。また、狙われているのは最近多発しているハーレーダビッドソン等に限らず、国産旧車などもターゲットになっている模様。東京西部という言い方をしていますが、東京都全域そして神奈川県含め、おそらく窃盗グループの活動範囲だと思われるので、このエリアにお住まいの方はご注意ください。

いずれにしても、このビラが自身の愛車に付いていた際は、警戒値を最大限にまで上げていただきたいです。仮に何も起こらなかったとしても、“自分のバイクが無事な日々を送ること”が重要なのであって、警戒心はどれだけ高めたとしても損をすることはありません。

B'z稲葉浩志のソロ曲『Stay Free』ロケ地解析

日本を代表する人気ロックバンド B'z。僕は『love me, I love you』(17作めシングル/1995年7月7日リリース)からの大ファンで、かれこれ20年近い付き合いになります。結成が1988年と、その活動も26年めを迎え、ギタリスト松本隆弘さんは53歳、ヴォーカリスト稲葉浩志さんは49歳に。そんな歳を感じさせない精力的な活動にはただただ感心させられるばかり。

そんなB'zですが、昨年からそれぞれソロ活動に専念。このふたりに関しては「ソロ活動=解散説浮上」の構図が成り立たないほど仲が良いのですが、興味深かったのがヴォーカリスト稲葉浩志さんのコト。ソロシングル『Stay Free』は作品としても素晴らしいのですが、特に「ええぇ!」と驚かされたのがPV(プロモーションビデオ)でした。

稲葉浩志 ソロ『Stay Free』PVのワンシーン
PVが流れるなか、稲葉さんがバイクでひたすら走り続けるのです。ライダーとして、B'zファンとして、そしてモーターサイクル業界のメディアとして、これは驚愕の作品と言えるもの。それぞれポイントを挙げながらご紹介させていただきます。


【Motorocycle】
[MV Agusta 750S]
もう、信じられないのひとこと。ベースは1972年式 MVアグスタ 750S。“バイクのワールドカップ”ロードレース世界選手権(現在のMotoGP)で数々のタイトルに輝いた名門メーカーで、この750Sはレーサーマシンの750cc並列4気筒搭載モデル。一台数百万円を超える“至高のバイク”で、この世に何台とありません。

Shinya Kimura / chabott engineering
そしてもうひとつの“信じられない”が、このバイクをカスタムした人。アメリカに居を構えるカスタムショップ chabott engineering(チャボエンジニアリング)の日本人ビルダー木村信也さん。文字どおり日本を代表するアーティストとも言える方で、僕らモーターサイクル業界で「彼を知らない人間はモグリ」と言っていいほどの著名な人物。それこそ、ブラッド・ピットやディビッド・ベッカムのバイクを手がけるビルダーとして知られているのです。そんな木村さんが手がけたMVアグスタ 750Sのカフェレーサー“blue-one”。世界の名だたるビルダーも注目する彼の一台、まさか稲葉さんが所有しているとは。しかも、それに乗ってPVって! ぶっちゃけ、これ一台1,000万円以上するはず……。


blue-one
よくよく調べると、B'zのファンクラブ会報誌「B'z Party」のなかで、稲葉さんが“もっとも尊敬する人物”として木村さんの名を挙げていたそうです。アメリカに赴いた際は、彼の工房にも顔を出しているとか。確かに10数年前、まだ日本にいた木村さんにヴィンテージハーレーのカスタム依頼を出しているんです。心の深いところに入り込む言葉を奏でる稲葉さん、きっと木村さんのなかの“何か”が強烈に刺さったんでしょうね。

余談ですが、その10数年前に稲葉さんからオーダーを受けた当時の木村さん、日本のポップミュージックにまったく感心がなかったため、直後のカスタムショーで仲間のビルダーに「なぁ、“びーず”って知ってるか?」と聞いていたとか。聞かれた面々も「さぁ?」という感じで、今僕がバイクの面倒を見てもらっている大阪のトランプサイクルの長岡守さんだけが「おい! それB'zやろ!」とツッコんだと聞きます(笑)。

超レアバイクをベースに、世界最高峰のカスタムビルダーが手がけたフルカスタム カフェレーサー。これだけで、このPVに登場しているバイクがどれだけスゴいものか、お分かりいただけたかと思います。


【Location】

撮影ポイント
主に東京都内のハイウェイと一般道で、とりわけモーターサイクル業界でも多用する撮影スポットが見受けられました。細かいところはさておき、大きく分けると、「レインボーブリッジ」「ゲートブリッジ」「首都高速道路」「大井埠頭」というところ。

▼首都高速道路
首都高は、撮影班(カメラマンを載せたサポートカー)と環状線をぐるぐるを走り回り、前から、そして後ろからの走行映像を撮ってから、流れで中央道へ向かう新宿線へと入っていったんじゃないでしょうか。普段日中だと首都高は渋滞しますから、まわりのクルマが少ないところを見ると、すっごい早朝にロケをやったのか、人が少ない大型連休に行ったのか、ってところでしょうか(ムービーのエフェクトでクラシカルにしているので、日中というところしか分かりません)。
左は谷町JCT、右は首都高 都心環状線 飯倉〜谷町間のトンネルですね
首都高 新宿線を八王子方面に向かっているよう
▼レインボーブリッジ
そしてレインボーブリッジとゲートブリッジ。こちらはド定番とも言える場所。特にレインボーブリッジは、首都高側を走れば景観が良いですし、一般道側ならちょうど良いカーブを描いているので、どちらも画になるんです。バイク雑誌やウェブのバイク記事の走行カットを見ると、レインボーブリッジが多用されているのに気付くかと思います。どちらも交通量が多い道ですので、タイミング次第ですね。
首都高 レインボーブリッジ
左はレインボーブリッジの一般道側でしょうか。右は首都高 芝浦PAへの入口
▼ゲートブリッジ
ゲートブリッジ
ゲートブリッジは、道自体はストレートながら、都心とは思えないスカっと抜けた画(え)が撮れるスポット。僕もモーターサイクル誌等の撮影で用いることが多い場所なので、見た瞬間に「あ!」と気付いちゃいました。潮風がダイレクトに吹きつけるところなので、風が強い日はバイクで走るのが若干怖かったりしますが、片方に東京湾が、もう片方に東京の街並みが見えながらのライディングが楽しめるので、ここを走るライダーも多く見かけます。

ゲートブリッジの若洲側
ゲートブリッジ 若洲側の交差点。ここでコーナーを曲がる稲葉さんが二度登場
▼大井埠頭
お台場とトンネルでつながる大井埠頭でも走行撮影がされていますね。スチールだとパッと見たときの背景がイマイチなんですが、こうしてイメージに振った映像として見ると、コンテナ群のなかを走るバイク……という感じで良い意味での殺伐感があると思います。“大都会をバイクで駆け抜ける”というテーマのなかの一枚としては面白い画ですよね。

大井埠頭のコンテナ群。左側の画は、おそらくGoProで撮影したものでしょう(笑)
大井埠頭〜台場をつなぐトンネル。右下の場所は、ちょうど台場側に出てくるところ

僕もモーターサイクルに関するムービーを撮影&編集することがあるのですが、撮影班を組む大変さはもちろん、何が難しいかって、編集するうえで必要になる“音楽”なんです。最近はフリーの音源(有料/無料とも)がネット上で手に入るようになってきましたが、イメージ性の強いムービーだと、その展開に合ったサウンドが入っていないと、仕上がったときに違和感が残るのです。

そういう意味で言えば、この『Stay Free』のPVは、そのサウンドありきでつくられているから、作り手側からすればイメージは沸きやすいですね。稲葉さんが登場し、稲葉さん(ソロ)のサウンドが奏でられ、稲葉さんが敬愛する人物が手がけたバイクが登場し、そんな稲葉さんのイメージをメインにまとめられている……いわば“稲葉浩志さんによるフルプロデュースムービー”というもの。バイクがカッコいい、モデルがカッコいい、サウンドもカッコいいと、限られた予算のなかでしこしこムービー撮影をする人間からしたら、すべて“反則技”以外のなにものでもありませんが(笑)。

そんな稲葉浩志さんのソロ曲『Stay Free』PV、こういう舞台背景なんかを知ったうえで見ると、また違った新鮮みがあるかも……?