2015年10月11日日曜日

ハーレー日本人デザイナー ダイス・ナガオ氏インタビュー #01

2015年9月11日(金)、ハーレーダビッドソン ジャパンにて米H-Dカンパニーの日本人デザイナー、ダイス・ナガオ氏へのインタビューが実施されました。そのときの全文をこちらでご紹介します。


■Profile
ハーレーダビッドソン モーターカンパニー
シニアインダストリアルスタイリスト
ダイス・ナガオ
Dais Nagao

ハーレーのマシンデザインを手がける部門で活躍する若き日本人デザイナー。ストリート750開発に携わり、現在進行中のストリート750カスタムプロジェクトの指揮を執る。世界のカスタムシーンについても一家言を持つ期待のニューカマーだ。




■夢にも思わなかったH-Dカンパニーでの日々
 
――ご出身は日本なんですね。
そうです、横浜に生まれて、今実家が千葉県柏市にあります。

――渡米は高校を卒業してから?
そうですね、渡米のための資金稼ぎとして、高校生のときからアルバイトをしていて、卒業後も働いてお金を貯めていました。

――渡米して二輪に携わる仕事をしたい、と?
そうですね、仕事として考えていたわけではなく、バイクが好きだから、大好きなアメリカでバイクに携わりたいと、漠然と考えていました。

――高校当時に乗られていたバイクは?
四発バイクですね。青と銀の750ニンジャにKERKERのマフラー入れて。四発の集合管入りバイクなら大体乗った経験はあります。

――渡米後は?
アメリカの大手オートバイメーカーにデザイナーとして就業しました。

――そのメーカーに入社するのは難しかった?
難しかったですね。アメリカで通った大学がカーデザインの大学で、ポートフォリオを持って就職活動をしていました。他にも気に入ってくれた四輪メーカーはあったんですが、自分は二輪のデザインに携わりたかったから、その二輪メーカーでの就業が決まるまで、よそへの就職は考えもしなかったです。

――採用まで時間がかかったんですか?
その会社だけが採用の是非に関する答えが一番遅かったですね。採用する時期じゃなかったのかもしれない。

――何年お務めだったのでしょう。
10年勤めました。

――もちろん主な仕事はバイクのデザイン?
そうですね。

そのメーカーで10年めを過ごしていたとき、デトロイトにいるカーデザイナーの友だちが「ハーレーがシニアデザイナーを探している」と教えてくれて、絶対トライしてみようと思って、応募しました。

――「いつかはハーレーダビッドソンで働きたい」と思っていた?
いえ、全然そんなことは思っていませんでした。アメリカにおけるハーレーダビッドソンは絶対的な存在で、自分と縁があるなんて想いもしませんでした。
それまで僕は、“ハーレーのデザイナーというのは、ウィリーGが後継者を育てているから、外部から入れるものじゃない”と思っていたんです。ハーレーで働きたいと思っているデザイナーは山ほどいて、そのサークルのなかからウィリーGが「よし、お前はなかなかいいな」と引き抜く方式をとっているのだ、と。
だから、ハーレーがパブリックに応募をしているという事実に驚きました。
「自分にもチャンスがある、それならチャレンジしてみたい」、そう思って応募したんです。

――アメリカにおけるウィリーGという存在は神格化されている?
ええ。だってハーレーダビッドソンはいろんな人にとって宗教に近い存在になっていたりしますし、そういうレベルのブランドですから。
だから、応募の話を聞いたとき、「彼らが日本人である私の実力をどう判断するかを知りたい」という気持ちがありました。
私もアメリカでの生活が長かったので、あの国におけるハーレーのブランドは十分理解していましたので、はたしていけるのかどうか、ワクワクしていました。

――面接の手順はどんな感じだったのでしょう?
まず自分のポートフォリオを送って、そこをクリアしたら、今度は電話で長いヒアリングをされました。それをクリアして、ようやくハーレー本社があるウィスコンシン州ミルウォーキーでの第一次面談になったんです。
その後、二回目の面接でまたミルウォーキーに赴いたんですが、そのときのリストにウィリーGの名前があったんです。セカンドインタビューで彼の名前が入っているということは、「これは最終面接だ。大変なことだ」と思いました。
そして、「これで決まったら、俺はもうここで働くしかない」と思っていました。
だって、ウィリーGが面談をしてくれるのですから。こんな名誉なことはありません。

――そして、ウィリーGに会えた?
ところが、面接質に入るとウィリーGがいなかったんです。どうも体調を崩したようで……さすがにがっかりしました(笑)。お会いしたことがなかったので、期待に胸をふくらましていたのに!

――それから就職が決まり、H-Dカンパニーのインダストリアルデザインのチームへ。今ではウィリーGとも日常的に?
それはないですね。ウィリーGも第一線から退いているので、こちらが会いたいと思うほどは会えません。

――彼がカンパニーには来られることはあるんですか?
彼が来るというよりも、俺たちが会いに行くという感じですね。
理由はなんでもいいんです。就業何周年だったりバースデーだったり、無理矢理理由をこじつけて会いに行っています。

――やっぱり、少しでも多くの時間を共有したい?
もちろんです。フェラーリのエンツォ・フェラーリ、ホンダの本田宗一郎と同じく、ハーレーダビッドソンにはウィリーGなんです。
彼も今はまだ元気だけれども、歳を召しているので、この先どれだけ会えるかわかりません。
だから、会えるならどんなことをしても会いたい。
ハーレーダビッドソンを支えたデザイナーという彼へのリスペクトからの想いです。

――ダイスさんが見たウィリーGのすごいところは?
頭の回転が早く、そしてツボをおさえたジョークがうまいことですね(笑)。
周囲を笑わせるのがうまいジョークが言えるんです。
すごくフレンドリーなところも、彼の人柄ですね。

――ウィリーGの存在感はかすれたりはしていない?
もちろんです。ハーレーダビッドソンと言えばウィリーGですから。
今回(2016年モデル)の最新カタログに、俺やベン・マッギンリー(新型フォーティーエイトを手がけたデザイナー)が載っていますけど、ウィリーGを差し置いて……という点では恐れ多いな、と思っています。「やっぱりここに出るべきはウィリーGだろう」と、俺やベンも思っています。

――それはデザインチーム全体が共有している想い?
そうですね、カンパニーをリスペクトするということは、ウィリーGをリスペクトすることと同じですから。

――日本でのウィリーGに対する認知度は、アメリカほど大きくないです。
まぁ、誰もがエンツォ・フェラーリを知っているわけじゃないですからね。でも、本当にハーレーダビッドソンのことが好きなら、ウィリーGのことは知っていて当然だと思います。

で、俺がいつも思っていることがあるんです。
カンパニーの方針としていろんなデザインにトライすることを求められ、自分なりに間口を広げているつもりですけども、「ハーレーダビッドソンは、ダビッドソン家の手によって生まれたバイクなんだ」という想いは常に頭のなかにあります。ハーレーダビッドソンを俺のバイクと思ったことは一度もありません。

――ストリート750も含め、すべてのモデルがダビッドソン家のものだ、と。
ストリート750に関しては、俺は語る言葉を持っていません。開発に携わったのは一部だけですから。

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