2015年7月22日水曜日

日本のツアー添乗員が「ベビーシッター」と揶揄されるワケ

■トイレの場所まで世話をする
旅行代理店のツアー同行取材でとある国を訪れた際、夕食の席をともにしたツアー添乗員と現地係員からこんなことを聞きました。

「日本のツアー添乗員はね、海外では“ベビーシッター”って呼ばれているんだよ」

聞けば、「トイレはどこにある?」、「ホテルのカギが開かない」、「メニューが読めない」、「フォークを落としたから取り替えてくれ」などなど、海外の方から見れば「そんなことまで面倒見るのか?」という場面に遭遇することが多く、やや呆れ気味な表現として“ベビーシッター”を用いているとか。

その話を思い出したのは、5月にアメリカに行ったときのとある出来事から。そのときもツアー同行取材で、ご一緒した現地係員のNさん(日本人)に「今度アメリカに来るツアー団体の引率をするんだけど、宿泊するホテルが初利用なんで、下見に行くんだ」と言われ、興味本位でついていったのです。

カジノの街ラスベガスで、中心部から少し離れたところにある南米風の大型ホテルが目的の場所でした。アミューズメントの要素が強い街でもあることから、ラスベガスのホテルはどこも巨大迷路のようになっており、数日間の滞在ぐらいで構造を把握するのは困難なほど。わずか1〜2泊のツアー団体であれば迷子になるのは必至。それも高齢者のツアーとなれば、なおさらです。

Nさんは入り口から最寄りのトイレの場所を確認し(到着後、トイレを希望される方が多いことから)、ツアーが利用するフロアへあがって大体の構造をチェック、そして一階にあるレストランのラインナップも確認していました。

確かに高齢者にとっては、ジャンキーなアメリカンフードが連日続くというのはなかなかに辛いものがあるかと思います。とはいえ、“郷に入っては郷に従え”、せっかく自ら希望して訪れた国なのですから、その国を楽しみ尽くす意味で寛容に受け入れればいいのでは?と思います。

しかし実際は、Nさんがトイレの場所までわざわざ事前視察するのが当たり前になっているのです。


■他人に依存しない欧米人
世界遺産など、海外の有名な観光スポットを訪れると、さまざまな国の観光客と遭遇します。彼らの様子を見ているとお国柄がよく出ていて、国ごとに行動パターンがくっきり分かれています。

欧米諸国の観光客は、良い意味でマイペース。限られた日数のなかに数多くのメニューを詰め込んだツアーをこなす日本人と違い、十分な休暇日数を確保したうえで来訪しているので、同じ人間とは思えないゆとりある過ごし方をしています。ゆとりがあるから、訪れた観光スポットでも意外な見どころを見つけたり、カフェでいつまでもくつろいでいたりするのです。分刻みで動く日本のツアーとは実に対照的。

そして、自己責任という言葉を体現してもいます。自由に過ごす=他人に依存しないスタイルで、ツアー形式で添乗員がついていても、日常的なことは自分で解決しようとします。見ていると、添乗員も必要以上に干渉していません。団体で大きなテーブルについても、各々がウェイターを呼んで注文していくのです。「そりゃ当たり前だろう」と思われるかもしれませんが、ドリンクひとつ頼むのに添乗員に声をかける日本のツアーの模様を目の当たりにすると、「どうしてこうも違うのだろう」と思わされます。

これに関しては、言語の違いも大きく影響しているのでしょう。訪れた国が特有の言語を使っていても、英語ならある程度のコミュニケーションが図れるので、欧米の方々は得意分野でもある英語で躊躇なく現地人に話しかけていきます。有名な観光スポットともなればカタコトの英語ぐらい話せる現地人は少なくないので、そこでコミュニケーションが成立するのです。

しかしながら、日本人にとって英語が得意分野かと言われると、答えはノーでしょう。こういうシチュエーションで必要以上の能力が求められることはありませんが、それでも英語に対するコンプレックスは根強いためか、日本においてもいきなり外人に話しかけられたら戸惑う場面が多々ありますよね。

そうしたコンプレックスが少なからず作用しているのかもしれませんが、とはいえツアー添乗員に必要以上のことが求められているフシが見受けられるのも事実。見ていると、日本で過ごしているときと同じような環境を求めている方が多いようです。


■伝えようという意思の問題?
私自身、英語は堪能ではありません。学生時代も英語は苦手教科で、しょっちゅう居残りをさせられていました。おかげで、ある程度突っ込んだコミュニケーションを図らなければいけない場面で単語や文法が浮かばずに立ち往生することが今なおあります。

ただ、せっかく海を渡ったのだから、その国の文化や生活に対して敬意を払い、その国の人々と交流を図ることで新しい価値観を学び、広い世界に目を向けられるようになりたいとは思います。

言葉の問題などもあり、なかなか普段のように過ごせないことが多いのが海外。しかし、新たな価値観を求めるからこそその国に飛び込んでいったのですから、もっと積極的に関わりを持っていけばいいのになぁ、と思わされることが少なくありません。

言葉がわからなくても、筆談でも何でもコミュニケーションを図る方法はいくらでもあります。もちろんその最たる方法は「英語を覚えること」ではあるのでしょうが、型にとらわれず、もっと自由に交流するのは十分に可能です。

添乗員がベビーシッターと呼ばれているというのは、日本人が依存性の高い民族だと言われていることでもあります。これ、かなり恥ずかしいことだと思うのですが……いかがでしょう。

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