2015年7月22日水曜日

新国立競技場騒動から見える日本の成金体質

■早い段階で発動した自浄能力
新国立競技場に関するドタバタ話、さまざまなニュースで「もう見飽きた」という方も少なくないでしょう。あり得ない建築費に責任のなすり合い、世間知らずな政治家の暴言など、よくもまぁこれだけいろいろネタを提供してくれるもんだなぁ、と感心するばかり。

ただまぁ、この段階で「待った」をかけるだけの自浄能力があっただけマシだな、と思います。

オリンピック、そしてサッカー・ワールドカップ。世界最大級のスポーツの祭典2つについては、ここ何十年かでこうしたお金に関するゴタゴタは日常茶飯事と化しており、珍しくもなんともなくなっています。2010年W杯南アフリカ大会ではスタジアムが開催に間に合わなかったり、FIFAなんてただいま汚職まみれの実態が暴かれている真っ最中。新国立に関する件で「重要なのはデザインではなく、開催に間に合うスタジアム建設だ」などとのたまっているIOC(国際オリンピック委員会)だって、叩けばいっぱいホコリが出るはず。

日本人には「正々堂々」「清らかであること」という美徳が根付いており、それがこの新国立競技場に関する暴露ニュースの汚さに触れ、ナイーブな反応が出ているだけのこと。そもそも、東京都民が「ぜひ我が街でオリンピックを!」、「世界の一流アスリートの集いを東京で!」と熱烈に望んで得た開催権というわけでもないですから、面白がって騒ぎ立てようとするメディアに乗せられるのも如何なものかと思います。

ビジネスありきでの招致ですから、「ずいぶん早い段階で歯止めが効いてよかったね」ぐらいで良いと思います。


■端から見れば、ただの成金
一方、今回の騒動は日本という国のみっともなさを露見することにもなりました。普通じゃ考えられないスタジアム建設費を算出し、「そのまま通しちゃおう」(そして利権にあやかろう)という体質が露になったわけです。オイルマネーで豊かな中近東諸国ならともかく、スタジアムひとつにこんな予算を計上しよう神経そのものが、発展途上国やそれ以外の国では考えられないこと。先進国でさえ「……オイオイ」と漏らしたくなる内容でしょう。

見栄を張るのは大いに結構なのですが、これじゃただの成金です。

これによって、「不況とか言ってるけど、やっぱり日本ってカネ持ってんじゃん」と他国の人に再認識されることになったでしょう。確かに日本は発展途上国と比べても経済的に発展しており、豊かな国だと思います。でもその実、高度経済成長期のような勢いはなくなり、変わりゆく時代の流れに社会構造が対応できず、歪な状態に陥っているのが実状。

次世代の育成もできない老害がいつまでも権力の座に居座り、見栄を張って湯水のように予算を注ぎ込もうとする。「たった2500億円も国が出せないのか」なんて発言は最たる例で、どれだけ日本という国の現状を知らないか、現場を知らないかがそのまま出てしまっています。こういう方が政治の上層部にいる限り、日本の成金主義は治らないでしょうね。

ビジネスありきでの招致そのものを批判する気はまったくありません。ただ、それならばもっとビジネスライクに行けばいいと思うのです。

最小限の手間で、最大限の効果を。

お金をかければ良いものができる、そんなのは当たり前。それよりも発想力を軸に、最小限のコストでユニークな器(スタジアム)を作る、日本らしい演出をそこかしこに配置するという考え方こそがホスト国に求められているものですし、それこそが日本古来の美徳である『オ・モ・テ・ナ・シ』の精神に通ずつものじゃないでしょうか。札束で観光客を招き入れるだけの接客は、下品な成金以外の何ものでもないと思いますが、いかがでしょう。

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