2015年6月6日土曜日

「お金がないから」と言い訳するメディアに未来はない

先日、『フィフス・エステート/世界から狙われた男』という映画のDVDを観ました。主演はベネディクト・カンバーバッチで、ヨーロッパで生まれた内部告発サイト「ウィキリークス」の設立からイラク戦争の民間人殺傷動画公開事件までをフィクション風に描いたスリラー映画です。

内部告発者によってもたらされたありとあらゆる機密を素材のまま公開するウェブサイト「ウィキリークス」をはじめとするウェブメディアは、確かに既存メディアのあり方を大きく変えました。日本においても、とりわけ紙媒体に対して変化を強要したと言っていいでしょう。

インターネット上における情報の氾濫によって、新聞や雑誌といった紙媒体の売り上げが激減した……。媒体によっては直接的な因果関係を見出すのは難しいですが、肌感覚のレベルでも、確かにそのとおりだと思います。かつて情報源が紙の印刷物に限られていたところ、インターネットを利用すれば無料で手軽に得られるようになった。スマートフォンやタブレット機器などハードの発展もあり、その動きは加速化しています。

とはいえ、今なお印刷物需要が完全に消え失せたわけではありません。書店が激減している昨今ですが、駅の売店やコンビニエンスストアの本棚には今もびっしりと雑誌等が並んでいます。個人的には、“ものを大切にする民族”で形成される日本において、紙媒体はゼロにはならないと考えています。ただ、かつて旺盛を誇ったほどの量は求められないとも。

私自身も以前、オートバイに関する出版社のウェブメディアを担当していた経験を持っており、紙媒体の人間からずいぶん疎まれたものです(笑)。曰く、「雑誌でやっていた内容をそのままウェブでやられちゃったんじゃあな」というものが大半でした。

それって、何かズレていませんか?

かつて紙媒体で用いられていた手法をウェブがやっちゃいけない、そんなルールはありません。そもそもウェブメディアは世界中の一般の人が求めたものだからこそ、ここまで広がりを見せているのです。その“世界中の一般の人”には、批判的な紙媒体関係者も含まれているはず。現代において何か調べゴトをするときに、真っ先に辞書を手にする人は少数派でしょう。その批判的な人でさえ、GoogleやWikipediaでリサーチしています。まぁ、ただの妬みとして受け流していますが(笑)。

これまで「紙媒体=メディア(媒体)」と考えられてきましたが、今はそうではありません。「媒体=複数のメディアツール」、つまり媒体のタイトルはひとつのブランドで、アウトプットの方法として紙媒体やウェブ、ムービーという選択肢を持つことが求められています。

とはいえ、そういった時代の流れに合わせて変化できている媒体はごく少数。私が仕事をしているオートバイ業界でも、雑誌という紙媒体にすがりついている出版社は少なくありません。それでもウェブメディアへの移行があまり進まないのは、コスト削減でだましだまし続けているから。

かつて5人いた編集部が、今では3人、いやそれ以下に。これによって人件費が大幅に削減でき、コストパフォーマンスがアップしたかのように見えますが、単純に編集部員ひとりあたりにかかる負荷があがっているだけのこと。それでもウェブメディアによる浸食がとまらないので実売がともなわず(いわゆる「雑誌が売れない」という嘆きの源)、コストを削ったものの焼け石に水。

こうなると、今度はもうひとつの収入源である広告費に力を入れるようになり、いわゆるタイアップ記事が増加。結果的に収入増にはつながりますが、広告主ありきのタイアップ記事ほど繊細さが要求されるものはありません。仕上がったものがクライアントよがりな内容になっていると、「せっかくお金を払っているのに、こんなものを読まされたんじゃたまったもんじゃない」と、購読者にネガティブなイメージを抱かれ、結果的に実売を下げることになるのです。

そして、さらなるコスト源として「外注費の削減」へとつながります。

紙媒体の本質は、印刷物の上に乗っている「付加価値」、いわゆる各媒体ごとのオリジナル情報そのもの。他では得られない特別な情報を「価値あるもの」とユーザーが受け取り、付加価値への対価として雑誌購入代金を支払ってくれるわけです。

フリーランスとして動いているなかで、最近よく耳にするのが「ウチ、お金がないんで」という編集担当者の嘆きの声。編集と営業、その他諸々のコストをかけて紙媒体を刷っているそのご苦労たるや計り知れませんが、とはいえ「制作費」と呼ばれるものがなければ、媒体ごとのオリジナル情報を入手することはできず、付加価値そのものを得ることができません。

オファーの段階でギャランティを言わない、またオファー時に聞いたギャランティを下げてくるというメディアもいらっしゃいます。ここまで来ると、もはやメディアとしての資質を疑わざるを得ません。例えばコンビニでジュースを買おうとして、そこに価格が表示されていなかったら皆さんはどう思われますか? 仕事を依頼する側が事前に金額を明示するというのは当然のこと。

そこで、「いやぁ、ウチ、お金ないんだよね」と卑下たことを言われるケースが実に多い。お金がないことは悪いわけではありません、要は、プロ(外注)にお仕事を依頼されるにあたり、手持ちの費用でどこまでやってもらえるのかを相談すればいいのです。これが交渉の第一歩で、お互いが気持ちよく仕事ができる環境づくりを探っていくことが、ビジネスパートナーと呼ばれる間柄を生んでいけるのだと思います。

「お金がないんだよね」と言われると、外注としては「だから何?」と返さざるを得ません。自分の都合を相手に押し付けようとする方とは、ビジネスパートナーになりたくありませんね。

メディアとしての姿勢もそう。「自社媒体が売れない⇒コスト削減」というマイナスの発想しかないメディアと付き合っても、百害あって一利なし。「ウェブが今、かつての紙媒体と同じクオリティに達しつつある。ならば、これからの紙媒体はどうあるべきか。我々はメディアとして、ウェブや紙媒体、ムービーといった選択肢をどう利用していくべきか」という命題に対する答えを持っていないメディアは、遠くないうちに淘汰されることでしょう。

『フィフス・エステート/世界から狙われた男』で描かれていたウィキリークスのあり方はかなり極端ではありますが、これまでのメディアが大きな転換期を迎えた瞬間を表現していました。ここオールアバウトをはじめ、長らく(そしてこれからも)ウェブメディアに携わる身なので、なおさら強く感じた次第です。

こうした変化の波に対して、日本人は往々にしてアレルギー反応を示すものです。腰が重いというよりは、しっかりと地に足をつけ、時間をかけて知識や経験を練り込む国民性ゆえでしょう。その培った経験そのものを捨て去れというわけではなく、新しいツールへのアプローチそのものを怠るのは誤りだと思うのです。

日頃、好みの雑誌を定期購読している方は、改めてニュートラルな感覚で読み返してみてください。「あれ? これって大人の事情的な記事じゃないの?」という面が見て取れ、そこで気持ちが冷めてしまったら、迷わず購読をやめることをお薦めします。なぜならばその媒体が死に体となりつつある証拠ですし、ひとり、またひとりと購読者が減ることで、時代への変化を強要することができるのです。連敗中のスポーツクラブにあたたかい声援を送っても、決して強くはなれません。ときには厳しい声をかけるからこそ、成長できるのです。

ただ、結果的に外圧ありきの変化しかできないメディアは、そのときは生き長らえたとしても、そう遠くない将来に消え去るものと思いますが……。

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