
>> スクランブラー ドゥカティ 徹底解析
詳しくは上記をご覧いただくとして、個人的に感心したのはその造形美。エンジンはモンスター796の流用ですが、それ以外のほとんどがスクランブラー専用のもの。そう、フレームやスイングアームといった大物まで専用のものを開発しているのです。

発表当初はシルエットしか見せていなかったスクランブラーも、一部では「ツギハギバイクでは」と言われていたのですが、実際の姿はとんでもない、とても100万円前後とは思えないハイグレードな仕上がりでした。日本のメーカーが手がけるような優等生モデルではないものの、ドゥカティらしいアクの強さを持たせつつ、ビジュアルとスポーツ性能の両方を兼ね備えた完成度を見せつけてきたのです。
ドゥカティジャパンより広報車をお借りし、一週間乗り倒しました。乗れば乗るほど味わいが出てくるほどで、広報車をお借りして「まだ乗り足りない」と初めて思えたオートバイだったのです。正直、今は真剣に購入を検討しています。

メーカーとしてのフィロソフィー(哲学)が込められた特有のエンジンを持たせつつ、スポーツバイクとしての性能を突き詰め、なおかつスタイリッシュにカルチャーを感じさせられるモーターサイクル。ビューエルが狙っていた世界観はまさにこれで、米ハーレー本社も、現在のスポーツスターにそのノウハウを投入するつもりだったのでしょう。リーマンショックの影響からの経営判断でしょうが、「もしビューエルの技術やノウハウが今のスポーツスターに投入されていたら……」と想像すると、スクランブラーのスタイルになるのです。
そう、本来ならばハーレーダビッドソンがもっと早くに作らねばならなかったオートバイを、ドゥカティに作られてしまった。スクランブラーの背景がアメリカンカルチャーという点も、その皮肉ぶりを際立たせていると言えます。
さて、そのハーレーダビッドソンはというと、満を持して発表したのがストリート750というニューモデル。
>> ストリート750 試乗インプレッション
もちろん、それぞれに企業としての事情があるのは当然のこと。ドゥカティは2012年、ドイツの自動車メーカー『アウディ』に買収されました。これにより、アウディを傘下に持つフォルクスワーゲングループ(以下、VW)がドゥカティの大元となったのです。
VWがドゥカティを手に入れた理由、それはライバルメーカーであるBMWへの対抗と言われています。四輪/二輪両方を持つBMWのバイク部門と渡り合うための買収で、実際にBMWとドゥカティは世界のトップシーンで対峙しているライバル。このスクランブラー開発に関しては、大元からの至上命令とバックアップがあったものと思われます。四輪の力を得ずにオートバイのみで戦いを挑んでいるハーレーの姿勢には敬服するばかりですが、だからといって妥協のプロダクトを出すというのは、メーカーの姿勢としていかがなものか。
試乗前からストリート750に対しては疑問が多く、実際に乗ってみて「悪くはないかも」と思いつつも、しっかりと走りの性能を煮詰めたモデルと乗り比べたときの見劣りといったら。あらゆる面で高いグレードを見せつけてきたスクランブラーとの比較はあまりに残酷。

ライディングプレジャー、スタイリング、カルチャー、フィロソフィー……スクランブラーには、オートバイを楽しむために必要な要素がすべて詰め込まれていました。それも、いずれも高いレベルで。おそらくなかには「いや、スクランブラーだって別に満点のバイクじゃないし……」と言われる方もいらっしゃるかと思いますが、「だったら、まずはスクランブラーに張り合えるだけのモデルを持ってきてください」と言いたい。

このスクランブラーというオートバイは、今のモーターサイクルの世界に大きな一石を投じました。これを機に、日本のモーターサイクル市場に小さくない波が発生するに違いありません。ただ、私はその波を大いに歓迎します。「ハーレーじゃなきゃいけない」、「ドゥカティじゃなきゃいけない」……そんな縛りは不要です。
魂の込められたものを生み出す努力をすれば、それは必ず伝わる。だからこそ、メディアを名乗る人は“良い”“悪い”を明確に言わねばならないと思います。馴れ合いのことしか言えないメディアは、哲学を失ったメーカーのように没落していくのみでしょう。
多くのスクランブラーが日本のロードシーンを彩ってくれるのが楽しみです。それは見た目だけでなく、良いものが広がっていくことの喜びでもあるからです。
そして願わくば、“してやられた”ハーレーダビッドソンが、再び111年の歴史とともに培ってきた自分たちのフィロソフィーと向き合い、原点に立ち返ってくれるよう。
遡ること1968年、米ハーレーダビッドソンはAMFという大手企業に買収されたのですが、1981年に役員13名の手によって株を買い戻し、再び独立したという苛烈な歴史を持っています。この出来事は『Buy Back』(バイバック)と呼ばれ、ハーレーが「しかるべき品質の製品を提供せねばならない」という強い意志を示した事由でもあるのです。
その役員13名のひとりで、創業者の血を受け継ぐウィリアム G.ダビッドソン、“ウィリーG”を2013年にインタビューしたとき、彼はこう言っていました。
「ブランドをリスペクトしなければいけない」
111年の歴史は伊達ではありません、そこには他メーカーが持ち得ない無限の可能性があるのです。そして、自社のブランドに誇りを持って立ち上がった先達も、その歴史のなかに刻まれています。ウィリーGはそのことを伝えようとしていたのでしょう。もちろん、そんな言葉が出たのも誇りある自社に対する違和感からでしょうが……。
今こそハーレーダビッドソンは、ウィリーGの言葉の意味を探るべき。今、見つめ直さなければ、ハーレーはそう遠くないうちにその歴史に幕を閉じることになるでしょう。何十年か後、ストリート750が黒歴史として笑って振り返られるようにするためにも。
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