2014年7月9日水曜日

サッカーにすら熱くなれない国に、何ができるというのか

■あってはならない歴史的大敗
サッカーの試合を観ていて悲鳴をあげる……よほどのことでもない限り、そんな場面には遭遇するものではありませんが、ブラジルが立て続けに失点を重ねるたび、得体の知れない恐怖を感じました。

1-7。W杯という大舞台でこれほど大差がつく試合はそうそうありません。しかも決勝トーナメントの準決勝で、開催国であり、王国の名を冠せられたブラジルが。わずか6分間で4失点を喫し、スコアは前半だけで0-5という破滅的なものに。サッカーにおけるセーフティリードは3点差と言われていますが、5点差がひっくり返る試合などまずありません。ハーフタイム、ロッカーへ引き上げるセレソンの表情も憔悴し切っており、後半戦は“屈辱の45分”になることは誰にでも想像できたことでしょう。

開催国にして王国ブラジルがこんな形で敗れ去るとは、誰もが予想できなかったと思います。確かにドイツは強かった。しかし、たとえ敗れるにしても僅差に違いあるまい。W杯史に残る大敗が、ブラジルの身に降りかかろうとは……。

ただ、危うさはありました。勢いのあるチリと対峙した決勝トーナメント一回戦、辛くもPK戦で退けたセレソンは、ネイマールをはじめ多くの選手が泣き叫んでいたのです。

感情を爆発させると、その次には燃え尽きてしまっている——。1998年フランス大会の準決勝で怨敵オランダを撃破したブラジルは、マリオ・ザガロ監督はじめ全員が涙して勝利を喜びました。しかし数日後、決勝の舞台に登場したブラジルはまるで憑き物がとれたかのように覇気がなくなっており、ジダン率いるフランス代表に一方的に叩きのめされたのです。“喜びすぎたことで、緊張感が切れてしまった”。2002年日韓大会で決勝トーナメントに進出した日本代表もそう、緊張感が切れてしまったトルシエ監督は、過去に試したこともないフォーメーションを採用し、自滅しました。

チリ戦でのセレソンの感情の爆発は、見ていて危険だとは思いました。一方で、王国での開催ということから「優勝こそノルマ」という想像を絶する重圧がセレソンにかけられていたのも事実。これは王国たるブラジルでしか起こりえないものですし、ネイマールはじめメンバーが日々感じていたプレッシャーは誰にも分からないもの。

PK戦というのは水物です。特に実力が近くなればなおさら。「もし決勝トーナメント一回戦で敗れ去るようなことになれば、俺たちはどうなってしまうんだろう」、チリとのPKに臨むセレソンの心中や察するに余りあります。水際で得た勝利に涙が出たのも、当然と言えば当然。

セレソンは、極限状態だったのです。


■小さくなかった攻守のキーマン不在
本大会におけるダークホースのひとつコロンビアとの接戦を制し、ついに準決勝へとコマを進めたブラジルでしたが、エースであるネイマールをアクシデントで欠くという非常事態に見舞われます。さらに守備の要チアゴ・シウバが累積警告でドイツ戦出場停止というおまけ付き。ドイツ戦前の国歌斉唱にて、キャプテンを務めるダビト・ルイスとGKジュリオ・セザールがネイマールのユニフォームを手に熱唱するシーンは、彼らの「ネイマールのために」という熱い友情の表れでした。攻守のキーマンを欠くブラジルはやや分が悪いかと思っていましたが、もしかしたら開催国が奇跡的な勝利をおさめるのかも……。そう期待させる雰囲気がスタジアムに広まっていました。

最初の失点はまだ余裕があったように思えます。前半の早い時間帯であったことと、本大会でも逆転してきた経験によるものでしょう。試合開始からの“人数をかけた厚みのある攻撃姿勢”は変わりませんでしたから。

2失点めで、緊張の糸が切れたか。

決して逆転できない点差ではありませんが、相手は強豪ドイツ。しかも、ブラジルの攻撃に真っ向から立ち向かい、前がかりになった背後を突いての追加点。「まずは同点」と意気込んでいたブラジルの気持ちを削ぐには十分すぎる1点でした。

そこからは、もう悲劇以外の何物でもありません。確かにレギュラーとサブでの実力差があったとはいえ、チアゴ・シウバの不在がここまで影響するとは。

ディフェンスリーダーが持つ影響力は計り知れません。チームを最後尾からバックアップし、チームの陣形そのものを司るキープレーヤーとしての役割を担っているのですが、「どうやって穴を埋めるのか」「味方をどう動かすのか」「誰にカバーリングさせるのか」などなど、高いマネジメント能力が求められます。おそらくこの日のセレソンは、普段聞こえるはずの声が聞こえないことも含め、小さくない不安が2失点めによってパニックを引き起こしたのでしょう。確かにブラジルの守備は堅牢ではありませんでしたが、あそこまで崩壊するとは。


■孤独に戦い抜いた英雄たち
本大会において、強豪国が圧倒的な攻撃力を持ち合わせていることもあって、守備力が高くない国は勝ち上がれないという傾向が見られました。当たり前っちゃあ当たり前なのですが、今回は特に極端だなぁ、という印象です。

勝ち上がるために、まずは守備から。

勝負事における定石です。残念ながら我が日本代表も守備(というよりはチームとして)の脆さを曝け出して惨敗したわけですが、逆にチリやコスタリカ、コロンビアのように安定した守備力と「これぞ」という自分たちのアタッキングフォームを持っている国が勝ち上がっていきました。

その点で言えば、ブラジルはチアゴ・シウバやダビド・ルイスに頼りすぎていたのかもしれません。もちろんそれだけが原因ではないでしょうが、ただブラジルという国の性質から「守備偏重のチームなどありえない。ボールを支配し、いかに美しく勝利するか」が求められることもあって、まるで蝉のように生き急いだ戦い方をしていました。

そんな薄氷を踏むかのような試合を続けたことで、選手の心は極限状態へと追い込まれ、2失点めで「もう勝てない」と悟った瞬間に瓦解したのでしょう。

かといって、誰も責めることはできません。もしかしたらブラジルの実力は優勝を口にするほどのものではなかったのかもしれません。しかし、“絶対勝利”を課せられ、熱烈な国民の後押しとプレッシャーを受けた選手たちが魂を削った試合をこなしたことで、準決勝の舞台まで突き進んで来ることができたわけです。残酷なまでの仕打ちとも言える結果ではあったものの、セレソンは持てる力以上の推進力で勝ち上がってきました。決して悲劇のヒーローなどではなく、孤独に戦い抜いた彼らは英雄として賞賛されるべきだと思います。


■“しょせんサッカー”にすら熱くなれない国
決勝戦と3位決定戦を残していますが、このブラジル大会を通じて、世界と日本のあいだには、大海原以上に大きな隔たりがあることを再認識させられました。国によって歩んできた道、積み重ねてきた歴史など違いはあれど、ことサッカーという競技ひとつを見ても、こうも国としての温度差があるものなのかと思った次第です。

“サッカー”はあくまで指標のひとつ。何かに熱狂するという点だけで言えば、日本人の熱狂は諸外国のそれと比べてもかなり異質なように思えます。端的に言えば薄っぺらい。深みがないから、戦うものに対して愛情ある声をかけられないし、その薄っぺらさが透けて見えるから“戦うもの”と“支えるもの”のあいだに大きな温度差が生まれる。

「何を熱くなっちゃってんの。しょせんサッカーでしょ」

ええ、そうですとも。しょせんサッカーです。では、何だったら世界と渡り合えるのでしょう? もちろん、日本が世界に誇れるものはいくつも存在します。が、そのいずれかに対して国全体が熱くバックアップしているでしょうか。逆に言えば、“サッカーにすら熱くなれない国に、何ができるんだ”とも。

例えば、コスタリカ。凱旋帰国を果たした代表チームを、国民全員が賞賛とともに出迎えました。「世界の強豪国を相手によくやった! 君たちは我が国の誇りだ!」 もし仮に、コスタリカがGLで敗退して帰ってきたとしても、彼らの戦いぶりを見た国民は同じように暖かく出迎えたことでしょう。それぐらいコスタリカ代表チームは、魂を揺さぶるような熱いものを感じさせてくれました。寒々しい試合と結果を手に帰ってきた代表チームを黄色い声援とともに出迎える我が国とは比べるべくもありません。

今の日本では、「世界で勝つ」などと口にすることすらおこがましい。世界に名を馳せる名将を呼んでくれば解決できるというレベルではありません。まずはその隔たりをどう埋めていくか、それを考えるところから始めなければ、いつまで経っても発展途上国のままでしょう。

日本サッカー界は、この“ブラジルの惨劇”を目に焼き付けておかねばなりません。この域に達したいと思うのであれば。

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