2015年8月9日日曜日

浮き彫りになった日本メディアの実状

■「日本は強くない」と再認識できたことが収穫
東アジアカップに挑んだ男子サッカー日本代表は、0勝1敗2分けの最下位という散々な結果で終わりました。海外クラブに所属する主力メンバーを欠く各国代表ともフルメンバーとはいかないものの、テストマッチとして有意義に使える同大会において、日本はアジア屈指の実力を示しつつ、新戦力の発掘に努めてきました。

とにかく課題ばかりが目についた今大会。とにかく海外組がいるときといないときとのチーム力に開きがありすぎるのが正直痛い。これは選手個々の能力はもちろん、チームとしての熟成度がまだまだだという証拠でしょう。

日本代表というチームは、こういうサッカーをするんだ。それはメンバーが入れ替わっても変わらない”チームとしての背骨”に他なりません。ネイマールら欧州組がいなくてもブラジル代表はリズミカルなサッカーで相手を翻弄しますし、二軍とも言えるメンバー構成であろうとドイツ代表は堅実かつ攻撃的なサッカーを信条とします。

文化として根付いているか否か、と言ったら身も蓋もない話になってしまいますが、そうした成熟度の違いが浮き彫りになった東アジアカップだったと思います。そう、日本は全然強くない。それを再認識できたことが収穫ではないでしょうか。

強くなければ、強くなるために努めていけばいいだけのこと。むしろ今回の散々な結果はポジティブに捉えていいんじゃないでしょうか。

しかしながら、そんな風に取り組んでいってほしい日本代表の足を引っ張る人たちがいます。

日本のマスメディアです。


■声が届かなければメディアとして失格
今にはじまったことではないですが、日本代表の試合を中継するアナウンサーのヨイショっぷりには、もはや苦笑いしかできません。今大会第3戦の中国戦の中継といったら、ありませんでした。

『山口(蛍)が効いています!』
効いていたら失点していないと思うんですけど……。

『いい流れが作れました!』
自陣ゴール前からハーフウェイラインを超えるまでが流れ?

『今は日本がボールを支配していますね!』
ええ、さっきまで中国からまったくボールを奪えませんでしたね。

『なんとかシュートまで持っていけましたね!』
どんだけ……。

なんだか揚げ足取りみたいに聞こえるかもしれませんが、放映権を取れたからか、はたまたスポンサー様への気遣いか、とにかくなんでもかんでも褒める。「そこ、褒めるとこか?」と言いたくなるような持ち上げ方をする。ちょっと目の肥えたファンなら、「何言ってんだコイツ」という印象を覚えるでしょうし、逆に悪い印象を与えてしまい、結果的にスポンサーを貶めることにつながるのでは?と思うのです。解説がいるんですから、「どうして日本はこうもボールを落ち着かせられないんですか?」とか、「どうしてシュートまで持っていけないんでしょう」と聞けばいいのに。

このアナウンサー自身が、サッカーに興味ないんでしょうね。

プレーひとつひとつを見て「良いプレー」か「悪いプレー」か判断できないから、「とりあえず褒めておけばいいだろう」と、中途半端なボキャブラリーを駆使して無駄に褒めちぎっているだけのこと。小手先のワザでうまくやれているつもりでも、プレーヤーと視聴者とのあいだには確実に大きな溝が生まれており、信頼を損ねることになります。

選手やファンにその声が届かなければ、メディアとしての仕事をしていないのと一緒です。


■個々の主張なくして“ホンモノ”にはなれない
「選手を育てるのは、シビアな目を持ったファン」というのが私の持論です。良いプレーをすれば喝采を受け、怠惰なプレーをすれば大勢から叱責される。プロの選手と言えど、サッカー選手として脂が乗り切るのはやはり20代。判断を誤りがちな若い彼らに道を示すのは、指導者とファンです。

ファンに“サッカーを観る目”がないと、「どうせ俺らのプレーのことなんて分からないんだろう」と選手を腐らせることにつながります。これがメディアともなると、ファン以上にシビアな目を持つことが要求されるのです。なぜならば、オピニオンを発信するわけですから、周囲からどう言われても「自分の意見はこうだ」と貫く強い意志が必要だからです。

個人の意見は千差万別、誰が正しくて誰が間違っているかを論議するのはナンセンスで、歴史と同様に結果が正否を分けます。

意見の違いはあれど、共通の重要事項は“そこに愛があるか否か”。愛や思いやりのない発言は、ただ人を不快にする垂れ流しオピニオンと同じ。口コミ掲示板に匿名で罵詈雑言を言い放つ輩となんら変わりません。

先の中国戦のアナウンサーをはじめ、スポンサーやクライアントへの配慮という大義名分でおべんちゃらを言うメディアの多いこと多いこと。これがヨーロッパや南米、アメリカとなると、スポンサーに不都合であっても建設的なディスカッションが繰り広げられます。それは常日頃から自分の意見をもって主張し、理解しあうためのディスカッションを日常的に繰り返しているから。

日本人は議論となると、「相手を責める」「貶める」と捉えてしまいがちですが、欧米では個人の主張は当たり前、むしろ「それなくして議論などできない」といったところです。

議論や主張なくして、物事の壁は破れません。それはこの東アジアカップに挑んだ日本代表チームを見ればよく分かること。個々の主張は日本人が苦手とすることですが、それぞれが“出る杭”にならねば、ホンモノの強さを手に入れることは遠く適わぬ夢のままになってしまうと思うのですが、いかがでしょう。

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