2014年6月13日金曜日

“ふたりの王様”を持つセレソンの悩み

【2014 ワールドカップ  ブラジル大会 開幕戦 ブラジル vs クロアチア】

エース ネイマールの2ゴール、そして終了間際のオスカルのゴールでクロアチアを退けた開催国ブラジル。正直、逆転となったPKの判定はフレッジのシミュレーションにしか見えませんでしたが、ホームタウンデシジョンということで受け入れるほかないなぁ、というところです。優勝が義務づけられているとも言えるセレソンとしては、初戦を飾れたことで胸を撫で下ろしたのではないでしょうか。

一方で、チームとしての悩みも垣間見えました。試合を通じて好調だったオスカルをうまく使い切れていないよう。原因はカンタン、オスカルと同じクラッキとして、ネイマールが中心に君臨しているから。要するに、プレーがバッティングしているんです。

ボールに多く触れてリズムをつくり、チーム全体のプレーにアクセントを加えられるクラッキ(名手)。ファンタジスタとは違うタイプのプレーメーカーを指し、ガリンシャやロナウジーニョなどブラジルはこの手の選手を多く輩出してきました。ネイマール、オスカルともにクラッキタイプと言えます。

ネイマールの実力も一級品ですが、一ヶ月という開催期間に決勝戦まで7試合というスケジュールを考えると、右サイドでひとりボールを持ってもカンタンに取られず、独特のタッチでクロアチアDF陣をきりきり舞いにさせるほどのコンディションの良さを見せたオスカルは、間違いなく今大会のキーマンとなるでしょう。それこそ、セレソン浮沈のカギを握ると言っていいほど。しかし、チームの王様はネイマール。ここに、セレソンの贅沢な悩みが見えたよう。

とあるプレーのこと。加速したオスカルがネイマールに一旦ボールを預け、ペナルティエリア内に一気に走り込みました。おそらくオスカルには彼なりの“崩しのイメージ”があり、ワンツーでボールを受けたかったのでしょう。ところがネイマールはそのままボールをキープ、プレーの流れを止めてしまい、「どうしてボールを出さない!」と叫ぶオスカルの姿が印象に残りました。

思い出したのは、2000-2001シーズンのイタリア・セリエAにおけるA.S.ローマ。当時ペルージャから加入した中田英寿は好調を維持、ファビオ・カペッロ監督やチームメイトからの信頼も厚かったのですが、ローマには“エル・プリンチペ(王子様)”フランチェスコ・トッティがいました。実力、コンディションという点で見ても中田が中心選手になっても不思議ではなかったのですが、トッティを外すというのはローマがローマでなくなることを意味し、禁断の選択とされたのです。伝統あるローマというチームゆえのジレンマでしたが、カペッロはトッティをレギュラーに、中田をその控え(またはその後ろのポジション)にするというマネジメントを選択。

王様がふたりいる際、どちらを中心に据えるか。

今回のセレソンにはそんなジレンマが潜んでいるように見えます。実力で言えば、オスカルもネイマールにひけを取らないものを持っています。加えて、初戦からリズムよく入っていけているわけですから、彼をチームの中心に据えていけばチーム全体にいい波が伝わり、勢いに乗っていけることでしょう。しかし、今のセレソンにはネイマールという王様がすでに存在している。スコラーリ監督がどちらを使うか、というシンプルな二択のように思えますが、開催国であり国民の期待やさまざまな思惑が交錯していることを考えると、ことはそうカンタンでもないでしょう。

もちろん、ネイマールとオスカルのふたりがリズムよく交われればいいんですが、自分のリズムがあってこそのクラッキ同士、それはなかなか困難だと言えます。かといって、どちらかが自分を殺して合わせるとしたら、クラッキとしての持ち味そのものを失うことになる。これはチームのみならず、プレーヤー個人にとっても損でしかありません。

ネイマールが交代でピッチを去った試合終了間際、カウンターからゴールを決めたオスカル。バイタルエリアのあの位置からトゥキック(つま先でのキック)でゴールを狙うセンスと自信もさることながら、そのゴールまでの流れのなかで彼がいたポジションは、それまでネイマールの領地となっていたピッチの中央部分でした。

はたしてスコラーリ監督が“勝利の波”を手にするために、この先どんな選択をしていくのか。心中察するとともに、興味深く見ていきたいと思います。

いや〜、やっぱりワールドカップは面白い!
 

2014年6月10日火曜日

伝統芸能としての日本のサッカーとは

ハーレーライダーを迎えるミルウォーキーの少女たち
昨年8月、創業110周年を迎えた米ハーレーダビッドソン モーターカンパニー社のビッグイベントを取材しに、アメリカにある本拠地ミルウォーキーまで行きました。ハーレーに乗るアメリカ取材はこれが初めてではありませんでしたが、H-D本社やハーレー製造工場、H-Dミュージアム、そしてアニバーサリーイベントと、ミルウォーキーという街がハーレー一色に染まるビッグイベントに足を踏み入れたのは初体験だったので、そのスケールの大きさに圧倒されました。

街を貸し切ってのパレードにポリスが登場!
とにかく日本とスケールが違いすぎます。モーターサイクルという日本では特異性の高い趣味の世界がここまでクローズアップされるなんて、これまでの人生では考えられないことでした。いちメーカーが110年続いているということ自体も驚きですが(独BMW Motorradで昨年90周年、伊ドゥカティでまもなく90周年。本田技研でさえ昨年創業50周年です)、そんなメーカーの創業祭ということで街ひとつを3日間も貸し切り状態にできるという事実がスゴい。日本で同じスケールがあるとしたら、青森ねぶた祭りといった歴史的な伝統芸能とも言えるビッグイベントでしょうか。そりゃ100年以上続いているんだから、ある意味伝統芸能だなぁ、とも思いますが、さすがはエンターテインメントの国というところです。

ハーレーダビッドソンが文化——カルチャーとして根付いていると実感した次第でした。特に印象的だったのが、ミルウォーキーでの3日め、世界的ロックバンド『エアロスミス』のライブが行われるときのこと。会場内を散策していたところ、とある老夫婦に話しかけられました。

「ようこそ、アメリカへ。あなたはどこから来たの? 日本、そう、よく来てくれたわね。あなたはハーレーに乗っているの? まぁ、乗っているの。それは素晴らしいことだわ。ミルウォーキーを楽しんでいってね」

ハーレーに乗るお父さん、カッコいいっす!
“ようこそ、アメリカへ”という言葉が印象的でした。日本における自身の日常ですれ違う外国人に「ようこそ、日本へ」って言ったことはないなぁ、と。こうした他愛ない会話でも立派な国際交流です、でも僕自身もシャイな日本人なためか、なかなかそういう風に声をかけることってありません。おそらく声をかけてくださった老夫婦は、自分が住んでいる国、自分が住んでいる街、そして街が生み出した伝統芸能に対して誇りを持っておられるのでしょう。だから、見るからにアジアンな僕を見て「見ろ、アジアからもやってきているぞ」と、嬉しくて声をかけてくださったのだと思います。決して日本に誇りを持っていないわけじゃないですが、彼らのハーレーダビッドソンに対する誇りほどではないのかなぁ、と考え込んだり。

どこの若者も夜遊びは楽しい!
サッカーにも同じことが言えると思います。

先日ここのコラムで、僕は「日本代表のユニフォームは民族衣装だ」と言いました。オリンピックを超えるスケールの世界的ビッグイベント、ワールドカップ。そこに参戦できる権利を手にするのは204の国と地域のなかから勝ち抜いた32ヶ国だけで、誰もが羨むかけがえのない挑戦権です。しかも、熱狂的なサッカーファンだけでなく、普段日常的にサッカーを見るわけではない人もテレビに齧りつくという注目度の高さ。少なくとも日本は、コートジボワール、ギリシャ、コロンビアという国の人々に「これが日本だ、これがアジアだ」という戦いぶりを見せねばなりません。これはFIFAの予選に参加し、数々の強敵を打ち破って出場権を得た国の“責務”だと思うのです。

かつて日本はアジアのなかでもサッカー弱小国として扱われ、“ワールドカップなど夢のまた夢”と笑われていた時代がありました。歴史上もっともワールドカップに近づきながら、あと一歩のところで夢破れた1993年の“ドーハの悲劇”、そしてさまざまなライバル国の意地に打ち負かされそうになりながらも、最後の最後で出場権を勝ち取った1997年の“ジョホールバルの歓喜”。アジア屈指の強さを身につけたからか、5大会連続での出場を果たし、ワールドカップに出ることが当たり前のようになっている感が否めませんが、昔ほどアジア予選に苦しまなくなってはいるものの、ワールドカップの存在意義は変わっていません。にもかかわらず、ワールドカップに挑むことが“近所の花火大会でも見に行く”かのような風潮に感じられる今日このごろ。

日本にはサッカー……スポーツというものが文化としてまだまだ根付いていないんだなぁ、と実感する次第です。

諸外国から見れば、日本のサッカーの歴史なんてほんのわずか。Jリーグが発足して20年ほどで、100年以上の歴史を持つ南米やヨーロッパから見れば、人生経験の浅いひ孫みたいなもの。僕自身も日本人ですし、「ヨーロッパや南米は違うんだ」などと偉そうに叫んだところで、説得力の欠片もないことでしょう。蛍光イエローのユニフォームだって中二病みたいなもんだと思えば可愛いもの、歳を重ねたときに振り返りたくない卒業アルバム程度になればいいと思っています。

ただ、同じ大会に参加する国々への敬意は必要だと思うのです。

強豪国であれ弱小国であれ、どこの国もワールドカップの出場権を獲得するために全身全霊をかけて戦い、敵を打ち負かしてここまで来たのです。もちろん参加するだけで満足している国なんてないでしょう、願わくばジャイアントキリングを達成し、勝ち進んでいって世界をあっと驚かせたいと考えているに違いありません。情報戦はすでに始まっており、サッカーそのものと同じくどれだけ相手を出し抜けるか、どの国の監督も頭をフルに回転させています。

HARLEY-DAVIDSON 110th Anniversary
ザッケローニが何も考えていないとは言いませんが、サポーターがシビアな目を持ち、選手やメディア、サッカー協会に強烈なプレッシャー……今以上に高い要求をし、ザッケローニに今まで以上の働きを強いることはできたんじゃないか、と思うことはあります。そういう意味で言えば、4年前から始まっていたワールドカップへの戦いにおいて、“ワールドカップに挑む心構え”という点では日本は一枚岩ではなかったのかもしれません。まるで3戦全敗でもしたかのような言い方で恐縮ですが、まもなく始まるワールドカップに向けた日本国内の風潮を見るに、ついそんな気持ちになってしまうのです。

その土台となるべきは“文化としてのスポーツ”、“文化としてのサッカー”に対する考え方ではないかと思います。根っこにあるのは「歴史が浅いから」ではなく、将来“伝統芸能として日本のサッカー”を披露するにあたり、必要なことは何なのかを考えることではないでしょうか。その礎が築けるとき、誰もが日本のサッカーというものに対して誇りを抱き、日本という国に対しての誇りを抱き、自信と情熱を持ってワールドカップに挑むことができるのだと思います。

大切なのは、ともに戦う人々への敬意です。

Welcome HOME
日本サッカー界は“Jリーグ百年構想”というスローガンを掲げています。地域におけるサッカーを核としたスポーツ文化の確立を目指しているもので、100年をひとつの目標として地道な活動を続け、“体育ではないスポーツ”を日常のなかに感じ取ってもらい、日々の暮らしが少しでも豊かになるための働きかけをする活動です。別に「絶対に100年かけなきゃいけない」ってわけではありませんが、南米やヨーロッパのサッカーも、ハーレーダビッドソンもそうした年月によって育まれ、地域の人々を幸せにし、かけがえのない誇りをも与えてくれる存在にまでなっているのです。

世界中の人々とともに切磋琢磨できる大会に参加できていることがどれほど幸せなことか。ワールドカップでの結果にかかわらず、ひとりでも多くの人がそのことを感じ取ってもらいたい。そのためには、サッカー日本代表が飽くなき闘争心をもって90分間諦めることなく完全燃焼してくれることが必要です。今、僕が日本代表チームに望むのはそれだけです。

2014年6月8日日曜日

中田英寿を忘れない

日本がワールドカップに挑む……そのたびに、頭をよぎる光景があります。2006年ワールドカップ ドイツ大会での日本代表の姿です。よくご存知の方は「もういいよ、その話は」とおっしゃられるかもしれませんが、だからこそ振り返っておきたい出来事だと思うのです。

ジーコ監督率いる日本代表は、ドイツの地で無惨に敗れ去りました。日本は強豪国のひとつではありませんから、いつであれワールドカップに挑めば負けるときが訪れますし、それを糧に、4年後、その次へとつなげて戦い続けてきました。初挑戦となった1998年フランス大会はもちろん、自国開催となった2002年日韓大会でも決勝トーナメント一回戦でトルコに辛酸をなめさせられていますし、2010年南アフリカ大会でも同様。敗北は、次なる挑戦へのスタート。何も恥じることはありません。

しかし、ドイツでの惨敗はそれまでの敗北とはずいぶん意味が異なるものでした。日本サッカーの歴史を語るうえで欠かせない“ドーハの悲劇”とも違う惨めなもので、結果論ではありますが、過信した未成熟なチームの末路とも言うべき敗北だったと言えます。そんな日本代表を、良くも悪くも象徴していた存在が、中田英寿という選手でした。

日本代表がまだワールドカップに出場できずに足掻いていた時代に登場した中田は、1997年、フランス大会アジア予選前の親善マッチである韓国戦でフル代表デビューを果たすと、名波浩や山口素弘とともに代表の中盤を形成、瞬く間に中心的存在となり、結果的に日本初のワールドカップ出場権獲得の原動力となります。以降の彼の活躍ぶりは書く必要はないでしょう。1998年フランス大会、2002年日韓大会と続けて日本の中軸として大車輪の活躍を見せ、彼なしでは強い日本代表が成り立たないほどでした。

ドイツ大会での最後の試合となったブラジル戦後、中田英寿は突然の現役引退を表明。29歳という若さでの引退に、日本のみならず世界中が驚いたことでしょう。個人的には、自身のウェブサイト上での発表のみで引退会見を開かなかった彼のスタンスには疑問を抱いてはいますが、中田なりに考え抜いたことでもあったでしょうから、そこは敬意を示したいと思います。

ドイツ大会に挑むにあたり、代表チームは二分していたと言います。“中田派”か“反中田派”か。ジーコ監督から全幅の信頼を寄せられていた中田は、どれだけコンディションが悪くてもチームに合流すればスタメンの地位が約束されているほど重宝されており、チームメイト……主に国内組(Jリーガー)から疎まれていたと言います。彼の直接的な物言いも、そうした空気感をより悪くするものだったでしょう。

結果論ですが、その意識の相違をあえて言い表すとすれば、「世界を相手に勝利するための努力を強いた中田英寿」と「チームとしての調和を乱すウイルスに対して敵愾心をむき出しにしたチームメイト」。2010年南アフリカ大会におけるカメルーンやフランスのように、待遇の悪さや監督に対する不満から内部崩壊を起こすチームは珍しくありません。が、それで貴重なワールドカップでの挑戦を無駄にするというのは、これまで戦ってきた対戦相手や応援してくれている人に対して失礼なこと。

ワールドカップにおいて、何より優先すべきは“勝利すること”。そういう意味では、中田英寿も他のチームメイトも、目的は同じだったと思います。ただ、それぞれが見ている景色が異なっていたため、歩み寄ることができなかった。結果、チームは一枚岩とはなれず、肝心要の連携がバラバラのところを敵に突かれ、グループリーグ最下位でドイツを後にすることとなりました。

ドイツでの敗因をあげるとすれば、マネージメント能力が致命的に欠落していたジーコと、盲目的に彼を起用し続けた日本サッカー協会だと言えます。チーム内における不協和音は、本大会に挑むずいぶん前から世間を賑わせていました。試合における采配や戦術の立て方に対する疑問、そしてチームそのものをコントロールするマネージメント能力が欠落しているところが指摘され、「ジーコで大丈夫か」という声は確かに存在していました。もっと早くに不満が爆発していれば、事前に手が打てたかもしれませんが、ギリギリの状態で保たれていた緊張感は、初戦のオーストラリア戦で露呈し脆くも崩れ去るという最悪の結果を生んでしまったのです。

僕自身は、ザッケローニ率いる今の日本代表に対しては批判的です。ここまで来たら祈るのみではありますが、今までの歩みやザッケローニのマネージメント、チームが醸し出す雰囲気、これまでの戦いぶりなどを見ていると、なぜか2006年ドイツ大会時の代表チームを思い出してしまいます。もちろんザッケローニは世界に名だたるプロフェッショナルとして、3年半にわたって日本代表チームを形成してきたわけで、彼は与えられた任務を忠実に遂行したまで。彼に非はありません。

別に今の日本代表のなかで不協和音が生まれているなんてことはないでしょう。ただ、先のザンビア戦などを観てもチーム状態が上向いていないことは明白。本田圭祐に昔のような当たり強さは戻ってきていませんし、アタッキングサードに侵入してからのパスや動きもちぐはぐしている感じ。アディショナルタイムにおける大久保嘉人の劇的ゴールには大いに驚かされましたが、その直前に同点にされたとき、「これでチーム内の危機感が高まれば、変化が起こるかも」という小さな期待を抱きました。大久保のゴールは誰もが待望していたものですが、あれによって持っておくべき緊張感が霧散した印象すらあります。大久保を救世主扱いする報道を見るたびに、ため息しか出てきません。

これまでの日本代表の歩みが正しかったのかどうか……結果は、まもなく出てきます。ただ、今一度思い出して欲しいのです。2006年ドイツ大会に挑んだ中田英寿をはじめとする日本代表の姿を。今の選手やサポーターはみんなあのときのことを覚えているでしょう、なかにはそのときの代表チームにいたり、ドイツまで足を運んだ人もいると思います。

あの苦い経験を糧に、改めて自分たちの目標を再確認し、できうるすべてのことに取り組んで欲しい。これが、最後のワールドカップだと思って。
 

大会後の4年間を決めるワールドカップ優勝国はどこだ

ブラジル、イタリア、ドイツ、アルゼンチン、イングランド、ウルグアイ、フランス、スペイン。これらはワールドカップ優勝経験を持つ国です。ここ何大会かで初優勝国が2つも登場しましたが(1998年フランス、2010年スペイン)、現在204の国と地域が参加する世界屈指のスポーツイベントであるワールドカップにおいて、優勝経験を持つのはわずかに8ヶ国だけなのです。ちなみにイングランドが優勝したのは1966年と半世紀前、ウルグアイの優勝も1930年と1950年とずいぶん前。つまり、半世紀近くもワールドカップで優勝する国というのは、ブラジル、イタリア、ドイツ、アルゼンチンのいずれかだったというわけですね。

またワールドカップ優勝国は、必ず開催国がある大陸のなかから現れると言います。2002年日韓大会(優勝はブラジル)、2010年南アフリカ大会(優勝はスペイン)と、いわゆる“第三世界での開催”はイレギュラーとして、1986年メキシコ大会ではアルゼンチンが、1990年イタリア大会では西ドイツ(現ドイツ)が、という感じです。

結果論ではありますが、ワールドカップが終わってみると、優勝トロフィーを掲げている国というのは大きく予想から外れたりはしていないもの。大抵「ああ、やっぱりね」、「うん、まぁ彼らなら優勝できるよね」という感じで幕を引くことが多いです。余談ですが、2010年南アフリカ大会のとき、ベスト4が出そろったときに勤めていた会社で「どこが優勝するか!?」という賭けをし、ほとんどがスペインまたはオランダに賭けるなか、僕ただひとりウルグアイに票を投じました。「せっかくなんだから、“ええー! まさかここが!?”って国が優勝した方が面白いやん」という理由からです。ジャイアントキリングこそフットボールの醍醐味ですからね。

そんな大物食いを楽しみにワールドカップを観戦するものの、上記のとおり、終わってみれば本命または対抗が優勝トロフィーを手にしています。前回大会のスペインは初優勝でしたが、チームのベースとなっていたのは当時最強のクラブチームだったFCバルセロナ。サプライズというほどの結果ではなかったと思います。

「優勝するのは本命どころ」、「開催国の大陸から優勝国が出る」というワールドカップのヒストリーにならって、個人的に優勝国を予想してみるとすると……。

【本命】ブラジル
【対抗】アルゼンチン
【大穴】ドイツ

うーん、無難すぎ(笑)。かなり真面目に予想すると、こんな感じになっちゃうんじゃないでしょうか。国のレベルによってワールドカップへの挑み方はかなり違います。日本ぐらいのレベルだと、まずはグループリーグの3試合への対策でいっぱいいっぱいですが、優勝経験者しか持ち得ない“勝者のメンタリティ”を有する国は、決勝戦までの一ヶ月におよぶ長丁場での戦い方を想定したチームづくりをしてきます。当然「世代交代がうまくいっているか」、「選手層は分厚いか」、「土壇場で踏ん張れるメンタルが備わっているか」という要素は必要ですが、“優勝した経験を持つ者”と“そうでない者”のあいだにある隔たりは、想像している以上のもの。本田や長友が「ワールドカップで優勝する」と言ってくれるのは頼もしい限りなのですが、カンタンなことではないのもまた事実。

本命はやはりブラジル。王国であり開催国でもあるゆえ、これまで入念なチームづくりが図られてき、成熟のときを迎えたという印象です。各ポジションを見てもワールドクラスの選手が顔を並べており、盤石とも言える状態にあるよう。懸念されるのはワールドカップ反対の暴動。自国開催にもかかわらずネガティブな声が聞こえるというのは小さくないマイナスイメージですが、1998フランス大会のときのように、勝ち上がっていけば国内の雰囲気も変わってくるんじゃないか、とも。

対抗は悩みましたが、やはりアルゼンチンか。メッシ、アグエロ、イグアインを要し、マスチェラーノやディ・マリアらが中盤を引き締める陣容はまばゆいばかり。特に前線の3人は、2002日韓大会で優勝したブラジルの3R(トリプルアール/ロナウド、リバウド、ロナウジーニョの3FW)をほうふつさせます。今大会にかけるメッシの意気込みも相当なものと聞きますし、南米開催で彼らが奮起しないわけがない。

大穴といったら失礼ですが、南米開催ながらこれまでの定説に風穴を空けてくれることを期待してドイツ押し。ここ数年のブンデスリーガの飛躍は目覚ましいものでしたが、ラーム、シュバインシュタイガー、クロース、ポドルスキー、ゲッツェ、ロイス、エジル、ノイアーといった国産選手の成長がそれを支えていたと言っていいでしょう。鉄板ではありますが、今のドイツサッカーはかなりスペクタクルなものに仕上がっていますからね。

そして、優勝国以上にワクワクしてしまうのがダークホースとして躍動する国の存在です。「ワールドカップをかき回して欲しい!」という個人的欲望から言えば、期待をしているのはベルギー、コロンビア、クロアチアあたりでしょうか。特に若くて勢いがあるベルギーには、ベスト4ぐらいまで突っ走ってきてもらいたいところ。1994年アメリカ大会のスウェーデン、1998年フランス大会のクロアチア、2002年日韓大会のトルコ、2006年ドイツ大会のポルトガル、2010年南アフリカ大会のウルグアイと、フレッシュなダークホースは大体ベスト4まで勝ち残っているもの。個人的には「そのまま優勝しちゃえ!」とか思ったりしますが(笑)。

得点王争いも興味深いポイントですね。近年は“9番的ストライカー”と呼ばれる人種が減少傾向で、ドイツやスペインなどのように“ゼロトップシステム”という古典的なフォワードを起用しないチームが増えてきています。そんななか、誰が得点王に輝くのか。ちなみに優勝国から得点王が生まれたのはここ数十年で一度きりで(2002年日韓大会のロナウド/ブラジル優勝)、優勝候補国にも有能なストライカーはいますが、ロナウド(ポルトガル)やカバーニ、スアレス(ともにウルグアイ)、ファルカオ(コロンビア)、ジエゴ・コスタ(スペイン)、バロテッリ(イタリア)など注目度の高い選手がずらり揃っています。1994年アメリカ大会のサレンコ(ロシア)みたいな意外性のあるストライカーの出没があると、大会も一気に盛り上がりそうですね。

大会を制する国の戦い方が、その後4年間のトレンドをつくるとも言われています。優勝国予想をしつつ、本大会観戦時は各国の試合展開を楽しみたいと思います。

2014年6月6日金曜日

最先端から加速するイタリアンバイク


2014年6月5日(木)、東京・新木場のスタジオコーストにて催されたドゥカティジャパン主催のイベント「Monster 1200 National Launch」にて、最新モデル「モンスター1200」および「モンスター1200S」が発表されました。また株式会社カプコンの人気ゲームソフト「モンスターハンター」とコラボレーションしたモンスター1200 モンスターハンターバージョンも発表されるなど、かつてないほど大きな話題を呼ぶイベントとなりました。

Monster1200 × Monster Hunter
この「モンスターハンター」というゲーム、僕はやったことがないので聞いたままの説明となりますが、このゲームのシリーズを通して人気の「リオレウス」をイメージし、カプコンがデザインをおこしてドゥカティがハンドメイドで仕上げたコラボレーションモデルがこれ。話自体はカプコンから持ちかけられたそうで、ドゥカティジャパンはふたつ返事で了承、ことはかなりスピーディに進み、当初予定していた以上の早さでここまでこぎ着けたのだという。このコラボバイクはドゥカティジャパンのウェブサイトや正規ディーラーなどで受注生産での販売を行っていくとのこと。同ゲーム10周年を記念したというアニバーサリー仕様でもあるので、ファンの方にとっては見逃せない一台と言えるでしょう。また日本各地で開催される「モンスターハンター」のイベント会場にも展示されるそうなので、気になる方はぜひ実車をご覧になってください。

Monster1200 × Monster Hunter
 “火竜”リオレウスの真っ赤な鱗と吐き出すブレスを表現したデザイン、ハンドメイドで丁寧に仕上げたとあって、間近で見るとすごい迫力です。ちょっと写真では表現しきれないグレードですね。


モーターサイクル業界からの視点という意味で言えば、こうしたドゥカティの試みは革新的。最近では熊本県のゆるキャラ「くまモン」とコラボレーションしたバイクが登場するなど、免許を持っておらずバイクというものに関心が持てていない一般の人に向けて、こうしたアプローチをするというのは大きな意味を持っています。やはり“バイクに乗る”というのは、実際に取り組むとなるとハードルは低くなく、それゆえ一般の方々との温度差もかなりあるからです。

例えば400cc以下のバイクに乗るとした場合、「免許を取る」「バイクを買う」「必要な用品(ヘルメットなど)を買う」「置き場所を考える」といったことが必要になってきます。最初の三つに取り組むのでもかなりのお金と労力を要するのは想像に難くないかと思います。これがドゥカティなど大型バイクともなると、さらに大きな力が求められるわけです。

そうしたことをすべて乗り越え、モーターサイクルの世界を楽しむライダーは大勢います。その原動力となったのは、「このバイクに乗りたい!」という激しいモチベーションにほかなりません。何をおいても手に入れたいという強い欲求が、興味がない人からすれば理解できないであろういくつものハードルを軽々と超えさせてくれるのです。かくいう僕も同じクチで、実際にバイクに乗るようになったのは20代後半のこと。遅咲きも遅咲きですが、別に若くから乗っていなきゃいけないルールなんてありませんからね。こうした人気ゲームとのコラボレーションをキッカケに、「モーターサイクルに興味を持ってもらいたい」というドゥカティの試みは、エンスージアストの色濃さが際立つモーターサイクル業界に新しい風を吹き込むことになると思います。

「バイクは危険な乗り物」と言われますが、おっしゃるとおり。クルマと比べれば安全性という点で大きな差があります。しかし、モーターサイクルに乗ることでしか味わえない快感や感動がそこには存在します。それを知るためには実際に乗るのが一番ですが、“乗る”というところにたどり着くにはキッカケが必要。もちろん乗るようになってから学ぶべきことは多々ありますが、キッカケを経てモーターサイクルに興味を持ってもらい、その楽しさを知ってもらいたいと常々思っています。そういう意味で、今回のドゥカティのプロモーションは、企業として大きく評価されていい試みだと思うのです。
 
ゲストとして、永井 大さんと釈 由美子さんが登場
DUCATI Monster 1200S
また、「さすがイタリアが生んだモーターサイクルメーカー」と感心させられたのは、モデルを生み出すまでの過程。「こんなバイクをつくろう」と最初にデザイナーがスケッチをおこし、そこから開発が始まるわけですが、当然その過程で「これはできない」、「ここは合理性を優先してこうしよう」という話が出てきて、結果的に最初のイメージとは似ても似つかないものが出来上がるということ、多々あることと思います。しかし、そこはさすがのドゥカティ、何事においてもデザイナーのファーストスケッチが優先され、イメージしたデザインのモーターサイクルに近づける努力を惜しまないのだと言います。これはドゥカティだけでなく海外のモーターサイクルメーカーに共通する“デザインありき”の哲学で、メーカーによってカラーは異なるものの、日本のメーカーにはない“色気”がそこかしこから匂い立っているのです。女性のボディラインをイメージしているというドゥカティにいたっては、全身からフェロモンが解き放たれているよう(笑)。

 「もっと多くの人に、モーターサイクルに触れてもらえる機会を持っていただきたい」という情熱がひしひしと伝わってきた今回のドゥカティ プレスカンファレンス。今後、さらに大きな試みを用意しているということで、非常に大きな期待を抱いてしまうところです。これからもドゥカティの革新的な動きには注目していきたいですね。


2014年6月2日月曜日

バイク買取業者の影は盗難の警告

先日、バイク盗難の防止用製品を手がけるメーカーの知り合いから連絡をもらいました。「多摩など東京西部方面で、バイク盗難事件が起こっている」とのこと。相談件数の多さから、多摩地区まで話を聞きに行ったそうです。

「夜になると極端に人通りが少なくなるから、窃盗グループからすれば格好の作業場。これは狙われるよなぁ、という環境だった」

何年も前からメーカーとしてバイク盗難防止のための製品づくりや活動に従事してこられた方で、今も茨城県警などと共同で四輪・二輪の防犯活動を展開されています。そんな経験豊富な御仁が、パっと見て分かるほど“盗られやすい”環境と言われると、縁遠い場所とはいえ背筋に寒いものが走るよう。

特に気になったのが、「バイク買取業者の姿」だと言います。

「ご不要になったオートバイなどございましたら……」というくだりで住宅街をまわる軽トラックの存在を思い出される方も多いかと思います。あれはいわゆる一般的な買取業者ですが、その昔、「ああやってバイクの有無を確認しているんだ」なんてバイク盗難に関する都市伝説のような噂が広まったこともありました。なもんで、一時期は拡声器でその文句が聞こえると、「このエリアが狙われている!?」なんて警戒心を働かせたものです。ええ、未だ都市伝説の域を出ておりませんが。

バイクオーナーの方に特にご注意いただきたいのは、“バイク買取の告知ビラ”です。ある日、家に帰ると自分のバイクのハンドル部分に「あなたのオートバイ、高く買い取ります!」という10センチ四方ぐらいのビラが輪ゴムで括り付けられてあって、不愉快な思いをした……という経験、お持ちのオーナーさんは多いかと思います。

あれこそ“バイク盗難チェック”の証です。

基本的にあんなビラを括り付けられて、気分を害さないわけがありません。当然ながらオーナーはそのビラを引っぺがすわけですが、窃盗グループは"括り付けてから取り除かれるまでの期間”または“取り除かれないままのバイク”をチェックしているのです。

取り除かれないままなら、オーナーがそのバイクに対して関心度が低いことを示しているわけで、多少の物音や普段と違うことが発生しても、動いてくることはありません。逆に取り除かれる期間が短いということは、オーナーが頻繁に様子を見に来ることの証拠なので、狙いをつけたとしても優先順位は下がるでしょう。

冒頭の御仁が多摩地区でリサーチをしたところ、このテのビラがいくつも見受けられたと言います。すなわち、現在バイク窃盗グループの動きは東京都内、主に西方面で動き出していると見て良いでしょう。また、狙われているのは最近多発しているハーレーダビッドソン等に限らず、国産旧車などもターゲットになっている模様。東京西部という言い方をしていますが、東京都全域そして神奈川県含め、おそらく窃盗グループの活動範囲だと思われるので、このエリアにお住まいの方はご注意ください。

いずれにしても、このビラが自身の愛車に付いていた際は、警戒値を最大限にまで上げていただきたいです。仮に何も起こらなかったとしても、“自分のバイクが無事な日々を送ること”が重要なのであって、警戒心はどれだけ高めたとしても損をすることはありません。

B'z稲葉浩志のソロ曲『Stay Free』ロケ地解析

日本を代表する人気ロックバンド B'z。僕は『love me, I love you』(17作めシングル/1995年7月7日リリース)からの大ファンで、かれこれ20年近い付き合いになります。結成が1988年と、その活動も26年めを迎え、ギタリスト松本隆弘さんは53歳、ヴォーカリスト稲葉浩志さんは49歳に。そんな歳を感じさせない精力的な活動にはただただ感心させられるばかり。

そんなB'zですが、昨年からそれぞれソロ活動に専念。このふたりに関しては「ソロ活動=解散説浮上」の構図が成り立たないほど仲が良いのですが、興味深かったのがヴォーカリスト稲葉浩志さんのコト。ソロシングル『Stay Free』は作品としても素晴らしいのですが、特に「ええぇ!」と驚かされたのがPV(プロモーションビデオ)でした。

稲葉浩志 ソロ『Stay Free』PVのワンシーン
PVが流れるなか、稲葉さんがバイクでひたすら走り続けるのです。ライダーとして、B'zファンとして、そしてモーターサイクル業界のメディアとして、これは驚愕の作品と言えるもの。それぞれポイントを挙げながらご紹介させていただきます。


【Motorocycle】
[MV Agusta 750S]
もう、信じられないのひとこと。ベースは1972年式 MVアグスタ 750S。“バイクのワールドカップ”ロードレース世界選手権(現在のMotoGP)で数々のタイトルに輝いた名門メーカーで、この750Sはレーサーマシンの750cc並列4気筒搭載モデル。一台数百万円を超える“至高のバイク”で、この世に何台とありません。

Shinya Kimura / chabott engineering
そしてもうひとつの“信じられない”が、このバイクをカスタムした人。アメリカに居を構えるカスタムショップ chabott engineering(チャボエンジニアリング)の日本人ビルダー木村信也さん。文字どおり日本を代表するアーティストとも言える方で、僕らモーターサイクル業界で「彼を知らない人間はモグリ」と言っていいほどの著名な人物。それこそ、ブラッド・ピットやディビッド・ベッカムのバイクを手がけるビルダーとして知られているのです。そんな木村さんが手がけたMVアグスタ 750Sのカフェレーサー“blue-one”。世界の名だたるビルダーも注目する彼の一台、まさか稲葉さんが所有しているとは。しかも、それに乗ってPVって! ぶっちゃけ、これ一台1,000万円以上するはず……。


blue-one
よくよく調べると、B'zのファンクラブ会報誌「B'z Party」のなかで、稲葉さんが“もっとも尊敬する人物”として木村さんの名を挙げていたそうです。アメリカに赴いた際は、彼の工房にも顔を出しているとか。確かに10数年前、まだ日本にいた木村さんにヴィンテージハーレーのカスタム依頼を出しているんです。心の深いところに入り込む言葉を奏でる稲葉さん、きっと木村さんのなかの“何か”が強烈に刺さったんでしょうね。

余談ですが、その10数年前に稲葉さんからオーダーを受けた当時の木村さん、日本のポップミュージックにまったく感心がなかったため、直後のカスタムショーで仲間のビルダーに「なぁ、“びーず”って知ってるか?」と聞いていたとか。聞かれた面々も「さぁ?」という感じで、今僕がバイクの面倒を見てもらっている大阪のトランプサイクルの長岡守さんだけが「おい! それB'zやろ!」とツッコんだと聞きます(笑)。

超レアバイクをベースに、世界最高峰のカスタムビルダーが手がけたフルカスタム カフェレーサー。これだけで、このPVに登場しているバイクがどれだけスゴいものか、お分かりいただけたかと思います。


【Location】

撮影ポイント
主に東京都内のハイウェイと一般道で、とりわけモーターサイクル業界でも多用する撮影スポットが見受けられました。細かいところはさておき、大きく分けると、「レインボーブリッジ」「ゲートブリッジ」「首都高速道路」「大井埠頭」というところ。

▼首都高速道路
首都高は、撮影班(カメラマンを載せたサポートカー)と環状線をぐるぐるを走り回り、前から、そして後ろからの走行映像を撮ってから、流れで中央道へ向かう新宿線へと入っていったんじゃないでしょうか。普段日中だと首都高は渋滞しますから、まわりのクルマが少ないところを見ると、すっごい早朝にロケをやったのか、人が少ない大型連休に行ったのか、ってところでしょうか(ムービーのエフェクトでクラシカルにしているので、日中というところしか分かりません)。
左は谷町JCT、右は首都高 都心環状線 飯倉〜谷町間のトンネルですね
首都高 新宿線を八王子方面に向かっているよう
▼レインボーブリッジ
そしてレインボーブリッジとゲートブリッジ。こちらはド定番とも言える場所。特にレインボーブリッジは、首都高側を走れば景観が良いですし、一般道側ならちょうど良いカーブを描いているので、どちらも画になるんです。バイク雑誌やウェブのバイク記事の走行カットを見ると、レインボーブリッジが多用されているのに気付くかと思います。どちらも交通量が多い道ですので、タイミング次第ですね。
首都高 レインボーブリッジ
左はレインボーブリッジの一般道側でしょうか。右は首都高 芝浦PAへの入口
▼ゲートブリッジ
ゲートブリッジ
ゲートブリッジは、道自体はストレートながら、都心とは思えないスカっと抜けた画(え)が撮れるスポット。僕もモーターサイクル誌等の撮影で用いることが多い場所なので、見た瞬間に「あ!」と気付いちゃいました。潮風がダイレクトに吹きつけるところなので、風が強い日はバイクで走るのが若干怖かったりしますが、片方に東京湾が、もう片方に東京の街並みが見えながらのライディングが楽しめるので、ここを走るライダーも多く見かけます。

ゲートブリッジの若洲側
ゲートブリッジ 若洲側の交差点。ここでコーナーを曲がる稲葉さんが二度登場
▼大井埠頭
お台場とトンネルでつながる大井埠頭でも走行撮影がされていますね。スチールだとパッと見たときの背景がイマイチなんですが、こうしてイメージに振った映像として見ると、コンテナ群のなかを走るバイク……という感じで良い意味での殺伐感があると思います。“大都会をバイクで駆け抜ける”というテーマのなかの一枚としては面白い画ですよね。

大井埠頭のコンテナ群。左側の画は、おそらくGoProで撮影したものでしょう(笑)
大井埠頭〜台場をつなぐトンネル。右下の場所は、ちょうど台場側に出てくるところ

僕もモーターサイクルに関するムービーを撮影&編集することがあるのですが、撮影班を組む大変さはもちろん、何が難しいかって、編集するうえで必要になる“音楽”なんです。最近はフリーの音源(有料/無料とも)がネット上で手に入るようになってきましたが、イメージ性の強いムービーだと、その展開に合ったサウンドが入っていないと、仕上がったときに違和感が残るのです。

そういう意味で言えば、この『Stay Free』のPVは、そのサウンドありきでつくられているから、作り手側からすればイメージは沸きやすいですね。稲葉さんが登場し、稲葉さん(ソロ)のサウンドが奏でられ、稲葉さんが敬愛する人物が手がけたバイクが登場し、そんな稲葉さんのイメージをメインにまとめられている……いわば“稲葉浩志さんによるフルプロデュースムービー”というもの。バイクがカッコいい、モデルがカッコいい、サウンドもカッコいいと、限られた予算のなかでしこしこムービー撮影をする人間からしたら、すべて“反則技”以外のなにものでもありませんが(笑)。

そんな稲葉浩志さんのソロ曲『Stay Free』PV、こういう舞台背景なんかを知ったうえで見ると、また違った新鮮みがあるかも……?