■まだコロンビア戦が残っているが……
ギリシャ戦をスコアレスドローで終え、土壇場に追い込まれた日本代表。敗れていればグループリーグ敗退決定だったので最悪の結果にはならずに済みましたが、かといって良い結果だったわけでもありません。首の皮一枚でつながったという事実が残ったのみです。
言いたいことは山ほどありますが、ウェブのニュースなどでギリシャ戦評が何件も出ているので、分析はそちらにまかせるとして、今ウェブ上で巻き起こっているさまざまな声のなかに見える意見——「W杯を戦っている真っ最中に批判すべきじゃない」「最後まで戦いを見届けてから検証しよう」という内容について考えたいと思います。
結論から言えば、どっちだってイイ、です。
代表チームにはまだコロンビア戦が残っていますし、わずかな可能性ですが、決勝トーナメントに進出することもあり得ます。そうなると、3試合でブラジルを後にすることなく、勝ち続ける限りW杯の舞台に立つことが叶うのです。小さくとも可能性がある限り、選手たちが最大限の力を発揮できるよう、心をかき乱されぬよう、静かに祈り、見守ろうじゃないか……そういう意図と僕は汲み取りました。もちろんそのなかには、「今何を言ったところでチームの状態が急に良くなるわけじゃない、だったら外野は黙って見守ればいい」という意見もあることでしょう。
ナイーブだなぁ、と思うわけです。
日本代表が目指しているところはどこでしょう。日本サッカーが目指しているところはどこでしょう。世界の強豪国と互角に渡り合う力をつけ、W杯でも上位に食い込む強豪国の仲間入りを果たし、究極はW杯を制覇する。少なくとも僕自身はそのつもりで日本サッカーと向き合っています。
■ポルトガルと見比べてみる
同じシチュエーションの他国と見比べてみましょう。初戦を落とし、第2戦めを引き分けて崖っぷちの国と言えば、ポルトガル、ガーナ、韓国がいます。それではポルトガルを例に考えてみます。
大会前のポルトガルと言えば、優勝候補というよりはダークホース的存在として扱われていました。何より最大の武器はエース、クリスティアーノ・ロナウドの存在。一撃必殺のエースは間違いなく他国にない絶対的な切り札ですし、厳しいマークにさらされるのは想定内。あとは、その状況をチームがいかにうまく利用できるかどうか。戦い方次第で決勝トーナメント進出はもちろん、さらなる躍進だって期待できる……そういう寸評でした。
ところがいざ蓋を開けてみれば、初戦のドイツにボテくりまわされ、挙げ句CBペペの愚行でいきなり蹴つまずくという最悪のスタート。C.ロナウド自身も怪我を抱えており万全の状態ではなく、また怪我人も続出してチーム全体が満身創痍といったところ。僕から見れば、日本代表以上に最悪のシチュエーションにある模様。
では、当初期待されていたほどの活躍ができていない代表チームを見て、ポルトガル国民はどんな反応をしているでしょう。歯がゆい思いをしながらも、腕を組んで祈り続けているだけでしょうか。僕は、そうは思いません。少なくとも「まだ一試合ある。静かに見守ろう」と言う声はほぼ皆無に違いありません。かつてエウゼビオという“英雄”を擁し、世界のサッカーシーンを席巻したポルトガルという国が“この程度の結果”を甘んじて受け入れているはずがない。今頃ポルトガル代表チームは、敗退後にどう静かに帰国すべきか考えているでしょう。特にペペは、そうでしょうね。もしかしたらそのままマドリッドに直帰するんじゃないか?とも。
「まだ一試合残っている。突破の可能性はある。だから静かに見守って欲しい」
本田圭祐がそう言っていたと聞きます。とても「批判は受け止める」と言っていた強気の御仁とは思えない言葉です。とてもACミランで10番を背負う男の言葉とは思えません。他の国に比べれば緩いことこのうえない。もしブラジル代表がこんな状況に陥っていたら、こんなものじゃ済まないでしょう。ネイマールが「今は静かに……」と言ったりすれば、蜂の巣を突ついたかのように批判の嵐にさらされるでしょう(言うとは思うけど)。
今言うべきか、大会後に批判すべきか。
この議論自体が、W杯に出場する気がある国として実に稚拙だと思います。批判なんていつ言ったっていい。それが、国を背負ってW杯に挑むということの意味です。少なくともイングランドやスペインなどと肩を並べる存在になりたいと思うのであれば、帰国する際の代表チームの表情、そして彼らが帰国した際の国民の反応を見ておきましょう。真似する必要があるなどとは言いません、日本には日本の出迎え方があります。
「感動をありがとう」「勇気をありがとう」といった声があがろうものなら、我が国のサッカーは一生強くなれないでしょうね。
■結局のところ、かまってちゃん?
「感動をありがとう」「勇気をありがとう」——。
ずいぶん昔から聞き慣れた言葉です。先のソチ五輪でメダルを逃したフィギュアスケーター浅田真央さんが帰国した際にも同じような声が聞かれました。どうも日本人は「感動」「美談」が好きなようで、なにかにつけて話を綺麗にしたがるきらいがあります。
今回のブラジル大会では、初戦の主審に日本人の西村雄一さんが選ばれたこと、そしてスタジアムでゴミ拾いをする日本人サポーターのことが評価されたことが違う話題を呼びました。確かにそれ自体は評価されてしかるべきなのですが、ちょっとメディアの持ち上げ方が異常すぎるのです。「私たち日本人が、こんなに世界から評価されたんですよ!」と煽るさまは、どれだけコンプレックス強いんだ?と思わされるほど。
どうも日本という国は、外部からのバッシングに対して異常に強い反応を見せます。独自の文化、独自の言語で発展してしまった島国ゆえでしょうか。反面、海外からの高評価を必要以上に喜ぶ傾向も。そうした傾向の歪んだ表現なのか、曖昧な結果を美談でまとめたがります。
実を言うと、僕が主に携わっているバイク業界も似たような傾向にあります。免許、バイク、その他用品が必要なうえに、社会的にあまり良い目で見られていない世界ゆえ、常に肩身の狭いところで細々と過ごしている。そんななか、たとえば日本映画やドラマといった一般人の目に触れるところにバイクが登場すると、「ほらほら!バイクが出るんですよぅ!」と嬉々として話題を振りまく。
よくよく見てみれば、その映画だって別にバイクを大々的に取り上げたかったわけではなく、酒のつまみ程度の必要性で取り入れたってだけのこと。それを「どうですかぁー」と言っちゃうあたり、残念な業界だなぁと思う次第。「自分たちにしか分からない世界だから」と割り切ればいいものを、すり寄られてくると喜んじゃう“かまってちゃん”。
外界との温度差に気付けないと、端から見て正直イタい。西村主審、そしてゴミ拾いをするサポーターのことは確かに海外でも評価されていますが、あまり過度な反応をしちゃうと、外界との溝はさらに深まるばかり。本当に世界と伍するサッカー大国を目指すのであれば、本質であるサッカーでの結果を出すことに腐心するべきだと思います。批判するのは後がいいかどうか、なんて、正直くだらないです。
■選手とサポーターの溝
「それでも人生は続くんだ」
W杯で早々にGL敗退が決まった国の選手や監督は、口々にそう言います。この台詞を耳にしたのは一度や二度ではなく、特に海外の方は“敗北”を受け入れる際にこの言葉を用いているようです。
深い言葉だなぁ、と思わされます。敗北は終わりではなく、始まり。屈辱の結果から敗因を学び取り、次へとつなげていく。そうして人は、死ぬまで何かを学びながら生きていく。我々にはない宗教的背景から生まれた人生観のように見受けられます。
批判なんて、いつしたっていい。どっちみち、今回の不甲斐ない戦いぶりで勝ち上がれるほどW杯は甘くはないし、帰ってくる代表チームと日本サッカー協会は批判の嵐に包まれるに決まっています。
でも、これも学ぶべきことのひとつでしかありません。
日本サッカー界には、Jリーグ百年構想という概念が存在します。その過程で言えば、Jリーグ誕生からわずか20年ほどの現在は、まだまだひよっこみたいなもの。その20年で5大会連続でW杯に出場できているという事実だけでも贅沢きわまりないこと。世界の強豪国が本気で勝ちに来る戦いをできるなんて、どこの国にも与えられる経験ではありません。日本にとって、W杯以外はすべて親善マッチでしかないのですから。
今回のW杯を見ていて痛感したのは、選手とサポーターとの溝です。サポーターは、平たく言えば「観戦している人すべて」と言い換えてもいいかもしれません。今回取り上げたような議論が起こること自体、日本のサポーターのレベルは低いと言っているようなもので、そこから生まれる声が選手を激励するかと言われれば、甚だ疑問です。
サポーターの叱咤激励は、間違いなく選手のレベルを引き上げると確信しています。だからこそW杯での日本代表の不甲斐ない戦いぶりについては、サポーターの声がシビアじゃないことも要因のひとつと考えます。目が肥えた人が見れば、これまでの日本代表の戦いぶりに安定感がないこと、選手やザッケローニ監督が「自分たちのサッカー」というほど明確な型がないことは明らかでした。一部の識者を除き、他の誰もがそれを指摘しなかったのは事実で、だからこんな腑抜けた代表チームをブラジルに送り込んでしまったのです。
4年後のロシア大会で決勝トーナメントに進出したいと本気で願うのならば、まずサポーターがしっかりとサッカーを知り、選手に響く声を発することから始めねばならないでしょう。道は平坦ではありませんが、この事実が再発見できたことが今回のブラジル大会での収穫だと思っています。
2014年6月23日月曜日
2014年6月21日土曜日
W杯コメンテーターのずるさに辟易
■怒りを通り越して……
皆まで言いますまい。非常に情けない敗戦です。「まだ一試合残っている! 今、そんな余計なことを言ってんな!」って声が聞こえてきそうですが、四年後に活かすため、そして自分自身の記録という意味も含め、書き連ねさせていただきます。
これが、日本代表というチームの実力です。
すべては四年前から始まっていました。何もW杯本番になって、急に弱くなったわけではありません。世のメディアからよく聞こえてくる「四年間積み重ねてきたもの」がこれです。過信とともに挑んだ重要な初戦を最悪の形で落とし、奮起した第2戦では有利な状況を活かせずスコアレスドロー。コンディション調整がうまくいかなかった? 直前でスタメンの入れ替えがあった? 主力メンバーが所属クラブで思うように試合に出られず試合勘が戻りきらなかった? 四年前、「南アフリカ大会以上の好成績を残すために」と編成されたチームですよね。その言い訳、みっともなさすぎます。
そう、四年間積み重ねてきたものがこれです。「もっとも退屈なチーム」とイタリアの新聞に酷評される日本の代表団。もっとも大きな責任は日本サッカー協会にありますが、我々国民ひとりひとりにもその責任はあると思います。
とまぁ、なんにせよもう一試合、コロンビアとの戦いが残っていますので、とりあえず見届けましょう。すでに決勝トーナメント進出を決め、主力メンバーを温存してくるであろう相手に息巻いても空しいだけですが、出場権を持つ我が国には3試合を戦える権利が与えられているのですから。それこそ、最後まで全力を尽くさねばW杯そのものはもちろん、世界の人々に対しても失礼です。
今の代表チームを作り上げたのは、ザッケローニ監督です。そしてそのザッケローニを招聘し、四年間(正しくは三年半ぐらいでしょうか)指揮権を与え続けたのは日本サッカー協会です。そしてこちらの財団法人は、次期代表監督を決定する権限を持っています。なので、“日本のW杯”が終わったら、ここを中心に今回の反省と次へつながる施策を明確にすることを求めましょう。別にスケープゴートを作り上げようなんて気はさらさらありませんが、この協会の動きはこれまで見ていても目に余りますし、本気で四年後の勝利を渇望するなら、言うべきときがあると思うのです。
■今頃勝手なことを言うな
そんな今、なんとも奇妙な傾向が見受けられました。初戦のコートジボワール戦を落としたあとは「大丈夫! 次のギリシャに勝てば、決勝トーナメント進出の可能性が残っている」と息巻いていた各メディアが、ギリシャ戦後、お通夜状態というか空元気というか、完全に望み薄になったにもかかわらず、無理矢理コロンビア戦を盛り上げようとしていること。まぁ、分からなくもありません。W杯はまだ続くわけです、テレビ放映だのグッズ販売だの何だのと、利権が絡んでいる各メディアとしては、人々の関心の火を今から消してはならないから。涙ぐましい努力だなぁ、とある意味関心しています。
腹立たしいのは、手のひらを返した識者たち。
「指揮官の采配に疑問がある」、「気迫を感じない」、「一体どんな練習をしているんだ?」などなど、わずか半日ほどで代表チーム……どちらかと言えば、ザッケローニ批判が一気に噴出してきました。それも、現場に足を運びやすい元選手や著名ライター、芸能人などなど。芸能人はともかく、かつてプロとして鳴らした元選手がこのタイミングで態度を一変するとは、どういう神経をしているのかと疑ってしまいます。
日本代表は、ブラジルに着いてから急に弱くなったんですか? 違います、もっと以前からザッケローニの指揮官としての能力には疑問がいくつも噴出していました。それこそ、一年前のコンフェデレーションズカップでは解任論も出たほど。そもそも論をすれば、彼が代表監督に選ばれた経緯自体が疑問そのもの。にもかかわらず、今このタイミングで態度を一変する理由は何なのか。
メディアの世界というのは狭いものです。「○○選手がこんなことを言っていた」、「○○選手とモデルの○○が付き合っている」、「○○というライターが協会からハブられている」といった表には出ない話はゴロゴロ転がっています。ザッケローニが日本代表監督に選ばれた経緯ぐらい、業界メディアの誰もが知っていることでしょう。彼がベストの選択ではなかったことぐらい。元代表選手クラスにもなれば、代表チームの練習風景や実際の試合を観ただけでチーム状態……ザッケローニの指揮官としての能力を推し量ることぐらい朝飯前。
日本代表は、ブラジルに入った途端に急に弱くなったわけじゃありません。元々この程度の実力だったんです。それを、スポーツが大きなビジネスとなっている昨今の風潮に乗り、W杯、そして日本代表をメディアが必要以上に持ち上げてきました。盛り上がりに欠けるようなら、タレントを突っ込んで“そっちのファン層”まで取り込んでしまうという下世話さまで見えるほど。
薄っぺらいメディアがそういう動きをするのは、“日本におけるサッカーの文化レベルってこの程度”というだけで片付けられます。僕が問題視しているのは、元選手や元監督がそうした商法に便乗しているという事実。あなたたち、かつて現役選手としてプレーした時代を知っていながらこの流れに乗るってどういうこと?と。
■知っていて知らないふりをしていた……んでしょ?
現場でいろんなものを見聞きしているプロならば、そんなかりそめの流行に流されることなく真相をつかんでいられると思うのですが、実際はそうはなっていません。そうした薄っぺらいメディアの押しつけ情報に便乗し、一緒になって面白可笑しくくっちゃべっている。「ああ、そういう風に過ごした方が、この人は生きやすいんだろうなぁ」ぐらいに思っていました。それが、とことん追いつめられた今、「ほら見ろ、言わんこっちゃない」と言い出す始末。
彼らとて、知っていたはずです。いや、知らなかったとは言わせません。「今の日本代表は決して強くない」、「ザッケローニの指揮能力には疑問の余地がある」、「このままブラジルに飛び込んだら危ない」……多くの業界人が、とうの昔から気付いていたことでしょう。しかし、ザッケローニ解任論が出たときでさえ、ほとんどのメディアや元プロは、サッカー協会の意見に賛同していました。そして臨んだ本番で得た結果がこれです。
支持するなら支持する、それも姿勢のひとつだと思います。が、追いつめられた途端に態度を一変するのは、卑怯以外の何ものでもない。「心中しろ」とまで言う気はありませんが、少なくとも信念に基づいた意見をお持ちでしょうから、だったらそれに準じたらどうですか?と思うのです。
大手メディアがはやし立てるのは、まぁ今の日本の文化レベルから見れば「こんなもんでしょう」程度。真剣に取り組んでいる人は、受け流せばいいだけ。そのなかで、さまざまな恩恵を受けて過ごしているにもかかわらず、追いつめられた途端に手のひらを返すとは、じゃああなたの信念って何なんですか?と聞きたい。日本サッカーの未来を憂いているわけでもなければ、指導者としての道をひたすらに突き進んでいるわけでもない(そういう人もいる、という意味で)、そんな人がテレビの向こうでどれだけ講釈を垂れても、まったく心に響いてきません。
■残るべき人だけが残ればいい
日本人は、シビアな結論を口にするのは苦手で、苦笑いや言い訳で言葉尻を濁すことがあります。でも、「それが日本人だから」で流されちゃあ、日本サッカーを強くしたいと願っている人たちにとってはただただ迷惑なだけ。世界と伍する力を身につけたいのであれば、まずは日本人としての殻を破ることから考えねば。ギャランティがいいというだけでクライアント受けのいいことしか言わない夢追い人は、きっと時代が淘汰してくれることでしょうが。
影響力のある発言の場を持てる身でありながら、事なかれ主義よろしく日本のガンを放置したまま過ごした日々を思えば、今頃手のひらを返している方々は信用に値しません。
おそらくW杯後、大騒ぎ状態の日本国内は沈静化し、サッカーを見なくなる人も少なくないでしょう。2006年ドイツ大会後のような暗黒時代がやってくることでしょう。僕は、「やっぱりサッカーが好きなんだ。日本代表が好きなんだ」と一途な愛を貫ける人たちだけが残れば、それでいいと思っています。そうした濃度の高い人たちが選手を育てる声を発せられるのだと思いますし、やはりどの国のサッカーも、サポーターの成長なくしてあり得ないのですから。
この四年間で、知っていたはずの落とし穴の場所も指摘せず、利権の恩恵にあやかって過ごしてきただけの人の言葉が胸に響くことはありません。少なくとも僕は、態度を変えたコメンテーターおよび解説者に対して、そういう目で見ています。彼らが“正しい言葉”を発していれば、少なくとも代表チームがこんな状態に陥ることはなかったのかもしれないのですから。
たとえ元プロの選手だろうが、大事なときに大事なことを言えない程度ならば、渋谷のスクランブル交差点でハイタッチするだけの輩となんら変わりません。
皆まで言いますまい。非常に情けない敗戦です。「まだ一試合残っている! 今、そんな余計なことを言ってんな!」って声が聞こえてきそうですが、四年後に活かすため、そして自分自身の記録という意味も含め、書き連ねさせていただきます。
これが、日本代表というチームの実力です。
すべては四年前から始まっていました。何もW杯本番になって、急に弱くなったわけではありません。世のメディアからよく聞こえてくる「四年間積み重ねてきたもの」がこれです。過信とともに挑んだ重要な初戦を最悪の形で落とし、奮起した第2戦では有利な状況を活かせずスコアレスドロー。コンディション調整がうまくいかなかった? 直前でスタメンの入れ替えがあった? 主力メンバーが所属クラブで思うように試合に出られず試合勘が戻りきらなかった? 四年前、「南アフリカ大会以上の好成績を残すために」と編成されたチームですよね。その言い訳、みっともなさすぎます。
そう、四年間積み重ねてきたものがこれです。「もっとも退屈なチーム」とイタリアの新聞に酷評される日本の代表団。もっとも大きな責任は日本サッカー協会にありますが、我々国民ひとりひとりにもその責任はあると思います。
とまぁ、なんにせよもう一試合、コロンビアとの戦いが残っていますので、とりあえず見届けましょう。すでに決勝トーナメント進出を決め、主力メンバーを温存してくるであろう相手に息巻いても空しいだけですが、出場権を持つ我が国には3試合を戦える権利が与えられているのですから。それこそ、最後まで全力を尽くさねばW杯そのものはもちろん、世界の人々に対しても失礼です。
今の代表チームを作り上げたのは、ザッケローニ監督です。そしてそのザッケローニを招聘し、四年間(正しくは三年半ぐらいでしょうか)指揮権を与え続けたのは日本サッカー協会です。そしてこちらの財団法人は、次期代表監督を決定する権限を持っています。なので、“日本のW杯”が終わったら、ここを中心に今回の反省と次へつながる施策を明確にすることを求めましょう。別にスケープゴートを作り上げようなんて気はさらさらありませんが、この協会の動きはこれまで見ていても目に余りますし、本気で四年後の勝利を渇望するなら、言うべきときがあると思うのです。
■今頃勝手なことを言うな
そんな今、なんとも奇妙な傾向が見受けられました。初戦のコートジボワール戦を落としたあとは「大丈夫! 次のギリシャに勝てば、決勝トーナメント進出の可能性が残っている」と息巻いていた各メディアが、ギリシャ戦後、お通夜状態というか空元気というか、完全に望み薄になったにもかかわらず、無理矢理コロンビア戦を盛り上げようとしていること。まぁ、分からなくもありません。W杯はまだ続くわけです、テレビ放映だのグッズ販売だの何だのと、利権が絡んでいる各メディアとしては、人々の関心の火を今から消してはならないから。涙ぐましい努力だなぁ、とある意味関心しています。
腹立たしいのは、手のひらを返した識者たち。
「指揮官の采配に疑問がある」、「気迫を感じない」、「一体どんな練習をしているんだ?」などなど、わずか半日ほどで代表チーム……どちらかと言えば、ザッケローニ批判が一気に噴出してきました。それも、現場に足を運びやすい元選手や著名ライター、芸能人などなど。芸能人はともかく、かつてプロとして鳴らした元選手がこのタイミングで態度を一変するとは、どういう神経をしているのかと疑ってしまいます。
日本代表は、ブラジルに着いてから急に弱くなったんですか? 違います、もっと以前からザッケローニの指揮官としての能力には疑問がいくつも噴出していました。それこそ、一年前のコンフェデレーションズカップでは解任論も出たほど。そもそも論をすれば、彼が代表監督に選ばれた経緯自体が疑問そのもの。にもかかわらず、今このタイミングで態度を一変する理由は何なのか。
メディアの世界というのは狭いものです。「○○選手がこんなことを言っていた」、「○○選手とモデルの○○が付き合っている」、「○○というライターが協会からハブられている」といった表には出ない話はゴロゴロ転がっています。ザッケローニが日本代表監督に選ばれた経緯ぐらい、業界メディアの誰もが知っていることでしょう。彼がベストの選択ではなかったことぐらい。元代表選手クラスにもなれば、代表チームの練習風景や実際の試合を観ただけでチーム状態……ザッケローニの指揮官としての能力を推し量ることぐらい朝飯前。
日本代表は、ブラジルに入った途端に急に弱くなったわけじゃありません。元々この程度の実力だったんです。それを、スポーツが大きなビジネスとなっている昨今の風潮に乗り、W杯、そして日本代表をメディアが必要以上に持ち上げてきました。盛り上がりに欠けるようなら、タレントを突っ込んで“そっちのファン層”まで取り込んでしまうという下世話さまで見えるほど。
薄っぺらいメディアがそういう動きをするのは、“日本におけるサッカーの文化レベルってこの程度”というだけで片付けられます。僕が問題視しているのは、元選手や元監督がそうした商法に便乗しているという事実。あなたたち、かつて現役選手としてプレーした時代を知っていながらこの流れに乗るってどういうこと?と。
■知っていて知らないふりをしていた……んでしょ?
現場でいろんなものを見聞きしているプロならば、そんなかりそめの流行に流されることなく真相をつかんでいられると思うのですが、実際はそうはなっていません。そうした薄っぺらいメディアの押しつけ情報に便乗し、一緒になって面白可笑しくくっちゃべっている。「ああ、そういう風に過ごした方が、この人は生きやすいんだろうなぁ」ぐらいに思っていました。それが、とことん追いつめられた今、「ほら見ろ、言わんこっちゃない」と言い出す始末。
彼らとて、知っていたはずです。いや、知らなかったとは言わせません。「今の日本代表は決して強くない」、「ザッケローニの指揮能力には疑問の余地がある」、「このままブラジルに飛び込んだら危ない」……多くの業界人が、とうの昔から気付いていたことでしょう。しかし、ザッケローニ解任論が出たときでさえ、ほとんどのメディアや元プロは、サッカー協会の意見に賛同していました。そして臨んだ本番で得た結果がこれです。
支持するなら支持する、それも姿勢のひとつだと思います。が、追いつめられた途端に態度を一変するのは、卑怯以外の何ものでもない。「心中しろ」とまで言う気はありませんが、少なくとも信念に基づいた意見をお持ちでしょうから、だったらそれに準じたらどうですか?と思うのです。
大手メディアがはやし立てるのは、まぁ今の日本の文化レベルから見れば「こんなもんでしょう」程度。真剣に取り組んでいる人は、受け流せばいいだけ。そのなかで、さまざまな恩恵を受けて過ごしているにもかかわらず、追いつめられた途端に手のひらを返すとは、じゃああなたの信念って何なんですか?と聞きたい。日本サッカーの未来を憂いているわけでもなければ、指導者としての道をひたすらに突き進んでいるわけでもない(そういう人もいる、という意味で)、そんな人がテレビの向こうでどれだけ講釈を垂れても、まったく心に響いてきません。
■残るべき人だけが残ればいい
日本人は、シビアな結論を口にするのは苦手で、苦笑いや言い訳で言葉尻を濁すことがあります。でも、「それが日本人だから」で流されちゃあ、日本サッカーを強くしたいと願っている人たちにとってはただただ迷惑なだけ。世界と伍する力を身につけたいのであれば、まずは日本人としての殻を破ることから考えねば。ギャランティがいいというだけでクライアント受けのいいことしか言わない夢追い人は、きっと時代が淘汰してくれることでしょうが。
影響力のある発言の場を持てる身でありながら、事なかれ主義よろしく日本のガンを放置したまま過ごした日々を思えば、今頃手のひらを返している方々は信用に値しません。
おそらくW杯後、大騒ぎ状態の日本国内は沈静化し、サッカーを見なくなる人も少なくないでしょう。2006年ドイツ大会後のような暗黒時代がやってくることでしょう。僕は、「やっぱりサッカーが好きなんだ。日本代表が好きなんだ」と一途な愛を貫ける人たちだけが残れば、それでいいと思っています。そうした濃度の高い人たちが選手を育てる声を発せられるのだと思いますし、やはりどの国のサッカーも、サポーターの成長なくしてあり得ないのですから。
この四年間で、知っていたはずの落とし穴の場所も指摘せず、利権の恩恵にあやかって過ごしてきただけの人の言葉が胸に響くことはありません。少なくとも僕は、態度を変えたコメンテーターおよび解説者に対して、そういう目で見ています。彼らが“正しい言葉”を発していれば、少なくとも代表チームがこんな状態に陥ることはなかったのかもしれないのですから。
たとえ元プロの選手だろうが、大事なときに大事なことを言えない程度ならば、渋谷のスクランブル交差点でハイタッチするだけの輩となんら変わりません。
2014年6月20日金曜日
電動ハーレーという衝撃のニュース、そして今後のバイク市場は
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発表された電動ハーレーダビッドソン『LiveWire』 |
電気自動車は現在すでに実用化され、日常にも溶け込んできていますが、電動バイクはいわゆる原付クラスでは登場しているものの、こうした大型バイクではほとんどがコンセプトバイクどまりで、まだ実用化に至っていません。ただ、世界的には電動バイクに対する関心度は大変高く、イギリスのマン島で開催されている世界最古のモーターサイクルレース『マン島TTレース』では電動バイクのクラス「Zero Emission」なるものがあり、今年は日本のレーシングチームのEVレーサー「MUGEN 神電参」が見事優勝を飾っています。電動バイクの実用性は決して遠い未来の話ではないのです。
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LiveWire |
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LiveWire |
世界の進化の速さを痛感した次第です。
昔のハーレーダビッドソンなら、「水冷エンジン? 電動バイク? ウチには関係ないね。そんなものは他メーカーにでもまかせておけばいいさ」といった強気の姿勢で、自身のアイデンティティである空冷Vツインエンジンのモデル開発に勤しんでいたことでしょう。しかし、昨年発表された空冷機能搭載の「ツインクールド ツインカムエンジン」の発表や、水冷ストリートモデル「ストリート500 & ストリート750」の登場など、その歴史に変化が生まれていたのは事実。特にこうしたプロジェクトは、7〜8年ぐらい前から動き出しているものですので、この電動バイク計画構想は少なくとも10年ほど前から生まれていたのでしょう。
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(左)ツインクールド ツインカムエンジン (右)日本導入予定のストリート750 |
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ビンテージハーレーダビッドソン |
懐古主義か、さらなる進化か。
カンパニーは後者を選び、迷わず突き進んでいる姿勢を打ち出しました。市場においてどんな反応があるかはまだ分かりませんが、少なくとも世界的企業として未来を構築する責務があり、この計画を進めることで、まだ見ぬ“未来のハーレーダビッドソン”の姿を模索していくことでしょう。
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米ハーレーダビッドソン社でのイベントにて |
今回のハーレーダビッドソンの試みは将来的な電動ハーレーの市販をにらんだ計画で、まずは2014年末にかけてアメリカ国内の30ヶ所を超えるディーラーに持ち運び、一般ユーザーに実際に試乗してもらってその声を受け、開発陣にフィードバックしていくという流れだそうです。おそらく今年11月のイタリア・ミラノで開催される世界最大のモーターサイクルショー『EICMA(エイクマ)』にも登場することでしょう。現時点では日本に上陸する予定は未定。この試験車、来ることがあったとしても来年以降じゃないでしょうか。
また、この電動ハーレーは、映画『アベンジャーズ2 エイジ・オブ・ウルトロン』の劇中にてブラックウィドーが実際に乗っているというリーク情報が流れています。アメリカでは2015年5月1日公開予定だそうで、スクリーンで観る電動ハーレーはまた迫力のあるものになるでしょう。これも楽しみのひとつですね。
2014年6月18日水曜日
イタリアの閂は地中海を越えて
【2014 ワールドカップ ブラジル大会 1次リーグ グループH ベルギーvsアルジェリア】
イタリアの閂(かんぬき)は、地中海の向こう岸にたどり着いていたようです。
近年、有能な若手選手を多く輩出しているヨーロッパの古豪ベルギー。勢いに乗っている彼らを中心に組み立てられた代表チームは、それまで“世界の壁”を敗れないでいたこの国をリフレッシュさせ、一気に世界の檜舞台へと駆け上がってきたのです。今大会におけるベルギーは、もっとも期待値が高いダークホースとして注目を集めていました。
初戦の相手は、アフリカ北部の地中海に面したアルジェリア。ジネディーヌ・ジダンの出生国であることは有名ですが、W杯本大会に顔を出す国ではあるものの、カメルーンやコートジボワール、ガーナなどと比べると派手さに欠けるというか、イマイチぱっとしない印象でした。選手の名前だけ見比べても、明らかにベルギーの方が格上。今大会で暴れ回るであろうベルギーが弾みをつける試合となるか……試合前、そんな夢想をしていました。
開始からまもなく、ことがそうカンタンではないことを思い知らされます。
ベルギーの選手がハーフウェイラインを越えてきても、なかなかプレッシャーをかけにいかないアルジェリア選手。そのままアタッキングサード(ピッチを三等分した際の敵寄りのゾーン)へと侵入……した途端、ボールホルダーに対して3人のアルジェリア選手が詰め寄ってきて囲い込み、瞬く間にボールを狩ってしまうのです。自陣ゴール前での守備に人数を割いているため、ボールを奪ってもロングボールを蹴ってそれをフォワードが追いかけるだけという単調なカウンターになってしまうのですが、バイタルエリア前に張られた守備ブロックは堅牢。アザールやデンベレ、デ ブライネといったテクニックに秀でた選手が切り込もうにも、あまりに緻密な守備ブロックのためにまったく突破できず。ボールをまわすベルギーが、アルジェリアの守備陣を睨めつけながら攻めあぐねる、という時間が続きました。
これ、カテナチオですやん。
イタリア語で「閂」(かんぬき)を意味するカテナチオは、ゴール前に人数を割いて徹底的に守り切る一昔前のイタリア代表の守備スタイルのこと。近年のイタリアは攻撃サッカーを標榜するプランデッリ監督のもと、スタイルチェンジを模索し徐々に浸透しつつあるようで、かつてのカテナチオ戦法は影を潜めるようになりました。まさかそのイタリアの閂が、地中海を越えた北アフリカの地にたどり着いていたとは知りませんでした。
■4年前の日本代表と姿が重なる
「絶対に失点は許さない」、そんな強烈な意思を感じさせるアルジェリアが選んだリアリストの戦法。奔放で身体能力を前面に出したプレーのイメージが強いアフリカンながら、勝利に徹するため組織プレーに準じ、それぞれが自身の仕事を完遂して勝利を手にしようとしていました。前半のPKはかなりラッキーパンチでしたが、そうした要素も勝利のための選択肢としてプログラミングしていたアルジェリア。アフリカンといっても、アルジェリアは地中海に面した北アフリカの国で、海の向こうはもうヨーロッパ。あまりアフリカの色合いが濃くはないのかもしれませんが、ここまでチームとしてまとまり、組織プレーに準ずることができるとは、正直驚きでした。
残念ながら、その組織戦術は90分持たず、守備の綻びを突かれて2失点、逆転を許し惜しくも初戦を落としてしまったアルジェリア。相手のスキを逃さなかったベルギーのしたたかさにも大いに感心させられましたが、今大会注目のチームを向こうに回して冷や汗をかかせたアルジェリアの戦いぶりが印象に残りました。
よくよく考えれば、このアルジェリアの戦い方って4年前の南アフリカW杯に挑んだ日本代表によく似ているんですよね。ここまで大雑把な攻撃ではありませんでしたが、田中マルクス闘莉王や中澤佑二を中心とした堅牢なディフェンスをベースに、阿部勇樹というアンカーを前に置き、鉄壁の守備網を敷いたのです。攻撃はキープ力のある本田圭祐を1トップに抜擢、両サイドには同じくキープ力に秀でた松井大輔と大久保嘉人を配し、激しいアップダウンを要する運動量を求め、数少ないチャンスを活かして勝ち抜こうとするカウンター戦法でした。
それまでの親善マッチでまったく結果がついてこなかったことから、追いつめられた感があった岡田武史監督がギリギリで選んだ、当時の日本代表メンバーの能力を最大限に活かした“勝利に近づく”ための戦術。結果的にベスト16という好結果を引き出すことに成功しましたが、その決勝トーナメント一回戦であるパラグアイ戦において、“両翼”の松井と大久保のコンディションが限界に来ており、グループリーグ3試合のようなパフォーマンスを発揮できずに敗れ去るという「日本の限界を思い知らされた結果」でもありました。
そうした背景もあり、「南アフリカでの教訓を踏まえ、ベスト16の壁を破れる強い日本代表をつくる」として4年間強化をしてきたわけですが、当初の志を失ってしまったのか、その道中で「この歩み方、なんかおかしくね?」という声があったにもかかわらず日本サッカー協会は目を背け、ただ4年間を費やしただけの日本代表をブラジルの地へと送り込んでしまいました。ええ、まだ2試合ありますが、結果は推して知るべし。
自分たちの実力を客観的に分析することなく、「コートジボワールだろうがどこだろうが、俺たちは勝てる!」と過信した日本と、自分たちの実力を鑑み、初戦であたる強豪国ベルギーに対して「一太刀浴びせたい」とリアリストに徹したアルジェリア。結果は同じ1-2での敗戦でしたが、そのあとに残った手応えという意味で言えば、大きな差があると思います。
イタリアの閂(かんぬき)は、地中海の向こう岸にたどり着いていたようです。
近年、有能な若手選手を多く輩出しているヨーロッパの古豪ベルギー。勢いに乗っている彼らを中心に組み立てられた代表チームは、それまで“世界の壁”を敗れないでいたこの国をリフレッシュさせ、一気に世界の檜舞台へと駆け上がってきたのです。今大会におけるベルギーは、もっとも期待値が高いダークホースとして注目を集めていました。
初戦の相手は、アフリカ北部の地中海に面したアルジェリア。ジネディーヌ・ジダンの出生国であることは有名ですが、W杯本大会に顔を出す国ではあるものの、カメルーンやコートジボワール、ガーナなどと比べると派手さに欠けるというか、イマイチぱっとしない印象でした。選手の名前だけ見比べても、明らかにベルギーの方が格上。今大会で暴れ回るであろうベルギーが弾みをつける試合となるか……試合前、そんな夢想をしていました。
開始からまもなく、ことがそうカンタンではないことを思い知らされます。
ベルギーの選手がハーフウェイラインを越えてきても、なかなかプレッシャーをかけにいかないアルジェリア選手。そのままアタッキングサード(ピッチを三等分した際の敵寄りのゾーン)へと侵入……した途端、ボールホルダーに対して3人のアルジェリア選手が詰め寄ってきて囲い込み、瞬く間にボールを狩ってしまうのです。自陣ゴール前での守備に人数を割いているため、ボールを奪ってもロングボールを蹴ってそれをフォワードが追いかけるだけという単調なカウンターになってしまうのですが、バイタルエリア前に張られた守備ブロックは堅牢。アザールやデンベレ、デ ブライネといったテクニックに秀でた選手が切り込もうにも、あまりに緻密な守備ブロックのためにまったく突破できず。ボールをまわすベルギーが、アルジェリアの守備陣を睨めつけながら攻めあぐねる、という時間が続きました。
これ、カテナチオですやん。
イタリア語で「閂」(かんぬき)を意味するカテナチオは、ゴール前に人数を割いて徹底的に守り切る一昔前のイタリア代表の守備スタイルのこと。近年のイタリアは攻撃サッカーを標榜するプランデッリ監督のもと、スタイルチェンジを模索し徐々に浸透しつつあるようで、かつてのカテナチオ戦法は影を潜めるようになりました。まさかそのイタリアの閂が、地中海を越えた北アフリカの地にたどり着いていたとは知りませんでした。
■4年前の日本代表と姿が重なる
「絶対に失点は許さない」、そんな強烈な意思を感じさせるアルジェリアが選んだリアリストの戦法。奔放で身体能力を前面に出したプレーのイメージが強いアフリカンながら、勝利に徹するため組織プレーに準じ、それぞれが自身の仕事を完遂して勝利を手にしようとしていました。前半のPKはかなりラッキーパンチでしたが、そうした要素も勝利のための選択肢としてプログラミングしていたアルジェリア。アフリカンといっても、アルジェリアは地中海に面した北アフリカの国で、海の向こうはもうヨーロッパ。あまりアフリカの色合いが濃くはないのかもしれませんが、ここまでチームとしてまとまり、組織プレーに準ずることができるとは、正直驚きでした。
残念ながら、その組織戦術は90分持たず、守備の綻びを突かれて2失点、逆転を許し惜しくも初戦を落としてしまったアルジェリア。相手のスキを逃さなかったベルギーのしたたかさにも大いに感心させられましたが、今大会注目のチームを向こうに回して冷や汗をかかせたアルジェリアの戦いぶりが印象に残りました。
よくよく考えれば、このアルジェリアの戦い方って4年前の南アフリカW杯に挑んだ日本代表によく似ているんですよね。ここまで大雑把な攻撃ではありませんでしたが、田中マルクス闘莉王や中澤佑二を中心とした堅牢なディフェンスをベースに、阿部勇樹というアンカーを前に置き、鉄壁の守備網を敷いたのです。攻撃はキープ力のある本田圭祐を1トップに抜擢、両サイドには同じくキープ力に秀でた松井大輔と大久保嘉人を配し、激しいアップダウンを要する運動量を求め、数少ないチャンスを活かして勝ち抜こうとするカウンター戦法でした。
それまでの親善マッチでまったく結果がついてこなかったことから、追いつめられた感があった岡田武史監督がギリギリで選んだ、当時の日本代表メンバーの能力を最大限に活かした“勝利に近づく”ための戦術。結果的にベスト16という好結果を引き出すことに成功しましたが、その決勝トーナメント一回戦であるパラグアイ戦において、“両翼”の松井と大久保のコンディションが限界に来ており、グループリーグ3試合のようなパフォーマンスを発揮できずに敗れ去るという「日本の限界を思い知らされた結果」でもありました。
そうした背景もあり、「南アフリカでの教訓を踏まえ、ベスト16の壁を破れる強い日本代表をつくる」として4年間強化をしてきたわけですが、当初の志を失ってしまったのか、その道中で「この歩み方、なんかおかしくね?」という声があったにもかかわらず日本サッカー協会は目を背け、ただ4年間を費やしただけの日本代表をブラジルの地へと送り込んでしまいました。ええ、まだ2試合ありますが、結果は推して知るべし。
自分たちの実力を客観的に分析することなく、「コートジボワールだろうがどこだろうが、俺たちは勝てる!」と過信した日本と、自分たちの実力を鑑み、初戦であたる強豪国ベルギーに対して「一太刀浴びせたい」とリアリストに徹したアルジェリア。結果は同じ1-2での敗戦でしたが、そのあとに残った手応えという意味で言えば、大きな差があると思います。
2014年6月17日火曜日
ミッション:インポッシブルに挑む日本代表
■スモールフットボールこそ日本の強みだが
東洋経済オンラインに掲載されていたスポーツライター木崎伸也さんのコラム「日本代表の敗戦は、偶然ではなく必然だ」での分析が興味深かったので、彼のコラムをもとにさらにもう一歩踏み込んだ分析をしてみたいと思います。
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>> [東洋経済オンライン]日本代表の敗戦は、偶然ではなく必然だ
(1)ザック戦術の大前提となるプレスがかからなかった
ザッケローニ監督は攻撃的サッカーを掲げているものの、その戦術指導の中で最も優れているのは守備の方法論だ。場面ごとにやるべきことを細かく教え、それを統合してチーム全体を“プレッシング・マシーン”に仕立て上げる。労を惜しまないチェックによって相手をサイドに追いつめ、選択肢を狭めたところでボールを刈り取る。今大会に向けた準備期間、ザック流プレスのおさらいを入念に行なった。
だが、コートジボワール戦では、その自慢のプレスがまったくかからなかったのである。
(中略)
チームとして本気でボールを奪いに行くのであれば、中盤の選手が援護射撃をすべきだったが、後ろにいた選手たちはそこまでのリスクを冒そうとはしなかった。
-----------------------------------------------------------
確かに、前線のふたり(大迫勇也選手と本田圭祐選手)は懸命にチェイシングしていましたが、中盤以降の選手は相手がハーフウェイラインを越えてきてもまだプレッシングをかけませんでした(それが原因だったのか、ふたりの運動量はまたたく間に激減しましたね)。
ここで疑問がひとつ湧きます。「どこからボールを獲りにいくのか」という約束事がチームで共有されていたのか否か、です。
日本代表の特徴は、プレッシングを核としたコンパクトなサッカー。諸外国と対戦する際、小柄な日本人選手は上背でもリーチでもフィジカルでも分が悪いシーンが出てきます。一方で日本人の強みと言えば、豊富な運動量と組織プレーに尽くす献身的なメンタル、そしてスピーディで精度の高いパスワーク。デメリットを補いつつメリットを最大限に活かすための戦術として、フォワードからディフェンスラインまでの距離を詰めに詰めたコンパクトなゾーンを形成するスモールフットボールが基盤です。相手ボールホルダーに対して2人(多いときには3人)でボール狩りに行き、奪ったと同時にショートカウンターを見舞う。日本代表が“流れのなかでゴールを奪った”シーンのほとんどが、このボール狩りからのショートカウンターでした。
■チームとしての約束事がなかったのか……
この戦術を採用するにあたり、生命線となるのが「どこからボールを奪いにいくのか」、いわゆるチームとしてのスタートラインをどこに設定しているのか、です。ショートカウンターがひとつの攻撃の型なのであれば、そのスタートラインはハーフウェイライン前後となるでしょう。より高い位置でボールを奪えた方が、相手ゴールまでの距離が短くて済みます。また相手DFに守備陣形を整える時間を与えませんし、確率論で言っても、ゴールを奪えるパーセンテージは飛躍的に向上するわけです。
好調時の日本代表の試合を俯瞰的に見てみると、フォワードからディフェンスラインまでの距離が短いことに気付きます。おそらく設定数値は11〜12メーターほどでしょうか。そしてセンターサークル付近の相手ボールホルダーに対して素早い機動力をもってミッドフィルダー陣が襲いかかります。そこをしのいだとしても、背後からディフェンダーが詰め寄り、奪ったと同時にサイドまたは空いたスペースへと中距離パスで展開、相手ゴール前へと運ばれていきます。
この戦術の代名詞的存在が、長谷部誠選手と今野泰幸選手です。特に今野選手は上背こそないものの、鋭い読みで幾度と相手の攻撃の芽を摘んできました。彼がコートジボワール戦のスタメンに入っていなかったことは驚きでしたが、それだけ森重真人選手のコンディションが良かったというザッケローニ監督の判断なのでしょう。
話を「ボール狩りをするスタートライン」に戻しますが、確かに木崎さんの言うとおり、前線のふたりと中盤以降の動きが連動していなかったのは、試合を観ている人なら誰でも分かったこと(その結果、どんな弊害が起こるのか……については木崎さんのコラムをご参照ください)。しかし、こういう戦略は監督主導のもと、事前にチームで共有されているのがサッカーの常識。4年間もほぼ固定メンバーでやってきた日本代表なら、“詰めどころ”はスタメンのほとんどが理解していて当然です。
理由はどうあれ、チームとしての約束事が統一されていなかったという事実だけが残りました。木崎さんのコラムにこうあります。
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ザックジャパンはこの4年間、プレスの練習に継続して取り組み、いい守備ができたときに、高いパフォーマンスを発揮してきた。高い位置でボールを奪えると、縦に速い攻撃をできるからだ。だが、言い換えれば、いい守備ができないと、パフォーマンスが著しく落ちるということでもある。
その一方で、本田や遠藤保仁は自らの技術力と発想力を生かすために、緻密なパス回しによる崩しに取り組んできた。
(中略)
だが、それを完成させるには時間が足りなかった。緻密なパス回しは発展途上のまま大会を迎えてしまう。
-----------------------------------------------------------
4年間率いて「時間が足りませんでした」? 「高値がつくと思ったんですけどねぇ」とトンズラこく先物取引詐欺の話かと思いましたよ。選手がどれだけわがままであったとしても、チームとしてプレーすることを求め、マネジメントするのが監督の仕事です。世界にはもっと聞き分けのない選手を抱えたチームが存在しますし、エース級の選手と対峙してもチームづくりに従事する監督は大勢います。そういう意味では、ザッケローニは指揮官……というよりは、組織の長としての仕事ができていなかったということ。この人に年俸2億7000万円(推定)を4年間支払い続けてきていたかと思うと、目眩がする想いです。(ちなみに、今大会の大番狂わせのひとつを起こしたコスタリカのホルヘ・ピント監督の年俸は約4500万円だそうです)
■やるべきことは明確
「実は、今まで割りと行き当たりばったりな戦い方をしていたから」、「ザッケローニが戦術を浸透しきれていなかったから」、「W杯本番のプレッシャーで萎縮してしまい、普段どおりのプレーができなかった」などなど、推測だけで言えばいくらでも要因は出せます。でも、それをこうした場であげつらって「だから○○○が悪い」と批判しても、日本代表というチームの状態は良くなりません。
大事なのは、原因を明確にし、“それを解消して次につなげること”です。
「チームとしての戦い方のオプションがひとつしかなかった」と言われていますが、こんなことザッケローニ体制になってからこれまで何度も言われてきたことです。一年前のコンフェデレーションズカップでその弱点をさらけ出し、監督解任説まで出たにもかかわらず、日本サッカー協会は続投という判断を下し、ここまで来ました。正直、「何を今さら」と言いたい。本田の1トップの後ろに大久保、香川、岡崎が並ぶ“4年前の守備戦術への回帰”はタチの悪いジョークにしか見えませんでした。結局、日本代表は4年前から何も進歩していなかった。その本質に気付いていたのはほんの一部の識者だけで、彼らの叫びは日本サッカー協会の胸には響いていなかったのです。申し訳ないですが、サッカー協会は素人じゃないんですから、「ザッケローニの力量を見極められませんでした」などと言う言い訳は通りません。この功罪はとてつもなく大きいと思います。
調子が良いときの日本代表なら、次戦のギリシャは決して難しい相手ではないはず。しかし一方で、これ以上ない完敗を喫したチームが精神的に立ち直れているのか、どん底から一気にピークの状態までメンタル面を回復できているのかは甚だ疑問です。本田選手は「メンタル面の問題だけだから、修正は可能」と強気の発言をしていましたが、ほかの22人が同じようにV字回復させられるかと言われれば、ほぼ無理でしょう。“負け方が悪すぎる”“もともとムラっ気があるチーム”“監督までが動揺している”など、克服するには困難すぎるポイントが多すぎます。でも、可能性はゼロではない。大会後の成長につなげるためにも、ザッケローニはじめ日本代表の面々にはできうる限りの対策を講じていただきたい。
チームをマネジメントしているザッケローニ監督が原因を受け入れ、チーム全体で共有し、そして誰もが納得できる解決策を提示して修正に腐心すること。シンプルですが、唯一の立て直し方法だと思います。次のギリシャ戦でそのポイントが修正されているか否か、僕はそこに注目したいと思います。
東洋経済オンラインに掲載されていたスポーツライター木崎伸也さんのコラム「日本代表の敗戦は、偶然ではなく必然だ」での分析が興味深かったので、彼のコラムをもとにさらにもう一歩踏み込んだ分析をしてみたいと思います。
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>> [東洋経済オンライン]日本代表の敗戦は、偶然ではなく必然だ
(1)ザック戦術の大前提となるプレスがかからなかった
ザッケローニ監督は攻撃的サッカーを掲げているものの、その戦術指導の中で最も優れているのは守備の方法論だ。場面ごとにやるべきことを細かく教え、それを統合してチーム全体を“プレッシング・マシーン”に仕立て上げる。労を惜しまないチェックによって相手をサイドに追いつめ、選択肢を狭めたところでボールを刈り取る。今大会に向けた準備期間、ザック流プレスのおさらいを入念に行なった。
だが、コートジボワール戦では、その自慢のプレスがまったくかからなかったのである。
(中略)
チームとして本気でボールを奪いに行くのであれば、中盤の選手が援護射撃をすべきだったが、後ろにいた選手たちはそこまでのリスクを冒そうとはしなかった。
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確かに、前線のふたり(大迫勇也選手と本田圭祐選手)は懸命にチェイシングしていましたが、中盤以降の選手は相手がハーフウェイラインを越えてきてもまだプレッシングをかけませんでした(それが原因だったのか、ふたりの運動量はまたたく間に激減しましたね)。
ここで疑問がひとつ湧きます。「どこからボールを獲りにいくのか」という約束事がチームで共有されていたのか否か、です。
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日本代表が理想としている戦術 |
■チームとしての約束事がなかったのか……
この戦術を採用するにあたり、生命線となるのが「どこからボールを奪いにいくのか」、いわゆるチームとしてのスタートラインをどこに設定しているのか、です。ショートカウンターがひとつの攻撃の型なのであれば、そのスタートラインはハーフウェイライン前後となるでしょう。より高い位置でボールを奪えた方が、相手ゴールまでの距離が短くて済みます。また相手DFに守備陣形を整える時間を与えませんし、確率論で言っても、ゴールを奪えるパーセンテージは飛躍的に向上するわけです。
好調時の日本代表の試合を俯瞰的に見てみると、フォワードからディフェンスラインまでの距離が短いことに気付きます。おそらく設定数値は11〜12メーターほどでしょうか。そしてセンターサークル付近の相手ボールホルダーに対して素早い機動力をもってミッドフィルダー陣が襲いかかります。そこをしのいだとしても、背後からディフェンダーが詰め寄り、奪ったと同時にサイドまたは空いたスペースへと中距離パスで展開、相手ゴール前へと運ばれていきます。
この戦術の代名詞的存在が、長谷部誠選手と今野泰幸選手です。特に今野選手は上背こそないものの、鋭い読みで幾度と相手の攻撃の芽を摘んできました。彼がコートジボワール戦のスタメンに入っていなかったことは驚きでしたが、それだけ森重真人選手のコンディションが良かったというザッケローニ監督の判断なのでしょう。
話を「ボール狩りをするスタートライン」に戻しますが、確かに木崎さんの言うとおり、前線のふたりと中盤以降の動きが連動していなかったのは、試合を観ている人なら誰でも分かったこと(その結果、どんな弊害が起こるのか……については木崎さんのコラムをご参照ください)。しかし、こういう戦略は監督主導のもと、事前にチームで共有されているのがサッカーの常識。4年間もほぼ固定メンバーでやってきた日本代表なら、“詰めどころ”はスタメンのほとんどが理解していて当然です。
理由はどうあれ、チームとしての約束事が統一されていなかったという事実だけが残りました。木崎さんのコラムにこうあります。
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ザックジャパンはこの4年間、プレスの練習に継続して取り組み、いい守備ができたときに、高いパフォーマンスを発揮してきた。高い位置でボールを奪えると、縦に速い攻撃をできるからだ。だが、言い換えれば、いい守備ができないと、パフォーマンスが著しく落ちるということでもある。
その一方で、本田や遠藤保仁は自らの技術力と発想力を生かすために、緻密なパス回しによる崩しに取り組んできた。
(中略)
だが、それを完成させるには時間が足りなかった。緻密なパス回しは発展途上のまま大会を迎えてしまう。
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4年間率いて「時間が足りませんでした」? 「高値がつくと思ったんですけどねぇ」とトンズラこく先物取引詐欺の話かと思いましたよ。選手がどれだけわがままであったとしても、チームとしてプレーすることを求め、マネジメントするのが監督の仕事です。世界にはもっと聞き分けのない選手を抱えたチームが存在しますし、エース級の選手と対峙してもチームづくりに従事する監督は大勢います。そういう意味では、ザッケローニは指揮官……というよりは、組織の長としての仕事ができていなかったということ。この人に年俸2億7000万円(推定)を4年間支払い続けてきていたかと思うと、目眩がする想いです。(ちなみに、今大会の大番狂わせのひとつを起こしたコスタリカのホルヘ・ピント監督の年俸は約4500万円だそうです)
「実は、今まで割りと行き当たりばったりな戦い方をしていたから」、「ザッケローニが戦術を浸透しきれていなかったから」、「W杯本番のプレッシャーで萎縮してしまい、普段どおりのプレーができなかった」などなど、推測だけで言えばいくらでも要因は出せます。でも、それをこうした場であげつらって「だから○○○が悪い」と批判しても、日本代表というチームの状態は良くなりません。
大事なのは、原因を明確にし、“それを解消して次につなげること”です。

調子が良いときの日本代表なら、次戦のギリシャは決して難しい相手ではないはず。しかし一方で、これ以上ない完敗を喫したチームが精神的に立ち直れているのか、どん底から一気にピークの状態までメンタル面を回復できているのかは甚だ疑問です。本田選手は「メンタル面の問題だけだから、修正は可能」と強気の発言をしていましたが、ほかの22人が同じようにV字回復させられるかと言われれば、ほぼ無理でしょう。“負け方が悪すぎる”“もともとムラっ気があるチーム”“監督までが動揺している”など、克服するには困難すぎるポイントが多すぎます。でも、可能性はゼロではない。大会後の成長につなげるためにも、ザッケローニはじめ日本代表の面々にはできうる限りの対策を講じていただきたい。
チームをマネジメントしているザッケローニ監督が原因を受け入れ、チーム全体で共有し、そして誰もが納得できる解決策を提示して修正に腐心すること。シンプルですが、唯一の立て直し方法だと思います。次のギリシャ戦でそのポイントが修正されているか否か、僕はそこに注目したいと思います。
2014年6月15日日曜日
初戦敗退は事実上の終戦?
データを見ても予選突破は困難
2014年W杯ブラジル大会、日本は初戦のコートジボワールに逆転を許し、1-2で敗れました。もちろん、まだグループリーグは2試合が残っているので「これで終わり」ではありませんが、football web magazine Qolyに興味深いデータが出ていたので、それと合わせて今後を検証したいと思います。
>> 【データ】W杯初戦に敗れたチーム、勝ち抜けたを決めたのはわずかに8.7%
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■初戦で勝ったケース
突破:38例(84.4%)
敗退:7例(15.6%)
合計:45例
■初戦で負けたケース
突破:4例(8.7%)
敗退:42例(91.3%)
合計:46例
■初戦で引き分けたケース
突破:22例(59.4%)
敗退:15例(40.6%)
合計:37例
※出場国が32ヵ国になった1998年からの全128例が対象
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データをもとに考えると、初戦を落とした日本がグループリーグを突破する確率は8.7%。ちなみに2010年南アフリカ大会で初戦を落としながらグループリーグを突破したのは、優勝したスペインだけでした。
極めて困難な状況だと言わざるを得ません。もちろんデータはあくまで目安であり、日本が例外となる可能性も大いにあります。特に昨今の世界におけるサッカー事情は以前と大きく異なってきており、「W杯優勝国は開催される大陸から出る」というジンクスも眉唾もので、1998年仏大会のフランス、2010年南ア大会のスペインと初優勝国が近年で2ヶ国も出るなど、あらゆる意味でボーダレスな世界になってきています。
さりとて、W杯なのです。
大会がはじまって3日が経ちましたが、逆転試合の多さもさることながら、ここまでの試合を通じて特に感じさせられるのは「チームの完成度の差」です。開催国ブラジルは綿密な計画のもとチームづくりを進めてきたからこその完成度を見せつけました。ほか、「これは」と思わされたのがチリとコスタリカ。
チリは、サンチェス(バルセロナ)やビダル(ユヴェントス)といったワールドクラスの選手がいますが、その戦い方を見ていると彼らに依存しないチーム全体での統一感が感じられるものでした。コスタリカにはルイスというスター選手がいますが、全体的に見れば小粒な印象が否めません。しかしここもチームとしてまとまっており、あの強豪ウルグアイとの初戦で先制を許すも、連動性のある攻撃で3点を奪い逆転に成功するなど、ブレない戦いぶりに好感が持てました。当たり前の話ですが、サッカーはピッチにいる11人が連動して初めてプラスアルファの力を発揮できる競技。強豪国を向こうにまわしてジャイアントキリングかましてやろうと思うなら、個人の能力で対抗するのではなく、チームとしての完成度で立ち向かうべき。チリとコスタリカの戦い方は、そのことをはっきりと証明してくれていました。
日本本来の強みが瓦解
コートジボワールと対戦した日本について、ダメ出しをすればいくらでも出てくるのですが、なかでも特に悪かったのは「走れていなかった」こと。降雨によるスリッピーなピッチコンディションや湿度の高さなど環境面がなかなか困難だったことはテレビを通じても窺い知ることはできましたが、それは対戦相手のコートジボワールも同じこと。言い訳にはなりません。
4年間かけて準備してきたチームが“走れない”とは、理解に苦しむところです。「サッカーで走るのは当たり前のこと」とはイビチャ・オシム氏の言葉ですが、本ゲームでの日本選手の走行距離がデータで出れば、コートジボワールの選手よりも少ないのはもちろん、過去の親善マッチでのデータと比較しても、下から数えた方が早いものとなるでしょう。
何のために走るのかと言われれば、味方のためです。バルセロナではボールホルダーに対して2つ以上のパスコースを保持するためのポジション取りを選手に要求すると言います。いわゆる“パス&ゴー”(「パスを出したら、足をとめずに次のスペースに向かって走れ」という論理)で、サッカーでは小学生クラスから教えられる基本中の基本。しかし、コートジボワール戦ではボールホルダーが前を向いても、連動して走り出す選手が極めて少なかった。
加えて、目に余るほどのパスミスの多さも。本来パス精度の高さは日本の強みなのですが、走り込んでも敵にインターセプトされる、または明らかなミスパスで敵にボールを“渡す”など、自らチャンスの目を摘んでしまっている場面が多々ありました。これでは走った選手もただ疲れてしまうだけですし、ボールを奪われる=カウンターを食らうということなので、すぐさま帰陣することを求められます。これが続けば、自ずと足だってとまってしまいます。
「パスコースをつくるためにランする」、「そのランと連動してパスをつなぐ」、これによって「選択肢を増やして攻撃に幅を持たせる」ことへとつなげていけます。いくら練習時間が限られた代表チームだからといって、W杯本戦、しかも初戦でこの有り様はあり得ない。アフリカンとの試合だって、この4年間でどれだけやってきたことか。「急造チームでした」と言ってくれた方が、よほど救われます。
課題を鑑みるに立て直しは不可能
日本サッカー本来の特徴がここまで瓦解したわけですから、次のギリシャ戦までの4〜5日間で根本的に立て直せるかと言われれば、答えはノーです。「審判の判定が相手寄りだった」や「絶好のシュートがポストに嫌われた」、「相手キーパーが当たりに当たっていた」などアンラッキーな要素で敗れたなら「自分たちを信じよう。このスタイルを貫こう」と心を強くし、変わらぬ姿勢で次戦に挑むべきですが、チームとしての根幹が揺らいだ今の日本代表チームは、メンバーをごっそり入れ替えるぐらいの荒療治をせねばならないでしょう。
それでも、8.7%の可能性を破る力があるとは思えません。
本田圭祐の先制ゴールには喜びの叫びをあげましたし、複雑な心境ながら「もしかして勝ちきれるのか」とも思いましたが、結果はご覧のとおり。残り2試合も観戦しますが、結果は推して知るべし。世間では「まだ2試合残っている!」と息巻いている方も多いと聞きますし、僕みたいなことを言う人間は悲観論者として非難を受けることでしょう。しかし、我が国の代表チームがこの体たらくで敗れ去ったのを見て「まだ2試合残っている!」と叫ぶのは、4年間かけて90分間走れないチームだという事実を突きつけられたにもかかわらず「ギリシャとコロンビアには勝てる!」と言っているようなもの。それ、対戦相手はもちろん、W杯への敬意も欠いていませんか?
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。
大会後にはさまざまなメディアが敗因を羅列することと思います。それはそれできちんと反省し、次の勝利へつなげるための努力をすればいいのです。これでW杯への挑戦権が奪われるわけではないのですから。
敗戦は糧です。4年後の勝利につなげるため、自分たちにできることをやりましょう。残り2試合? 淡々と観戦しますよ。どんな試合になるとしても、これからも日本サッカーになにがしか寄与したいと願う人間として、観戦する義務があるから。
2014年W杯ブラジル大会、日本は初戦のコートジボワールに逆転を許し、1-2で敗れました。もちろん、まだグループリーグは2試合が残っているので「これで終わり」ではありませんが、football web magazine Qolyに興味深いデータが出ていたので、それと合わせて今後を検証したいと思います。
>> 【データ】W杯初戦に敗れたチーム、勝ち抜けたを決めたのはわずかに8.7%
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■初戦で勝ったケース
突破:38例(84.4%)
敗退:7例(15.6%)
合計:45例
■初戦で負けたケース
突破:4例(8.7%)
敗退:42例(91.3%)
合計:46例
■初戦で引き分けたケース
突破:22例(59.4%)
敗退:15例(40.6%)
合計:37例
※出場国が32ヵ国になった1998年からの全128例が対象
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データをもとに考えると、初戦を落とした日本がグループリーグを突破する確率は8.7%。ちなみに2010年南アフリカ大会で初戦を落としながらグループリーグを突破したのは、優勝したスペインだけでした。
極めて困難な状況だと言わざるを得ません。もちろんデータはあくまで目安であり、日本が例外となる可能性も大いにあります。特に昨今の世界におけるサッカー事情は以前と大きく異なってきており、「W杯優勝国は開催される大陸から出る」というジンクスも眉唾もので、1998年仏大会のフランス、2010年南ア大会のスペインと初優勝国が近年で2ヶ国も出るなど、あらゆる意味でボーダレスな世界になってきています。
さりとて、W杯なのです。
大会がはじまって3日が経ちましたが、逆転試合の多さもさることながら、ここまでの試合を通じて特に感じさせられるのは「チームの完成度の差」です。開催国ブラジルは綿密な計画のもとチームづくりを進めてきたからこその完成度を見せつけました。ほか、「これは」と思わされたのがチリとコスタリカ。
チリは、サンチェス(バルセロナ)やビダル(ユヴェントス)といったワールドクラスの選手がいますが、その戦い方を見ていると彼らに依存しないチーム全体での統一感が感じられるものでした。コスタリカにはルイスというスター選手がいますが、全体的に見れば小粒な印象が否めません。しかしここもチームとしてまとまっており、あの強豪ウルグアイとの初戦で先制を許すも、連動性のある攻撃で3点を奪い逆転に成功するなど、ブレない戦いぶりに好感が持てました。当たり前の話ですが、サッカーはピッチにいる11人が連動して初めてプラスアルファの力を発揮できる競技。強豪国を向こうにまわしてジャイアントキリングかましてやろうと思うなら、個人の能力で対抗するのではなく、チームとしての完成度で立ち向かうべき。チリとコスタリカの戦い方は、そのことをはっきりと証明してくれていました。
日本本来の強みが瓦解
コートジボワールと対戦した日本について、ダメ出しをすればいくらでも出てくるのですが、なかでも特に悪かったのは「走れていなかった」こと。降雨によるスリッピーなピッチコンディションや湿度の高さなど環境面がなかなか困難だったことはテレビを通じても窺い知ることはできましたが、それは対戦相手のコートジボワールも同じこと。言い訳にはなりません。
4年間かけて準備してきたチームが“走れない”とは、理解に苦しむところです。「サッカーで走るのは当たり前のこと」とはイビチャ・オシム氏の言葉ですが、本ゲームでの日本選手の走行距離がデータで出れば、コートジボワールの選手よりも少ないのはもちろん、過去の親善マッチでのデータと比較しても、下から数えた方が早いものとなるでしょう。
何のために走るのかと言われれば、味方のためです。バルセロナではボールホルダーに対して2つ以上のパスコースを保持するためのポジション取りを選手に要求すると言います。いわゆる“パス&ゴー”(「パスを出したら、足をとめずに次のスペースに向かって走れ」という論理)で、サッカーでは小学生クラスから教えられる基本中の基本。しかし、コートジボワール戦ではボールホルダーが前を向いても、連動して走り出す選手が極めて少なかった。
加えて、目に余るほどのパスミスの多さも。本来パス精度の高さは日本の強みなのですが、走り込んでも敵にインターセプトされる、または明らかなミスパスで敵にボールを“渡す”など、自らチャンスの目を摘んでしまっている場面が多々ありました。これでは走った選手もただ疲れてしまうだけですし、ボールを奪われる=カウンターを食らうということなので、すぐさま帰陣することを求められます。これが続けば、自ずと足だってとまってしまいます。
「パスコースをつくるためにランする」、「そのランと連動してパスをつなぐ」、これによって「選択肢を増やして攻撃に幅を持たせる」ことへとつなげていけます。いくら練習時間が限られた代表チームだからといって、W杯本戦、しかも初戦でこの有り様はあり得ない。アフリカンとの試合だって、この4年間でどれだけやってきたことか。「急造チームでした」と言ってくれた方が、よほど救われます。
課題を鑑みるに立て直しは不可能
日本サッカー本来の特徴がここまで瓦解したわけですから、次のギリシャ戦までの4〜5日間で根本的に立て直せるかと言われれば、答えはノーです。「審判の判定が相手寄りだった」や「絶好のシュートがポストに嫌われた」、「相手キーパーが当たりに当たっていた」などアンラッキーな要素で敗れたなら「自分たちを信じよう。このスタイルを貫こう」と心を強くし、変わらぬ姿勢で次戦に挑むべきですが、チームとしての根幹が揺らいだ今の日本代表チームは、メンバーをごっそり入れ替えるぐらいの荒療治をせねばならないでしょう。
それでも、8.7%の可能性を破る力があるとは思えません。
本田圭祐の先制ゴールには喜びの叫びをあげましたし、複雑な心境ながら「もしかして勝ちきれるのか」とも思いましたが、結果はご覧のとおり。残り2試合も観戦しますが、結果は推して知るべし。世間では「まだ2試合残っている!」と息巻いている方も多いと聞きますし、僕みたいなことを言う人間は悲観論者として非難を受けることでしょう。しかし、我が国の代表チームがこの体たらくで敗れ去ったのを見て「まだ2試合残っている!」と叫ぶのは、4年間かけて90分間走れないチームだという事実を突きつけられたにもかかわらず「ギリシャとコロンビアには勝てる!」と言っているようなもの。それ、対戦相手はもちろん、W杯への敬意も欠いていませんか?
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。
大会後にはさまざまなメディアが敗因を羅列することと思います。それはそれできちんと反省し、次の勝利へつなげるための努力をすればいいのです。これでW杯への挑戦権が奪われるわけではないのですから。
敗戦は糧です。4年後の勝利につなげるため、自分たちにできることをやりましょう。残り2試合? 淡々と観戦しますよ。どんな試合になるとしても、これからも日本サッカーになにがしか寄与したいと願う人間として、観戦する義務があるから。
2014年6月13日金曜日
ワールドカップ初戦で世紀の大誤審?
いよいよ始まったW杯ブラジル大会。その開幕戦はブラジルがクロアチアを3-1で下すという開催国の面目躍如といった感じでスタートを切りました。
さてこの試合、日本でも大いに注目を集めましたが、それは本ゲームのジャッジを主審の西村雄一さんをはじめとする日本の審判団が務めたこと。サッカー王国でのW杯開幕戦を日本人が仕切るという、私たちにとっては“もうひとつの日本代表”が活躍する姿を見られる栄誉とも言えるゲームでした。
そんな開幕戦のジャッジについて、批判の嵐が渦巻いています。特に議論の的となっているのが、後半24分、ブラジルに与えられたPKの判定です。ペナルティエリア内でクロアチアDFを背負ったブラジルFWフレッジがゴールを背にボールを受けると、突然彼が苦悶の表情を浮かべて崩れ落ちました。DFロブレンは「触っていないよ」と両手をあげてアピールするも、西村主審は迷わず笛を吹き、ペナルティスポットを指差したのです。
クロアチアのイレブンは、ロブレンにイエローカードを提示する西村主審に猛烈抗議。しかし判定は覆らず、重圧のかかる逆転のペナルティキックをエース ネイマールが強引に押し込んで、セレソンを勝利へと導きました。
試合後、ニコ・コバチ監督はじめ、クロアチアの面々や世界のサッカー界の識者が苦言とも言えるコメントを発表。私たち日本を代表する審判団は一転、批判の的となっています。
結論から言えば、西村主審がフレッジに騙されたってだけです。
リプレイを見ると、確かにロブレンはフレッジに接触していますし、手もかかっています。しかし、あそこまでもんどりうって倒れるような接触プレーではありません。完全にフレッジがPK狙いの演技……シミュレーションを仕掛けたわけです。
正直、フレッジのシミュレーションはあまりレベルの高いものではありませんでした。言うなれば“大根役者”。「おいおい、もっとうまくやれよ」と言いたくなるもので、ヨーロッパや南米のリーグで笛を吹いているベテランレフェリーなら速攻で見抜いてフレッジに「非紳士的行為」としてレッドカードを突きつけていたでしょう。ところが西村主審は騙されてしまった。
こういう話になると、「彼の経験が浅い」とか「Jリーグやアジアのレベルが低いから」といったナイーブな反応が出てしまいがちですが、僕はそうは思いません。なぜなら、この試合はW杯の開幕戦だったからです。開催国が威信をかけて立ち向かう極めて重要な試合で、6万人を超える大観衆が見守る世紀の一戦の笛を吹くわけ……重圧がかからないほうがどうかしています。もしこれがただの親善マッチだったら、“ベテランのブラジル人”フレッジを西村主審が警戒しないわけがありません。しかし、それをもかき消してしまいかねないプレッシャーがかかっていたと思うのです。南米vsヨーロッパという構図からアジアの審判団、しかも信頼性の高い日本の審判団を選んだFIFAのジャッジにも納得です。
当然、クロアチアからすれば「あの程度のプレーも見抜けないなんて」、「たまったもんじゃない」という声は当然出るでしょう。彼らにすれば、グループリーグを突破するには初戦勝利は絶対条件、しかし相手は開催国にして優勝候補筆頭のブラジル。水も漏らさぬ戦術を練ってきたわけですから、誤審などで勝利の芽を摘まれたとあっては黙っていられるはずがありません。しかし、こうした判定もサッカーの常。FIFAがなかなかビデオ判定制度を導入しないのも、「“人間の目”という不確定要素に左右されることもまたサッカー」という理念があるから。もしこれが日本戦で起こったら僕も声を荒げるでしょうが、下った裁定が覆らないのであれば、次に向かって進むほかありません。
ブラジルにはマリーシアという言葉があります。日本語に訳すと“ずる賢い”という意味になり、ぱっと聞いただけでは「卑怯なやつだ」と思われることでしょうが、諸外国においてはそうした“ずる賢さ”も“頭の良さ”のうちに含まれると言います。日本には武士道から始まる「正々堂々」「真っ向勝負」「一対一」という理念が存在し、それは我が国の美徳として誇らしくありますが、世界の檜舞台においては「結果がすべて。騙すか騙されるか、騙されて負けたとしたら、それは騙されたやつの実力が足りなかったんだ」という論理がまかり通ります。綺麗ごとだけで勝てるほど勝負事は甘くない、敗戦後に何を言ったって負け犬の遠吠えでしかない……そういう意味なのでしょう。
かつて日本を代表する柔道家としてオリンピックの金メダルを独占した山下泰裕さんは、とあるインタビューで「外国人にはずる賢さがない」と答えていたそうです。「日本人にはマリーシアが足りない」と言ったのは、当時Jリーグ・ジュビロ磐田に所属していた現役のブラジル代表主将のドゥンガでした。その頃から考えれば、世界のサッカーシーンで戦う日本人選手はずいぶんずる賢くなったと思いますが、それでもまだまだナイーブな面が顔をのぞかせるシーン、珍しくありません。
今回の騒動については、フレッジのプレーが巧妙で、西村主審がそのずる賢いプレーを見抜けなかった。そういうことだと思います。日本サッカーは、選手も審判もまだまだ発展途上なんだと痛感した次第。だからといって失格の烙印を押されたわけではないのですから、今は打ちひしがれているであろう西村主審には、再び顔をあげて次の試合で最高のジャッジを見せて欲しいと切望します。
世界が注目する世紀の一戦で笛を吹く——。これほどの重圧と批判の嵐にさらされた日本人を僕はちょっと知りません。この西村雄一さんは、今後間違いなく日本を代表する偉大な審判として活躍されることと思います。
さてこの試合、日本でも大いに注目を集めましたが、それは本ゲームのジャッジを主審の西村雄一さんをはじめとする日本の審判団が務めたこと。サッカー王国でのW杯開幕戦を日本人が仕切るという、私たちにとっては“もうひとつの日本代表”が活躍する姿を見られる栄誉とも言えるゲームでした。
そんな開幕戦のジャッジについて、批判の嵐が渦巻いています。特に議論の的となっているのが、後半24分、ブラジルに与えられたPKの判定です。ペナルティエリア内でクロアチアDFを背負ったブラジルFWフレッジがゴールを背にボールを受けると、突然彼が苦悶の表情を浮かべて崩れ落ちました。DFロブレンは「触っていないよ」と両手をあげてアピールするも、西村主審は迷わず笛を吹き、ペナルティスポットを指差したのです。
クロアチアのイレブンは、ロブレンにイエローカードを提示する西村主審に猛烈抗議。しかし判定は覆らず、重圧のかかる逆転のペナルティキックをエース ネイマールが強引に押し込んで、セレソンを勝利へと導きました。
試合後、ニコ・コバチ監督はじめ、クロアチアの面々や世界のサッカー界の識者が苦言とも言えるコメントを発表。私たち日本を代表する審判団は一転、批判の的となっています。
結論から言えば、西村主審がフレッジに騙されたってだけです。
リプレイを見ると、確かにロブレンはフレッジに接触していますし、手もかかっています。しかし、あそこまでもんどりうって倒れるような接触プレーではありません。完全にフレッジがPK狙いの演技……シミュレーションを仕掛けたわけです。
正直、フレッジのシミュレーションはあまりレベルの高いものではありませんでした。言うなれば“大根役者”。「おいおい、もっとうまくやれよ」と言いたくなるもので、ヨーロッパや南米のリーグで笛を吹いているベテランレフェリーなら速攻で見抜いてフレッジに「非紳士的行為」としてレッドカードを突きつけていたでしょう。ところが西村主審は騙されてしまった。
こういう話になると、「彼の経験が浅い」とか「Jリーグやアジアのレベルが低いから」といったナイーブな反応が出てしまいがちですが、僕はそうは思いません。なぜなら、この試合はW杯の開幕戦だったからです。開催国が威信をかけて立ち向かう極めて重要な試合で、6万人を超える大観衆が見守る世紀の一戦の笛を吹くわけ……重圧がかからないほうがどうかしています。もしこれがただの親善マッチだったら、“ベテランのブラジル人”フレッジを西村主審が警戒しないわけがありません。しかし、それをもかき消してしまいかねないプレッシャーがかかっていたと思うのです。南米vsヨーロッパという構図からアジアの審判団、しかも信頼性の高い日本の審判団を選んだFIFAのジャッジにも納得です。
当然、クロアチアからすれば「あの程度のプレーも見抜けないなんて」、「たまったもんじゃない」という声は当然出るでしょう。彼らにすれば、グループリーグを突破するには初戦勝利は絶対条件、しかし相手は開催国にして優勝候補筆頭のブラジル。水も漏らさぬ戦術を練ってきたわけですから、誤審などで勝利の芽を摘まれたとあっては黙っていられるはずがありません。しかし、こうした判定もサッカーの常。FIFAがなかなかビデオ判定制度を導入しないのも、「“人間の目”という不確定要素に左右されることもまたサッカー」という理念があるから。もしこれが日本戦で起こったら僕も声を荒げるでしょうが、下った裁定が覆らないのであれば、次に向かって進むほかありません。
ブラジルにはマリーシアという言葉があります。日本語に訳すと“ずる賢い”という意味になり、ぱっと聞いただけでは「卑怯なやつだ」と思われることでしょうが、諸外国においてはそうした“ずる賢さ”も“頭の良さ”のうちに含まれると言います。日本には武士道から始まる「正々堂々」「真っ向勝負」「一対一」という理念が存在し、それは我が国の美徳として誇らしくありますが、世界の檜舞台においては「結果がすべて。騙すか騙されるか、騙されて負けたとしたら、それは騙されたやつの実力が足りなかったんだ」という論理がまかり通ります。綺麗ごとだけで勝てるほど勝負事は甘くない、敗戦後に何を言ったって負け犬の遠吠えでしかない……そういう意味なのでしょう。
かつて日本を代表する柔道家としてオリンピックの金メダルを独占した山下泰裕さんは、とあるインタビューで「外国人にはずる賢さがない」と答えていたそうです。「日本人にはマリーシアが足りない」と言ったのは、当時Jリーグ・ジュビロ磐田に所属していた現役のブラジル代表主将のドゥンガでした。その頃から考えれば、世界のサッカーシーンで戦う日本人選手はずいぶんずる賢くなったと思いますが、それでもまだまだナイーブな面が顔をのぞかせるシーン、珍しくありません。
今回の騒動については、フレッジのプレーが巧妙で、西村主審がそのずる賢いプレーを見抜けなかった。そういうことだと思います。日本サッカーは、選手も審判もまだまだ発展途上なんだと痛感した次第。だからといって失格の烙印を押されたわけではないのですから、今は打ちひしがれているであろう西村主審には、再び顔をあげて次の試合で最高のジャッジを見せて欲しいと切望します。
世界が注目する世紀の一戦で笛を吹く——。これほどの重圧と批判の嵐にさらされた日本人を僕はちょっと知りません。この西村雄一さんは、今後間違いなく日本を代表する偉大な審判として活躍されることと思います。
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