2014年6月21日土曜日

W杯コメンテーターのずるさに辟易

■怒りを通り越して……
皆まで言いますまい。非常に情けない敗戦です。「まだ一試合残っている! 今、そんな余計なことを言ってんな!」って声が聞こえてきそうですが、四年後に活かすため、そして自分自身の記録という意味も含め、書き連ねさせていただきます。

これが、日本代表というチームの実力です。

すべては四年前から始まっていました。何もW杯本番になって、急に弱くなったわけではありません。世のメディアからよく聞こえてくる「四年間積み重ねてきたもの」がこれです。過信とともに挑んだ重要な初戦を最悪の形で落とし、奮起した第2戦では有利な状況を活かせずスコアレスドロー。コンディション調整がうまくいかなかった? 直前でスタメンの入れ替えがあった? 主力メンバーが所属クラブで思うように試合に出られず試合勘が戻りきらなかった? 四年前、「南アフリカ大会以上の好成績を残すために」と編成されたチームですよね。その言い訳、みっともなさすぎます。

そう、四年間積み重ねてきたものがこれです。「もっとも退屈なチーム」とイタリアの新聞に酷評される日本の代表団。もっとも大きな責任は日本サッカー協会にありますが、我々国民ひとりひとりにもその責任はあると思います。

とまぁ、なんにせよもう一試合、コロンビアとの戦いが残っていますので、とりあえず見届けましょう。すでに決勝トーナメント進出を決め、主力メンバーを温存してくるであろう相手に息巻いても空しいだけですが、出場権を持つ我が国には3試合を戦える権利が与えられているのですから。それこそ、最後まで全力を尽くさねばW杯そのものはもちろん、世界の人々に対しても失礼です。

今の代表チームを作り上げたのは、ザッケローニ監督です。そしてそのザッケローニを招聘し、四年間(正しくは三年半ぐらいでしょうか)指揮権を与え続けたのは日本サッカー協会です。そしてこちらの財団法人は、次期代表監督を決定する権限を持っています。なので、“日本のW杯”が終わったら、ここを中心に今回の反省と次へつながる施策を明確にすることを求めましょう。別にスケープゴートを作り上げようなんて気はさらさらありませんが、この協会の動きはこれまで見ていても目に余りますし、本気で四年後の勝利を渇望するなら、言うべきときがあると思うのです。

■今頃勝手なことを言うな
そんな今、なんとも奇妙な傾向が見受けられました。初戦のコートジボワール戦を落としたあとは「大丈夫! 次のギリシャに勝てば、決勝トーナメント進出の可能性が残っている」と息巻いていた各メディアが、ギリシャ戦後、お通夜状態というか空元気というか、完全に望み薄になったにもかかわらず、無理矢理コロンビア戦を盛り上げようとしていること。まぁ、分からなくもありません。W杯はまだ続くわけです、テレビ放映だのグッズ販売だの何だのと、利権が絡んでいる各メディアとしては、人々の関心の火を今から消してはならないから。涙ぐましい努力だなぁ、とある意味関心しています。

腹立たしいのは、手のひらを返した識者たち。

「指揮官の采配に疑問がある」、「気迫を感じない」、「一体どんな練習をしているんだ?」などなど、わずか半日ほどで代表チーム……どちらかと言えば、ザッケローニ批判が一気に噴出してきました。それも、現場に足を運びやすい元選手や著名ライター、芸能人などなど。芸能人はともかく、かつてプロとして鳴らした元選手がこのタイミングで態度を一変するとは、どういう神経をしているのかと疑ってしまいます。

日本代表は、ブラジルに着いてから急に弱くなったんですか? 違います、もっと以前からザッケローニの指揮官としての能力には疑問がいくつも噴出していました。それこそ、一年前のコンフェデレーションズカップでは解任論も出たほど。そもそも論をすれば、彼が代表監督に選ばれた経緯自体が疑問そのもの。にもかかわらず、今このタイミングで態度を一変する理由は何なのか。

メディアの世界というのは狭いものです。「○○選手がこんなことを言っていた」、「○○選手とモデルの○○が付き合っている」、「○○というライターが協会からハブられている」といった表には出ない話はゴロゴロ転がっています。ザッケローニが日本代表監督に選ばれた経緯ぐらい、業界メディアの誰もが知っていることでしょう。彼がベストの選択ではなかったことぐらい。元代表選手クラスにもなれば、代表チームの練習風景や実際の試合を観ただけでチーム状態……ザッケローニの指揮官としての能力を推し量ることぐらい朝飯前。

日本代表は、ブラジルに入った途端に急に弱くなったわけじゃありません。元々この程度の実力だったんです。それを、スポーツが大きなビジネスとなっている昨今の風潮に乗り、W杯、そして日本代表をメディアが必要以上に持ち上げてきました。盛り上がりに欠けるようなら、タレントを突っ込んで“そっちのファン層”まで取り込んでしまうという下世話さまで見えるほど。

薄っぺらいメディアがそういう動きをするのは、“日本におけるサッカーの文化レベルってこの程度”というだけで片付けられます。僕が問題視しているのは、元選手や元監督がそうした商法に便乗しているという事実。あなたたち、かつて現役選手としてプレーした時代を知っていながらこの流れに乗るってどういうこと?と。

■知っていて知らないふりをしていた……んでしょ?
現場でいろんなものを見聞きしているプロならば、そんなかりそめの流行に流されることなく真相をつかんでいられると思うのですが、実際はそうはなっていません。そうした薄っぺらいメディアの押しつけ情報に便乗し、一緒になって面白可笑しくくっちゃべっている。「ああ、そういう風に過ごした方が、この人は生きやすいんだろうなぁ」ぐらいに思っていました。それが、とことん追いつめられた今、「ほら見ろ、言わんこっちゃない」と言い出す始末。

彼らとて、知っていたはずです。いや、知らなかったとは言わせません。「今の日本代表は決して強くない」、「ザッケローニの指揮能力には疑問の余地がある」、「このままブラジルに飛び込んだら危ない」……多くの業界人が、とうの昔から気付いていたことでしょう。しかし、ザッケローニ解任論が出たときでさえ、ほとんどのメディアや元プロは、サッカー協会の意見に賛同していました。そして臨んだ本番で得た結果がこれです。

支持するなら支持する、それも姿勢のひとつだと思います。が、追いつめられた途端に態度を一変するのは、卑怯以外の何ものでもない。「心中しろ」とまで言う気はありませんが、少なくとも信念に基づいた意見をお持ちでしょうから、だったらそれに準じたらどうですか?と思うのです。

大手メディアがはやし立てるのは、まぁ今の日本の文化レベルから見れば「こんなもんでしょう」程度。真剣に取り組んでいる人は、受け流せばいいだけ。そのなかで、さまざまな恩恵を受けて過ごしているにもかかわらず、追いつめられた途端に手のひらを返すとは、じゃああなたの信念って何なんですか?と聞きたい。日本サッカーの未来を憂いているわけでもなければ、指導者としての道をひたすらに突き進んでいるわけでもない(そういう人もいる、という意味で)、そんな人がテレビの向こうでどれだけ講釈を垂れても、まったく心に響いてきません。

■残るべき人だけが残ればいい
日本人は、シビアな結論を口にするのは苦手で、苦笑いや言い訳で言葉尻を濁すことがあります。でも、「それが日本人だから」で流されちゃあ、日本サッカーを強くしたいと願っている人たちにとってはただただ迷惑なだけ。世界と伍する力を身につけたいのであれば、まずは日本人としての殻を破ることから考えねば。ギャランティがいいというだけでクライアント受けのいいことしか言わない夢追い人は、きっと時代が淘汰してくれることでしょうが。

影響力のある発言の場を持てる身でありながら、事なかれ主義よろしく日本のガンを放置したまま過ごした日々を思えば、今頃手のひらを返している方々は信用に値しません。

おそらくW杯後、大騒ぎ状態の日本国内は沈静化し、サッカーを見なくなる人も少なくないでしょう。2006年ドイツ大会後のような暗黒時代がやってくることでしょう。僕は、「やっぱりサッカーが好きなんだ。日本代表が好きなんだ」と一途な愛を貫ける人たちだけが残れば、それでいいと思っています。そうした濃度の高い人たちが選手を育てる声を発せられるのだと思いますし、やはりどの国のサッカーも、サポーターの成長なくしてあり得ないのですから。

この四年間で、知っていたはずの落とし穴の場所も指摘せず、利権の恩恵にあやかって過ごしてきただけの人の言葉が胸に響くことはありません。少なくとも僕は、態度を変えたコメンテーターおよび解説者に対して、そういう目で見ています。彼らが“正しい言葉”を発していれば、少なくとも代表チームがこんな状態に陥ることはなかったのかもしれないのですから。

たとえ元プロの選手だろうが、大事なときに大事なことを言えない程度ならば、渋谷のスクランブル交差点でハイタッチするだけの輩となんら変わりません。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿