2015年1月6日火曜日

日本サッカーにストライカーなんかいらない

ただいま絶賛開催中の全国高校サッカー選手権大会。その3回戦 京都橘(京都) vs 国学院久我山(東京A)の試合をテレビで観ていたのですが、面白いワンシーンがありました。混戦となったゴール前にて、落ちてきたロビングボールを京都橘のFWが振り向きざまにシュート。かなり難しい体勢から繰り出したボレーは、残念ながらボールポストを直撃してタッチラインの外へ。その模様を見ていた解説の福田正博さん(元日本代表/元浦和レッズ)が絶賛していたのです。

「数ある選択肢のなかに“シュートを打つ”があれば、迷わず打つのがストライカー。今のプレーは素晴らしい」

確かにおっしゃるとおりだと思いました。たとえとして適切かどうか分かりませんが、宝くじと一緒で、買わないと当たらない、つまり打たないと入らない。「入らないかも」と打つのを躊躇した分、相手ディフェンスは混乱から脱していくので、1パーセントでも“シュートを打つ”という可能性があれば、迷わず打つべき。そのまま入ればベスト、仮に入らなかったとしても、もしかしたら相手GKやDFが弾いて新しいチャンスが生まれるかもしれない。“ボールを足で扱う”という不確定要素の多いスポーツですから、どれだけ可能性が小さくてもチャンスと見れば何でもトライするべきです。

しかし、日本に“ストライカー”と呼ばれる選手はほとんど登場していません。唯一の例外は釜本邦茂さんで、そのイメージに近しいところまで行ったのは、高原直泰選手(元日本代表/SC相模原)ぐらいでしょうか。代表チームでは岡崎慎司選手(日本代表/独マインツ)が目覚ましい活躍を見せていますが、最前線に君臨するエースストライカーというイメージとはややかけ離れています。

人それぞれではありますが、ストライカーの定義としては“エゴイスティック”で“チームの成績に関係なく自分の得点にこだわる”ところでしょうか。チームとして取り決めているPKキッカーに、「得点王に近づけるんだから、俺に蹴らせろ」と言って試合中にケンカしたフィリッポ・インザーギ(元イタリア代表/現ACミラン監督)などはキャラクター的にも最たるストライカーと言えるでしょう。言うなれば、「俺様みたいな素晴らしいストライカーを起用しないあの監督は馬鹿だ」と平気で言ってのけるような人種が、ストライカーたりえるのです。

ストライカーに必要な素養を持ち合わせた人種が日本から生まれるとは考えにくいのです。出る杭は打たれる、能ある鷹は爪隠す……という慎ましやかさを美徳とする国民性とは真逆の素養ですから。冒頭の高校生ストライカーも、確かにあのプレーは賞賛されるべきものですが、彼の今後のサッカー人生でその姿勢がどこまで貫けるか。“出る杭があれば即座に打つ”この国で、出る杭であり続けることがいかに困難なことか。本人がどれほど強い意志を持っていたとしても、周囲のリスペクトが得られなければその気持ちを維持すること自体が難しいのです。

現在、日本サッカー協会が『ストライカー育成プロジェクト』なる取り組みを行なっています。その名のとおり、世界に通用するストライカーの卵を見つけ、徹底的にストライカーとして育てようという目論見。こういう計画に取り組む協会の姿勢には好感が持てますが、そもそも論として、「日本サッカーにストライカーは必要なのか」、「では日本サッカーが目指す究極のスタイルとは何なのか」が定まっていないように見えます。

日本サッカーに、ストライカーは必要でしょうか。結論から言わせてもらえば、僕は不要だと考えています。理由は、ストライカーがいなくても得点を重ねた日本のチームを知っているからです。

それは、名古屋グランパス。それも、1995年、フランス人指揮官アーセン・ベンゲル氏(現英アーセナル監督)が率いていた頃の、です。

創設からJリーグのお荷物と呼ばれていたこのチームを常勝チームへと変貌させた名将の手腕は、20年近く経った今も色あせることはありません。この当時、名古屋には代表チームの常連となるような選手はいませんでした。ところがベンゲルは、特に他チームから代表クラスの選手を引き抜くこともせず、持ち駒だけで好バランスのチームを築き上げたのです。

フォーメーションは、中盤がフラットな4-4-2という現代サッカーでは極めてオーソドックスなもの。最前線には世界屈指のプレイヤーと言っていいドラガン・ストイコビッチ(元名古屋)を置き、その圧倒的なキープ力と展開力を活かしたワイドな攻撃を目指したのです。当時無名だった岡山哲也や平野孝を両翼に配し、二列目、三列目からどんどん選手が飛び出してくる厚みのある攻撃で得点を重ねていったのです。スコアラーも日替わりで、連勝を重ねだした頃にはディフェンダーが決勝ゴールをあげても不思議がらなくなったほど。

もちろん、この分厚い攻撃を支えていたのは、前線からの献身的な守備があってこそ。ゾーンディフェンスのお手本とも言える統制のとれたプレッシングで相手から自由を奪い、ボール奪取とともに攻守を素早く切り替え、全員がゴール前になだれ込む。ここぞ!というときに投入されたスーパーサブ森山泰行という存在もあって、当時の王者ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)に肉薄する勢いを見せたのです。

誰がゴールを決めたって、1点は1点です。イブラヒモビッチのようなストライカーが天から舞い降りてくるのを待つのではなく(そもそもそんな選手を育てることなど不可能。できるなら、他の国でもやっています)、自分たちが目指すべきサッカーのスタイルを確率させ、それに即した選手の育成プロジェクトを立てていくべきです。

サッカー日本代表は、日本サッカー界の模範となるべきチームです。「なるほど、代表チームはこういうサッカーをするんだ。だから僕はこういう練習をしよう(もしくは選手をこう指導しよう)」と、未来の代表選手が志を抱くことができるわけです。何がしたいか分からない、行き当たりばったりのサッカーをしていては、夢見るサッカー少年に目標すら与えられません。目先のビジネスに奔走するのも結構ですが、将来有望なJリーガーの才能を開花させてやるには、代表チームが明確な指針を見せねばならないのです。監督が変わるごとにサッカーが変わっていては、選手はもちろん他のみんなも困惑してしまいます。

特定のストライカーに頼らない、統制のとれた組織力と機動力をフルに活かした全員攻撃&全員守備のサッカー。身体能力に秀でていない日本にもっとも適したスタイルであり、私が理想とする日本のサッカーです。今までこのスタイルに挑戦しようとしたのは、代表チームではイビチャ・オシム氏だけでしょう。アギーレは……どう見ていますかねぇ。アジアカップでの戦いぶりに注目したいと思います。

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