2014年6月25日水曜日

本田圭祐はベッカムになれるか

■金髪の愚か者
おそらくこれまでの人生で最大の挫折だったのでしょう、コロンビア戦後にインタビューを受けている本田圭祐の姿は、目もうつろで声にも覇気がなく、自信が漲っていた大会前の彼とはまるで別人のようでした。

1分け2敗でのグループリーグ敗退という結果は、本田の想像外の結果だったのでしょう。彼の落ち込みぶりからもそんな胸の内が見えるよう。ただ、日本代表のこれまでを考えれば、通用すると思っていたことが大きな勘違いですし、いくら日本でもてはやされたところで世界最高峰の真剣勝負の場では通用しないということが見事なまでに実証されました。僕個人は驚きでもなんでもないですし、この結果を驚きと思っている彼らや他の人々の反応が、僕にとっては驚きです。

すでにネット上では批判の嵐が渦巻いています。特に「W杯で優勝する」と公言していた本田に対する風当たりは相当なもの。成田空港でどんな出迎えが待っているかは分かりませんが、彼は今、失意のどん底にあるのは間違いありません。

W杯で優勝する——その意気込みたるやヨシ、ではありますが、一方で対戦相手への敬意と客観的に自分たちを分析する目が今回の日本代表には必要なものだったと思います。本田をはじめ、そうしたことを口にしていた選手全員が同罪ですが、彼らを諭す役割を担っていたザッケローニ監督の功罪はその比ではありません。選手主導という聞こえのいい丸投げ方針で4年間を過ごしてきたこの指揮官には、成田空港からレオナルド・ダ・ヴィンチ空港への直行便チケットを進呈したいぐらい。

さて、本田です。プロとしてお金を得ているのであれば、口にしたことを達成できなければ叩かれるのは当たり前。今回のバッシングがどこまで肥大化するかは分かりませんが、彼はこの十字架を一生背負ってかねばならなくなりました。

そんな本田の姿を見ていて、ひとりの偉大なフットボールプレイヤーのことを思い出しました。かつてイングランドの貴公子としてその名を馳せた、ディビッド・ベッカムです。


■4年後の本田がどんな姿になっているか
フットボール界のみならず、世界のファッションシーンなどでも話題を振りまくベッカム。2002年日韓大会では日本でも大きな注目を集め、一躍時の人となったことは説明するまでもないでしょう。世界のフットボールシーンにおけるレジェンドのひとりであることに異論の余地はありません。

そんなベッカムにも、人生最大の挫折と呼ばれた瞬間がありました。1998年W杯フランス大会の決勝トーナメント一回戦アルゼンチン戦でのこと、彼のマークについていたディエゴ・シメオネ(現アトレティコ・マドリー監督)のファイルに対して報復行為を行い、一発レッドで退場させられたのです。結果、イングランド代表はこの試合をPK戦の末に落として大会を後にしました。

翌日の英デイリー・ミラー紙には『10人の獅子とひとりの愚か者』という見出しが踊り、以降ベッカムは批判の嵐にさらされたのです。それこそ、アウェイでの対戦チームのサポーターによる冷やかしやヤジはもちろん、所属していたマンチェスター・ユナイテッドのホームゲームでも非難されるほど。おそらく彼の精神状態は相当に追いつめられたことでしょう、一時は海外クラブへ移籍するという話が出たりもしました。

ところが、彼はマンチェスター・ユナイテッドにとどまり、またイングランド代表の主将としてピッチに立ち続けました。どれだけ批判されても、それを真正面から受け止めて乗り越えるために。自分が成長したことをプレーで証明するために。

愚か者の烙印を押されてから3年が経ち、イングランド代表は2002年W杯日韓大会のヨーロッパ予選を戦っていました。熾烈な首位争いを続けるなか、この試合を引き分ければ出場権が得られるというギリシャ戦で、イングランドは1-2とギリシャにリードを許していたときのこと。

試合終了間際に相手ゴール前で得たフリーキック、キッカーはベッカム。ゆっくりとした助走から右足を一閃、ボールは鋭い弧を描いてゴール左上に突き刺さったのです。イングランドが日韓大会への切符と掴んだと同時に、彼が3年もの呪縛から解き放たれた瞬間でもありました。

挫折は、人生の糧です。今回の惨敗で、次のチャンスが潰えたわけではありません。少なくともディビッド・ベッカムという偉大なフットボーラーは自ら克服してみせました。本田には今回の挫折を乗り越えられるだけの精神力があると思いますし、どれだけの批判の嵐にさらされようとも自ら乗り越え、4年後のロシア大会で再び日本代表を高い場所へと導いてほしい。

言い訳は必要ありません。4年後の本田圭祐の姿を見てから、今回のブラジルでの彼を振り返りたいと思います。
 

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