2014年5月29日木曜日

いっそのこと、玉砕してしまえ

【2014.05.27 サッカー日本代表 壮行試合 vsキプロス @ 埼玉スタジアム2002】

せせら笑うしかありませんでした。昔の面影すら感じられなくなったエース本田圭祐は迫力もなければ存在感もなし、ディフェンス陣はキプロスが時折見せる攻撃にあたふたし、攻撃にいたっては誰がタクトを振るっているのかも分からない状態で前線がさまよう次第。香川、岡崎なんてテンポの良い流れのなかで自分の勢いをつくっていくタイプだから、あんな緩慢な流れじゃリズムなんて作れるはずがありません。

チームとしての成熟度がひどすぎる。

強い相手には献身的に、しかし弱い相手にはルーズになるという日本特有の悪癖があるのはよく知っています。しかし、今回のゲームはいわゆる“壮行試合”。「行ってらっしゃあ〜い」と満面の笑みで送り出すのは表面的なことで、本質はチームの仕上がり具合をチェックする最後の公式戦です。

ワールドカップで当たるコートジボワール、ギリシャ、コロンビアについて、ザッケローニ監督をはじめとする代表チームスタッフはすでに丸裸にしていることでしょう。しかし、この壮行試合での対戦相手は、ワールドカップには出場しないキプロス。つまり、事前に相手のことを調べ上げて戦略を練る云々という作業はなく、ぶっつけ本番で力比べをするナチュラルなゲームです。そう、この壮行試合で見られるのは、ナチュラルな展開のなかで、日本代表のチームとしての基盤がどのレベルなのかを推し量る場なのです。

それで、あのていたらくとは。

ボールポポゼッションは60パーセントを超え、シュート本数は18対2と、その戦力差は歴然としていました。ヨーロッパの国と言えど、アジアでもトップクラスの日本と比べれば、キプロスはあきらかに格下。この相手を持ってきたのは“かませ犬”としてで、これからワールドカップに挑むチームとしては、国民にワールドカップ本大会での戦いぶりに期待を持たせ、気持ち良く「行ってきます」というべき試合。まだピークじゃない? 調子に乗って怪我をしたくない? そんなことをのたまえるにも至らないレベルですこれ。

ワールドカップは、対戦相手があってこそ、です。2010年南アフリカ大会では、初戦の相手カメルーンの仕上がりが不十分で、急ピッチながらゼロトップシステムが完璧にフィットしていた日本代表が本田のゴールで退けることに成功、その後の快進撃に弾みをつける形となりました。同大会ではフランス代表がお家騒動で自滅するなど、強豪国と呼ばれるチームでさえ、和が乱れればあっというまに瓦解する、それがワールドカップ。コートジボワールほか対戦国のそういう話を耳にすることはありませんが(ヤヤ・トゥーレの出場が微妙ってことぐらい)、もし対戦相手に内紛でもあれば、日本だって付け入る隙はあるかもしれない。もしかしたら南アフリカのときのような流れを掴めるかもしれない……そんな夢想が頭をもたげていました。

ごめんなさい、ワールドカップを舐めていました。

相手は関係ありません。我が国のチームがベストな仕上がりを見せ、そのうえで勝ち上がっていくことが至上の喜びであり、生き甲斐となります。僕が未だに忘れられない名シーンのひとつが、2002年日韓大会の初戦ベルギー戦で、執念のチェイシングで同点に追いついた鈴木隆行のつま先ゴールです。ストライカー鈴木の真骨頂を見せつけるとともに、日本代表は息を吹き返し、決勝トーナメント進出の原動力となったのです。

4年間、ほぼメンバー固定で作り上げてきた代表チームが、こんな試合しかできないとは。グダグダのゴールひとつで退けただけで戦力とスコアが伴っておらず、内容なんてあって無いようなレベル。本大会で相手国に攻め込まれたときにどう踏ん張るのか、どこで押し切るのか……すいません、僕にはまったく見えませんでした。サッカージャーナリストの杉山茂樹さんは「ゼロベースでの見直しが必要」と辛辣に批判されていましたが、そのとおりと思いつつも、4年前のようなチームの作り替えをザッケローニがするとは到底思えません。

ブーイングひとつ起こらなかったスタジアムも然り。

“あの程度の内容”をスタジアムで見せられたら、「チケット代返せ!」と僕なら怒ります。ビッグアーティストのライブを見に行ったら、コピーバンドだったぐらいの詐欺レベルの試合です。ええ、本田も香川も長友も云々も皆本物でしょう。でもプレーそのものはまがい物。代表マッチだから? 笑わさないでください、これならJ2の方がもっと熱い試合を見せてくれますよ。結局、サッカー選手をタレント扱いしているだけのサポート体制しか我が国にはありません、と広く公表したってだけの試合でした。ホント、1997年のワールドカップ アジア予選で、成績が振るわない代表チームに怒りを露にしたサポーターと、それを見て激高したカズが衝突した時代が懐かしく思えます。

選手を育てるのは、サポーターです。

さすがにヨーロッパや南米のサポーターと比較するのはいささか酷なように思えますが、要するに“愛情があるか否か”に尽きると思います。スタイル云々は関係ありません、どれだけ贔屓のチーム、好みの選手であっても、緩慢なプレーをすれば「おい! ふざけるな!」と怒声を浴びせる気概をもってサポートすることが重要です。

今の日本代表を取り巻く環境は、ゆるい。本当に“ゆとり教育”としか思えないほどのぬるま湯です。どうしてそこまで言い切れるか? あのレベルのサッカーを見せられて、スタジアムから怒りの声があがらなかったことがその証でしょう。結局は“ワールドカップに出ること”が最終目的になっていて、“ワールドカップでいかに勝ち上がるか”がなくなっているのでしょう。

こうしたチームになることは、何年も前から分かっていたこと。それを、旅立ちの間際で見せられたってだけですが、もはやここまできたら、怒りだのなんだのという感情は抜け落ち、呆れ、笑うほかないわけです。結局、サッカー協会はじめこうした状態になるまで代表チームそのものを野放しにしてきたサポーターにも責任はあると思います。

『Jリーグ100年構想』という大命題を日本サッカー界は掲げているわけですが、サッカーというものが文化として日本に根付くかどうか、未だ確信を持てていません。正直なところ、「無理だろう」という気持ちの方が強くなってきています。有能な選手が海外に活躍の場を求めるのは、より高いレベルで自分を磨きたいという向上心はもとより、国内で「これ以上の伸びしろは期待できない」と限界を感じたこともあるでしょう。それこそ、Jリーグで激しい応援とシビアな試合が繰り広げられていたら、「彼らでチームの土台を作り上げられるじゃないか」とザッケローニも考えを改めたかもしれない。

すべて、“今さら”です。今の代表チームの仕上がりはFIFAランキングで言えば3ケタ台というところでしょうが、よほどの劇薬が投じられない限り、このまま本大会に臨むことになります。そうなれば、あとは祈ることしかできません。

いっそのこと、玉砕してくれ。

間違いなく日本代表は冷や水を浴びせられます。チームだけでなく、日本という国そのものも、です。そして2006年ドイツ大会のときのように、「監督選びは厳選に」という風潮が高まり、協会も重い腰をあげて動き出すも、世間はサッカーへの関心度を失ってスタジアムからは人が消え、再びドイツ後にやってきた暗黒時代が到来するでしょう。

すべてのはじまりは日本サッカー協会で、大会後の日本サッカー界の舵を握るのも日本サッカー協会です。「別にいいよ、今までどおり金儲けさえできれば」という体質のままなら、サッカーが文化として日本に根付く日は永遠に来ないでしょう。そして、僕も『Jリーグ100年構想』という言葉を用いるのは、二度とやりません。客寄せのための絵空事看板に付き合わされるのはまっぴらご免ですから。

玉砕あるのみ。代表チームの検討を祈ります。
 

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