2014年5月12日月曜日

変わりゆく交通環境


昨年7月、交通事故に遭いました。当方はバイク(KAWASAKI D-TRACKER)に乗っていて、自家用車と正面衝突でした。“正面衝突”って聞くと、相当な重傷だったと思われるやもしれませんが、こちらはちょっとした打撲のみで済んだという奇跡的な事例。

……なーんて言うほど大げさな事故じゃなかったんですよね。こちらが停車しているところに、自家用車が緩やかな速度で突っ込んできただけで、スピードが大 したことなかったので、追突してくるなり飛び退けたのです。どうしてそんな緩やかな速度で自家用車が突っ込んでくるのか? 答えはカンタン、運転手が前方を確認せずに右折してきたから。

まぁでも、焦ります。バイクに乗っている側(ライダー)からすれば、緩やかであっても自動車がじわりじわりと近づいてきて、しかも運転手の顔を見るとあら ぬ方向を見ている。このとき、僕は運転手に気付かせるよう執拗にクラクションを鳴らしました。ところがそれにも気付かず、突っ込んできたんだから「え えー!?」って感じです。
 

状況はこう。一車線から三車線(真ん中が直進で、それぞれ右折・左折レーン)に広がる道を当方がバイクで走っており、そのさきで右折するため、右折レーン に差し掛かりました。すると、左側の左折レーンに並ぼうとしていたバスが、中途半端なところで停車。妙だと思ったら、その左折レーン側にある脇道から自動 車の姿が。こちらはゆっくりと進んでいたのですが、タイミング的に衝突しそうだったので、一旦停車。

ところが、自動車が曲がりながらこっちに向かってきます。しかも、こちらを見ずに、反対車線のクルマの動向しか見ていない。もはやかわせない距離感になっていたのでクラクションでこちらに気付くよう呼びかけるも、気付かず突っ込んできた……という次第。

推定でも70歳を超えているであろう、高齢のドライバーでした。

衝突してバイクが横倒しになり、僕も飛び退いたものの地面に転倒。ドライバーは驚いて降りてきたのですが、開口一番、「君が突っ込んできたんじゃないか!」と。正直、我が耳を疑いました。「正気か?」と。


ダラダラ書いても仕方がないので結論から言うと、結果的にこちらが被害者で(当たり前です)、責任割合が9:0という不思議な決着になりました。「1足り ないじゃないか」と言うところですよね。もちろんこちらも「当方は停車状態だった。どう考えても10:0だろう」と主張した(こちらにブレーキ痕がないこ とや、衝突時の写真を見ても、走行状態のバイクに自動車が突っ込んで、“上に乗り上がる”ような状況は起こりえないことなどを述べて)のですが、保険会社 の結論としては、状況判断で言えばバイクが停車状態なのは明白だが、いわゆるグレーなシチュエーションでの事故のため、第三者の証言が得られない状況での 停車状態を認めることはできず(いわゆる大人の事情ってやつです)、最大限の譲歩としての9:0ということでした(こちらが背負うはずの“1”は、こちら の心情を考慮して保険会社が負担することになったのです)。なかなか納得しづらい結論でしたが、ここから引っ張っても裁判にするかどうかという話になる し、こちらもその負担まで背負う気はない。さらに、なぜか被害者モードだった加害者を説得した保険会社の努力を汲んで、受け入れた次第でした。


それにしても。

モーターサイクルに乗っていると、クルマ以上に交通状況に対する感覚が研ぎすまされます。理由のひとつとしては、「事故=体が即傷つく」から。むき出しの 状態で数多のクルマが行き交うなかを走るわけですから、クルマ以上に交通状況に対して敏感なのは当然のことと言えます。「バイクに乗っているやつの方がう まい」とかそういう意味ではなく、危険というものがクルマ以上に身近であるからこその防衛本能といったところです。


今回の件に関しては(もう昨年の話ではありますが)、逃れようのない状況にクルマが突っ込んでくるという、思い出すだに怖くなる事例で、原因はドライバー の状況判断ミス、前方不注意に他なりません。昨今、高齢者による交通事故の増加が社会問題として取り上げられていますが、主に運動機能の低下による被害者 側の高齢者を取り上げた事例がほとんどで、同様に運動機能が低下している高齢者が運転する交通事故(ドライバーである高齢者が加害者の事例)は、よほど大 きなものでないと報じられることはありません。

私たちライダーにとって、これほど恐ろしい凶器はないのです。

緩やかな速度だったからよかったようなものの、それなりのスピードなら命にかかわる事故になります。現在、高齢者ドライバーに対しては、「運転免許を自主 返還すれば、公共の交通機関を格安で利用できる」などのサービスが実施されていますが、それも地域によりけり。地方では、クルマがなければ生活できない人 が大勢いることから、シビアな制度の導入に二の足を踏んでいる自治体がほとんど。

それでも、と思うのです。

こうした目に遭って、改めてこの社会問題の根深さを知った思いです。とある方がこう言っていました、「今のクルマはプライベート空間……いわゆる自分の部 屋、個室だね。音楽が聴けてテレビも見られる、これ以上ないほど快適に過ごせる空間にされている。だから、ドライビングに対する意識が薄れている感じがす る。流行りのハイブリッドカーもそう。燃費が良くて高性能、しかも音がしない。いつか、とんでもない事故が起こると思うよ」と。

飲酒運転が社会問題として大きく取り上げられた原因は、小さな命が奪われるという痛ましい事故があったから。日本人だけではありません、人間誰しもそうだ と思います。韓国の船沈没事故もそう。大きな事故があって、初めて人は進化がもたらす利便性と、その裏側に潜む危険性を理解します。

取り返しのつかない事故が起こってから、こうした事例にスポットライトが当たるようになるのかな。この事故に遭って以来、そんなことを考えるようになりました。

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