ハーレーダビッドソンよりも2年前に発足したのがインディアンモーターサイクル(1901年)、そして1年前に生まれたのが英トライアンフ(1902 年)。いずれも世界にその名を知らしめる老舗メーカーばかりですが、どちらも一度は倒産の憂き目にあい、その歴史を途切れさせています。そう、100年以上も途切れることなく運営され続けているモーターサイクルメーカーは、世界でハーレーダビッドソンだけなのです(BMWが先頃90周年を迎えましたが、その話はまたの機会に)。
そんなハーレーダビッドソンも、かつて経営難に陥ったことがありました。ときは1968年、日本は昭和43年にあたる年で、アメリカはベトナム戦争の真っ 最中。この年、ハーレーダビッドソンは米 大手機械メーカー AMFと業務提携を結び……要するに、AMFという大企業の傘下に入ったわけです。ちなみにモーターサイクル ムービーの金字塔として知られる映画『イージー・ライダー』はこの翌年(1969年)に封切りされています。
AMF時代は、ハーレーダビッドソンの110年を語るうえで黒歴史とも言える部分。いわゆる、今も言われる「ハーレーダビッドソンは壊れやすい」というイ メージが色濃くついてしまったのがこのAMF時代で、経営の主導権がこの大手企業の手にわたったことにより、モーターサイクルの品質が著しく低下してし まったと言われています。
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ウィリアム G ダビッドソン “ウィリーG” |
当時は、ショベルヘッドエンジンを搭載したグライド系やFL系、そしてスポーツスターの祖先にあたるXL系(いわゆるアイアン)というタイプに分かれてい ましたが、「FLにXLのスポーツ性能を備えた新しいカテゴリー」となるFX系モデルのベースを世に送り込んだのが、このウィリーGです。現代のダイナ ファミリーの礎を築いたわけですね。FX スーパーグライド(今のFXD ダイナ スーパーグライド)、FXS ローライダー(今のFXDL ダイナ ローライダー)、H-D唯一のカフェレーサー XLCRというモデルを手がけたのも彼。現行ラインナップに、XL1200X フォーティーエイトやXL1200V セブンティーツーといった、ファクトリーカスタムモデルというメーカー提案型カスタムバイクが並んでいますが、この1960~70年代当時において、この FX系モデルはまさしくファクトリーカスタムモデルの先駆けでもあったのです。
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FXS Low Rider 1977 |
現代において、企業買収は日常茶飯事となりつつあります。かつて私が勤めていた会社も買収されたことがあり、社風は大きく変わりました。それは決して不幸なことではなく、融合するうえで必要不可欠な変化の波だと思うところではありますが、じゃあH-Dカンパニーのように「いや、これは私たち本来のあるべき姿ではない。私たちのブランドは、私たちにしか分からない。改めて独り立ちせねば」というパッションとともに、バイバックできる企業がはたしてどれだけあるでしょうか。そうしたことを想像するに、カンパニーとしてバイバックを敢行したことは偉業であり、称賛に値すると思うのです。
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2013年8月、H-D 110th 記念祭での取材にて |
昨年(2013年)8月、創業110周年を迎えたハーレーダビッドソン アニバーサリーセレブレーションというミルウォーキーでの一大イベントにメディアとしてご招待いただき、“生きる伝説”ウィリーGその人にお会いでき、インタビューまでさせていただきました。
2012年、H-Dカンパニーからの引退を表明し、H-Dブランドのさらなる発展に寄与するアンバサダーに就任したウィリーG。第一線から退いたわけではありますが、今なお世界中のモーターサイクリストに愛され、尊敬される長老として存在し続けていらっしゃいます。こんな偉人にお会いできる機会が持てて、 自分は本当に幸せな仕事をしているなぁ、と実感した次第です。
日本ではあまり馴染みのない方かもしれませんが、ハーレーダビッドソンの歴史を振り返ったとき、彼の存在なくして今のH-Dカンパニーは存在しないと断言できるでしょう。そう、今ハーレーダビッドソンのオーナーとして日々楽しまれている皆さんの愛車を生み出したのは、その歴史を途切れさせることなく伝統を 守り抜いた人たちであり、ウィリーGはそうした壮大な歴史の一部を担う、文字どおり“伝説の人”なのです。僕自身もハーレーダビッドソン(2008 Sportster XL1200R)に乗る人間として、改めてウィリーGに敬意を表したいと思う今日このごろです。
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