2014年5月22日木曜日

本田圭祐——新しいミランのナンバー10への期待

本田圭祐は、全然スゴくない。屈強な外国人選手相手でも当たり負けしないフィジカルとボールキープ力は高く、シュート力も日本人で言えばアベレージを超えている。キックの精度も高いから、プレースキッカーとしても計算できる選手です。しかし、このぐらいのレベルなら世界に出ればわんさかいるし、トップリーグになれば格上とも言える選手がゾロゾロいます。レベルが低いとは言わないけど、スゴい選手かと言われれば、決してそんなことはない。

そんな選手が、ACミランのナンバー10を背負っています。

僕がサッカーをはじめたキッカケは、漫画『キャプテン翼』でした。頑張ればゴールネットを突き破れるシュートが打てるかもしれない、頑張ればディフェンダーを蹴散らせるドリブルができるようになるかもしれない、頑張って全国大会に出れば空中殺法を使う双子とか心臓病を患っている天才プレーヤーと対戦するかもしれない。そんな無邪気な心意気でサッカーにはまっていたサッカー少年の僕に、リアルな世界のサッカーというものを見せてくれた人、それがミランの10番——ルート・フリットでした。

ときは1990年、国立競技場。トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ(クラブワールドカップの前身)、南米チャンピオンのオリンピア(パラグアイ)を、対峙するACミランは子供扱いをしているようでした。その中心にいたのが、ドレッドヘアーをなびかせる褐色の巨人、ルート・フリット(オランダ代表)だったのです。その巨体からは想像もできないほど軽やかなステップで相手を翻弄し、ディフェンス陣を切り刻んでいくさまは、『キャプテン翼』とは違うリアルな別世界のサッカー。今や僕が個人的に愛してやまないのは、地元の雄ヴィッセル神戸、敬愛するゲーリー・リネカーが在籍していたトットナム・ホットスパー(英ロンドン)、そして“我が魂”阪神タイガースなのですが、世界のサッカーを知る第一歩として脳裏に焼き付けられたのが、このミランの10番だったのです。

以降、ミランの10番はそうそうたる選手の名で継がれていきました。あのロベルト・バッジョにも10番を譲らなかった“ジェニオ”デヤン・サビチェビッチ、ポルトガルが生んだ天才ゲームメーカー マヌエル・ルイコスタ、クロアチアの英雄 ズボニミール・ボバン、現ミラン監督の“優勝請負人”クラレンス・セードルフ……。ほかにもすばらしい選手がミランには多く在籍していましたが、マンチェスター・ユナイテッドやレアル・マドリーならナンバー7、セレッソ大阪ならナンバー8と、それぞれのチームに伝統として受け継がれる背番号が存在します。それで言えば、ミランはやはり10番。バレージの6番、マルディーニの3番などと並び、数字以上の意味を持つバンディエラ(旗手)としての重みがある背番号なのです。

そう、ミランのナンバー10には、魔物が棲みついているのです。

歴代の名手という存在はもちろん、その背番号には100年以上にわたって代々応援してくれるサポーターの厳しい目が注がれます。「こいつは、俺たちのナンバー10にふさわしい選手か否か」、日本人の我々では想像もできないほどの愛情と憎悪で、値踏みされるのです。お眼鏡に適えば永遠の名誉が与えられ、その領域に達していないと判断されれば、チームを追い出されるまでに。彼らの愛情があったからこそ今のミランが存在するわけで、だからこそ彼らを納得させられる“ナンバー10にふさわしい選手”を連れてくることがフロントの課題でもあります。

昨今のミランは変わった、そう言われます。強豪クラブとしての伝統を語り継ぐべき名選手がチームを離れ、きちんとした育成をしてこなかったがゆえに戦い方そのものが軽くなっている。アリゴ・サッキがもたらした1990年代の革命はチームに新たな芽を生み、当時のミランは今で言うバルセロナのような最強チームとして、その名で恐れられていました。しかし、それも過去の遺産でしか語られなくなっているようです。

主力のほとんどを放出してしまったのは、経営難から。やはりこのクラスのメガクラブともなると、常にタイトル争いをしていないと運営は厳しくなっていく一方なのでしょう。この1〜2年でミランの顔ぶれはガラッと変わってしまいました。そんななか、本田圭祐がミラン加入、しかもナンバー10を受け取った……もとい、自ら志願した、という。

シャルケ(ドイツ)に移籍した前任者のボアテンクにも、「ちょっと10番は重かったかな?」という印象を抱いてはいましたが、今度は日本代表のキーマンがその座につくというじゃありませんか。色めき立つ、というよりは、正直なところ、一抹の寂しささえありました。確かに本田は、日本が世界に誇る名プレーヤーではありますが、ミランの10番となると、ちょっと次元が違うわけです。日本でトップクラスの選手であることは理解しつつも、じゃあ彼がクリスティアーノ・ロナウドやリオネル・メッシ、フランク・リベリ、ウェイン・ルーニーらと同列で語られるかと言われれば、それはまずないでしょう。あくまで“現時点では”と言わせていただきますが。

志願したから手にできるものではない、魔物が棲みつくミランのナンバー10。ところが、本田はいともカンタンに手にしてしまった。ええ、言わせていただきます、“いともカンタンに”です。もしマルディーニやバレージといった伝統を知る選手が在籍していたら「ちょっと待て、それはお前のものじゃない」と制していたことでしょう。彼がナンバー10を手にできたのは、要するに“そういうチーム状態だから”ということ。クラブ首脳陣でさえも、伝統を重んじるという気概を失ってしまっている、そう捉えていいでしょう。

だからといって、本田の価値が下がるわけではありません。

本田圭祐は日本でもトップクラスの選手であることに疑いの余地はありませんが、一方で世界基準で見れば、バロンドールの候補者に入るのもギリギリというところでしょう。冒頭でも述べたとおり、低くない能力の持ち主だけど、世界で見ればまだまだ。

本田圭祐のスゴいところは、強靭なメンタルです。

“出る杭は打たれる”日本という土壌で育ち、数々の挫折を味わいながらも己が信念を持ち続け、徹底した強化方針で自らを鍛え、今の場所へとたどり着きました。その経歴は、多くのサッカーファンの知るところでもあり、中田英寿に比肩する“努力の天才”でありながら、次世代を担う強靭なメンタルを備えた希有な選手。

そういう意味で言えば、本田圭祐のいる日本代表は強い。なぜならば、チームが追いつめられた土壇場で「大丈夫、まだ時間はある」と自信をもって言える不屈の精神が宿っているから。それを生み出したのは、若くして経験した挫折の数々。オランダ2部リーグからACミランのナンバー10までたどり着いた日本人、そのキャッチコピーだけで彼のスゴさが分かるというもの。

ナンバー10を志願したというのも、周辺の環境の緩さはあったでしょうが、本田には魔物と向き合う揺るぎないハートがあったのも事実だと思います。彼に、歴代名手や一瞬で憎悪の塊となるかもしれないサポーターの姿が背番号の向こうに見えていなかった……わけがないと思います。魑魅魍魎が染みついたナンバー10にあえて挑んだ本田圭祐のメンタルの強さを思うに、同じ日本人として、ただただ期待する気持ちばかりが膨らむのです。

ミラン歴代最低のナンバー10?
いいじゃないですか、むしろハクがつくぐらい。

この状況から悪評を吹き飛ばすほどの活躍を見せれば、どれだけ痛快か。きっと本田圭祐はそんなシーンを思い描きつつ、日々魔物と格闘しているのでしょう。一時も休まることがない彼の日常において、外野の戯れ言など耳には届いていないでしょう。歴代の名手すらも霞ませてしまう活躍をすればいいだけのこと——そう嘯きながらニヤリと笑っている本田圭祐が思い描かれます。

「ドーハ以降、選手はまるでサラリーマンみたいになっちまった」

先日、仲の良いカメラマンがそうつぶやきました。何十年も前から日本サッカーを撮り続けた彼の言葉はずしりと重くのしかかってきたのですが、あえて本田圭祐には期待したいのです。セリエA後半戦、そしてワールドカップという準備期間を経た彼が、サンシーロ・スタジアムで躍動する姿を見せてくれることを。

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