2014年5月26日月曜日

ワールドカップ観戦は国民の義務

妻の友人で、作家の中村慎太郎さんが、自身のブログ「はとのす」にこんなことを書いていました。曰く、「2014 ワールドカップ ブラジル大会の日本の初戦、コートジボワール戦は6/15(日)AM10:00からの放映。地球の裏側で放映されることを思えば、日本人にとって願ってもいないゴールデンタイム。にもかかわらず、“グラウンドの予約が取れたから”“対戦相手が決まったから”と、その日のその時間帯に練習や試合のスケジュールを組み込む少年サッカーチームの指導者が多い」とのこと。

そして昨日、別件で一緒にお仕事をさせていただいたスポーツライター松原 渓さんと話をしていたら、彼女が精力的に取材をしているなでしこリーグは、「ワールドカップ期間中にも中断することなく開催されるんですよ」と言うじゃありませんか。確かに男子と女子では根本的なところで違いがあるとはいえ、規模の大きさはもちろん、世界中の注目を集めるビッグイベントです。しかも、自国の代表チームが参戦しているんです。「なでしこリーグに男子は関係ないでしょ」という理屈なのでしょうが、正直呆れてものが言えません。

将来Jリーガーになることを夢見るサッカー少年たちにとって、自国の代表チームが戦う姿を見るということは何ものにも代え難いお手本になります。その結果が、痛快な勝利であろうが無惨な惨敗であろうが、いずれにせよ、です。それは女子とて同じこと。世界のサッカーシーンにおけるワールドカップの存在意義が昔とは違ってきているとはいえ、それでも世界中のサッカーファンが熱狂する唯一無二のイベントであることに変わりはありません。サッカーという競技だけを特別視するのはいかがなものかと思いますが、単一競技でオリンピック以上の規模を誇る世界大会は他にありません。4年に一度の開催で、都市ではなく国単位で催されます。“サッカーは世界でもっとも愛されているスポーツ”と言われる所以でしょう。

「所詮サッカーでしょ」

数年前、今私が生業としているモーターサイクル業界にて、同僚の編集者にそう言われたことがありました。曰く、「モーターサイクルは誰もが到達できるわけではない特別な趣味の世界。サッカーなんて、誰だってできるじゃないか。モーターサイクルの方がずっと崇高だ」というところから発せられた言葉だったようです。僕自身はその後も彼と仲良く付き合っていた(と思っている)のですが、 確かに特別な世界観を有するモーターサイクルの世界ながら、その世界しか知らないまま過ごすとこうした一般社会との乖離が生まれるんだな、“モーターサイクルは崇高な趣味の世界”だというところにしがみついていないと彼のアイデンティティは保てないんだな……と思わされた一面でした。

サッカーは、誰でもできます。ボールひとつと仲間されいれば。競技によってはお金のかかる用品や機材がありますが、サッカーにはそれがない。ルールはただひとつ、“手を使ってはいけない”というシンプルなものだけ。だから、どんな環境の子どもでも思いっきり楽しめちゃう。それがサッカーのスゴいところなんです。

私は、モーターサイクルもサッカーも楽しんでいます。それぞれに違う面白さがあり、僕の人生を豊かなものにしてくれています。どちらが上だとか、そんな順位付けをしたことは一度もありません。趣味の世界に上も下もないんです。そこに上下をつけたがるのは、日本人の島国根性気質だと思う今日この頃。

そんな側面は希有な例かもしれませんが、改めて考えるに、日本人にとってサッカーという競技はそれほど親しまれたものではありません。「そうそう、だって日本には野球があるんだから」という方もいらっしゃるかと思いますが、それも正解ではありません。サッカーをひとつの指標としてサッカーそのものの歴史、そして日本の歴史を紐解いていくと、スポーツ本来の概念が日本人の文化に馴染んでいないことに気付かされます。

サッカーや野球(ベースボール)が日本に伝来してきたのは明治時代だと言われています。どの競技も“健全な競技において体を動かし、エンジョイすることで、人生を豊かなものにする”というスポーツ本来の概念が備わったものですが、当時の日本は世界の諸外国に立ち向かうため「富国強兵」というスローガンのもと、強い軍隊を作るための強い国民を欲しておりました。これはある著名なライターから聞いた話ですが、軍国主義が走り出した日本にとって、スポーツ本来の概念を脇に追いやれば、国民を心身ともに育てる各競技は格好の素材だったとのこと。そこから、文字どおり「体育」というものが生まれ、今の学校教育のひとつとして受け継がれていると言われています。もちろん体育が日本の軍国主義の……などと言うつもりはありませんので、あしからず。

“命を奪わない戦争”、僕はスポーツをそう表現することがあります。 対戦相手を負かすために自らを鍛え、戦略を練り、弱点を突き、得点を奪う。でも、お互いの生死にかかわることはありません。そして戦い終えた後は、全力を出し切った者同士で健闘を称え合う。悔しさだってある、ジャッジによっては後味の悪いものになることも。でも、またチャレンジすることができる。それがスポーツ。アマかプロかは関係ありません、自身の人生をかけて戦うことができる、健全で貴重なシーンに出会えるのがスポーツの良いところだと思っています。

そうした文化的背景があるためか、日本はスポーツ本来の概念にイマイチ馴染めていない感が否めません。例えばプロ野球ですが、北海道日本ハムファイターズは日本ハムを、阪神タイガースは阪急・阪神グループを、読売巨人軍は文字どおり読売グループと、どのチームも企業を母体としています。これ、アメリカのプロスポーツチームやヨーロッパのクラブチームでは考えられないこと。なぜならば、彼らにとって企業はあくまでスポンサーであり、クラブはそれぞれの地域に根ざしたスポーツ振興のための組織なので、母体とはならないのです。日本にとっては企業母体がスタンダードではありますが、一方で母体である企業の経営が悪化すると廃部にされたり、売却といったことが起こります。現在の福岡ソフトバンクホークスだって、元々は大阪にあった南海ホークスがダイエーに売却されたもの。かつてのファンは、彼らが福岡の地で活躍するさまを複雑な心境で見ていることでしょう。

Jリーグは発祥当時、そうした企業母体とすることで起こる悲劇を生み出さないため、すべてのチームに地域名をつけることを義務づけました。結果としてプロ野球ほか、さまざまなプロスポーツチームがその動きにならい、地域密着型クラブというものが定着してきていますが、清水エスパルスのようにクラブが会社として運営されているチームはまだまだ少なく、Jリーグ百年構想のとおり、道のりはまだまだ長いな、という印象です。

“健全な競技において体を動かし、エンジョイすることで、人生を豊かなものにする”という、日本人に馴染みが薄いスポーツ本来の概念。ワールドカップはそうした基本概念ありきでこれまで開催されてきており、ベースとなっているサッカーのあり方も同様です。時代は移り変わっており、もしかしたら冒頭のような指導者がヨーロッパや南米にいないとも言い切れません。かつてF.C.バルセロナを率いていた名選手にして名将の誉れ高いヨハン・クライフは、1990年代初頭、「ここスペインでもテレビゲームばかりする子どもが増え、イマジネーション豊かな選手が育たなくなっている」 と嘆いていたのを覚えています。もしかしたら、こうした指導者問題は日本だけではないのかも。だからこそ、20年以上もサッカーという競技の魅力に取り憑かれてきた人間として、あえて言わせていただきます。

ワールドカップ観戦は、国民の義務です。

なぜならば、自国を代表するチームが参戦し、11人対11人で、ボールの数もピッチやゴールの大きさも一緒というまったく同じ条件のもと、どちらがより優れたサッカーを展開できるのかを世界中の人々が見守るなか、披露する舞台だからです。目指すはゴールのみ。どれだけカッコ悪くでも、どれだけ泥臭くても、相手よりも多くボールをゴールに転がり込ませることに腐心する。誰の命を奪うことなく、無慈悲なまでのジャッジと熱狂的な盛り上がりで優劣を決める、それがサッカー ワールドカップ。やや過激な物言いかもしれませんが、サッカーに興味がない、ワールドカップに興味がないことはさておき、“ワールドカップを見ない”というのは、「私は自分の国に対する誇りがありません」と言っているのと同じようなもの。それを、子どもたちを導く役割を背負った大人が平気な顔でやってしまうのは、論外という他ありません。

私たちの未来を担う子どもたちには、誇り高い日本人になることを目指してもらいたい。ワールドカップを観戦するということは、代表チームの戦いぶりを通じて何かを感じ取ってもらうことなのです。大人が率先して観ずして、何を伝えられるというのでしょうか。「代表選手よりも、コーチの俺が教えることの方が100倍マシ」とでも思っているとしたら、その方は指導者には不向きだと言えます。コートジボワール、ギリシャ、コロンビアといった屈強な対戦相手と向き合う代表選手たちから伝わる“何か”は、どの日本人も生み出せない貴重なオーラに他なりません。今、私はまだ子どもを持ってはいませんが、もし自分の子どもがいて、初戦の日に練習や試合があると言われたら、「そんなクラブは辞めてしまえ」と言うでしょう。

ブラジル大会に挑む日本代表チームのことをさんざんこき下ろしている私ですが、それでもグループリーグ3試合すべて観戦します。決勝トーナメントに進出すれば、スケジュールが許す限りチャンネルを合わせます。

だって、日本人ですから。
 

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